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工業技術教育の方向 ―技術教育とTechnology Assessmentの導入―

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工業技術教育の方向

―技術教育とTechnology Assessmentの導入―

(昭和49年10月31日受理)

小 山 田 了 三

1.緒  言

 今世紀後半に至り,科学技術の進歩はめざましく,月ロケットや海洋開発に代表される ように,技術の発展はとどまるところを知らないように見える。我国においては,戦後工 業立国が国の方針としてとられ,経済の成長はすべて技術の力によって進め られて来たかのよ

うであった。高度成長の呼声の中で技術の発展はすべて歓迎され.GNP で語られる 経済大国を作り上げてきた。また工業と無関係に見える農業においてさえも,ビニール膜 の普及により,東北,北海道地方での冷害による米作の被害を予防できるようになり,技 術は全産業分野に恩恵を与え続けるようであった。しかし,このような技術の異常な増殖 と巨大化は,人間社会へ大きな影を投ぜずにはいなかった。好むと好まざるとにかかわらず,

技術は自然環境や社会構造を変革し,人間の物質生活のみならず,観念や生活習慣など,

精神的測面にさえも転換をせまるようになってきた。

 そして今,技術が河川,空気,食物の汚染や有毒性など,自然と生活環境にもたらした 種種の歪みやマイナス面に直面し,さらには,やみくもな生産による人類の資産の枯渇が指 摘されて,人々の技術に対する感覚は太きく変り始めている。それは経済成長の旗の下で 技術が利益追求のため産業効率の上昇のみ追い求め,それ以外のすべての価値観を省みず

自然と人間の未来を徹底的に荒廃し続けてきたことに対する深い反省であった。

 今やテクノロジー万能の輝きに満ちた未来論は破れ,我我はテクノロジーの生んだ悪夢 に満ちた逆ユートピア社会への落し穴にさしかかっているというのであろうか。

 このような世界的な科学技術の急速かつ飛躍的な発展に伴なう環境破壊,資源枯渇,エ ネルギー危機と新エネルギーの開発などに対処し,これ以上の環境破壊をひぎ止め,これ を回復させることは人類の未来と子孫への義務であり,重要な課題であることはいうまで

もない。

 技術のこのような歪みが指摘されているものの,現在の国民経済や生活レベルの改善向 上,ひいては人類の精神文明の向上発展を人々が望むかぎり,技術は人類の資産であり続 けるであろうし,その全面的否定や生産システムの極端な縮小はありえない。さらに我国 のように,食糧やエネルギー,その他の資源が極度に乏しい国においては,新技術を開発 し,これを輸出する以外に,激動する国際社会に,各国に互してゆく方法はないであろう。

とすれば,我国は世界に先がけて,荒れ狂うかに見える技術を制御し,人間が利用すると いう本来の立場に戻って,これを改良進歩させ,社会にデメリットを及ぼさない新技術を 開発し,発展させていく以外に進む道はないように思われる。

 そのような新しい技術のあるべき姿とそれをどのように発展させるべきかの課題。また

社会に生じた歪みによる技術への疑念,それに伴なう社会的価値観の変化等に答えるため,

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長崎大学教育学三教育科学研究報告 第22号

技術者と技術教育に課せられている責任は大きい。

 技術教育は,このような現状に至らしめた過去の技術認識が欠いていた点について厘省 し,技術の社会における正しい役割を再考して,新しい価値観による弓術検討を含めた新 しい技術のあり方と,それを発展させる方法を考えなければならないであろう。技術教育 が当面している問題は大きく複雑である。

 なお,筆者の力は産業全般には及ばないのでこの小文では,工業技術教育の新しい目標 と内容について検討し,Te曲nology assessmentの導入について述べてみたい。

2.技術教育の目標

 ここでは技術教育の目標について検討する。

 中学校新指導要領に示された技術教育の目標は

 生活に必要な技術を習得させ,それを通して,生活を明るく豊かにするための工夫創造 の能力および実践的態度を養う。

 このため

 1.計画製作整備などに関する基礎的な技術を習得させ,その科学的な根拠を理解させ るとともに,技術を実際に活用する能力を養う。

 2.家庭や社会における技術と生活との密接な関連を理解させ,生活を技術的な面から 工夫改善し,明るく豊かにする能力を養う。

 3.仕事を合理的創造的に進める能力や協同責任および安全を重んじる態度を養う。

と記されている。

 初めに,自標に示された技術とは何かを検討し,つぎに目標に加えられてよいと考えら れる諸点について,簡単に考察してみたい。

 技術についての上記目標の表現はやや簡略化されすぎ,説明が不十分なうらみがある。

そのため上記の技術とは家庭科学的日常生活に必要なものをさすものかあるいは生産技術をさす ものか不明瞭である。しかし,旧指導要領や上記の目標についての文部省の説明を参考に すれば,目標に述べられた技術教育における技術は明らかに生産技術と考えられるもので ある。また技術教育は普通教育の一科目であるから,独自の学問領域をもつべきである。

 その意味で,上記の目標内容には,第一に技術学(技術の理論,知識やその応用実践な ど)について学習すべき点が欠落していると思われる。(これについては3.1で述べ

る。〉

 次に目標の四つとして,仕事を科学的合理的に考え,創造的に処理し,実践的態度を養 うことがうたわれている。技術は,元来その成立から,自然科学の領域に属するものであ る。したがって,上記の目標を達成するためには,科学的な理論や知識を基礎から段階的,

系統的に習得させる必要があろう。これが十分に行なわれない場合,現在の進行した技術 を活用し,さらに,これを改良創造1し,新しい技術に到達することは望めない。したが って,目標の第二点として基礎から工学に至る段階的かつ系統的な教育を行なうことを明 記する必要があると考える。

 さらに,今日問題とされる技術がもたらしている社会的デメリットへの対応については

「明るく豊か」および「仕事の安全および責任」という断片的な表現以外,技術の社会的 責任に関するものは全く欠けていると思われるが,第三の目標として技術の調和ある発展

をあげるべきであろ跳 (この点については3.2で述べる。)

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工業技術教育の方向一技術教育とTechnology Assessmentの導入一(・1・lll田)

 以上の考えに立って,技術教育があるべき姿と教育目標に加えた方がよいと考える主な 点について述べる。

 教育の最終目的は全人格的人間の養成であり,普通教育の各教科はおのおのその役割の 一端をになっている。

 したがって,普通教育の一科目である技術教育は目標として第一に,生徒の能力を全面 的に発達させ,それによる全人格的な人間形成にあることは論を待たない。現代において は,生産とそれに伴なう技術は社会生活を営む基礎となっているから,技術の成立ちや生 産と技術について,十分理解することが必要である。技術は現在の社会の発展ひいては人 間の思考さえも規定しつつあり,これと社会的諸問題との関係をよく理解させることは人 間が生活していくために不可欠である。またこの社会とのかかわり合いにおいて,技術の 反社会的行為が否定され,技術のあるべき姿が求められているのである。さらに学習者の 協同心,責任感および安全1生を重んずる人間形成についても要求されると考えられよう。

 第二は,技術の基礎を段階的かつ系統的に習得させて,それを実際に活用させる能力を 養成する点にある。生産技術が高度に分化した現在では,中学校教育課程において習得で きる技術に関する基礎知識は限られたものであり,将来の職業に役立つものとしては全く 不十分である。しかし,多数の知識技能を乱雑に吸収させるよりも,技術の基礎と,これに 関連する法則性や理論的な知識を習得させ,その展開方法を色々の問題に応用する思考力 を養成し,その実践過程を学ばせることは重要である。工業化の新工程が多くの場合,既 存の技術の改善や創造的合成によりなされていることを考えれば,小型プロジェクトを 用いて,基礎科学から工学に至る過程を学ばせることは技術の条展方法を学ぶことであり,

技術的思考のためにきわめて重要である。

 目標の第3としては,技術教育を通じて科学的に思考し,物事を合理的創造的に処理す る能力を養成する点にある。技術は工業に直接関連するが,その基礎は自然科学に基礎を おくのであるから,技術もそれ自身の法則性に立脚するものでなければならない。したが って,技術事象を基礎的な事象に分解し,その工学的創造過程において新しく生ずる一般 的な技術事象の法則性に着目させることが大切であろう。

 以上の3点が指導要領の技術目標に不足していると考えられる点であり,技術教育の目 標として導入されてよいと考える。

3.1 技術教育のあり方

 技術教育の変遷を簡単にたどれば,過去の技術教育は明治以後技術習得を中心に,将来 の職業に役立つ人間を養成するため,勤労を学ばせることを主な目的としてきた。1958年 に至って,技術教育ははじめて普通教育の一科目として位置づけられた。

 一方生産分野においては,近年技術の高度な分化,専門化が進み,在来の技術習得型の 技術者はあまり要求されなくなり,むしろ健全な社会の進歩向上を目的とする技術の発展 を促す全人格的技術者が望まれるようになりつつある。技術者がこのような新しい社会的 要望に直面しているとき,技術教育には現在何が望まれ,,.それはどのようにあるべきなのか。こ の点について明確に言及したものは今の所まだ見られないようである。本節ではこの点を 検討して,技術教育の進むべき新しい方向を摸索してみたい。

 近代の日本は外国の技術を導入し,これらを迅速に消化した。世界産業構造の転換を比

較してみると,明治維新以後の日本は,その転換の早さとあざやかさにおいて,世界一で

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長崎大学教育学部教育科学研究報告 第22号

であった。このような技術の導入と消化が短期間にでき,今日の産業水準を先進国なみに あげることができたのは,一口に言えば,日本に能力のある人材がいたからと考えられ,

その時点で技術消化の為の能力を養成した技術教育は,そのあり方の良否はともかく,一 応成功したと評価されよう。

 しかし,国際的技術水準がほぼ等しくなった今後は,従来のように導入技術に依存する 産業発展は期待できなくなり,自らの手で新技術を改善開発する以外に道は残されていない ように思われる。このような事態に対応して我国が新技術の開発を進む道を選べば,技術 教育も,その性質上,当然この方向に沿って, その目的と内容を変質せざるを得ないであ

ろつ。

 他方,巨大化した工業において,現代技術の中心をになうものは膨大な労働手段であり この複雑な手段門門は,その背景である技術学(技術の理論,知識とその応用)を媒介と してはじめて理解されるものである。生産各分野においては,新技術の開発のために,各 々の基礎研究に力が注がれ,結果の応用から工業化に至るまでの過程を開発する必要が説 かれている。

 このような現状を眺めるとき,技術教育の新しいあり方は大よそ次のように方向づけら れるのではないかと思われる。

 技術教育は普通教育の一科目であるから,過去のように特定の職業分野に奉仕する内容 となることは決してありえない。しかし,技術教育は独自な教科であるから,独自な内容 を学ばせる必要がある。その内容は主要生産部門に共通したものとし,これを集約化して 基礎から工業化に至る理論知識と法則性,およびそれらの工業的応用を含むものとなろう。

 その過程において技術学は純粋科学と異なり,完成された自然法則や原理の追求ではな く,本質的な面が不明で,経験的に十分理論化されていない規則であっても生産目的につ ながるかどうかが重視されること,したがって工業化への過程では,科学的自然法則およ び自然現象から工学に利用できるものが選ばれ,また実験結果から基本的事実を三二これを 工学的創造の目的に合致する自然科学的方法に従って工業化するか,あるいは新しい工学 領域の開拓や境界領域の開発を行なうものであることなどを学ばせる必要があると思われる。

 即ち,技術教育において技術は科学者が体系化した第二自然(ダビンチ)を理解し,合 理的に処理するにとどまらず,さらに進んで自然と第二自然を利用して,その中から工学 的に利用できる知識体系一技術の基礎となるものを選択し,これを利用して生産工程を組 立て,工学的に価値あるものの創造を目的とするものであることを学ばせるものである。

 多くの場合,技術において現われる現象は正確な原理法則,公式によって決められるもの ではない。むしろ工学的法則らしきものが多い。このような現象をすばやくとらえ,利用 できるためには,学問的に広く新しい角度から着目できる柔軟な思考の持主であることが 要求される。

 このような複雑な問題を含む技術を体系的にとらえるために,技術教育は大よそ次の点 に留意すべきであろう。

 第一に,数学や自然科学を基礎から組織的,系統的に学ばせ,それらの法則を自然科学 的思考に基づいて実際に応用させること。

 技術の発達は技術の知識を豊富にし,法則性を生み出している。これは一般の科学とは

異なった技術学と呼ばれる分野として発達してきた。また,技術は道具であり,工学的創

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115 工業技術教育の方向一技術教育とTechnology Assessmentの導入一(ノ1・ll」田)

寸断を要求するものである。したがって,

 第二に,上の基礎知識に基づき,技術学を中心とした技術の知識を系統的に学ばせ,工 業化を目的として応用させること。

 第三に,関連した道具や機械の原理や材料についてを理解させ,それに基づいた取扱い 方に熟練させることなどであろう,

 近代における工場生産の普及発達は高度の技術分化をもたらし,技術機構の複雑さは 労働者の知的水準の向上を促してきた。ここでは,技術者は技術の体系的知識を発見し,

さらにそれを応用して,工学的に創造することが要求され,こうしてもたらされた技術の 進歩と高度化により,多数の生産物が我々の身の回りを取巻いた。その結果,人間の日 常生活のみならず人生観までが大きく変容した。今や人間は科学的理念と技術学を基礎と

しなければ,時代や環境の変化に対応しえなくなっているといえよう。

 その意味で技術学を学ぶことは,技術に埋れたかに見える現代社会をよりょくとらえる ためにも必要である。もちろん義務教育課程から高度な技術理論を学ばせることは必要な いであろう。しかし,上記の技術学の内容に沿って,単純かつ簡明な教育内容を学習させ 技術理論に基づいた工学的展開という独自な教育の基礎分野を教育する必要があることは言えよう。

 この技術教育の基礎は次のように考えられる。

 今後も技術は急速に進歩し,技術分野の革新と画期的拡大進行が予測される。これに対 処する技術教育の基礎学習内容が,これらの技術の全分野にわたることは不可能であり,

1分野だけを取上げれば特定産業奉仕の点から望ましくない。結局,将来においても応用 範囲の広い工学に共通な移り変りの少ない基礎的学問を主とするのがよいと思われる。こ れは主にエンジニアリングサイエンス即ち理学と工学をつなぐ分野を基礎とするものであ る。またそれとともに,有用な事実や材料についての共通知識,技術に関する理論的な知 識を系統的に教授し,現象を理論的に思考する能力を養成し,あわせて将来とも自主的に

自己啓発する態度,自身で教育する態度を養成するべきであると考える。

3.2 Technology Assessmentの導入とその必要性

 近時,技術(工場)の急速な発達による社会的影響一とくに公害などのマイナス面の諸 問題が指摘されていることは1,2節でふれた。また,それに対する技術の早急な対策が なされなければならないこ乏。技術が今までのように,利益追及という面のみ強調して独 走し続けることは,技術の社会的責任から許されなくなりつつあることも,すでに述べた 通りである。これらは過去における技術利用の当事者と,過去の当事者の姿に対する根本 的かつ本質的な社会批判であり,それとともに,技術のあるべき新しい姿を求める社会的 要求でもあろう。

 これを技術教育史の流れでとらえるならば明治以来養成した職業人による技術の異常発 達と,それがもたらした現代の歪みを,普通教育となった新しい技術教育が全人格的人間

を養成し,健全な社会を取り戻すよう責務を負わされたというべきであろうか。

 技術教育が,このような社会的要請を受止め,具体化するためには,まず我国経済にお ける技術の占める位置が問題となろう。ここで,これを詳しく取上げるつもりはないが,

単純に考えて,資源の乏しい我国が技術輸出の発展に期待する以外,国民経済の発展はあ

りえないことは自明とせざるをえない。そのためには我国は今後とも技術の発展創造に頼ら

ざるをえないであろう。これに対し,社会は今後とも技術発展があくまでバランスある発

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長崎大学教育学部面育科学研究報告 第22号

展であることを望むであろうし,反社会的性格を顧みないような技術者は今後望まれな いであろう。しかし技術は常に進歩し変化していく可能性を秘めたものである。したがっ て新しい技術教育は,総合的判断の下で,健全な社会をもたらす技術を創造できる全人格 的な人間(経営者,技術者など)育成が目標になると考えられる。

 過去においても技術の発達は人間の歴史において必然的なものであり,人間の生活に多 くの利益をもたらしてきた。そこでは技術と人間は共存しているようであった。やがて技 術の急激な利用が始まると,種種の歪みが人間の生活条件を根本的にゆさぶり,そして多

くの害をもたらした。それとともに技術に対する社会の価値観は変わり,人人の生活を脅 かす要因を取去るよう,技術に新しい理念と行動が要求され始めた。

 技術教育は今これからの要求に答えるため新しい理念を導入し,それに基づいた動律を 摸索しなければならない立場に立たされている。

 イマヌエル・カントによれば,対象の認識に入る前には対象を認識する我々の考察理性 そのものの吟味に入るべきであるという。即ち,技術社会についていえば,今日的アンバ ランスな技術発展は,急激な発展に伴う様々の歪みをもたらしており,この事象は過去の 技術の認識に対する我々の理性の吟味にどこか欠ける点があったからではないめかを問わ れていると言える。

 具体的に言えば,科学技術発展という合理主義的展開方法において,技術発展に Assessment的overallな認識批判の仕事が落ちていたといえなかったであろうか。国策と

してとられた工業立国の名の下で,単に企業利益追及におどさらて,技術は健全な発展を 忘れ,真の福祉社会に貢献する目標を失い,偽福祉社会へ進まされていたのではなかっ

たか。そして今,我々は環境破壊,未来犠性こ子孫の生存空間の消費という大きな予盾の 前に逢着し,アンバランスな技術発展に遅すぎる反省をよぎな宝されているのではないだろうか・

 この反省の下で,技術に対するこれらの社会的要請に答えるものとして,筆者は技術教 育にTecbnology Assessmentの学習を導入する必要があると考える。

 Technology Assessmentの概念は1966年アメリカに生れたものであるが,ある計画を 実行するに当たり,その完成時および完成までに技術利用がもたらす住民感情までも含め た種々のメリット,デメリットを総合的に評価することである。評価はプロジェクトチー ムの各分野の専門家によって,それぞれの分野について判断を求め,これらを総合的にと らえて,この仕事を進行すべきかどうか判定するものである。たとえばビルデングを建 築するに当り,完成時の住民感情,日照や風害また完成するまでの騒音,車の危険に至る

までの総合的評価を行ない建築の可否を判断するものである。

 今後,科学技術は一層進歩し,ますます巨大化せざるをえないであろうことを考えると き,技術教育は技術者にこのような総合判断を行なう考え方を早く身につけさせ,高い見 識により,技術のもたらす社会的デメリットを可能な限り減ちす方向に進めるよう思考を 習慣づけるようにしなければならないであろう。

 元来,技術は修正的,改良的なものであり,漸進するものである。ところが,過去の日本 においては,その過程を省いて利益追求のために,半完成の技術を急いでやみくもに導入

した。そのために今日の技術は,その制御面,異常発展をセーブすべき面を初めかちすべ

て捨ていた。その結果,技術利用者は多くのマイナス面の影響を予期できなかったととも

に,生産者側には生じた公害の後仕末を他人に任せるのが当然という態度さえみられた。

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117 工業技術教育の方向一技術教育とTechnology Assessmentの導入一(小山田)

 これらの技術の欠陥がもたらしている歪みを回復するためには,技術教育の方向として 技術に自然・人間・社会などへの影響に関する事前の多角的な点検を行うという概念を取 入れること,技術者には,単に倫理感の養成だけでなく,相互排反とも見える技術と TecLnology Assessmentについて,社会の一員として学ぶ義務があることを認識させる

必要があろう。

 これによって,技術のもたらす正負の影響を自然・人間を含めて,総合的に検討し,価 値の複合基準を求め.その発展が社会に総合的な正のメリットを与えうるもののみを,技 術として選択することが可能になろう。

 過去の日本においては,技術は主として外国からの導入であり,それの天才的摸倣や巧 みな利用は確かに日本独特のものがあった。例を名高い鉄砲の普及にとると,鉄砲は天文12年

(1543)忘種が島に伝えられたカ㍉その製法は14年堺に伝わり,4年後には信長の注文を受け た近江坂田郡の国友村では500丁目の量をわずか一年で仕上げるほどであった。この事例に 代表されるように,異文明に対する日本人のスムースな受容は,東洋の諸国においてほと んどその例を見ないほどであった。しかも,この日本人の受容性は常に異文明のエッセン スを吸いとるという型でなされてきており,その文明によって起った基礎まで理解し,導 入するという型ではなかった。同様に今日の科学技術の導入においても,技術の基礎を含 めたものではなく,完成した科学技術の成果のみを大変な勢で導入したといえる。

 このような価値観の洗礼のない目標を設定し,それを達成するためにやみくもに技術を 利用した結果は,公害のまきちらしと異常な経済成長であった。経済の異常な成長は国が とってきたケインズ的経済膨張を破綻させ,過去において経済発展が資源利用も含めて,

技術発達をコントロールしてきた機構までを破綻させた。今や技術の発展が経済成長を促 し始め,そこに技術利用の倫理が一かけらも見られないようであった。それに伴い,必然 的に自由経済の相互信頼の基盤となる経済のセルフコントロールが放棄され,踏みにじら れ,国内には異常なインフレがもたらされ,国外においては,経済侵略者と非難されるこ

ととなった。

 我々はこの問題を当事者のみの責任に負わせて逃れることができるかもしれない。しか し,もたらされた歪みは,この技術成果のみを導入するという科学あるいは技術に対する 日本人の根本的な態度にあるように思われる。

 即ち,我々日本人が正しく社会の歪みを直すために問い直されているのは,出来上がり の他人の技術の成果を受容し,それを巧みに使ってどのように利益を上げるかという精神 から脱却することである。根本的な独自の技術を開発創造し,技術の成果の過程を自らた どり,活用すること,そして正しい価値観を養成することによって技術の占めるべき正当 な社会的位置を与えることが要求されている。

 このような技術によって,技術は単に社会との摩擦を少なくする歯止めとしてではなく それによって正しい方向づけがなされるであろう。即ち,Tecknology Assessmentの考え と根本的・本質的な技術創造により,技術の社会への正の貢献と人聞が技術を利用すると いう基本的考え方が,生かされてくることになり,技術が福祉社会への正しいプロモータ ーとなりうるであろう。

  (結語)

 技術の成果が現代社会において,色々な意味で大きな影響を与えている。そのため技術

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と社会との関連について高い見識をもつことが望まれているが,その役割を果たす技術教 育の進むべき目標内容について検討を行なった。

 まず中学校指導要領の目標に示された技術とは生産技術であることを指摘し,技術教育 は普通科目の一科目として,独自の学問分野(技術学)をもつ必要があることを述べた。

 技術学はエンジニアリングサイエンスを基礎として,技術の理論知識とその内容を学習 すべきことと,技術教育にTechnology Assessmentの導入が必要であり,これにより技術 の健全な発達と,技術のひき起こす幣害の除去がよりょく期待されるのではないかを述べ,

これらの諸点について考察した。

 工業技術がかかえる問題は大きく複雑である。そして技術教育のあるべき姿に対する定 見は現在摸索の段階である。この小文はこれらの問題点のたたき台たらんことを望むもの であるが,先輩諸先生の御叱正をいただければ幸いである。

参考書と文献

1.原正敏,佐々木享編,技術科教育法(学文社)昭和47年

2.土井正志智,長谷川淳 他2名,工業技術教育法(教研)昭和44年

3.岡田実,内山竜雄他5名,自然科学の発達と人間生活(大阪大学開放講座1,科学情報社)昭和45 年

4.日本機械学会,日本機械学会誌73巻638号 昭和47年

5.垣花秀武,日本の近代とヨーロッパ 野毛  (日大文理学部雑誌)15 昭和48年

参照

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