自閉スペクトラム症幼児を対象としたムーブメント 教育・療法の活用 ―幼稚園におけるインクルーシ ブ教育の一つの方法として―
著者 河合 高鋭
学位名 博士(社会福祉学)
学位授与機関 九州保健福祉大学 学位授与年度 2020
学位授与番号 甲第ツ062号
URL http://doi.org/10.15069/00001412
論文内容の要旨
研究目的
ノーマライゼーションとは,「障害のあるなしにかかわらず,すべての人が地域においてごく普通の 生活をしていけるような社会を実現すること(厚生労働省 1996)」とされている.この目的に向けて,
障害者を異質な存在として社会から隔離するのではなく,障害のある人もない人も地域でともに生活し ている状態こそが自然であるという前提のもとに,障害のある人も家庭や地域で普通の生活を送れるよ うにするための方策を講ずることが重要な政策課題とされている.このなかで教育の分野については,
障害のある子ども一人一人のニーズに応じてきめ細かな支援を行うために乳幼児期から学校卒業後ま で一貫して計画的に教育や療育を行うとともに,学習障害,注意欠陥/多動性障害,自閉症などについ て教育的支援を行うなど教育・療育に特別のニーズのある子どもについて適切に対応することが基本的 な課題として掲げられている.他方,福祉の分野では障害の有無にかかわらず,互いに支え合い,地域 で生き生きと明るく豊かに暮らしていける社会を目指す「ノーマライゼーション」の理念に基づき,障 害者の自立と社会参加の促進を図ることが課題として掲げられている.
インクルーシブ教育とは障害の有無によらず共に学び合える場の中で,障害児と健常児が育ち合う教 育である.しかし,共に学びあう「場」が設定されるところまでに至ったとしても,具体的な指導法や 支援体制はまだほとんど明らかにされていないのが現状である(韓ら 2013).学びの場が統合されただ けでは本来のインクルーシブ教育は成り立たないことが,多くの研究によって指摘されている.しかし,
保育の基盤をなす「遊び」は障害児と健常児との自然で自由な相互交渉を生む重要な契機であることは すでに分かっている.「遊び」は障害児にとって重要だけでなく,「どの子にもうれしい保育実践」(松 井 2013)なのである.
障害児のなかでも自閉スペクトラム症児の場合は社会性や対人関係の困難さが特徴であり,こうした 困難をもった自閉スペクトラム症幼児を含むインクルーシブ教育ではこの困難さにどのように支援し ていくのかが重要な課題であると考えられる.自閉スペクトラム症幼児の社会性の向上を目指す保育プ
氏 名 河合 高鋭
博士の専攻分野の名称 博士(社会福祉学)
学 位 授 与 の 日 付
2020
年 9月23
日学 位 授 与 の 要 件 学位規則第
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条第1
項該当学 位 論 文 題 目 自閉スペクトラム症幼児を対象としたムーブメント教育・療法の活用
―幼稚園におけるインクルーシブ教育の一つの方法として―
論 文 審 査 員 主査 教授 正野 知基 副査 教授 前田 直樹 副査 教授 小川 芳徳 副査 教授 川﨑 順子
副査 教授 小林 保子(鎌倉女子大学)
一緒になって使うことで喜びを共有することができる.それによって運動機能の向上や身体の発育が促 されるだけではなく,情緒や社会性などの諸機能の発達が促され,自発性や自主性を伸ばす効果をもつ ことが知られている.
そこで本論文の目的は,幼稚園におけるインクルーシブ教育を推進する一つの方法として,ムーブメ ント教育・療法にどのような有効性について検証することである.
論文の構成と研究方法
本論文は,研究の背景であるノーマライゼーションからインクルーシブ教育への変遷とムーブメント 教育・療法について(第Ⅰ章,第Ⅱ章),関連研究の目的と意義(第Ⅲ 章,第Ⅳ章,第Ⅴ章,第Ⅵ章), 第Ⅶ章総括から構成されている.
第Ⅳ章,第Ⅴ章は関連研究として,インクルーシブ教育と統合保育における保育者の意識の相違や,
ムーブメント教育・療法の可能性を検討した.第Ⅵ章は
2
つの研究を受けて,ムーブメント教育・療法 を基にした社会的相互作用を促進するプログラムによって,自閉スペクトラム症幼児の社会的相互作用 を促進し,インクルーシブ教育の一つの手段として活用することができるのか検討した.結論
研究
1
では,インクルーシブ教育を行うには,園長主任の意識や考えが保育カンファレンスや園内研 修を通して現場の保育者に与える影響は大きく,インクルーシブ教育を目指すのか,統合保育を行うの かによって障害のある子どもへの対応は変化していくことが示唆された.日本でも障害者の権利に関す る条約が批准されたことにより,インクルーシブ保育の流れが加速している中,一人ひとりの子どもを 見つめ大切にするインクルーシブの概念は,これから幼稚園にも広く浸透していき,今後,保育者の意 識の相違によるインクルーシブ保育の実践の成果について,さらに検討を深めていく必要があると推察 された.研究
2
では,本来,言語・社会性の増加は見られにくいのが特徴である自閉スペクトラム症幼児の「社 会性」分野の発達が見られたことは,ムーブメント教育・療法の活用が子どもたちの相互作用の持続的 な発達支援の手段として有効であることが示唆された.保育所・幼稚園では,遊びを基軸とする活動中 心の保育であることから,自ら進んで参加し楽しむことができるムーブメント教育・療法がインクルー シブ教育を実践する上で有効な方法の一つとして考えられた.研究
3
では,子ども自身が自然に「やりたい」と思う気持ちを引き出しながら,それぞれの発達段階 にあった支援を行うことができるムーブメント教育・療法を基に社会的相互作用を促進する保育プログ ラムを実施することにより,幼稚園で社会性スキルが未発達な自閉スペクトラム症と診断された幼児は,他児との接触回数を増やすことができ,自然にかかわることのきっかけとなったことが示唆された.自 閉スペクトラム症幼児とクラス全体で行う保育プログラムは保育者自身にとっても,障害児や健常児に とっても難しいと感じているところに,本プログラムを導入することで子ども同士の変化のみならず,
保育者の意識にも変化が見られると示唆された.これらのことにより,社会的相互作用を促進する保育 プログラムは,自閉スペクトラム症幼児の集団における社会的相互作用を増大させ,ともに活動するこ とによって自閉スペクトラム症幼児と健常児が互いを受け入れ合うことができるようになることから,
自閉スペクトラム症幼児と健常児がともに育ち合う保育のきっかけとなると推察された.
【発表論文】
河合高鋭・小山望(2015)「幼稚園におけるインクルーシブ保育への一考察-保育者の意識を対象とし た分析をてがかりに-」『日本人間関係学会』20. 1. 15-28.
河合高鋭(2018)「幼稚園におけるインクルーシブ教育のためのムーブメント教育・療法の活用」『児童 研究』97,30-36.
河合高鋭(2020)「幼稚園における自閉スペクトラム症児の社会的相互作用を促進する保 育プログラム の効果『日本人間関係学会』25(1).掲載予定
論文審査結果の要旨
1.論文の内容
幼稚園など就学前教育において文部科学省は,障害のある幼い子どもを含めて,早期からの教育相 談・支援体制を構築する事業を推進しており,就学前の段階からインクルーシブ教育の取り組みが求め られる時代となっている.しかし,条件整備については,文部科学省の予算措置を伴う施策により一定の 進展が見られるが,カリキュラム(プログラム)開発や指導法,実際に担う教員の養成と研修については, まだほとんど何も具体的な施策がなされていないのが現状である.本研究では自閉スペクトラム症幼児 を対象とし,ムーブメント教育・療法を基にした社会的相互作用促進プログラムを提案し,自閉スペクト ラム症幼児の「社会性」分野の発達変化から,幼稚園におけるインクルーシブ教育推進の一つの方法と してムーブメント教育・療法が活用できるのか検討することを目的とした.
その結果,以下のような知見(主なもの)が得られた.
①園長や主任の意識が現場の保育者に与える影響は大きく,園内研修によって園全体の意識の在り方 を話し合い,共通理解を持つことが障害のあるなしにとらわれない子どもとのかかわりに影響する.
②ムーブメント教育・療法の保育への導入は,子ども集団における子どもたちの社会的相互作用を促 進させ,インクルーシブ教育を実践する上で有効な方法の一つであることが示唆された.
③社会的相互作用を促進する保育プログラムの導入は,子どもたち同士の変化のみならず,保育者の 意識にも変化が見られ,自閉スペクトラム症児と健常児がともに育つ保育のきっかけになると示唆され た.
本研究において,ムーブメント教育・療法によって社会的相互作用の促進が見られたことから,自閉ス ペクトラム症幼児にとってムーブメント教育・療法の活用は有効であることが示唆され,幼稚園におけ るインクルーシブ教育推進の一つの方法としてムーブメント教育・療法の活用が期待できる.
2.評価
博士論文全体としての論理の展開に厳密さを欠く部分が認められた.しかし,対象の特殊性からケー ススタディを地道に積み上げていかなければならないという研究の制約があり,先行研究も少ない中, 自閉スペクトラム症幼児を対象として 1 年間の介入を実施した本研究は,今後の幼稚園におけるインク ルーシブ教育推進に貴重な資料を提供するものであると評価できる.また,今後も研究のさらなる発展 を期待することができ,本論文は一定の水準に達していることが認められた.
3.口頭発表(公聴会)ならびに口頭試問の評価
公聴会における発表は,論文内容を明瞭に表現し,指定された時間内での報告が行われた.質問に対し ては即座に応答し,概ね的確に回答されていた.その後の,審査委員 5 名による専門委員会の口頭試問に おいても概ね的確に回答されていた.不十分であると指摘された点については,最終的な論文の修正に おいて対応するとした.
4.審査結果
審査委員全員一致により,本論文は博士論文に値するものとされ,「合格」と評価された.