技術教育の問題点一その1
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鼡Z術教育の歴史とその性格の変遷一
技術科研究室 片 岡 久
1.技術教育の歴史的意義とその役割
(1)技術教育
技術教育には一般教育としての教育と専門教育としての教育との2つが考えられる。
わが国では社会通念として技術教育とは職業方向の決った者に対する職業準備の専門教育と考えら
れる場合が多いがここに論ずる技術教育ないし技術科教育は前者の一般技術教育を指すものとする。 \
技術科教育は他教科に見られる如く,例えば数学科教育にはその背景に数学という学問体系が あるが技術科にはそれがない。技術学という学問分野を考える人もあるが筆者は現実問題として 色々の面を考察してその確立は望めないと考えている。直接対応する学問体系がないことにもわ
ざわいされて,一般技術教育はその発足も遅く,未だ現在に至るも完全には定着を見るに至って
いないのが実情である。すべての子供に一般教養としての「技術」の教育が必要であることは古くから教育の先覚者に よっていわれてきたことである。例えばJ.J. Rousseau, J. H. Pestalozziなどの教育思 想や実践に現われている。人間性の根本力の1つに「手」をあげ,教育は人間性の根本力が全面 的,調和的に発展するようにつとめねばならぬとしている。すなわち生産的労働と教育との結合 による全面的に発達した人間教育を意図したのである。その全人教育のために「技術」の教育は 重要な意味をもっていたのである。かれらの生きた時代と現代とでは社会の制約や環境は大いに 異っているが,国民大衆の教育において一般技術教育の必要性を意義づけた点にお』いて注目すべ
き思想と実践を残したものと言える。
こののちの教育思想においても教育と労働の結合による人間教育の問題は,教育思想家それぞ れの立場で主張され続けたが,国民大衆の実際の教育に,一般技術教育がその地位を占めるに至 ったのは第1次大戦を契機としてである。その代表的なもののひとつはアメリカにおける前期中 等教育の「インダストリアル・アーツ」であり,いまひとつは革命後のソビエトの「総合技術教 育」である。両者はそれぞれの社会体制の違いによって一般技術教育の意義,目標,内容には特 徴的な差異があるが,共に子供にも普通教育としての技術教育を行う点において相通ずるものが
ある。
(2)米ソの技術教育
インダストリアル・アーツが普通教育に位置づけられたのは1910年代であり,第1次大戦,第2
次大戦を期に苦干の性格内容の変化を経て今日に至っている。特にソビエトにおけるスプートニ ク出現を契機にして従来の「生活主義的」,「職業指導的」内容から「生産主義」的内容に変り,
7〜12学年の男生徒には必修であり,製図・木工・金工・印刷・電気・電子・自動車機構・原動 機々構・通信などを学習するようになった。勿論その領域は州,市によって若干異るが工業技術 の基礎を取上げている点では一致している。女子に対しても製図,機械,電気,家庭工作などをイ
ンダストリアル・アーツとして選択させるところも多い。
ソビェトにおける総合技術教育は1917年の革命後国民教育の再組織の際「学校の目的は人間の 知育,徳育,美育および体育とその総合技術教育を結びつけることによって実現される人間の人格 の全面的発達にある」とされ,総合技術教育がソビェト教育をつらぬくすじがねとなった。しか
しその理想目標が飛躍しすぎていたためか必ずしもスムーズな成長発展を遂げず1937年には労働 に関する教科が廃止され技術の基礎としての科学教育の強化が行われた。その後第2次大戦直後 から総合技術教育の重要性が再認識され,科学技術の革新に応じる一般教育の1つとして1955年 の新教育課程において再発足し,小学校には工作を,準中学校には実際的作業を,中学校には農 業,機械,電気の3分野を含む技術教育が開始され今日に至っている。8年制学校の教科プラン
によれば技術教育の週時間数は1年より8年までありそれぞれ2,2,4,4,5,5,5,5 時間の割合で合計時数で1315時間に及んでいる。いかに重視しているか時数の上からも窺える。一般的にいえば総合技術教育は普通教育として工業生産,農業生産の基本的な技術,科学的 な原理を生産へ適用すること,労働組織と労働の有用性,労働態度と技術的能力を発達させるこ と,自主性・指導性をふくむ作業の計画などをすべての生徒に学習させることである。基本的技 術を実際に即して学習させるという一貫した態度は一般教育としての技術教育に全く新しい性格
を与え,同時に科学教育と技術教育を歯車のように噛合せて行く方式を明確に打出したことがソ ビエトの総合技術教育の顕著な特色であろう。尚ソビエトの総合技術教育は東ドイツその他の社 会主義国家の教育界にも広く採用されている。
2.わが国における一般技術教育の歴史
ひるがえって日本の技術教育の生長,発展はどうであったろうか。勿論技術科という名称は昭 和33年に出た学習指導要領において始めて用いられたものであるが,その前身は手工科,作業科,
職業科と見て差支えないが,真の真昧の技術科教育が一般教育の地位を与えられたのはここ10年 間でその歴史も極めて浅くその教育的意義,必要性が一部の学者によって唱えられたにも拘らず 一般的には長い間実現しなかったのである。未だに技術科に対する認識不足,時には軽視,蔑視さ
え見えるのは長い間の教育界の習慣,惰性とは言え乍ら残念であり,我々の努力不足に対する自責 の念に耐えない。以下技術科前身時代より成長の歴史を振り返ってみよう。
q)明治時代
日本において技術教育を学校に導入した最初の運動は手工教育の運動であると言える。1886年
(明治19年)に森有礼が文部大臣として初等教育に大改革を施し手工科が教科として設けられた
のが嗜矢である。しかしこれは勤労の習慣の養成,職業的能力の附与などが主な目的であり余り 盛上らず5・6年で衰微した。しかし1904年(明治37年)には日露戦争の影響を受けて手工科の 再興が計画され高等小学校で手工科が必修的地位を与えられ,技術教育の振興が叫ばれ小学校の 手工教育の推進にまで及んだのである・小学校教師用の手工教科書も作成されその普及に顕著な 影響を与え・その結果としてそれ以後年々手工科加設の学校数が増加し,1900年(明治33年)に 全国33校にすぎなかったのが1911年(明治44年)には13,007校にのぼった。当時の小学校手工科 には木工・金工,簡単な鋳造まで含み,高等小学校手工科にはその他に用器画を課し理科と連絡 を密にし,その知識を実施製作にうつし,その内容は著しく数学的,論理的色彩を帯びていた。明 治初期にこの手工科がどのような意味でおかれたか問題にすべきであるがすでに1881年(明治14 年)に中学校に工業という教科が設けられていたにも拘らず,手工という教科を小学校に設け,
師範学校の工業を手工と改めたことから考えると文部当局は手工を工業と区別し,一般教育の意 昧を含めたことは察せられる。しかし乍ら実業との関連を重視した特異な教科で単純な一般教育
とは考えていなかったことは課外活動的な地位を与えていたことからも窺える。
(2)大正時代
この時代は手工科の脱皮時代といえる。当時の社会の進歩が機械力の応用を進め,あらゆる産 業に機械を導入しようとする気風にあり,手工科もその影響を受け,機械に関する知識技術の教 育の必要が叫ばれた。手工教育に機械使用が本格的に実用化されるようになったのた1919年(大 正8年)東京高師に図画工作専修科が再興され,手工に木工旋盤,帯のこ盤,旋盤,ボール盤な
どの設備が登場し機械的要素が加昧されたのが始まりで,これが刺戟となって各地の小学校にも 普及する端緒となった。機械使用の手工教育が強調されっつあったとき一方にはそれと対照的な 地位に立つ芸術的表現活動が創作手工,自由手工の名のもとに出現して来た。この芸術主義的思 潮をもつ手工教育の考えは技術科誕生まで残存し続けた。1926年(大正15年)には高等小学校の 手工科が分離され,農,商と並んで工業科が新設され3つのうち何れか1つが必修とされた。大 都市の高等小学校ではこの工業科の教育が活況を呈した。
(3)昭和時代一1(戦前時代)
高等小学校の農・商・工に呼応して中学校に作業科が設置されたのは1931年(昭和6年)であ った。これは園芸,工作およびその他の作業の3分野から1っを選ぶというものであり,必修教 科としての地位は与えられたが設備のいらない費用のかからない運動場の手入れや掃除,校庭の 整備などを課するものが多く,園芸から工作まで規定通りの作業を課したのは比較的限られた中学 校であった。しかも実施には5ケ年の猶余期間があったので完全実施の時期には日華事変が勃発
し1938年(昭和13年)には集団勤労運動が始まりその効果をあげず普通教科とは関連のない教科
として終息した。(4)昭和時代一H(職業科時代)
戦後新学制とともに発足した中学校において職業科が必修教科として設けられた。しかし教科内
容は泥縄的なものであり,戦前の高等小学校または旧制中学校の場合のように農業,商業,水産,
工業,を総称して職業科としたにすぎず,生徒はその1科目または数科目を選択する方式がとられ た。従って学習が散慢化する弊害を生み,深く掘り下げ一般教育としての性格や目標の確立がな されなかったといえる。戦後の混乱,不安定な社会情勢の中にあっては止むを得なかったことで
あろう。
(5)昭和時代一皿(職業・家庭科時代)
1951年(昭和26年)改訂の学習指導要領では教科が職業・家庭科となり啓発的経験を与えるこ とを目標として,いわゆる4類12項目(農業,工業,商業,家庭の4類と栽培,飼育,漁,食品 加工,手技工作,機械操作,製図,文書事務;経営記帳,計算,調理,衛生保育の12項目)か ら成るさまざまな実生活に役立つ仕事を羅列し,職業指導的機能をもつのみで一般教育としての 性格や内容に欠けるものであった。またそのころ農業を中心とした生産主義教育の実践が主とし て農村地域において展開されたが農作物の栽培,家畜の飼育,食品の加工などが主な内容で機械・
電気などの工的なものは含まれなかった。
間もなくソビェトの総合技術教育の再発足,アメリカのインダストリアル・アーツの重視,国 内においては中学校の技術教育を基礎的な生産技術を基盤にして再編成すべしとした中央産業教 育審議会の昭和28年,29年の2回にわたる建議が行われ,また教育界内部にあっては日本教育学
会科学技術教育小委員会の意見書の中で,早期の分化教育と早期の職業準備教育を否定すると共に・職業・家庭科は重要産業部門についての科学的技術的知識と生産技術の基本的な諸能力を培う教 科として再編されなければならない,それはすべての生徒に等しく課せられるものでなければな らない,また一国の科学技術の水準を引き上げるにはとくに女子に対しても男子と同じ水準の生 産技術教育を与えなければならない,と唱えられた。また文部省も昭和32年度の教科審に対して 可成り強い態度で中教審の答申の「科学技術教育の向上」と「進路特1生に応ずる教育の強化」を 強調し,職業・家庭科を再編成することを教科審に要請した。それに対する教科審の答申は6ケ 月の審議ののち小学校中学校教育課程全般についての答申を行ったが,その中で「科学技術教育 の向上についてはとくに中学校において数学科および理科の指導時間数を増加し,かつ技術科を 新たに設けて科学技術に関する指導を強化すること」「現行の職業・家庭科を改め,これと図画工作 科において取り扱われていた生産技術に関する部分とを合わせて技術科を編成すること」と答申 されている。上のような内外の要望,実社会における技術革新の進展に刺戟され技術科の新設へ
と進んだのである。(6)昭和時代一IV(技術・家庭科創設時代)
めざましい技術革新に対応すべき任務を持った技術科はもはや従来の職業・家庭科の踏襲では なく,生産や技術の基本となっている工学的技術を重点的に習得させるために,従来の農業・工 業,商業,水産を満遍なく経験させる底の浅いものに代り,工作的技術および機械・電気技術を 中心として内容を編成するものとなった。単なる改正でなく改革とも言うべきものであった。週
3時間必修としその分野は栽培,計計・製図,木材加工,金属加工,機械,電気の6分野から構
成され,生産技術は,明治以来の手工科の内容となっていた手工業的技術だけでなく,機械・電
気のような近代的技術が大きな比重を占めている。機械や電気についての知識,技術を習得させ,
それを生産や生活に有効に利用活用する思考力や態度の訓練が要求されることになったのである。
しかし原案の「技術科」というすっきりした名称は改訂学習指導要領の発表直前になって,家庭
科教育団体の政治工作が功を奏し,文部省上層部の命令によって技術科は,家庭を加えた技術・ ・ ● ・ ■ ● ・
写摩移という名称にかえられた。また内容的には上述の如く中産審の建議などより一歩も二歩も 前進したものであるが近代技術に対する理解を標傍するならば木材加工,金属加工は小学校段階 へ下し,製図,電気,機械を中心とすべきであり,また高校の普通課程にまで延長すべきであっ た,女子向き内容に家庭機械,家庭工作,家庭電気を含ませたことは前向きの性格として評価で きるが一歩進んで男女平等の内容とすべきであった,などの批判も一部に聞かれた。しかし画期
的な注目すべき一般教育の教科としての地位を与えられ記念すべき一歩を踏み出したことに変り はない。この新技術・家庭科の特徴はつぎのようにまとめることができよう。(1)工作や工業の基
礎になっている生産技術を中核とした教科として編成されたこと,(2)教科の内容が男子向き,女 子向きの2系列に分れ,男子には生産技術を中心としたものを学習させ,女子には家庭生活を基 盤とする生活技術を中心としたものを学習させることにしたこと,(3)技術・家庭科を必修教科と し,これとは別に農業,工業,商業,水産,家庭の各教科を選択教科として設けたこと,(4)職業 指導を教科の枠からはずし,特別教育活動のなかの「学級活動」に移し「進路指導」として位置 づけたことなどである。しかし教科内容が整備されてもそれを実施に移すには多くの問題があっ た。その難問の1つは施設設備であり,もう1つは教員の問題であった。建物を除いた備品だけ でも一通り揃えるには莫大な費用を必要とした。木材加工に必要な鋸盤,鉋盤などの木工機械並 に木工具,金属加工に必要なボール盤旋盤,研削盤万力,工作台,金工具,計測器,機械実習 に必要な自転車,ミシン,モータバイク,石油機関,ガソリン機関,電気学習に必要な電気器具,
メータ類,ラジオ,電源装置など一通り揃えるだけでも1枚当り100万円の費用を見込まねばな らぬ。1校当り30万円の補助が出ることになったが不足分は自治体または父兄の負担でまかなわ なければならなかった。施設設備にもまして大きな難関は担当教員の再教育の問題であった。国 立の教員養成学部職業科は主として青年師範学校から受けつがれた教官によって構成されていた ため工業をも含まなければならなかった「職業」教員養成が農業を中心に行われてきた結果,公
立中学校教員の中で工業技術を専攻した教員は僅かに全国平均13.5%(23,458人中3,158人)にすぎなかった。東京でさえ昭和32年7月の調査では工業専攻の教員は職業担当者1957名中286名で約 18%にすぎず,大部分のものは新設の技術を担当する力がなかった。まして農村地帯の他府県で は大部分が青年師範出身の教員で農業専攻の者ばかりで,その再教育に待つより他に道はなかっ た。かくて文部省の1959年からの3ケ年計画の僅か12日間の実技講習で技術の免許状を与えると
いう泥縄式対策となったのである。(5)昭和時代一V(技術・家庭科改善時代)
昭和37年度より完全実施に移された新設の技術・家庭科も前述の如き大きな障害にも拘らず一
般教育としてその成果を収めつつあると言えよう。しかしこの10年間の科学技術の高度の発達に
伴い,社会生活家庭生活の急激な変化には著しいものがあり,これと密接な関り合いを持つこの 教科の果すべき役割はますます大きくなり,その内容および取り扱い方にも改善を行う必要が生 じてきた。さらに基本的には人間形成の上からみたこの教科の性格を明確にし,中学校教育全体 にお』ける位置づけを検討する必要に迫まれた。その結果昭和44年4月14日の文部省告示で中学校 学習指導要領の改訂が他教科とともに発表され,昭和47年度から実施されることとなった。この 改訂に当っては教科の性格が正しく把握されるように目標を明確にし,基本的な事項を精選して 指導の重点を明かにすると共に,地域や学校の実態および生徒の必要に即して弾力的な指導がで きるように配慮したといわれている。今回の改訂で内容においては栽培関係を除けば殆ど差がな く,ただその目標において可成りの差が見られる。その総括目標を新旧で対比してみれば
旧……生活に必要な基礎的技術を習得させ,創璋レ隼摩すう事びを味わせ,潭伐準術に関すφ 理解を与え,生活に処する基本的態度を養う。
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新……生活に必要な技術を習得させ,それを通して隼活を明φ≦章々 にすうためのくふう創造 の能力および実践的な態度を養う。
とあるが第1の問題点として何れの場合においても表現が抽象的にすぎて具体性に乏しくこれを みただけでどんなことをする教科かさえも見当がっかないであろう。この一番の原因は男子向き,
女子向きと分けられた内容に対して共通の目標で表現しようとしていること,生活に必要な技術 とは何か,更にはその生活が種々様々に解釈されること,技術という言葉の意味が確定されていな いことなどによるもので,ある程度止むを得ないが,これでは教科のねらい,性格は新しい表現で もはっきり正しく把握されるようになったとは言え難い。第2の問題点として創璋レ隼摩すう事 びを味わせという記述が除かれたことである。この表現の裏には勤労精神の酒養,企業者の使い
● ● ● o o
易い青少年の育成という企業家寄りの姿勢がかくされているような匂もするが人間生活で創造生 産がなかったら進歩がない。勿論これは人生観にも関する問題であるが生産する喜びは他の教科 で取り上げられない人間として極めて重要な生き甲斐ではなかろうか。消費面にのみ生活する者 は不幸である。第3の問題点としては潭伐球術に関すう琿解という項目が除かれたことである。
ここで言われた近代技術とは最新の技術という意味ではなく,近代産業の発展の基礎となった機 械技術,電気技術を指すものであったと思う。最新の難解な技術を中学生に理解させること不可能 なことで,その誤解を招くのを考えて除外したものと思う。第4の問題点は隼活を明う≦章々に するという表現である。旧指導要領の理解として我々は男子向きには生産技術,女子向きには生
o ・
活技術と観念的にとらえている場合が多かった。こういう考え方の下で新指導要領の総括目標を 読んで先ず脳裏に響いたことは身のまわりの日常生活,消費生活を豊かに楽しくすること,レジ
ヤー生活,マイホーム主義的生活を目指すという感じを受けた。指導書の指摘する如く,生活にも色
色あり,日常生活,生産生活,職場生活,社会生活などすべてを包含するもので多面的にとらえ
ることを要望しているが,何回も読み直した今日でもレジャー的消費生活の印象は拭え去れない。
表現に工夫と注意が必要でなかったか。また明るく豊かにするのは生活を物心両面から考えてい o ■ 9 . ・ …
ると指導書は述べているが,精神面から生活を明るく豊かにするのはむしろ他の教科の目標に属
すべきことであろう。我々が今日文化的生活を受けることのできるのは進歩した生産技術の恩恵 と言える。技術科教育において生産技術を重視する理由はここにあるが更に分ければ(1)進歩し た生産技術の恩恵を正しく受けとめるためにはそれに必要な知識技能態度がなければならぬ。
盲目的な受取り方では正しく利用活用することはできない。②将来の生産技術の発展に関与しな ければならぬ次代の青少年に生産技術の基礎的知識技能,態度は将来の職業の如何に拘らず必 要である。(3)技術と社禽技術と生活との関係を正しく理解するにおいて必要である。
しかし一方において生産技術は生産のためのものであるがその生産は利潤追求のためのみで なく最終的には我々人間の生活向上のためのものでなければならぬ。今日の公害問題に見られる ような生活に害を齎すような生産であってはならぬ。このような意味にお・いてこの教科の総括目 標として人間尊重・生活優先の立場から技術をとらえようとしたことは高く評価されてよい。
以上概観して来たように技術教育ほど変遷の激しかった教科は他にその例を見ない。あるとき は勤労精神の酒養・あるときは啓発的学習,あるときは職業指導的学習と猫の目のように変り,
ここ10年程でやっと一般教育をになう一教科としてその安定した地位を得ようとしている。しか しその波乱に富んだ歴史に示されるように目的性格内容に多くの問題を拘いている教科であ ることに変りはない。我が国では欧米諸国に比べてその職業観において工員,勤労者,肉体労働 者に対する依然として抜け切らない軽視ないし蔑視も,義務教育における技術教育の軽視がその 遠因の1つと見なすのは筆者のひがみであろうか。技術科が名目共に正当な地位を獲保するのは 未だ未だ遠しの感がしてならない。
一原稿執筆中紙数が半減されたので十分な検討ができなかった。御寛容願いたい。_
参考文献
(1)中学校学習指導要領
(2)同指導書
(3)棚橋源太郎,岡山秀吉「手工科教授書」1905
(4)一戸清方「日本手工原論」1907
(5)手工教育
(6)手工研究
(7)宮原誠一「生産主義教育論」中央公論 1949,10月号
(8)城戸幡太郎,宮原誠一,野瀬寛顕「生産教育の技術」1950,小学館
(9)岩波講座「現代教育学」11,技術と教育 1961
■
i1① 清原道寿「技術教育の原理と方法」1968,国土社
(11)産業教育研究連盟「技術・家庭科教育の創造」1968,国土社