犯罪捜査のための写真撮影が許される限界
著者
今上 益雄
雑誌名
東洋法学
巻
13
号
3・4
ページ
87-95
発行年
1970-03
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00006120/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja刑事判
例研究
四 犯罪捜査のための写真撮影が許される限界
︵松鵬撤騎鵬曙幽壌ロ識浩響麟ズ巖鵡撒瀬凋上○齢髭無︶ 判例時報五七七号一八頁以下 ︻事実︼ 昭和三七年六月㎞二日に行なわれた京都府学生自治会連合主催の大学管理制度改悪反対等の集団行進、集団示威運動の 際、被告人の属する学生集団が、公安委員会と警察署長の附した許可条件に違反する行進をしている状況を現認した京都府警採証 瑳の巡査Aが、集団先頭の行進状況を撮影したところ、被告人は所携の旗竿をもって同巡査の下顎部を一突きして、同人に治療約 一週間の傷害を与えた。これが公務執行妨害、傷害罪として起訴されたものである。 これに対し被告人側は、京都市条例は違憲無効であり、無効な右条例に基いて、公安委員会等が附した条件は無効であるから、こ れに違反する行為があったとしても犯罪を構成せず、捜査の対象となり得ないから、本件警察官のした写真撮影は適法な公務執行 ではないし、又令状なしで警察官が写真撮影するのは、憲法一三条の保障する肖像権を侵害するもので、適法な職務執行とはいえ ない等の主張をして争った。 この京都市条例については、最高裁大法廷は一五名全員一致で昭和三五年七月二〇日の東京都条例に関する大法廷判決︵刑集一 四・九・二一四三︶を踏襲して憲法二蝋条に違反しないと判示した。この点は既に昭和三五年九月二九呂の第一小法廷の合憲判決 ︵刑集一四・一一・一五一五︶があるが、本件条例はその全文改正後のものであるから、最高裁としてはじめての判断である点が注 目されるのみで、中心間題は憲法二二条の解釈適用と犯罪捜査のため個人の容ぼう、姿態の写真撮影が許容される限界如何にある といってよい。東洋法学 八七
飛事判例砥究 八八 ︻判旨図 これについて判示は、︵[︶ 只憲法二二条は︶国民の私生活上の自由が緊急権等の国家権力の行使に対しても保護され るべきことを規定しているものということができる。そして、個人の私生活上の自由の一つとして、何人も、その承諾なしに、み だりにその容ぽう・姿態⋮⋮を撮影されない自由を有するものというべきである。これを肖像権と称するかどうかは別として、少 なくとも.警察官が.正当な理由もないのに、個人の容ぼう等を撮影することは、憲法;一条の趣旨に反し.許されないものとい わなければならない。しかしながら、個人の有する右露由も、国家権力の行使から無制限に保護されるわけでなく、公共の福祉の ため必要のある場合には相当の制限を受けることは同条の規定に照しても閉らかである。 そして・犯罪を捜査することは・公共の福祉のため警察に与えられた園家作用の一つであり.警察には.隔れを遂行すべき責務が あるのであるか争⋮・・警察官が犯罪捜査の必要上写真を撮影する際.その対象の申に犯人のみならず.第三者である纐人の容ぽ う等が含まれても・これが許容される場合がありうるものといわなければならない。 そこで・その許客される限界について考察すると.身体の拘束を受けている被疑者の写真撮影を規定した刑訴法一コ八条二項の ような場合のほか、次のような場合には、撮影される本人の同意がなく.また裁判官の令状がなくても.驚察官による個人の容ぽ う等の撮影が許客されるものとすべきである。 すなわち、現に犯罪が行なわれ、もしくは行なわれたのち悶がないと認められる場 合であって、しかも証拠保全の必要性および緊急性があり・かっその撮影が一般的に許容される限度をこえない相当な方法をもつ て行なわれるときである。このような場合に行なわれる警察官による写真撮影は、その対象の中に犯人の容ぼう等のほか犯人の身 辺または被写体とされた物件の近くにいたため.これを除外できない状況にある第三者である個人の容ぼう等を含むことになって も憲法二二条.三五条に遠反しないものと解すべきである。﹂ ︵二︶ ﹁事実によれば、Aの写真撮影は・現に犯罪が行なわれていると認められる場合になされたものであって.しかも多数の 者が参加し.刻々と状況が変化する集団行動の性質からいって、証拠保全の必要性および緊急性が認められ、その方法も一般的に 許容される限度をこえない相当なものであったと認められるから、たとえ、それが被告人ら集団行進者の同意もなく、その意思に 反して行なわれたとしても、適法な職務執行行為であったといわなければならない。そうすると、これを刑法九五条一項によって 保護されるべき職務行為にあたるとした第一審判決およびこれを是認した原判決の判断には、所論のように、憲法一三条、三五条 に違反する点は認められないから、論旨は理由がない。﹂とし、その余の上告趣意は、単なる法令違反、事実誤認の主張であって、
刑訴法四〇五条の上告理由にあたらずとして、上告を棄却したものである。 ︻研究︼ 一 捜査過程における写真撮影の許されるべき限界、いわゆる肖像権︵U霧評畠欝鷺の蒔窪窪望一留︶、すな わち、承諾なしに自己の肖像を撮影され、使用されることのない権利なる概念が、証拠収集の過程で、どのような制 約的な意味をもつかという問題については、既に数多くの判例がある。 しかるに、捜査上の写真撮影は、後述するように、その性質からいっても、判例による具体的、合理的内容と、規 制とが必要であるにもかかわらず、従来の判例では、その限界基準がややもすると充分に示されなかったのに対し、 いわゆる国鉄田町電車区入浴事件において、昭和四三年一月二六日になした東京高裁判決︵福墾罫蜷︶が、憲法二二条 によって、公共の福祉に反しない限り、国民はその承諾なく写真を撮影されない利益を有するとし、但し現行犯およ び現に罪を犯したと疑うに足りる相当な理由がある場合、犯罪がまさに行なわれようとしている場合、既に発生した 犯罪に引続き更に犯罪が発生しようとする情況がある場合において、証拠保全の必要性および緊急性が認められ、そ の方法が一般的に容認される相当性を備えるときは、相手方の意思に反しても、写真撮影が許されるとしたが、本大 法廷判浅も、ほぼ、これと基調を同じくするものであり、その意味で、格別目新しい基準を提供したものとはいい難 いが、これを権威的に確認した点と、令状なく写真撮影の許される場合の法的根拠を憲法二二条に加え同三五条に求 めた点とにおいて、注目してもよかろうと考えるのである。 二 ところで、本件のような、いわゆる集団示威行進に関しては、特に写真撮影の対象となった権利の性格が問題 東洋法、学 八九
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とされる。 もともと、承諾なしに自己の肖像を撮影され使用された場合に、これをどのように保護すべきかについては、英米 法ではプライバシーの権利の一環として論じられているが、大陸法では肖像権の問題と解されている。そうして、こ の肖像権は人格権の一部として、比較的早く承認された権利であるが、これをもって権利と解するか、違法な侵害に 対する利益と解するかはともかくとして、社会の進歩に伴う人間の尊厳性への自覚と、近代的マス惚、・・手段の急激な 発達とが.人権侵害の危険性を増大せしめたことから.今日においては.人格権の一部としての肖像権あるいは実質 的に同種の機能を果すプライパシーの権利を.何らかの意味において考慮しないわけにはいかない︵蘇噛鮎酩謙穂灘銑笹函︶轍褻罵ただ・き窪等べ書識.濃讐かζ柔シみ権利とかいう名の下に・その獣総憩︵暮畿︶
パ ゆ ガ ぽ ゆ を確認することよりも.人格権、自由権の廷長として実質的な救済を与える.すなわち.これらを.単に個人の秘密 ゆ ぽ ゆ ぽ マ ぽ 性に対する不干渉の利益という面にのみウ瓢!トをおくのでなくして、広く個人の社会的活動の領域における自由の 保障、人格的利益の保障という面にその核心があると考えるべきではなかろうか︵凝勘儲嚇㏄硝購雛麟銑鰍融畝鵬擁蹴欄財脳磯鰯拗欝灘禦鰹潔端媛講露︶。
かようにみてくると、本件判決が、 ﹁これを肖像権と称するかどうかは別として﹂とするように、肖像権を明確に 承認したわけではないが︵勲糠礪耀姻胸蝿疎駆螺鰭淵鰍翫懲箭δ冒ぴ︾dのの騰稠倣髄齢吻騨副醸碇磁鰍擁硬鍵糠蹴︶、 ﹁国民の私生活上の自由が、 マ ぽ 警察権等の国家権力の行使に対しても保護され﹂この﹁個人の私生活上の自由の一つとして、何人も、その承諾なし に、みだりにその容ぼう、姿態を撮影されない自由﹂を認め、その根拠を憲法二二条の自由および幸福追求権に求めている点は、第一に、必ずしも、そこで間題とされる私生活上の自由が、どの範囲にまで及ぶのかは明らかではない ことから、この無限定性が、反って、これに不定形性と多義的内容性とを与えることになり、社会の進展に即応しつ つ、判例の集積による補充をまつべく、良い意味でも、悪い意味でも間題は将来に残されたといってよい。第二に、 この点に関連して注目されるのは、従来、いわゆる集団示威行進やこれに類する活動をする場合には、例えば、 ﹁集 団示威運動は、参加者の思想を公に発表する目的で行なわれるものであるから、その状況を写真撮影されることは、 参加者が事前に容認しているところであって、何等違法といえない﹂︵駄簸糖聞鯛畑鰍蔚軸些≧産揮姻漿瀧壁ヨ一菱考卜肛耽︶とか、 ﹁個人の私的生活の範囲をこえ、一般の批判の対象となる社会的活動の領域に属する行動をなすならば、批判の基礎 を提供する意味での写真撮影は、その個人の同意の有無を問わず、而して何人たるとその写真撮影を為し得るものと 解する﹂︵樽際臆野勤朧嚇燃槻この欝麟翻講妨棺繕秘練怒献磯擦囎郷姻轍畷諸腿輔吻冷峨鰍蒲り鰍概蹴襯鋪鵡塘獄蟻勲︶として、そこでは写真撮影の 対象となる個人の権利は、単純に個人の秘密性に対する不干渉の利益という意味でとらえられ、その反面として、個 ヤ ヤ ヤ ヤ 人の私的領域をこえて社会的活動の領域に属する行為をすることは、その公共的存在︵汐窪。凝霞。︶を理由に、肖像 権の保護の範囲外にあるとか、その放棄があったとみるべきであり、なんらの制約なしに写真撮影が許されてよい
︵畿誌ボ纂駄獲翻総藻繍鍵撃蹴差覆艦総農磐譲朽鶉罐嘉耀蕩講灘蟻読蒜幕い礎五螺騨翻鞭︵蕪へ縷臣
猛髭細纐紺薦難縣に議饗激職開め磁醗顯繍続靴取紛縛順螺囁髭鵬驚訪鹸醐騰禰賜齢は酌轍働鴫瀞馴鞭勘涛徽欄酢勘憶憐動︶という一般的傾向があった のに対し、本判決は、集団示威行進が、それが単なる集団示威行進としての公共的存在であることをもって、直ちに 肖像権の保護の範囲外にあるという限定をしているのでなく、憲法二二条の規定に照らして、犯罪捜査は公共の福祉東洋法学 九一
飛事判例研究
九二 のために警察に与えられた責務であるから、警察官が犯罪捜査の必要上、写真を撮影する際、その対象の中に犯人のみ ペ ヤ ヤ あ あ ならず第三者である個入の容ぼう、姿態が含まれても、これが許容される場合がありうるとしており、この解釈の仕 方によっては、個人の社会的な政治活動にまで、その作用する領域が広げられたと考えられないでもなく、その意味 で、写真撮影の対象となる相手方の権利の内容が.従来の、個人の秘密性に対する不当なのぞきと暴露に向けられてい た判例を・より押し進めたものとして.好感を覚えるのである︵幅馳疑鳩猷⑩獣鰍解磯鰍罷榊齢凝脚懸城臆灘熱にガ蝉熊蝦醗雄睦旛晩鷹恥炉駄 雄畷犠黙御蹴搬黙製顔臨騰論曇鴛.、︶. 確かに.集団示威行進は公共的存在であるとはいえるが.それをもって直ちに肖像権を放棄したとみるのは.集団 には顔の際ぺい作用というものがあり.参加者は集団という全体的存在の一構成分子をなすのにすぎず.これを無視 するのは.肖像権の妥当な適用とはいえない︵擁計麟箏鄭罐影蟻蝿壕野荏叢翼融陥鴎麹罪︶。 ここから肖像権は.警察権の行使 との関係においても一つの割約的要素として、積極的に承認すべきである︵縣罫麹憶磯糖鴎騨繊騰恥讐︶。しかしその反面、 捜査は犯罪の状況を確認するとともに、誰が犯人であるかを明らかにしなければならず、捜査上の必要という観点か らは、犯罪行為の撮影を許すだけでは、写真の証拠価値は通常極めて低く、その意味では、﹁顔写真﹂こそ将に必要 なのだといってよい︵獣購鵜膿犠駒鍬醗酌欝顎蝦賄と︶。加えて.写真撮影には、かつての自白中心から物証中心の捜査へと移行 しようとする現行刑訴法の建前からいっても.他の直接的な捜査処分に比べ.推奨すべき面をもっている場合もあろ う︵響騨謂編﹀ そこで問題は、公共の福祉により相当の制限を受けるのはどういう場合か、すなわち捜査と肖像権の調和ということで、判決もいうように、犯罪捜査との関係で被疑者の写真撮影の許される限界如何である。 三 肖像権が捜査の適法性を制約する要素であると考えた場合、次に写真撮影は任意捜査か、強制捜査かというこ とが決定的に重要な意味をもってくる。 ただ、人に対する写真撮影が、その人の人格、自由そのものに関連する限りにおいて、任意の処分に親しむべき行 為であり、その人の明示または黙示の承諾によりなされる場合の合法性は問題とならぬであろう。本判決でも、明言 しているわけではないが、犯罪捜査のための写真撮影は、原則として任意捜査の領域に属するという見解をとってい るといってよい。そうしてこれは、相手方の任意の処分性ということを前提とする限り正しい見解だといわなければ ならないであろう。しかし、写真撮影が、一方で肖像権に脅威を与えるものであり、他方で捜査としては物的強制処 分、特に検証に似た処分であるばかりでなく、その撮影の目的と内容如何は、直ちに被疑者の事後の訴訟上の利益に 影響することを考えると、写真撮影の任意捜査的性格の強調は、どうしても肖像権を軽視する危険性がある。 こうみてくると、写真撮影が行為の性質上、被撮影者の意思を実質的に侵犯する強制的な性格をもっていることも 否定することができず、そこで個人の尊厳を重んずる立場から、写真撮影の実態に則して率直に評価すると︵畷顯灘騨姓
麗輪灘蘇騒醒離礫儒豪磐鑑講腰黎額糠膨鋸添雲認f説纏懸綴離誘舗纈藏離齪畿編鰯禦。誉論螺竺、
強制捜査に関する視定の類推適用ないし準用という問題も考えてみるべきではなかろううか。 もっとも、判例が、写真撮影をもって任意捜査であることを固執する理由には、刑訴法一九七条一項但書により、 強制捜査には法文上の根拠が必要だとする点に基づくのであるが、同条は、これをむしろ、法が強制処分として規定し東洋法学 九三
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九四 たものを意味し、写真撮影が任意処分でなく強制処分としての性格を有するといっても、それは同条の強制処分では ないと考えるべきである。このように考えることが、反って科学技術の進展に伴う捜査方法の発達のためには有用な 構成にもなる︵墾瓢鴎揃醜論︶。だからといって、この見解は写真撮影の凡ての場合に令状による規制を要求するものでな く、捜査上の写真撮影は緊急処分として行なわれることが多く、性質上、具体的な場合における個々的な合理的解決 こそ望ましいのであって.むしろ令状による規制になじまないものである。 そうして.写真撮影が右のような新しい類型の強制捜査であることから.その行為過程には憲法三一条の適法手続 条項の枠内で.しかも写真撮影が検証に似た性質を有しつつ.検証とは異なり.物理的力により直接的に肖像権を侵 犯する程度は微弱であるため.現実には憲法三五条の要件を緩和した形態で.これの類推適贋が問題となろう︵翻講蕪嚇 撫翫顕壷計畷ゴ塑講鮎醗︶。それ故に、例外的であれ.令状によらない処分を認めるためには.判例による合理的な規制が 何よりも要請されることになる。 この点について、本判決は.刑訴法二一八条二項のほか.現に犯罪が行なわれ、もしくは行なわれた後間がない と認められる場合であって、しかも証拠保全の必要性および緊急性があり.その撮影が一般的に許容される限度をこ えない相当な方法をもって行なわれる時は、被撮影者の同意がなく令状がなくとも、強制的撮影の余地を認め、憲法 三五条に違反しないとする点は、かような場合の捜査の公共性ないし社会保全性は容認されなければならず、その要 件およびその法的根拠は正当というべきである︵鞭轡酉縣伽囲翻黛翻靴尉甑礁ポ縦棘糊糊姻穐鞠嬢勘勲翻腿蹴競礁面噸諮ガ嵯騨︶。これを本件 の具体的事実にあてはめてみると、A巡査の写真撮影は、現に犯罪が行なわれていると認められる場合になされたものであって︵糊階槻勧醐論猷ガ硫馳糠糊鉱○ を罐茨罪腿聯氣な斌靴跳矧搬螺断塑、しかも刻々と状況の変化する集団示威行進の性質からし て、犯罪の状況と犯人を確認する必要性は高いというべく、証拠保全の必要性および緊急性が認められ、道路の中央 附近を行進する先頭部分を五米内外︵翻灘翫難酷︶から撮影したというものであって、その方法も一般的に許容される限 度をこえない相当なものといってよい︵嫡曜徹辣購徽騨桝勧倣南憶ギ嫉網鞭號磯懸齢諺解師卸測能睦︶。それ故、このような場合に行なわ れる警察官による写真撮影は、その対象の中に、被疑者以外の第三者の容ぼうを含んだとしても、被疑者の身辺また 、 、 、 、 、、 、 、 、 、 、 は被写体とされた物件の近くにいたため、これを除外できない状況にある場合は肖像権の侵害があったとはいえぬで