第十八章漢文教材の読解・鑑賞を深める朗読の学習指導
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(2) 方と指導法の︑一 試 論を展開してみたい︒ ︵二︶﹁漢文﹂に親しみ︑読解・鑑賞を深めるには ﹁漢文教育﹂の 内容上の重 要 性は前節でも 述べたが︑そ の目標はどのように考えたらよ いのだろうか ︒再 び︑高等学校学習指導要領に目を 向けると ︑次 のように提示 されている ︒ 古典としての 古文と漢文を 読解し鑑賞す る能力を養 うとともに︑ ものの見方︑ 感じ方︑ 目標 ﹂の項目 ︶. 考え方を広く し︑古典に 親しむことによって人生を 豊かにする態 度を育てる︒ ︵学習指導要領国語編・第六節﹁古典Ⅰ ﹂ ﹁2 この目標 を︑高等学校 における授業 の実情に即してみると︑ あまりにも﹁ 読解し鑑賞す る 能力 ﹂にこだわりすぎてはいないだろうか ︒さらに言 えば ︑ ﹁鑑 賞﹂よりも﹁ 読解﹂ の能 力を養 うことに偏向 しているのが 事実であろう ︒こうした 偏りを生み出 しているのは ︑大 学入試 において解釈問題が中心 で︑原文を口語訳できる能 力の評価にこだわっていること に大 きな原因があるかと思わ れ る︒したがって︑大学入試 に対応するという実利的 な考え 方か ら︑文法重視 の分析的な解釈作業が︑ 学習指導の中 心になるわけである︒その 結果︑ ﹁も の の見方 ︑感じ 方 ︑考え 方を広くし ︑古典 に親しむ ﹂どころか ︑いわゆる﹁古 典 嫌い ﹂ の 生徒が増える 一方である ︒しかも ︑生 徒の多くは ︑たとえ文系大学 に進学したとしても ︑ 古 典を専門とする者は︑ほんの一部に過 ぎないのである︒高等学校 の古典学習 が︑研究者 養成のためのものでないことは︑自明の 理である︒ この立場は ︑もちろん一概 に﹁文法重視の分析的な解釈作業 ﹂を否定するものではない ︒ ﹁読解する 能力﹂への偏 向を是正せよという立場 である︒思 考 力を伸ばし︑ 心情を豊かに することによって﹁人 生を豊か に す る﹂態度が養 われ︑古典に 親しみを感 じるようになれ ば︑生徒 の興味に応じ て文法指導をしていく必 要が自ずと生 じて来るであろう︒解 釈 作 業 の根底に ︑生徒の主体的な学 習 活 動が存在することを忘れてはならない︒ さて ︑﹁文法重視 の分析的な 解 釈 作 業﹂へ の偏 りは︑ と り わ け﹁漢 文に親 しむ ﹂という 目標にとっては大敵 である ︒生徒はただでさえ ︑漢字に 対しての嫌 悪 感が強いからである ︒ それにもかかわらず︑入門期か ら訓読の方法 を記号化し て教え込まれることなどが 中心で あり ︑試験などにおいても︑ 教師が認める 唯一無二の訓読文や現 代 語 訳が絶対化さ れ︑細 部 にこだわった 指導がなされるのが実状ではなかろうか ︒これでは ︑生徒の﹁漢文嫌い﹂ を 助長 することにこそなれ ︑ ﹁ 人生を 豊かにする 態度を 育てる ﹂指 導か ら は程遠 いと言 わ ざるを得ない ︒ そこで︑例え ば訓読の指導 にあたっても︑その方法 を知識として 教え込むのではなく︑ 訓読が︑中国詩文を和文 に直訳するために︑日本人 が長年培ってきた有効な 方法であるこ とを認識さ せ︑語順の違 いや再 読 文 字・助字の用 法などに語 学 的な興味を抱 くことができ るものにしていくことが必要である ︒そうすることによって︑ 漢字を媒介 とした中 国 文 化 と日 本 文 化の関係を︑ 語学的な見地 から体験することができるはずである ︒訓読指導の 提 示の方法 によって︑ 生徒の思考力 を刺激し働かせることが可 能となり︑ 主体的に分 析 的な 訓読の 有効性を理解 していくことができるわけである︒ このように︑訓読 の導入段階において︑比較言語的な視点 を併用していくことを述 べた. - 178-. 漢文教材の読解・観賞を深める朗読の学習指導 第十八章.
(3) が︑さらに︑読解や 鑑賞を深め つ つ漢文に親 しみを持たせるためには︑ どんな方法が 現実 的であろうか︒再 度︑学習指導要領には次のような項目が 見られる︒. 内容. オ ﹂の項目︶. 音読 ︑朗読︑暗 唱などを通し て古典の文章 に親しみ︑作 品の読解︑鑑 賞を深めること︒ ︵ 学習指導要領国語編・第 六 節﹁古典Ⅰ ﹂ ﹁3 この項 目の解 説には ︑ ﹁古典 に お け る難解 な語句 や句 法などでも︑ 声に出 して 読む こ と に より︑ 口と耳 とで 慣れ親 しむことができる ︒﹂と あ り︑ま た﹁古 典に は朗読 に適し た作品 が多い︒文 体の韻律性や 簡潔性を生かしたり︑作者 や作中人物 の心理や感情 の表現を工夫 して朗読したり︑それを 聞いたりすることによって︑文章の美 しさや作品の お も し ろ さ を 味わうことができ ︑古典 への 親しみがわく ︒﹂とある︒ これは 即ち︑ 朗読 に工夫 を凝らす ことによって︑音声化 された作品 を体感し︑親 しみを持つようにしていく 方法である ︒ そこで ︑さらにそれが﹁作品の読 解︑鑑賞を深 めること﹂ とはどのようにつながってく るのであろうか ︒解説 の中に は ︑﹁朗 読は︑ む し ろ表現活動であるが ︑自 己の読 解や鑑 賞 に基 づいて朗読することにより ︑読解 の一層の深まりが期待できるのである ︒﹂と あ る が ︑ ﹁ 音読︑ 朗読﹂ と﹁読 解︑ 鑑賞﹂ との関 係は今 ひ と つ明確 で は な い ︒﹁ 親しむこと﹂ を介 在 させ ︑﹁ 音読︑ 朗読﹂ と﹁ 読解︑ 鑑賞﹂ を結び つ け る現 実 的な指導法は ︑今ま で あ ま り 提 唱されていないと言わ ざ る を得ない︒ 以下︑この二 つの結びつきについて︑具体的な方 法 論を考えてみたい︒ ︵三︶ 漢詩教材 とその読み方の多様性 ﹁漢文に親 しむ﹂とは言 っても︑親しみを覚える 内容には個 人 差があるだろうし︑さら には︑生徒 の中には理系的思考に興 味の中心が あ り︑文学的なものに違 和 感を感じる者 も いる︒ま た︑大学入試 をはじめとする現実的な 進路決定に知 識・能力と し て必要か ど う か と い う点は ︑生徒 が そ の科目 に取り 組む熱 心さ を決 定 的に左 右している ︒ ︵こ の点におい て漢文 はかなり不利 な状況だが︶ これは程度の 差こそあれ ︑どのような 高校においても似 た よ う な状況で あ ろ う︒こ う し た中で︑比較的多数派に﹁ 親しみ﹂と い う点で支持 される のは ︑漢詩教材ではないだろうか︒もちろん ︑史話な ど に表れる歴史的人物の生き 様に深 い感 動を覚える者 もあろうが ︑一定の文 章 量をストーリーを追い な が ら読むことには︑全 て が漢字で表記 されているという単純な視覚的先入観か ら︑嫌悪感 が先立つ者も 少なくは ないであろう︒ ま た︑ 漢 詩 教 材の持 つ文学作品 と し て の普 遍 性とは ︑ ﹁ 抒 情 性﹂と ﹁韻 律 性﹂であると されているが ︑時代を超え て我々に訴 えかけてくる ﹁人間の感性 ﹂と﹁耳や口 を利用した 味わい ﹂︵聞い て覚えたり ︑口ずさんだりすること︶ は︑ 歌が人間生活 に不 可 欠な存 在で あるのと同 様に︑深い意 味を持っていると言ってよい︒このことは︑近年︑ 生涯学習への 関心が高 まる中で︑漢 詩を扱う講座 や詩吟が一定 の人気を博し て い る こ と を見れば︑容 易 に理解されることであろう︒いわば ︑漢詩教材 は生涯を通じ て﹁古典に親 しみ人生を豊 か にする﹂ 対象と し て は︑恰好の教 材であると思 われる︒それにも関わ ら ず︑学校現場 の授 業において︑漢詩は 扱いが難しい 教材であるとする声が多 く聞かれる︒ その原因は︑ 第二 節で述 べた﹁分析的 な解釈に偏 向した学 習 指 導﹂に他ならない ︒しかも ︑漢 詩 教 材の場合 ︑. - 179-. 漢文教材の読解・観賞を深める朗読の学習指導 第十八章.
(4) 短い語 句の中に奥深 い抒情が集約 されているということもあって ︑ ﹁分析的 ﹂という 面で ︑ 散 文 作 品より感性 に依存した説 明になることが多い︒そのため︑文 法 的な説明をほとんど 要 せず︑ 観念的 で一 方 的な ︑生徒 に と っ て退屈 な授 業になりがちである ︒ ﹁ 親しみ ﹂を持 つ可能性が大きいからこそ︑ 漢詩教材の扱 いには第二節 で述べた懸案 に応えていくような 工 夫が要求されるのである︒ 漢 詩を ﹁音読 ︑朗読 ﹂す る こ と は︑とりもなおさず ︑ ﹁ 韻律性 ﹂を 引き出 し作品 の美し さを味わう行 為である︒通 常︑高校や中 学の学 校 現 場で﹁音読︑ 朗読﹂されるのは︑漢詩 の訓読文で あ る︒この︑ 漢詩が訓読さ れ日本語と し て読まれる際 には︑原詩の 持つ中国音 のリズムは 失われ ︑ ﹁韻律性 ﹂を引き出すという観点からすれば ︑不十分な読 み方である ︒. C. B. A. 通常の学 校 現 場で行われている訓読. 日本漢字音に よ る音読. 現代中国語音による音読. 漢詩制作当時の中国音による 音読. そこで ︑ ︵注1︶漢 詩の読み方の 可能性を こ こ で確認し提 示しておくことにする︒. D ここでA ・B・ Cで 提示し た﹁音 読﹂と は ︑ ﹁ 漢詩を 声に出 して 読む﹂ という 広義の も の で は な く ︑﹁ 漢詩を 字音 のまま 読む﹂ という 狭義 のものである ︒よ っ て︑こ の三通 りの 読 み方 は ︑ ﹁ 韻 律 性﹂を 重視し て再現 するという 意味で ︑有効 な読み 方である︒ ただし ︑ これらの中で ︑Aは中国音韻史の上での ︑高度な学問研究的内容 を伴うものであり︑高校 中学の 学 校 現 場で 実践す る こ と は不 可 能である︒ また ︑ ︵注2 ︶Bは 原則として 現代中国 語の共通語 ー北京語で字音読みするわけで︑高校 における外国語科目の多 様 化が進む中で 実施可能な 場合も考えられる読み方 だが︑通常の 高校・中学においては指導者が正確に 発 音するか ︑視聴覚教材 などを利用し て参考ま で に聞かせるだけでよいだろう︒Cは原則 と して日本漢字音の漢 音︵いわゆる 教育現場で言 う﹁音読み﹂ のことで︑必 ずしも漢音 でな ければならないという制約はなく ︑状況に応じ て呉音などであってもかまわない︶で 字音 読みするわけで ︑高校 ・中学 を通 し て す ぐ に で も生徒 が実 践し ︑ ﹁韻律性 ﹂を再 現できる 方法 である︒ 以 上のような立 場で ︑漢詩 を﹁音 読︵声 に出 して読 む︶︑ 朗読﹂ するに 当たり ︑本来 の ﹁ 韻律性﹂を﹁ 音読﹂で再現 しつつ︑日 本 語の文語体による直訳である﹁訓読﹂ を併用し て 読んでいくことによって︑ 様々な利点 が生じてくるはずである︒ 漢詩教材の読 み方の多. 〜. 翻訳詩を 含めた﹁音読 ︑朗読﹂を. 様 化は︑言語 ・文化のレ ベ ルにおいて︑ 生徒が主体的 に考える数 々の素材を提 示していく ことになるのである︒ ︵四 ︶ ﹁読解︑鑑 賞﹂に結びつけるには. 漢詩教材 そのものが根元的に持つ﹁ 韻律性﹂と﹁ 抒情性﹂が︑ 人間の感性 に深く訴えて いくという意味で ︑比較的広 い階層に親しまれる教材であることを 前節では述べ た ︒また ︑ 同時 に﹁韻律性 ﹂を よ り本 来 的に再 現す る た め に﹁現代中国語音﹂ を参 考ま で に ︑﹁日 本 漢 字 音﹂に よ っ て実践 として ︑漢詩 を字音読み し ︑﹁訓 読﹂と 併用 し て い く︑多 様な﹁ 音 読︑朗 読﹂方法が 考えられることにも触れた ︒これによって︑漢詩本来 のリズムと ︑日本. - 180-. 漢文教材の読解・観賞を深める朗読の学習指導 第十八章.
(5) 語と し て の﹁文 語 自 由 詩 ﹂︵訓 読︶の リ ズ ムが重層的に 再現さ れ︑ 押韻の 把握なども朗 読 を通してできるようになる︒それでは︑この ﹁韻律性﹂を 生かしながら﹁音読︑朗 読﹂と いう 方法で ︑ ﹁読 解︑鑑賞﹂に 結びつけるには︑どうしたらよいであろうか︒ ここでは︑リ ズ ムを重視するという観点か ら︑ある程度 の定型リズム によって漢 詩を翻 訳 した近代の諸作品を︑併せ て﹁音読︑朗 読﹂していくことを提唱 したい︒翻 訳 詩を含め ることにより︑ 漢詩の内容 が生徒にとってより身近なものとなり︑ あらためて 字音読みや 訓読に回帰したときに︑そ の声の強弱︑ 高低︑緩急 などを翻訳詩 の読みの解釈 に基づき︑ 工夫することができる︒ さらには︑読 み方の複線化 ︑複々線化によって教室における生徒. 風. 覚 ちょう. 暁. かく. てい. 鳥. 少. しょう. 声. せい. 啼 うー. 雨 たー. 多. ︽ 訓 読︾. 暁 を覚え ず. 浩然. 春眠. 啼鳥 を聞く. 孟. 処々. 風 雨 の声. 知る 多少. 夜来. 花落つること. 散. ツ木 タ 花ノ. イカホドバカリ. 雨 マジリ ヨルノアラシニ. 目 ガサメマシタ トリノナクネデ. 聞 ケバ ハルノメザメノウツツデ. ︽ 翻訳詩 ︾. 主体の群読 が︑実に多 様 化するわけである︒そ れ で は︑高校︑ 中学を通してのいくつかの. 来 ちー. ぎょう. 安定教材について︑この 方法を具 体 的に示してみよう︒. 不. ふー. 暁. ︽ 字 音 読み ︾ 春 みん. 眠. しゅん. 春 ぶん. 聞. らく. 知. ふう. 落. らい. 処. し ょーし ょー. 処 やー. 夜 かー. 花. 中学 ︑高校 を通し て た い て い の教 科 書に採 られている 安 定 教 材﹃春 暁﹄ を ︑﹁日 本 漢 字 音. こう. 光. ︽ 訓読 ︾ 李白. 月光 を看る. 気 ガツケバ ネマノウチカラフト. ︽ 翻 訳 詩︾. に よ る字 音 読み ﹂ ﹁訓 読 ﹂﹁翻訳詩 ﹂︵井伏鱒二 による 訳詩 ︶を並 べた例である︒ 次に も う. 月. 牀前. 一例︑ 五言絶句の安定教材︑李 白の﹃静夜思 ﹄である︒. ︽ 字 音 読み ︾. 看. かん げつ. 静夜思. 前. しょうぜん. 牀. - 181-. 漢文教材の読解・観賞を深める朗読の学習指導 第十八章.
(6) ぎー. 疑. しー. 是. 故. そう. 霜 げつ. 月. 郷. こー きょう. 山. さん. 上. ちーじょう. 地. 頭. きょーとう ぼう. 挙 とう しー. 望. てい. 頭. 思. 低. 霜. 月 カトオモフイイ. アカリ. 月 ノキバノ. 地上の霜 かと. 山月を望み. 気 ニカカル ザイショノコトガ. 疑 ふらくは是 れ. 頭を挙げて. 故郷を思 ふ. ヲミルニツケ. 頭を低れ て. これもまた︑井伏鱒二 の﹁翻訳詩 ﹂を並べた 例である ︒井伏の訳 詩は ︑ほぼ﹁七音・七 音 ﹂ を原則 に訳されているので︑読んでいて調子がよく言葉の上 でも理解しやすい︒作品 とし. 床 にさす. おもうふるさと. 山の月を 見. 霜かと. 月かげ. 静 けき夜の思い. 筑摩叢書二九六 ︶ がある︒そこから前例二首 の詩の翻訳を 紹介し. 新訳中国詩選 ﹄ ︵筑摩書. ては︑ 五言絶句の み で訳詩の数も 限られているのが残念なくらいである ︒同じ﹁翻 訳 詩﹂ 昭和六十年三月. で ︑もう 少し文語調を 好ま れ る向 きには ︑土岐善麿﹃ 鶯の 卵 房 て お く︒. うすねむり. 春あけぼの 春あけぼのの. 仰 ぎては. うたがいぬ. 夜べの雨. うなだれては. 鳥の声. 風まじりなる 庭もせに. まくらにかよう. 花 ちりけんか. こ の土岐善麿の ﹃鶯 の卵﹄ には ︑﹁ 春・夏 ・秋・ 冬・ 雑﹂に 分類さ れ︑数 多くの 翻訳詩 が 所 載されているので︑中学︑ 高校を通してたいていの 教科書に採られた漢詩教材 の訳詩を 探 し出すことができる︒ま た︑見ての如 く﹁七・五調 ﹂や﹁五・七 調﹂のリ ズ ムに乗せた 翻訳であるので ︑ ﹁音読︑朗読 ﹂に際しても 収まりがよい ︒ 以上︑具体例 は紙幅の関 係で︑この二 首の漢詩教材 にとどめるが ︑七言絶句 においても 要領は同じである︒た だ し︑いずれの 詩を扱う場 合においても ︑具体例に示 したように︑ 三通りの読 み方を板書 やプリントにより生徒に示 し︑視覚的に 認識し な が ら読ませること が肝要である ︒さらに ︑教師に よ る中国語音による参考朗読 や ︑視聴覚教材︵例えば ︑ NHK 制作﹁漢詩紀行﹂の 中の中国人による詩の朗詠部分や教科書付録の教材テープなど︶ を同 時に聞 かせながら︑ 併せてこの方 法で﹁音読︑ 朗読﹂をすれば︑実に効果的であり︑ 生徒. - 182-. 漢文教材の読解・観賞を深める朗読の学習指導 第十八章.
(7) が音 声 化することを 楽しむような 斉読や群読 が可能となるであろう︒もちろん︑このよう に﹁音 読︑朗読﹂ することを通 じて︑生徒の ﹁読解︑鑑賞 ﹂が次第に 深まり︑やがては︑ 各自 の創作的な翻訳詩・絵画や ︑効果音・ 写真図版な ど の小道具を使 用した趣向が 凝らさ. 〜. リズムの 普遍性を介在 として文化 のあり方を考 える〜. れていくことが 期待される︒. ︵五︶結語 漢詩教材を扱 う際の﹁音 読︑朗読﹂と は︑単に古典 を古典として 読もうとするだけでは なく︑その 根元的なリ ズ ムの普遍性を 介在として︑ 古典を現代 に蘇らせるものでなければ な ら な い だ ろ う ︒一 首の 漢詩 に対 して ︑ ﹁︵中 国 詩と し て の︶ 原詩 ﹂﹁︵日 本 語の ︶文語自 由詩 ﹂﹁︵より 近現代詩的 な︶ 文 語 定 型 詩 ﹂という 三通 りの 読み 方を す る こ と に よ っ て︑ リ ズ ムの純 粋な対 応という議 論は別 として ︑﹁韻律性﹂ を生かしながら﹁ 読解︑ 鑑賞﹂ に 結び つ い て い く で あ ろ う︒これは同 時に ︑普 遍 的なリズムに 対し て人間 が持ち 得る ︑ ﹁好 意的な 感性﹂を刺激 していくわけであるから ︑必然的に古 典に親しむことができるわけで ある ︒したがって ︑当然の結果 ながら︑暗唱 を課した場合 などにも︑ 歌の歌詞を比較的楽 に覚 えてしまうのと同じ理由で ︑復唱と連 鎖の効果で容 易に暗記できるはずである ︒ 今後 ︑二十一世紀に求められるべき古 典 教 育は︑国際化 の中に位置 づけられなければな らない︒その国際化ゆえに︑ 生徒各自の 中に﹁日 本 文 化とは何であるか﹂という 問題意識 が 根付 いていかねばならないであろう ︒その 疑問に 答えるにあたり ︑﹁ 日本文化=外来文 化の摂 取・受 容﹂という 立場を 明確に し ︑ ﹁ア ジ ア漢字文化圏 ﹂の中 の一文化という認 識 を強めていくべきである ︒このようなことを生徒が 主体的に考えるためにも ︑漢詩を複数 の読み方で ﹁音読︑朗読 ﹂し︑親しむことによって﹁読解︑鑑 賞﹂を深めていく学習指導 が是非とも 必要であり ︑その過程を 通じて︑多く の発見が得られることが 望まれる︒し た がって︑ 新しい古 典 教 育を考えるにあたり︑漢 詩を含めた漢文教材は必要不可欠な も の と 強く認識 し︑授 業 方 法の工夫に力 を尽くしていかねばならないと考え ら れ る︒. 平成九年五月. 大修館書. ︵注 1︶とりわけ ︑ここで述べ るB・Cにおける高 校 現 場での授業実践理論と し て は︑ 拙 稿﹁ 漢 詩 音 読の 可 能 性 ﹂ ︵﹃漢 文 教 室﹄ 第 一 八 三 号 店 刊︶参照︒. 平 成 三 年 三 月 ︶参. ︵ 注2︶中国古典の作品を 現代中国語で 読む妥当性を 述べたものとしては︑松浦友久氏 ﹁言語時空における゛発音 の可変性゛ と゛リズムの 普遍性゛ー古 典と現代を つ な ぐもの ー ﹂ ︵﹃リズム の美学 ー日 中 詩 歌 論ー﹄ 明治書院刊 照︒. - 183-. 漢文教材の読解・観賞を深める朗読の学習指導 第十八章.
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