1920年代における公民教育の一研究
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(2) . 1920年代における公民教育の 一研究 --「公民科」 の基本構造について --. 新. 田. 和. 幸. は じめに. 1 910年代に 「地方改良運動」 の中から生起した公民教育は, 1 920年代に至って 「市町村の公民」 から 「国家の公民」 への進化をとげると同時に急速にその必要性が唱えられ, やがて道徳教育 を担 うべき教科として, 「修身」 とともに 「公民科」 が公教育の中に広く設置されることとなる, この過 程でさま ざまの公民教育論が主張され 「公民科」 の方向性が論じられ, とりわけ 「修身」 との関係 920年代における公民教育思想・理論・政策・実践等に亘 が最も重要な論点とされる. 本稿 では, 1 る研究へのワン・ステ ッ プとして, 我が国において最初に 「公民科」 の具体的な教育内容が国家に よって打ち出された 「実業補習学校公民科教授要綱」 について, 「公民教育調査委員会」〈 1 922(大 正11 ) 年, 12月1 2日 「公民教育調査委員会辞令」 3日文部省訓令第2 2号「公民教育調査委員 , 同1 会規程」〉の中心メン バーの公民教育論との関連においてその基本構造を仮説的に抽出し, さらにそ の構造の中に含まれる基本的な問題点がその後の文政審議会の論議の過程の中でどのような具体的 争点として現れるか, について若干の考察を試みたい, なお, ここではこの期の全般を通じて 「公民科」 の内容構成原理が基本的に如何なる内在的矛盾 をもつかという, 一つのモデル設 定のための論に限定することとする,. 1. 「実業補習学校公民科教授要綱」 の基本構造. 前述した 「公民教育調査委員会」 の第一回総会は 1 ) 年1 922(大正11 2月 27 日 開 催 さ れ た が( , ) , ここではすでに起草委員による原案が用意されていた. この 「原案」 作成にかかわっ た一人である 千葉敬止は 「……公民教育の範囲内容を具体的に決して示すの要があっ たので, 実業補習学校公民 科教授要目調査のために, 公民教育調査会を設けようとし, 其の準備として, 先づ大正11年1月, 中島半次郎, 岸田久雄, 鈴木静穂の三氏を起草委員に嘱託し, 実業補習教育主事の寺崎九一郎, 岡 篤郎, 松本喜一, 菊地良樹の四氏及拙者の五名之に参加 し, 会を開くこと数十回, 漸く十月に至り て其の成案を得たの で, 公民教育調査会を設くることになり……」( z )と「委員会」設置に至る事情を. 述べている. 「原案」は中島半次郎 (早稲田大学教授) と木村正義 (文部書記官, 同参事官) を指導 者とする省内少壮等の, いわば「実業補習教育研究会」指導グルー プの手に依るものといえる. 「実. 業補習学校公民科教授要綱」(以下 『要綱』と略す) は, 上記の「原案」にもとづき, まず農村用に 1月から翌年3月までの 2年1 2月から1 92 3年7月にかけて十回の総会審議の後,同年1 ついて,192 53.
(3) . 新 田 和 幸. 九回に亘る主査委員会審議を経て3月 26 日の総会で最終案を決し, ひきつづき, 4月から7月にか けて都市用について審議され9月1日農村用都市用共文部省に報告され,10月 9 日文部省訓令第15 一学年~第三学 号として公布されたもの である( 3 ) . 参考までに『要綱』の中農村実業補習学校後期第 年用の 「題目」 を以下に掲げておく. 第一学年 1. 人と社会 2, 我が家 3. 親子 4. 親族 5. 戸籍・相続 6. 財産 7. 職業 8. 生産 9. 一家の生計 10 1 2 3 . 農村と青年 . 警察 1 . 神社・宗教 1 . 教育 14 , 保健と衛生 1 15 . 我が郷土 第二学年 1, 我が町村 2. 町村の自治 3. 公民 4. 議員の選挙 5. 町村会 6, 町村役場 7. 4 2 町村の財政 8. 町村の財産 9. 租税 1 0 . 金融 1 . , 産業組合 11 . 農会 13 . 農村の開発 1 府県の行政 15 我が府県 . 第三学年 1. 我が国家 2. 天皇 3. 臣民・領土 4, 立憲政治 5. 帝国議会 6. 国務大臣 7. 枢密顧問 8. 国法 9. 裁判所 10 4 . 社会 . 国防 11 . 国交 12 . 交通 13 . わが国の産業 1 改善 15 世界と日本 , 中島半次郎は「公民教育は立憲国民の養成, 社会公人の陶冶を主とする教育上の新運動である」 4 ( ) として立憲治下における新しい国民の育成の必要を説き, 「国民教育」 と対置させて 「公民教育」 の 本質を以下の如く規定する. 「(国民教育は〕 言は ゞ国民を受動的に被治者として治め易き様に教育する意義を含んで来たので あるが, 公民教育と言ふ場合には, 寧ろ自発的に国家公共生活に参加し, 充分にその権利なり義務 なりを行はしむる如き教育をさしてをる。 言は ゞ, 国民を主動的に自治者として国家公共の生活に 立たしむる意義を含んでをる。 国民を受動的に被治者として教育するのと, 主動的に自治者として 教育するのとは大きな相違であって, 即ち国民教育という場合には, 下より上に服従する縦の法治 関係を意味し, 而してその基調は国家主義なるに 対し, 公民教育と言ふ場合には, 主権の統治には 充分に服従 し乍ら, その服従は何処までも自由の服従であり, 自治的の協力であり, 同時に公民相 互の間における連帯責任の感をもっ て立つところの横の関係を意味し, 而してその基調は個人主義 であり, これを社会 的に見れば民主主義 である.」( 5 } このように, 個人主義ないしは民主主義を基調として個の自由自治を強調し個々 人相互の共同連 帯意識の育成を急務と見倣すの である. この場合個人と国家との関係について 「自己の尊厳に醒め 自己の重んずべきことを自覚する でなく ば, 国家公共の為に奮闘することは出来ない」{ 6 )とする如 く, 個人を一定程度国家社会における独立的存在として承認し横の連帯を軸とする社会関係の 重要 性をうちだすことは, 君国にたいする 無限的服従者としての 「臣民」 性及び上意下達を旨とする社 会関係の後退を余儀なくせ ざるを得ない. しかしながら最終的には 「我公民教育の目的は結局は我 国家の使命を果し得る様に国民全体を協力せしめねばならぬ. 我国家の使命は言ふま でもなく万世 ー系の皇統を奉戴し, 世 界に 比類なき立憲君主国をう ち立 て・ゆくことである」 ( 7 )として国体思想との対決を回避するが故に, 実際に公民教育の内容を構成し ようとする際にかえってその不整合性より脱しえないこととなる. こ の 点において木村正義の場合も同様 である. 彼によれば 「国守観念や国体に関しては, 従来の 54.
(4) . 1 9 2 0年代における公民教育の一研究. 教育に於ても教育の根本として重大視し, 相当効果を収めて居る所 であって, 今日に至っ て別に俄 に騒ぐ必要はない」( 8 )として 「国家観念や国体に関する国民の意識」 が「国民精神の中枢」 に位置す べきことを前提としつつ, 立憲自治思想の養成と公徳心の滴養をめ ざす公民教育の相 対的緊要性を 唱えるのである( 9 ) . かくして木村は「千古不易」の歴史的伝統とそこからひき出される君臣の道義的 支配服従関係から一応区別さるべき国 民を設定して社会生活上の知識道徳の陶冶を施す公民教育 を 重視すべきである, とするのである. 即ち,「公民教育は国民が社会生活を完ふするために施す教育 である. 此所に社会生活とは頗 る広義に用ふるものであって, 国家並に国家内に於ける府 県市町村 等の自治団体たる公の権力団体は勿論, 家, 学校, 郷 土, 職業社会, 国際社会, 其他あらゆる社会 生活を包含し, 此等の社会生活を完成することを, 公民教育の目的又は標的とするの である 」 ・ 。 )と .( して, 個人を諸々の社会集団との間における役割関係の中にとり出しそれぞれの中での機能分 子と して位置させることとなる.ここに至っ て,全人格的支配服従を軸とする前近代的家族国家観と本質 的に相容れない矛盾関係を露呈せ ざるを得ないのであ る. この矛盾は当然 『要綱』 の内容構成にも反映する. 『要綱』 は一方において 「家」÷→ 「一村一 家」 ÷→ 「一国一 家」の家族主義的支配原理の一側面をその中に包含し, 「家族制度の醇風美俗」 から説 きおこし※,「我が国家」 , , ) ,「天皇」において 「我が国体の精華を知らしめ」( , 「皇室に対する尊崇敬 愛の念を養は しむ」{ ることに帰すべしとして 家族国家観的原則を貫ぬいて いる. , 2 } , ※たとえば, 原案起草委員 の一 人である鈴木静穂 (東京府豊島師範学校教諭 兼豊島師範学校 , 併設農業補習学校教諭)は「我が家」の題目について「……而して我家族制度は継続的関係にあっ て遠く祖先に湖れば民族的一大家族たるの特色を有し, この家系は永遠に存続させなけ ればなら ない責務を有すると共に家門を尊重しなければならないこと及び家主と家族との関係戸主の権利 義務家族の権利義務に関する事項を授け, 一家の繁栄は家内の和合にあり和合は一家内 のものの 心掛けの大切なることを知らしめる」( , 3に とを教授の要諦としなければならないと解説して 「我 が家」 (要目) の内容として以下の項目を掲げている. 「一. 家庭 -- 家庭は如何なるものか, 又家庭の和楽につきて授ける , -. 家は社会の基礎, 家は合同生活の自然的結合で小社会であること , -, 我が家族制度の特色, 皇室と臣民との関係大和 民族の一大家族であること . -. 家門の尊重 -- 家系の存続, 家門の尊重は吾等の責務であること 」( 4 ) . , しかし, , 他方において注目すべきことは, 題目の冒頭に 「人と社会」 を掲げている 点で あ る. こ の題目は原案には見あたらず審議の過程 で加わっ たものである. 木村はこの題目がもつ意味を次の 如く説明している. 「公民教育の目的は, 社会生活を理解せしめ社会 的道徳的情操を陶冶して, 其の社会的任務を完 ふせしむるに在るからである. 従っ て『人と社会』は公民教育の始であると共に又其究極であっ て, 公民教育は 『人と社会』 を離れては存在しない. 『人と社会』 以外の他の公民教材は畢寛するにこの 『人と社会』の政治的経済的社会的な部分的観察 であり, 個々の社会生活の解剖 に過 ぎぬの である . 故に 『人と社会』 は単に公民教育の-教材-題目として取扱ふを以て満足すべきものにあらず荷く も公民教材の存するところ又公民教授の行はる・ところ常時 『人と社会』 との関係たることを寸時 も忘れてはならぬ.」{ , 5 ) 即ち, この 『人と社会』 においてあらゆる社会生活を通ずる原理が用意される ここに, 公民教 .. 育調査委員会に提出されたとされる深作安文 (東京帝国大学助教授) の 「人と社会」 に関する案を 55.
(5) . 新. 田. 和. 幸. 見よう. 深作は社会を 「共同目的を有する数多の個人の結合」 による組織として定義し, その種類 を「家」 , 「世界」等の団体として , 「国家」 (市町村, 府県等を含む) , 「学校, 銀行, 会社等の団体」 づける 区分し, 個人と区々の社会との基本関係を以下の如く意義 . 互に人格を尊び要求を認め, 相偽り相助けて社会生活を為すを謂ふのである. こ の場合行ふべき主なる道徳は協同である. これは, 小異を捨て・大同に就き, 分離を抑へ, 衝突を 「共存共栄. 避け, 自他の力を合はせて生活することである. …… 人生の意義 人生の目的は, これを個人的に云へば人格の完成であっ て, これを社会的に云 へば社会の完成である. 社会は数多の個人から成立つもの であれば, 両者は事実上一致する. 完成 とは可能性の実現である. 人生の意義は, 共存共栄の下に個 人及び社会の有する可能性を実現する こ と であ る.」( . 6 ). ここにおいては, 個々 人の独立平等が前提とされ, それぞれが社会構成上の独立的個体としての 資格を与えられ国家・社会が構成員相互の共通の目的意識にもとづく結合体として把握される, 立 憲主義的, 法治主義的思想が表白されているものといえる. 従 って, 当然のことながら, 社会関係 を律する「主なる道徳」は横の連帯協調関係を軸とするものとなる※,この場合の横の連帯協調関係 が隣保共助の共同体的連帯と原理的に相反するものであることはいうまでも ない. もちろん, 深作 案が容易に承認されたわけでは なく, 公民教育調査委員会内でこの点に関して 「議論百出」( , 7 }し意 見の 一致に及ばぬところがあっ たとされるが※※, 公民教育の中にこのようなイン パクトが生じた こと自体注目されるべきこと である. ※深作は別のところで, 個人と社会との関係の重視について次の如く説明 する. 即ち, 「デモクラシーは個人の自由と平等とをその中心観念として, 社会上にも, 政治上にも, 産業 の上にも, 教育の上にも, 亦芸術の上にも, 機会均等を主張するのである, 随っ てそれは特に人 の社会生活を重視することとなるのである. 何故ぞと云ふに社会なるものは 共同目的を有すると ころの自由 且つ平等な個人の組立つる集団であるからである.」( , 8 )として, 「デモクラシー」 下に おける自由平等な個人とそれらの 「共同目的を有する」 社会 (国家) 目的との不可分性を説くの であ る.. ※※ 木村正義はこの点に関して次のように記している. 「委員会に於ては, …… 『人と社会 -- 人は孤立して生活することは できぬ. 他の同類と共に生 『 きるは人間本然の性情の然か ・らしむところである. 原始人にも家族と云ふ社会はある』 並に 共 存共栄 -- 深作案』に就ては各委員の意見大体 一致したるも, 社会の態様中の社会の定義及び人 生の意義中の 『完成とは可能性の実現である』 句に就き意見の一致を 見ずして, 遂に細案の具体 的内容を示す成案を得るに 至らず, 『備考』 として社会の態様の下に 『家族・郷土・国家・世界・ 学校・組合等の団体』 を附加 して原案通り決定さたの である.」( I 9 } かく して, 『要綱』においても, 家族国家観にもとづく指導原理を解消し得ず, 従っ て公民科自身 が修身科のもつ正統イ デオロギーをその枠組の中にとり入れざる を得ないのであるが, 反面で国家. 法人説的国家論や社会連帯説的社会観を背景とする国民の連帯, 階級間調和(=共在共栄)の理論に よる大衆操作の現実的必要性をも同時にその 構造の中にとりこまなければならなかっ た。 ここにこの期の 公民教育(論)のもつ二重構造を見出し得る. この場合の前 二者の実際的関係は, 個々 人の連帯協調を軸とする 一横の道徳” が, 直接国体思想にふれない限りにおいて, 家族国家観 56. 一.
(6) . 1 20年代における公民教育の一研究 9. 的社会諸関係(上意下達の命令服従的関係)を絶えず修正していく過程として把えることが できる , しかし, この両者の奇妙な混在は, そもそも原理的に反する性質を有するものであるが故に 常に , 両極分解の可能性を 卒んでいるといえよう. ※ ※以下に示す文部省実業補習教育主事による一面の指摘は, 『要綱』が示されて日が浅いがた めの 不徹底というより, 前述した如き二重構造性という内在論理の帰結によるものと考えられる . 「……然るに実際の教授を視るに或る者は全く是等の観念〔=社会生活上必要な知識道徳〕を疎 かにして殆ん ど修身教授と心得例へば皇室の事を授くにも万世-系万国無比の国柄 なることを 綾々述ぶるのみで一向に憲法な どの条文の提示や解釈などに及ぶことを知ら ざるが如き又親子 , 親族の条項を説くにも親 子や親族間の血縁関係道義関係のみに重きを置き殆んど是等の間に重要 なる法律関係の存在することに触れないものが 多い.」 (松本喜一 「実業補習学校を視 て所感の 数々」( ) 2 。 }. 1 1 文政審議会における 「修身」・「公民科」 論争 (諮諭第十一号 「中学校教育改善ニ関 スル件」 審議をめ ぐって) 諮諭 第十一号審議においては主として, 中学校教育の多様化 をめ ぐるいわゆる 「第一種第二種 問 題」 と, 中学校の教科中 「法制経済」 を廃して新たに 「公民科」 を加えるか否か の 二点 が中心課 , 題とされた. ここ では後者についての審議内容から 前節で指摘 した公民科の -- ひいては道徳教 , 育の -- もつ 基本的な問題点が, 具体的論戦の過程 でどのように現出するかをとり上げたい 。 この諮諭が提出されたのは, 1 92 8(昭和3) 年9月 28 日であり, これに対して2 9年6月 20 日 に 答申される間約9ヵ月に及ぶ審議が展開されるのであるが, すでに文部省は前節でみた 『要綱』 の 作成の段階から, 「公民科」の中等教育全般への導入を意図していた たとえば 文政審議会第四回 . , 総会 ( 1 924年12月12日) で岡田良平副総裁 (文部大臣) は 「法制経済ト云フ科目ノ・実ノ・名 前ガ少 シ適当シテ居ラヌ ヤウニ恩フ, 寧ロ是ノ・公民科トデモ申シタラ官カラウト思ヒマス 外国語デ云ヘ , バ 『シ ヴィ ッ ク ・イ ン ス ト ラ ク シ ョ ン』 ト 云フ モ ノ ニ 当 ラ ウ ト思 ヒ マ ス … … 是ノ・将 来 必 ズ各 学 校 ニ. 置カセマシテ, 学生ラシテ必ズ之ヲ必修セシムルト云フコトニ致シタイ考ヲ持ッテ居ルノデ ゴザイ マス」( 2 , )と述べて, 中等教育中の 「法制経済」 の 「公民科」 への改定の意図を明示してい る. また, 1 925(大正14 ) 年4月 1 8日, 文部省訓令第七号「師範学校教授要目改正」は「法制経済」の題目の 冒頭に新たに 「人と社会」 を加え, 教授上の 「注意」 として 「法制及経済ノ・修身・歴史其ノ他ノ学 科目ト連絡神補シテ教授シー層公民教育ノ徹底ニカムヘシ」( 2 2 }とし, 「法制経済」の部分的修正を施 している. この事実は, 木村正義が 「此の改正は一見微々たるが如くな れど……該科教授改善刷 新 の一大方針を指示する・ もの」( 2 3 }としているように, 「公民科」設置が文部省側の既定方針 であり, そ の強い意志表示を意味す るものといえる. 文政審議会における論議は, 上述したような文部省サイ ドの一連の政 策的意図と これに対する , 「貴族院 『教育系』 議員」( 2 4 )を中心とする国体論者たちとの間でおこなわれるのであるが, 以下に 具体的な審議内容に ついてふれることにする. 文部省武部実業学務局長は国民教育と公民教育との関係について次のように説明している. 「弦ニ国 民教育 ト申シマスノハ, 即チ此被教育者ラシテ国民的ニナラシムル 国民的ニ造上ゲラ , レル, 即チ日本国民トシテノ特色ヲ其言行ニ於テ思想ニ於テ感情ニ於テモ 我日本国民ノ特色 国 , , 57.
(7) . 新. 田 和. 幸. 粋ト云フモノラ発揮セシメルト云フ風ニ教育スルト云フコトガ国民教育デアラフト思フノデアリマ ス, ……而シテ公民的教養ト申シマスル場合ニハ, 是ノ、今日一般ニ国民ガ社会生活ヲ営ンデ居りマ スガ, 是ノ、即チ共同生活ヲ営ム場合ニ於キマシテノ, オ互ニ一人一人ガ生活シテ居ルノデナイ, 社 会ニ共同致シテ生活ヲ致シテ居りマス 共存共栄ト云フコトノ本義ヲ全フルト云フ意味カラサフ云フ 陶冶ノ方ヲ公民教育ト主トシテ考ヘテ居ルノデアリマス, 勿論是ノ、ハ ッキリ トシタ線ヲ引イ テ概念 ヲ明 カニスルト云フコトハナカナカ困難ナコトデアラウカト思フテ居りマス」{ 2 5 ) すなわち, 公民教育が国民の社会生活上の実際にかかわる道徳を陶冶せんとするものであり, 且 国民教育と不離一体の関係にある, という従来の公式見解を 踏襲するが, そもそも 「ハ ッキリトシ タ線」 を回避したこの 「公民教育」 の性格 が, 後に見るように, 攻撃の的にされることになる. 「公民科」 の内容についての 文部省側の具体的説明は, 前節の 「実業補習学校公民科教授要綱」 と同趣旨のもの であっ たが, この説明に対して江木千之は 「此要目ナ ドラ以テ之デ以テ 全国ノ公民 教育ラヤルト云フコトノ・頗 ル危険デ」 あり 「迂ツカリヤ ッタナラバ 是ノ・飛ンデモナイコトニナル, 一 此処ニ付テハ余程之ヲ引締メテヤラレル方法ガ立タナクチャ ナルマイ」( 2 6 )とその 危険性. を主張 「公民教育調査委員会」 設置当時の実業学務局長) が, 教授の する. これに対 して 文部次官粟屋謙 ( 方法については 「十分文部省ノ意思ノアル所ヲ徹底スル方 法ヲ採り タイ ト思フノデス…… (教科書 の) 検定ニ付キマシテモ十分注意ヲ致シマシテ, 過チナイ ヤウナ教科書ヲ採用セシムル」( 2 7に と, すなわち内容統制の強化をもっ て 一危険性″ を除去し得るとするのである. しかし, 江木の危′県は, 「此要目ト云フモノハ大体之 ガ好イモノ ダ, 斯ウ末ダ信ジテ居ラヌ」 { 2 8 )というように, 「文部省ノ意 思」 そのものに対するもの であ った, 彼によれば文部省の推進しようとするところは 「欧羅巴ヲ引 移シニスルト云フヤウナ公民科」( 2 9 )に外ならないからである. たと え ば, 親子関係を 「民法ノ如キ 真似ヲ楯 ニシテ 説ク」 「西洋流儀」 の教育は, 家族主義原理の徹底的な擁護者である江木にとっ て, 「東洋固有の道徳」 の崩壊を促すもの でしかなかった( 。 3 ) . 文部省側 が 「公民科」 を道徳教育の中に 位置づけること自体が 「修身科」 の軽視 であると受けとめ, 彼は以下の如く 主張する. 「(公民科においては) 生徒ノ環境ヲ考へ適切ナ例ヲ引イテ説ク, 何故修身ハサウ云フ風ニシテ説 カヌノデアル, 公民教育ト云フモノニナ ッ テ初メテ環境ヲ考へ 適切ニ説ク, 生徒ノ、大ニ趣味ヲ持ッ テ聴ク, 修身ノ・忠孝ノ押売ダ, サウ云フ修身ナラバモウ置カヌ方 ガ宜イノデア ル, ……所ガ其修身 ガ庇ヲ貸シテ母屋ヲ取ラレタヤウナ 話デ,修身ノ・無味乾燥デイカヌ,公民教育 ダト云フ風デ乗り取ッ テシマ ッテ, 公民教育ニ於テ修身ノコトラ皆説イテ 居ル……修身ト云フモノハ一番重キラ置イ テ科 目ノ第一ニ置イテ熱心ニヤッ テ居ルベキデアル……其公民教育 ナ ルモノハ修身ヲ適切ニ教ヘルト云 フコトニ大体帰スルヤウニ思ハレル……両方店ヲ開イテ居ルモノ ダカラ兎角 混乱ヲ来スヤウニ 思ノ、 レ ルJ( 3 . ). 江木にしてみれば, 公民科が広い意味での修身の一側面を担うものであるとか, 両者の究極的道 徳目標は一致するとかいう文部省関係者の言からすれば, むしろ修身教育を 「適切」 に説く努力を 傾けるべき であるのに, 逆に公民科に. 乗 っ 取 ら れ て い る 状 況″ は 耐 え 難 い こ と であ っ た. こ の よ. うな 「混乱」 (=修身教育の破壊) を避けるために彼は修身一元化論を打ちだすに至るのである。 田所美治の場合も, 江木の 一元化論 に賛 意を示して 「公 民科ナリ法制 経済ナ ドハ廃シテシマッ テ」( 2 3 )修身に一本化すべき であるとする. これに対して山崎達之輔文部次官は 「ソレモ確ニ理論ト シテー論デア ル」と認めながら, 「何セ ドウモサウ云フコトガ多年ノ因習, 或ハ慣習ト云フヤウナコ トガドウモ是ノ・無視スルコトガ出来ナイノデアリ, 修身科ト云フ 一体観念ガ大体永イ間習慣付ケラ レテ居りマスカラ, 従 ツテ唯修身科ト云フ名 前 ダケニシテシマヒマスルト, 私共ノ希望スル公民教 育的ノ材料ガ非常ニ 手薄ニナリハシナイカ……結果ニ於テハ唯法制経済ト云フモノラ中学校カラ廃 58.
(8) . 1 9 2 0年代における公民教育の一研究. メタ, 斯ウ云フコトニナリハシナイ力」( 3 3 )と応え, 結局修身科と公 民科との間の内在的矛盾の側面 を背後に押しやり, 両者の道徳的究極目標一致を前面に打ち 出すことによ って修身科との共存を策 するが故にかえって修身一元論への論理的帰結を目から否定し難くなる, という自己矛盾に陥り, 「多年ノ取扱上ノ惰性」 による公民教材の排除への憂 慮を理由にするという消極的な反論に終始せ ざるを得なくなる. こうして, 「公民科」は委員会審議の中でその独自の存在意義を失ないかけるのである. ここで審 議の収束部分を見てみよう, 第十五回特別委員会 ( 1929・5・9) において福原鏡二郎は 次のよう に発言している. 「……第四学年第五学年ノ修身ノ細目ヲ見ルト, 此公民科ノ教授要目ト実ノ・重複スルモノガ多イ , ……例ヘ バ修身ノ第 四第五学年ニ於テモ皇位, 皇室, 国, 国体 臣民 家 祖先 親子 夫婦 サ , , , , , , ウイウコトモ書イテアリマス, 其外共同ノ精神, 秩序, 風俗……サウシテ見ルト修身ト公 民科ト云 フモノハニツノ科目トシテ教ヘナクテモ目的ヲ達 シサウモノダ……大体一ツノ目的ノ為ニニツノ科 目ヲ教授シナケレ バナラヌト云フコトノ・ドウモ考ヘラレヌ……今度 ドウシテモ之ヲ修身ノ中デヤ レ ナイ ト云フ理屈ガアルノデアリマセウカ, ドウシテ此科目ヲ独立サセ ルノデアリマスカ」3 (4 ) 教授項目の重複の面からしても, 道徳目標の究極的一致という点から見ても, 修身一科への解消 が自然であるとする論は, 「公民科」設置反対論者たちの一貫した論理展開であった. これに対して 森岡常蔵督学官は 「道徳トシテ心得トシテ説クベ キ方面ト, ソレカラ公共生活トシテノ実際ノ心得 ト云フモノガ, 詰り謂ハ バニツノ目的ガアル訳デゴザイ マスカラ」( 3 4 )修身一科とすると 「両兎ヲ追 フトー兎ヲ得ザルヤウナ結果ニナリハセヌカ」( として 「 公民科 」設置を主張する 3 5 ) , , 森岡の場合に も, 福原の云う 「一ツノ目的」 すなわち道徳的究極目標を前提とした上 で, 道徳的心得の方面 と実 際生活の心得の方面という 「ニツノ目的」 すなわち役割分担上での 「公民科」 の存在意義を唱え ざ るを得ない. 従っ て, 技術的には 「公民科」 が 「修身」 の一部分として包摂されることが可能であ ると強弁する, 江木の以下のような発言に対する有効な反撃手段を用意し得ないの である . 「修身デ何故説ケンカ, 斯ウ云フ所ラーツ同ヒタイ, 修身デハ到底公民教育 ガ出来ナイ, 斯 ウ云フ点ガ出来ナイノデアルト云フコトラハッキリ承りタイ, 我ヶ国ノ修身科ナ ドガアルコトノ・余 り考ヘナイ デ欧羅巴諸国ヂャ 斯ンナ風ニヤッテ居ル, 我国ヂャ 此科 ガナイ ト云フヤウナ調子ニ ドウ モ公民科ト云フモノガ出来タンデハナイ カト思フ…… (公民生活の方面については) 従来我国ノ修 身書ノ説キ方デハ, 立憲政治ノ時ニ成立ッタ修身学デナイカラ, サウ云フコトニ迄説キ及ンデ居ラ ヌ……修身ノ・矢張其時 勢ニ応ジ, 其時ノ社会ノ状態ニ照シテ修身ヲ説カニャナラヌ, 其ウ云フヤウ ニ修身ヲ説クトシタナラ バ何モ公民科ト云フモノガ……必要ガナイ」( 3 7 } 前節でもふれたように, 文部省側 では, 現実の諸社会関係に対応するには家族国家観を軸とする 道徳では無理があるという自覚の上に立ち, それ故イ デオロギー的次元では 家族国家観にいまだ追 従しながらも, 現実に対処し得る独自の論理を相対的独自に構成しようと企図するのである この . 江木発言は, 上に述べた論理の 一危険性″ を充分察知 した上でのものであり, 又同時に文部省側と しても家族国家観が現実的基盤においては勿論のことその論理的基盤をも失なわせる -- 若しく は著しく相対化させる -- ことの 一危険性″ を認識している. それ故に, 修身-科 で全て説き尽く し得るとするアナクロニ ズムに真向から反駁できないの である. このディ レンマは, 次のような議論のやりとりの中にも見ることができる 福原鏡二郎が 「此案 . ニハ遵法ノ精神ヲ会得セ シメ ル (とあるが) ソレハ 『国権ヲ重シ国法ニ遵ヒ』 ソレハ勅語ニチャン ト書イテアル, 共存共栄ト云ヘバ矢張り 『博愛衆ニ及ホ シ』 ト云フ意味デアリマセウ 又 『進テ公 , 益ヲ広メ世務ヲ開ク』 ト云フ御言葉モアル, 共存共栄ノ本義ヲ会得セシメ 公共ノ為メニ扶助シ , , 59.
(9) . 新. 田. 和. 幸. 共同シテ事ニアタルト云フノハ総テ勅語ノ中ニ 包含シテ居ルノデア ルト思フ, 其他ニハ何モ内容 ガ 新シイコトハナイ ノデアリマスカラ」( 3 8 )いまとくに 「公民科」 を別置する必要は ないと論じたのに 対して, 森岡督学官は, 修身-科にしてしまうと 「従来ノ修身ハー向価値 ガナイカラ中味ヲ 入レル 為ニ公民的ノコトデ中 味ヲ入レテ教授シヤウト云フ ヤウナモノモ却 ッテ出来ルノデハナイカ却ッテ 其方ガ危険ニナルヤ ウナ感ジモ致スノ デ ゴザイ マス」( 9 3 )として, 修身道徳のイ デオロギー的純化を 保護するために 「公民科」 を別枠として設置すべし, という苦肉の弁を立てるのであるが, 結局両 者の原理的達質性を 吐露しているにす ぎない。 ) 1 929.5.1 7 その後の審 議においても, 「公民科」 設置反対論がなお強く, 第十七回特別委員 会 (. においても藤沢利喜太郎 (帝国学士院第二部長) , 団琢磨 (会社役員) , 山川健次郎 (枢密顧問官). らも加わっ た 「反対論」 の中で, 森岡督学官ま でがその 意を翻 し 「私ノ、藤沢博士ノ御意見ニ大体賛 成デ ゴザイ マス, ソレダケ申シ上ゲテ置キマス」( 4 。 )と戦線離脱するに至っ た。 このような文部省側の非勢の中 で, 粟屋文部 次官はついに 「公民科」 は 「法制経済」 の手なおし にすぎないとしてその延命を請わね ばならなかっ た。 「公民科ト云フモノハ今マデノ学科ニアリマセヌ ノデスカラ, 全然新規ノヤウニ見エマスケレ ド モ, 実ハサウ云フ訳デハナイノデアリマシテ, 在来アリマシタ 所ノ法制経済ヲ改良ヲ致シタト云フ 趣旨ノモノデ, ……是ノ・名 前 ダケ変ッタノデアリマシテ, 其実質ノ 点ノ、在来ノ法制経済デアリマシ テ, ソレニ更ニ社会上ノ事項ヲ加ヘテ, 尚ホ其法制経済ヲ教へテ居ッタ其ヤリ方ヲ改良スルト云フ コトデアリマシテ, 謂ハ バ法制経済ヲ改善シタモノデア ル, ト云フ事柄デア ッテ, 新タナモノデハ ナイ ノ デア リ マ ス」( 4 , ). 従来の 「法制経済」 の否定を出 発点としまさに 「新しい現代 的の修身科」( 4 2 )として登場したはず の 「公民科」 は, いまやその否定的存在そのものの中に 撤退せ ざるを得なかっ た。 かく して, 文政審議会における 「修身」 「公民科」 をめくる論戦の中で, 新しい時代の 道徳教育 の重要な役割を分担せんとする 「公民科」 が, たえず 「反対論」 の砲火に晒され, 一時は消 滅の淵 に立たさ れるに至るほ ど※, その存在意 義を確定することの困 難性に突き当た らなければなら な かっ た. この議論の過程で,「反対論」者が正統イ デオロギーを楯に終始一貫性を保 っ たのに対して, 「公民科」導入を意図する文部省側の論は絶えず揺れ動いた. それは, 「公民科」が自己の論理の中 に家族国家観の修正を包含するにもかかわらず, この側面を対立点から反らすために, また「修身」 との共存を企るために道徳目標の一致を前面に据えたが故にかえっ て, 逆にその独自性を否定され 修身一元化論の射程内から脱出しきれなかっ たが故であ っ た. 結果的には1930年から「公民科」設 置が実現するの であるが, 審議会における議論の限りでは 「公民科」 の意義 づけに ついて文 部省側 は後退せ ざるを得なかっ たし, 逆に反対派は家族国家観修正にたいする一定の歯止めをかけること に成功したといえるであろう。 ※ 1929 年 4月 19 日 ,. 第十一回特別委員会における小委員会報告 (山川健次郎小委員会委員長). によれば 「……ソレカラ 法制経済ト云フモ ノラ魔シマシテ是ノ・公民科ト云フモノラ修身科ノ中デ 以テ之ヲ授業スルコ トニ依 ツテ, 別ニ ー課ヲ立テテ法制経済ヲ置ク必要ハナカラウ, 斯ウ云フコ トデ削りマシタ」 として, 公民科を修身の中に含む方針が出されている. ◎. 60.
(10) . 0年代における公民教育の一研究 1 92. む. す. び. 19 2 0年代における 「公民科」 は, 共同体的秩序の動揺と階級対立の現実に対する国家権力の対応 としての立憲制の空洞化による下からの愛国心の養成を基本課題とすべき公民道徳の必要性を主要 契機として 成立する. この公民道徳は, 個人を社会における独立存在として措定しその相互の連帯 協調を軸とする点で, 従来の家族国家観と原理的に対立する要素を本来もっていたが, 「公民科」の 内部構造の中では根本的対立を極力回避しながら, 現実の社会諸関係への浸蝕によ ってその役割を 発揮しようとした. したがって 「公民科」 はその内容構成原理の中に家族国家観的原理を内包しつ つ, 社会諸関係において絶えずその 「修正」 を果たそうとするのである. しかしながら, その 「修 正」が実際に如何なる程度のものであるかにかかわらず, 「公民科」は上述の 二つの対立的原理が内 在する以上その 二重構造を余儀なくされる. それ故, 常に両極への分裂作用が生じ, 論理的にはい ずれか一方の極への原理的統一によってのみその構造がもつ自己矛盾を解 決すること が可能とな る.. また, 同時に, 「公民科」 おけるこの二重構造は, 「修身」 と 「公民科」 という道徳教科の二元的 設置を生ぜしむることになる. なぜなら, 「公民科」のもつ構造矛盾が解決されるならば道徳教育の 一元論を見出し得るし, そうなればもはや 「修身」 と 「公民科」 との区別は不要となるからである. 文政審議会での江木千之らの 主張する修身一元論は, この二重構造を一方の極に引き寄せて解決 せんとする一つの時代錯誤的な努力であっ たが, しかしその後のフ ァ シ ズム化の過程でそれが現実 となるのである. 即ち, 19 37年の 「公民科」 教授内容の改訂はすでに実質的に修身一元化の方向を 指示しており, その当然の帰結として1943年には 「公民科」 が 「修身」 に吸収され, 実質形式とも 一元化されるのである. こう して, 道徳教育教科の二元性, 「公民科」の 二重構造の矛盾はみごとに 解決された. 最初に断っ ておいたように, 小論は公民教育の歴史的研究のための仮説設定への一つのア プロー チである. 各歴史段階における公民教育の特質について, その思想, 理論, 政策等の全体的な連関 の中で明 らかにすること, を今後の課題とする.. 〈注〉 1 ( ) ( 2 ) 3 ( ) ( 4 ) ( 5 ) ) ( 6 ( 7 ) ( 8 ) ( ) 9 l o ) ( ( ) 1 1 ( 1 2 ) ( 1 3 ). 「文部時報」 第9 19 2 3年1月1日) 7号 ( 9 34年8月, 千葉敬止 「日本実業補習教育史」1 9号, 『補習教育』 2号 等参照 「文部時報」 第14 7号記事による, 尚原案は 「文部時報」 第9 6年1 0月, 1頁 中島半次郎 「公民教育要領」192 同上, 6頁 同上, 43頁 同上, 62頁 2 3年1月, 1 6頁〉 木村正義 「公民教育」(一)〈実業補習教育研究会 『補習教育』 創刊号, 19 同上, 1 6頁 2 3年2月, 1 1頁〉 9 木村正義 「公民教育」〈『補習教育』 第2号, 1 4 7号〉 「公民科教授要綱教授要旨」〈『文部時報』 第1 同上 2号, 1 92 3年1 2月, 4頁〉 鈴木静穂 「公民科教材研究」〈『補習教育』1. 61.
(11) . 新. 田. 和. 幸. ( 1 4 ) 同上, 4頁 『補習教育』3 ( 1 5 ) 木村正義 「人と社会」〈 2号, 1 925年1 0月, 2 2頁〉 1 ( 6 ) 同上, 25頁 ( 1 )「教育時論」1 39 0号, 19 7 2 4年1月 25日, 33頁の 「公民教育調査委員会」 に関する記事による 『補習教育』 6号 19 ◎ 深作安文 「新時代と国民道徳」〈 3年6月, 2頁〉 , 2 ( 1 9 0 木村正義 「人と社会」〈前出, 25頁〉 ( の 『補習教育』43号, 1 2 926年9月, 7 7頁 ( 2 1 ) 「文政審議会議事速記録」 第四回総 19 24年1 2月12日) 会( , ( 2 2 ) 「明治以降教育制度発達史」 第七巻, 608頁 綴 り 木村正義 「人と社会」 〈前出, 2 4頁〉 回 阿部影 「文政審議会の研究」1 97 5年による, ここでは, 江木千之, 田所美治, 福原鎌二郎らがかかわる. ◎ 「文政審議会議事速記録」 第一回特別委員会 ( 19 2 8年1 0月12日) 節 同上, 第五回特別委員会 ( 1 928年12月 6日) 師 同 ( 2 め 同 ( 2 9 ) 同 ( 鋤 同 鋤 同 C 2 ) 同 3 窮め 同 御 同上, 第十五回特別委員会 ( 1 929年5月 9日) 倦め 同 ( 繍 同 倦め 同 倦め 同 gの 同上, 第十七回特別委員会 〈 1929年5月17日〉 『補習教育』5 ) 岡篤郎 「公民教授の一例」く 鰯 8号, 19 27年12月, 2 5頁〉 ◎ 阿部影 「文政審議会の研究」4 42頁 (本 学助 手・岩 見沢 分校). 62.
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