フラクタル次元による切削工具の損耗評価
山梨大学大学院
医学工学総合教育部
博士課程学位論文
2017 年 03 月
目次
第
1 章 緒論
1.1 工具損耗の研究における現状と問題点
…1
1.2 本論文の目的と範囲
…2
1.3 本論文の構成と概要
…3
第
2 章 フラクタル次元
2.1 フラクタルとは
…5
2.2 相似性次元
…9
2.3 フラクタル次元の算出法
…13
第
3 章 工具損耗における切れ刃エッジのフラクタル次元
3.1 代表的な切削工具
…23
3.2 工具損耗の形態
…26
3.3 画像処理による切れ刃エッジ形状の特徴抽出
…29
3.4 ボックスカウント法によるフラクタル次元の算出
…33
3.5 切れ刃エッジ輪郭線の取り扱い
…36
第
4 章 2次元切削加工に基づく工具損耗のフラクタル性
4.1 2 次元切削加工
4.1.1 切削実験及び損耗評価
…37
4.1.2 切削の進行に伴う工具損耗の様子
…40
4.2 結果及び考察
4.2.1 フラクタル性の実証
…46
4.2.2 切削の進行に伴う D
fの変化
…47
4.2.3 切削の進行に伴う切削抵抗の変化
…51
4.2.4 切削の進行に伴う逃げ面摩耗幅の変化
…53
4.3 切れ刃のみ損耗させた状態での評価
…54
4.4 まとめ
…57
第
5 章 円筒外周切削における工具損耗とフラクタル次元
5.1 円筒外周切削加工
5.1.1 切削実験及び損耗評価
…58
5.1.2 切削の進行に伴う工具損耗の様子
…62
5.2 結果及び考察
5.2.1 切れ刃エッジのフラクタル性
…66
5.2.2 切削の進行に伴う D
fの変化
…67
5.2.3 切削の進行に伴う切削抵抗の変化
…71
5.2.4 切削の進行に伴う表面粗さの変化
…72
5.2.5 切削の進行に伴う逃げ面摩耗幅の変化
…73
5.2.6 D
fと切削抵抗,表面粗さ及び逃げ面摩耗幅の関係
…74
5.3 まとめ
…77
第
6 章 フラクタル次元に基づく切削工具の寿命予測
6.1 2 次元切削加工 …78
6.2 結果及び考察
6.2.1 切削時間に対する工具特性
…79
6.2.2 D
fと逃げ面摩耗幅,切削抵抗及びせん断角の相関性
…87
6.3 まとめ
…92
第
7 章 結論
…93
参考文献及び図書
…95
謝辞
…99
1
第1章 緒論
1.1 工具損耗の研究における現状と問題点
切 削 に おけ る 工 具損 耗 は切 削 能力を 支 配 する ば か りで は なく , 被削 材に 対 し ても 加 工 面 粗 さに影響を及ぼす.工具損耗には図 1.1 に示すように工具すくい面が切りくずとの摩擦により 生 じ る ク レ ー タ 損耗 と 加 工 直 後の 工具 逃 げ 面 が 被 削 材表 面 と の 摩 擦で 生じ る フ ラ ン ク 摩 耗 が ある.これらはいづれも切削の進行とともに損耗が進み,摩耗幅あるいは摩耗深さが一定値に 達 し た ら 工 具 交 換を 行 う . こ こで の問 題 と し て 工 具 寿命 は 各 工 具 によ る バ ラ ツ キ が 大 き い た め 交 換 時 期 は か なり 早 め に 設 定し てい る 点 で あ る . 従っ て ま だ 十 分切 削能 力 が あ る に も 関 わ ら ず 一 定 量 加 工 した ら 交 換 す るこ とに な る . そ の 影 響は 最 終 的 に は製 造コ ス ト に 反 映 す る こ とになり問題である.ここに工具寿命の予測の困難さが伺える. 図1.1 代表的な工具の損耗(高速度工具) ま た 切 削 に お ける 工 具 損 耗 で研 究対 象 と な る の が 主に 工 具 の 逃 げ面 とす く い 面 で あ る . そ してこれらに関してこれまでに多くの報告されてきた 1)~18).普通切削加工 だけではなく,断 続切削のフライスやエンドミルに関する報告もされてきた 19)~26).更に,工 具損耗と工具寿命 に関する研究も報告された 27),28).ま た特殊材料や先端材料に関する工具損耗と工具特性の関 フラ ンク摩耗 クレ ータ損耗2
係を明らかにしてきた研究もあった 29)~35).これらの多くの研究・論文を見 てみると,工具損 耗の評価は従来の工具すくい面,逃げ 面,また切削抵抗,被削材の面粗さ な どに着目された. しかし考えてみると,工具切れ刃エッジは被削材と最初に関わり,切れ味を支配する重要な部 分である.それにもかかわらず切れ刃エッジの直接的な評価は殆ど行われていない.この理由 として切削開始にほぼ直線であった切れ刃が,切削の進行で複雑に変化するため,その複雑さ を 合 理 的 か つ 定 量的 に 表 現 す こと は極 め て 困 難 で あ るこ と が 理 由 の一 つと 言 え る . 現 状 で の 工具切れ味などの比較的 わかりやすい 形状に関する評価法とし ては刃先の丸 み 36)が挙 げられ る.切削の進行と共に刃先丸みは大きくなるため評価しやすい利点がある.しかし切れ刃が刃 幅方向(歯筋方向)に沿って一様に損 耗する訳ではなく,複雑に摩耗したり,また部分的に損 傷しながら損耗していく.そのため切れ刃の丸みも場所により異なる.したがって単純に丸み の半径での評価には問題がある.とくに切込み量が小さい条件では,刃先形状は加工面粗さに 影響を及ぼすため 37),より詳細な検 討が必要である.1.2 本論文の目的と範囲
本 論 文 では 新 た に工 具 切れ 刃 形状に 着 目 した 検 討 を行 う .こ こ では 工具 の す くい 面 と 逃 げ 面の交線である切れ刃輪郭線(稜線)37)の形状に着目する.すなわち切削の 進行で切れ刃輪郭 線の変化を定量的に評価 することを目 指す .そのために提案す るのがフラク タル次元 38)によ る評価である.この理由として,工具切れ刃部分が例えば直線であったものが,切削の進行で 摩耗や損傷を繰り返しながら複雑に変化していく.そのため,これまで合理的に工具損傷の様 子を表現することが困難であった.そ こで,フラクタル次元による評価を用 いることとした. と く に フ ラ ク タ ルは , 複 雑 系 の科 学と し て 従 来 の 線 形科 学 で は と らえ られ な か っ た 複 雑 さ を 定量的に示すことができる.また,フラクタル次元は形状の複雑さを非整数次元で示すことが できるため,形状の微細な変化を表すことができる.著者らはこれまでに,砥粒加工における 砥粒形状の特徴をフラク タル次元によ り評価し,砥粒形状と研 磨能力を明ら かにして来た 39) ~41).その他に,フラクタル次元による評価は主に工具摩耗により変化する被削材の表面粗に 沿って使われ,検討された 42),43).し かし、工具の切れ刃に対する評価はされていない. そこで,本論文では切削工具の切れ刃輪郭線に対してフラクタル次元を適用する .これによ り 切 削 初 期 か ら 終期 ま で の 切 れ刃 損耗 の 様 子 が 明 ら かに す る . ま た同 時に 従 来 か ら の 評 価 項 目である工具逃げ面摩耗,切削抵抗,被削材の表面粗さ,切りくず形状なども調べ,これらと3
の関係を明らかにし,最終的には工具の寿命予測へ発展させることを目的とする .なお本論文 では杉田ら 37)の分類に従い工具の劣 化を総称して損耗(摩耗と損傷を含む)と記述する.1.3 本論文の構成と概要
本論文は 6 章で構成されている.その概要を以下に記す. 第 1 章「緒論」では,切削における工具損耗に関する研究の現状と問題点を把握する上で, 新 た に 工 具 切 れ 刃形 状 に 着 目 した 検討 を 提 案 し , フ ラク タ ル 次 元 とい う評 価 法 を 適 用 す る 目 的と概要を述べている. 第 2 章「フラクタル次元の概要」では本論文の目玉とするフラクタル次元 44)について説明 をしている.フラクタルという概念は,40 年ほど前に Mandelbrot によって考案された.そ の後のフラクタルの発展は目覚ましく,自然科学の物理学、画像解析、音響学 、医学などの様々 な分野だけでなく,社会科学等にまで影響を及ぼしている.異なる分野に属する現象どうしに 類似性のあることが,フラクタルを通して明らかになった例もある.ここでは,フラクタルの 基本的な説明や「粗視化の度合いを変える方法」などの一般的なフラクタル次元の算出法につ いて述べている. 第 3 章「工具損耗における切れ刃エッジ輪郭線のフラクタル次元」では実際に切削実験に用 い た サ ー メ ッ ト 工具 か ら 画 像 処理 によ り 切 れ 刃 エ ッ ジ形 状 の 特 徴 抽出 の取 り 扱 い 方 と 方 法 に つ い て 説 明 を し てい る . 刃 先 エッ ジラ イ ン は 基 本 的 には す く い 面 と逃 げ面 の 交 線 を 対 象 と す るが,このラインは実際には単純ではなく,3 次元的にしかも複雑に存在する.しかし 3 次元 ラインに対するフラクタル次元を算出するのは極めて困難であるため,ここでは 3 次元エッ ジラインに対しすくい面側から 2 次元投影図を得て,その 2 次元ラインに対するフラクタル 次元を算出し評価することとした.本論文では,刃先のエッジ曲線抽出した後,フラクタル次 元の算出はコンピュータ上でボックスカウント法 45)により自動計算できる ようにした. 第 4 章「2 次元切削加工に基づく工具損耗のフラクタル性」では初報として円筒端面に対す る 2 次元切削実験について述べている.これにより切れ刃輪郭線のみがどのように変化して いくかを調べた.使用した工具は TiC-TiN-TaC-WC 系のサーメットであり耐摩耗性と靱性を 有する材種である.その金属組織は微粒構造をなしている.被削材 SCM530(クロムモリブデ ン鋼)はボルト,ナット,エンジン部 品,継手など幅広く使用される機械構造用合金鋼の 1 つ である.実験と測定は一定時間(1 分)ごとに実施し,切削抵抗の測定,工具摩耗の観察,切 りくずの採取を行った.また,新品の工具に対して刃先のみを損耗させた場合のフラクタル次4
元と切削抵抗との関係も調べた.ここでは, 1) 工具切れ刃損耗の評価を,切れ刃輪郭線形状にフラクタル次元を適用した方法 を提 案. 2) 提案手法の具体的検討を,サーメットによるクロムモリブデン鋼での切削実験で実 施し,その 結果,切 削条件 によらず 工具寿命近 くではフ ラクタ ル次元が 1.08~1.12 の範囲で存在すること. 3) 工具切れ刃のフラクタル次元のみ異なる工具での切削実験では,切りくず形状はフ ラ ク タ ル 次 元 に 影 響 さ れ る . そ し て, フ ラ ク タ ル 次 元 の 増 加 と と も に 規則 性 ( 連 続 した螺旋状の切りくず形態)が失われること などを明らかにしている. 第 5 章「円筒外周切削における工具損耗とフラクタル次元」では丸棒に対する通常の 3 次 元切削実験について検討している.工具は第 4 章の実験と同様にサーメット工具を使用し,被 削物は SCM435H 丸棒を使用し,実験と測定は一定時間ごとに実施し,切削抵抗の測定,工 具損耗の観察,被削材表面粗さの測定を詳細に行っている.その間,切れ刃エッジのフラクタ ル次元を求めている.3 次元切削では,エッジ先端部のノーズ部(コーナー部分)及び主切刃 部(直線部分)に分けて求めている.ここでは, 1) 切れ刃輪郭線を工具の先端コーナー部と直線部に分けて損耗に様子を調べたところ, 両者ともにフラクタル性があること. 2) 加工前においてフラクタル次元がコーナー部,直線部ともに 1.03 であった.そして 切 削 速 度 の 異 な る 条 件 で 工 具 寿 命 まで 実 験 し た と こ ろ 寿 命 直 前 で 切 削 速度 に 関 係 な く先端コーナー部フラクタル次元は 1.08,直線部フラクタル次元は 1.12 の値を持つ こと. 3) 今回のようなゆるやかな切削条件では大規模な破壊は起らず,小さな規模の欠けが 優 勢 と な っ た た め , 先 端 よ り 切 削 速度 の 速 い 直 線 部 が よ り 損 耗 が 大 き い な ど を フ ラ クタル次元の差として示している. 第 6 章「フラクタル次元に基づく切削工具の寿命判定」では第 4 章と第 5 章の結果に基づ きさらに 2 次元切削における加工条件を拡大し,フラクタル次元による寿命予測を行ってい る. 第 7 章「結論」では第 3 章から第 6 章で得られた結論を中心に総括し,今後さらに検討す る事項をまとめて示している.5
第
2 章 フラクタル次元
2.1 フラクタルとは
自然界に存在するあらゆる形や,人類が今までに考えたあらゆる図形は,大まかに次のよう に 2 つに分類することができるであろう.一方は特徴的な長さをもつ図形であり,もう一方は 特徴的な長さをもたない図形である.ここで,特徴的な長さとは,たとえば球を考えるならば その半径,また人間の形を扱うならば身長というように,そのものに付随する長さのうちの代 表的なものをさす.もちろんここでは厳密な定義に基づいた議論をするわけではないので,人 間の形の特徴的な長さとして足の長さを考えても一向に構わない.とにかく,その形を特徴付 けるような長さであればよいのである. 特 徴 的 な 長 さ をも つ 形 の 最 も基 本的 な も の は , い ま述 べ た よ う に球 や直 方 体 の よ う な 幾 何 学的に単純な形であるが,それらの基本的な形には共通する大切な性質がある.それは,その 形を構成する線や面の滑らかさである.球の表面はいたるところ滑らかであるし,直方体のよ うに角張ったものでも,その面は滑ら かである.つまり,ほとんどどこでも 微分可能である. 自然界に存在する形でも,このグループに属するものは,その表面が実際に滑らかである.あ るいは滑らかであると近似してもかまわない場合が多い.たとえば,地 球の形を考える時には, たいていの場合は,その名のとおり球と思っていてかまわないし,もう少し欲張ったとしても 回転楕円形と考えておけば十分であろう.実際の地球の表面には山や海があり,でこぼこして いるが,それらのゆらぎは地球の特徴的な長さである半径に比べると無視しうる,というわけ である. 次 に 特 徴 的 な 長さ を も た な い形 につ い て 考 え て み よう . フ ラ ク タル にな じ み の な い 方 に と っては,特徴的な長さのない形といわれてもピンとこないかもしれないので,例をあげること にする.たとえば,雲の形を思い浮か べてみてほしい.雲の形にもい ろいろあるので,ここで は 積 乱 雲 を 考 え てみ よ う . も くも くと 湧 き 上 が っ た 雲の 各 部 分 は 球に 近い 形 に 見 え る か も し れない.しかし,よく観察すれば球とみなそうと思った形の中にも無視できないほどのでこぼ こがあり,さらに小さな球の集まりを持ってこなければよい近似にならないことがわかる.同 じことは,その小さな球についても,またさらに小さな球についてもいえる.すなわち,積乱 雲らしさを表現するためには,大きさ の異なる球を無数に用意しなければな らないのである. これは,球を用いて近似しようと思ったからたまたまそうなったのではなく,直 方体を用いよ うが,楕円体を用いようが同じことである.つまり,特徴的な長さをもつ図形を使って近似し6
ようとすればいつでも,実際の雲の形と比べ,無視できないくらい大きなずれが生じてしまい, それを減らすためには,大きさの異なる図形を無数に用意しなければならないのである. コ ッ ホ 曲 線 と 呼ば れ て い る 有名 な図 形 に よ っ て , この こ と を 具 体的 に確 認 し て み よ う . 図 2.1 がコッホ曲線であるが,この複雑な形をした曲線を線分と三角形で近似することを考えて みる.一番粗い近似は,図 2.2(a)になるだろう.しかし,これはもとのコッホ曲線 とは似ても 似つかない.そこで,さらに近似を高めていくと,図 2.2(b),(c)のようになる.ここまでくる と,多少のコッホ曲線らしさが表現されてくるが,まだとても十分とはいえない.実は,コッ ホ曲線は,この近似操作を無限に繰り返し,無限に小さな線分,または三角形によって補正し た極限として定義されるのである. 図2.1 コッホ曲線7
(a) (b) (c) 図 2.2 コッホ曲線を線分と三角形で近似する ( ) ( )8
特徴的な長さをもたない図形の大切な性質は,自己相似性である.自己相似性とは,考えて いる図形の一部分を拡大してみると,全体(あるいは、より大きな部分)と 同じような形にな っている,ということである.図 2.1 のコッホ曲線の区間 [0,1/3] における図形を 3 倍に拡大 し た 図 形 を 思 い 浮か べ て ほ し い. 拡大 し た 図 形 が も との コ ッ ホ 曲 線と まっ た く 同 じ 形 に な る ことがわかるだろう.同様のことは,区間 [ 2 / 3 , 1 ] における図形に対しても,また,傾い てはいるが,区間 [ 1 / 3 , 1 / 2 ] , [ 1 / 2 , 2 / 3 ] の図形に対しても言える.区間 [ 0 , 1 / 9 ] における図形を 9 倍してもやはり元と同じ図形が得られるし,さらに小さな部分についても 同様である.いくら小さな部分でも,そこを適当な大きさに拡大すれば元と同じ図形が得られ るわけである. この性質はコッホ曲線に限られるわけではなく,先ほど述べた積乱雲についても言える.つ まり,雲の一部を望遠鏡などで拡大して観測しても,肉眼で見たのと同じような形に見え るは ずであり,さらに倍率をいろいろ変えても,観測される形はどれも似たようなものになってい るはずである.もちろん,雲の場合には,コッホ曲線のように部分と全体がまったく相似形に なっているのではく,同じような複雑さを持った形に見えるのであり,統計的な意味で自己相 似になっているわけである.9
2.2 相似性次元
我々は経験的に,点は 0 次元,直線は 1 次元,平面は 2 次元,そして自分たちの住んでい る空間は 3 次元であることを知っている.相対論のように時間と空間を対等に扱う立場をと るならば,我々の住んでいる空間は 4 次元になる.このような経験的次元は,すべて整数であ り,その数字は独立に選べる変数の数,自由度と一致する.すなわち,直線 状の任意の点は 1 つの実数によって表すことができ,平面状の任意の点は 2 つの実数の組によって表すことが できる.このように,次元を自由度の数とする立場をとるならば,任意の非負の整数 n に対し て,n 次元空間を考えることは,数学的にまったく問題がない.実際,質点系の運動を扱う場 合に,座標と運動量を独立変数とみなし,n 粒子系を 6n 次元空間中における 1 つの点の運動 として考えることは力学の基礎である. 自由度の数を次元とする考え方は,きわめて自然であり,とくに疑問の生じる余地はないよ うに感じるかもしれない.しかし,既に 100 年程前にこの経験的な次元に対して深刻な問題 が提起されていた.それは,2 次元であるはずの正方形上における任意の点を,たった 1 つの 実数によって表しうることが示されたからである.平面を完全に覆いつくすような 1 本の曲 線の一番よい例は,ペアノ曲線である.ペアノ曲線は,図 2.3 のような折れ線の極限として定 義される.この図を見ても,この曲線が面をびっしりと一様に覆っていることはわかるであろ う.この曲線は自己相似形で,いたるところ微分不可能であり,フラクタルの典型的な例とな っている.ペアノ曲線の考え方は,3 次元以上にも適用でき,n 次元空間中の任意の点を1つ の実数で表すこともできる.つまり,n 次元空間を自由度から考えると 1 次元とみなすことも 可能なのである. このような矛盾を避けるために,次元の意味を根本的に考え直さなければならなかった.そ の 結 果 数 多 く の 次元 の 定 義 が 考案 され て き た . そ の 中で も 一 番 わ かり やす く し か も フ ラ ク タ ルと密接な関連があるのが,相似性次元と呼ばれる量である.10
図2.3 ペアノ曲線 線分,正方形,立方体の次元を相似性に基づいて考えてみよう.まず,図 2.4 のように,各 図形の辺を 2 等分する.当然ながら,線分は半分の長さの線分 2 個になる.正方形の場合に は,1 辺がもとの 1 / 2 の正方形 4 個になり,立方体の場合には 8 個になる.つまり,線分, 正方形,立方体は,それぞれ全体を 1 / 2 にした相似形 2 , 4 , 8 個によって全体が構成され ているとみなすことができるのである.この数字 2 , 4 , 8 は 21 , 22 , 23 と書き直すことがで きるが,ここに現れる指数 1 , 2 , 3 がそれぞれの図形の経験的な次元と一致する.もう少し 一般的な表現をすると,ある図形が,全体を 1 / a に縮小した相似図形 aD個によって構成さ れているとき,この指数 D が次元の意味をもつわけである.この次元を相似性次元と呼ぶ. この次元を基にすれば,ペアノ曲線の矛盾は解決する.ペアノ曲線は,図 2.3 を見ればわかる ように,全体を 1 / 2 に縮小した図形 4 個によって全体が構成されている.4 = 22 であるから ペアノ曲線の相似性次元は 2 となり,正方形の次元と一致するのである.11
1 次元
2 次元
3 次元
12
このように相似性次元は経験的な次元を自己矛盾のないように再構成しているが,実は,経 験的次元では考えられなかったような性質ももっている.それは,上の定義からもわかるよう に,相似性次元 D は,整数である必要性がまったくないのである.もしも,ある図形が,全体 を 1 / a に縮小した相似形 b 個によって成り立っているならば、b = aD より,相似性次元は a b D log log となるわけである.ここで,図 2.1 のコッホ曲線を思い出してみよう.先に述べたように,コ ッホ曲線は,全体を 1 / 3 にした相似形 4 個によって全体が構成されている.従って,コッホ 曲線の相似性次元は(2.1)式より、 2618 . 1 3 log 4 log D という非整数値となるのである. 非整数値をとる次元は,経験的な次元だけにしかなじみのない人には,非常に奇異に感じら れるかもしれない.しかし,コッホ曲 線は 1 次元というには複雑すぎ,しかし,かといって 2 次元というには(ペア ノ曲線と比べ る と)単純すぎる,とい う見方をすれ ば ,1.26… 次元と いう値は,的を射ているようにも思える.この非整数値の次元が,コッホ曲線の複雑さを定量 的に表現しているのである.フラクタル図形は,一般に非常に複雑な形をしているが,その複 雑 さ が 非 整 数 の 次元 に よ っ て 定量 化さ れ る わ け で あ る. 異 な る 非 整数 の次 元 を も つ よ う な フ ラクタル図形が 2 つあったときには,次元の高い図形の方が,一般的にはより複雑であるとい える. このような相似性次元は,経験的次元を非整数値にまで拡張した画期的な量であるが,この ま ま の 定 義 で は 適用 範 囲 が 非 常に 限ら れ て い る . 厳 密な 相 似 性 を 有す る規 則 的 な フ ラ ク タ ル 図形だけにしか,この次元が定義されないからである.
(2.1)
(2.2)
13
2.3 フラクタル次元の算出法
フ ラ ク タル に 関す る 論文 の 中で 実際 に 使 われ て いる 次 元の 定 義に は たく さ ん の種 類 があ る . それは,すべてのものに対して適用可能な次元の定義がまだ見つかっておらず,次元を測る対 象となるものによって,適用できるものとそうでないものがあるからである.厳密なことをい えば,定義の異なるものにはすべて別の名前を付けて区別すべきかもしれないが,今のところ, こ れ ら の 非 整 数 値を と り う る 次元 のこ と を ま と め て フラ ク タ ル 次 元と 呼ん で い る の が 現 状 で ある.フラクタルという概念は,様々な発展の可能性をもって成長し続けている段階なのであ る. フラクタル次元の実用的な定義の仕方は,次の 5 つに分類することができる. (1) 粗視化の度合を変える方法 (2) 測度の関係より求める方法 (3) 相関関数より求める方法 (4) 分布関数より求める方法 (5) スペクトルより求める方法 これらの方法を説明する前に,共通する注意を述べておく.1 つは,上限と下限についてで ある.実際に存在するものの形,例えば雲の形が特徴的な大きさを持たないフラクタルである といっても,それが成り立つ大きさには必ず上限と下限がある.地球くらいの大きさを基準に すれば,1 つの積乱雲は点にすぎないだろうし,顕微鏡レベルの大きさを基準にすれば,雲は 小さな水滴の集まりにしか見えず,自己相似的になってはいない.このように,フラクタル次 元が定義できる大きさの範囲にも当然,上限と下限があるわけである.この上限と下限は様々 な量の発散を抑え込む効果を持っており,大切ではあるが,形式が複雑になり,フラクタルの 本質を見逃しやすくなる危険性がある.もう 1 つは、(1) ~ (5)までの次元の定義が同一のもの に対して同一の値を与えるかどうか,という問題である.このことについての一般論はまだな く,1 つ 1 つの事例について調べてみることしかできない.しかし,著しく異なる値を与える ような例はまだないようなので,どの方法を使っても,あまり不自然な結果を与えることはな いと考えられている.14
(1) 粗視化の度合を変える方法
ここでは,フラクタル図形を円や球,線分や正方形,立方体といった特徴的な長さをもつ基 本的な図形によって近似することを考える.たとえば,図 2.5 の海岸線のような複雑な曲線を, 長さ r の線分の集合によって近似することを考える.曲線を線分で近似するには,次のように すればよい.まず,曲線の一端を始点とし,その点を中心にして半径 r の円を描く.その円と 曲線が最初に交わった点と,始点とを 直線で結ぶ.そして,その好転を新た に始点とみなし, 以下同じ操作を繰り返す. 図2.5 折れ線による海岸線の近似 このようにして長さ r の折れ線によって海岸線を近似するときに必要な線分の総数を N(r)と する.基準となる長さ r を変えれば,当然 N(r)変化する.もしも,海岸線がまっすぐであるな らば, 11
)
(
r
r
r
N
なる関係を満たすはずである.しかし,この関係は複雑な形をした海岸線については成立しな い.基準の長さ r を小さくすれば,r が大きい時に見逃していた小さな構造が見えてくるので, その分,直線的な場合よりも余計に線分が必要となるからである.コッホ曲線で,このことを(2.3)
15
確かめてみる.図 2.2 よりわかるように,N ( 1 / 3 ) = 4 , N ( ( 1 / 3 )2 ) = 42 , …… N ( ( 1 / 3 )n ) = 4n,という関係を満たしている.すなわち,( 1 / 3 )-log34 = 4 であるから, 4 log3)
(
r
r
N
となっていることがわかる.ここででてきた指数 log34 は,コッホ曲線の相似性次元とも一致 している.また式(2.3)における r の指数,1 も直線の次元に一致している.したがって一般 的に, ある曲線について, Dr
r
N
(
)
なる関係が成立するときには,D をその曲線のフラクタル次元と呼んでもよいだろう.実際の 海岸線やランダムウォークの軌跡のフラクタル次元は,このように測られたものが多い. 図 2.6 ベルト研削の砥粒分布の正方形による粗視化(2.4)
(2.5)
16
似たような方法であるが,曲線でなくとも使え,コンピュータで計算するにも適した方法が ある.それは,空間を 1 辺が r の細胞に分割し,考えている形の一部を含むような細胞の数 N(r)を数える方法である.たとえば,研削ベルトの砥粒分布におけるフラクタル次元を求める ことを考えてみる.まず,平面を間隔 r の格子によって 1 辺が r の正方形に分割する.そし て,その平面上において少なくとも 1 つの点を含むような正方形の個数を数え上げ,それを N(r)とするのである(図 2.6).もしも,r をいろいろ変えたときに,式(2.5)なる関係を満た す場合には,これらの点の分布は D 次元的であるということになる.直線や平面の場合のよ うに D が整数値をとるときには,経験的な次元と一致することは明らかであろう.この方法 は,点の分布,曲線の形だけに適用されるのではなく,川のようにたくさんの分岐を含む図形 の解析などにも適用のできる一般性の高い方法である.(2) 測度の関係より求める方法
この方法は,フラクタルが非整数次元の測度をもつことを利用して,次元を定義する. 立方体の 1 辺の長さを 2 倍にすると,2 次元測度である表面積は,22倍 になり,3 次元測度 である体積は 23倍になる.したがっ て,もし単位長さを 2 倍にしたときに,2D倍になるよう な量があったとすれば,その量は D 次元的であるといってもよいだろう. 再びコッホ曲線を例によって考えてみる.この場合に非整数次元の測度をもつ量は,曲線の 長さである.実際コッホ曲線を 3 倍に拡大したとき,曲線の長さは,元の 4 = 3log34 倍になる. つまり,この曲線の長さは,log34 次元の特性をもっているわけである. 一般に,長さを L ,面積を S ,体積を V としたとき,次の関係式が成り立っている. 3 1 2 1V
S
L
この関係式の意味は,L を k 倍にすると,S1/2も V1/3も k 倍になるということである.D 次元 測度をもつ量を X とすると,式(2.6)は次のように一般化できる. DX
V
S
L
1 3 1 2 1
(
2.6)
(
2.7)
17
この関係式より次元を決めるには,たとえば次のようにする.今,県の地 図の県境線(山梨 県)のフラクタル次元を測ることを考える.県の面積を S ,県境線の長さを X とする.県の面 積は明らかに 2 次元測度をもつ量なので,S1/2 ∝ X1/D によって,県境線のフラクタル次元 D を求めるわけである.X の次元が未知であるという立場をとるので,少々の工夫を必要とす る.一番便利でよく用いられる方法は,空間を量子化し,面積 S も,長さ X も自然数にして しまう方法である. まず,考えている平面をできるだけ 細かい格子によって,小さな正方 形の 集合に分割する. 次にそれらの正方形のうち,少しでも県を含むものを黒く塗る(図 2.7).黒い正方形の個数を SNとし,白い正方形と接している黒い正方形の個数を XNとする.単位正方形が十分小さけれ ば、S ∝ SN , X ∝ XNが成り立つと 考えてもよいであろう.たくさんの面積の異なる県や島 に対して SNと XNを同じ方法で求め, D N NX
S
1 2 1
となるような関係を満たす D が存在すれば,県境線のフラクタル次元は D であるということ になる.ここで単位の正方形の大きさが小さければ小さいほど,誤差は少なくなる.粗視化に よる方法と一番異なる点は,単位の正方形の大きさを変えずに,できるだけ小さく固定してお くことである. 同じ問題を県の面積と県境線の長さではなく,海岸線のような長さと,その直線距離 L と で考えることもできる.大きな海岸線の一部分を考えた時,その海岸線の両端の直線距離 L と 海岸線の長さXNとの関係を調べるの である.調べる海岸線の部分の大きさをいろいろ変えて, たくさんの L と XNとの組み合わせを得た時に,L と XNとの間に, D NX
L
1
という関係式が成り立っていれば,この D もやはり海岸線のフラクタル次元を与えることに なる.(2.8)
(2.9)
18
19
(3) 相関関数より求める方法
相関関数,最も基本的な統計量の 1 つであるが,その関数型からフラクタル次元を求めるこ ともできる. 空間にランダムに分布しているある量の座標x における密度をρ(x)とすると,相関関数 C(r) は,次式によって定義される.
(
)
(
)
)
(
r
x
x
r
C
ρ
ρ
ここで<・・・>は平均を表す.平均は,場合に応じてアンサンブル平均でも,空間平均でも よい.分布が一様で東方的な場合には,相関関数は 2 点間の距離 だけの関数として表せる. 普通,相関関数 C(r)の関数型としては,指数型er/ r0 やガウス型 2 0 2 / r re
を
モデル として考 えることが多いが,それらはフラクタルにはならない.というのはどちらも特徴的な距離 r0が あるからである.0<r<r0における相 関の落ち方に比べると,r0≪r における相関の落ち方はず っと急激である.つまり,距離が r0よりも近い 2 点は,お互いに強く影響を及ぼしあってい るが,r0よりも遠く離れ た 2 点は,お互いにほとんど無関係になっているということである. それに対し,分布がフラクタルになっているときには,相関関数はベキの型になる.ベキの 型であれば特徴的な長さは存在せず,相関の落ち方もいつも同じ割合で ある.たとえば, r
r
C )
(
となっていたとすれば,距離が 2 倍離れれば相関は 1 / 2α倍になるが,この 関係は距離が大き くても小さくてもいつでも成り立つわけである.このベキの指数αとフラクタル次元 D との 関係は,次のようになっている.D
d
ここで,d は空間の次元である.(2.10)
(2.11)
(2.12)
20
(4) 分布関数より求める方法
月面の写真には,大小様々なクレーターが写っているが,ただ写真を見ているだけでは,縮 尺はまったくわからない.そこに写っているクレーターの直系は 100km であるといわれれば, 随分と大きいなあと感じ,また,もし 50cm であるといわれれば,そんなに小さいのかと思う 程度で,とくに不自然な感じは抱かない.クレーターの大きさの分布にも,特徴的な長さとい うものはないのである.このような大きさの分布を考える時には,その分布関数の型からフラ クタル次元を求めることができる. クレーターの直径を r とし,また直径が r よりも大きいクレーターの存在確率を P(r)とす る.直径の分布の確率密度を p(r)とすれば,
rp
s
ds
r
P
(
)
(
)
という関係を 満たして いる.写真 や 図の縮尺を変 えるとい うことは,r→λr という変換をす ることに対応する.したがって,縮尺を変えても分布型が変わらないためには,任意のλ>0 に 対して,)
(
)
(
r
P
r
P
λ
という関係が成立しなければならない.式(2.14)を常に満たすような r の関数型は,次のよ うなベキの型に限られている. Dr
r
P
(
)
ここで現れるベキの指数 D が分布のフラクタル次元を与えることは,次のように考えれば理 解される.粗視化によって,大きさ r 以下のものが見えなくなっている場合を考えると,見え ているものの数は P(r)に∝しているだろう.粗視化の度合を変えて,大きさ 2r 以下のものが 見えなくなった時には,見えているものの数は P(2r)に比例し,その数は大きさ r で粗視化し(2.13)
(2.14)
(2.15)
21
た場合の 2-D倍になっている.一般に ,大きさ r で粗視化した時見えているものの個数を N(r) とすれば,N(r)は P(r)に比例するので,ここに現れる D が,粗視化によるフラクタル次元の 定義,式(2.5)と一致するのである.(5) スペクトルより求める方法
時 間 的 ま た は 空間 的 に ラ ン ダム な変 量 の 統 計 的 な 性質 を 観 測 に よっ て調 べ る と き , 変 動 を 波 数 で 分 解 し た スペ ク ト ル は 比較 的簡 単 に 得 ら れ る こと が 多 い . 変動 を電 気 信 号 に 変 換 し て おけば,後はフィルターを通すだけで,パワースペクトル S(f)に比例した量が得られるからで ある.ある変動に対してフラクタルがどうか,また ,フラクタルならばそのフラクタル次元は いくつか,という問題はスペクトルを調べることによっても明らかにできる. 観測の粗視化の度合を変えるということは,スペクトルの立場から見れば,カットオフ周波 数 fcを変えることになる.ここで,カットオフ周波数というのは,それよりも細かい振動成分 を切り捨てる限界のことである.したがって,ある変動がフラクタルであるということは,カ ットオフ周波数 fcを変えてもスペク トルの形が変わらない,ということである.このことは, スペクトルの形が観測の尺度を変える変換 f→λf に対して不変であることと同値であり,そ のような性質をもつスペクトル S(f)は,次のようなベキの型に限られる. f
f
S
(
)
ス ペ ク ト ル が こ のよ う な ベ キ の型 にな っ て い る と き ,そ の ベ キ の 指数 βと フ ラ ク タ ル 次 元 の 関係については,以下のようなことが知られている.たとえば,時間の関数 としてみた,ある 電 気 回 路 の 電 圧 V(t)の 雑 音 に よ る 変 動 の グ ラ フ を 考 え て み る . こ の 変 動 の ス ペ ク ト ル が 式 (2.16)のようになっているとき,曲線のグラフのフラクタル次元を D とすると,D
2
5
β
という関係が成り立っている(ただし,1<D<2).たとえば,電気回路だけでなく,種々なと ころで普遍的に観測されている 1 / f 雑音は,β ≒ 1 の場合であり,そのフラクタル次元は(2.16)
(2.17)
22
D ≒ 2,つまり,グラフはほぼ 2 次元的な面を埋めつくすような曲線となっていることがわ かる. 地形や固体の表面などの曲線を考える場合には,次のように拡張される.局面をある平面で 切った時の断面におけるグラフのスペクトルを S(f)とする.たとえば,地形の場合ならば,2 点間を直線で結び,その線に沿った高低の変動のスペクトルを S(f)とすると,地表のフラクタ ル次元 D(2<D<3)は,次の関係を満たす.D
2
7
β
これは,曲面の変動が等方的であるならば,曲面のフラクタル次元は,断面のフラクタル次元 に 1 を加えるだけでよいからである.(
2.18)
23
第
3 章 工具損耗における切れ刃エッジのフラクタル次元
3.1 代表的な切削工具
切削工具の材料 46) 47)としては,被 削材材料より硬さが大きく,高温硬度の低下が少なく, 耐摩耗性と靭性に富むことが必要とされる. 現在まで開発され一般に使用されて いる代表的な切削工具材料は炭素工具 鋼,合金工具鋼, 高速度工具鋼,超硬合金,サーメット,セラミック,コーテッド工具,CBN 及びダイヤモン ドなどがある.次にこれらの工具材料の主要事項について説明する.1) 炭素工具鋼 (carbon tool steel)
炭素工 具鋼 は,0.60~1.50%の炭素鋼で,熱処理によってある程度の硬さと靭性が比 較的容易に得られる.しかし,高温硬さが低く,刃先が 300℃ぐらいになると使用で きなくなるので,金属切削に現在ほとんど用いられていない.
2) 合金工具鋼 (alloy tool steel)
炭素工具鋼に特殊元素を添加した鋼が合金工具鋼である.合金元素としては,Cr, W, Mn, Ni, Co, Mo, V が主なものである.
3) 高速度工具鋼 (high speed tool steel)
高速度工具鋼は,適当な熱処理を施すことによって著しく硬化し,耐摩耗性や靭性に 優れ,とくに金属材料と比較的高い速度で切削しても 切れ味が鈍らないという長所を もっている. 高速度工具鋼には,標準として 18-4-1 型,すなわち 0.8%C, 18%W, 4%Cr, 1%V を含 む鋼(SKH2)がある.これに Co を添加したもの(SKH4 など),さらに Mo を W の 代用とした Mo 系高速度工具鋼あるいは高 V 系の高速度工具鋼などその種類は多い. JIS では W 系と Mo 系に区別されている. 4) 超硬合金 (cemented carbide)
超硬合金は,WC, TiC, TaC などの炭化物コバルト(Co)で焼結した合金で,1926 年の 製造されて以来広範囲に使用されてきている.この工具の特長は,耐摩耗性が優れか つ高温硬さ特性も良好である点で,常用の切削速度 200~300 m/min 程度に増大させ
24
ることが可能である.しかし,靭性は高速度工具鋼よりかなり低い.
5) サーメット (cermet)
サーメットは超硬合金と同様に硬質相とそれを取り囲む結合相とからなる。硬質相と しては炭化チタン(TiC)、室化チタン(TiN)などを主成分とする。代表的な種類として, 酸化物系サーメット(Al23, BeO, MgO, ThO2, ZrO2 など),炭化物系サーメット(SiC, TaC, TiC, VC など),ほう化物系サーメット(TiB2, ZrB2 など),窒化物系サーメッ ト(TiN, TaN),けい化物系サーメット(TiSi2, MoSi2)などがあげられる.この工 具 は セ ラ ミ ッ ク に ほ ぼ 匹 敵 す る 硬 さに 加 え , か な り 良 好 な 靭 性 を 有 し てい る . こ の ため,硬さがあまり高くない材料の加工では超硬合金より高速切削が可能となる.ま た,サーメットは材料との溶着性あるいは親和性が超硬合金より低く,構成刃先の生 成が押さえられ,仕上面粗さも良好となる特 長を示す. 6) セラミック (ceramic) セラミックはアルミナ(Al2O3)を主成分として,焼結剤を加えることなく若干の添 加元素とともに 1600℃以上で焼結したもので,いわゆる磁器である.この工具は, 高温硬さが高く,また被削材との親和性も低いので,耐摩耗性は非常に優れるが,そ の反面,靭性が非常に低いという欠点がある. 7) ダイヤモンド (diamond) ダイヤモンドは材料中最も硬く,しかも耐摩耗性が著しく優れている.また,熱膨張 係数が低く,熱伝導率が高い.しかし,非常にもろいので衝撃による工具破損には細 心の注意が必要である.
8) CBN 焼結体工具 (cubic boron nitride tool)
立方晶窒化ホウ素 (CBN)は,米国の GE 社が 1957 年に開発したもので,ダイヤモン ドにつぐ硬い硬さをもち,鉄系金属に対する反応性が少ない画期的な工具材料である.
以上,代表的な切削工具の材料についての一般的な概要である.本研究では,それぞれ性能・ 性質,コスト面により色々検討した結果,5)のサーメット工具を使用した.なお,使用したサ ーメット工具はタンガロイ製であり,図 3.1 に示すように工具材料の適正条件グラフに参考す
25
ると,サーメットの適正切削速度は 60 から 400m/min であ,適正被削材は硬さの 30 ぐらい までとなる.
26
3.2 工具損耗の形態
工具の摩耗と言っても,その種類は多岐にわたる.代表的なものは,すく い面摩耗や逃げ面 摩耗であるが,ここでは,写真を元に摩耗の種類を簡単に紹介する.
27
(1) 逃げ面摩耗 工具の逃げ面に見られる摩耗 .全ての加工で見られる.一般的に切 削速度を下げる, 送りを適正にする,湿式にする等をして抑制する事ができる. (2) すくい面摩耗 工具のすくい面に見られる摩耗.スクラッチ(切り屑擦過痕)も見られる.切削速度 を下げる,送りを適正にする,湿式に する,切込みを下げる等によって,抑 制する事 ができる. (3) 境界摩耗 刃の接触部と非接触部との境界におきる摩耗.切り屑の排出により,表面が削られる 事により発生する.切削速度を下げる,耐摩耗性の高い材種を使用する等によって抑 制する事ができる. (4) 欠損 切れ刃エッジの大きな損傷.送り量を下げる,切込みを下げる,ワーク取り付けの改 善等によって抑制する事ができる. (5) チッピング 切れ刃エッジの小さな損傷.送り量を下げる,切込みを下げる,耐靭性の高い材種を 使用する事によって抑制する事ができる. (6) 塑性変形 刃先が塑性変形して,ダレてしまう現象.工具材種を硬いモノにする,切削速度を下 げる,切込み量を下げる,送りを下げる等によって抑制する事ができる. (7) 溶着 構成刃先とも呼ばれ,刃先に被削物のカスが付着してしまう現象.切削速度を下げる, すくい角を大きくする,親和性の低い工具材種にする等によって抑制できる. (8) 圧着物分離 溶着した部分が分離する時に,刃を損傷させる現象.切削速度を上げる,送りを上げ28
る,湿式にする等によって抑制する事ができる. (9) 熱亀裂 サーマルクラックとも呼ばれ,切削時に生じる摩擦熱と,衝撃によって刃に亀裂が入 る現象.切削速度を下げる,乾式にする,不水性の切削油を使用する事によって抑制 する事ができる. 本研究では,図 3.2 で紹介したような損耗によって生じた,刃先エッジラインの変化をフラ クタル次元によって表していく.図 3.3 には実際のサーメット工具の切削により発生した,す くい面摩耗・逃げ面摩耗・境界摩耗・チッピングを示されている. 本 研 究 で は 、 工具 の 刃 先 部 を構 成す る す く い 面 と 逃げ 面 の 交 線 であ る刃 先 エ ッ ジ の 形 状 に 着目する.そして,刃先エッジラインに対してフラクタル次元を求め,工具摩耗の評価法とし て提案する. 図 3.3 のようなサーメット工具の刃先エッジに着目し,顕微鏡で拡大する.この拡大写真か ら,フラクタル次元を算出し,切削加工に伴う工具摩耗や工具寿命にどのような関係があるか を明らかにする. 図3.3 サーメット工具で生じた損耗例29
3.3 画像処理による切れ刃エッジ形状の特徴抽出
これまでに砥粒加工において砥粒形状に対するフラクタル次元(これ以降 Dfと示す)を求 めるために,砥粒の顕微鏡写真を基に砥粒形状の抽出を行った.本研究では 工具刃先エッジの 定量的な評価を行うため,画像処理により刃先エッジの特徴抽出を行う.フラクタル次元の算 出はコンピュータで計算するのに適した粗視化の度合を変える方法を用いた. 工 具 す く い 面 と逃 げ 面 の 交 線を 得る た め に , 工 具 のす く い 面 に 対し 垂直 方 向 か ら 切 れ 刃 輪 郭線を撮影した.撮影機器はデジタルマイクロスコープ(オムロン製: VC-HRM50Z)を用い, 倍率は予備検討の結果,100 倍とした.撮影した画像から輪郭線の抽出までの一例を図 3.4 に 示す.図 3.4(a)に示す刃先エッジライン写真は SEM で撮ったものだが,スキャナ等の入力装 置により,PC 内に BMP ファイルとして保存する.このファイルを加工し刃先エッジライン の抽出を行った.以下にその手順を述べる. (1) SEM で撮った写真を BMP ファイルとして保存する. 図 3.4 (a) 刃先エッジの BMP 画像 20μm30
(2) 図(a)に対して,エッジが際立つように明るさとコントラストを調節.
図 3.4 (b) 明るさとコントラストの調節
(3) さらにエッジラインの明瞭化処理(しきい値による二値化).
31
(4) 輪郭抽出とノイズ除去などのフィルターにより,エッジラインの抽出.
図3.4 (d) フィルターによりエッジ強調(その 2)
(5) エッジラインのトレースによるエッジライン以外の情報の除去.
32
以上の手順(図 3.4(a)~(e))を行い,工具刃先エッジラインは抽出される.マイクロスコー プから投射された光はチップ表面で反射し,その光の輝度値は他の背景に比べ高いため,その 境界線である刃先輪郭線が得やすい.そこで,輝度値の違いを利用して,全輝度データに対し てしきい値を設け,2 値化処理をして画像を再描写する.それにより輪郭線のみを得ることが できる.なお輪郭線の描写での線の太さは後述のボックスカウント時の r の最小サイズより小 さくする必要があるため,ここでは画像編集ソフトの 1 ピクセルの線幅とした.ただし,1 ピ クセルは実際の長さが 1μm である.このようにして輪郭線を抽出する. 次にこの刃先エッジ(曲線)のフラクタル次元を求める方法を説明する.33
3.4 ボックスカウント法によるフラクタル次元の算出
フラクタル次元の算出は通常,膨大な手間と時間がかかるため,本研究では,刃先エッジの 画 像 を 元 に エ ッ ジラ イ ン 抽 出 作業 をし た あ と , フ ラ クタ ル 次 元 の 算出 をコ ン ピ ュ ー タ で 自 動 計 算 で き る よ う にし た . 前 章 で述 べた 粗 視 化 の 度 合 いを 変 え る 方 法に よっ て 刃 先 エ ッ ジ の フ ラクタル次元を求める.図 3.5 に示すように,刃先エッジに対して基準長さ r を変化させなが らエッジと交わるボックスを数え,その総数を N(r)とし,両者の間に, Dr
r
N
(
)
の関係がある時,その曲線の複雑さであるフラクタル次元 Dfが求められる.一般に Df値は曲 線に対して 1≦Df<2 の値をとり,複雑であるほど値は高くなる. 図 3.5(a)を元に,(b)のように一辺が r1 の格子によって正方形の集合に分割する.それらの 正方形のうち,刃先エッジを含 む格子 の数を数え,N(r1)とする.ここでは分かりやすく重な る正方形を赤色で表示した. その後,格子の一辺を r2,r3 と小さくし,同じように N(r2),N(r3)を求める.(3.1)式より それぞれの格子サイズ r,N(r)を図 3.6 に示す両対数グラフ上にプロットする.このとき,r と N(r)との間にフラクタル性(直線性)が成り立つならば,プロットした点群は直線で近似でき, (3.2)式より,この直線の傾きがフラクタル次元 D となる.(3.3)式は格子サイズの大きさを表 す式である.)
(log
))
(
(log
r
d
r
N
d
D
)
4
,
3
,
2
,
1
(
2
1 max
n
r
r
n n(3.1)
(3.2)
(3.3)
34
(a) 抽出された刃先エッジライン (b) 格子サイズ r1 による粗視化
(c) 格子サイズ r2 による粗視化 (d) 格子サイズ r3 による粗視化