井上円了の宗教観
著者
高木 宏夫
雑誌名
井上円了研究
巻
5
ページ
3-40
発行年
1986-03-31
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00006774/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja井上円了の宗教観
高 木 宏 夫
本稿は第三部会の定例研究会における研究中間報告に若干手を入れたもので、論証が不十分なことを承知している 試論や意見を述べているのも、率直な批判や御教示がいただきたいからである, 井上円了について書かれたものを調べてゆくと、余り魅力のない人間像が浮び上ってくる。また著書では﹃仏教活 論序論﹄は熱情を感じさせるものがあるが、他は啓蒙家と一三[われているように、同じ内容を何十年も言葉をすこし変 えて言っているようにみえる。有名な﹁護国愛理﹂、﹃忠孝活論L⋮﹃勅語玄義﹄の著書、修身教会を全国につくろうとす るなど、天皇制を礼讃する超国家主義者のようにもみえる..またそのようにとり扱われてきた。しかし、原典に当っ て、当時の論争や時代の流れに即してみてゆーと、そんなに単純ではない。きわめて微妙な言葉づかいに、仏教の置 かれていた立場や、哲学館事件のもつ深刻な意味等が反映しているように思われるのである。 井ヒ円.﹂は哲学館の設置願︵明治二〇年七月︶の目的の項で﹁本校ハ哲学諸科ヲ教授シ専ラ速成ヲ旨トス﹂と言い、 ﹃教育宗教関係論﹄︵明治二六年四月︶では、教育家と宗教家を養成するのだと言い、明治三九年二月の哲学館退隠理 由の中では、哲学家速成の仕務は.応果したので、この人たちによる全国の村や町に寺中心の﹁修身教会﹂をつくる運動のために、大学をやめるのだと記している。このように、哲学・宗教・仏教の用語に一見混乱があるトxうにみえ るのであるが、円了にと︹.てそれはすべて,つであ三、、生涯を通して、教育と宗教を求めつづけ、 一貫した人生が みられるのである,教育と哲学・宗教・仏教の二つは、井上円了にとって研究対象であると同時に実践課題であった と田心われる︹ 明治二C年代の著書が井上円了のすべ︹、で、そのあとの著書・論文は、言葉を変えてそれを食いつぶしたという意 味の評価はすくなーない.しかし、井上円了は﹁死書﹂の時代から﹁活書﹂の時代へという表現をしているように、 人生の生二弍﹂方そのものの方で割り切ってゆこうとする態度があっ.て、彼のいう﹁仏教﹂の求道者としての反面がここ にみられるように思われる..これらの中で、井上円了は、仏教の革新を、死後の仏教から現代社会の生活の中の仏教 べと位置づけをした上で、これを[純正哲学﹂と結びつけて大乗仏教の精神を説き、宗派仏教とは区別している. 政教社の活動を共にした三宅雪嶺は、円了没後の﹁井上円了先生﹄において、 倦自身の意は何れにあるにせよ、経過に於て﹃仏教活論﹄未だ完成に至らぬに、又﹁妖怪芦.丁講義録﹄に力を注 ぐ事になり、之れと同じ・、、哲学館の経営未だ全からず、而して哲学堂建設に力を注ぐ様になった。﹃仏教活論﹄ より[妖怪学一一に移る所し︸、哲学館より哲学堂に遷る事とは、其の経路に於て甚だ相似するものがある。彼の哲 轡ヂ堂一に天絢〃、・幽霊等を置︵所、正に此間一の消自心存二示す。 仏教活論なり哲学館なりは、社会及び文明を対照とし、而して一身を其の犠牲と迄為るかの観があったが、妖 怪学なり哲学堂なりに至つては、其意の全く消滅したので無いにせよ、柳道楽趣味を混じ、箇人的にならうとし、 年と共に愈其の傾向を強う﹂た。素より社会の為に謀るに熱心に、自らの為に計るに巧みなりしが、此頃に至つ 、は、恒に前者を今㌣こし乍ら、後次第に後者に傾き、殆ど全く後者にのみ限らる・かとふ、、へ見えるに至つた。即
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むのなり︸.こ﹁しからず、仏教は最も忠孝を重じ五倫の.秩序的道 お 孝論一斑﹂で論理的に展開している.. 、これを学問的に示すと﹁中心となるものは真理一で、﹁事実よ ﹂﹁亘︹理を以て万右二事物の上に当一てはむるは之を﹂心用堂・﹂‘二いう 向上的・向ド的な関係をもち、仏は衆生に対し、向L・向下的 ︸説き君臣父子の道を教え、浄±門には真宗の如きは専ら真俗二
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全く仏教の形式破壊の万面に向つて動いたのであつた.而も仏教の献金支援の実力、ある ざる㌦,U勿論であ川.、且普遍的に迫害を徹底し得ぎることも明白となつたので、明治五年 泊㌻言から、 一顧阻して内容破壊の泊︸害を︸準儲蝋するに至つた。抽口位僧轡日の・氷由旦O日を︷騰し、僧 埜を解︸、、一僧尼の托鉢を禁じ、平服を許し、苗字を称せしめ、次、で尼僧の蓄髪、帰俗、人 て教部省を置き、.’.条の教憲を定め、教導職卜四級を置き、各宗管長の職を設け、各宗 止めて教宇工杉二説かしめ、文明維新∵の旨を体し、僧風の鰻工正、人材.の教、養を務めしむじ次 し、各宗寺院を以グ、小教院と為し、善光寺其他山緒ある寺院を中教院と為す。相国寺荻 為し、本願寺大谷光尊師を副教頭と為す..是れ実に仏教の機関を総動昌ハして教部の意志 接射撃に外ならゾベ﹂るものであつた。行園仏・許肉つを教の次
せ師合斉し食てし迫よ郎
しを併に”は.・害t−;は
め大大自神妻’律のにこ
ん教教己祇帯形に第述の
と院院の省’式迫一へ問
丁’ウを説を蓄破害期ての
る頭創法廃髪壊しはい事
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33 ﹁力ら鋳︰﹁泊起窯口時代一・を第一湘期︵明、ソ宿一兀午叩.⋮五’年︶ レ一︹弔⋮⋮期︵明ソ棺六午 〔.. 鼬゚︶とに分 rは前年に東京文科L人学折呈子科に人学、明治一五年の二軍人勅諭﹂の出た午に、カ、、・卜、へーデル、コ・.・ト を珊闇催し、明治.い六ヰごろから﹁.耶二蘇教を破するは理弧嚇にあるか宝︵際にあるか﹂を一 明教新辻ぬ﹄ に.連載︵後 理金針一﹃明治二..・年の.仏教活論序論=をピークに、その前後に多ーの単行本・・論文を刊行、哲学館を創 家、二教六旦家の叢祭戒をはじめ、仏教をその中・心に置いているが、呪治,二二年に﹁教育勅誼訓﹂発仁和、そこでご教 係論=を著して、思想的な解明を、前述の表と裏、真゜如・真理の向上・向下、護国愛理等の論理で説明をしそ
に教十ずは想動 して涙神頭はこしあ
至とのる理をを明て居の蟹’紫のたる仏
つし哲と論分起治’っ外’副緋盛し〔教
たて学同の解し二明た一’魚教の儀四明迫
パ実的時ノゴし’十治の言供頭僧を目治害
で際思に面て大牢.1でを’は衣拝に六の
あに索哲に見声九’あも碑こはす至年第
る生の学於る叱月年えき発供の許るつの一二
:き鼓研けと呼にかつしを神さ数て初期
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了”方の尊の ’位、 かな参い民.Lは明
f 4 血 ・L L’ ・r二して理想に生き、日本文化の要素として永存の意義を有するものとして確認せらる・ 仏教に取つては、その教義に於ける再認識の機を与へた己このである。一般に仏教は宗 法としてソクラテス、カントの思索法を学ばんレ一するにあつたヒ信ずる.要するに博 指導者たるものとせられたものであらう.、即ち行信の実生活に於ゲ、仏教や儒教を重ん と孔子とは、実際の方面に53ける行の指導者たるものである、ソクラテスこカントと は#七円了博士であつた。博土の根本道場は哲学館、後の東洋大学である.、博士の恩 同じく西洋精神文化の移入に対抗して、東洋哲学思想を代表し、帝部に於て新精神運 教の陣容整備時代﹂に入っ.たとして、井上円rを次の責うに位置づけてい㌘、 リたとのことである。而もこれを見て快感を味ひつ・あるものは、殿内の高位を占め ,\てはならぬ。仏教配下の信男信女は神撰供奉の稠掌と化したる法主を拝し︹、は、暗 せざるを得ない、管長、法主、大教正も同じく神官の制服たる鳥帽子、ド垂を着して、 、神仏判然の布令は明に僧侶の神祭に参.加するを禁じた、而も大教院の公職に在る教 衆が涙を流して、その管長法王を吊ふたのは実にこの時であつた。皇祖天神を祭るに h寸本.尊たる仏像を他に移し、皇祖天神を安置し、六月には大教院開院の公式を行つた。 新設の大教院に於て神祭を執行した。増上寺の大殿を献ぜしめ、大教院をこ・に移転 治六年よリ十年に至るの期間であつた..その中心問題は実に彼の大教院に在っ.たのでこの文章で、いわゆる四聖︵釈迦、孔子、ソクラテス、カント︶を行信と哲学から位置づけし、仏教を宗教とし︹\ 生きたものとし、哲学を与え、日本文化に永存の意義を与えたと、井上円了を評価している。この評価は、本稿のは じめに掲げた.二宅雪嶺の文章に代表身、 れる評価とは全くちがったもので、求道者としての井上円.Jを認めかつ評価し たものと言えよう..評論家、啓蒙家、事業家等々の評価が多い中では、比較的正確な見方ではないかと考える。 井上円.ーは.忠孝活論﹂⋮の序文で、﹁抑モ世二人ノ最モ恐ル・モノハ死ニシテ人ノ最モ意ノ如クナラザルモノモ死ナ リ﹂二余力春秋将二一∴十二四歳ヲ加エントス﹂﹁一朝難治症ニカカリ宿志ノ遂ケ難キヲ知リ半夜寒窓二対シ嬰天ヲ仰キ テ号泣哀奨スルコト数回二及ビシコトアリ﹂と、明治二六年に記している。そして﹁東洋学の真相﹂と題して三〇オ をすぎてからは﹁活書﹂を読むべきだと云い、実人生の重要さを説いている。 拙者は早・、此一事に着眼し、西洋の死書を読みて、永く﹁カント﹂や﹁スペンセニの睡を畷るの愚なるを知 り、東洋学の真相は、朝夕見聞接触する境遇中にあることを覚.り、爾来口本全国八寸余州をおのれの書斎と定め、 春花秋月毎に海内の勝を探り、以︹、、万有の活書を読み、又平当家にありては、朝夕俗事に括据し、其自然に人 間観精神観を起し、以て十年の久しきに及び其得る所死書を読むの益に百倍なるを知るに至りました、是に由り て案するに、人生五十年⋮同、死圭巳を声斑むの年−月は一二十歳を限りとし、甘︵後は活圭日を読む時代であります、活妻日を 読む間に、往々死書を参考するは妨けなきも、決して之を専らにせざる様に願ひます、七も将来一科専門の学者 となり、大μ.γの一講座を占領する志願の者は、終身死書中に生を寄するも司ならんか、其他は大学卒業を以て死 書拠擁の時と心得、爾後は無字の書を読み、不文の芦子を修むことを勉むるがよいと思ひます この活書を読む、♪うに推める考え方は、実人生における生活経験を重視している点でも、二四芋前後に、,つの転機 があったニヒが相心像ン. れる、 35
井L円.ーの宗教と哲学に関する自伝的記述は前に紹介した通りてあるが、哲巳.士館設立の旨趣もこれに深く関ったニ
ドぼ
とを.再確認すると、一活仏教﹂で次のように述べ∠、いる。 .兀来余は貞宗の門下に生れしも、馴か時事に感激する所ありて、僧門に衣食するを好まず、身を俗海に投じて、 邦家の為めに微力を尺こ・・んと欲し、爾来自ら非僧非俗道人と称したりしも、其実は非僧而俗道人なり、而し一、其 国恩に奉答するの道は、仏教の真理を発揚し、僧家の宿弊を洗除するためにありと信じ、先きに仏教活論を著は Lて、護国と愛理との、一途ならざることを論じ、仏教と国家との相反せざる所以を説きたり、更に広く世人をし て此道理を知了せしむるは、著述のみの力によるべからざるを自覚し、其結果哲学館を創設して、己れの理想を 実現せλことを企図するに至れり、. しかも仏教は理性の学としての哲学と信性の法としての宗教の両面兼備しているので、仏教を﹁研修﹂してきたと いう刀である.。 此・・の如く縦ひ形骸を俗裏に寄せ、学籍を哲学に置くも、宗教信仰の一段に於ては、殆んど先天の約束の如く 仏教を遵奉して今日に至れり、抑々哲学は理性の学にしイ、、宗教は信性の法なれば、余は理性上にては哲学を奉 戴すると同時に、信性上にては仏教を崇信寸るものなり、若し理性と信性の別の如きは、拙著哲学新案に述明せ るを以て、此に重言せず、而して仏教は哲学と宗教とを兼備せる法なり、是を以て余は仏教を講究すれば、理性 信性の両方の要求を充たすことを得べきを知り、数十年来専ら仏教を研修するに至れり.︶ それでは、井上円了は仏教一般・大乗仏教一般を信じていたのかというと、﹁余の信仰の告白﹂と題し〃、、一真宗な りしニヒ明≡,口し、具体的には宗派性つまり﹁実際﹂をここでも尊重しているのである.、しかしそれは同時に一切宗派ハン
性にとらわれない﹁教権の束縛を脱し自由討究随意信仰の開放主義﹂にた︹.ているというのである.。仏教中には宗派多岐に分れて、其所立各同じからす、若し人ありて余の信ずる所はいつれの所立なりと問は、・、 余は真宗なりと答へん、仏教は応病与薬の法と称して、其機根に相応ずる宗派を選択する自由を許す、然るに余 は最初真宗門ドに生2/たる縁故ヒ、幼時より其門内の教育を受けたる素養とによりて、宗教の信仰としては真宗 の所立が最も余の信性に適合せるを自覚す、是れ即ち余の病に相応ずる良薬なりと信ず。 然れビも余の真宗信仰は他の信者の如く、狭隆偏屈なるにあらず、一方に於ては哲学上より仏教の教理は勿論、 真宗の宗意も自由に討究するこヒを許し、向上発展の方針を取るべきものとなす、他方に於ては余が真宗を信ず ると同時に、他人の他宗を信ずるを拒まず、各人其病其機に相応ずる法薬を信受すれば足れりとす、故に余は真 宗信者中の最も教権の束縛を脱L、自由討究、随意信仰の開放主義を執るものなり、。 そして、彼が信じた仏教ー真宗は、知識人にありがちな抽象的仏ではなかった。百六体的阿弥陀仏﹂﹁報身仏一であ
り、﹁吾人の心海の波が静まりたる瞬間に﹂﹁感受する﹂もので、それが﹁真如の自性]だという。 次に宗教としては余は仏教を信奉す、就中信仰は真宗に置く、且つ其信仰は抽象的阿弥陀仏を信ずるにあらず して、具体的阿弥陀を信ずるものなり、法身仏を信ずるにあらずして、報身仏を信ずるものなり、空想的仏を信 ずるにあらずして実在的仏を信ずるものなり。 先きに第七八節に述べしが如く、因果に迷悟二門あると同時に、形と質との両性ありて、其.形は真如の動的方 面に固脅せるものなり、すべての諸仏は因果の質を脱するも、猶ほ其形を有す、仏に此形あるを以一、衆生界に向 う一、活動することを得るなり、若し仏に形のみありて質なしといはぼ、空虚なるもの・如く感ずる人あるべきも、 仏の質は真如に背違して宅じたる執滞的質にあらずして、真如に融合したる質を有するなり、換言すれば真如の 自性を以て其質とするものなり、左に仏と衆生との別を示さば、 37
衆生は真如に背きて、因果の形と質とを有するものなり、 仏︵報身仏︶は真如に融合して、因果を形とし、真如を質ヒするものなり、 法身仏は因果の形し二質とを共に脱却したる真如自体にして、即ち静的如をいふ、 応身仏は真如に背かずし一、、因果の形と質とを有するものなり、故に其質は方便的仮立に過ぎず、 此中余は報身的阿弥陀仏の実在を信ずるものなり、而して其仏は数多の報身仏中の最高位にあるものとす。 以上の形質論は哲ぷ.丁上の沙汰なり、道理上智力上理性上論到したる結果なり、而して之によりて得たる仏身に 肉を付け、人格的実在を現見するは、情門の信性を待たざるべからず、理性の前には真如が受動体となりて、人 が原動体となる、信性の前には真如が原動体となりて、人が受動体となる、 一たび吾人の心海の波が静まりたる 瞬間に、我心面に絶対の原動を感受することあり、其時に報身仏の人格を現見するものとす、而して其光景は理 性の預り知る所にあらず、故に宗教の信仰は必ず信性の眼を開くにあらざれば成立すべからず、是れ余が宗教論 なり さらに実生活に具体化しげ、説明し、真宗は﹁あきらめよ﹂というように思われているが、﹁此世に向う︹、奮闘せよ﹂ ﹁国家社会のために二報謝せよ一という主義であるとい㍉。 此くの如ー余の真宗信仰は緒論に云ひしが如く、狭盤なる信仰にあらずして寛容なり、悲観の信仰にあらずし て楽観なり、又其信仰の方針を定むるには、宗祖の遺書を経とし、哲学の理論を緯とするものなり、故に単純に 一宗の教権に盲従する信仰とは、おのつから其趣を異にす、故に余の執る所は、弥陀を信じて此世のはかなきを あきらめよといふにあらずして、弥陀を信じつ﹀此世に向うて奮闘せよ、摂取の心光の照護の下に煩悶を破りて 猛進せよ、如来大悲の恩徳は、国家社会の為に粉骨砕身して報謝せよとの主,義を取るものなり、是れ真︷示の活用
了の大学引退とその後ゾ社会教育活動、多くの誤解を生んだと思われる哲学堂の建設等、晩年にも多くの問 .川てい三、太.稿はここに詳し・、触れることはできないが、殆んど全国のすみずみにまで足跡を残した地方で 内容もすこしずつ資料がみつかっ、てきているし、井⊥家から提供された講演内容のメモの.自筆本や、=南船北
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に 39馬集﹂[の未公刊分の一部も﹃井ヒ円.r研究﹄に記載し、さらに書間の一部も同書に一部公刊している。これらは今後 の研究によ三、一層明らかとなってゆーであろうが、一.現世利益和讃﹂や﹁改.悔文﹂などのように、真宗門徒が目常的 に覚え︹、いる文をその⊥、︵ま替えろた的に書き変えた﹁南無絶対無限尊一があり、﹁大乗仏教の精神﹂の哲学的表現とそ の実践行動との関係が密着し 、いたことが予想される.。今後早い機会にこの分野の研究に入りたいと蓬、え、本稿を終 りたい.、