第十三章和漢比較教材 の有用性
9
0
0
全文
(2) このうち ︑︵2 ︶では ︑古 典の学習指導 が読解 だ け に偏ら ず︑言語活動 も取り 入れ る べ き こ と に言 及さ れ て お り ︑︵ 4︶ では ︑そ の 具 体 的な 言 語 活 動 例が 示されている ︒ ﹁ 古典 講読 ﹂の﹁内容の 取り扱い﹂の 項においても︑こうした 同様の内容が 発展的に次の 如く示 されている︒ ︵2 ︶話 すこと・聞くこと及び書くことの言 語 活 動を効果的 に取り入れるようにする ︒ ︵ 3︶ 古典に 触れ る楽しさを味 わうことを 重視し ︑詳細 な読み 取り の指導 に偏らない よう配慮するものとする︒ 古文や 漢文の調子などを味わいながら︑音読︑ 朗読をすること︒. ︵4︶指導に 当たっては ︑例えば次のような言 語 活 動を通して行 うようにする ︒ ア 古典に 表れ た思想 や感 情な ど に つ い て︑感 じたこと考 えたことを文 章にまとめ 古典 を読んで︑関 連する文章 や作品を調べたり読み比べたりすること ︒. たり発表 したりすること︒. イ ウ こ の う ち ︑︵ 3︶ では ︑詳 細な 読 解 指 導 偏 重を 避け る べ き旨 の留 意 事 項 が示 され ︑﹁ 古 典講読 ﹂の ﹁目 標﹂ にある ︑﹁ 生涯 に わ た っ て古 典 に親 しむ 態度 を育 てる ︒﹂ に相対応 す る 形に な っ て い る ︒︵ 4︶で は︑﹁ 古典﹂ 同様に ︑﹁ 音読・ 朗読﹂ を重視し ︑感じ た こ と を 文章 にまとめて発 表したり︑関 連する文章 や作品との読 み比べを︑具体的な言語活動例と して 示している ︒ このように︑ ﹁ 古典 ﹂ ﹁ 古 典 講 読﹂ の学 習を 通じ て ﹁伝 え合 う力 ﹂を 養う 方向 が明 示さ れているわけである ︒そ こ で よ り大き な問題 となるのは ︑﹁ 伝え 合う内 容﹂ということに なる︒ 言 語 活 動の具体例 は︑複数示されているが ︑比較対照や 読み比 べ︵ ウ ︶ ︑思 想 感 情 の特徴︵イ︶ や表現上の 特色︵ア︶か ら感じ取ったこと考えついたことが中 心である︒そ ︑え ︑合 ︑う ︑内 ︑容 ︑をどのように導き出 せばよいので のような関 心を持っ た こ と等︑表現すべき伝 あろうか︒ 現行 の指導要領で は ︑ ﹁読 解・鑑 賞﹂という表 現は 影を潜 め ︑ ﹁読 む ﹂﹁味わ う﹂と. ︵ 4︶. いう 言 葉に 置き 換え ら れ て い る ︒﹁古 典 ﹂を ﹁読 み ﹂﹁味 わう ﹂ ことから ︑生 徒が 多く の 伝え合 う内容を発見 するには︑古 今に通じる普遍的なテ ー マを設定する 必要があり︑ しか も︑生 徒に多くの問題意識を喚 起する内容が 要求されよう ︒この点において和漢比較教材 は︑ テーマの設定如何ではなく ︑諸々の問題意識を喚起 する教材と し て︑非常に魅力的で ある ︒ 抑 も︑現 行の 指 導 要 領においては ︑﹁ 目標﹂ の一つ に過 ぎない ﹁伝え 合う力 ﹂が︑ 教育 現 場で 過剰に 強調さ れ て い る嫌い が あ る の で は な い だ ろ う か ︒﹁ 目標﹂ の項 では﹁ 伝え合 う 力を高める ﹂と 記された後 に︑ ﹁思考力を伸ばし 心情を豊かにし﹂ ﹁言語感覚を磨 き﹂ ﹁言 語文化に対す る関心を深め ﹂という各 点が並列的に 明示されている︒これら三 点は︑従前 の指導要領からの 継承である︒ よって ﹁古 典﹂に 即していえば ︑ ﹁古典 に親し む﹂と 同時 に︑ ﹁我が 国の 文化と 伝統に 対する 関心を 深め ﹂て い く態度 を育てることは︑ 現行の 指導 要領においても依然として重視されているとみなすべきである ︒ とりわけ︑ 文化的側面 に お い て ︑ ﹁内 容﹂の 項﹁古 典を読 んで ︑日本文化の 特質や 日本 文化と中国文化の関 係について考 えること﹂という項目が︑ 旧来の指導要領よりそのまま 継承されていることを考慮すると ︑和漢比較教材の有用性 は︑指導要領改訂前からの 古く て新し い課題ともいえるのではないだろうか ︒. - 127-. 和漢比較教材 の有用性 第十三章.
(3) ここで ︑ これまでに示した指導要領の目的 を効果的に 提供し得る和漢比較教材について ︑ その﹁ 和 ﹂ ﹁漢﹂ の組み合わせ 方法を分類整理しておくことにする︒ ①古 文の本文中に 漢文の詩句が 直接引用されたことにより︑影響関係 が認められる 教材 の併 置︵古文対漢文の対 応 関 係︶ ︵ 例︶ ﹃ 源氏物語﹄と ﹃白氏文集﹄ か の送り物御覧 ぜさす︒亡 き人の住みか 尋ね出でたりけむしるしの 髪ざしならまし かば︑と思ほすもいとかなし︒ 尋ねゆくまぼろしもがなつてにても玉 のありかをそこと知るべく 絵にかける 楊貴妃のかたちは︑い み じ き絵師といへども︑筆限 りありければ ︑いとに ほひすくなし︒太液の芙 蓉︑未央の 柳も︑げに通 ひたりしかたちを︑唐めいたるよそ ひはうるはしうこそありけめ︒なつかしうらうたげなりしを 思し出づるに ︑花鳥の色 にも音にもよそふべき 方ぞなき︒ 朝夕の言種に ︑翼を並べ枝 をかはさむと 契らせたま ひしに ︑かなはざりける命の ほ ど ぞ︑尽きせず 恨めしき︒. 在天願作比翼鳥. 七月七日長生殿 此恨綿綿無絶期. 在地願為連理枝. 夜半無人私語時. ︵﹃源 氏 物 語 ﹄ ・桐壺 ・傍線=中村 ︶. 天長地久有時尽 ︵﹃長恨歌﹄の一節 ・傍線=中 村︶ ②漢文と近代 の翻訳詩と の併置︵漢詩対近代訳詩の 対応︶ ︵例︶王維 ﹃竹里館﹄と 佐藤春夫の翻訳詩 王維 弾琴復長嘯. 竹里館 独坐幽篁裏. 琴 把りてうそぶき居れば. 明月来相照. 竹むらにひとりうづもれ. 月 かげぞおとなひにける. 深林人不知. やぶふかみ人こそ 知らね. ︵佐藤春夫﹃玉 笛 譜﹄ ︶. 日高睡足猶慵起. 香炉峰雪撥簾看. 小閣重衾不怕寒. 白居易. ③ 中国漢文と影響関係のある 日本漢文の 併置︵日 中 漢 詩の対応︶. 遺愛寺鐘絣 枕聴. 司馬仍為送老官. ︵ 例︶ ﹃ 白氏文集﹄と ﹃菅家後集 ﹄ 香炉峰下︑新卜山居︑草堂初成︑偶題東壁. 匡廬便是逃名地. 故郷何独在長安. 万死兢兢跼蹐情. 菅原道真. 心泰身寧是帰処 不出門 一従謫落在紫荊. - 128-. 和漢比較教材 の有用性 第十三章.
(4) 此地雖身無杉繋. 中懐好逐孤運去. 都府楼纔看瓦色 何為寸歩出門行. 外物相逢満月迎. 観音寺只聴鐘声. 以 上のように︑ 和漢比較教材 は︑その組み 合わせによって︑日中という地域差による比 較 や︑古今と い う時間差による比較等︑ 様々な可能性 を持つ教材になりうるであろう︒こ れは︑ま さ し く日本文化の 相対化・客 観 化を促進し ︑古典学習において︑生徒 が諸々の問 題意識を喚起 する際の材 料となるはずである︒以下 ︑より普遍的 なテーマの設 定を試みな がら︑和漢比較教材の意 義と学習活動 の方向性について︑いくつかの視点か ら考察を加え. 文化の特質を考える. ることにする︒. 三 古典に 親しむ態度を 育成するためには︑も ち ろ ん︑読む能 力を伸ばす方 法の改善が必 須 になってくる︒し か し︑その前 提として︑日本文化の特質 を考えるという視点から︑ 現代. ︵5︶. 自然 ・ 人間 ・社 会は ︑日 本 に限 らず 諸国 の文 学 作 品 を読 む. に生 きる我々が︑ 普遍的に共有 している問題意識と強く結 びつく教材 を精選することが必 要になってこよう ︒ 古 典 作 品 に表 れている. 際 にも︑当 然 意 識しなければならない普遍的なテーマ であろう︒こ の三点を︑日本文化の 特 質に即し つ つ︑日本の古典作品の中か ら具体的なテーマを抽出すると︑ほぼ 自然=﹁四 季の 推移 ﹂ ︑人 間= ﹁恋 愛 感 情 ﹂︑社 会= ﹁政 治と の 乖離 ﹂と 言い 換えることが 可能 であ. ︵6 ︶. 一 つの 季節 の終 焉と 新 しい 季節 の. ると思われる ︒とりわけ ︑時間意識の 典型である﹁ 四季の推移﹂ は︑日 本 文 化を考える上 で︑必要不可欠なテーマ であるといってよい︒ そ し て ﹁四 季の 推移 ﹂ が︑ 明確 に自 覚さ れ る の は. 到来︑つまり季節の移 り変わりの時 である︒ここで︑一例を 挙げて︑より 具体的に述べ て みる︒ ︵ 8︶. 周知 の こ と で あ る︒ よ っ て季 節の 推 移が 明確 に表 現さ れ︑ 普. 古今和歌集 の 和歌配列 が︑ 季節 の 推移 に従 って 撰者 らによって 再 構 築された 人為的. ︵ 7︶. な 季 節 観で あ る こ と は. 遍的 テーマに通じ る古文教材として︑また︑ 和漢比較教材として有用 であるといってよい だろう ︒︵ 古 今 集 歌の教材論については稿 を改め て論じることとしたい︶ 春 秋 巻 頭に は そ. 紀貫之. 藤原敏行朝臣. 袖ひちてむすびし水のこほれるを 春立つけふの 風やとくらむ. 春立ちける日よめる. れぞれ新しい季 節の到来を詠 んだ次の和歌 が見える︒. 2 秋立つ日よめる. 秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどかれぬる. 169. 秋立つ日︑うへのをのこども︑賀茂の河原に川逍遙しける︑ともにまかりてよめる つらゆき. - 129-. 和漢比較教材 の有用性 第十三章.
(5) 川風の 涼しくもあるか打ちよする 波とともにや秋は立つ ら む. 指 摘されている ︒. ︵9︶. 府西池 柳無気力枝先動 今日不知誰計会 立秋日登楽遊園. 池有波文氷尽開 春風春水一時来 白居易 誰教計会一時秋. の歌 として︑次 の和歌が見え る︒ 弥生のつごもりの日︑雨の降りけるに︑藤の花を折りて人につかはしける. 濡れつつぞしひて折りつる年の内に春はいくかもあらじ. ︶伊勢物語八十段にも 見えるが︑古 今 集 では春 巻 末に配列されている︒詞 書 10. 化の 特質 であるといってよい ︒こ の よ う な問題意識の 設定こ そ ︑ ﹁生 涯にわたって 古典に. 併せて自 己の感情の 行方を︑自然景物に関連させて表出することは︑時 代を越えて日本文. 季節の終 焉と新しい季 節の到来と い う︑本来︑ 不可視の現象 を︑様々な方 法で表現し︑. 賞的意味 を含めて︶を 伸ばすことも 可能となるであろう︒. 代人の優雅 な心を味わい ︑和歌の奥 深さを窺い知 る古典教材として︑読むことの能力︵鑑. 歌の裏には ︑作者︑業平 の衰運・嘆老 が訴えられていることまで考え合わせれば︑平安時. 節の辞去を惜 しみ ︑ ﹁雨に濡れに濡 れて ︑無理にでも折 った花 ﹂を人に贈る行 為の意味や ︑. し た︒このような暦の上で の実感と︑古 典に表れた心 を︑どこか共 通した感慨として味わ うことこそが ︑古典に親し む態度を育成 することに他 ならないのではないか︒ さらに︑季. 解 され得るものである︒近年 ︑二十世紀最後の日を︑ 我々は深い感 慨を以て過ご す経験を. うが ︑暦の上の晦 日において ︑人間の感情 が惜別的・懐古的になるのは︑時代を 越えて理. 弥生晦日をもって 春という季節 が終焉するという観念は ︑古今集時代 に生じたものであろ. を含め て歌の主題を 解釈すると ︑弥生晦日における春を惜 しむ歌とみなすことができる︒. この歌 は ︵. と思へば. 次に 季節の終焉に 関して具体例 を提示しておきたい︒古今和歌集・巻二春下に在原業平. いる ︒. っ と し た り︑河 波を立 てる一 陣の 涼風という和 歌の印 象と重 なるからである ︒ ﹂とされて. が一陣 の東風と と も に一気に解けたり︑或いは 一六九番︑ 一七〇番歌の 一陣の涼風に ︑は. 田 中 氏の言 葉を借 りるならば ︑﹁﹁計会 ﹂﹁一 時﹂という截 然と し た印象 が︑二番歌の 氷. 蕭颯涼風与衰鬢. 白居易. こ れ ら新しい季節 の到来については︑次の 白居易の詩文 の影響が. 170. 133 親しむ 態度﹂を育 成する根幹となるのである ︒. - 130-. 和漢比較教材 の有用性 第十三章.
(6) 四. 古文・漢文を読み比べて. 高校課程の﹁古 典﹂領域において︑古文 ・漢文の二 分 野を︑最初か ら総単位時間を分割 して履修さ せ る学校も あ れ ば︑総単位時間の中で配 合しながら履 修させる学校 もある︒こ の二分野の割 合については︑指導要領 で﹁一方に偏 らないようにする﹂とされている︒た だし︑後者 のような履修形態の場合︑ 学校に よ っ て実情の差はあるとはいえ ︑漢文の扱い が相対的に 軽くなる傾 向が生まれている︒と り わ け︑大学入試 で漢文を出題 する学部が 減 少してきたことは︑こ の傾向に拍車 をかけている ︒このような状況である 今だからこそ ︑ 漢文が﹁ 国語﹂という 教科の中で ︑どのような 意義を持つ か を︑的確に位 置づけなければ ならないと考える︒ 本稿の ﹁二﹂でも述 べたが︑指導要領﹁古典 ﹂における内 容の項目にも ︑旧来の学 習 指 導要領か ら継承 したものとして ︑﹁ 古典を 読んで ︑日本文化の 特質 や日本文化と 中 国 文 化 の 関係を に つ い て考 え る こ と﹂といった 事項がある ︒ ﹁ 三﹂で 述べた ﹁文化 の特質 を考え る﹂ にあたっても︑和漢を比 較した上で日本文化を相 対 化し︑より 客観的に捉え る必要が 生 じるであろう ︒こうした意 味で︑漢文 を日本人がそのままの形式 で訓読などの 方法で享 受 してきた枠 に止めることなく︑作品の 表現意図に内 包されたものも含めて︑ 比較対象と すべきであると考える︒そ の上で︑双 方の差異と共通点を︑生徒 が主体的に考 える素材を 提供す る よ う な指 導の あ り方が 望ま れ る ︒ ﹁三﹂ で取り 上げた 業 平 歌に関 連さ せ て︑こ の 点を具体的 に述べてみたい︒ ︶金子彦二郎以来指摘されている︒. 前述した 業平歌は︑ 次に挙げ る︑白居易 の﹁三月三十日題慈恩寺﹂︵三月三十日 慈恩寺に 題す︶を典拠とするということが ︑︵. 今 朝 尽く. 留む る を得ず. 徘徊して 寺門に倚る. 慈恩 の春色 尽日. 漸 く黄昏. 惆 悵として春帰 るを 紫藤花の下. 業平歌がこの詩 を典拠とする 意図は︑︵ ︶上野理氏の言葉 を借りれば ︑次 のようになる ︒. 慈恩春色今朝盡 盡日徘徊倚寺門 惆悵春帰留不得 紫藤花下漸黄昏. 11. れてくるはずである︒. 発 想を︑ い か に日本的に. (. 摂) 取・受 容したかが ︑和 歌と漢 詩を 対照さ せ る と深く 理解 さ. ろ︑白居易の詩に多 く見られる﹁ 惜春ー三 月 尽﹂の意識である︒中 国 詩 文としての表 現・. この詩に 見られるように︑晦日に 惜春の情を詠 むのは︑日本独自の発想 ではなく︑む し. ったというのであろう ︒ ﹂と い っ た表現意図が 読みとれるわけである︒. とを知りながら︑春雨 にぬれるのもかまわずに︑ 春を惜しみとどめようとして︑藤花を 折. を想起 させようとするものと解 釈す る︒さらに ︑ ﹁業 平 歌は惜 春の 心から ︑と ど ま ら ぬ こ. へば﹂ に よ っ て︑ 読者に 惜春の 歌であることを理 解させ ︑﹂と し た上で ︑白居易の こ の詩. ﹁物 語や詞書がないと ︑ ﹁ぬれつつぞしひて折りつる ﹂はなにを折ったのか理解しにくい ︒﹂ とし︑続けて ﹁歌として独 立していない感をうけるが︑下句の﹁ 春はいくかもあらじと思. 12. ここに挙 げ た の は一 例に過 ぎ な い が ︑ ﹃ 伊 勢 物 語﹄と 唐 代 伝 奇﹃鶯鶯伝 ﹄︑ ﹃ 源 氏 物 語﹄. 13. と 史書 や ﹃長恨歌 ﹄︑ ﹃ おくのほそ 道﹄ と杜 甫の 漢詩 な ど︑ 比較 して 読むべき 古文 と漢 文. - 131-. 和漢比較教材 の有用性 第十三章.
(7) 教材は ︑高校段階で 頻出する教材 の中だ け で も︑多岐にわたる︒したがって︑こ れ ら を教 材化することで︑ 我が国の古典文学が︑い か に漢文学を基 盤としながら形成されてきたこ と を︑深 く味わうべきではあるまいか︒ このような 学 習 活 動よ っ て ︑﹁ 国語﹂ の中で 古文 と漢 文を偏向することなく学 ぶ意義が︑よ り鮮明に意識 されることが 期待できるはずであ る︒. 五 音読・朗読の言語活動を通して 取り 扱う古典教材 が ︑ ﹁三 ﹂︑﹁四 ﹂で例 と し て あ げ た よ う に韻文である場 合︑そ の本質 を理解 するためには ︑韻律性を味 わう音読・朗 読が不可欠 である︒和歌 であれば︑そ の内 容解釈 に応じての句 切れや︑強 調して読む句 ︑情景を想像 しながらの朗 読で︑和歌に 内在 された口誦性を 引き出 すことになるであろう ︒ ﹁ 三﹂で 挙げた 業平歌 に即し て述べれば︑ 次 の よ う で あ る ︒﹁ 濡れ つ つ ぞ ﹂の 第一句目 は ︑ ﹁ つつ ﹂が 反復 ・繰 り返 しの 接 続 助 詞と 解すると︑第二句目の﹁し ひ て﹂と響き合 い︑雨の中の 困難な状況 にもめげない 和歌制作 者 の 心情 に迫 る こ と が で き る で あ ろ う ︒ま た ︑﹁ 濡れ つ つ ぞ ﹂の ﹁ぞ ﹂を 受け て ︑ ﹁ しひ て 折りつる﹂ の﹁つる﹂が 完了の助動詞 ﹁つ﹂の連 体 形で︑係り 結びが成立していること に気がつけば ︑第二句目で 大きな句切 れを入れて朗 読せねばなるまい︒しかも ︑詞書や典 拠とする漢 詩から︑折ったのは﹁藤の 花﹂であることが︑言外に 意識されてくるはずであ る︒そして ︑第 三 句 目 以 下で︑ 白 居 易の詩 を想起 し な が ら ︑ ﹁惜春 ー三 月 尽﹂ 観念の 切な る極 まりを ︑﹁春はいくかもあらじ﹂ の﹁じ ﹂という打消推量 の助 動 詞に 乗せて 朗読し て いくことになるであろう︒そこには ︑白居易の 詩の末句﹁黄 昏﹂が重なり ︑晦日に お け る 惜春の情 を一層掻き 立てることになり︑漢詩を 下敷きに意識 した和歌の朗 読が完結するで あろう ︒ 学 習 活 動としての朗 読は︑作品 の読み︵解釈 ︶の上に立脚 し︑内容を反 映しているてい ることが望まれ︑ 言語活動を実 践することで ︑味わい︵ 鑑賞︶へも深 まってゆくはずであ る ︒し た が っ て ︑﹁ 読み ﹂﹁ 味わ い﹂ と 朗読 は︑ 相 互 補 完 的な も の と位 置づ け る べ き で あ ろ う︒. (︶. 翻訳例を 参考までに挙げておくこと. ま た︑和歌や漢 詩に対する 現代語の翻訳 を合わせて朗 読すれば︑近代詩的な韻律 も併せ て味わうことができ︑作品 の鑑賞の幅を 広げ︑更に広 い視野で作 品を比較読みできる︒こ こで取 り上げ た白居易 ﹁三月三十日題慈恩寺 ﹂の にする︒. 慈恩の 春も今日かぎり 終日 めぐり惜しめども 留め 得ぬ春を如 何にせん 藤のしだれに日 は暮れる. 14. ︵﹃からうたもよう﹄上田治穂著︶. - 132-. 和漢比較教材 の有用性 第十三章.
(8) 六. 結びにかえてー主体的な訓詁注釈への回帰ー. 和漢比較教材の 有用性に基 づく学習活動 として︑三点 において提言 した︒これらはもち ろん︑古 典 教 育における伝統的な訓 詁 注 釈を否定するものではない︒文化の特 質を考え︑ 読み比べ︑音 読・朗読するという方法 で︑より深い 意識を持ちながら︑生徒 が主体的に文 法を含めた 解釈に取り組 む道筋が︑得 られるのではないかと論 者は考える︒ 従来︑文法を 中心にした 解釈作業のみに終始した 古典授業が現 場で多く実践 され︑生徒の 古典離れを 助 長してきたのも事実であろう︒しかしながら︑読 み味わう意 識を刺激することで︑興味 ・ ︑え ︑味 ︑わ ︑う ︑古 ︑典 ︑教 ︑育 ︑が︑ 実践さ れ る の が理 想 的である ︒ 関心 を増大 させ︑ 真に 考 ﹁古 典﹂の 学習 から ︑ ﹁伝 え合う ﹂内 容を獲 得し よ う と す る学習活動 を行い ︑生徒各自の 問 題 意 識の 高ま り を期待したいものである ︒その問 題 意 識まで導いたところで︑生 徒が主体的に ﹁古 典 ﹂の訓詁注釈へ目が 向き ︑真に 読む楽しさを 発見することを望みたい ︒訓詁注釈の力は ︑ 高校卒業以後の様 々な思考・作 業に対処するための ︑基礎的能力で あ る と考える故である︒. 注 ︵1︶旧高等学校指導要領 から現行高等学校指導要領︵以下︑指導要領︶への ﹁改善の基 本的視点﹂として第 一 番 目に﹁豊かな 人間性や社 会 性︑国際社会 に生きる日本人と し て の自覚 の育 成﹂が 掲げられている ︒︵文部科学省 ﹁新 しい学習指導要領の 主な 内. ポイント ﹂ ︵平成十四年度から実施 ︶参照 ︶したがって ︑この視点か ら指導要領﹁国 語﹂ の中で は︑ 次のような 教材へ の配慮 や留 意 点が 示されている ︒ ﹁国語総合. 容の取り 扱い︵6 ︶﹂では ︑ ﹁ ︵ク ︶我が国の 文化と伝統 に対する関心 や理解を深め ︑ そ れ を尊 重する 態度を 育てるのに役 立つこと ︒﹂﹁︵ケ︶ 広い視 野か ら国際理解を 深 内容 の 取り扱 い︵5 ︶イ ﹂では ︑﹁︵ウ ︶様々 な時代 の人々 の生. め ︑日 本 人としての 自覚をもち ︑国際協調の 精神を 高めるのに 役立つこと ︒﹂と あ る ︒また ︑﹁ 古典. き方 について考えたり︑我が 国の文化と伝 統について理 解を深めたりするのに役立 つこと ︒﹂ ﹁︵カ ︶中国 など外 国の 文化と の関係 に つ い て理 解を深 め る の に役立 つこ と︒ ﹂ とある︒ ︵ 2︶勿論︑ 漢文が主と し て中国古典作品︑古文が日本古典作品 と限定した場 合に想定さ れることである︒しかし︑ 漢文においては日本漢文 の存在を無視 することはできな い︒古文においても︑中 国などの外国 の文化を素材 とした作品 が︑当然な が ら存在 する ︒む し ろ こ の よ う な︑形式的 ・内 容 的な類 似と交 渉 関 係があるからこそ ︑ ﹁国 際理解﹂ と﹁自国の文化伝統の理解 ﹂に貢献する 教材として︑ 自明であるといって よいだろう︒指導要領 ﹁古典 ﹂の﹁3内容の 取り扱い︵5 ︶ウ ﹂には ︑ ﹁教材には ︑ 日本漢文 も含めるようにすること ︒また︑必要 に応じて近代以降の文 語 文や漢詩文 などを 用いることができること ︒﹂と あ る︒ ︵ 3︶ 指導要領 ﹁ 国語総合 ﹂﹁ 3内 容の 取り 扱い ︵ 4︶ ア﹂ には ︑﹁ 古典 と近 代 以 降の 文 章と の授業時数の 割合は︑おおむね同等とすることを目 安として︑生 徒の実態に応 じて 適切に定めること︒なお ︑古典に お け る古文漢文と の割合は︑一 方に偏ら な い ようにすること ︒ ﹂ ︵傍 線=中村︶とある︒ま た ︑ ﹁古典 ﹂ ﹁3 内容の取り扱 い︵1 ︶﹂. - 133-. 和漢比較教材 の有用性 第十三章.
(9) て ー新学習指導要領の. には ︑ ﹁古 文 及び漢文の両 方を取り上げるものとし︑ 一方に偏らないようにする︒ ﹂ 晴美氏 ﹁古典教育はやはり﹁読 解と鑑賞﹂にこだわっ. とある ︒ ︵4 ︶勇 中 の古 典 教 育 ー ﹂﹃ 早 稲 田 大 学 国 語 教 育 研 究﹄︵ 第二十集 ・ 二〇〇〇 年 三 月︶ に お い て︑指導要領 と今後の古典教育への考察 がある︒ ︵ 5︶ 旧指導要領か ら現行指導要領に 引き継 がれたものとして ︑ ﹁ 3内容 の取り 扱い﹂ ︵5︶ イの 項目として ︑ ﹁人間 ︑社会 ︑自然 などに 対す る様々 な時代 の人々 の も の の見 方︑ 感 じ方 ︑考 え方 に つ い て理 解 を深 めるのに 役立 つこと ︒﹂︵傍 線・ 中村 ︶ とある︒ ︵6︶ 田中幹子氏 ﹁﹃古今集 ﹄における 季の到 来と辞 去について ー三月尽意識 の展開 ー﹂ ﹃中 古 文 学 ﹄ ︵創立三十周年記念臨時増刊号一九九七年三月︶ ︵7 ︶本文 は︑小沢正夫氏・ 松田成穂氏﹃ 新編日本古典文学全集・ 古今和歌集 ﹄ ︵一九九 四年十一月・小学館 ︶による︒ ︵8 ︶松 田 武 夫 氏﹃古今集の 構造 に関す る研究 ﹄ ︵一 九 六 五 年・ 風 間 書 房︶に 始まり ︑い わ ゆ る古今集配列論の立場から ︑集を撰者ら の構築した季 節の推移として解釈する. 植 ゑ た る人 ありけり ︒. 古今和歌集 ﹄︵ 一九八九年・ 岩波書店︶ では︑ 脚注に 各歌 の主題 が歌. 研究 は︑ほぼ定着 していると言 えよう︒小島憲之氏・新井栄蔵氏に よ る﹃新日本古 典文学大系 群 ごとに明示されている︒ ︵ 9︶田中氏 前掲論文 ︵ ︶﹃伊 勢 物 語﹄ では ︑﹁むかし ︑お と ろ へ た る 家に ︑藤 の花. 句 題 和 歌・千 載 佳. 句研究篇 ﹄ ︵一九四三. 新編日本古典文学全集・小学館による ︶という地の 文の後に︑こ の歌が. 三月のつごもりに ︑その日 ︑雨そほふるに ︑人のもとへ折 りて奉らすとてよめる ︒﹂ ︵本文は ある︒ ︶ 金子彦二郎 ﹃平安時代文学と 白氏文集. ︶ 上野理氏﹁伊勢物語の藤と 螢 ﹂ ﹃東洋文学研究 ﹄ ︵一九六九年三月︶. 培 風 館︶. ︵. ︶ ﹁惜 春ー 三月尽 ﹂観念 の中国詩文からの 摂取・ 受容は ︑早い 時期 に業平 が和歌 にお. 年 ︵. ︶ ﹁ からうたもようー 漢 詩 百 訳ー﹂ 石川忠久氏監修・ 上田治. 刊第七号. 穂 氏 著 ︵ 一九八九年・. 一九九八年十一月 ・平安朝文学研究会︶に詳 しい︒. る︒ この点に関しては︑小論 ﹁菅原道真﹁ 惜春詩﹂の形 成﹂﹃平安朝文学研究 ﹄ ︵復. いて 独自に行い︑ 以後︑菅 原 道 真が漢詩において︑独自 な態度で摂取 ・受容してい. ︵. ︵. 10. 11. 13 12. 14. 大修館書店︶. - 134-. 和漢比較教材 の有用性 第十三章.
(10)
関連したドキュメント
方と指導法の︑一 試 論を展開してみたい︒ ︵二︶﹁漢文﹂に親しみ︑読解・鑑賞を深めるには ﹁漢文教育﹂の 内容上の重 要 性は前節でも
1990
レーウィンゾンデとウィンドプロファイラでは,測定の原理が異なる。したがって,両データ
単調に変化する比較刺激を選択する方略は,次元内比較においても次元間比較においても正答率
ニーダムが従来の比較研究を厳しく批判したのは,そこでは,多配列的な現実を,親
この数年間の日本語 ワー ドロセ ッサ‑,いわゆるワープロの普及は著 しいo ワープロな しではデスクワークは成 り立たな くなっている.ペ ンや鉛筆を持
産研通信 No.51(2001・8・31)23 情報化の特性比較 成 沢 広 行 情報化の国際化は、それぞれの国独自の情 報化を生みだしている。 それを図表でまとめ、特質の概略を述べる と次のようになる。 1. 米国の情報化特性 米国については ①、開拓者精神 ②、軍産学連携 ③、自由競争志向 を指摘することができる。
統 計 比 較 論 二六