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三
社会科学的領域における統計学の当面する今日の最大の課題の一つは社会の本質に即した、したがってまた社会科学的 認識の特殊性に照応した統計的分析方法を確立整備することおよびこれを中心とした統計利用論を積極的に展開すること である。統計調査論の大ぎな歴史的成果に比・べてこの方面の立ちおくれは、今日これを否定することが出来ないであろ う。自然科学的領域で発展させられた数理統計学的解析技術の摂取巨受容がこの立おくれを補うかの如く見え、またこの 摂取11受容の努力が相当の歴皮的発言権を既に確保しているかの如く見える。しかし数理統計学的解析技術は確率論を基 礎にし平均的性格を基調とする。これが社会科学的領域に応用されるためには一定の条件がみたされねばならぬ。数理統 計学的解析技術の社会科学的領域への応用の可能性と限界について、統計の実際の全課題と全活動に調和した明確な説明 は目下のところ与えられないのである。無批判的応用は厳に適しめられねばならぬ。フラスクムパー︵やコ器冨五三H︶は 所謂﹁事物論理と数論理の平行主義﹂ ︵評琶一決ω旨臣く言ω巴ゲー信巳Np・肛・巳。σq一パ.︶を立て数理統計学的解析技術の吟味と 選択に向つた。統計利用論の展開のためにこの試みはたしかに有意義であるが、しかし主体性に乏しい。統計的分析方法 はむしろ社会の本質に立脚しこれを一歩一歩方法に転化する方向において展開され整備されねばならぬ。問題をこの様な 統計比較論 一九統計比較論 二〇
方向において考えるとぎ、吾々は統計比較の意義を無視することが出来ないのである。 社会科学的認識は比較の様な初歩的な論理形式によってくみつくされえないが、しかし最も要素的な形式としてこれを 含んでいる。社会が歴史的運動体であり、その運動が矛盾より生じ矛盾を通じて自己を貫ぐものであり、また社会科学的 認識が一抽象的理論的方向であろうと具体的歴劇的方向であろうと一この運動形式を対象とするからである。比較は 社会の歴史的運動の源泉と形式に深く根ざしていると云わねばならぬ。 この様に考えるとき統計比較の意義の重大さが改めて反省されざるをえない。統計的分析方法および統計利用論の展開 は先ず統計比較の方法論的展開および整備から始められねばならぬ様に思われる。そしてこの点に関してはドイツ社会統 計学の大ぎな成果を想起しなければならないのである。 ﹁比較は統計学の魂である﹂。巨匠ショット︵ω.ω。︸6芦一。。ひ。。一お謬︶のこの言葉はドイツ社会統計学の統計比較観をいみ じくも象徴している様に思われる。たし・かにドイツ社会統計学は統計比較を重視した。 マイヤー︵O’<’ζ㊤貿︶は統計学 に﹁比較の科学﹂を見ようとした。しかし統計比較論の展開と云うことになると事態は若干異っている。マイヤーにおい て一応を完成をとげたドイツ社会統計学は方.法論的には統計調査論に重点をおぎ、統計利用論の本格的展開はこれを次の 世代に保留した。統計比較論はこれに制約されて著しく未成熟であった。その体系的整備および展開ための地盤はこのと ぎなお不十分であったのである。ところでドイツ社会統計学における統計利用論の本格的展開は二十世紀に入ってから、 特に第一次大戦後に始まる。比較が真に﹁統計学の魂﹂であるならば統計利用論の展開ばこの視角からなされ、統計比較 論は展開の基礎をなす筈であった。しかし事態は必ずしもこの方伺をとらなかった。比較の視角より規定されるには統計 利用は余りにも内容がゆたかで異種.のものを多く含んでいたのであろうか。そうであるならば比較を﹁統計学の魂﹂とす ることは統計学の未成熟の表現でなければならぬ。統計利用論の展開は実は数理統計学的解析技術の摂取n受容を通じてしたがって平均的視角を前面に押し出しつつ行われた。比較的視角はこれによって押しのけられるかの如き観さえした。 大数法則と同種性とを統計学の二大支柱とするウィンクラi︵妻.芝冒匡①H︶は1比較を﹁統計学の魂﹂とすることはゆ モ きすぎである一とした。これは事態に対して象徴的である。しかし、吾々は見逃すことが出来ないt一方において比 較的視角からの統計利用論の展開が幾人かの学者達によって推進され、それが一つの底流をなしつつあったことを。そし て吾々はこの方向の学者としてジージェック︵閃、N冒①犀︶、ウォルフ︵=.≦o︸鵠︶、ミューラーへい冨巳H震︶、 ティッシヤー ︵︾■日冨畠①同︶、フラスクムパー、モスト︵ρζo馨︶等をあげることが出来る。これらの学者において、比較は依然として ﹁統計学の魂﹂であったのである。 比較的視角による統計利用論の展開は統計比較論の体系的展開および整備と不可分にむすびつく。たしかに統計比較論 は第一次大戦後、特に比較的視角による統計利用論展開の努力を土壌として、急速に展開され整備されるのである。そし てその担手として立つ学者が比較的視角による統計利用論の展開の推進者を中心としたことも偶然でない。そのうち特に 顕著かつ代表的な学者はジージェックとフラスケムパーである。 フラスケムパーの統計比較論が主として統計指数論の前段ないし基礎として、或は統計指数論として特殊化されて展開されたとこ ろがら一定の制約をまとっていだのに対して、ジージェックのそれにはこの様な制約がない。問題のとり上げ方は直接的である。ジ ージェソクはその長い轟轟的生涯においていくたびか統計比較の問題に立戻り、統計比較論の内容をゆたかにし体系をととのえる努 力を続けた。フラスケムパーの統計比較論はジージェックのそれの批判的継承と見ることが出来る。 統計比較に関するジーエックの所説はすでに最初の著作﹃統計的中数値論﹄︵U冨ω5け禦﹃∩ゲ霧ζ津けΦ署Φ唇ρおoc。︶に見出きれ る。本書は統計比較の手段として統計朗代表値の意義を重視し、この観点からの問題の展開に力を入れている点において特に重要で ある。 ﹃統計学綱要﹄︵O甘辛酔一ω。。香華ω什緯一ω怠パ一一︾味一陰お巴一口︾ま剛二〇悼く。︶も各所で統計比較に関嘱している。統計比率に園 する章は、特に独立の論文として発表されている︵︾訟αq.qりけ丁零ず’、一ト⊃切﹂‘一〇悼NoD’悼認驚︶が、統計比較の手段としての統計比 統 計 比 較 論 一二
統計比較論
二二、 率の観点を前圓に押し出した統計比率論として興味深い。﹃綱要﹄と刊行の時を同じくする﹃統計方法論の五つの主要問題﹄ ︵聞弼無 団窪田嘆。巨①ヨΦ匹臼u。審け陣。。江ω。げ8窓①浮。甑①巳Φ訂①一おPω︶i以下﹃主要問題﹄と略称する一は﹃綱要﹄の、またジージェッ・ ク自身の﹁基本的立場﹂を総括的に説明し更に立入って根拠づけたものであるが、これはまた統計利用論のすぐれた試みとして掌史 的にも意義が深く、第四・五章で統計此較を直接的或は関連的に取扱っている。特に第四章の統計比較適性論は重要である。 一九三一年ジージェソクは統計比較に関する多年の考察の成果を定式化して﹃統計比較論﹄︵U巽。。母江。・け冨。げ①︿霞αq一①一。ゴ﹀=σQ. Qり ヒ︾円畠‘6じdα.、ψ認⊆・州眠︶を発表した。そして﹁統計的証明の最も重要な準則に属す比較の準則﹂、統計比較の正しい手続の準則 を体系的に提示した。筆者はこれにジージェソクの統計比較の理論の定式化を見る。なおジージェソクはこの論文発表に先立つ四年 前に﹃統計比較不適性論﹄ ごZ一畠零2σq︸虫簿び舞①..の$鉱・・駐筈ΦN鋤巴Φ員ω常日。一一Φ謎富訂ぎ。F融・9=露Nω・鵠康︶を発表 している。統計学上非常に多義的に用いられる﹁比較不適性﹂ ︵Z一多宕Φ薦一虫筈げp蒔9叶︶の概念を分析し、個々の場含における意 義を確定整理しつつ統計比較に・おいて満たされねばならぬ形式的および実質的条件を規定したものである。 統計比較に関するジージェックの労作は以上の外にもなお数多くある。統計比較に大きな関係をもつ同質性︵団。ヨ。σQ①巳鐙叶︶や、 等価性︵08一。げ≦興叶耐犀①一叶︶を取扱った ﹃統計学における同種性・同質性および等価性﹄ ︵O一算。げ葺け置パ①置出。日。αq9蹄鷺q巳 O一虫。げ≦興怠σq犀Φ淳言匙Φ目ω鼠臨。。二ぎ︾一一σq■ωけ︾同。げ・し。。ゆ鮮一露ρQQ・ω潔撫︶や﹃統計学における同種性の概念﹄︵∪2ゆ①σqユ罐 伍興○一①ざず醇江ぴq犀①詳厳匹2ω鐙試ω広ぎ︾=αq.ωけ︾目げ●bOしd9一801ω.。。臨︶は重要であり、また、 ﹃統計学における原因概念 と原因研究﹄ ︵d二二げ窪げΦσqユ庸①自民q目。。POプ①まO諺Oずロ昌αQ言愚僧QQ富け一ω江F諺=σq・QDけ︾容げ・L刈ゆ穿ち旨︸ω■ω○◎O頃︶は統計 的原因研究を問題にしたものであるが、この方向より統計比較に関画するところが多い。特に数的相異の原因とその説明をめぐる方 法論的問題の取扱いは、本稿が行論のうちに取上げる統計比較論の重要問題の一つ一﹁比較結果の説明の問題﹂の体系的展開とし て、またこの意味において、統計比較論と大きく重なりあうものとして、注目をひくのである。 統計比較論およびこれに関連する以上の諸労作をみて、筆者は、ジージェックが生涯において大体二度にわたって統計比較論の体 系化を行ったと推定する。第一回は一九二〇年代の始めであって﹃主要問題﹄が指標となる。第二回は一九三〇年代を始めであって ﹃統計比較論﹄が指標となる。ただし第一回はこのとき殆ど同時的に行われた統計調査論の確固たる体系化︵指標1﹃綱要﹄︶に比 し未だ暫定的であって過渡的なものを含む。その後、この暫定的体系化を基礎とし、更に同質性・等価性の問題や原因研究の問題の 解決を−統計利用論的研究に培われながら−−果すことによって第二回のそして最終的な体系化を用意する。この体系化の完成のρ 糧と薯の見る﹃藩比較論﹄は・の手心楚おい縫包を自己繕集しいると云う・とが出来るのである.讐は以下の行論にお いてこの労作を重視する。 本稿は上述の諸労作によってジージェックの統計比較論の全容を見つつその本質を摘出し吟味検討することを目的とす る。それはドイツ社会統計学がかち得た成果が如何なるものであるかを.明かにする一助となるだけでなく、社会科学的領 域における統計学の今日の課題、特に統計利用論の展開のために無意義ではないであろう。 ①拙稿﹃社会統計的認識の問題と特質﹄・彦根論叢・第四三号・昭和三三︵一九五八︶年・二三一三七頁。なお次の文献参照。 ﹀・じd=巳闇9。器g国巨a。鉱巷αQωユ。揮きσq島臼ωoN一匹ヨ。。ω窪ω9昧島3窪Qり$識の芝葺N①蕊。げ俸h.鐸σq①ω国ヨ冨ω3p。酔叩 ≦厨。・①器。げ昧計一〇c。切9一〇語−ω・G[悼。。1ω調閏.国錠け≦一σQ冒Z異書ミ冨ω①霧。げ緯二一〇ゲ①⊆巳のoN一子≦♂ω窪ωo﹃p︷二一騨①ω鐙臨ω鉱﹃N①一けω筈ユ津 h鮎.σq㊦臣旨器ω冨讐ω≦冨。。g。・o訂沖=トっ切伍●一8ρQり.悼詔1ひひ’ ② 拙稿﹃フラスケムパーにおける社会統計学の構想﹄・彦根論叢・第一四号・昭和二八年︵一九五三︶年・二三−三九頁。 閏一簿・。冨日算5切。貯節αq盟同い。σq野中2。・霊け二一ψ臼①=露寒Φξ。葺Φ讐︾=σq●ω﹃︾旨げ‘巴切匹二8rω■こ。c。O⋮U冨ゆ&2εコσq 鎚費N麟巳︷痺象①Qり。融雪ミ一ωωΦ口ωo冨津①員︾=噂ω﹃︾同筈‘悼ωb⇔鎚.一〇ωρω.㎝。。︷︷も︾=σqΦ日①冒①ωけ巴。。昌パb︾珪一LOお’ψ露. 大橋11足利訳・﹃一般統計学﹄・昭和二八︵一九五三︶年・三二頁。 b ③躍・白9h艶↓げ8お鼠。。。冨ω$勢江ぎお悼ρω.悼。。脚ω。8器具望⇔二ω江犀=遭少ω.ミ・ ④豊門配①50毎巳器。。儀2ω転註二ぎ↓ゲ8冨蓼9①ω3冴冴ぎおωごω.田脚GD㌶酔ジ凶ωo冨O﹃自民風巴2&2ω酔巴ω酔厨。ゲg N≦①o障曽嵜.︷。2p汁・q.ω2一D心じd鮮︵G。閏。蒔①ひO切飢・y一〇卜。9ω.心Oω︷h6 ⑤ N貯。ぎO歪巳菖。。ω鎚2ω鼠酔客牙一︾珪一二一〇悼一一障諺珪一こ一〇悼ω⋮哨舘昧缶き二二。窪①8①山①同ω富酔臥ω駐g竃Φ浮&Φ巳Φ年①讐 一〇旨い白。年噂目冨。器件団。・o冨ω梓註巴ぎ一£ひ⋮ζ巳一①♪目窪。ユ①qこ↓Φ。7口陣匹①Hω鼠凱。・ユぎ一〇旨旧↓冨。冨♪O霊巳一Φσqロ護 ユ臼ω$甑ω自ぎ一露O脚コpω雪目需♪6冨。ほΦ鎚臼Hコα語幹匿①P一〇昭い︸=σq①日①貯Φω㌶試ω試ぎ一︾亀一.一一£♪爬︾珪一.一一〇心O恥 O・ζo。・戸﹀=σqΦ旨①言①ω冨ユωニパ.一﹀謀一こ一潔。。● ⑥コ器冨ヨ需が目﹃8ユΦユ①同H巳①×母じΦpQQ.αlB●
統計比較論 二三
、 統 計 比較論 二四 ⑦ここにあげたものの外にUΦ同♂σq訪。ずΦ○閉口q。げ9殴国母2α①吋雨量ω叶δ筈㊦旨Np置①P”Φ<ロΦ廷Φ一、H霧二子H 8旨曽鉱08一餌① ω$島ω鋤ρロP一︾昌昌①Pピ一護巴ωO昌伊一〇ωω二︶一Φコ﹀=σqΦ臣①言①.ゴP餌二も0燭①臥①=Φ二ω9江ω証ωOゲ①竃①浮O缶①巳Φ訂P︸げ.hZP什・二● ω∼一ωc。ゆ叫・︵ω閏巳αq①。。G。ゆ匹●y一8ρω’宝開ゑ巳も統計比較に関窮するところが多い。 二 統計比較は社会的集団︵統計的集団︶の統計的研究−或は統計方法 において何処にまた如何に位置づけられる か。先ず第一にこの点からジージェックの所説に聞くことにしよう。 所説によるとi﹁集団の統計的研究は、統一的な目標をもった統一的方法を示さない﹂︵芝冨。。三江ω蔚9ΦN跨δ昌窪マ 。・ 血x①P一8メω●閉︶。それは相異るいくつか0目標とこれに対応する種々なる方法から成る。.特に重要なのは二つの段階の 区別である。第一の段階は﹁統計数獲得﹂︵ω$叶冨けδ筈ΦN四二Φ昌σq①鼠目口pαq︶−いわゆる統計調査一であり、第二の段階 は﹁統計数解釈﹂︵ω鼻醇一。。筈①N聾一丸p口ω一Φσq琶αq︶1’﹁既存の統計のより立入った解釈﹂・﹁既存の統計数からの推論の誘 導﹂iいわゆる統計利用1である。さて﹁推論の誘導﹂11﹁解釈﹂は諸種の操作によってなされる。比較、規則性の 研究、その他の操作、これである。この場合、比較と規則性の研究とは思考し合うものではない。 ﹃主要問題﹄は規則性 の研究が統計比較によることを指摘している︵ω﹄。。︶。﹃統計比較論﹄は規則性の研究が統計比較によるが、比較目的をこ えた特殊な目標をもち、そのために特殊な操作が附加される主旨のことを述べている︵ω.認α︶。これらの所説から見て統 計比較は、要するに、統計数解釈の要素的原基的形態と考えられていると云ってよい。すなわち、統計数解釈は支配的に 統計比較の形態をとる。ただし統計比較によって汲みつくされるものではなく、統計比較をこえるものには統計比較の上 に特殊な操作ないしは特殊な変形が加えられると云う訳である。 かくて吾々は一本稿がさぎに暗示した 統計利
用11統計数解釈の原基形態としての統計比較と云う観点をジージェックにおいて先ず確・認するのである。 、 さて﹁比較﹂︵<2σq蚕警︶なる語は統計学において種々なる意義に用いられる。同種のものの対置だけでなく異種のも のの対置をも比較と呼ぶ学者がかなりあることは特に注意されねぽならぬ。しかし比較が独自の問題領域を形成するのは より限定された意義においてである。ジージェックはこの限定について組織繭な論議を行っていないが、同種のものの対 置を﹁本来の比較﹂とし、異種のものの対置は問題の外におく︵∪霞ω汁。。騎密畠①<①お一虫。互騨POごω.器。。一以下におい てはく角αq一息。﹃と略記し掲載誌の頁数を示す。他についても同様︶。 この様に比較を限定して、さて、ジージェックは統計比較の本質を如何に考えようとするのであろうか。所説は云って いる一﹁社会現象の正しい判断は一般に比較を基礎にして始めて可能である。しかし集団現象を直接的に比較すること は出来ない。そこで統計数が代りに用いられるし︵=讐冥胃¢三①日Pω﹄c。︶と。統計比較はかくして統計数による社会的 集団ないし集団現象の比較である。ジージェックはまた云っている一﹁統計比較はより深い意味では原因複合の比較 ︵<2σq一睡筈く露q議p一月パ。白牲貫9︶である﹂と。この規定は更に限定をうけて、統計比較は﹁一般的原因複合の比較﹂ ︵<卑σq互睾く8奪。憂・日①随まd富碧﹃魯ぎ8覚賃①口︶とされる︵<①﹁σq巨ポ戸○。.三門︶。社会現象は、その現象を構成する個々の 個別事例に個別的偶然的に働く偶然的原因と共通的全般的に働く一般的原因によって制約されており、多数の個別事例を 総括すると大数法則の原理によって偶然的原因の作用が相殺されて、一般的原因だけが作用したならば生ずるであろう結 果が現れる。したがって統計数は一大数法鮒が有効となる著大ぎい集団を前提するとき1一般的原因複合の結果であ り、一般的原因複合の代表と見ることが出来る。そうすると統計数の比較は一般的原.因複合を作用結果において比較する ことであると云うことになる。一般的原因複合の比較としての統計比較の把握はこの様に一般的原因複合の代表としての 統計数の把握、究極的には統計数に関するーケトレi以来の伝統をもつ確率論的11大数原理的な1原因機構の構想に 統計比 較論 二五
統 計 比 較 論 二六 結びついている。筆者はこの構想に同意することが出来ぬが、ここではこれに深く立入らないで論を進める。 一般的原因 複合の比較としての統計比較の把握は統計比較にゆたかな間題群へ進入するぎつかけを与える。たしかに統計比較は一般 的原因複合の比較と云う資格で統計数解釈の原基形態となるのである。しかしこのことによって独自の方法的限定を受け る。統計比較は大数法則が有効となる程大きい集団を前提する統計数を基礎としなければならぬ︵<霞σq一①一。ダω■認刈︶。 統計比較の方法的構造はこの要求の充足と基本的に前提して構想されるのである。 統計比較の方法的構造について、ジージェックは先ず﹁比較目的﹂ ︵<①お風跨ωN毛g犀︶と、﹁比較の方法的実施﹂ ︵ζ㌣ 昏。蝕ω筈ΦU日筈雷冨§σq︶とを区別する︵<2σq一臥。貫ω.語ひ︶。ここに比較目的とは統計比較と云う方法的過程の結果として 得らるべき認識の規定であって﹃統計比較論﹄はこれに﹁目標﹂ ︵N一㊦一︶の語を説明的に附記している︵ψ語ひ︶。比較目的 の分離はジージェソクの一般統計方法論の基本的視角1一方法を﹁目標﹂と﹁狭義の方法﹂へ分割する一によるもので, 比較目的基準の合目標的比較手続構成を予定する。さて一般統計方法論の問題として統計比較についても統計数獲得につ いてと同様に一連の一般的形式的な目標規定が与えられるべきだと吾々は考えるのであるが、実際はそうでなく、 ﹃統計 比較論﹄はただ﹁特定の問題設定から現れ、特定の数値の比較によって満たされるべき知識の関心﹂ ︵<2σQ互。﹃Qり■認ひ︶ と抽象的に規定するにとどまる。これを基準にしてどこまで統計比較の手続を展開しうるか疑わしい。事実、実際の手続 の展開はより内容的な目標︵比較目的︶規定、特に、比較に前提される問題設定および﹁一般的原因複合の比較﹂の観点に もとづいてなされていることを所説より結論することが出来るのである。 統計比較の手続としては、ジージェックはi比較目的と区分したi﹁統計比較の方法的実施﹂を分解して﹁三つの 基本的構成部分﹂︵≦Φω塞け=筈9⇔u①ω鼠巳件①=Φ︶と﹁二つの比較条件﹂︵<o量器ω卑讐昌σqΦp塵Φω<巽σq一網警ω︶ に帰着させる。 ﹁基 本的構成部分﹂とは、ω﹁比較対象﹂︵<2αq蛋。冴σq①σq露。。B昌q︶或いは﹁比較尺度﹂ ︵<韓σq一①凶。彫目⇔ω。・鼠ぴΦ︶、回﹁比較され
る群﹂ ︵くΦお一①客ゲ窪①ロ9ξ℃Φ目︶、㈲﹁比較結果﹂︵<費αq一。一。訂①茜Φび巳。・︶、こ九である。 ﹁比較条件﹂とは、ω﹁形式的比 較適性﹂︵︷o同日巴①<⑦︻αq蛋跨げ霞犀①博︶、回相異る程度において不完全な調査による比較不適性のないこと、これである。 以上、 ﹁三つの基本的構成部分﹂および﹁二つの比較条件﹂を合して、﹁五つの比較要素 ︵<Φ﹃σQ互。房巴①ヨΦ馨①︶﹂と云 う︵<興σq剛①8グω.α留︶。一以下においてはジージェックの所説にしたがって﹁比較要素﹂を個々に取上げながら統計比較 の手続を考察しよう。 ①N厨①劃芝凶Φ。。g畝。。蔚筈①N卑三コ口①艮ω8ゲ魯=8Nω邑い9①二︾=σQo旨Φ言Φ二β詳鮎蝕①ごω喝①N同2一Φ二ω鼠蕾房。冨ζ①チ。αΦ腎 一①﹃同ρ穿帥◎03ω●ひミー。。. ② §NΦ置∪冨二︾=σq㊦ヨ①﹃Φ..鶴コ匹象①ごω登園Φ=㊦..ω三二ω江の睾①ζ①臣。餓窪一①冨Pp鋤●ρ噌ω﹁ひ心。。. ノ ③艶霧犀9必需♪日ゲΦ自粛窪ΦN冒臨①×鋸江①Pω.α一Ω団噛ω。ゲ。器び望註。・鼠ぎお駆心一ω.心。。.例えばモストは人口と地域、死亡と 人口の如き異種の事物の対置をも比較とする。 ︵○.竃。。。戸︾=αqΦ日①言Φω冨二ω工手曽ω︾集ダ一〇綬噌。り.劇ひ−刈︶ ④N貯。rO三巳ユω。。伍9ω冨け聾沖ぎゆ︾‘P噂ω。まO12d窃鴛冨5げωαq臣︷。‘巳dHω。。冨ほ。話警巷αqぎ餌①Hω山僧ま二r︾二σq. ω戸諺容げ;霜じuαこ一8メω.ωc。co一心8. ⑤ ﹃主要問題﹄は比較の形態として﹁地理的比較︵σq①o⑳話℃ぼω。ゲ①<雲αq一①8ゴ︶、﹁時間的比較﹂︵N瓜岳。げ①<霞σq冨8げ︶、 ﹁事物的 に相異る集団または部分集団相互の比較﹂−︹事物的比較︺一をあげている︵QQ●齢O︶。 ⑥ジージェックの一般統計方法論の基本視角については、拙稿塞般統計方法論の課題と方法﹄・彦根論叢・第四八H四九号・昭和 三三︵一九五八︶年を参照。 ⑦コ般および特殊統計方法論﹄も比較目的を規定している。﹁統計比較に対する一般的目標は、大数法則に適合し形式的に比較に 適しロハ一方向だけ相異するところの、具体的比較目的に適合し、照応する統計数の対置によって数的比較結果が求められることと定 式化される﹂ ︹餌.鱒○ごω■ひおtO︶と。 三
統計比較論
二七統計比較論 二八
﹁比較対象﹂ ︵<巽σqH臨筈。。σq①σq①至愚巳︶の概念を・ジージェックは次の様に規定する一﹁ク比較対象”を吾々は差当り抽 象的概念的把握における特定種類の一つの統計表示と解する﹂︵<費αq一。一。ダ○。.認。。︶と。これは﹁比較される群﹂との関係 において﹁比較さるべき現実の多数の統計表示﹂に具体化される。所説は云っている、 ﹁比較そのものが行われ得るため には比較さるべき群.に関して比較対象を具体化した多くの表示が存在しなければならぬ﹂︵<①お一Φ8戸Q。■認・。。前掲引用文に続 く︶と。﹁比較対象﹂は﹁比較尺度﹂︵<Φ軋①8訂ヨ㊤。・G・蜜びΦ︶とも呼ばれる。ジージェソクは﹁比較尺度と云う表現でもつ て吾々は比較対象以外の何者をも意湿しない﹂ ︵<巽σq芭。ダω■認。。︶と云って、特にこの表現が用いられる場合の例をいく つかあげている。 以上、要するに、比較対象11比較尺度とは比較さるべぎ或は比較される統計表示11統計数に外ならぬ。上記の所説にお ける﹁抽象的概念的把握における﹂および﹁具体的形態における﹂と云う区別は手続過程において統計表示11統計数のと る定在形態の変化を示すものであって、ジージェックが統計比較の手続過程、特に比較対象をめぐるそれを如何に考えて いたかをこれより推知することが出来て興味深い。すなわち、第一に比較目的︵或は問題設定︶からの、これに適合する統 計表示の意味の規定、第二にこれを具体化する現実の多数の統計数の選定、である。この過程において統計表示がその意 昧において問題になることを留意しなければならぬ。 比較対象11比較尺度は、ジージェソクにおいて、上述のように、意味においての統計表示11統計数であるが、これを一 ’段掘り下げると、フラスケムパーの云う様に現象の﹁側面﹂であり、より正確には社会的集団における量である。ジージ ェックはこのことを必ずしも意識しなかった訳ではないが、これを概念的定式化に取入れなかった。問題である。 比較対象11比較尺度には比較目的への適合性が要求される ︵<霞σq犀。翻ωG・N。。︶。ジージェックは比較目的への適合性を 基本的要請とし、これが満たされぬことから生ずる比較不適性を論じつつ、次の二つの方法論的問題を前面に押し出す。ω 同じ現象に対して二つ或はそれ以上の相異る比較尺度が成立し得る場合の意義と処置 同現象に対し多数の比較尺度が成立し、 それらがたがいに相異った、 時には相反した比較結果に導くことが多い。問題は根本的 には統計表示が語る意味において特殊的一面的であり、換言すると、論理的に糖確であるのに対して、比較目的およびその基礎を なす問題設定が同程度の論理的精確さをもたぬところがら来る。問題設定が精確ならば一つの比較尺度しか成立しない。問題設定 が精確でないために多数の比較尺度が成立し、それらが互に相矛盾した比較結果に導くのである。比較結果の矛盾は﹁仮象的矛盾﹂ ︵ω昏①冒げρ。目零白こ2。。胃億。ゲ︶ でしかない︵<①茜ご。プ9ρ潤窪冥℃吋。窪。鶯Pゆ.㎝︶の﹁仮象的矛盾﹂は比較尺度の相異からではな くして比較される現象の側面から生ずると云うフラスケムパーの異論はジージェックの比較尺度の概念を誤って理解するところがら ④ − 。 .− 生じたものである。さて次に方法的処置が規定されねばならぬ。ジージェックは二つの対策をあげる一㈲問題設定をより精確に して統計数と同程度の一面的なものにすること、回不精確な問題設定をいくつかの特殊的問題に分割し、それぞれに対して適切な 比較尺度をえらぶこと、以上である ︵<霞αq一且。﹃QQ▼紹。⋮国窪讐勺HOび一①旨ρω幽心。。lq。一︶。 ② 比較尺度としての価値評価 ㈲ 等価性︵O一Φ一。ず≦巽賦σq犀①δの問題。集団の構成因子U﹁単位﹂は一定の概念から見て互に一致するが、他の見地においては 互に相異り重要性を異にする。これを﹁等価性﹂の欠如と云う。単位数は不等価性を無視しているゆえ比較尺度として価値が低く、 消費単位のような特別の換算をするか、 調査標識の現象形態の総和を併せ考慮するかすべきである︵<①茜88ダGQ・αωo⋮OH鉱。ず一 霞臨αq犀①一計蕊署こω.盆一︷州︶。 ⑭ 同質性︵国。目。αq①巳辞箕︶の問題。﹁同質性﹂とは現象に対する制約が斉一的であることを云う。社会的集団では単位は相互に 相異った性質を有するゆえに完全な同質性を求めることは不可能で、個々の因果的因子︵例、死亡に対する性・年令・職業等︶にお いて、個々に或はいくつかの組合せによって成立するにすぎぬ。’一つの因果的因子について同質の集団は他の因果的因子からみると 同質でない。より厳密には、第二の因果的因子からみて同質の部分集団の複合から成る。複合関係が変動すると原因の作用が変動し なくとも統計数は変って来る。かくて複合関係の変動︵﹁構造相異﹂︶は﹁比較阻害因子﹂として現れる。そこでジージェックは可及 的に同質の集団に対する統計表示の選択を要求し、構造相異にもとつく比較阻害の救治策として、 ω集団分割によって得られる幾・ 組かの部分集団の統計数にもとつぐ比較 ︵↓比較の分割﹂︶、 回共通の複合関係の設定一を椎漏する ︵O一①8ず無二σq冨一計霧零・ ψωOひ罐いく⑦目σq一〇一〇Fω鹸αωOiω︶。
統計比較論
二九統計比較論 三〇
次に、第二の﹁基本的構成部分﹂﹁比較される群﹂︵<2σq§昏①口髭.○窪竈Φ嶺︶を問題にしよう。 ﹁どの比較においても、 比較対象の外に、何についてこの比較尺度が問題になるか、その群が定められねばならぬ﹂︵<臼αq笛。7ω・αu心︶。ただし、 ﹁比較される群﹂は比較目的によって予め与えられていることが多い。例えば男女の賃金差を知ろうとするときの男子労 働者および女子労働者.の如くである。 一つの数について、それが大きいのか小さいのかの評価をしなければならぬときに は、如何なる群の数と比較すべきかが問題になり、 ﹁比較される群﹂の選定が必要となる。正常的大いさを示す群をとる ことも極端な値を示す群をとることも可能で、要は問題設定の如何にかかる。一﹁比較される群﹂について本質的なこ とは、相異の方向が単一であることである。二方向において相摂州をもつときには一例えばドイツ金属労働者とイギリス 紡績労働者の賃金の一比較は無意義に終る︵<葭αq蛋。ゴω・器㎝一ひ︶。 ジージェックが比較対象11比較尺度の﹁担手﹂として﹁比較される群﹂を範疇的に区別し、これに関する準則を立てた ことは意義深い。しかし問題がない訳ではない。おもうに﹁比較される群﹂は統計比較の全体的基底である。それは先ず 統計比較の外にあって自己に即した比較目的を生み出す。そしてこれによって統計比較の申に引入れられる。しかし自己 を完全に統計比較の申に没入させる訳ではなく、依然として外にあって自己の上に比較尺度を生み出しこれを通じて再び 統計比較の申に引入れられる。かくて﹁比較される群﹂は統計比較の外にあると共に中にあると云わねばならぬ。ジージ ェックは外にある側面を看過した。そのために﹁比較される群﹂の特別の範疇化にもかかわらずこれをして十分なる方法 論的意義を発揮させることが出来なかった。 ﹁比較される群﹂が比較目的によって予め与えられている場合が多いと云㌃ 所説は特別の範躊化が無意義であるかの感さえいだかしめる。 ① ジージェックにカいては比較尺度は比較対象であり、したがってフラスケムパーの云う、 較尺度と相異ることは明かである。 閏H9。ω訂目℃①♪日げΦo目一①傷①目ぎ匹㊦×重目ΦPψc。一O・ 比較される大いさの測定単位としての比@ @@
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an o匡. 筈 一pm pρ’Q◎.器Ol庶ご乞一。ぼく①お一魚。ずぴ錠①=ω富江ω辞♂o﹃ΦN角匡①Pωoゲヨ。二①︻。・冒訂ぴ蘇。ダ 四 ﹁比較条件﹂としてジージェックが先ず第一にあげるのは﹁形式的比較適性﹂︵h9豪気Φ<①£一皿島訂H冨δである。これ は、所説によると、比較される統計数が﹁形式的同種性﹂ ︵粘自巳巴⑦9鼠昏錠識αq閃①一酢︶をもっことである。ここに云う﹁形 式的同種性﹂とは、統計数がその獲得に当って基礎とされる﹁四基本概念﹂!調査単位・調査標識・組および表示⋮﹁ の定義において互に一致することを云う。比較される数が統計的表示手段としてもつ形式的性質⋮絶対数であるか、相 対数であるか、それぞれの範疇の申数値であるか一において同一であること、および﹁特殊的︵実体的︶概念﹂ ︵調査単 位.調査標識.組︶の同じ定義を基礎にして︵ただし比較の基礎となる区別的契機、例えば地理的比較においては地域規定をのぞく︶ 獲得されていること、以上二つの条件を満すことである。﹁形式的同種性﹂は、それゆえ、 ﹁方法的同種性﹂︵ヨ①聾。餅・昏① ○一躍。ブ震ユσq犀。一け︶とも﹁概念的同種性﹂ ︵げΦσq二︷︷寓。ゲ①○一〇一〇げ霞江σQ犀蝕け︶ともよぶことが出来る。方法的に同種でない数は比 較に適さない。 ﹁比較される数は形式的︵概念的方法的︶に同種でなければならぬ﹂ ︵<2αq互。Fω.器刈︶。 ジージェックにおけるこの条件の設定の背後には、﹁四基本概念の理論﹂ ︵↓げ①貧一①︿o昌≦霞8冨。ゲΦごΦ瓦8切①αq菖融窪︶ が立っている。これによれば、統計数は調査単位・調査標識・組および表示の四概念を基礎として獲得され、これらの概 念の定義が相異ると同じ社会現象についても結果する統計数は相異って来る。したがって統計数の相異は、それぞれの統 計数の基礎をなす四概念が相異るならば、概念の相異から生じた﹁形式的相異﹂であるかも知れず、一般的には現実事態統計比較論 三一
統 計 比 較 論 . 三二 における相異f﹁実体的相異﹂1と﹁形式的相異﹂とからなる。両者を分離することが出来ぬかぎり、実体的相異を 結論することは許されない。数の相異より実体的相異を結論することが許されるのは、すなわち、比較に適するのは、基 礎概念の︸致する一﹁形式的に同種の﹂−統計数が対置される場合に限られる︵出胡弓け嘆。甑①白pψM。。︶。 ジージェックの所説は統計の多くの個別部門における統計比較の実際的経験を通じて形成されつつあった方法論的認識 のすぐれた定式化である。フラスクムパーは概念的一致を意味の一致とし形式的同種性を実体的同様性に還元する。実体 的同種性は比較一般が満さねばならぬ論理学的条件に属する。ところで何が実体的に同種であるかは比較目的の如何によ って異る。かくして比較される統計数の概念的一致は相対的条件に転化する。フラスクムパーの所説は干る意味でジージ ェックのそれの批判的展開と見ることが出来るが、筆者はこれに同意することが出来ぬ。ジージェソクが統計表示と現実 の量とを区別し両者を媒介する方法的契機に比較阻害の可能性を見たことは意義深い。問題があるとすれば、それは現実 の量を正しくとらえ得る方法︵特に概念︶に基く統計数の比較を要求しないで、この要求の中に一契機として含まれる概念 的一致のみを要求するところの、その形式性であると云うべきであろう。 さて所説にもどろう。統計数には形式的同種性がない場合が非常に多い。これは特に統計調査の方法の不一致または変更がさけら れぬからで、統計利用者は常にこれになやまされねばならぬ。 ﹃主要問題﹄は、この問題についても詳細且組織的な考察を行ってい る。統計数に形式的同種性のない場合の救治策として指示するところは次のごとくである。 ω調査の時を異にする統計数は補間法 ︵ぎ3巻。♂臨。昌︶または補外法︵出置霞巷。一讐δコ︶によって同時点になおすことが可能な場裡がある。 回雪物的分類が異なる場合 には、相異が分類の粗密にかかわるだけならば、粗い方の統計の組を基礎とする。しかしこう云う場合は比較的稀である。大抵は概 括の同段階で対応し合う組が区切り方を異にする。 の大いさの階級の場合には補間法が役立つことがあるが、大抵は両方の統計を 材料として同種の一段広い組を作るのがせいぜいであろう︵出帥O悔件O目Oげ一①ヨΦ一 ω・ しoQo一心O︶。 ジージェックは、更に1第二の﹁比較条件﹂として一比較される統計数において調査の不完全さの程度が相異せぬ
ことを要求する。不完全さの程度が相異る調査結果は﹁比較に適さない。﹂ 所説によるとこれには二つの場合がある。 ︵く霞σq一Φ一〇Fψ霧O一さ︶。 ω相異る程度において調査誤差をもつ統計数。 ﹃主要問題﹄は更に推・算誤差の程度を異にする統計数をあげている ︵口髭讐買。び一⑦8①噂ω冒ω。。︶。 ㈲ 他の根拠より不完全であり、不完全さの程度を異にする統計数。例えば組織労働者だけをとらえた数値は全労働者 を考えるとき不完全であり、この不完全さが相異るとぎには全労働者に関する比較に用いることが出来ぬ。 ①拙稿﹃ジージェックと形式的同種性の問題﹄・経済論叢・第五二巻第二号・昭和一穴︵一九四一︶年。ジージェックは形式的同種 性を統計数においてのみならず統計的集団およびその構成因子︵単位︶においても問題にする︵Oδざげ鉾江σQ犀鉱rqの暑・層ω・ω宝︶ ここで問題になるのは統計数の形式的同種性である。 ②拙稿﹃ジージェヅクの四基本概念の理論についてL・彦根論叢・第三四号・昭和ゴ=︵一九五六︶年・一五九−七三頁。 ③﹃主要問題﹄では次に問題にする﹁比較条件﹂i相異る程度にカいて誤差を含まぬこと一をも形式的比較適性に加えている。 ︵甲︷㊤βO什OHげ一Φ5Φ Qo■ ω刈一GQ︶ ④コ9。。。ぎヨ℃興・日冨。ユ①脅目H藍Φ首勉乞8●ψδ塗 ⑤ ジージェックは﹁比較適性﹂ ︵<①薦一語畠9降Φδと云う用語を形式的比較適性にのみ用いることを提唱している。︵頴窪窟嘆? 芝。ヨρω.ωO“Z凶。窪く。お一良。ゴび鎚φ。。富訟。。ユ。。oゲΦN餌匡Φ戸ω。ゴヨ。=Φ易智ゴ嗣げ8ダQαq■望一一8Nω。詔■︶ 五 レ ﹁比較結果﹂ ︵<自σq一Φ言厨Φ茜①びa。。︶一第三の﹁基本的構成部分﹂1は、 ﹃統計比較器﹄の所説によると、対置され た統計数の間に確認される数的相異または一致である。数的相異は絶対的に表わされるときと相対的に表わされるときが ある。比較結果に関する操作としては、 ﹁比較結果﹂の﹁獲得﹂ ・﹁定式化﹂﹁・﹁説明﹂の三者を考えている。、ただし、
統計比較−論 三三
統 計 比 較論 三四 個々の操作の内容および限界は必ずしもこれを明確に規定しているとは云えない。相対数・中数値および図表示を﹁比較 を容易にする手段﹂とする。ジージェックの統計比率論と統計申数値論が統計比率および統計的中数値の比較の手般とし てもつ意義と性格に大きく重点をおいて展開されていることは既に指摘した通りである。数的相異が本質的であるか否か の判断についそは、 ﹃統計比較論﹄は問題の重要性を強調しつつも﹁多分に主観的判断に属する問題﹂であるとしている ︵GD.惣。︶。 ﹃統計学におけるにおける原因概念と原因研究﹄は比較される統計数が﹁曲八型的系列形態﹂︵曙営。。筈Φ菊㊦静の〒 σq ウω巨εロσQ︶を示すならば本質的相異がないと結論してよいと述べている︵︾=σQ■ωh.︾碁立霜田.ω.さ刈︶。 比較結果たる数的相異の説明一根拠の究明一はジージェックの統計比較論が非常に重要視するところの方法論的問 題である。さぎにふれた﹃原因概念と原因研究﹄はこの問題を真正面から取扱い詳細を極めている。 ﹃統計比較論﹄は、 その要約.を与えている。所説によるとt数的相異の根拠は一般的原因複合の中に存する。 ﹁両方の数の一般的原因は根 拠の宝庫である﹂︵<ω同σq蚕。戸ω幽α註︶。ところで一般的原因の数は非當に多い。各原因は相互に加重し合い相殺し合いなが ぢ作用し、この作用の全体的結果が統計数に現れるのである。このことは根拠の追跡を非常に困難にする。数的相異は一 般的原因における相異或は変動の存在を示すものではあるが、しかしどの一般的原因が相異或は変動したかに関しては何 事も語らない。さて説明は一般的原因に数えられるもので、しかもそのうちで変化或は相異があったことを確認ないし推 定し得るものをよりどころとする。その相異または変動が統計的に確定されているときは好都合であるが、そうでないこ とが多い。したがって数的相異の説明はあらゆる関係事情の一聯統計的なものを含めて一精密な知識によって始めて 可能となるのであって、それゆえに、統計学以外の他のあらゆる実体的社会諸科学の成果を利用しなければならぬ。そこ には特に統計的と云うべき方法は存在せぬし、結果が統計的に与えられると云うこともない︵¢窃碧げ窪げ①αq同自ρω.心一ω篤 く震αq一①ざ拝ω■αホ︶。こうしたところがら統計学は数的相異の説明を原則として他の実体科学にゆずりわたすべぎだと云う
F 見解.が成立し漸次支配的となりつつあるが、統計学がこの方面においてなさねばならぬ仕事は未だ数多く残さ・れているの である。 ジージェックが比較結果の説明を重視したことは意義深い。特に数的相異の説明における統計学以外の社会的実体科学 の知識の必要性を指摘したことは重要である。たしかに社会科学の理論が数的相異の説明にあたって指導的役割を演ずる のであって、これは数的相異が社会的集団およびこれを支える社会的条件から来ることおよび黙過の要垣的発展法則と不 可分に結びついていることによる。このことを明かに認識して数的相異の説明の方法を規定することによって統計的なも のの意義をより内容的に把握することが可能となるのである。しかしジージェックにおいては比較される社会的集団およ びこれを支える社会的条件を中心として数的相異をみないで、反対に数的相異を申心としてその原因をたずねると蓉う方 向がとられた。原因機構は極めて形式的抽象的にしか構想されなかった。説明のための条件の設定はいよいよ数的相異の 説明を.困難なものとした。祉会科学的知識の必要性の指摘は不可知論的な揺ぎをもつ。 ジージェソクがとり上げる最後の問題ば、統計比較は如何なる条件において因果関係の研究と結びつくかーーである。所説による と因果関係の研究は二つの方向をもつ。 ㈲具体的方向t一つの現象の具体的変化よりその場合においる一般的原因の一つの変化 を推論すること。これが許されるのは他の一般的原因に変化がないときに限られる。 回普遍的因果関係の統計母艦明一方法とし ては直接法t﹁差異法﹂︵H︶一州h①同⑦コN唇PのけHPO自㊦︶および﹁同時変化法﹂︵ζ①跨。窪①山豊津。昌ざ員Φ巳①<2窪亀の題目σq︶と闘接法と が問題となる。これらの方法については詳論する余裕がない︵9言脅一娩。。一ト・︾象旧二ω・一・。O塗︶が、いずれにおいても統計数が比較 される。直接法では因果的因子における質的または量的区別に対応する統計数︵職業別または年令毒死亡母︶が、直接法では因果的 因子における区別を代表する地域または時期に対応する統計数が一。数的相異から因果関係が結論される。しかしこれが許される のは、比較される統計数が問題たる因果的因子においてのみ区別され他の因果的因子においては同一の条件にある場合である。換言 すれば因果的因子の﹁孤立化﹂が条件となる。一ωおよび回いずれの場合においても数的相異が﹁唯一つの根拠﹂より出るこ とが条件となる。まさに統計比較は﹁唯一つの根拠﹂の概念を介して因果関係の研究に結びつくのである。
統計比較 論
三五統計比 較論
三六 ①ジージェソクによると!特に数的相異の説明のための準備的作業一−調査誤差および方法的相異の確定、混成関係の変動による 数的変動の確定、相異点のより精確な確定など一−は統計学固有の課題である。しかし統計学の課題はこれにつきる訳ではない。更 に方法論的に他の実体科学に協力する課題が残されているのである︵d諺㊤oずΦロげ①αQユ頃ρω.心O︶。 山 ノ、 筆者は以上においてジージェックの統計比較論の大綱を明かにした。これによって知ることが出来るように、ジージェ ックの関心は主として統計比較の﹁正しい手続﹂を定めること、いわば統計比較の﹁準則﹂︵<2αq惹9ωH紹色︶を立てるこ とにあった。 一般統計方法論が統計的研究手続の準則の定立を根本課題とするかぎり、これは当然のことと云わねばなら ぬ。方法の﹁本質﹂一基本的原則的手続過程1﹁手続の準則﹂の体系的反映が云うごとく﹁理論﹂であるならば、ジ ージェックの意図したものは正にく統計比較の理論Vであったに違いない。 ジージェックの統計比較の理論は、統計比較の手続を組織化したことによって高く評価されねばならぬ。しかし問題が ない訳ではない。先ず第一に、髄手続の根拠の規定が不十分である。手続の根拠づけの不十分さを念頭において、従前の学 者は比較の本質をおろそかにしたと云うティソシャーの批判は、ジージェックにもあてはまると云うべぎであろう。もっ ともジージェックにおいて手続の根拠づけが全くなされなかったと云う訳ではない。手続の根拠は比較目的にあった。比 較目的の規定の不十分さはさることながら、統計比較に前提される問題設定或は輔般的原因複合の比較としての統計比較 の本質把握によって補われた。しかし比較目的或は問題設定は手続の本質形式を自己の中に含んでいる。それゆえ比較目 的および問題設定を掘り下げて手続の本質形式を根拠づける努力がなさるべぎであったにもかかわらず、ジージェックは 、これをしないで、逆に、比較目的および問題設定、これらの含む手続の本質形式を与えられたものとして前提し、これを具体化することの申に課題を見出した。ジージェック自身の方法観によるものであり、その一般統計方法論の性格の現れ である。ともあれ、ジージェックの統計比較の理論は、上述の方向において、比較目的および問題設定が抽象的に規定す る手続の本質形式を社会的実際的条件に即して具体化することに重点をおく。非理論的と思われるほど技術的な統計比較 の理論である理由はここにあると云うべきであろう。 ではこの﹁理論﹂が定式化した統計比較の手続はどうであろうか。これにもいくつか問題があり、個々には既に指摘し た通りである。第一に 比較される統計表示巨統計数と現実︵量︶とを明かに分離したこと、これによって形式的比較 適性等の形式的比較要件を立てたこと一これらは意義深いけれども、比較される統計表示と現実︵量︶との区別を範疇 的に固定することを怠った。第二に、比較対象11比較尺度を統計表示巳統計数とし現実の量としなかった。第三に﹁比較 される群﹂を範躊的に区別したことは有意義であるけれども、 ﹁比較される群﹂が統計比較全体の基底であることを無視 してただ手続要素としてしか取扱わなかった。更に、比較結果の﹁説明﹂が数的相異を中心として取扱われているところ にも問題がる。1さて、これらの難点は共通の性格をもっている。すなわち、認識と対象、統計表示と現実一と云う 認識論的状況において認識11統計表示に重心がかけられていること、これである。正に統計比較の手続の構成は統計表示 に重心をおいてなされているのであって、この意味において統計此較は﹁統計表示の比較﹂なのである。では所説に云う ﹁社会的集団の瓦較﹂ではないのであろうか。統計比較目﹁統計表示の比較﹂と云うこの把握は形式的であり転倒的であ ると云わねばならぬ。 この形式性11転倒性は何処から来るのであろうか。既に述べたようにジージェックの手続構成は比較目的或は問題設定 が抽象的に規定する本質形式を具体化することにあった。かくして問題は認識の枠内におけることであって、枠を出て対 象に至ることは全くないのである。比較される統計表示の意味およびこれを対置することによって成立する比較の意味が 統箭 比 較 論 三七
統計 比 較 論 三八 ーー比較目的或は問題設定が抽象的に規定するものとの一致においてi問題になるだけで、これをこえて基底たる社会 的集団に立帰ることは望むべくもない。比較対象および﹁比較される群﹂もこの意味を構成するものとして比較目的或は 問髄設定が抽象的に規定するものから導ぎ出される。さて、社会的集団やこれを支える社会的条件が難題になるのは手続 をして客観的認識を志向させる場合である。手続の手続たる所以は客観的認識の獲得を保証するところにある。この立場 に立つとぎ手続の構成は社会的集団およびこれを支える社会的条件を基準としてなされねばならぬ。統計比較の手続に対 する社会的集団11対象の制約はこのとぎ復活する。比較対象および﹁比較される群﹂は対象において規定され、統計比較 はここに始めて﹁社会的集団の比較﹂となる。ジージェックにおける形式性”転倒性は認識の客観性への無関心と合目標 性への執心を特徴とする方法論的立揚から来るのである。 ジージェックは統計比較を統計数解釈の中に組み入れてこれの原基形態とした。比較的視角による統計利用論の拡充 としてその統計比較の理論の意義は高く評価されねばならぬ。しかしこの点についてもジージェックの所論には問題があ り、これを無視することは出来ないのである。 ジージェックは統計比較を一般的原因複合の比較とする。この把握の背後には既述のように究極的には一般的原因と偶 然的原因の区別対置と云う統計数の原因機構に関する構想が立っている。この構想は明かに大数法則より来る。そして定 立にあたり社会的集団およびこれを・支える社会的条件への従属からの統計数の解放、統計数を中心とする取扱いが前面に 押し出され、これを契機として統計数の原因機構の形式化抽象化がなされ、大数法則的な、現実とは無関係に設定された 理論的図式の導入がなざれたのである。明かに平均的視角の支配が見られる。もっとも統計比較論への平均的視角の浸透 は、上述の統計数の原因機構の把握が直接的影響を及ぼす範囲に、すなわち、 コ般的原因複合の代表としての統計数﹂ の把握から帰結されるところの、 ﹁一般的原因複合の比較﹂としての統計比較の本質把握にとどまっている。しかし浸透
を更に拡げる素地はないであろうか。浸透は上述の場合に見られるように、社会的集団およびこれを支える社会的条件の 従属より解質して統計数を中心とするところに開始される。筆者はジージェックにおいて統計比較が正にこの様な形でと らへられていることを指摘した。平均的視角がここに足掛りを得て浸透を進め影響を拡大することはないであろうか。こ れは統計数解釈論ほ統計利用論において比較的視角の廃棄に導く。 この様に見て来るとi統計数解釈の原基形態としての把握に見られるII統計比較の意義の重視にもかかわらず、ジ ージェックの所論はすでに反対のものを含むと云わねばならぬ。比較はもはや﹁統計学の魂﹂ではないのであろうか。社 会科学的領域にお薫る統計学の統計利用論の展開のためにジージェックの所論のもつ意義はこの欠陥によって制約されざ るをえないのである。欠陥のよって来るところについても不十分ながち大体の指摘をした。これの克服の上に今後の統計 比較論および統計利用論は整備され展開されねばならぬ。ジージェックの統計比較論は吾々にとって大きな教訓をも含ん でいるのである。 ①N冒①置∪興簿無声の。冨くΦ茜互島b.pO‘Qり巳詔q・.⋮臣①二面=σq①ヨ①言①..ロ巳象p︸ω需臥。=Φ=ω梓毘。。江ω。冨ζ①臣&㊦巳①年ρ 匂げ・h乞象・q・0りけ一ω。。下国・︵こ。閏。蒔ΦQ。ω切匹・︶ω・G。心ω噛ひ㎝ひード拙稿﹃一般統計方法論の課題と方法﹄︵前掲︶彦根論叢・第四八口 四九号・一四五頁。 ② 日尻。げ禽一〇H⊆ロ巳①σq賃昌σqα臼ω鑓鉱。。け一ぎω●cO⊆◎. ③前掲拙稿・彦根論叢・第四八“四九号二四三頁。 ④前掲拙稿・彦根論叢・第四八11四九号・一八−九頁。