• 検索結果がありません。

芸術と教育 : 美的教育研究の手はじめ

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "芸術と教育 : 美的教育研究の手はじめ"

Copied!
10
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)Title. 芸術と教育 : 美的教育研究の手はじめ. Author(s). 広川, 正治. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. C, 教育科学編, 19(1): 1-9. Issue Date. 1968-09. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/4581. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 第 田 巻 第 i 号. 北海道教育大学紀要 (第一部C). 芸. 術. と. 教. 昭和4 3年9月. 育. -- 美的教育研究の 手はじめ --. 広 川 正 治 北海道教育大学函館分校教育学教室. Sh。 i H mOR△、 j VA Art i s and Bducat on--The Fi rst Research of Aesthet i i c Educat on--. 目. ま え が き 工, 文化と教育 文化と 1 上部 しての芸術 , 上部構造と 2.. ま. え. が. ‐ 労働と文化. 次. 3 . 文化の意義 4 . 文化の模倣と伝達. 5 , 文化材と教材 虹. 芸術教育と科学教育. き. A,S,マ カレ ソ コ に と っ て, 教 育 の 究 極 の 目 的 は 幸 福 で あ た そ の 場 合 幸 福 と は 何 か に つ っ , , , いて は こ こ で は 問 わ な い し か し 彼 の 考 え る 幸 福 が 「美 的」 な も の で あ る と い う こ と 少 く と も , , ,. 幸福には美的なものが不可分にかかわっているといわざるをえないの であるが その美的なもの と , は ど う い う も の か, そ れ が 教 育 と ど う い う 関 係 に あ る の か に つ い て は 無 関 心 で は あ り え な い , .. 現在のわが国の 学校教育の動向には, 特に教育課程改訂の方向に は しだいに芸術関係教科が , , 結果的に軽視されていく傾向にあるとき, 教育的価値 として 美的なものをどう考え た ら よ い の , か, われわれはこれを問わ ざるをえない また, 学校における芸術関係教科での指導目標が 芸術 . , 観やその立場の如何にかかわらず, 必ずしも明確ではなかっ たり あるいは 他教科との相互関係 , , が人間像のなかで必ずしも統一的に把握されていないのではないか という疑問を もたざるをえな , い, 芸術教科もそれが教 科であるかぎり, 明確に自覚された目標なしに 指導するということはな , り立たない, その目標は当然なが ら, 教育目的 としての望ましい人間像のなかに統一的に組み込ま れているのでなければならない, したが ってまた, 芸術教 科は他の教科 たとえば理 科や算数と矛 , 盾 する方 向のもの であっ てはならな い ,. ′ 現象的個 別性にあるから 芸術の本質が感性的主観性, といって, 科学性・集団性という社会科学 的一貫性・客観性を否 るならば, 芸術の社会的価値はどこにあるのか 少くとも そうした芸術 ,定す● . であるかぎり, 芸術教育ということ自体, 自己矛盾におちいらざるをえない また芸術教 科の指導 , も成り立ちえないことになるだろう, - 1 ー.

(3) . 広. 川. 正. 治. 3年版の 「学習指導要領」 改訂以来, 特にはっ きりと, 道徳を科学・技 術から本質 的に区別 昭和3 し, 統一的人格の育成であるべき教育課程 を異質な, 矛盾する人間像の構成要素として, 「道徳」 の領域をもち込んで いる, その考えの裏には, 独自的な相異をもちながらも, 上述の芸術のような 考 え が あ る か ら に ほ か な ら な い の で は な か ろ う か,. 知育・徳育・体育・美育などは, ともに統 一的な人格育 成の主要なる構成領域である, それらは 一貫して一 人格を形成するものであっ てこそ教育になりうる, 矛 独自性をもちながらも基本的には‐ 盾するものであっては, 人格分裂症, あるいは二重 人格しか育成しえないことに なりかねない, そ うした一貫性はそれぞれ, 社会における科学技術・道徳・芸術・体育という文化の領域としての一 貫性に依 存するであろう, 以上のような 諸疑問を, 今後少しでも解明したいと思う. . . 1, 女 化 と 教 育. 教育とのかかわりのなかで, 芸術はどの ような意義なり, 役割をもつのであろうか, 1. 上部構造としての芸術 教育は社会的機能である, 社会生活・社会 的人間関係のないところに教育はなり立ちえない, だ からこそまた, 「生活が陶冶する」 (ペスタロ ッ チ-) のである, その意味では教育も社会生活の 発展のなかで, おのずから発展し, 社会を発展さ せるためにはまた教育を, あえて発展させざるを えなかっ たのである, したがって教育は社会発展の法則からのがれることはできない. 芸術もまた, 文化の一領域と して, 社会生活のなかで発生し, 発展しながら, 社会を発展させて き た の で あ る, し た が っ て 芸 術 も ま た, 社 会 の 発 展 法 則 か ら の が れ る こ と は で き な い.. いわゆる芸術は, 一般により広 く文化という概念のなかに含めて考えることができるであろう, 教育と芸術との関連 を考えるまえに, まず, より一般的な性格をもち, しかもより広く教育と不可 分に関連してい る文化について考えてみよう. われわれは 経済的条件こそ究極において歴史的発展を制約するものとみ る. 「政治上・法律上・ 哲学上・宗教上 ・文学上・芸術上等々の発展は, 経済的発展に基礎をおいている. しかし, これら の発展はみな相互にも, 経済的土台に対しても, 反作用をおよぼす, それは経済的条件が原因で, これだけが能動的であっ て, 他のものはすべ て受動的な結果にすぎない, というわけではない. 究 ① 極においてつね に自己を貫徹 する経済的必然性の基礎の上での交互作用なのである. 」 すなわち, 芸術は文化一般のなかで, 政治・法律・哲学・宗教など, そしてまた教育とも, それぞれ独自性を もって作用しあいながらも, ともに文化 として経済 的必然性の基礎, つまりそれぞれの社会の生産 関係の総体= 経済的構造である土台の上にうまれた 上部構造である. 上部構造としての 文 化 一 般 は, 土台の要求を反映するものとして, 究極には, あるいは基本的には土台によって規定され, 土 台の変化に よって変化するけれども, しかし逆にまた土台に反作用し, その社会の文化一般は, そ の社会の経済的構造を維持し強化 する役割を果すのである◎ . 2. 労 働 と 文 化 文化は社会生活の なかで発生する, それは何故か, 社会生活は何よりもま ず生産労働である, 人 間が人間として生きていくためには自然に 働きかけて, 生活に 必要な財を生産しなけれ ば な ら な ivate) な け れ ば な ら な い, 人 間 と して の 欲 求 を 満 足 さ せ る t い, 一 般 的 に は い わ ゆ る 耕 作 し (cul. tur e ) なのである, cul ために自然 (大地) に働きかけること, すなわち耕作することが, 女化 ( 労働はあらゆる富の 源泉であるように, 労働はまた, 人間生活全体の第一の 基本条件であって, ー 2 -.

(4) . 芸. 術 と 教 育. しかも, ある意味では, 労働が人間そのものをつくりだしたのである . 人間もその 始め, 数十万年前にはとくべつ高度を こ進化した類人猿の一種として 樹上に群棲 して , いた, 樹上生活で樹から樹へ移動 するなかで その前脚は枝を把握する力を 育てた上で , , 地上生活 に移行したとき, 平地を歩くのに前脚の助 けをかりる習慣をなくしはじめ しだいに直立して歩く , 習慣を身に つけはじめた かくして猿から人間に移行 するための決定的な第一歩をふみ . だしたので ある, 直立して後 脚だけで歩行できるようにな たということが 必然的に前脚を手に転化発達 っ さ , せる契機になっ た, 手が自由になることによっ て これか らつぎつぎと新しい技能を獲得するこ と , が 出 来 るよ う に な っ たの で あ る だ か ら , 「手 は 労 働 の た め の 器 官 で あ る ば か り で は な い, そ れ は .. また労働の産物でもある 労働することによ て つぎつぎと新しい操作に適応 することによ っ , . って こうして獲得した筋肉, 湖帯 およびもっ と長いあいだにはまた骨の 特殊の発達が遺伝すること , , に よ っ て, そ して, こ の 遺 伝 に よ っ て う け つ た え た い そ う の 巧 撒 き を 新 し い ま す ま す 複 雑な っ , , 操 作 に た え ず 新 た に 適 用 す る こ と に よ っ て は じ め て 人 間 の 手 は ま る で 魔 法に よ る か の よ に, う , , ラ ファ エロ の 絵 画 や トル ヴ ア ル セ ソ の 彫 刻 や パ ガ ニ ー ニ の 音 楽 を 生 み だ す こ と が で き る ほ ど の高 い. 完成度に達したのである, ③」 人間の手がしだいに巧撒となり, それにともなっ て直立の歩行に適した脚が発達 してくると そ , ういう相関作用によっ て, 身体の他の部分に も反作用が おこ った 手の発達とともに 労働ととも . , に始まる自然に たいする支配は, 新しい進歩がなされるたびに人間の視界をひろげた 人間は 自 , , 然物の新しい, それまで知られてなかったいろいろの性質をたえまなく発見してい た 他方では っ , 労働の発達は, 必然的に, 社会の成員をたがいにいっ そう密接に結びつける助 けとな た という っ , のは, そのおかげで, 相互扶助や協働をおこなう場合が頻繁になり またこの協働が各個 人にと , っ て有用であることがはっ きり意識されたか らである 要するに 生成過程にある人間は たがいに , , , 何かを話 し合わなければならないところまできた 欲求はその器官をつくり だした すなわち 猿 . , . の未発達の喉頭は, 音調を変 化させることによっ て, またさらに進んだ音調 の変化をめざして 徐 , 々に, だが着実に改造されてゆき, 口の諸器官はしだいに 区切りのある音を発音することをつぎ , , つぎ学んでいっ たのである, 脳髄とそれに奉仕する感官 の発達 ますます明瞭さを増し て い く 意 , 識, 抽象力および推理 力の発達は, 労働と言 語とに反作用をおよぼし この両者を たえず新たに刺 , 激して, さらに発達させていっ た@ すでにエンゲ ルスが きわめて明確に解 明 してく れて いるように 人 間が そのはじ め 自 然のな か , ,. での動物的 生活において, 壁にぶつかるたびに欲求を意識し その欲求 (やがて願望に発達 したで , あろう) を実現しようとして, 自然 (存在) に働きかけて労働するところに 欲求・願望の対象と , しての価値 (当為)が実現されていく. そのこと自体, 存在から当為 への文化的活動が展開される . 文化は, 人間がその自然に満足せずに, あるがままにいることを否定して 価値的に生きようとす , るところから生ずる, このよ うに, 自然を 価値的に否定する働きが労働であり 労働 ( i t t cul e va ) , tur はそのかぎり文化 ( cul e ) であっ たが, みてきたように, そうした労働;文化はもっ とも広い 意味において教育 (自己教育・おのずからなる教育) である なぜなら 文化は人間をその自然的 , , 存在から価値的当為へと高める働きであるから 労働=文 化が人間自身を つくりだし つくりかえ . , る, すなわち, おのずから教育するのである. 類人猿の一種であっ たわれわれの祖先は群居的であっ たが, その群居的生活を社会に発達させた も の は, は じ め に 労 働, つ い で そ れ と と も に コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン の 道 具 と して の 言 語 で あ た っ .. 自然の法則がそうであるように, 社会においても, ただ不変のもの として静止してあるのではな - 3 ー.

(5) . 広. 川. 正. 治. るものは存在の内的矛盾 である, く, 生成し消滅す るの である. 変化発展 するの である, そうさせ で -の社会環境のなか で, 人間は相 互にぶつか りあう. 物理的対立 対立物の闘争と統一 である, 同- 人間に意識させ, その欲求を意 はなく, 人間的対 立は欲求の対立である, 欲求のぶつかりが欲求を と道具の発達が逆に人間相 識的に実現させていく過程で労働は発達し, そしてこんどは, 手の発達 法的相互関係をもつ, 欲 互の欲求・ 願求の対立を激 化させ, いっそう 願求を自覚させ るという弁証 であると同時に, その 願求をよ 求が意識され, 願求へと自覚されていくのは, 社会 的集団において ニケーショ ンの必要が意 りよく実現するためにも集団 的協力を 不可欠の条 件とする, そこにコミュ 心理学が 否定しがたく教えてく 識され, 言語が発達するのである. パブロフ の条件反射の生理学・ れている存在以外のも れているように, はじめにはマルクスが指摘したように, 意識とは, 意識さ は決してその逆ではなかっ のではありえない し, 社会的存在が意識を規定するの である. 基本的に た の で あ る,. 前者はまた武器 で 労働は道具の製造とともに 始まる. 一番古い道具は, 狩猟具と漁 撰具であり, もあっ た, 狩猟と漁撒とは, 菜食一本か ら菜肉併用の生活に移行させた, 動物の 飼育である, 肉食からは二つの決定的に重要な新しい文化が生まれた, それは火の使用と ここに食の文化が発生した. 寒い地方に移 っ た こ と また気候が年中一様に暑い原棲地から, 一年が冬と夏にわか れるもっと い労働コ文化の分野をひ は, 新しい欲望すなわち寒気や温気をふ せぐための住宅と衣服という 新し ら か せ た の で あ っ た⑥.. たといえよう. そもそも 未開人にとっては, 生産され た道具や武器がそのまま芸術作品でもあっ 実用性の感覚な しに 美的感情の基礎には, 道具の有用性に対する生活的価値判断があるのであり, ム で あ り, 労 働 の あ る と こ 美 的 感 情 は な り た ち 得 な い の で あ る, ま たリ ズ ム は も と も と 労 働 の リ ズ. 労働を快 的にし, 能率 ろには必ず あるといってよかろう, それは 労働の結果と してばかりでな く, ることが理解され, を増進する要因として意識され, したがって実生活にとって現実に有意義であ ズ ムは集団労働 のなか でこ し た が っ て ま た 愛 さ れ な い わ け に は い か な く な っ た の で あ る, さ ら に リ. でこそ大きな役割を果し そはじ めて意識された. その意識は人と人とを一つの仕事に協力させる点 同時に, ま たのであるし, だからこそまたそこに美的感情が発生す る. それは心理的な快であると から, かけ声 さに社会的快なの である. このように集団的労働を統 一し, 目的方向に指導する必要 ;みそして手拍子が組織され, 原始音楽・リズム 音楽が発達したと考えられる. ・足ろ 美的感情は本来ゆとりのある明 るい感情であるが, それは現実に対する 人間の自信を基礎として のみ成立す る感情である. 生産用具に しても, その時代なりに, 生産労働に自信とゆとりが抱かれ るに従って, 合理的・合法則的な生活の肯定が,.道具を美しく感じさせていく, 実用品も芸術品に 転化する契機がそこに生ずるのである, 装飾や建築 や庭園など, さらには日用品はそのま ま実用性 から芸術性への転化 である, その基底には生産労働の質的発展があるの であろう. 武器でさえもす ぐれた 芸術品にな りえたのは, 武力を主とする勝矛ぼの確信から, 支配の可能性がおの ずと感じられ るにつれて, 支配的な態度や感 情が発達したからであろう, 3.. 文 化 の 意 義. 手と口とが発達 することに よっ て大脳皮質が発達する. その能力に 従って意識が, したがってま た願求も発達 する. 労働することが, さらには集団 的に協力することが, 人間をより 人間的に発達 させ, 意識を発 達させる. それ自体広い意味の教育にほかならない. ture) は 文 化 を 身 に つ け た 人 に ほ か な ら な い. そ の 意 味 で a man of cul 教育された教養人 ( - 4 ー.

(6) . 芸. 術 と 教 育. よ は, 文 化 を マ ス タ ー す る 、こ と が 教 育 と い え よ う. こ の 場 合, 文 化 を ど う 理 解 し た ら い だ ろ う か, l t tva ture) は耕作する ( e ) こと, すなわち働くことに よって自然を価値的に否定 cu 文 化 (cul. して, 価値あるもの=財を生産することである, そのことからまた文化は必然的にその生産財=文 化財をも意味する, かくして文化はその本質的性格からして, 一面では生産作用, すなわち価値を 自覚して働くことを意味し, 他面では, その働きの必然的結果としての生産財, すなわち文化財を も意味する, と同時 に, 生産労働そのものは社会的集団のなかでの願求の意識, 価値実現と いう目 的 の 自 覚 と, それをより効果的に実現するための集団的組織的協力を不可欠の条件とする, 個々人の欲求・ ) になるためには多数の人びとに よって共存され 願求を満足させるよい (good) ものが財 (goods る社会性を必要と する. 動物的欲求が人間的願望に自覚されるためには, 言語というコミ ュニケ- ションの手 段を媒介しなければならないということとも関連する. 個人的使用価値が交換価値とし ての財になるためには, 社会的基盤 を不可欠とする. かくして文化は, 生産作用 (自覚的に働くこ と) と生産財 (文化財) との統一として, 財そのものというよりは, それにつ いての価値的観念 ( そのものを価値あるものと認める感じ方, 考え方), またはそのものの使用の仕方が, 社 会 的 に 共有さえ ているかぎり, その財に対 する価値的 観念なり, それの使用の仕方が, 総体として, その 社会の文化といわれる, 文化は一般に生活様式といわれ るゆえんである. 4 , 文化の模倣と伝達 文化は人間を価値的にする生活様式であっ た, したがっ て, よりよくな りたいと願う人びとにと であればあるほど, すなわち文化的で って, 文化は模 倣されていく. それが社会的に価値あるもの あ れまあるほど, より多くの人びとに よって模倣されていく, 幼児が母親の生活態度を模倣するよ うな衝動的なもの, 付和雷同的・群集心理的な非合理的模倣と他 人の経験を合目的に利用する合理 的模倣の違いはあっても, 客観的に価値ある丈化は, おのずから模倣されていくであろう, しかし, 文化が未発達な社会, 原始共同社会 にあっては, まさにおのずからなる模倣にとどまっ ていたであろうが, やがて生産力の発展に従って, 財産の私有を 契機にして階級社会に 移 行 す る や, 文化は上部 構造としてその社会の土台 に奉仕する役 割を演ずる, 「支配階級の思想はどの時代においても 支配的思想である. すなわち, 社会の支配的な物質的な 力である階級は, 同時に, その社会の 支配的な精神的な力なのである, 物質的生産のための諸手段 を左右する階級は, その ことによっ て同時に, 精神的生産のための諸手段の欠けている階級の思想 は,. おしなべて前者の階級に従属させられる, 支配的な思想は, 支配的な物質的諸関係の観念的表 現, すなわち思想と してとらえら れた支配 的な物質的諸関係, したがってまさに一つの階級を支配 的なものとするところの諸関係の 観念的表現, したがっ てこの階級の 支配の思想以外のなにもので も な い⑥, 」 といわれるように, 階級社会にあっては, その支配階級の 支配的文化がその社会体制. を維持発展するために, その社会全 体の文化として, あえて伝達されるにいたる. ここに学校, 特 に国家による義務教育学校が発生し, 発達するゆえんがある, 支配階級による 支配のための, 体制維持のための文化の伝達が, あえてなされればな さ れ る ほ ど, 利害関係の対立する被支配 階級もまた, みずからの 共通の利益の自覚に従って, みずからの文 化を形 成し, それを伝達せざるをえ なくなる. 文化はつねにその発生の性格からして, その時代, その社会の文化である, 階級社会にあっては, 文化もまたそれぞれの階級の文化として, 対立せざ るをえない, ここに文化 をあえて伝達せざるをえない必然性は激化し, 学校教育のみならず, 社会 一 5 ー.

(7) . 広. 川. 正. 治. 教育としても, あえてその文化を伝達せざるをえなくする, 5 . 文化財と教材 文化はどのような形で, どのように模倣され, 伝達されるのか, 文化はまず物的な生産物として伝達される. それは一般に文化財といわれているものの多くのも 文化財というなかには, 単に物として出来あがっ た財物ではなく, たとえば生 きている文化財 (名人) といわれるような, その人自体ではなく, その人が身につけている技能・ 技術・芸術家としてのわざというような動的なものがある, これらはともに文化財として 他に伝達 の で あ る. し か し. することができるし, 模倣することのできるものである, しかしその模倣伝達は, 当然ながら人間 の感覚器官を通して行なわれる, しかし, 文化は外的なものに限らない. たとえば思想や信仰のように, そのものとしては心的な 内面的な価値として, 社会的に共有されている価値的観念はすべてこうしたものである, かかる内 的・心的文化はどのように模倣され, 伝達されるであろ うか. それはまず動的なものとして表現き れ, さらに物的なものに作りかえら れて, つまり内的なものは外的なものに表現されることによっ て, 間接的に伝達される. 思想や信仰は講演や説教という動的なものに, さらには書籍や教典とし て外化されて伝達される, 美的価値観念は芸術作品として, 舞踊や演劇として表現され, それを媒 介にして伝達 される, しかし直接的にはつねに文化財としてであることがわかる. ivate が culture で あ る よ う に, そしてその必然的成果として goods が つ く ら れ る よ う に t cul , t s ) は人工として芸術作品を創作することなしにはなり立たない, 作品こそ芸術の中心で 芸術 ( ar ある, そしてその作品は社会人によっ て鑑賞され, 亨受され, 味解される対象なのである, 創作す るということは, 芸術家による現実世界の認識が外在化することである. 一つの形をもっ た総体と しての認識が一つの意味ある総体として表現される .ことである, 心的なものとしての自己の感情や 見解はもともと客観的に存在する世界のなかの対象に関しての感情や見解なのである, それは人類 が生産労働のなかで, 社会的集団による協働のなか で, ひとしく作り出し, それに関する理解が共 通していることを確認してきた形である, それは一般的には言葉であっ たが, 同様な性格のものと して, 色があり, 線や面があり, 楽音があり, 身振りがある. これらは認識手段であると同時に, 表現手段でもある. このように芸術においても, 芸術家の内面にある美的価値観が創作活動を通し て動的なもの, または芸術作品に転化 することによっ て, 社会一般に鑑賞 され, 味解されるなかで 批判されつつ, 文化的に価値あるものは, おのずから伝達され, 模倣されて, 社会的に文化を形成 し て い く,. 教育においては,文化財は教 材化されて教育内容となる,教材化は文化財を, 教育目的と生徒の心 身の発達条件とによって限定したもの, その両者に即応して選択したものにほ かならない. 階級社会にあっ ては, 基本的に階級対立に従って, 文化もまた対立的傾向をもつ. さらに一国内 のいろいろな社会集団 (共同社会や目的社会) の存在とその性格の多様性・複雑性に従って, 文化 も具体的には きわめて複雑多岐である, ここに数材選択の問題がある. 文化は一般的には価値ある もの, 良いものではあっても, 教育目的や生徒の心身の発達段階からして, 必ずしもつねにすべて 適切とはいいえない上に, 文化そのものがその社会集団の文化として, 相互に対立矛盾さえしてい るからである. 教育課程改訂の問題, 教科書検定の問題が, まさに政治的問題化するゆ え ん で あ る. 芸術も文化であるかぎり, 決してこの例外ではありえない, 芸術という文化財を教材としてと り入れる以上, できるだけ多くの人びとに伝達され, 模倣され, よってもって人格内容として形成 さ れ る も の で な け れ ば な ら な い, ー 6 ー.

(8) . 芸. 術 と 教 育. 人生は短し, 芸術は長し, といわれる, しかし芸術も文化であ るかぎり, 前述したように, か ならず, その時代, その社会の文化である, したがって文化は社会の歴史的変遷とともに変遷せざ るをえないかぎ り, 芸術もまた変遷せざるをえない, 古今に通じてあやまらず, 中外にほどこして もとらぬ道徳が存在しえないのと同様であろう, この意味では, いわゆる 「純粋」 芸術は存在しえ ないだろう, もし存在するとすれば, それは偽りの芸術にすぎ ないであろう. それにしても文化・ 芸術にはその時代・その社会を越えて価値あるものもあるのでは ないか. 人生が短いのに対して, 芸術は長いといわれる面があると すれば, それはどう いう意味においてであろうか, 教育は時代・社会の要求に応えるものでなければ ならない, しかしだからといって, それが公的 な性格をもつものであればこそ, 決して一部少数の利益に従属 させる教育であってはならない. ま た, 究極 的には変遷するとしても, 一時代といわず比較的長い期間にわたっ て要請され る 人 間 像 (人格) の基底的部面がある, そこに芸術は長し, といわれ る面と共通のものがあるように思う. それはどういう観点・立場であろうか, それの最低・共通の基準として, われわれは科学的客観性 をあげなければ ならないと思う, 芸術におけ る科学的客観性とは如何なるもの であろうか. 教育の なか でその問題を考えてみたい, 虹, 芸術教育と科学教育 -応義務教育学校における音楽・図 芸術教育といっ ても芸術専門家の育成はさておき, ここでは- 工 (美術) その他, 文学・演劇・舞踊などを頭において, それらが教科なり, 教材として指導され る場合に 限定したい. すでにのべたように, 学校教育のなかで教材として指導される内容は, すべ て文化財としての芸術である, 義務教育学校 での教育であれば こそ, その教材は必ずしもつねに文化財 としての芸術かっという 限定がつけられな いのではないか, 美的価値は芸術に限らない, 自然美があり社会美が 考 え り れ であるともいえる, る, むしろ情操教育という面から すれば, 決して軽視しえない側面 ・ し か し, 美 的 感 情 は ど の よ う に し て 発 達 す る の で あ ろ う か. す べ て の 感 情 が そ う で あ る よ う に,. 美的感情も動物的感覚とはちが って, 人類の歴史的成果である文化;労働を媒介にして 形 成 さ れ る. すなわち, 「芸術という仕事の成立によって実現した感 情である, 芸術の創作や鑑賞 を通じて 人間ははじめて本格的に事物を美しいと感ずることが出来るようになっ た. 音楽のみが音楽的感覚 ⑦ をつくっ たの であり, 芸術のみが 美的感情をつくったのである, 」 要するにわれわれの美感はも ともと芸術活動から生まれて来たの である, われわれは自然の美を認識 するとき, 「絵のようだ」 という, つまり, 自然美も実は芸術美の基準に従って評価しているの である. われわれは何故, 音楽や美術を教科として選 択するのであるか, これまでよく, 芸術教育は情操 教育と不可分のものと考えられてきた ように思う. その場合, 子どもたちの 情操を正しく豊かに育 てるた めの手段として, あるいは その機会として, 音楽や美術や文学・演劇・舞踊がとりあげられ たと思う. しかし情操教育というときは, 情操を理性的・価値的に向上させ, 純化させるというよ うな, いわゆ る道徳性育成の 重要な側面として考えられ る傾向が強いの ではなかろうか, 果して芸 ,た, その教育的意義を否定しないとして も, そ 術教育はそれにつきるものであろうか, あるいはま こに教育の重点をおいてよいのであろう か, つまり 情緒-情操という心理的側面に限定して よいで あろうか, 科学教育というとき, それはま ず科学的真理・法則の認識 を育成する教育℃ある. それは単に自 然認識にとどまらず, 社会認識の 育成の教育 でなければなら ない, 認識は一般に客観的現実世界の - 7 ー.

(9) . 広. 川. 正. 治. 人間における反映である, 科学的認識の特質は 衝動や欲求や願望のような感情的なものを括 弧に , 入れて, どこまでも対象 そのものの 合法則性を 追究し 諸現象の内的連関・本質・運動法則を反映 , するところにある, 感覚・知覚の段階での認 識は感性的認識であるけれども 思考は概念による理 , 性的認識である. 科学的認識の本質は, この概念に よる客観的存在の抽象的・理性的認識にある . もし事物の現象形態と本質と が直接的に一致するならば およそ科学は 余計なものであろう 目に , , みえる単なる現象的な運動を 内的な現実運 動に還元することが科学の任務である 科学は 諸現象 , , の直接に与えられた, 外的な見せか けから出発して, 諸現象の内的本性 すなわち内的運動・内的 , 連関と合法則性におけるそれらの本質をあばきだすのである 現象面の感 性的理解は往々にしてわ . れわれをあざむく. 現象間や事実間には矛盾が多い, しかし科学的理性的認識は それら現象間の , 矛盾の奥にある本質的一貫性を反映する, 「感性的認識は日常的に太陽が地球をめぐ て運動する っ とわれわれに実物教示しているが, 科学的認識は, 太陽が地球をではなく, 地球が太陽をめぐ て っ 運 動 す る, と 主 張 し て い る, ◎」 同 じ こ と が 社 会 的 現 象 に つ い て も い え る し か し だ か ら と て .. 感 性的なものと抽象的なものとを切り離してはならない, 両者はつねに結びついているのであって , いかなる抽象的認識も, 感性的なものから切 り離されては不可能である 「あらゆる概 念的概括の , うちには, 通常, 感性的一般化が点在している, 抽象的思考のなかに含まれている感 性的要素は , 間断なく,.感性的図式, 抽象的問題の直観的解決, などの形で現われる◎ 」 のである, ここに 科学 的認識と芸術的 認識とのかかわりがあるであろう, 科学が認 識しようとするものが客観的に存在する真理である ように, 芸術 もまた認識と してはひ としくその 同一の客観的真理を対象とする, しかし科学に おけるように抽象的ではないから 唯一 , 性をもちえないけれども, 芸術の場合は感性的 ・個性的であること によって, それの表現様式が多 様 性 を も っ て い る の で あ る@ ,. し か も 前 述 し た よ う に, 芸 術 教 育 に お い て は 表 現 す る こ と に よ , っ. て, 形象的に認識るのである, すでに人類社会の労働=文化活動によっ て形づくられた形象を 身に つける働きと, 感性的に感動することとの弁証法的相互作用を通 して, 自己表出という, 主体の内 部的必然に よる自然による自然発生的 「あらわれ」 から, 自覚的主体による自己の 「あらわし」 で ある自 己表現へと発 達する⑪ . その発達を助成するところに芸術教育の任務がある, 芸術教育は芸術のための 教育, すなわち芸術をつくらせる教育では なくて, 芸術を通 し て の 教 育, すなわち芸術的表現の諸手段を通しての教育である◎ , 芸術的表現は形象を つくることによっ ることである そのためには て美的情緒 や感動を表現す , , 現実世界での感動的体験, すなわち現実 ,.・. 世界の主観的反 映 (それはその人間のその時点までの生活歴のなかで形成された内的諸条件によっ て屈折されているとしても) が内に形成きれていなければならない, 反映としてのその認識は形象 的に表現することによって確実にされていく. たとえば, 音楽は音によって現実を把握しようとす る, しかしそれは 「現実の音」 を把握しようとするのではなく, 音によっ て客観的現実社会を, そ こ での 生 活 の 本 質 を 描 こ う と す る の で あ る. ま た, そ の 音 楽 の 曲 を 認 識 す る と い う よ り は, そ の 曲. を媒介として, 現実の世界・社会生活そのものを認識するのである, 人間は絵の具を発明し, 生産 し な い 以 前 に は, 色 を 認 識 す る こ と は あ っ て も, つ ま り 色 の 表 象 を 知 覚 す る こ と は あ っ て も, 色 で. 認識することはありえなかっ たのである. 子どもたちの環境についての知覚内容を, 絵の具で表現 することを指導する過程を通して, 色で環境を認識さ せることに芸術教育が ある, 表現する様式は いかに具 象的個性的であり, また多種多様であっ ても, その内容は客観的に 存在する世界であり, 現実の社会生活である, そこに作者と鑑賞者と結びつける根拠がある⑩ , 言葉・色・音・運動線な どの形に よって主観的内的な感動は, 客観化され, 他の人びとに伝えられ, 同じ感動をよび起すこ ー,8 ー.

(10) . 芸. 術 と. 教. 育. とを通して, より確実になる, 認識されたものは 表現を通して再認識される 芸術において も 科 , , 学におけると同様に, 社会的生産労働の必要から, 仲間と連携し共同するために 仲間に意志を 伝 , 達する必要性が 生じ, そのことがさらに認識に表現性を与えたばかりでな く 認識活動その ものを , 促進したのである, 科学性は組織的集団性を不可欠の条 件として要請し 集団性は科学的に実証し , うる客観性を不可欠の条件として要請する, 科学的認識が概念的抽象的であるのに対して 芸術的 , 認識は感 性的具象的である, 理性的認識だけで, 認識は完成するのではない それはつねに同時に , 感性的認識に裏づけられていなければならな い 抽象性と具象性 感情と理性とが 弁証法的に統一 , , されていてはじめて人格の完成も生きたものとなる 科学的認識が概念的であるのに対 して 芸術 , , 的認識は形象的であるといっ ても, しかしともに現実的世界の反映であることにおいてはひとしく 客観的根拠をもつ, 両者はそれぞれ独自的性格を もちながら, 基底的には一貫性をもつゆえんであ る, 両 者 は と も に 教 育 の 内 容 と し て 人 格 の う ち に 統 一 さ れ る 可 能 性 を も て い る レ オ ナ ル ド・ ダ っ ,. ・ビンチは一面ではすぐれた科学者であり, 他面ではすぐれた芸術家であっ た そのように 教育 , , 目的としての人間像は, 少くともこれからの民主的社会にあっ ては 全面的に発達 した人格として , , 科学者であればこそまた芸術家でありえ, 芸術家であればこそまた科学者でありうるような人格で なければならないであろう, (注) 1 8 14年1月25日, ロン ドン, マル・エン選集 第 . エンゲルスからハインッ・シュタルケンブルクヘの手紙, 1 , 1 5巻, 5 36ページ, v l K ~ 【 i i d i z K k t p . i h 2 a r u r 。 x: t r er o sc en ek。no tz ver l . mi c in.1951 vorwort e ag Berl . g, . , Di , . 3 i l S.18 n 1 9 55 1 . F, Engels:Dialektik der Natur. Dietz Verlag Ber , , , . 4 , エンゲルス, 「猿が人間になるについての労働の役割」 参照,. ・8年1月号および3月号 永井潔 「続・芸術とは何か」参照 5 . 「民主文学」 6 , ,. 6. Ma rx,Bngels:Die deutsche ldeologie lag Ber li etz Ver n,1953,S,44, . Di. 7 ) 「民主文学」‘ 6 7年1 0月号, 永井潔 「続・芸術は何か」. 8 7ページ, , ルビンシュティン, 寺沢訳, 「存在と意識」 上巻, 10 9 06ページ, . 同下, 1 !0 40ページ, 参照, , 北条元一 「芸術とは何か」1. ‘7年8月号 永井潔「続・芸術とは何か」参照 1 1 , 「民主文学」 6 , . 1 2 , 箕田源二郎・鈴木五郎 「表現と認識」20ページ.. ‘6年9月号 永井潔 「芸術とは何か」参照 1 3 , 「文化評論」 6 , , (以 上). ー 9 ー.

(11)

参照

関連したドキュメント

  「教育とは,発達しつつある個人のなかに  主観的な文化を展開させようとする文化活動

と言っても、事例ごとに意味がかなり異なるのは、子どもの性格が異なることと同じである。その

C. 

この大会は、我が国の大切な文化財である民俗芸能の保存振興と後継者育成の一助となることを目的として開催してまい

(自分で感じられ得る[もの])という用例は注目に値する(脚注 24 ).接頭辞の sam は「正しい」と

の主として労働制的な分配の手段となった。それは資本における財産権を弱め,ほとん

自然言語というのは、生得 な文法 があるということです。 生まれつき に、人 に わっている 力を って乳幼児が獲得できる言語だという え です。 語の それ自 も、 から

● 生徒のキリスト教に関する理解の向上を目的とした活動を今年度も引き続き