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東独社会主義教育の諸問題(?)「統一的社会主義 教育組織法」の成立

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奈良教育大学学術リポジトリNEAR

東独社会主義教育の諸問題(?)「統一的社会主義 教育組織法」の成立

著者 石 正司

雑誌名 奈良教育大学教育研究所紀要

巻 9

ページ 25‑32

発行年 1973‑03‑10

その他のタイトル Problems in the Socialist Education in East Germany (III) The Formation of the Statute on the Unified Socialist Education System

URL http://hdl.handle.net/10105/6275

(2)

東独社会主義教育の諸問題OE)

「統一的社会主義教育組織法」の成立*

石    正 司**

(教育学教室)

I  は  じ  め  に

1945年.ドイツ敗戦以来,東独(ソ連占領地域, 1949,ドイツ民主共和国となる。以下略して DDR)は三度の教育制度改革を実施してきた。すなわち, 1946年, 「ドイツ学校民主化法」 (Das Gesetz zur Demokratisierung der deutschen Schule,以下略, 「民主化法」 ), 1 959年, 「ドイツ民主共和国学校制度社会主義化法」 (Das Gesetz tfber die sozialis‑

tische Entwicklung des Schulwesens in der DDR.以下略, 「社会主義化法」 ), 1 965年, 「統一的社会主義教育組織法」 (Das Gesetz u'ber das einheitliche sozial‑

istische Bildungssystem.以下略, 「組織法」 )の三法律によってである。

1946年の「民主化法」は戦前からの進歩的諸勢力の要請であった8年制の統一学校を実現した。

1959年の「社会主義化法」はその統一学校を( 1964年までに漸次的に)10年制に延長し,総合 技術教育を導入した 1965年の「組織法」は前年までに10年制の「一般教育,総合技術高等学校」

( allgemeinbildende polytechnische Oberschule)を完成実施したうえで公布された。

ところで,この「組織法」はどのような動機で公布されたのかOそして,その動機のゆえにどのよう な性格をになうことになったのか。このような観点から「組織法」を考察したい。

Ⅱ 社会主義的マンパワー・ポリシーとハイ・タレントの要諦

1960年代に入るとソ連,東欧,当然東独も入るが,その経済成長は目立って鈍化してきた。経済 不況が深刻化してきたのである。ここではごく簡単な指標をとってみよう。一部西独との比較もつけ 加えておく。

表I 東独の国民所得と工業生産の増大率(1)

「 国 民 所 得

工 業 総 生 産 高

1 9 5 1 5 5 19 5 e 6 0 1 9 6 1‑ 6 5 1 9 6 6‑ 7 0 1 9 5 1 5 5 1 9 5 6 ‑ 6 0 1 9 6 1 6 5 1 9 6 6^ 7 0 l l.4 も 7.0 3.2 ( 計 画 ) 1 3 .8 9.2 5 .9 ( 計 画 ¶

* Problems in the Socialist Education in East Germany (III)   The Formation of the Statute on the Unified Socialist Education System

** Shoji Ishii (Department of Education, Nara University of Education, Nara)

‑25‑

(3)

表Ⅱ 東独,西独のGNP,工業生産の成長率(2)

G N P 年 平 均 成 長 率 工 業 生 産 年 平 均 成 長 率

1 9 5 1 1 9 5 6 1 9 6 1 1 9 5 1 1 9 5 1 1 9 5 6 1 9 6 1 1 9 5 1

‑ 6 4

〜 5 5 〜 6 0 ‑ 6 4 ‑ 6 4 〜 5 5 ‑ 6 0 6 4

7 .2 % 4 .9 2 .7 5 .1 l l .2 7 .2 4 .1 7 .7

西 9 .1 % 6 .2 4 .8 6 .8 1 2 .1 6 .6 5 .5 8 .2

これらの表をみれば東独の経済成長低下傾向は一目瞭然であろう。この背景なくしては「組織法」

の成立は考えられない。ところでこのような経済不況をもたらしたものはなにか。 「これには多くの 原因があろうが,とくにつぎの3点があげられる。まず第1に,東ドイツはドイツ分割の結果生じた 片輪な状態をなおすため重工業の建設に力をそそがねばならなかった。しかも60年以降,化学工業, 電機,精密幾械工業などを中心とした産業構造再編成(すなわち世界的規模の技術革新‑の対応一石 井)のために多顎の投資を必要としたn第2に,労働力不足(総人口も1955年の1790万人から 1965年の1703万人に減少している。一石井)を考慮に入れなかった投資政策の失敗である。 ‑ 第3は,価格体系の不備などからくる原材料の浪費,すなわち「生産的消費」の増大である。 」

そして,こうV.、われる。 「第1の要因は多分に客観的与件とでもいったものであるが,第2,第3 の要因は計画管理制度と関連する。伝統的な中央集権的制度は工業化の段階(とくにその初期の), 換言すれば工業就業者数の増加を予定した「外延的」発展の段階で有効性を発揮するが,生産の合理 化,労働生産性の向上(すなわち,技術革新の段階一石井)を中心とした「内包的」発展の段階では 急激に欠陥を露呈するo 」(3)すなわち・より単純化していえば, 1960年代からの世界的規模の技 術革新にともない中央集権的(スターリン主義的)計画管理制度が矛盾してきたのである。その証拠 は1963年1月15‑21日, 「ドイツ社会主義統一党」 (以下略 SED)第6回大会で経済改革( 「新 経済体系」 (Neues ∂konomisches System)‑リーベルマン利潤報償方式の導入)を決定し たことによってあきらかである。

「組織法」の成立もこのSED第6回大会を起点としている。その系譜は「SED第6回大会‑の 中央委員会の報告」 ( 1963, 1, 15‑21) 「SEDの綱領」 ( 1963, 1, 18) 「ドイツ中央教育 研究所策定,統一的社会主義教育制度の概念」 ( 1963, 5, 15 ) , 「統一的社会主義教育組織法制 定の原則」 ( Grundsatze fur die Gestaltung des einheillichen sozialistischen Bildungssystems (Entwurf )以下略 「原則」, 1964, 4, 16),そして「組織法」 (1 965, 2, 25)へとつながっているo (4)ここでは「原則」と「組織法」自体を中心に制定動機をみ ていきたい。上述した経済成長の低下傾向,それへの対応策としての「新経済体系」を背景にしてみ れば, 「組織法」がマソパワー・ポ7)シーと‑イ・タレソトの要請を強い動機としていることは見や すい道理である。そして,そこには,ここで深入りはできないが, (社会主義的)教育投資論が作用

しているのも当然である(5)

まずマソパワー・ポリシーについてみていこう‑(6)もっともマソパワー・ポリシーは1946年の

「民主化法」よT)一貫したものであるが(7)この「組織法」はど露骨なものはないoまず「原則」

‑ 2b

1

(4)

からいえば, 「原則」第1章「統一的社会主義教育組織の基本的目的と課題」 ,その第1条「統一的 社会主義教育組織の内容と課題は国民経済の各要請,とくに科学,社会生活の先進分野の各要請に応 じなければならないO 」において,このことを驚くべきほど詳細に論じているo化学,冶金,電子工 学,機械など各分野のオートメ化と,その基礎をなす科学,技術,そして,それにともなう社会生活 の変化‑一言でいえば「技術革新」 (東独では「技術革命」 ( technische Revolution )と いう)をマスターすべきこと・そのための学力をつけるべきことを詳論要請している(8)

「組織法」の前文もほぼ同じであるが.つぎのようにいっている。 「‑一・一社会主義の包括的建設 にあたって最重要な目的はつぎの点にある。すなわち技術革新をマスターすること. DDRの国民経 済を発展させること.高度の科学技術の基礎のうえに立って.とりわけ先進分野において生産と労働 生産性を向上すること.なおその際.それは国民経済の計画と指導の新経済体系によってそれを向上 すべきこと.である。 」 ‑‑‑‑ 「技術革新は社会主義社会の人間の教育に高度の要請を提起している。」

そして,さらにこう極言している。 「社会主義の包括的建設にあたっては技術革新と国民を教育する 努力とは一体のものとなる。 」 ( So werden bei dem umfassenden Aufbau des Sozi‑

alismus die technische Revolution und das Streben nach der gebildeten Nation zu einer Einheit. )

つぎに‑イ・タレソト(Die Begabunge und Talente )の開発促進についてみてみよう。

「原IUの第2条「統一的社会主義教組織の内容と構造」においてこういっているo 「‑‑・(統一 的社会主義教育組織の)統一性( Einheitlichkeit )とは同形性とか画一性とかではない(nicht Gleichformigkeit und Gleichartigkeit )それは教育制度.養成形態において.社会的 要請と個人の才能( individuelle Begabunge )にしたがって.必然的に分化をふくむもので ある。 」 ・・‑‑ 「教育制度のあらゆる段階において.成績原理にしたがって. ( gem云ft demLeis‑

tungsprinzip )才能あるものはとくに促進させるべきである (die Begabten besonders zu fordern ) 「この特殊学校(後述)においては・とくに才能・能力ある生徒( besonders begabte und talentierte Sch泣Ier )に大学人学資格を与える。 」

oD

「組織法」においても上述と同じことが指摘できるが・たとえば「全学習者の教育水準の向上阜と もに.とくに才能.能力あるものの促進の措置(Ma/?nahmen zur FSrderung besonderer Begabungen und Talenten )を考慮する」杜カとさえいっているo

東独は1960年代に入って経済成長は鈍化してきた。しかし.それにもかかわらず.いやそれゆえ にというべきか.第5次5ケ年計画( 1966‑70)は総生産執こおいても.労働生産性においても 8 0珍の向上を主目的とした08専この国においては教育・学校制度は国家目標への道具であるOとす れば. 「組織法」が社会主義的マソパワ‑・ポリシー. ‑イ・タレソト育成を大きな動機としても誠

に当然なことであったのである。

Ⅲ 教育制度理論

さて.上述した社会主義的マソパワー・ポリシー. ‑イ・タレント要請は教育制度理論の中にどの ように反映してくるか。それは. (1)学校制度論. (2)教育内容.カリキュラム論にただちにはねっ

‑27‑

(5)

かえってくるであろう。この両者を統一的にみてみるならば.大略つぎの3つの立場を想定すること ができようO第1の立場‑国民一般の教育水準を向上する。したがって.統一学校制度を堅持して いく。第2の立場‑国民一般の教育水準の向上と同時に. ‑イ・タレソトのために学校制度の構造 と教育内容の分化(Differenzierung )を推進する。、 (学校種別.コース制の導入).第3の立 場‑国民の一人一人の個性. ‑イ・タレソト育成を顧慮して.学校制度の構造と教育内容の分化

(学校種別.コース制)を拡大.強化する.,

OJ)

この諸立場を東独の歴史的現実の中へひきうつしていけば.第1の立場は1946年の「民主化法」

の理念の延長である。第2.第3の立場が「社会主義化法」 ( 1959). 「組織法」 (1965)の理 念であるが.どちらかといえば.第2の立場は「社会主義化法」.第3の立場は. 「組織法」に近い といえよう。 「ドイツ中央教育研究所」 (DPZI)所長.ノイナー(G, Neuner)は「阻織法」

制定の理論的指導者であり.どちらかというと第3の立場の支持者である。したがって学校制度の中 では.たとえばノ、イ・タレソトのための特殊学校(Spezialschule )の設立を強く支持する。特 殊学校はすでに1963年7月3日, SED中央委員会政治局の「決議」にしたがい. 1964年9月か

ら実施されているが. 「組織法」の中で明確な法的位置を占めることになる。ここで注目すべきこと は法的位置を占めるにいたるまでのノイナーの努力である。それは1963年5月15日. 「ドイツ中央 教育研究所策私統一的社会主義教育制度の概念」において特殊学校の設立を強く主張していること に端的にあらわれている.すなわち.こういっている. 「特殊学校は一般教育学校である。だがしか し.それは.科学.文化.生産の各領域における後継者育成という特別な要請にこたえる学校であり.

特別の才能.能力ある者を開発促進する機会を提供する学校である。経済の先進分野の要請にこたえ.

特殊学校の発展に特別な重点( besonderes Gewicht auf die Entwicklung von Spezial‑

schulen )がおかれるべきであるOそれは国民経済の発展にとって重要なる意義をもつことになb(1す ノイナーのこのような立場.すなわち.第3の立場は教育内容.カリキュラム論にまで大きな影響 を与えてくる。ここでは.それに深入りできないが.一般教育.職業教育などの関係についていえば.

つぎのように認識している。まず「原則」の中ではこういっている。 「今日.社会主義社会における 一般教育(Allgemeinbildung )の概念は科学の嵐のような発展,技術革新の影響下にあって根 本的な変革を蒙りつつあるOもそして・ノイトは・ ㊨  般教育と職業教育との分離の廃免

② 一般教育から特殊な教育‑という時間的順次性を相互渉透性によって解決する。 ④ 一般教育r は特殊な教育によってはじめて完成する・という見地をとっているooヵ

Ⅳ 「組織法」による学校制度

上述のような動機.理論を背景として成立してくる「組織法」による学校制度体系は一体どのよう なものであるのか。まず.それを図示し.これに若干の説明をつけることにする。

① この学校制度体系の基幹部分は. 1959年「社会主義化法」以来. 1964年までに完成を目標と された。 10年制の一般教育総合技術高等学校( Allgemeinbi ldende polytechnische Oberschule )である。しかし.それは「社会主義化法」制定当時の目標とは若干変化している。

② まず第1に.それは10年制の一般教育総合技術高等学校といっているが.実際には8学年から職

‑ 1ォ ‑

(6)

業学校( Berufsschule )‑の転学を許しているo これは厳密な意味での統一学校的. 10年制の 一般教育総合技術高校ではなく. 8学年より能力別による学校制度の分化を許していることになる。

これでは「社会主義化法」と同様の措置であり. 1966/67年度ではこれに2・4.9'乙の生徒が転学 しているO これは「社会主義化法」の現実態( 1963/64. 25.4%)と本質的には変っていない。

④ 教科についていえば.第1学年から教科に入るのは国語と数学であり.これは第10学年まで継続 する。その他は工作.学校園.芸術.スポーツなどである。本格的な教科教育(Fachunterricht) すなわち.理科.社会科.外国語などの教科は中間段階(Mittelstufe 4‑6学年)からはじ まる.第1外国語であるpシャ語はこの段階からはじまる 1968年にカリキュラム(時間割)の 戟正があるが・これは1966年ソ連における選択制を移入したものであり.それによって9,10学年

‑Bl嵩一

(7)

では「教授の分化」 (Diiferenzierung des Unterrichts)が強化された。これは.さら に11, 12学年にも及んでいる。もっとも「組織法」公布当初はこの「分化」はどの程度強化すべ

きか定説はなく. 1968年ホネタカー文部大臣さえこういっている。 「教育水準や義務教育の統一 的構造をこわすことなく.大衆の学校に選択制の教授体系をつくりだすこと,これは‑大問題であ

り.この問題はまだ未解決であるOわれわれの原理的立場は10年制学校教育の水準をおとすことな く学習形態を分化していくこと( diiferenzierte Formen des Lernens )である。10年 制高校の水準は義務的教授( obiigatorischer Unterricht )の中で達成しなければならな いo 崩」とはいっても・このような「分化」によ。統 学校制度に若干の「ゆるみ」を釆た

したことを見落すわけにはいかない。

④ その典型的な例が特殊学校の法的確認である。前述したようにこの学校制度は1964年9月に実 施されたが. 「組織法」第18条「特殊学校と特殊学級」の条項で6項にわたって規定されている。

すなわち.こう規定している。 ①特殊学校は一一一般教育学校である。だがしかし.それは経済.科学.

スポーツ.文化の後継者養成という特別な要請にこたえたものである。この特殊学校には高度の成 績と特別の能力をもったもの(mit hohen Leistungen und besonderen Begabungen ) が採用される。 ②特殊学校.学級には技術.数学.理科.言語.芸術.スポーツ関係のものが設置 される。 ⑧特殊学校→学級は通常大学人学資格を付与する。これを付与しないものは.とくに芸 術.スポーツの能九業績をたかめる。 ④特殊学校一学級は限定された範囲にだけ設置する。その 数.場所は文部省に委任されるO ⑨ 課外的な器楽の音楽教育にとって.もっとも重要な機関は音 楽学校である。 ⑥科学.芸術の機関をそなえている企業は.国民教育の機関と同様に人的物的条件 を保障する勧いうまでもなく・これは‑イ・タレソト・エリートの学校であるoこの条項によっ て. 3学年からロシア語と音楽の特殊学校. 5‑‑7学年からスポーツ. 7" 学年から技術.数学.

理科の特殊学校.学級が設置された。ただし.その学校数.生徒数は今日までまったく不明である。

⑤ ところで.つぎに延長高等学校( Erweiterte Oberschule.特殊延長高校は特殊クラスをも ったもの)への進学はどうであるのか0 ‑般教育総合技術高校の上級段階(Oberstufe 7‑10 学年)から第2外国語が導入される。第1外国語はロシャ語.第2外国語は英語.仏語.第3外国 語は英語.仏語.ポーラソド語.チュク語.スベイソ語.スエーデソ語である0第9. 10学年では 少くとも2ケ国語は学習することになる。また第9. 10学年の一部生徒にはラテソ語.ギリシャ語 も入ってくる。ここで延長高校への進学にとって重要なことは第7学年から窮2外国語をはじめる ことであり.この第2外国語の履習とその成績が事実上選抜機構をなしてくる。これは1966年

6月10日付の「延長高校進学準備.および採用指針」によって.一層制度化されたといえよう。内 容は明らかではないが.数学.理科.第2外国語などにおける優秀児を集めて.延長高校進学準備 クラス( Vorbereitungsklassen )の設置を規定したものである。この準備クラス‑の選抜方 式についてはここでは深く立入らないが.通常第8学年の優等生が校長の推せんをうけて入学する ことになっている。この「指針」第3項は. 「語学強化延長高校」への進学には第9. 10学年で

「語学強化特別準備クラス」を必ず通過してくるべきことを規定・しているoeカこの準備クラスの設 定は,さきの特別学校.‑学級とともに「分化」を一層尖鋭なものとし.第8. 9学年における移

‑30‑

(8)

行期に事実上.延長高校への進学は決定するとみることができる。

⑥ 大学進学資格を出す学校は延長高校の他に4年制の職業学校(Abiturklassen in den Einrichtungen der Berufsausbildung )があるにはあるが.やはり延長高校が大学進学 の正系であるo したがって.延長高校進学準備クラスの設定は,準備クラス(または.特殊学校)

‑延長高校‑大学‑の道を第8. 9学年頃と早期に.一層固定したものとみることができよう。

以上指摘したような諸点をこの「組織法」にもとづく学校制度はもっているといえよう。

Ⅴ   結   語

上述した「組織法」による学校制度の分化(および選択制教授によるカリキュラム.コース制の分 化)はなにを意味するか。

東独では今日でも依然として統一学校の思想は.政治的.イデオT,ギ‑的.教育学的見地から神聖 不可侵のものとみられている。したがって. 「組織法」はけっして統一学校思想に連行するものでな

く. 「統一学校思想の質的発展」 ( gualitative Weiterentwicklung des Einheitss‑

chulgedankens )とみられているo幽しかし・上述した実態はどう理解したらよいのかo今日の 社会主義経済の要請はこのような理想をおし流そうとしているのではあるまいか。統一学校思想は社 会主義的マソパワー・ポリシーと‑イ・タレソトの二つ妥請によって「制約と変容」 (Einschran kungen und Modifizierungen )をせまられているといえようo㊥したがって・ 「組織法」に よる今日の東独の学校制度は「構造的.個人的な分化の混合した一般教育学校制度」 ( die gemi‑

schte strukturell‑individuelle Differenzierung des allgemeinbildenden schulwesens )と性格づけることができようo幽

(注) (1)岡 稔胤「社会主義経済論」 S,255.抜粋 (2)安平哲二. 「ソ連.東欧の経済改革」 S.19.抜粋 (3)岡 稔他.前掲書. S290‑291

(4) 「報告」. 「綱領」. 「概念」 「原則」 「組織法」はすべてMonumenta paedagogica.

Bw/2. Dokumente zur Geschichte des Schulwesens in DDR Teil. 2.

1956‑1967/68. 2. Halbbandに集録されている。 (以下略Monu. Paeda. ) (5) Bildungsokonomie ‑Gegenstand. Aufgaben und Probleme. P云dagogik.

1964.甲9. S.812.ここでは資本主義国のそれと区別しながら. 「教育投資論」

(Bildungsinvestitionen )を展開している。

(6) K,D, Mende. Schulreform und Gesellschaft in DDR. 1945‑1965, S, 81. Manpower ‑ Argumentation は東独の教育改革ではいつも決定的影響をも つものとみている。

(7) a.a.O. S.72.76.

(8) Monu. paeda. S.531‑534

‑3日 ‑

(9)

(9) a,a.0

0ゆ a.a.o hi a,a,0.

0分 a,a.0.

的 K.D.Mende.

a.a,O.

(1S Monu. paeda (1ゆ a.a,0.

81) G.Neuner

S.569‑570.

S.541‑542.

S.545.

S.574.

a,a.O. S,78.

S.76 S.487.

S.534‑535.

Aufgaben und Probierne bei der Weiterentwicklung des sozialistischen Bildungswesens. Padagogik. 1963. H. 2.

K,D.Mende. a.a.O. S,47.

鯛 K.D.Mende, S.148 参照

M.Honecker. Alles fiir die allseitig entwickelte sozialistische Person!ichkeit. P岩dagogik. 1968. S.768. 0. Anweiler.

Strukturprobleme des allgemeinbiIdenden Schulwesens. B ildung und Erziehung. 1970. H.4. S.263.

㈱ Monu. paeda. S.582.

糾 a,a,O. S.683.

吻 H. Honecker. in Dentsche Lehrerzeitung, Sonderausgabe. ll. 6. 1968.

0.Anveiler. a.a.O. S.262.

約 0.Anweiler. a.a.O. S.265.

糾 a,a,O.  S.265.

‑のI‑

参照

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