氏 名 ( 本 籍 ) 玉木 千賀子 (日本)
学 位 の 種 類 博士(社会福祉学)
学 位 記 の 番 号 博甲第 14 号
学位授与年月日 平成 30 年 3 月 20 日
学位授与の要件 学位規則第 4 条 1 項該当(課程博士)
学 位 論 文 題 目
「ソーシャルワーク実践における福祉サービスを必要とする人のサービス利 用及びその意向確認のあり方に関する研究
-ヴァルネラブルな人の「生活のしづらさ」の形成要因に焦点化させて-」
論 文 審 査 委 員 主 査 教 授 大橋 謙策 (東北福祉大学)
副 査 教 授 三浦 剛 (東北福祉大学)
審査員 准教授 鈴田 泰子 (東北福祉大学)
審査員 講 師 石附 敬 (東北福祉大学)
《論文内容の要旨》
Ⅰ.論文の構成と概要
1. 論文の構成
序 章 福祉サービスを必要とする人の意向確認の必要性
第1章 社会福祉実践およびソーシャルワーク実践におけるヴァルネラビリティの位置づ けに関する考察
第2章 意向確認に関する先行研究 第3章 「意向」が形成・表出される構造
第4章 ヴァルネラブルな人の意向確認に関する実態の分析と確認の視点・方法に関する 調査研究
第5章 調査研究の結果と考察
終 章 福祉サービスを必要とする人の意向確認における課題
2.論文の概要
本論文は、ソーシャルワークにおけるヴァルネラビリティの人々の福祉ニーズの確認に 関する課題を明らかにした。そのうえで、ヴァルネラビリティの人々の生活のしづらさの 実態の分析と福祉ニーズの確認の枠組みを検討した。
ソーシャルワークの人間観、社会福祉の支援システムを分析し、ソーシャルワークおよ び社会福祉において、ヴァルネラビリティの人々の福祉ニーズを確認するための支援の検 討が不十分であることを明らかにした。この課題に取り組むために、意向の確認に関する 先行研究を踏まえ、人間の形成と生活史の関係を取り挙げた教育学理論を分析検討し、ヴ ァルネラビリティの人々の生活のしづらさの背景に言語表現化の未達成があることを明ら かにした。
言語表現化とは、単に言葉を話せることではなく、自らの意向を形成し、表明できるこ とを意味する。そのためには、生活体験をとおした、感情の認識と表現、事象の理解と表 現、他者と関わるために必要な語彙の認識と表現、それらを包含する自分の気持ちを表現 する言語の認識と表現の達成が必要であることについて言及した。
これらの検討に基づき、言語表現化の未達成とヴァルネラビリティの人々の生活のしづ らさの実態、福祉ニーズを確認する視点の分析枠組みの仮説を構築した。さらに、感情に 着目した意向確認の視点を含む本研究の分析枠組みは、重度の障害のある人や認知症の人 に対しても活用できることについて言及した。
意向の表明が困難な人の福祉ニーズの確認のあり方の検討は、これまでのソーシャルワ ーク研究では十分には取り挙げられていない。その理論仮説の構築は、能力を問わず人を 尊ぶというソーシャルワークの価値の実現に結びつくものである。
3.論文の目的と展開
各章の目的と研究内容は、以下に示すとおりである。
序章では、社会福祉およびソーシャルワークの支援を必要としている人の社会生活の困 難の状況を踏まえて、今日の日本の社会福祉およびソーシャルワーク実践における問題の 所在、これまでの日本の社会福祉が対象としてきた生活の困難、ソーシャルワーク理論が 依拠する人間観を確認し、社会福祉およびソーシャルワークに求められる支援観を考察し た。これらの検討を踏まえて、本研究の目的を提示した。
第1章では、ヴァルネラビリティの概念の整理、社会福祉のサービス提供方式の課題、
社会変動とヴァルネラビリティ生成の関係、ヴァルネラビリティと人を取り巻く環境との 関係等についての考察を踏まえて、ヴァルネラビリティに対するソーシャルワーク実践の 留意点を考察した。ヴァルネラビリティは、高度経済成長期の人々の生活にすでに生じて おり、社会福祉のサービス提供方式もヴァルネラブルな状態の人々を生じさせてきた。ヴ ァルネラビリティとは、環境との関係に生じる相対的・主観的な状態であるがゆえに社会 的な認識の共有が難しい。したがってソーシャルワークの支援には、人を取り巻く環境の 状況とその影響に着目し、人と環境との間に生じるヴァルネラビリティの生成・助長に影 響を与える要因を捉えることの重要性について論述した。
第2章では、ソーシャルワークにおける意向確認に関する先行研究、医療の場における 意向確認、法律学の立場からの意向確認に関する研究、意向に影響を与える日本文化に関 する研究および日本文化に着目したソーシャルワークに関する研究の到達点を整理し、意 向確認の研究における本研究の位置づけを提示した。先行研究においては、重度の障害や 認知症の状態にある人の意向確認の研究には取り組まれているが、社会的な要因によって 意向の形成や表出が困難な人の支援のあり方についての研究は乏しい。意向の表出を抑制 する傾向をもつ日本の文化的特性を踏まえたソーシャルワークモデルに関しては、支援方 法の具体化という課題が残されていることなどが確認された。これらの先行研究の検討を 踏まえて、ソーシャルワーク研究における取り組みが不十分な、社会的な要因によって意 向確認が困難な人を研究の対象として位置づけ、意向の形成・表出に影響を与える日本文 化の特性を含めた検討をおこなうことを提示した。
第3章では、ルソー、デューイ、宮原誠一、大橋謙策、大沼直樹らの人間の形成に関す る教育学理論を用いて、意向の形成・表出のもつ意味とその過程について考察し、意向の 形成・表出における言語表現化の必要性、言語表現化が達成されない場合に生じる生活の しづらさを提示した。意向の形成・表出には、「感性の段階」、「言語表現化の段階」、「言語 操作の段階」があり、本研究が着目する言語表現化の段階は、「感性の認識と言語表現化」、
「事象の認識と言語表現化」、「日常生活における他者との交流に必要な語彙の認識と表現 化」、「自分の気持ちを表現するための言語の認識と表現化」に類型され、これらの言語の 認識と表現化が達成されない場合に、やる気が起きない、決めきれない、他者との交流に 苦痛を感じるなどのヴァルネラビリティが生じることについて論述した。
第4章では、前章までの理論研究を踏まえ、言語表現化の未達成とヴァルネラビリティ の関係を捉えるための4項目の分析枠組みを仮説として提示し、その妥当性を確認するた めの研究方法を提示した。ヴァルネラビリティという個人的、主観的な状況を捉えるため には、研究の対象となる人の語りの内容を丁寧に収集・分析する必要があることから、エ スノグラフィーを研究方法として選択したこと、調査設計、分析の妥当性を保証するため のトライアンギュレーションの方法について論述した。
第5章では調査結果を提示した。第1次調査では、「感情の認識と感情を表現するための 言語表現化が生活のしづらさに与える影響の構造」、「事象の認識と事象を表現するための 言語表現化が生活のしづらさに与える影響の構造」、「日常生活における他者との交流に必 要な語彙の認識と表現するための言語表現化が生活のしづらさに与える影響の構造」、「自 分の気持ちを表現するための言語の認識と言語表現化が生活のしづらさに与える影響の構 造」に示した生活のしづらさが確認され、分析枠組みに位置づけた現象としての生活のし づらさの妥当性が確認されたことを提示した。さらに、「快・不快、楽しさや喜びを感じる 生活体験」、「他者との情緒的な結びつきを実感する生活体験」等が言語表現化に関係する 生活体験として抽出され、これら生活体験の妥当性を確認するための第2次調査において も第1次調査と同様の生活体験が確認されたことを提示した。
終章では、本研究の結果、残された課題等について論述した。本研究は、これまでの日 本のソーシャルワーク実践において支援の必要性についての認識が不十分なヴァルネラビ リティの人々をソーシャルワークの支援の対象として位置づけ、生活体験の不足という社 会的要因によって意向を表明する力の獲得が制限されてきた人々の生活のしづらさの実態 を提示し、それらの人々の意向確認を行う場合の視点と支援のあり方に関する分析枠組み を提示した。感性の次元における意向の形成・表出の支援のあり方を含む本研究が提示す る分析枠組みは、ヴァルネラビリティの人々のみならず、重度の知的障害や認知症の状態 にある人など、言語による福祉ニーズの確認が困難な人にも活用可能な汎用性をもつもの である。ソーシャルワークが拠り所とする人に対する尊厳とは、判断能力の有無に関わら ず、人が自らの幸福の実現に向けて社会生活課題に取り組む力を支えることである。本研 究は、これらソーシャルワークの価値の実現に向けた研究としての意味をもつ。最後に今 後の研究課題として、実証的研究によるヴァルネラビリティの人々の意向確認に関する理 論仮説の精緻化を提示した。
《論文審査結果の要旨》
Ⅱ.論文審査結果の要旨
1. 論文の要点と評価
従来のソーシャルワーク実践においてはパールマンのワーカビリティの考え方やクライ エントという用語の使用に代表されるように、自ら福祉ニーズを主体的に、言語的に表明 でき、訴えることが可能な人への援助を契約に基づき展開するという考え方であった。
しかしながら、2015 年より実施された生活困窮者自立支援法に代表されるように、自ら の福祉ニーズを明確に、言語的に表明し、訴えることができず、なおかつ様々な社会生活 上の脆弱さや傷つきやすい性格の故に、自らの福祉ニーズを他人に表明できず、相談機関 とも疎遠で生活のしづらさに伴うニーズを潜在化させているヴァルネラビリティの人々を 発見・把握し、支援することが社会制度上も、実践上も重要であるにも関わらず、従来の ソーシャルワーク実践ではそれらの課題に必ずしも十分対応できていないと考えての研究 である。
それはヴァルネラビリティの人々の意向確認のあり方やそのヴァルネラビリティの人々 がどうして意向表明できないのか、どのような生活上の概況にあるのかを明らかにするこ とが十分認識され、実践的にも、理論的にも研究されておらず、かつそのことを踏まえた アセスメントや面接技法等が開発されていないからではないかと考えての研究である。
そのようなアプローチこそソーシャルワークが大切にしてきた人間性の尊重、個人の尊 厳を踏まえた支援であり、それは重度障害児・者、認知症高齢者等にも汎用できるアプロ ーチであり、支援の視点ではないかという研究の目的、支援でもある。
論文そのものの梗概は学位請求者自身がまとめているのでそれを参照していただきたい が、本論文はヴァルネラビリティの人々の意向表明の問題を生育史における「形成」と「教 育」というアメリカのジョン・デューイらの教育学の知見や重度障害児・者の興味関心の 造成が障害児・者の人間形成、発達にどういう意味と役割があるかを明らかにした大沼直 樹らの特別支援教育からの知見、あるいはピアジェらの心理学の知見に学びながら理論仮 説生成を行うと同時に、さらにはヴァルネラビリティの人々が言語的表明ができない文化 的背景として“もの言わぬ農民”体質と揶揄される日本的文化、土壌があることも丁寧に 先行研究を渉猟しつつ明らかにしている。
また、「意向確認」が支援における人間性の尊重、個人の尊厳において重要と考える論拠 をフランス共和国憲法等の「博愛」の考え方に依拠し、それを尊重することがソーシャル ワークが大切にしてきた価値の根源であると位置づけている。
それらを踏まえて、生活困窮者支援のサービスにつながってきた人々のインタビューを 通じて「意向表明能力」がどのように形成、あるいは形成されていないのかを感性のレベ ル、事象を言語的に表現できるレベル、他者との関わりに必要な語彙を認識し表現できる
レベル、自分の気持ちや意見を言語的に表現できるレベルの4段階で質的研究を通して明 らかにし、これからの支援における「意向確認」に関してのアセスメントの視点と枠組み の在り方を提示した論文である。
4人の審査委員は、先述したように、①ヴァルネラビリティの人々の意向確認という問 題意識は、従来のソーシャルワーク実践における近代的自我を前提とした「個」のとらえ 方に偏っての支援の在り方だったのではないかという意味での一石は投じているが、この 研究が社会福祉学や社会福祉実践のもう一つの極である重度障害者のように言語自体を獲 得できていない人(意向表明は言語だけでなく、ノンヴァーヴァルなものへの着目も必要 であり、その研究も蓄積されている)への個人の尊厳を踏まえた支援においてもこの研究 の考え方が適用できる汎用性があるのかという疑義、②理論仮説生成型の研究であるとし ても、その理論仮説の妥当性を実証的に検証する質的研究方法の信頼性が担保されている のであろうかという点、③さらには、ソーシャルワークにおける研究では、知的障害者等 の意向確認に関する海外の研究は蓄積されていると思うが、それら海外の先行研究と今回 のヴァルネラビリティの人々の意向確認研究との関わりを含めて海外の先行研究の文献の 渉猟、比較が弱いのではないかという点が指摘の主な3点であった。
これらの疑義について、審査委員の指摘や公開発表会で出された指摘事項と学位請求者 が考え、対応・修文したものが改めて 2018 年 2 月 5 日までに提出され、かつそれらの対比 表が2月 15 日に行われた最終口述試験の場に提出され、最終口述試験が行われた。
2. 論文に残された検討課題
前述の疑義に対して、質的研究の信頼性は妥当であると判断され、その実証研究は今後 の実践の中で検証されるべきものであること、海外の先行研究については知的障害者の意 向確認の研究は渉猟しているものの、本論文の課題であるヴァルネラビリティに関するも のは現時点ではなく、今後渉猟の範囲も広げて検討していくことになった。
3. 博士(社会福祉学)授与の可否
本論文は、既存のソーシャルワーク実践が自明のこととして考えてきたものをヴァルネ ラビリティの人々の意向確認の問題を通して検討しなおし、改めてソーシャルワークが大 切にしてきた人間尊重、個人の尊厳、意向確認のあり方、面接時等におけるナラティブの 背後にあるものをも含めてアセスメントする視点と枠組みの重要性と必要性を提起したと いう点で大変意義があり、重要な研究であると評価された。
このように本論文は、課程博士取得の目標である「一人の独立した研究者としての先行 研究の渉猟、検討能力、研究課題に関する理論的論述能力、実証的な研究方法の習得と能 力、起承転結を踏まえた論文の展開と論述能力」は十分習得し、満たしていると判断し、
審査委員4人全員一致で博士の学位を授与することを認めた。