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博士(学術)学位申請論文審査要旨 主任審査員 岡野光雄

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博士(学術)学位申請論文審査要旨

主任審査員 岡野光雄 渡邊卓也『電脳空間における刑事的規制』

1 本論文の主題

近年、インターネットを中心としたコンピューター・ネットワークを媒介とするコミ ュニケーションが隆盛となり、ネットワーク上の仮想空間としての電脳空間

(cyberspace)が地球規模で形成されることとなった。これにより、自由な表現活動が

飛躍的に可能となった。

しかし、他方で、電脳空間には有害な情報が氾濫していることも事実であり、名誉毀 損罪やわいせつ物公然陳列罪等に該当すると思われる事態が生じている。これに対して は、有罪とした最高裁判例および一連の下級審判例があり、学説上もその結論を支持す るのが多数説といえる。本論文は、判例・多数説による解釈は刑法の一般理論からみて 無理であることを詳細に論証し、また、近時の立法の不適切さを指摘したうえで、電脳 空間における表現活動に対する刑事的規制に批判的・消極的な立場を展開しようとする ものである。

本論文の内容は、(1)インターネットの地球規模・越境性・犯罪の国際化に関係する

「刑法の場所的適用範囲論」、(2)「情報発信に関与する者の責任」、(3)「各論的解釈 問題・立法動向の検討」の三つに大別できるが、いずれも極めて現代的かつ現実的な問 題を対象とした意欲的な研究である。

2 本論文の構成

序章 目的と構成 第1節 本稿の目的

第2節 本稿の構成 第1章 場所的適用範囲論

第1節 問題の所在

第2節 刑法における場所的適用範囲 1 場所的適用範囲規定の法的性格 2 場所的適用範囲論における諸原則 3 犯罪地の決定に関する学説 第3節 小括

第2章「行為」に対する適用 第1節 問題の所在

第2節 場所的適用範囲論における「行為」の意味

(2)

1 実行行為としての「行為」

2 行為者と「行為」の一体性

3 遍在説における「行為」と規範構造論 第3節 場所的適用範囲論における「行為」の要否 1 結果無価値論と結果説

2 場所的適用範囲規定の法的性格と犯罪地の認識 第4節 場所的適用範囲論と共犯

1 国内共犯の成否 2 各説による帰結 第5節 小括

第3章 「結果」に対する適用 第1節 問題の所在

第2節 危険「結果」の世界的拡散の制限 1 世界的効果事例の除外

2 閲覧者の行為の介在 3 外国における不可罰性 4 主観的側面における制限 5 領域的特殊化

第3節 抽象的危険犯の「結果」と「影響」

1 抽象的危険犯の「結果」

2 「構成要件に属する結果」

3 「影響」に対する適用 第4節 各論的検討

1 わいせつ物公然陳列罪 2 賭博罪

3 名誉毀損罪 第5節 小括 第6節 事例研究 1 序

2 事実の概要 3 判旨 4 検討 5 結語

第4章 接続業者の不作為責任 第1節 問題の所在

第2節 不作為犯論の展開 1 因果力問題と保障人説 2 作為義務の発生根拠 3 義務反論

4 因果論的構成

第3節 接続業者に対する帰責

(3)

1 形式的法義務説による作為義務 2 依存性・支配性による作為義務 3 作為可能性・期待可能性 4 テレサービス法

5 因果論的構成による帰責 第4節 小括

第5節 事例研究 1 序

2 事実の概要 3 判旨 4 検討 5 結語

第5章 電子的参照の可罰性 第1節 問題の所在

第2節 テレサービス法 1 「他人のコンテンツ」

2 「自らのものにしたコンテンツ」

第3節 情報蔵置後のリンク設定行為 1 事後従犯

2 幇助としての因果性 3 正犯としての因果性 4 認識可能性の設定

第4節 リンク設定行為後の情報蔵置 1 形式的法義務説による作為義務 2 依存性・支配性による作為義務 3 因果論的構成による帰責 4 作為可能性・期待可能性 5 故意

第5節 小括

第6章 盗撮画像等の公開と名誉毀損罪 第1節 問題の所在

第2節 前提的考察

1 他罪による規制の可能性 2 電脳空間と名誉毀損罪

第3節 名誉毀損罪における名誉概念

1 人格的評価としての名誉とプライバシー 2 事実的名誉概念と真実性の誤信の処理 3 規範的名誉概念とプライバシーの保護

第4節 盗撮画像の公開と名誉毀損罪 1 摘示される事実

2 名誉毀損罪の成否

(4)

第5節 合成画像の公開と名誉毀損罪 1 摘示される事実

2 名誉毀損罪の成否 第6節 小括

第7章 仮想児童画像の客体性 第1節 問題の所在

第2節 児童ポルノ処罰法 1 制定の経緯

2 法律の概要 3 改正問題

第3節 児童ポルノ処罰法の保護対象 1 具体的被写体児童

2 児童一般 3 良好な社会環境 第4節 解釈論的検討 1 他法との関係 2 必要的共犯 3 「児童」の意味

第5節 アメリカの仮想児童ポルノ規制 1 概要

2 違憲訴訟 第6節 小括

第8章 わいせつ情報の客体性 第1節 問題の所在

第2節 判例

1 情報の有体物への化体 2 情報の化体物からの分離 3 電脳空間への適用 第3節 学説

1 概観

2 情報説とその批判 3 媒体説とその批判 第4節 検討

1 情報の客体性

2 情報化体物としての特殊性 第5節 小括

第9章 わいせつ罪の行為態様 第1節 問題の所在

第2節 各行為態様とその区別基準 1 頒布と販売

2 販売目的所持

(5)

3 公然陳列

第3節 電脳空間への適用 1 画像公開事例 2 メール添付事例 第4節 小括

第10章 立法動向とその問題点 第1節 問題の所在

第2節 従来の立法例 1 新しい客体 2 新しい行為態様

第3節 新しい立法 1 新しい客体 2 新しい行為態様 3 検討

第4節 小括 終章 総括と展望

第1節 総括 第2節 展望

3 本論文の概要

(1) 序章「目的と構成」では、1の「本論文の主題」から、第1章から第10章の 問題を、刑法の一般理論に立ち戻って解釈論的立場から詳細に検討し、現在および将来 の立法の礎にならんとする。

(2) 第1章「場所的適用範囲論」では、場所的適用範囲規定(刑法1条以下)の法 的性格については、これを実体法の要件と理解しつつ、処罰条件説を採るべきとする自 説を展開している。また、適用範囲論には種々の原則があるが、ここで重要なのは「属 地主義」であるとし、刑法1条1項の日本国内において「罪を犯した」の意味について は、通説の「遍在説」を排斥して、犯罪地決定の基準とすべきは「行為」ではなく、「結 果」であるとして「結果説」を主張している。

(3) 第2章「『行為』に対する適用」では、国内にいる者が、国内のコンピュータか ら、国外のサーバーに対して有害情報を送信・蔵置し公開した場合(本章の事例)、国内 犯として自国刑法の適用が可能か否かを論じている。

場所的適用範囲論における「行為」は狭義の行為・実行行為であるとし、行為者と実 行「行為」の一体性から、「行為」の場所は行為者の所在地と一致し、国内から情報発信 を行っている以上、行為は国内で行われているから遍在説では国内犯として処罰される

(6)

ことになるとする(判例・通説)。しかし、結果説を採る本論文は、犯罪地の決定におい ては、「結果」の場所のみを問題とすべきであると主張する。この立場では、とくに抽象 的危険犯の「結果」が問題となるが、この点については、第3章に委ねている。

また、場所的適用範囲の法的性格については、前法律的な「犯罪状態に」対して法的 評価を行うための条件を定めたものであるという意味で、処罰条件説が妥当であるとの 見解を示し、したがって、犯罪地の認識は必要でないと主張している。さらに、「場所的 適用範囲論と共犯」では、外国では不可罰な「結果」を生ぜしめた国内正犯「行為」に 対する国内共犯(「本章の事例の国内共犯」)や、国外犯処罰規定もなく、正犯の行為地 法によっても処罰されない国外正犯に対する国内共犯(不可罰国外正犯の国内共犯)の 処罰の可否を論じている。

(4) 第3章「『結果』に対する適用」では、国外にいる者が、国外のコンピュータか ら、国外のサーバーに対して有害情報を送信・蔵置し公開した場合(本章の事例)、国内 犯として自国刑法の適用が可能か否かを論じている。

この場合、「結果」が世界中に及ぶため、「結果」が国内で発生することを前提として、

適用制限を試みる種々の見解が主張されているが、いずれも理論上の根拠が不十分であ るとし、「結果」概念そのものを検討すべきであるとして、自説を展開している。

抽象的危険犯については、形式説(従来の通説)を排斥して実質説を採り、抽象的危 険犯も抽象的危険の発生という「結果」(危険結果)をもつ犯罪であり、それは書かれざ る構成要件要素としての構成要件的結果であるとする。そして、本章事例の場合、危険 結果は国外のサーバー上で発生し、その時点では自国刑法の適用外であるとし、その後、

危険範囲は拡大し、情報は世界中に拡散するが、それは構成要件の枠外の「影響」ある いは「効果」であって、「結果」ではないとする独自の見解を展開している。「影響」は 状態犯における法益侵害状態と同様に考えることができるとする。以上のような立場か ら、わいせつ物公然陳列罪、賭博罪、名誉毀損罪の成否を検討している。

また、本章の事例と関連して、「国境を越える酩酊運転」、「アウシュビッツの嘘」事件 についてのドイツの判例を紹介し、詳細に検討している。(なお、51頁4行目から6行 目にかけて、文意の把握が困難な記述がある。)

(5) 第4章「接続業者の不作為責任」では、いわゆるサービス・プロバイダが会員の有 害情報の蔵置に関してどこまで刑事責任を負うかという問題が論じられている。ここでは、

事前に蔵置行為を監視しなかったという不作為と、事後にそれを削除しなかったという不作 為とが問題となるとされる。そこで、従来の不作為犯論を整理・検討した結果、学説は、不 作為犯の義務犯的な理解に徹することはできず、何らかの形で作為犯と同様の因果的契機を 模索しているのが現状であるとする。接続業者の作為義務については、形式的法義務説から

(7)

は、一般的に有害情報の削除・遮断を義務づける法令・契約は存在せず、依存性・支配性と いう観点からも削除を引き受けたという事実は認められず、因果的構成によっても有害情報 の蔵置の時点で既に法益の危殆化は発生しているから、接続業者には作用から不作用への転 化が認められないとし、いずれの立場からも、現行法の解釈上、不作為犯の成立は認められ ないと結論づける。のみならず、立法論上も、接続業者の態度には、そもそも犯罪として処 罰に値するだけの実体は認められず、また、事実上私的な検閲を行わせることになるので、

接続業者に作為義務を負わせて真正不作為犯として罰するような立法は不当であるとする。

(6) 第5章「電子的参照の可罰性」では、いわゆるリンク設定者の可罰性が論じられて いる。この問題については、有害情報の蔵置以前の時点でリンクを設定した場合には、すで に蔵置されている情報に対してリンクを設定するという作為が問題となり、蔵置以後にリン クを設定した場合には、有害情報の蔵置を阻止しなかった管理・監督懈怠としての不作為犯 か、有害情報蔵置後にリンクを削除しなかったという削除・遮断懈怠としての不作為犯が問 題となるとする。リンク設定前の作為犯については、これを従犯と解するならば、対象とな る犯罪を状態犯と解する限り、正犯行為終了後の事後従犯であって可罰的な従犯たりえない ほか、他の経路からも当該情報にアクセスできることを考えると、従犯の因果関係として必 要とされる促進関係が認められないし、これを正犯と解するとしても、従犯としてさえ因果 性の弱いリンク設定行為に正犯としての実行行為性は認められないとする。一方、リンク設 定後の不作為犯については、接続業者と同様に作為義務が問題となり、リンク設定者に監視 義務や削除義務を課する法令や契約は存在せず、また、リンク設定者が情報の支配を引き受 けたともいえず、作用から不作用への転化も認められないので、その成立を肯定することは できないとする。かくして、リンク設定は、「引用」はもとより、「脚注」にも相当しない単 なる「軽い参照」にすぎないものであって、リンク先情報の責任をリンク設定者に負わせる のは的はずれであって、あくまでも情報発信者本人が責任を負うべきであると結論づけてい る。

(7) 第6章「盗撮画像等の公開と名誉毀損罪」では、高性能電子撮影機器の普及とコン ピュータのネットワーク化によって生じている新たな問題状況を意識しながら、「盗撮画像 や合成画像について、当該画像の被写体とされた者の承諾なしに、例えば、インターネット のWWWサイト上で公開した者に対する処罰は可能か否か」という問題を設定する。

名誉毀損に関しては、その保護法益を確定する際に内部的名誉概念(真価)ならびに主観 的名誉概念(名誉感情)を退け、外部的名誉概念(社会的評価)を採る。そこから、評価と 関係しない私事の公開は、名誉毀損罪の対象とはならないことが論証される。私事が公開さ れたことによって侵害を受けるのはプライバシーであり、名誉とは構造の異なる法益である とされ、そのため、社会的評価の低下を招かない範囲においては画像公開に対して名誉毀損

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は適用不可能だと論じられる。その点を前提にすれば、盗撮画像の公開に関しては、「自ら 進んで裸体をさらすような人間である」という印象を伝達する限りで本人の評価に関係し得、

その限りで名誉毀損罪の成立はあり得るが、標準的・一般的に盗撮画像の公開が名誉毀損に 該当するわけではないことが論証される。合成画像の公開についても同様で、合成であるこ とが判別できない場合、「自ら進んで裸体をさらす」ことに関する虚偽の印象を伝達する限 りでは名誉毀損になるが、閲覧者が虚偽性を認識しているような場合には名誉毀損は成立し ないとする。

(8) 第7章「仮想児童画像の客体性」では、コンピュータによって制作された「仮想児 童ポルノ」が児童ポルノ処罰法の規制対象となるかを問題とする。同法の制定の経緯・改正 を詳細に紹介した上で、問題の解決の前提となる同法の保護対象(保護法益)について論ず る。この点については、①性的搾取・虐待からの個々の具体的な被写体児童の保護と解する 立場(個人法益説)、②同様の観点から、抽象的な児童一般の保護と解する立場(危険犯構 成)、③「児童一般の性的に健全に成長する権利」を保護するための前提として、「健全成長 のための良好な社会環境」の維持を目的とする立場(社会法益説)が主張されているが、各 説を詳細に検討し、②、③では仮想児童ポルノも「児童ポルノ」に含めて処罰の対象とされ るが、処罰の早期化、道徳の保護、因果関係の希薄化等の難点を有するとして、個人法益説 を展開し、実在の児童が被写体とされていない仮想児童ポルノは児童ポルノ法の規制対象と はならないとする。

また、②、③説では、児童ポルノ処罰法と刑法175条、青少年保護育成条例、児童福祉 法等の関係で、罪数処理等で不都合が生ずることを論証している。さらに、児童ポルノ処罰 法では被写体児童も提供等の相手方も処罰されないため、仮想児童ポルノを処罰の対象とす ると、必要的共犯・片面的対向犯の一方の不処罰を根拠づけることが困難であるとする。そ の他、児童ポルノ処罰法でいう「児童」は実在児童を前提としたものと解さざるを得ないこ とを詳細に論証している。

最後に、アメリカにおける仮想児童ポルノ規制について、合衆国最高裁の違憲判決を紹介 し、基本的には判決を妥当とするが、その問題点も指摘している。

(9) 第8章「わいせつ情報の客体性」では、電脳空間を通じたわいせつ画像情報の流布 に際して、陳列や頒布、販売の客体として何が想定されるのか――「情報」なのか「媒体」

なのか――という問題を扱う。

まず判例の流れを整理する。判例によるわいせつ物の理解は、わいせつ性が直接的に認識 可能な「物」から、次第に一定の装置によってわいせつ性が認識可能になる物へと拡大して きたが、依然として何らかの物への化体を要求しており、情報そのものを客体とはしない構 成をとっていることが提示される。その理解を踏まえて、近時の下級審判例の中で、わいせ

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つ画像のメール添付を処罰しようとしてメールシステム全体を客体と捉えるような無理な 解釈が行われていると指摘し、これを批判的に検討している。また、学説上は、法益侵害を 引き起こすのが情報であるとする情報説が近時唱えられているが、この見解は、①刑法17 5条の文言や他の条文と整合性が保てない点、②刑法175条と174条の区別が相対化さ れる点、③無限定に拡大する危険がある点、などにより採用できないものとされる。また、

ハードディスク等の「媒体」をわいせつ物とする見解についても、わいせつ情報の量的僅少 性や特定不可能性を考えれば多くの問題を内包しており、現在のインターネット環境の中で ネットワーク全体に拡散される危険を考えた場合に不適当だと主張している。

(10) 第9章「わいせつ罪の行為態様」では、「電脳空間を通じたわいせつ画像情報の 流布に対して、刑法175条がいかなる構成をもって適用が可能であるか」を問題とし、1 75条の各行為態様について論じたうえで、それを画像公開事例と電子メール添付事例に適 用した場合の問題点を検討している。まず、各行為態様とその区別基準に関して次のように 論ずる。①頒布および販売は、有償によるか否かという相違はあるものの、いずれにしても 客体の引き渡しが不可欠の要件である。②販売目的所持については、所持の対象物が販売目 的の対象物と同一でなければならない。③公然陳列は、わいせつ性の認識可能性が高い状態

(わいせつ性顕在状態)において、不特定または多数人に対して、客体に含まれる情報の認 識可能性を設定することをいうとする。

次に、以上の行為態様について電脳空間への適用を扱う。①画像公開事例については、客 体に含まれる情報とそのわいせつ性との同時認識が可能な場合に初めて陳列といえるので あるから、例えばマスク処理画像の公開など、わいせつ性の認識に至るまで複雑な手順を踏 まなければならない場合、わいせつ性は潜在しており公然陳列罪の適用ができず、175条 の規制は及ばない。②メール添付事例については、まず、媒体説によると、画像データが電 子メールシステム(媒体)に載っているから図画であるとするが、それは移動を観念しえな い状態(システム)を物と同視するものであって、実体とかけ離れた不合理な理論構成であ り、また、頒布・販売後に情報が有体物に化体されることになることで足りるとする見解は、

客体の引渡しを前提とする頒布・販売の文言解釈の範囲を逸脱している。いずれにせよ、情 報説(その問題性については第8章)を採るか、客体の引渡しを前提とする頒布・販売の解 釈を変更しない限り、175条による規制は不可能であると主張している。

(11) 第10章「立法動向とその問題点」では、電脳空間における情報規制のための立 法例を、客体と行為態様ごとに、立法方法に応じて分類・紹介した上で、「サイバー犯罪条 約」批准に向けた、2つの立法(刑法改正案、児童ポルノ処罰法)の妥当性について検討し ている。

まず、従来の立法例について、既存の規定を前提にした2つの立法方法として、①新しい

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客体を追加するものと、②新しい行為態様を追加するものとを挙げる。①に関しては、媒体 説を跡づける方法と情報説を取り入れる方法とを紹介し、いずれについてもその問題性が指 摘されている。また、②に関しては、ドイツ刑法184条以下の法文について罪刑法定主義 上の疑義を表明する一方で、「映像」の「伝達・送信」を取り上げる日本の1998年改正 風営法については一定の評価を与えている。

次に、刑法改正案および児童ポルノ処罰法について、①新しい客体に関しては、「電磁的 記録に係る記録媒体」を追加する場合、媒体説に向けられたのと同様の批判が可能であり、

「電磁的記録その他の記録」として電磁的記録を追加する場合、それだけではメール添付事 例を解決できない、とする。一方、②新しい行為態様に関しては、「電気通信の送信により」

当該記録を「頒布」(刑法改正案)、「提供」(児童ポルノ処罰法)する行為についてその意味・

内容を説明したうえで、「頒布」については、新たな意味を付与することによってメール添 付事例が捕捉可能となったが、「客体の引渡し」を前提とする従来の解釈との連続性を考え ると、情報について「頒布」概念を採用するのは不適切であり、また、「提供」については、

頒布より早い段階で規制するものであって「公然陳列」を含む可能性があり、擬律に混乱が 生ずる、とする。いずれにせよ、著者は、「頒布・提供」という同一文言が引渡しを前提と する「記録媒体」を客体とする場合と、これを前提としない「電磁的記録」を客体とする場 合とで異なった意味・定義を与えることに疑問を提起し、有体物を客体とする場合と無体物 を客体とする場合とでは異なった文言による規制が必要である、と主張している。

(12) 終章「総括と展望」では、各章における問題点とそれに対する著者の見解を総括 したうえで、そこでの法律問題は解釈論的に様々の問題を抱えているにもかかわらず、立法 的手当が充分になされていないとする。さらに、規制方法のみならず、規制根拠の見直しが 必要であるとし、電脳空間においては、刑罰による規制よりも技術的統制を行う方が効果的 である場合があると提言している。

4 本論文の評価

(1) 第1章から第3章までの「場所的適用範囲論」は、これまで余り議論の対象とされ てこなかった領域である。将来、電脳空間を通しての有害情報が国内からあるいは国外から 国境を越えて益々氾濫することが予測される。このような事例についての裁判例はわが国で はまだほとんど存在しないが、近い将来、必ず問題になると思われるため、本論文は実務に とっても貴重な研究といえる。

第1章では、場所的適用範囲規定を実体法上の要件と解しつつ、それは犯罪構成要素の外 にある「条件」と位置づけている。すなわち、事後的に犯罪と評価され得る実体としての「犯

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罪状態」と解するのである。処罰条件説との整合性を保ち得るかの疑問は残るが、注目に値 する見解である。また、犯罪地決定の基準について「結果説」を採用するが、結果無価値を 強調する著者の立場からは、理論上の一貫性が保たれている。

(2) 第2章では、行為者と「行為」は場所的に一致しなければならないとの前提で「行 為」を論じている。本章の事例は純粋の「離隔犯」であるとし、行為者と実行行為の乖離の 問題が顕在化するとして、行為者と離れた場所で「行為」を観念し得るかを問題とし、離隔 犯における実行の着手を詳細に検討している。本論文は実質的客観説を採りつつ、「結果と しての危険」の判断によって、行為者の行為が実行の着手として事後的に発見・評価される と主張するが、それは不能犯における客観的危険説とは構造を異にするという立場を展開し ている。本章の事例は国内で実行行為が行われたと解し、結果説の立場から自国刑法は適用 されないとする結論を説得力をもって導いている。欲をいえば、本章の事例について、「結 果として危険」と結果説でいう「結果」との関係についての論述も望まれる。

「不可罰国外正犯の国内共犯」「本章事例の国内共犯」について、各説からの帰結を批判 的に検討して自説を展開しているが、本章の事例にとどまらず、国境を越える共犯の処罰の 可否を論ずる際、実務に対しても重要な示唆を与えることになろう。

(3) 第3章は、「結果説」を展開する本論文の重要部分である。ここでは、結果説でい う「結果」をどのように把握するかが中心課題となる。本章の事例として、抽象的危険犯と されているわいせつ物公然陳列罪や名誉毀損罪等について国内で「結果」が発生しているか 否かを検討している。まず、「結果」が国内で発生したことを前提として、自国刑法の適用 を制限しようとする種々の見解が主張されているが、いずれもその理論根拠が不充分である ことを的確に論証している。

著者は、実質説の立場から、以下のような独自の見解を展開している。実質説によれば、

抽象的危険犯の場合も「抽象的危険結果」の発生を必要とするが、それは国外で発生してい るのか、国内で発生しているかが重要な問題となる。この点について、著者は、発生場所を 危険の及ぶ全ての場所と考えるべきではないとする。その独自の見解は、危険の発生した場 所を結果の発生場所と把握し、その「影響」あるいは「効果」は「結果」ではないとする点 にある。したがって、わいせつ物公然陳列罪については、国外のサーバー上でポルノサイト を公開した場合、危険結果はサーバー上で発生し、危険の影響・拡大は結果でないとして、

自国刑法の適用を否定する。このように、抽象的危険犯における「結果」を限定して把握し ようとする見解は注目に値する。著者は「影響」を状態犯における違法状態と同様に考える のであるが、これに対しては、ここでいう「影響」は法益侵害を強化し、拡散するものであ るから、単なる違法状態と考えることが妥当かが問題とされよう。しかし、安易な刑事的規 制を認めるべきでないとする著者の基本的立場からの理論構成として高く評価できる。

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(4) 第4章では、不作為犯の一般理論をインターネットの接続業者に適用するという方 法をとっている。刑法理論の観点からみると、不作為犯論自体に関して、最新の学説まで含 めて従来の作為義務発生論を丹念に分析し、現在の学説が因果性の契機を模索しつつ義務の 観点にとどまっている中途半端さを指摘し、自らは因果論的構成の方向を目指した点が特徴 的である。因果論的構成の内実についてはさらに具体化する余地があるものの、この点の分 析と構想からは、理論刑法学研究者としての優れた資質を窺い知ることできる。また、イン ターネットの実態を前提としつつ、刑法理論上の作為義務論の一貫した適用により接続業者 の刑事責任を否定した点は、社会的な処罰要求を背景とした安易なプロバイダ責任肯定の傾 向に歯止めをかける重要な提言であるといえる。なお、「接続業者」ないし「サービス・プ ロバイダ」の定義および地位・役割についての具体的な説明があれば、作為義務論の具体的 な適用についての理解がいっそう容易になったようにも思われる。

(5) 第5章では、状態犯・継続犯と共犯の成立時期、幇助の因果関係、正犯・共犯の区 別、作為義務の発生根拠といった刑法解釈論上の一般理論をリンク設定者の可罰性の問題に 応用したものであり、本論文全体にいえることではあるが、刑法総論の一般的な理論がサイ バー犯罪という先端的な領域にも適用可能であることを示した意義は大きい。とくに、上記 の諸論点は最近議論の進展がみられるところではあるが、本論文は、リンク設定者の可罰性 を素材として、これらの刑法総論上の一般的理論を検証するという意味をももっている。ま た、インターネットの現実に関する知見を前提として、リンク設定行為の因果性を具体的に 分析し、その可罰性を否定している点も説得力に富み、実務的な意義も認められる。なお、

蔵置後のリンク設定行為について従犯が成立しえないかという問題についてはなお検討の 余地があるように思われるが、この点は、継続犯と状態犯の区別や性格づけという未開拓の 問題に関わるものであって、著者だけでなく学界全体にとって今後の課題であるといえる。

また、最終的に責任を負うべきであるのは「情報発信者」であるとされるが、この「情報発 信者」の定義と共に、リンク設定者が実質的に見て「情報発信者」と評価できることはない のか、あるとしたらどのような場合か、についての言及があれば、さらに論述の具体性が増 したように思われる。

(6) 第6章の主題は、被害者が発生すると思われる場合に、すぐさま刑法の規定を拡大 解釈・拡張解釈して処罰の範囲を拡大しようとする誘惑が生じるが、プライバシー侵害に対 して安易に名誉毀損罪を適用することを戒めるところにある。その論述においては、プライ バシーと名誉が、方向性において全く異なった二つの観念であることが示され、それぞれに 法益侵害の実質に対応した形で構成要件を確定すべきであることが明示され、それぞれにお いて説得的である。刑法各論の分野における、方法論的に的確な推論であると評価できる。

また、構成要件が不明確になった場合に表現主体の側に生じる萎縮的効果に関する認識など、

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憲法学・情報法学の認識も十分に取り入れられ、厚味のある論証となっている。惜しむらく は、プライバシー侵害を規制するための立法論的な提言があれば法益保護の体系化が図れた ものと思われるが、この点も解釈論に任務を限定しようとした本論文の理論的な限定からく るものと思われる。

(7) 第7章では、仮想児童ポルノは児童ポルノ処罰法の規制対象とならないことを詳細 に論じている。仮想児童ポルノを直接規制する立法のないわが国においては、解釈論によっ てこれを肯定しようとする見解も主張されているが、その不当性を論証して、否定すべきと する自説を展開する。その重要な根拠づけを、児童ポルノ処罰法の保護法益に求める。著者 は、他説を詳細に検討・批判したうえで、同法の保護法益を被写体児童の保護と解する「個 人法益説」を採り、実在児童のみが保護対象となり、仮想児童は保護対象となり得ることの ないことを説得力をもって主張している。また、刑法175条等の関係からも根拠づけるが、

これにより自説の根拠づけがより強固なものになっている。本章でも、著者の一貫した立場 から、安易な刑事的規制に対し警鐘を鳴らしている。

(8) わいせつ物の客体をめぐる論争は、近時、行為の当罰性を基準にするあまり、理論 的な整合性を壊しつつあるようにも見受けられる。その中で、刑法として基本的に客体性を 前提とする構成を採り続ける限り、どの範囲において客体が特定できるのかという第8章の 議論は重要な意義を持ち続ける。とくに、客体を特定しようとすればネットワークで結ばれ るすべてのコンピュータ全体を没収するような構成さえ提唱される中、解釈論が理論的な整 合性を保つことが求められている。本章の考察は、その要請に応えるものであり、現在の論 争において極めて重要な提言を含んでいると評価できる。なお、本章の記述は、当罰的な行 為であっても処罰できない場面を容認する結果につながるが、この点もまた、立法論的な論 点を混在させまいとする論者の廉直性によるものと評価すべきであろう。

(9) 第9章では、刑法175条が規定する個々の行為態様について、逐一、概念分析の 手法によりそれぞれの意義を確定し、これを、画像公開事例とメール添付事例とに分かった 上で電脳空間に応用するが、その論旨の展開は明快で分かりやすい。本章は、前章(わいせ つ情報の客体性)の論述と相まって、いわゆるサイバー・ポルノへ現行175条を適用する ことの問題性(不可罰性)をきわめて説得的に論じている。

ただ、画像公開事例について、わいせつ性の認識に至るまでの複雑な手順を踏む必要がな い場合は、わいせつ性が顕在状態にあるとして公然陳列を認めるのか、それがわいせつ情報 の客体性(媒体説・情報説)との関係でどのように解せられることになるのか、もう一段掘 り下げた説明が欲しかった。

(10) 第10章では、前章までの検討を踏まえ、客体の属性に着目して、行為態様に関 する立法内容を論じたが、その手法は論理的であって手堅く、また、その帰結は現行規定の

(14)

解釈論を踏まえたものであって説得性に富んでいる。

ただ、電脳空間における刑法によるわいせつ規制に関し、著者によるあるべき立法像を示 した上で、今回の新しい立法提案により何が解決され、何が未解決の問題として残されてい るのか、という論点を総体的に論ずると、論文としての迫力はよりいっそう増したものと思 われる。また、刑法175条1項前段との関係では、前章で詳細に論じた「公然陳列」に関 する立法論的検討・提言も期待したいところである。

本論文は、サイバースペースにおける反社会的行為の抱える諸問題を、①越境性による場 所的適用範囲論との関係、②情報発信に関与する者の責任、③名誉毀損罪・わいせつ物頒布 罪等の各論上の問題点、という3つの論点に整理したうえで、先行業績をきわめて丹念に精 査し、刑法解釈論上の視点から体系的に検討を加えたものである。本論文のように、サイバ ースペースにおける表現とその刑事規制のあり方を総体的に考察した研究はこれまでには 見当たらず、その意味でも学界に裨益するところ大であって、高い評価を受けるに値する労 作といえる。

ただ、考察の対象を刑法解釈論に限定するとしても、ことに表現規制のあり方が問われて いる場面では、表現の自由を保障する憲法21条論を踏まえて、保護法益の抽象化、法益保 護の早期化という今日的視点から、法的手続の保障を規定する憲法31条を視野に入れざる を得ないのであって、その点に対する著者の立場からする論及があれば、本論文の論述によ り一層の厚みが増したものと思われる。

5 結論

以上の審査の結果、本論文が博士(学術)(早稲田大学)の学位に値することを全員一致 で承認した。

2006年3月6日

主任審査員 早稲田大学社会科学総合学術院教授 法学博士(早稲田大学) 岡野光雄 審査員 早稲田大学社会科学総合学術院教授 後藤光男 審査員 早稲田大学社会科学総合学術院教授 博士(法学)(早稲田大学)西原博史 審査員 早稲田大学法学学術院教授 法学博士(早稲田大学) 曽根威彦 審査員 早稲田大学大学院法務研究科教授 博士(法学)(早稲田大学)松原芳博

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