◎道具と手法
イ ン タ ー ネ ッ ト
宇 佐 美 文 理
・ ・・
はじめに
はじめてインターネットにつながったときの印象という
ものを︑みなさんは覚えておられるだろうか︒かつてイン
ターネットは︑ケーブルを部屋に来ているコンセントにさ
せばつながるというものではなかった︒筆者がインター
ネットに初めて接続した一九九三年当時は︑共通予算で各
研究室にLANが引かれる︑というような時代ではなかっ
た︒ケーブル敷設を業者に任せて莫大な予算を研究費から
割かれるのが惜しく︑自ら﹁風車の弥七﹂状態となって研
究棟の廊下の天井裏をはいずり回ってハブを置き︑
lOBASET6ケーブルを降ろした︑という頃である︒さら に":ffi '6̀Windowsはω゜一の時代で︑≦ゴ自︒≦°・はwinsock
を持っていなかったので︑それを組み込んでやらねばなら
ず︑やれIRQだDMAチャンネルだなどと︑手動で設定
する必要があった︒
当時はさらに︑いまだネットスケープもない時代であり
(むろんH国など存在しない︒身近に使えたのはmosaic6̀
み)︑ネットスケープが登場しても︑しばらくの間は日本
語パッチをあてないと日本語ページは読めなかった︒
しかしながら︑そのころは︑まだ日本語のページ群自体
にあまり見るべきものがなかったということも事実であ
る︒それは︑中国学に関するページがあまりなかったとい
うにとどまらない︒インターネット︑それも≦毫は︑英
語圏の世界だったのである︒ホームページは英語で書かな
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ければ︑誰も読んではくれない︑という時代であった︒筆
者がホームページを開いたのは一九九五年一学期︒最初は
サーバを間借りしていたが︑その夏休みから︑自前のマッ
クNmachttpdを使ってサーバを立ち上げた︒(その後︑
Linux(Vine)+apacheに移行)ログを取ってみると︑ほと
んどがアメリカ︒筆者のホームページの荘子の紙芝居が英
語なのも︑その名残である︒リンク集も日本語と英語の両
方を作っていた︒リンク集はおおよそ海外の人が使ってい
たからである︒今では︑検索ページが発達して︑リンク集
自体の重要性が当時とは比べものにならないが︑ともか
く︑情報発信も英語で︑の時代であった︒
なお︑そのころの^,ンク集Nは'WWWVirtualLibrary
がまず挙げられよう︒かつては学術インターネット情報の
総本山的な地点で︑まずはそこに行かないと何ともならな
かった学術総合リンク集である︒これは︑ジェノバにある
﹁セルン(O国閃Z・≦韮発祥の地ごにおかれていた
が︑その中国学の部分はその後ハイデルベルク大学に移
り︑現在もInternetGuidesforChineseStudies(IGCS)http://
sun.sino.uni‑heidelberg.de/igcs/として主にライデン大学に
よって運営されている︒また︑そのころには︑オーストラ
リア6̀AzU(AustralianNationalUniversity)6̀Matthew
Ciolek博士が中心となり︑中国学に関する新しいサイトの
情報を収集︑メンバーに配信というシステムがあった︒筆 者もその配信を受けており︑自らのリンク集作成等に利用
していたが︑今では︑IGCS上に登録ページがあり︑よ
り便利になっている︒
それもまた︑過去の話︒話はいきなり現在まで飛んでし
まう︒なにゆえ﹁昔の話﹂などをするのかは︑また最後
に︒
インターネットは何を変えたか
さて︑インターネットの導入によって︑一体何が変わっ
たか︒
まず第一に挙げるべきは︑電子メールの恩恵であろう︒
それは中国学に限ったことではないので︑ここで述べる必
要はないことであるかもしれないが︑身近な研究者に︑簡
単にいろいろなことがきけるようになったというのが大き
な変化であり︑何にもまして︑雁首ならべて会議をするこ
とが減って︑勉強する時間が取れるようになったというの
が非常に大きなことではなかろうか︒
それはさておき︑次に︑中国学では﹁テキストの変化﹂
であろう︒
つい最近まで︑テキストとは︑そのほとんどは紙に書か
れたもの︑印刷されたものであった︒それが︑﹁電子テキ
スト﹂というものがインターネット上に登場することによ
り︑大きく変化した︒それは︑単にテキストを載せる媒体
が一つ増えたということに止まらない︒
それは︑﹁電子テキスト﹂が︑実体がないもの︑いいか
えれば︑直接我々が五官によって認識できないものとして
登場したということである︒つまり︑ここに﹁論語﹂の本
文の電子テキストがある︑とすると︑それはたとえばハー
ドディスクの中などに﹁存在﹂するのであるが︑それ﹁自
体﹂を我々は認識することはできない︒そこに書かれた内
容を﹁認識する﹂︑たとえば﹁学而時⁝⁝﹂という内容を
知るためには︑パソコ.1"}4' Iタ︑WindowsなどのOS︑
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鐙
LLL r ワープロなどのソフトウェアを必要とする︒さらに言えば︑交流百ワットなどの﹁電気﹂も必要である︒そのよう
なものに支えられて︑﹁電子テキスト﹂は存在する︒厳密
に言えば︑電子テキストの成立には必要であったが︑存在
自体には必要としない︒が︑テキストは最終的には人間に
認識されることを志向して作られている︒従って︑電子テ
キストの存立にはそれらのものが不可欠だと言ってよかろ
う︒
そのような電子テキストの性格が︑どのように中国学を
変化させたのか︒
さて︑それまでの学生の勉強の仕方はというと︑﹁史記
秦始皇本紀日︑天下敢有藏詩書百家語者︑悉詣守尉雑僥
之﹂という文章に出会うと︑まず﹃史記﹄の何らかの紙の
テキスト︑要するに書物を引っ張り出して︑始皇本紀の部
分を開き︑﹁天下⁝⁝﹂の部分を捜さねばならなかった︒
それが︑インターネットにつながっているマシンの前に
座って︑検索の窓に﹁天下敢有藏﹂とでも入れてやれば︑
その部分の﹁電子テキスト﹂が目の前に現れるようになっ
てしまったのである︒
現在は︑出典調べの仕事が﹁指一本﹂でできることに
なってしまったのである︒(もちろん︑十本の指を使った方
が速いし︑マウスを指一本で動かすのは難しいが︑極端に言え
ば︑指一本でできる仕事︑である︒)対して﹁紙の上にある
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テキスト﹂は︑指一本では繰りえない︒﹁手﹂の動きも︑
﹁腕﹂の動きも必要である︒
しかしながらおもしろいのは︑いずれの手法を取って
も︑同じ﹁情報﹂にたどり着くということである︒
つまり︑電子テキストを使った検索の意味は︑﹁速い﹂
従って﹁網羅的に行うことが可能﹂ということになるわけ
だが︑到達される情報については︑少なくとも見かけ上は
同じものにたどり着くわけなので︑その優位は動かない︒
では︑何故に﹁電子テキストを使うな﹂と言われるの
か︒それは︑まさにその﹁同じところにたどり着く﹂こと
の裏側にある︒それは︑同じところにたどり着くまでに︑
時間がかかるわけだが︑その間に我々は何をやっている
か︑という問題である︒
文献を扱う作業はしばしば旅に喩えられる︒要するに
﹁かわいい子には旅をさせよ﹂であるわけだが︑京都から
東京に行くのに︑京都駅まで車で送つていって新幹線に乗
せてしまっては︑なんとも具合が悪かろう︒言うまでもな
く︑インターネットによって文献にたどり着くのは︑新幹
線に乗っているようなものである︒
出典調べをするのは︑実は出典を明らかにするためだけ
ではない︒それは︑(もちろんその書物の記述がまちがっ
ていることを指摘することもあるわけだが)出典にたどり
つくまでの道すがら︑どのようなことを学ぶことができる のか︑それが一つの問題である︒
名古屋に行ってこい︑だとすれば︑東海道線あり︑途中
から草津線関西線と乗り継ぐことも可能であろう︒もちろ
ん歩くとなれば道はさらに複雑なコースがあろう︒そし
て︑電車の通っていない地方の小さな村が仮に目標であっ
たとき︑新幹線だけしか知らない場合には︑まず﹁地図の
読み方﹂から学ばねばなるまい︒
いろいろなところにたどり着くには︑いろいろな手だて
がある︒それは︑教えられてできることもあるだろうが︑
自ら地図を読み︑自らの目で風景を見︑自らの足で歩いて
たどり着く経験がどうしても必要であろう︒
いつか︑知らない村へたどり着くことを自らの目標とす
る時︑その時のために︑いろいろな経験が必要なのであ
る︒
なお︑新幹線は実はまだいいのであって︑飛行機のよう
なものを考えてもらうとわかりやすいかもしれない︒途中
の景色というものがほとんど捨象されているからである︒
紙に印刷されたテキストをひっくり返す場合︑そこにた
どり着くまでのいろいろな風景がある︒図書館の入口︑司
書の人達︑自分の調べる書物とは全く違うジャンルの書物
群︑自分の調べるべき書物の分類に近い書物群︑そこにた
またま居合わせる同級生⁝⁝
さらに︑目当ての書物にたどり着くと︑そこには何種類