﹁ ウ ェ ー バ ー 宗 教 社 会 学 に お け る 聖 職 者 論 ﹂
栗原淑江
〆
一︑はじめに
世界の諸宗教を︑合理化という観点から比較研究したマックス・ウェーバーの宗教社会学において︑宗教の担い手は
さまざまな場合が考えられている︒中でも中心的な役割を演じているのが︑﹁預言者中09簿﹂︑﹁聖職者・祭司
℃﹃δω什①ご︑﹁俗人・平信徒い巴Φ﹂の三類型である︒
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ウェーバーは︑﹃経済と社会﹄の宗教社会学の章の主要な部分を︑この三者の宗教性や機能の分析にさき︑この三者のダイナミックな相互作用によって宗教は合理化されていくと指摘している︒すなわち︑﹁預言者と聖職者階級は︑宗
教的倫理の体系化および合理化を果たす二つの担い手である︒だがさらにこれら両者と並んで︑それの発展を規定する
第三の要素として︑これら預言者や聖職者たちが倫理的に働きかけるところの﹃俗人﹄が重要な影響をもたらすのであ
る︒われわれは︑これち三つの要素がいかに相共同し︑また相対立しながら作用しているかを︑さしあたりごく一般的
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に取りまとめて解明しなければならない﹂と︒そして︑これらの担い手と諸宗教の発展との関わりに論究し︑各々の宗教の合理化の過程︑あるいは合理化されなかった要因を明らかにしてゆくのである︒その意味で︑宗教の担い手とい
う問題は︑ウェーバー宗教社会学を理解する上で不可欠な視点といってよい︒
今回は︑その中で︑ウェーバーの聖職者論に注目して検討したい︒権威と特権をもつ宗教的専従者である聖職者につ
いて︑ウェーバーはその権威の源泉をどこに見出し︑その機能をいかなるものとしているのであろうか︒また︑聖職者
以外の宗教の担い手︑とくに俗人との関係をいかなるものと捉えているのであろうか︒それらの点を︑キリスト教の場
合を中心に︑﹃経済と社会﹄および﹃世界宗教の経済倫理﹄を通して検討し︑明らかにしてゆくのが︑本稿の課題で
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ある︒二︑聖職者の権威の源泉
ーカリスマ的支配とカリスマの日常化
キリスト教における司祭︑仏教における僧侶︑ヒンドゥー教におけるバラモンなどの聖職者の宗教的権威は︑何に由
来するのであろうか︒ウェーバーはそれを︑カリスマOゴ母δ旨餌の概念を検討することによって明らかにしてゆく︒
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ウェーバーは︑﹁恩寵の賜﹂との語義をもつカリスマの語を︑﹁ある個人のもつ非日常的な資質﹂という意味で使うが︑( 5 )
かれはここに世界変革の革命的性格を見出した︒このカリスマ概念は︑ウェーバ!宗教社会学における主要概念の一つであり︑ウェーバー宗教社会学が﹁突破の社会学﹂といわれる所以となっている︒すなわち︑カリスマは︑﹁人間を
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﹃内部から﹄革命し︑事物や秩序をその革命的意欲にしたがって形成しようとするもの﹂であり︑宗教的にいえば︑伝統主義的宗教意識や︑呪術的あるいはアニ︑こズム的状態にとどまっている宗教意識を打破し︑世界の新たな意味を述べ
ようとするものである︒内部からその革命的力を示現するカリスマは︑それゆえ︑最高の現象形態においては︑規則や
伝統一般を破砕し︑従来の一切の神聖性概念をくつがえす作用をもつ︒そして︑慣行的な︑かつては神聖だったものの
代わりに︑新たな神聖性への服従を強制するのである︒
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こうしたカリスマは︑支配形態を正当化する基盤となる︒ウェーバーは︑﹃経済と社会﹄の支配社会学の部分におい
て︑正当的支配の三類型として︑﹁合法的支配﹃σq巴Φ国Φ旨ω冨津﹂︑﹁伝統的支配窪餌9鉱oロ巴Φ国o肖ωげ緯け﹂︑﹁カリスマ的
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支配oげ費尻日9︒什δげoΦ閏Φ旨ωげ鋤hごをあげている︒それによれば︑合法的支配とは︑制定規則によるものであり︑その最も純粋な型は官僚制的支配である︒また︑伝統的支配は︑昔から存在する秩序と支配権力との神聖性への信念にもと
ついており︑その最も純粋な型は家父長制的な支配であるとされる︒それに対して︑カリスマ的支配は︑支配者の人格
と︑その人のもつ天賦の資質(カリスマ)︑とくに呪術的能力・啓示や英雄性・精神や弁舌の力に対する情緒的帰依に
よって成立するものであり︑その最も純粋な型は︑預言者・軍事的英雄・偉大なデマゴーグの支配であるとされる︒ウ
ェーバ!が︑その代表的な例として古代イスラエルの預言者たちをあげ︑﹃古代ユダヤ教﹄においてその革命性につい
て詳細な分析をしたのは周知のことである︒
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しかし︑この﹁カリスマ的権威の存立は︑その本質に照応して︑すぐれて不安定なものである﹂とウェーバーは指摘する︒すなわち︑﹁カリスマに対するカリスマ保有者自身および彼の使徒の信仰も︑帰依者の彼および彼の使命に対す
る信仰的帰依も︑それらが不壊の力︑統一性および強度をもって作用するのは︑原則としてただその誕生期においてだ
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けにすぎない﹂︒というのも︑カリスマ的支配においては︑﹁もっぱら純粋に指導者個人に対して︑彼の個人的・非日常的資質のゆえに服従が捧げられるのであって︑彼の制定法上の地位や伝統的な権威のゆえに服従がなされるのでは
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ない﹂のであり︑したがって︑また︑これらの資質が彼に帰されている間だけ︑すなわち︑彼のカリスマが証しによって実証される間だけ︑服従が捧げられるからである︒彼が神に見捨てられ︑あるいは︑彼の英雄的な力や彼の指導者資
格に対する民衆の信頼心が失われるときは︑その支配は崩壊する︒
このように︑カリスマ的支配は︑あくまで個人的英雄性や個人的啓示の正当性に依拠するものであるため︑それが失
われたときには︑根拠を失うものなのである︒強烈な個人的カリスマは︑社会変革・意識変革の大きな契機となるが︑
永続性をもつものではなく︑たいていの場合すぐにその初期のきらめきを失ってしまう傾向がある︒
そうなると︑﹁カリスマの日常化くΦ轟一一薮σq浮冨昌αq匹①ωOげ胃一ω日餌﹂といわれる現象が生じる︒不安定な個人的カリ
スマに代わって︑権威の持続性や安定性を保証するために︑カリスマの日常化が起こらざるをえなくなるのである︒
﹁カリスマ的に指導された一群の人々を日常の循環から超越させるに至った動きが︑ふたたび日常の軌道に退潮してゆ
くときは︑少なくともカリスマの純粋な支配は原則として破られ︑﹃制度的なもの﹄に移され︑曲げられる︒こうなる
と︑カリスマの支配は︑あるいは端的に機械化され︑あるいは気づかぬままにまったく別の構造原理によって駆逐さ
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れる﹂ようになる︒こうした日常化が起こるのは︑ω秩序の伝統主義化によって︑②カリスマ的行政幹部︑すなわち使徒団や従士団が︑内部的な支配権または特権によって専有された支配権を引き受けることによって︑合法的または身分
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制的幹部に転化することによって︑㈹カリスマそのものの意味の変化によってである︑とウェーバーは指摘する︒こうした現象の背景にはいくつかの要因が考えられる︒一つには︑﹁カリスマと被支配者に対するカリスマの恩恵と
を︑非常時と非凡な個人とのIl⊥回的な︑外面的にうつろい易い︑自由な11‑恩寵施与から︑日常の永続的所有物に
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転化することを望む﹂ような使徒や帰依者の傾向があるとされる︒また︑それと並んで経済的背景も存在する︒すなわち︑﹁現存の政治的・社会的および経済的秩序によって特権的地位に置かれている階層は︑彼らの社会的・経済的地位
を﹃正当化﹄したいという欲求︑換言すれば︑事実的な力関係の現状を既得権の秩序に転化し︑神聖化しようとする
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欲求﹂の存在である︒そして︑これらの利害関心が︑支配構造の内部において没主観化された形でカリスマ的要素を維持してゆくための︑特に強力な動機をなしているのである︒ここで︑カリスマに,は無縁であった経済的問題が登場して
くる︒この場合︑カリスマが超日常的・超自然的・神的権力としての性質をもっているということが︑カリスマの日常
化ののちにおいても︑カリスマ的英雄の後継者たちにとって︑支配者権力の正当性獲得のための好都合な根拠となり︑
その力と財産とが右の支配者権力によって保障されているようなすべての人々のために︑同じく好都合な働きをするの
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である︒
ここでウェーバーは︑カリスマと伝統の関係について注目すべき指摘をしている︒すなわち︑その根源においては相
互に無縁かつ敵対的な二つの力すなわちカリスマと伝統1が相互に混和し合う現象が見られ︑また︑カリスマ的
支配は︑鋭い情緒的な信仰的性格をもつことによって伝統被拘束性と区別されるわけであるが︑カリスマ的支配がこの
情緒的な信仰的性格を失うときは︑カリスマと伝統との結合という結果が︑無条件に最も生じ易く︑多くの場合には不
可避的に生じてくると︒
本来カリスマは︑制定秩序や伝統的秩序︑既得権にもとつくものではなく︑そうした動きに対しては︑まったく敵対
的に対立するものであった︒そして︑カリスマ性に依って立った預言者が打破すべきものとして見出すのは︑伝統主義
であったはずである︒しかし︑この段階になると︑カリスマの革命的な本質は失われてしまう︒そして︑経済的または
社会的に優位な地位にある人々は︑自己の財産をカリスマ的で神聖な権威と源泉とから由来したものとして正当化しよ
うとし︑カリスマはそうした利害関心の具に供されるに至る︒したがって︑カリスマは︑﹁その誕生期におけるように︑
その真正な意味にふさわしく︑あらゆる伝統的なものやまたは﹃正当な﹄権利取得にもとついているものに対抗して︑
革命的な作用を発揮する代わりに︑今や︑まさに逆に︑﹃既得権﹄の法的根拠として機能することになる︒そして︑カ
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リスマは︑今や︑まさにこのーカリスマの内的本質とは無縁な⁝作用によって︑日常の構成要素になる﹂のである︒このような︑カリスマの日常化の結果として現れるものの一つが︑官職カリスマといわれるものであり︑これこそが︑
聖職者の権威の根拠となるものである︒
2官職カリスマ
ウェーバーによれば︑カリスマの日常化がさらに進んだ﹁カリスマの没主観化く霞ωmo匡8げロコσqα①ωOゴ霞一ωヨ印﹂の過