教養教育としての英語教育 : 専門分野の境界を越 えて
著者 ソーントン, ピーター
雑誌名 明治学院大学教養教育センター紀要 : カルチュー
ル = The MGU journal of liberal arts studies : Karuchuru
巻 5
号 1
ページ 201‑211
発行年 2011‑03
その他のタイトル Possibilities for Bridging EFL and Liberal Arts
URL http://hdl.handle.net/10723/817
教養教育としての英語教育
専門分野の境界を越えて
ピーター・ソーントン
序 論
長引く不況で, ここ2, 3年新卒大学生の就職 率が振るわないことが日本の社会全体に暗い影を 落としている。 そんな状況下で, 2010年3月24 日の報道は, 文部科学省が2010年度予算案に新 たに 「大学生の就業力育成支援事業」 のために 30億円を盛り込んだことを大きなニュースとし て取り上げていた。 この予算案は通過し, 文科省 から公募締切は5月27日・28日として全国の大 学, 短大に広報された。 さらに, 9月10日に閣 議決定された 「新成長戦略実現に向けた3段がま えの経済対策」 を踏まえ, 当初予定した選定件数 (130件程度) を上回る180件が選定された。 政 府も大学生の就職率をあげることを大学の重要な 仕事をしていることを, いわば恥も外聞もなく知 らせたわけである。 「大学生の就業力育成支援事 業」 として大学にのぞむことの例として文科省が あげたものは,
・独占禁止法や簿記論など, 従来は選択科目だっ た実学的科目の必修化
・地域の産業界と連携した実学的な科目づくり
・企業へのインターンシップや実習を取り入れ た専門教育の開発
などがある。 文科省の趣意は, 就職活動が実質的 に始まる大学3年次の冬になって初めて, 将来や
仕事について考える学生が多いことから, 従来の 教育以外に, 産業界と連携して社会に出てから役 立つ専門教育を1年次から始めることを奨励する ものだという。
大学生が1年次から自分の将来や仕事について 考えるということは, もちろん望ましいことであ る。 しかし, このように文科省が 「社会に出てか ら役に立つ専門教育」 として, 単に実学的なもの にばかり目を向けると, 大学は職業学校と同じに なってしまう。 「社会に出てから役に立つ専門教 育」 とは, インターンシップなどで特定の業種や 職種の知識を得たり (その社の人事課の人とコネ を作ったり), また入社後すぐに役立つビジネス・
スキルを修得することだけではないだろう。 職業 学校ではなく大学だからこそ提供できる 「社会に 出てから役立つ専門教育」 の一環として, 大学の 教養教育の役割を再認識する必要があると, 私は 信じる。 それどころか教養教育はまさに 「社会に 出てから役に立つ専門教育」 なのである, と言い たい。
一方, より焦点を絞って, 大学での英語教育を 考えてみると, 現在のグローバル化した経済・社 会・文化の中でいずれ仕事を見つけなければなら ない学生たちにとって, 英語教育は誰の目から見 ても, 「社会に出てから役立つ」 教育分野の一つ である。 さらに専門的な知識とスキルが従来以上 に就職先で必要とされるとなると, 大学の英語教
育もまた英会話学校で身につけられるような 「日 常会話レベル」 のものを学生に提供するだけでは 足りない。 専門教育の一部として英語を盛り込む 必要も出てくる。 要するに, 学科ごとに仕立てら れた専門英語の授業も今後は必要になってくる可 能性もある。 こういった専門的英語教育を, English for academic purposes (EAP), また English for specific purposes(ESP) という。
しかし, 大学の典型的な必修科目で身につける 日常会話レベルの英語と, EAP・ESPで必要に なってくる専門的な英語の間には, (学生の能力 の差, 専門知識の種類にもよるが) 現実的には何 らかの無視できないギャップがある。 となると, コミュニケーションにも役立ちながら, 専門的な 英語教育を大学全体のカリキュラム (すなわち教 養教育と専門教育を対抗的に分けない全体像) に どう盛り込むかを考える必要があるように思える。
本論文は教養教育と専門教育の関係, そしてその 関係の中での英語教育がめざすべきものについて 考える。 さらにこのような英語教育の可能性の一 例として, 私が担当しているある授業について報 告する。
1. 教養教育とは
教養教育について議論する際, まず教育の一般 性と専門性の関係から考える必要がある。 教養科 目 (あるいは一般教養科目) と専門科目の二つに 分けられている大学の4年間のカリキュラムの中 で, 教養教育と専門教育とは対立する関係におか れることが多い。 このような大学教育のモデルの 中で, 教養科目では学生が市民として誰もが知っ ているべき一種の基礎知識, 要するに大学を出て いる人にとっては常識のようなもの, を身につけ るとされている。 「あの人は教養がある/ない」
などと言う時に, こうした考え方にもとづいて
「教養」 という言葉が使われる。 さらに基礎的な 知識だけでなく, 基礎的なアカデミック・スキル (たとえば, 小論文を書くために必要なグラマー, ロジック, レトリック) も1・2年次に身につけ ておかなければならない教養科目の範囲に入れる ことが多い。 したがって, 専門科目と教養科目と の関係を形に表すと, 専門科目は教養科目を基盤 として, その上に積み上げられていくものとされ る。 しかし, このモデルとは異なる大学教育にお ける教養の位置もあるはずだ。
序論で, 「社会に出てから役立つ専門教育」 を 実学的な教育とのみとらえている文科省のスタン スを非難したが, これはもちろん大学教育が就職 に役立つものを志向してはいけないという意味で 言っているわけではない。 多くの市民にとって社 会に参加する第一の方法は職業を通してである。
そして大学でその業種や職種に必要な知識やスキ ルを身につけることは大変望ましいことである。
しかし, 大学の役割は, それを超えたものも必ず なくてはならない。 それは何か。
近代以降の社会では, 自分の職業がその社会全 体とどのように繋がっているかを見抜けなくなっ ていく一方だ。 労働は分業によりますます細分化 され, 個人の労働の領域が狭くなっていくと同時 に, その労働の成果は肥大化し続ける 「グローバ ル資本主義」 の巨大迷路のような構造に組み込ま れていく。 テレビのニュースでは世界経済という ものが, そのテレビの裏の入り組んだコードの束 のようにどうしようもなく絡まっていることを伝 える。 多くの人にとっては, 自分の労働がそんな 世界経済のリバイアサンの中で, どのように機能 しているかはとても実感できない。
分業についての最も有名な言葉は, スコットラ ンドの経済学者Adam Smithの 国富論 (The
Wealth of Nations) (1776) の第1章の冒頭の文 であろう “The greatest improvement in the productive powers of labour, and the greatest part of the skill, dexterity, and judgment with which it is anywhere directed, or applied, seem to have been the effects of the division of lab- our.”(14)。 だが, このように分業を国家を富ま せる資本主義経済の基礎として重視したSmith はまた, その分業がいかに人間の知性をつぶすも のであるかも同じ著書の中で明言していることに, Noam Chomsky(1996) は注目している。 それ は “Of the Expense of the Institutions for the Education of Youths” という, Smithの教育に 対する考えが書かれている章に現れる, 以下の一 節である。
In the progress of the division of labour, the employment of the far greater part of those who live by labour, that is, of the great body of the people, comes to be confined to a few very simple operations, frequently to one or two. But the understandings of the greater part of men are necessarily formed by their ordinary employments. The man whose whole life is spent in performing a few sim- ple operations, of which the effects are per- haps always the same, or very nearly the same, has no occasion to exert his under- standings or to exercise his invention in finding out expedients for removing diffi- culties which never occur. He naturally loses, therefore, the habit of such exertion, and generally becomes as stupid and igno- rant as it is possible for a human creature to become. [. . .]His dexterity at his own par-
ticular trade seems, in this manner, to be ac- quired at the expense of his intellectual, so- cial, and martial virtues.(7812)
この二世紀半前の言葉は, 現在のグローバル化 した経済の中での分業の特徴にも確実にあてはま る。 そしてここに, 教養科目の出番があるように 思われる。 つまり, 教養科目は, 専門科目が狭く 細分化した分業が他の分業の範囲とどう繋がって いるか, すなわち個人の分業化した活動が他者の 活動とどう繋がっているかを示すことができる立 場にある。 個人の活動がグローバル社会全体のど こに組み込まれているかを鳥瞰できるような視点 を提供できるのは, 教養科目というあえて専門に とらわれない立場にあるものの力である。 「専門」
ではなく, 「関係」 を専門にしたのが教養科目の 重要な一面ではないだろうか。 教養科目は個人と 社会の唯物的関係を把握する力を養うという重要 な役割を持っている。
この第一の役割に繋がっていることで, 教養教 育の第二の重要な役割として私が指摘したいこと は, 新しいアイディアの生産である。 文科省が
「大学生の就業力育成支援事業」 で大学に勧めて いる専門知識の科目は, 確かに現代の複雑な社会 と経済に出て行く者にとってすぐに役立つもので あろう。 だがすぐに役立つ専門知識 すでに 完成していて, 企業に入社してすぐに役立つ知 識 には, そこに全く新しいものを追加したり 導入する必要がなく, その余地もない。 特定の, 細分化され完成した専門知識に, まったく異なる 領域の知識をぶつけ, あるいは融合させて新しい ものを生産するには, その専門分野以外のさまざ まな知見が役に立つ。 英国の社会学者Paul Hirst (1991) は, 確立されている専門分野の知識の教 育の限界を次のように述べている。
Our aims should be to teach what disci- plines there are in the human sciences; to promote the recognition that, while the dis- ciplines are central to solving problems, the most important problems lie between disci- plines; and to recognize that defining what those problems are cannot be achieved by mere discipline. The reason that most ‘sub- jects’ are deeply problematic is that they re- strict the problems they can tackle to the skills they try to monopolize.(48)
Hirstは, 専門分野と専門分野の間に存在する,
現代の緊急の問題に取り組むために一番必要なも のは, 専門的な知識やスキルの境界を超える, 想 像力だと言う。 大学とは単に知識 (knowledge) をリサイクルする場ではなく, 新たに 「考え」
(idea) を生産する場でなければならない, とし ている (48)。 ちなみに, Hirstはこの 「専門分 野の境界を超えるための想像力」 をより広い, 社 会・経済に適用した理論を, “Flexible Speciali- zation versus Post-Fordism: Theory, Evidence and Policy Implications”(1991) で述べている。
つまり 「専門分野の境界を超えるための想像力」
は, 大学内だけでなく, 現代の複雑化した社会で 求められているものとしているのである。 だから 大学の教養教育は, 社会において, 専門知識に専 門以外のものを適用して, 新しいアイディアを生 産する材料を提供する役割を担っていると考える。
すでに完成された知識やスキルをいくら上手に使 えても, 企業そして社会の現状維持をしているだ けである。 そこに新しいアイディアを生産して, 企業そして社会を発展させる人間がいなくてはな らないのだ。
ちなみに, 国際キリスト教大学はその創立時か
らリベラル・アーツ教育を標榜しているが, ICU の英語教育 (2006) の中に引用されている同大 学教授である村上陽一郎の言葉は, 上記の私の考 えに通じるものを効果的に述べている 「教養 というのは, 人間を自由にすることで, 人間が教 養を身につけるということは, ある一つの固定的 な場所に落ちつけて閉じ込めてしまうのではなく, いろいろな方向に向かって可能性を広げて人間を 作り上げていく。 そういう自由を獲得することが 教養の本来の意味だ」 (5) と。
したがって具体的に教養教育の授業で提供する ものは, 古今東西のキャノン的知識の詰め込みで はない。 現実に膨大な知識を1週数時間の授業で 教えることなどできない。 提供すべきものは, い かに常に社会・世界を鳥瞰的な視点でとらえるこ とができるのかのノウハウなのである。 ある特定 の事柄や知識を広くさまざまな視点でとらえて, それについての自分の見解を立て, それを他の人々 に理解させるための訓練の場を提供するのである。
このような能力の開発を専門にすることこそが, 教養教育がめざす 「社会に出てから役立つ専門教 育」 だと信じる。
2. 教養教育としての英語教育
それではこれまで述べてきた教養教育の理想を, 英語教育に適用してみると, どのようなものにな るだろうか。
本論文では英語教育に関して特に三つのキーワー ドを取り上げたい。 まず注目したいのは学習者に とっての英語教育の 「関連性」 (relevance) で ある。 カリキュラムを作成するさいに, 学習して いる英語と学生一人ひとりの特定なニーズが現実 的に関連していることを明確にすることが, どれ ほど重要であるかについては, すでに様々な研究
がされてきた。 Marguerite Ann Snowはこの
「関連性」 の重要性を論ずる研究には, 主に二つ のアプローチがあるとまとめている (1993, 38)。
一つは特定な目的を持つ英語学習者に対して, 単 に英語を教えるのではなく, 学習者が必要として いる種類の英語教育を提供するというアプローチ だ。 具体的に考えると, これは専門的な業種・職 種の中で必要な英語を学習したいと言う, すでに 社会人であるかその手前である学習者 (例えば, 英語圏の国で看護師の資格を取ろうとしている外 国人, あるいは英語の専門ジャーナルを読むこと が必要な技術者) むけの英語教育を指すことが多 い。 二番目のアプローチは, 英語を上手に使える ようになることが最終目的である学習者に対して, 学習の意欲づけのために, その学習者の様々な ニーズと英語を結びつけるというアプローチだ。
なかでもC. KennedyとR. Bolitho (1984), T.
HutchinsonとA. Waters(1987), そしてJames F. Valentine, Jr.と Lyn Margaret Repath- Martos (1997) は学習者のニーズと言語学習の 関連性を明確にすることが, どのように学習者に とって意欲づけに繋がるかを論じている。 どちら のアプローチにせよ, あるグループの特定なニー ズに合わせた英語の教育法を, 序論でも言及した ESP(English for specific purposes) という。
さて, 大学生の特定なニーズに応える英語教育 となると, ESPのサブカテゴリーとされている EAP (English for academic purposes), 要す るに 「学問分野」 という特定なニーズに応える英 語の教育, が重要になってくる。 だが, EAPを 通して学生の特定なニーズに応えると言っても, どこまで学生の専門分野に関連付けることが適切 な英語教育になるのかは, 依然として課題である。
例えば, 学科に合わせて作られた専門英語教育が 従来以上に必要になることもありうる。 となると,
前述の, 英語の関連性に対する二つのアプローチ のうち, 前者の 「学習者が必要としている種類の 英語」 の教育のようなものを提供することになる。
しかし, 多くの研究者がすでに指摘していること だが, ESP・EAPとは単に英語を学生の専門分 野に合わせればうまくいくものではない。 例えば, KennedyとBolitho (1984) は, 英語を学生の 専門分野に関連させることによって意欲づけをは かろうとすることには限界があると指摘している。
Teachers are realizing that purpose-built ESP courses lacking some general compo- nents can be boring and demotivating to the very students they were especially designed for. It could well be that teachers, course book writers, and programme designers have been guilty of focusing too much on the desired end-product, without giving enough thought to theprocess of achieving it.(136137)
そしてValentineとRepath-Martos (1997) もまた, EAPを通して英語を大学生の特定なニー ズに関連させることは理想としては良いと評価し ているが, そのような専門分野に合ったニーズが 実際に存在するか, そして存在するのであればそ れを教員は実際に見つけられるのか, と効果的な EAPを実行する難しさを指摘する。
First, the approach assumes that learners in a given academic setting will have similar linguistic needs. It also assumes that cur- riculum designers are able to identify those needs as well as create appropriate lessons from content materials to meet them.(236)
したがって, HutchinsonとWaters (1987) は学習者の “target needs” (専門分野の視点か ら考えたニーズ) と “learning needs” (英語学 習の視点から考えたニーズ) をバランスよく統合 することが, 英語の関連性を効果的に発展するた めの課題だとしている。 さらに, この観点からJ.
M. O’Malley とA. U. Chamot (1990) はEAP のカリキュラムに 「学習に対する戦略」 を盛り込 む必要性を強調しており, その戦略の中でも特に 注目しているのは, 言語学習と知識を超越する,
“metalinguistic” と “metacognitive” な学習に 対 す る 意 識 で あ る 。 こ の よ う に 学 生 の target needsとlearning needsをバランスよく統合し, さらに学習そのものの意味の自覚を高める英語教 育こそ, 教養教育が目指すべきものだと, 私は考 える。
さきに述べた教養教育の一環としてのEAPを 提供するとなると, やはり専門分野に捉われず, 専門分野の境界を超える, 学問的なレベルで幅広 く知的に考えることを可能にする英語教育が必要 である。 専門的な英語を学習材料として使えるが, これは単に意欲づけであり, 最終目的は幅広い知 的な英語の表現力を学生に身に付けさせることな のである。 学習者は英語で専門知識を覚えるので はなく, 英語で考えて, 専門の境界を超えるアイ ディアを生産する能力を身に付けなくてはならな い。 英語を教えるのではなく, 知的に英語で考え る力を学生に提供することを目指すのである。
したがって英語教育に関して, 「関連性」 (rele-
vance) というキーワードが意味することも変わっ
てくる。 従来の英語教育における 「関連性」 は, その学生の専門分野との関連性を意味することが 多かった。 しかし, 必ずしも英語教育を学生の専 門分野に合わせることのみが望ましい訳ではない。
前セクションで述べたように, 私は教養教育とは
専門分野へ進む基礎というよりも, むしろ複数の 専門分野間の関連や多くの専門分野を縦断するよ うな思考を育てるものと考える。 そのような教養 教育の一環としての英語科目は, 従来のように学 生の専門分野に関連づけた英語教育を提供するこ とでだけは成り立たない。 まず同じクラスの中に さまざまな生活背景・知的興味の学生が履修して いる環境であることがすべての教養科目の前提と なるが, そのような個々の学生の全体像を受け入 れて, それを英語という言語環境に関連付ける。
つまり, 学生の現在の知的レベルに相当する英語 のディスコースの中に身を置かせ, そのディスコー スで自分の専門外のことへ視野を広げ, 専門の違 うクラスメートにも分かる英語でコミュニケーショ ンをとることである。 したがって, 教養科目を基 礎として専門分野へ進むのではなく, 専門分野か らより広いディスコースとの関連性を作り出すの である。 具体的には次のセクションで, 私自身が 授業で行っていることを一例として述べる。
第二に取り上げたい英語教育に関するキーワー ドは, 技能の 「統合性」 である。 英語教育の4技 能 reading, writing, listening, speaking の統合的な能力開発がコミュニカティヴな英語に 必要であることは, 数多くの研究者が指摘してき たことである。 しかし, 日本における従来の英語 教育は, コミュニケーションに繋がる技能の統合 性を一般的には重視していない。 他の論文でも取 り上げたことだが (北村, ソーントン, 2009), 様々な英語教育の教授法をまとめてみると, 大ま かに言って二種のアプローチがある 英語の文 を要素に分解しコードとして理解していくという 分析的 (analytical) アプローチと, 英語を実際 に教室のなかで使用して学習していくという経験 的 (experiential) アプローチ, である。 Brian J.
McVeigh (2002), Gregory Poole (2003) や
Miguel ManteroとYuko Iwai (2005) は, 日 本の伝統的な英語教育は, 高校・大学の入学試験 に合格することを第一の目的にするため, 英語を 実際に使うことより分析することを重視してきた という。 2008年の文部科学省の新学習指導要領 にも指摘されているように, コミュニケーション を目的とするのであれば, 今後はまず経験的アプ ローチを積極的に導入する必要がある (文部科学 省2008)。
どうすれば経験的アプローチを効果的にコミュ ニカティヴな英語の教授法に繋げるかについては 他の論文ですでに議論している (北村・ソーント ン, 2009)。 そこでも述べたことだが, 4技能の 学習をうまく統合する経験的アプローチに一番適 切な教授法は, コンテント・ベース教授法 (以後, CBI) だと, 様々な研究者が指摘してきた。 なか でも, Stephen KrashenはCBIの第一の利点は, 学習者が対象言語 (この場合は英語) に触れる機 会が量的に増大することであると指摘している (2005)。 Krashenの説によると, 言語習得が一 番効果的に達成されるのは, 学習者が対象言語で のメッセージを受け取って理解する時である。
CBIの授業では, 「input」 (listeningとreading) が特に多く, 学習者はあるメッセージがどのよう に伝えられているかということより, 実際に何が 伝えられているかに集中するから, 効果的なのだ と 主 張 し て い る (1984) 。 Donna M. Brinton, Marguerite Ann Snow, とMarjorie Bingham WescheはKrashenと同じような見解を述べて いる。
[Content-based courses are] based directly on the academic needs of the students and generally follow the sequence determined by a particular subject matter in dealing
with the language problems which students encounter. The focus for the students is on acquiring information via the second lan- guage and, in the process, developing their second language skills.(1989, p.2)
他方, Merrill Swain(1985) は, CBIに特定 しているわけではないが, 言語習得が一番効果的 に達成されるのは学習者が対象言語のメッセージ を受け取って理解しようとする時ではなく, むし ろメッセージを自発的に送り出す時 (output) であり, 学習者は正確に, 適切なメッセージを作 り出すように指導されなくてはいけないと指摘す る。 だが, Snow(1993) はこれもCBIだと効果 的に達成できると述べている “An integrated approach can provide this impetus[to deliver messages precisely, coherently and appropri- ately] since the students must produce lan- guage that is appropriate from the point of view of both language and content”(37).
これらの研究をふまえて言えることは, CBIで は4技能を一つ一つ, ばらばらに学習するのでは なく, それらが相互に作用し, 互いに影響し合う 状況を生み出すことが可能であるということであ る。 たとえば, ディスカッションの最中に聞いて 覚えた単語やフレーズを, 今度は自分でそれに適 切な変形を加えて, 自発的に発言する。 あるいは, 小論文を作成するためにリサーチして得た材料の 中で使われている言い回しを, 自分が書きたい内 容に合わせて変えながら使う。 このような作業の 繰り返しによって, 新たなアイディアを (英語の) 言葉として作成する力を身に付けていくのである。
そして, これもまた, 英語で知的なディスコース に身を置く力に繋がる。 最終目的は, 単に英語を 理解できるようになることだけでなく, 英語でア
イディアを生産する力, つまり英語による想像力, を育てることとなるのである。
最後の英語教育に関するキーワードは, 学習者 の 「自立性」 (learner autonomy) である。 英 語教育におけるlearner autonomyという概念 についても数多くの研究がされてきているので, 本論文においては英語教育との関連では省略す る。 ただ, さきに述べた教養教育の理想という面 から考えると, これこそ既存の分野の境界を越え て 「新しいアイディア」 の創造をうながすという 理想を最も直接的に表すものといえる。 教員が提 供する材料を, 学習者が自由に使い発展させるこ とが望まれる。 learner autonomyを実践するた めのさまざまな学習方法が検討されているが, Watkins, Carnell, Lodge(2007) は, 彼らがcol- laborative learningと呼ぶ学習方法がlearner
autonomyを効果的に促進することを主張して
いる。 collaborative learningとは, 複数の学習 者が共に, 一人では創造できない何か新しいこと を創造するという目的に向かって協働することを 意味する。 彼らは, このような協働によって生ま れたものは, 他の, たとえば個人的な, あるいは 競争的な学習によって得られたものとは非常に異 質の創造物であることを強調している。 さらに, Barkley, Cross, Major(2005) は, collaborative
learningの利点として, 学習者がグループの成
果に貢献するために自発的に責任をもって行動す ることを指摘している。 これは, 教師に頼ること なく学習者が自立的に活動するというlearner
autonomyの実践になっている。 具体的には,
教師が提供した材料を出発点として, グループ・
ワークのディスカッションで学習者が互いのアイ ディアを出し合い, まとまったプレゼンテーショ ンを製作するというような, 協働作業が考えられ る。
3. 授業例:
Global News and Issuesこのセクションでは, これまで述べてきた教養 教育の理想にもとづく英語教育を, 私が担当した 科目の授業でどのように実施したかを述べる。
北村, ソーントン著 「意味内容にもとづく言語 習得の可能性:コミュニカティヴな英語教育のた めに」 (2009) で紹介したように, 明治学院大学 共通科目のEFLプログラムは年次ごとの段階的 な発展をめざしている。 1年次には必修で 「英語 コミュニケーション1・2」 が, 英文学科と国際 学部を除いて, 全学部の学生に提供される。 ここ では, 基礎的な文法と発音の復習をしながら, オー ラシーを中心として, 特にspeakingとlisten- ingの上達をめざす。 2年次以降は 「英語研究」
と総称される選択科目群で, 「テーマ・ベース」
や 「コンテント・ベース」 言語教授法を使用する, さまざまな科目が提供される。 この段階では, 各 科目のシラバスは統一されていないが, ディスカッ ションやディベートといったアカデミック・スキ ルの向上をめざす科目が多い。 そして, EFLプ ログラムの段階的発展の頂点には, 「Ⅰ 群科目」
がある。 これは明治学院大学で学ぶ留学生を主た る対象とする, 日本の文化・社会・時事問題につ いて英語で研究する科目である。 私が本論文で取 り上げる科目は, 二段目の 「英語研究」 の中の1科 目であり, 科目名は 「Global News and Issues」 とした。
この科目は2010年度, 春・秋学期に開講し, 春学期には25名, 秋学期には24名の履修者があっ た。 そのうち, 20名は春・秋, 両学期を履修し た。 科目名からも分かるように, この科目では現 代ニュースを取り上げ, それを材料として, 英語 力の発展をめざした。 授業の運営は, 全て英語で
行った。 学生は私のミニ・レクチャーを聞き, 関 連する新聞記事を読み, そのサマリーを作成した 上で, それをもとにしてグループで話し合い, グ ループ・プレゼンテーションを行った。 最後に私 が用意した質問をもとにして, 英語でディスカッ ションを行った。 このサイクルに4週間かけた。
以下に, その詳細を記す。
第一週:
・レクチャーではパワーポイントを使い, その ニュース・トピックを一般的知識として紹介 した。 さらに, 重要単語リストを学生のため に事前に準備しておいた。 学生には, ミニ・
レクチャーの短い英語文のサマリーを作成さ せた。
・グループ・ワークでは, 出来るだけ4人1組 のグループに分けて (数が合わない場合は5 人のグループより3人のグループの方が効果 的だった), 当該のトピックに関係する英字 新聞からの異なった記事を, 各グループに1 つ与えた。 トピックとの関係の度合いはさま ざまで, 一例をあげると, 秋学期の最初には 以下の4編の記事を使った。
9月8日に尖閣諸島海域で中国漁船の船 員が沖縄の海上保安船に逮捕された。
それに対する中国の反応:レアアースの 輸出制限とフジタの社員の逮捕。
沖縄名護市の市長選挙で, 普天間基地移 設問題が焦点となる。
オバマ政権の中国への対応と日本との関 係の確認。
グループでは, 与えられた記事をまず読み, グループメンバーと記事の内容を確認して, 宿題としてそのサマリーを各自で作成した。
第二週:
・グループ・プレゼンテーションの準備を行っ
た。 プレゼンテーションの役割分担は基本的 に学生に任せたが, ガイドラインとして, 1) 与えられた記事のサマリー, 2)そのトピック の (政治的・社会的) 背景 (background in- formation), 3)ニューストピックのその後 の状況 (current situation), そして4)私た ちの生活との関連と社会への影響 (implica- tions), の4項目を必ず入れるように指導した。
第三週と第四週:
・15〜20分のプレゼンテーションを各グルー プに課し, クラスメートからの質問に答える 時間を設けた。 (他のグループのプレゼンテー ションを聞くときには, 受身の形で聞いてい るだけにならないように, そのサマリーを作 成すること, および最低2回は質問をするこ と, をルールとした。)
・全てのプレゼンテーションが済んだら, 各グ ループのトピックがお互いにどのように関係 しているかを考えながら, 私が準備した質問 をもとにして, クラス全体で英語でのディス カッションを行った。 自分から積極的に話す 学生もいれば, クラス全体の前では英語を使っ て参加するのが苦手だと言う学生もいたので, 私が指名する必要もあった。 ディスカッショ ンでは, 英語の間違いは重視せず, 参加する ことが重要であって, それが成績に影響する ということを強調した。
結 論
秋学期では, 最初にサマリーの書き方に1週を, プレゼンテーションの訓練に1週をかけ, その後 上記のような4週間のサイクルを3つ行った。 し たがって, この文を書いている段階では, 上記の サイクルがまだすべて修了してはいないので, 決
定的な結果を報告することはできない。 とはいえ, 第二セクションで述べた3つのキーワードにもと づく目的は達成されていると信じる。 すなわち,
「関連性」 の面では, 専門分野の境界を越えた時 事問題を扱い, 他分野のクラスメートと意見交換 しつつ一つのプレゼンテーションを作成した。 4 技能の 「統合性」 の面では, レクチャーと新聞記
事はinputに焦点をあてた学習であり, サマリー
作成とプレゼンテーションはoutputに焦点をあて た学習である。 さらにディスカッションはinput
技能とoutput技能を統合させたものとなった。
最後の 「自立性」 の面では, レクチャーと新聞記 事で得た英語の情報を基にして, クラスメートと の協働によるプレゼンテーションと自発的な参加 が必要となるディスカッションで, 学生は英語の ディスコースに身を置いて 「新しいアイディア」
の創造を達成したと思う。
この論文の直接的な内容は英語教育に関するも のであるが, 最終的には, 英語教育が教養教育の 理想にどのように貢献できるかを述べたつもりで ある。 すなわち, 英語教育が, 細分化された専門 分野の間をつなぎ, あるいはさまざまな専門分野 を縦断していくような思考のツールとして機能す ることを実例をもって証明しようとしたものであ る。 最後にさきに引用したPaul Hirstの, 「最も 重要な問題は専門分野の間にある」 という言葉を かみしめたい。
注 記
本論文は, 2010年度教養教育センター付属研究所 研究プロジェクト 「コンテントベース学習実践として の 英語研究 科目の現況と展望」 の成果の一環であ る。 記して感謝する。
引用文献
Watkins, C., E. Carnell, and C. Lodge(2007). Effec- tive Learning in Classrooms. London: Paul Chapman Publishing.
Brinton, Donna M., Marguerite Ann Snow and Marjorie Bingham Wesche (1989). Content- based second language instruction. Boston:
Heinle & Heinle.
Chomsky, Noam(1996). “Class Warfare: Interviews with David Barsamian.” Monroe, ME: Common Courage Press.
Hirst, Paul(1995). “Education and the Production of Ideas.” The AA Files,29. London: The Archi- tectural Association.
Hirst, Paul and Jonathan Zeitlin(1991). “Flexible Specialisation versus Post-Fordism: Theory, Evidence and Policy Implications.” Economy and Society,Vol.20, No.1, pp.156.
Hutchinson, T. and A. Waters(1987). English for Specific Purposes: A Learning-Centered Ap- proach. Cambridge: Cambridge University Press.
Kennedy, C. and R. Bolitho(1984). English for Spe- cific Purposes.London: Macmillan.
北村文, ピーター・ソーントン (2009) 「意味内容に もとづく言語習得の可能性:コミュニカティヴな 英語教育のために」 カルチュール 第3巻第1 号:187198.
Krashen, Stephen (1984). “Immersion: Why It Works and What It Has Taught Us.” Language and Society: The Immersion Phenomenon. Ot- tawa: Office of the Commissioner of Official Languages, pp.614.
Krashen, Stephen (2005). “Second Language
‘Standards for Success’: Out of Touch With Language Acquisition Research.”International Journal of Foreign Language Teaching1(2):12 16.
Mantero, Miguel and Yuko Iwai(2005). “Reframing English Language Education in Japan.”[Elec- tronic Version]. Asian EFL Journal7(2). Re- trieved November16, 2008from http://www.
asian-efl-journal.com/june_05_mm&y.php McVeigh, Brian J.(2002). Japanese Higher Educa-
tion as Myth.Armonk, New York: M. E. Sharpe.
村上陽一郎 (1999). 「私のリベラル・アーツ・カレッ ジ論 教養学部での学び」 松岡信之 (編) 行動 するリベラルアーツの素顔 ICUのリベラル
アーツ教育 国際基督教大学
O’Malley, J. M. and A. U. Chamot(1990). Learning Strategies in Seconde Language Acquisition.
Cambridge: Cambridge University Press.
Poole, Gregory(2003). “Assessing Japan’ s Institu- tional Requirements” [Electronic Version].
Asian EFL Journal5(1). Retrieved November 16, 2008 from http://www.asian-efl-journal.
com/march03.sub5a.php
Smith, Adam(2007,1776). An Inquiry into the Na- ture and Causes of the Wealth of Nations.
[Electronic Version]. Metalibri Digital Li- brary. Retrieved December15,2010from http:
//metalibri. wikidot.com/title: an-inquiry-into- the-nature-and-causes-of-the-wealth-of Snow, Marguerite Ann(1993). “Discipline-Based
Foreign Language Teaching: Implications from ESL/EFL” inLanguage and Content: Dis- cipline- and Content-Based Approaches to Lan- guage Study, Merle Krueger and Frank Ryan
(eds.). Lexington, MA: D. C. Heath and Com- pany.
Swain, Merrill (1985). “Communicative Compe- tence: Some Roles of Comprehensible Input and Comprehensible Output in its Develop- ment” inInput in Second Language Acquisition, S. Gass and C. Madden(eds.). Rowley, MA:
Newbury House, pp.235253.
富山真知子 (編) (2006). ICUの英語教育 リベラ ル・アーツの理念のもとに 東京:研究社 Valentine, James F. and Lyn Margaret Repath-
Martos(1997). “How Relevant is Relevance”
in The Content-Based Classroom: Perspectives on Integrating Language and Content,Margue- rite Ann Snow and Donna M. Brinton(eds.).
White Plains, NY: Longman.
Barkley, E. F., K. P. Cross, and C. H. Major(2005).
Collaborative Learning Techniques. San Fran- cisco, CA: Jossey-Bass.