奈良教育大学学術リポジトリNEAR
技術革新と総合技術教育 東独社会主義教育の諸問 題(1)
著者 石井 正司
雑誌名 奈良教育大学教育研究所紀要
巻 4
ページ 17‑28
発行年 1968‑03‑25
URL http://hdl.handle.net/10105/6143
技術革新と総合技術教育 東独社会主義教育の諸問題
(1)
石 井 正 司 (教育学教室)
Iは じ め に
総合技術教育(Po1ytechnis che Bi1d−ung und Erz i ehung)はマルクス主義教育 理論の論理的帰結である。
それは「普通教育諸学校の教育課程に技術学の理論的および実際的教授をとりいれること、生徒をそ の生活年令を顧慮して組織的に生産活動に参加させること、さらに生産の諸要求に対応.して自然科学教 育を改善し拡充すること・ならびに総合技術的原理を一般教育諸教科に採用すること テ 応概括され
よう。この総合技術教育は社会主義諸国の教育理論と実践の不可欠の構造要素となり、そのことによっ て資本主義諸国の教育とはっきり区別する徴象となっているといえよう。だが総合技術教育の完全な具 体化となるとしかく簡単ではない。カルラスは(1961年)ソ連においても、これまで「少なからぬ誤 謬と偏向」があったし、継続的な教授と生産労働の結合のためには物質的な前提が必要だが、それは「
② ・
これまで不可能であったし、また近い将来においても望みえないだろう。」だから「マルクスによって 要求されたあらゆる構成要素を具備した総合技術教育は労働階級が政権を獲得したのちでもかなり長期 間もその完全な形態で実現されないだろう・甘れは「 定の可能な範囲においてだけ行なわれるにす
ぎない一ポわめて慎重に将来を予測してい糺東独では1958年に総合技術教育を導入しれこの 時期はまさに世界的規模での技術革新の時代でもあった。したがって東独の総合技術教育は未曽有の技 術革新の挑戦をうけっっ実施されることになったのである。このことによって総合技術教育はカルラヌ の慎重な予測を上まわるほどの試練にさらされることになった。H・フランキービッツ(東独国立中央 教育研究所長代理、総合技術教育、職業教育部長)は「もし総合技術教育について1975年までを見通
して適切な発言をしようとするならば、まず綜合技術教育の対象となる諸科学の分析からはじめなけれ ばならない。ところが今日この仕事はきわめて困難である。というのは総合技術教育の対象自体がいま だ一度もはっきり定義されたこともないし、職業教育や数学、自然科学教育と厳密に区別されたことも ないからである。またどんな科学が、総合技術教育の対象になりうるのかまったくあきらかにされても
いないからで狐 テいっている市の言葉は技術革新時代の総合技術教育カ…もはやその古典(マル クス、レーニン、クルプスカヤなど)の機械的引用や訓話ではいかんともいたしがたい段階にきている ことを示している。技術革新の現実と展望のなかでその古典的原則をいかに創造的に発展させるべきか 試されているのである。
今日資本主義諸国の教育は技術革新の挑戦に対し現代化、構造化をもってこたえようとしている。こ れに対し社会主義教育の核心的部分をなす総合技術教育はどのように対応しようとするのであろうか。
東独における総合技術教育の進展状況をとおしてこの問題を考察したい。いうまでもなく技術革新は工 業社会を背景としている。かなりの誤解をおそれずにいえば、東独は1963年7月リーベルマン利潤報 奨方式の導入前後から資本主義社会とある点で}ま類似した大衆社会状況を呈示しつつある テれらの背
景を念頭において考察をすすめてゆきたい。
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皿問題的状況の形成
東独では第1次5年計画(1951年より、社会主義建設への移行段階)、第2次5年計画(1956年 より、社会主義の基礎実現段階)、7年計画(1959−65年、社会主義の勝利の段階)の進行に符節 を合せるように総合技術教育への関心がたかまり・1958年9月から本格的に実施された。 Wの前後の
事情を記せぱっぎの通りである。
1958年6月 第5回社会主義統一党大会において総合技術教育の導入を決議。
7月 1958−59年度の授業計画を発表、「総合技術教授の体系としてつぎの要素をと
、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、
りいれる。」
、 、 、 、
第1−4学年 工作授業
第5−6学年 生産と関連した工作授業
第7−12学年 「社会主義生産授業日」(肋terrichts㎏血der soziaユistiso−
hen hod山tion)と第9学年か庁14日間の実習C片aktik㎜)
第8−9学年 製図
第9−12学年 工業、農業における「社会主義生産入門」(Einf血mエユg in die soziaユistis曲e Prodljktion)(註 11学年と12学年は長期高 校の場合)
9月 第7学年以上の生徒(約45万人)は週1回(.普通4時間、5時間をこえない)工 場、農場にゆき、生産労働に従事して学習する社会主義生産授業日を開始する。こ れは義務制である。
1959年12月 「ドイツ民主典和学校制度社会主義化法」を公布。義務教育としての「10年制・
一般教育・総合技術教育高等学校」(騎e z雌1assユge aユエ9eme加b1ユdende po1ytec㎞isdユe 01〕ersob虹e〕を1964年までに漸次設置していくことを規定す る。
⑨
このように総合技術教育という教育原理と教授科目の導入拡充は単に教育内容を拡大させただけでは なく、義務教育制度も1946年以来の8年制の「ドイツ民主学校」を10年制の「一般教育・総合技術 教育高等学校」へと発展させたのである。また高等学校の修飾詞「一般教育・総合技術教育」は両者の 並列関係を意味するものではなく、一般教育が総合技術教育をつつみ、不可分の関係にあることを意味 しているから、当然教育内容の質的変化までもたらしているのである。したがって総合技術教育を論ず るには同時に一般教育、さらに学校制度にまで論及せざるをえなくなるであろう。
ともあれこのような短期間内の総合技術教育の導入、とりわけ社会主義生産授業日の導入は影響範囲 が広大であり、従来の学校教育観を根底からくっがえすものであったから混乱や批判がおこったのは当 然である。たとえば生産授業日には実習だけをやり理論学習はしなくてもよいのか。
その逆に理論学習だけやり実習はやらなくてもよいのか。実習の指導は教師がやるのか労働者がやる のか。どんな組織でやるのか。企業との協力はどうするのか。さらに近辺に工場のない農村では農業実 習ぱかりやっておればよいのカ㌔などの雑多な実施上の条件や原則をめぐる混乱カ帆っている宙た 保守的な父兄や教師は教科授業が減少し、学力が低下する。学校教育の独白性がうしなわれる。生産、
技術それ自体は陶冶対象にはなりえない、生産との結合は教育過程のリズムにあわない、などの批判を している F対的立場 こある西独から早ま社会主義建設にともなう・児童搾取である・安い労働力の獲得
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である・教育におけるヒューマニズム理念の排除である・などの悪意にみちた批判をほらまいてい笛 たしかにこれらの混乱は必然的であり、批判も見当ちがいではないであろう。だがそれらは過渡的、抹 消的、外面的現象にすぎない。(もっともそうぱかりはいっておられない面もあるが)したがってそれ
らは党と国民戦線の指導する地区組織、大衆組織の協力によって徐々に克服されていったといえよう。
この時期の総合技術教育の本質的問題は、むしろその理論的指導者の側から提起されているといえよ う。H・クラインは1961年第6回教育会議においてつぎのような問題提起をしている。(1)技術と経 済の基礎教授について、マルクヌのいった「すべての生産部門の諸基礎」にあたる内容がいまだ十分に 解明されていない。{2〕総合技術的能力の発達があきらかにされていない。(3〕オートメ化の進行過程 における習熟の必要性と位置づけ、(4〕労働を欲求するような労働教育のあり方、(5)責任意識への教 育、(61技術的な関心、性向、才能の発達の促進、(要約)などの問題が十分に解明されていないとの
ぺている。
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このような本質的問題を識者、大衆が広く討議、研究し、一層流錬された理論的、実践的体系をうみ だしていくのが総合技術教育の発展の正道であろう。しかし事実はそうはすすまなかったようにみえる。
急速な具体的、実践的展開は、原理的にはH・クラインのあげているような本質的問題にねざしている のだが、現象的にはもっと素朴な、それでいてきわめて重大な問題を提起してきたのである。すなわち 総合技術教育はなによりも「生産の一般的基礎」(Aユ1geme ine Grud1a g舳d・eエProdu−
kt iOn)を教育すべきだという見地と、それとは反対に、もっと「具体的な、職業と関連をもった、
特殊化された生産労働」(der konkreten, ber口f日bezogenen,spez ia1isie−
r ten produkiven Arbe i t)を重視すべきだという見地がはらきり対立し、学校でも企業で も、専門雑誌も一般ジャーナリズムもさかんに議論をはじめるように女ってきたのでおる。 1962年 @
10月第2回国際総合技術教育セミナー(ハレー市)の開催を山場にこの年の前半からめだってく昼 前者、r生産の一般的基礎」rr般的、基本的、基礎的能力」(Aユ1geエロe ine und e1em−
enta re Grundfe r t igke i t)重視の見地は必然的に数学、自然科学などの座学的なr般教育
(および一般的な技術学)強化の主張につながっていく。いうまでもなく技術草新時代の生産技術はま すます数学、自然科学に依存し、科学それ自体が生産力であると認識されるほどになってきている。労 働者は十分な数学、自然科学的矢口論とそれに基礎づけられ高度の技術学の教養を要求されているからで ある。これに対し後者は、学校と企業はより緊密にすぺきこと、上級学年では純粋た生産労働
(eChte r pr od−ukt iO nsa rbe i t)をなすべきこと、ある時期からは長期にわたる一定の具体
的た特殊な職場(Arbe i tsp1a tz)で労働すること、全生徒共通の一般的な認識促進的な労働でも
地域の生産要求に対応し、また一定学年からは実際の生産労働の組織に対応すべきこと、(少くとも8
学年からは)特殊な労働に対して特殊な生産訓練をはじめること、など「具体的な、職業1と関連をもっ
た生産労働」を強化すべきことを主張する。この主張の背景には技術革新時代はますます特殊だ、専門
的な労働者を要求している。その養成は現在まだ十分にあきらかにされてもいない、また実際にそのよ
うなものがあるどうかさえわからない「生産の一般的基礎」などにあまりかかわりあわず、早期に特殊
な・専門的な・職業的な労働教育をなすべきであるという認識がある コルプスカヤ岳ま・労働過程の意
味づけ、理論と実践を結合させる能力の発達、一定の諸現象の相互依存性を理解する能力、よりも労働
技能の習得に重点をおくところに職業学校(教育)の特質があるといっているが首の点カゴらみるなら
ぱ後者の見地は職業教育的に偏向しているといえよう。(便宜上、語弊と誤解をおそれず、以後便宜上
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前者を一般教育重視派、後者を職業教育的偏向派とよんでいく)
さてこの両派の対立はどのように解決されていくのであろうか。前述のカルラスの言葉は総合技術教 育の具体的な形態はその時代の歴史的条件によって大きく制約されること、さらにそれは総合技術教育 理論の内在的論理よりもむしろ外的要因によって影響をうけやすいことを暗示している。すなわちここ では両派の対立は技術革新をともなう当面の社会主義の建設にはどちらを選択した方がより能率的かと いう打算、政策の見地から解決されていくであろうということである。
㎜ 職業教育的偏向
両派の対立はまず職業教育的偏向の方向に解決されていった。 しかしそれは1962〜65年のほん ⑰
の短い期間にすぎなかったようにみえる。文部大臣アルフレット・レムニッツは1962年の第2回国際 総合技術教育セミナーの成果を「高度の一般教育と職業への準備」という標題からっぎの7点に集約L二 た。(1〕社会主義学校発展のっぎの歩みは第9,10学年における職業準備的基礎訓練(Berufs
vorbere i tende G・rundausbi ldunδへの移行である。(2)とくに数学、自然科学の高い水 準を目ざす。(3〕工作、学校園作業では高い科学的水準を達成する。(4〕第7,8学年では基礎的一般 的な技術の知識を組織的に教授する。(5〕職業指導と職業相談を整備する。(6〕職業の構造を科学的に 解明する。(7〕技術者、科学考労働集団は総合技術教育を支援する。 一応は一般教育に注目してはい ⑯
るが、ここに職業教育的偏向がはじまったことを見落すことはできないであろう。ついで1963年7月 3日、「総合技術教授の組織化、職業的基礎訓練(be rufユiche G・runda us bi ldung)の導 入、特殊学校、学級の発展の原則について閣僚。社会主義統一党中央委員会政治局の共同決議」(以下 略して「決議」) 「10年制一般教育総合技術教育高等学校の1−10学年の総合技術教授の改善と組 織化についての指示」「一般教育総合技術教育高等学校の1−10学年の総合技術教育の改善された教 育課程」(以下略して「指示」r教育課程」)が公布され、この傾向をはっきりうちだしてくる。これ
らについてフランキービッツが「教授と生産労働の緊密な結合のために 」に為いて詳細に解説してい ⑲
る。しかしここでは同じ社会主義国ポーランドの教育学者スザニアスキー(工,SZaniawSki 著 書「モデルと方法」により教育現代化、構造化の提案者として東独でも高い評価をうけている。 )が、
⑳
とりわけ「決議」について要領よく性格づけ、かっ痛烈な批判を下しているので、彼の観察を引用して おく。
彼はこの「決議」をっぎのようにみている。
(1〕第7学年から学校の所在する地域の経済の実情によって工業基礎課程カ)農業基礎課程かのいづれ かをとらねばならない。1962年までは両者は共通に履習されていたのとはらがう。 (2〕 これに 関連して、すでに採用されている「社会主義生産入門」は廃止する。 13〕工業、農業の基礎課程、
それと結合した生産実習は地域の労働市場の需要、労働力の直接的要求、労働者の職業訓練に関係 づけておこなう。 {4)理論教科も生産実習も1963年9月1日から化学、冶金、電気、機械、エ ネルギー経済、交通、農業、建設に集中する。 同 第9,10学年は従来どことなり、生産授業 日を週2日・平均労働時間は1日7時間とし・義務制とする。したがって1週14時間、一般教科 学習日は週4日間である。 (6〕第9,10学年は工業、農業の企業での生産実績に対し月々報酬 をうける。 (7j職業指導は第6学年カ)ら、職業的訓練、職業的労働は第8学年から始められる。
〔8〕職業訓練組織と生産労働は各工場の生産組織、各地域の労働力に対する各工業分野の直接的需
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要にしたがってなされる。 (9)工業と農業の基礎課程は生産労働というより、むしろ職業的濫 格をもつ。しかもそれは学校が工業または農業、さらに具体的には工場または農場に関係してい ることによってきめられる。(10)特殊学校、学級がつくられる。これは特殊な興味を示す有能 な生徒の学校、学級である。しかもこの学校、学級の理論的教科(技術学、政治経済学・数学・.
物理学など)、他の一般教科の授業の性格も職業的に方向づけられている。
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彼は「決議」のこのような内容に対しつぎのような痛烈な批判を下している。
(1〕東独では1963年までこのような「決議」を基礎づける独自の経験をもってはいない。1958−
62年までの経験にはこのような「決議」を出せる論拠はない。 (2)東独ではこれまでドイツの 伝統をうけつぎ一般教育学校に職業教育が接続していたのである。1958−62年 の改革もそうだ ったのである。 (31全世界において最近15年の科学技術革命は数学、物理、化学、生物、外国 語、形式論理学というような教科をますます重視し、一般教育学校では(職業学校でさえ)これら の教科に多くの時間をさくのを必然化している。ところがこの「決議」の根本的要求や基本方針は 一般教育の比重、役割の増大の傾向に逆行している。 (4)明敏な観察者はどこでも生産授業日が うまくいっていないことを知っている。……「よい準備教育をうけていない教師によるこんな授業 は貴重な時間のムダになるだけだ。」 (5) 「決議」の本質は1958−62年の改革の基本的成異 から完全に逸脱している。……それところがこの「決議」はすでに克服された見解、経済政策の欠 焔を修正するため、若年労働力の不足を充足するため、労働生産控を向上させるために一般教育学 校を利用するという見解と多くの共通性をもっている。
⑳
この「決議」の職業教育的偏向を典型的に示しているのはなんといっても特殊学校、学級(Di e Spez ia l s ohule,Kla s se)で赤ろう。ここでは総合技術教育の枠をこえて、痢度自体が偏向 しているようにみえる。数年まえからヌポーツ、外国語、芸術の特殊学校はあったのであるが、この「
決議」によって技術系の特殊学校が設置されることになった。この特殊学校は数学、物理、化学、生物 の技術系統にわかれ、r国民経済の先進的分野の要求に応じ」「新しい技術による近代的職業群に対し て巾の広い職業的基礎訓練」をあたえ、特殊な技術者をっくりだすものである。第6学年の終りに特殊 な興味、才能を示す生徒を選抜し入学させることになっている。ドレスデン市の電波工学特殊学校(
Spez ia ls chule㎡r d−ie Fu1ユkmechanik)の例をとれば、市内60校の第6学年の最優 秀生に入試に応ずるよう勧告し、生徒、父兄が同意した場合、学校と電波工学人民所有企業が合同でド イツ語、数学、物理、ロシヤ語の試験をやり入学者を選抜した。当然優秀な生徒が 入学したことにな る。 1963−64年度は物理と生物の技術系統にかぎり全国に8校11学級を設置し、正規の機械工、
⑳ 物理技術者、オートメ体系の技術者、オートメ体系の製作技術者、電子工学技術者、国土計画技術者の 養成をめざした。これらの学校にはカール・マルクス機械製造大学、ハレー・メルセプルグ化学大学、
グユストロウ・クユルウゴフ農業アカデミー植物研究所のスタッフが参加し、普通の学校の同一年令の 生徒よりも数学、物理、化学、生物について週3時間づつ多く教授し、14日間の数学一目然科掌の実
習を課している。 当然普通の学校よりも深い専門技術教育、職業教育をうけることになる。フランク ⑳
ブルト・アム・オーデル市の例をとってみよう。この市には10校のr般教育総合技術教育高等学校が あるが、そのうち1校は第3学年からロシヤ語を強化した特殊学校であり、もう1校は青少年スポーツ 学校(Kind−e r−und;Tugend−spor ts s chu1e)という特殊学校である。今度はさらに1校、
アウグスト・ぺ一ペル高等学校を半導体技術特稼学校(Spe z ia ls chu1e fur d ie Ha lb1一
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e i ter七e Chnik)に改造しようとしている。同市地区視学官ラープスはこんな調子で特殊学校を っくっていったら、「当然あらゆる企業が(特殊学校の供給する)よく訓練された若年労働力に興味を
もち、特殊な個々の企業に適合した訓練をしたいと要求するだろう。そうなればまたたくまに一般的総 合技術的知識を教える一般教育総合技術教育高等学校はなくなってしまう。よしのこるにせよ、そんな 学校は職業を決定することもできない。また才能も特性もない凡庸な生徒の学ぶところとなるほかはな い」 と嘆いているほどである。
⑳
この「決議」が一般教育・総合技術教育高等学校の総合技術教育や特殊学校に顕著な職業教育的偏向 をもたらしたことはあきらかになったであろう。
wl.職業教育的偏向の背景
一般教育重視か職業教育的偏向かの対立は結局1963年7月3日の「決議」によって後者の優勢によ って解決していったといえよう。ところでなぜこの方向に解決されていったのか。これは1963年1月 の第6回社会主義統一党大会と同年7月からのリーベルマン利潤報奨方式の導入を前提としなければ理 解できない。党中央委教育部長L・オッペルマンはr第6回党大会の課題は総合技術教育にっいてすぺ ての教育者の頭の切かえを要求している」 といっている。社会主義は生産力の高さにおいても資本主 ⑳
義国に対して優位を誇示できなければならない。ところがこの点で東独は資本主義国のたかでも当面の 敵である西独に対して決定的に劣っているし、さらに危機に直面しつつあった。労働者の労働生産性は西 独に比較し約25%も低い。 さらに悪いことには労働力は不足する一方である。大戦の影響と「ペル ⑳
リンの壁」以前の西独への人口流出によって1961−70年の間に就労年令人口は5%、実数でいえば 50万人も減少してしまう。1950年には就労年令人口100人に対し非就労年令人口は579人(その うち21.8人ま年金生活者)であったが、1973年には83.8人(そのうち3ア6人ま年金生活者)にもなっ てしまう。 とすれば技術革新を急速に進行させ国民1人あたりの労働生産性を最大限に高めることは ⑳
緊急不可欠の課題となってくる。1963年1月の党大会によって7月からリーベルマン利潤報奨方式(
東独では「社会主義の経済法則」、その体制を「新経済体制」とよんでいる)の導入を決定したのは当 然の措置であった。
しかしこの措置は一面では「両刃の刀」である。技術革新の進行は不可避的に資本主義諸国と類似し た大衆社会状況、社会風潮を発生させずにはおかない。ましてや利潤報奨方式の導入においておやであ
る。いかに社会主義的倫理、イデオロギーがたたきこまれていても若年労働力は花形産業、流行職業に とびつき、社会主義経済の計画的遂行にブレーキをかけることになる。そこでどうしても早期に職業指 導、職業相談、職業的基礎訓練を開始し計画経済の路線にのせていかなければならない。それは同時に 労働生産性の高い高度の専門労働者養成の要求にも合致している。ここに「決議」による職業教育的偏 向のでてくる有力な理由がある。その若干の事例をみておこ㌔
農業についていえば事態は資本主義国とまったく同じである。農業の集団化、大企業化、工業化は進 んでいるとはいえ、工業との格差の拡大、依然たる労働条件のおくれは若年労働力の魅力をなくしてい
く。農民1人あたりの生産高はオートメ化工業のア0万DMに対し、わずかの8千ないし1万DMにす ぎない。19.57年以来25才以下の若年労働力は、1957年一1Z6%、1958年一15,9%、1959年 一1318%と着実に減少している。 農家の息子が農業に魅力を感じていないのである。「たとえば農村 ⑳
地帯で農業の生産授業日をやったので、農業生産のために101人の若年労働力を要請したにもかかわら
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ず、たったの40人しか獲得できなかった。この地域では農業の若年労働力の70%は都市部からきて おり、114人の農業協同組合所属農民(G・enoss ens cha ftsba uer)の子供のうち、わずか
19人が農業生産に入っただけである。」
⑳
女子労働についていえばW・力一ト(マグデブルク教育研究所研究部長)はこう指摘している。
戦前(1925年頃)ドイツの女性は職業について、(1j少数の流行職業に希望が集中していた。
(2〕結婚までの腰掛であった。{31受身で、創造的作業には希望は少なかった。この事実と1961−64 年のマグデブルク市での調査と比較してみると、〔1)についていえば、「たとえ教職、保健活動などの増 加によって流行職業(Modeberuf)は拡大されているが、まったく同じ傾向である。」 (2)につい ていえば、 「生涯職業活動をしようという思想が一般的だとか、あたりまえになっているとか、とても いうことはできたい。」 (3〕についていえば、建前はともかく、「我々は技術の領域、技術研究で活動
している女性が近年本質的に増加していないという事実をかくすことはできない。」 E・ホルマン(
⑳
人民功労章教師、プウナ人民所有化学工場職業教育部長、カリーニン企業内職業学校長)は「化学工場 の部門についていえば、今日ほほこういわれなけれぱならない。我々のところへくる女子といえぱまっ たくのところ第2、第3希望でくるのだ。彼女らは職業についてまったく異った観念をもってやってく る。労働、職業訓練の係官から御希望の職場はもうありません一といわれて、いやいやた杵らここにや ってくるのだ。だから教育的、心健的にこまった状況にいる。したがって毎年、とくに職業訓練の第1 年目にはこの職業を好きになるように全力をつくしている。」 といっている。D・ホルクマン(リュ ⑫
一ペナウ第2高校教師)は「私の学校の例でいえば………今日でも生徒間に「いわゆる流行職業」(
Die s o genannten MOdeberufe)がある。たとえば第9学年の少女は85%までが理化学 実験助手(工 aborant1n)や保母になりたがっている。ほかの職業は見むきもされていない。」
⑳ といっている。
男子についていえば上記のW・カートはつぎのような数字をあげている。1961−62年度におけるマ グデブルク市のカール・リープクネヒト重工業人氏所有工場の新卒求人を市内2高校の第10学年卒業 者からの求職者の
業 種 求人数 一求職数 業 種 求人数 求職数 鋳型工 8 0 板金工 6 0
中子型一工 3 0 木型工 5 6
鍛冶工 4 0 製図工 18 7 機械工 6 11 検査工
10 旋盤工 20 2 製品販売 2 3
汽罐工 7 0 タイピヌト㈲ 4 0
間の関係数字であ る。 求人数と求 ⑳
職者数のアンバラ ンス、求職者が特 定業種に集中傾向 のあることはもう 説明の要はあるま
レ、o
技術革新の進行、大衆社会状況の展開、そしてそのなかで上記のような若年労働力の動向があるとすれ ば職業教育的偏向政策がうち出されてくるのはきわめて妥当なことである。だがさきのポーランドの教 育学者スザニアスキーが暗示していることであるが、 かかる政策は教師、教育学者よりも、むしろ経 専
済的即効性をねらった経済官僚(W1r七scha fts funk七ユ。刀arε)の発想のように思われる。
一23一
V職業教育的偏向の是正
たしかに職業教育的偏向は技術革新をともなう当面の社会主義建設には経済的即効性をもっており、
それたりに有効性、妥当性の根拠をもっている。しかし総合技術教育は人間の全面的発達をめざしてい る。クラップは総合技術教育によって「もはや一面的な職業によっては特徴づけられていない人間」の 形成がめざされていることを強調している。 とすればかかる職業教育的偏向は原理的に正しいであろ ⑳
うか。また技術革新を長期的に展望した場合、この偏向は技術革新に真に対応しているであろうか。こ こに再び一般教育重視派の見地がよみがえってくる理由がある。もちろんそれは前者の功績を御破算に する機械的な反動ではない。
1965年2月25日、これまでの「ドイツ民主共和国学校制度社会主義化法」を廃し、あらたに「統 一的社会主義教育組織法」(以下略して「組織法」)を公布した。このなかには「決議」が提示してき た「職業的基礎訓練」(同法第4部第1章第16節)や「特殊学校、学級」(第4部第1章第18節)
を正確に継承している。特殊学校、学級にっいていえばむしろ従来の臨時的なものから固定、強化され てきたようにもみえる。すなわちr特稼学校、学級は技術、数学、自然科学、言語、芸術、ヌポーツ系 統について設置される」とさえ規定している。
しかしこの「組織法」を支える理論的指導者の論調はすっかりかわってきたようにみえる。 「具体的 な、職業に関連をもった生産労働」への主張は影をひそめ、一般教育、理論的側面の重視がめだってく
る。さきのポーランドのヌザニアスキーはそれを「生産的労働の物神性からの決定的な転向」(Eine
entsche id−ende Abkehr von der Fe1二ischisierung der produktiven
Arbeit) とさえいっている。
新文部大臣M・ホネッケル女史は1965年5月、r社会主義の包括的建設期において組織法を具体化 するための教育学の課題」において、「我々は学校での労働教育(Arbe i ts er z iehung)を完全 に総合技術教授のなかで実施するという見地から出発する。我々は組織的な総合技術教授から労働をひ
きはたす社会主義的労働教育という狭い見解に反対する……」 といっている。職業教育的偏向からの ⑳
離脱をはじめているといえよう。H・カイザーは1965年4月、ソフィアにおける第3回国際総合技術 教育セミナーに文部大臣代理として出席し、「技術革新と東独の教育制度」という報告演説をしている。
(カイザーは総合技術教育の導入以前の論争においても一般教育重視派の旗頭であった。) そこで彼 ⑳
は新しい「組織法」は「教育内容が将来の条件と要求に方向づけられており、同時に現在の要求をもか えりみる弾力性をもったものである」と紹介している。ついで技術革新が「数学、自然科学、そのうえ に立つ一般的な技術学(経営、測定、調整装置、調整などの工学、オートメ化、化学化、電化、経済、
近代生産の組織などの技術)を一層要求してくる」のにともない、教育内容は十分これに顧慮すべきこ とを強調し、さらに「第9,10学年の総合技術訓練と職業的基礎訓練を発展させるためには、両者の 内容はある程度一致させなければならない。理論的側面(Dir the ore t ische Se i te)を強
言周する我々の考え方も1っのゆき方であろう。経済の大部分の領域において、オートメ化、化学化、電 化、B MS R技術、経済学の基本的知識は決定的な役割をもち、……それらについての知識、能力、習 熟はおおくの職業にとって純粋に職業準備的な性格をもってきているからである。」 といっている。
⑧
文相代理カイザー教授ははっきりと一般教育重視派の見地をうち出しているといえよう。そして「組織 法」における総合技術教授が理論的側面を重視してきていることを指摘する。「組織法」の総合技術教
授についてみてみると、たしかに彼の指摘は妥当しているようであ一る。
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下級段階(1一冬学年)、「下級段階の工作、学校園教授は基本的な技術、技術学的、経済学的知識 を教え、同時に簡単な技術一構成的な能力と作業能力を発達させる。郷土の経済について展望をひらい てやる。」中級段階(4−6学年)、「工作、学校園教授は簡単な技術、農業生物学的、経済学的知識 を教へ、経済学的思考能力を形成する。技術、技術学的な面では一層数学的一自然科学的におこなう。
基本的な作業能力を形成していく。」上級段階(7−10学年)、「総合技術教授では社会主義生産の 科学一技術的、技術学的、政治一経済学的基礎に組織的にしたしませる。実際的活動は近代的な機械、
設備、装置に方向づける。総合技術訓練は社会主義的企業内でおこなわれる。第9,10学年では職業 準備的総合技術教授あるいは職藁的基礎訓練がおこなわれる。生徒と労働者集団に密接な接触、生産課 題の自主的、責任をもっての実施によって労働に対する社会主義的な態度を発展させる。」
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さて総合技術教育は職業教育的偏向から一般教育重視へとラセン形の上昇によって技術革新に本格的 に対』志しだしたようにみえる。だがそれは両者の単なるバランスの恢復というような安易なものでよい のであろうか。1966年2月カイザーは「総合技術教授の質の高度化のためにすぺてを」においていく っかの重要点を指摘している。そのなかでたとえぱ「第1−6学年の工作授業では理論的側面がなほ不 満足である。生徒を「いかにして」(Wi e)から「なぜ」(Wa rum )に導いていかなければなら ない。」……r青年の創造力、豊かな創造性、賭けをする能力(Fahigkeiten zum Knobe−
1n)、研究する能力、発見する能力を刺戟しなければならない。」 といっている。彼の言葉のなか ⑳
にアメリカでSM S G教科書、P S S O教科書の作製からプルーナーの構造化理論をうんでいった、あ の動向と共通のひびきを感知するのは読みこみすぎであろうか。
V1鍵合技術教育の課題、現代化、構造化、
便宜上さきにちょっと一般教育(Allge皿einbi ldung)についてふれておく。1965年5月
「統一的社会主義教育組織の基本問題について教師、教育学者杢議」が開かれた。その際E・ドレフエ ンスデット(国立中央教育研究所一般教育部長)はr教育内容の現代化」(Modernis ie rung des B i1dungs inha1t)を提起した。そのために各科学をみて、π1〕科学の現状はどこまで 発展しているのか。(2)科学の典型的な事実、概念、理論的な考察方法はなにか。(2)科学を力動的に 発展させるにはどんな知識と能力が必要か。14)科学の対象と統一さるべき世界観、道徳的能力はなに か」を研究しなければならない。この研究によって数学、自然科学、社会科学、体育が現代化される。
それは「教育内容だけでなく、教材系列、教授過程までかえていく」といっている。(このような現代 化を前提し、教育学的、心理学的観点を加えて、「組織法」における下級段階(1−3学年)、中級段 階(4−6学年)、上級段階(7−10学年)の3段階がわけられたとしている。) ここに一般教育 ⑳
の例をあげたのは、「組織法」のうえにたつ一般教育は現代化、構造化の歩みをはじめていること、東 独も世界的動向のなかにあるということ、そしてまた総合技術教育もかかる動向から例外ではありえな
いであろうこと、を示したかったのである。
前述の「教師、教育学者会議」においてH・フランキービッツは「10年制一般教育総合技術教育高 等学校における総合技術教育」についての研究集団を代表して今後の問題をつぎのように集約して、報 告している。(1j総合技術教育の教授方法と学習理論、{2j生徒の生産労働の方法と組織、(31教授と 生産労働の結合の問題、(4 総合技術教育の内容、組織、構造を新しく規定すること、である。
いうまでもなく基本問題は(4jである。ここでは根本に指いて総合技術教育の中枢として理論的、実際
一25一
的に教授すべき技術学の体系=技術教育の体系(Inha l t de r te c〕ユni schen Bi ldung
auf allen Bildungsstufen)をつくりだすことである。なぜなら冒頭で引用したように、
総合技術教育がこれほど喧伝されているのに、いままでその対象がいちどもあきらかにされたことがな いからである。この問題は1961年すでにH・クラインが提起したが、不問のまま放置してきたのであ る。さればこそ一般教育重視か職業教育的偏向かというようなまったく無原則的た問題で対立し、ジグ ザグの歩みをしてきたのである。いよいよ総合技術教育の今日的な本質的問題にとりかかりはじめたと いえよう。だがこの問題の解決はしかく簡単ではない。その作業の順序からいえば、(1〕技術革新の進 展を展望して総合技術教育の対象をきめること、すなわちマルクスの提起したrすべての生産部門の諸 基礎」をなす諸技術学を発見していくこと、(2jこの諸技術学の分析から客観的論理的構造、主要な概 念、法則性、思考=行動構造、処理、方法を確定していくこと、(3〕個々の目標とその目標達成の方式
(L6SungSalgoエhiythmuS)を体系づけていくこと、である。
研究集団は(1〕の段階で「機械学、一般的オートメ技術、電気学、エレクトロニクス、技術学(広い範 囲の機械技術学、電気技術学、化学技術学)、経済学」をその対象としておおむね認めているようであ
る。しかしそれ以上にはまだ進んではいない。たしかに(1H3〕にいたる作業過程は想像以上に複雑では ある。しかしむづかしさはそこにあるのではない。実ぱ1)一(3〕にいたる作業過程を一意的に進行しても 技術革新時代の技術教育の体系はできないのである。技術革新時代の労働者は以前とは比較にならない ほどの高い精神的能力を要求されている。「機能的、構成的思考、注意力、観察力、ある原因を正しく 診断できる能力、問題を発見し、創造的に解決できる能力」などを要求されているので底る。かかる精 神的能力なくしては現代のオートメ機構のなかで主体的に生産に従事しえない。だとすれば諸技術学か ら割出されてくる技術教育の客観的論理的体系と精神的能力発達条件が有機的に統合されてゆかねばな らないことは自明で在る。このような統合によってはじめて現代に招ける技術教育の体系はっくりださ れる。研究集団の深い嘆きはこの統合の作業に協力できる心理学者をえられたいことだが、あらゆる障 害をこえてこの技術教育の体系をつく )たすことを第一の緊急課題としている。 いうまでもないこと ⑲
だが、上の作業過程からみて総合技術教育も現代化、構造化をめざしている。
技術革新の進行は総合技術教育の現代化、構造化を不可避的なものにしてきた。それは一般教育か職 業教育的偏向かというのとは次元をことにした高次の問題である。それはまたマルクス以来の古典的原 則の創造的発展の問題でもある。この問題の解決こそ東独が技術革新をともないっっ社会主義を建設し ていくための刻下の急務である。1965年から実験学校をはじめ1968年にそれにもとづいた新しい教 育課程を発表することになっている。 それを注目しなければなるまい。
⑳
①H・カルラス、田中昭徳訳、マルクス主義教育学の構想、S.154
②同上S.171 ⑥同上S.175 ④同上S.1ア1 ⑤同上S.1ア1
⑥F.Frankiewicz,Zu工Neubestim工mngdes工nhaltsderpolyteo一
hni s c hen B i ldung und Er z i ehung. Pada g og i k. 1965,7 S.599
⑦妹尾特派員、東独、固まる新経済体制、朝日新聞、昭42,924.M.G・.デー:/ホフ、片岡啓 治訳、ドイツの将来、その文化と政治経済、S.141−144. O,Anwe i le r.Entwio−
k暉e呵鮒囎n・des Bildungswesens in be iden Te ilen Deutsc一 コユユands. Bildung und Erziehung. 196ア 1,2. S.16−31.
⑧吉本均、東独におけるポリテクニズム教育の発展と現状、ソビエット教育科学、昭378.
一26一
No.4. S.82−94, 中野、深谷地、戦後ドイツ教育史 S.133−148
⑨H.Gunther,G・.Uhlig,DieSohulentwicklungaufdemG・e肘et
d−er D,D,R1945−1965,P6d−agogik, 1966, 5パ S.452−460
⑯同上S.455⑪同上S.453⑫同上S.459
⑲吉本、前掲書、S.89−94
⑭H,G−unther,前掲書、S.494H,F「aukieuicz,EinigeG「und・f「age
de r We i t e r ent wi ckユung de r po1y techn i s ohen B iユdung und
Erziehung. Padagogik, 1962.5.S.422
⑮H,Frankiewicz,前掲、EinigGrulユdfrage,S.422.
⑮クルプスカヤ、矧噛光訳ポリテクニズムについて、ソビエット教育科学、昭378.
No.4. S.9
⑫H,Gunther,前掲書、S.494
⑬同上S,495
⑲H,Frankiewicz,FureineengereVe工bindungdesUnterrioh尤s
〃
mi t pr od−uktiver Aエbe it・ Padagog i k, 1963.8. S.670−680
⑳I,Szaniawski,Mode1ユund−Methode.Padagogik,1966.8.
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⑳I,Szaniawski,Organisatorischeunddidakt比。heProb1eme
der aユ1ge皿einbild−enden Schu1e in der DDR in ZeitrauIn 1963 −1966. Bildung und−Erz iehung 1966. 11. 12,S.402−403
⑳ 同上 S.』01−402
⑳ B,Th ieke, Spe z ia1s ohul en entwi cke1n q u1i f i z i e r te s oz ia1i−
stisohe Produzen七en, Padagogik, 1964.11. S. 1041
⑳ B,Th i eke, Au fga b en, S t ruktur und Fo r s c hung s pr ob1e]ne de r
!Spezia1schulen−teohnische Richtung,.Padagogrk, 1964.1
S.34−37
⑳L・OPP・m… Sp・・i・1.b?…h・1・n・A・fg・b・n・・dPmb1・m・・
Padagogik, 1963.41 S.363
⑳ R,Froh1ich, G・rund−f1=agen der P1anmassigen Verbesserung d−er po lyt e chn is ohen B i1dung und−Erz iehung im Schu1j ahr 1963/64 P6dagOgik, 1963. 11. S.964
⑳耳,SachSe,Neues砿。nomisolユessyste皿undmax皿aユeSteigerung
〃 〃
der Arbeitsproduktivitat.P∂dagogik, 1963.11. S. 974
⑳ 同上 S.972
⑳F,Zeu−ner,亘,Werner,H,Bennewiz,Diesozia1istische七andwi−
4
r1二s oha f t−Au fga ben, Pr ob1e ne und P e r s pek t iven, Pa da g og ik,
1960,Z S. 583
⑳H,Frankiewioz,前掲Einige0・rundfrage,S.422
一・2フ_