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水上勉文学における<環境の表象>の解体と構築―

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(1)

水上勉文学における<環境の表象>の解体と構築―

エコクリティシズムの観点から

著者 賀 樹紅

著者別表示 He Shuhong

雑誌名 博士論文本文Full

学位授与番号 13301甲第4998号

学位名 博士(文学)

学位授与年月日 2019‑09‑26

URL http://hdl.handle.net/2297/00056520

(2)

博士学位論文

水上勉文学における<環境の表象>の解体と構築

―――エコクリティシズムの観点から

金沢大学大学院人間社会環境研究科 人間社会環境学専攻

学籍番号 1621082015

氏 名 賀 樹紅

主任指導教員名 結城 正美

(3)

目 次

序 章 ... 1

1研究の目的と意義 ... 1

2エコクリティシズム ... 4

3水上文学研究の概況 ... 8

4作品選定 ... 15

5論文の構成 ... 17

第1章 『海の牙』における海の表象 ---『苦海浄土』との比較を中心に ... 19

1人間に捨てられた海 ... 20

2人間に復讐する<化け物> ... 24

3海という他界 ... 28

結 論 ... 31

第2章 『海の牙』における漁民の表象 ---『苦海浄土』との比較を中心に ... 33

1衣 ... 33

2食 ... 39

3住 ... 43

結 論 ... 48

第3章 『故郷』における「裏」の表象 ... 51

1「裏日本」の形成史概略 ... 52

2『故郷』における「裏」の流動性 ... 54

3『故郷』における「裏」の多義性 ... 60

結 論 ... 73

第4章 『はなれ瞽女おりん』における盲女おりんの両義性 ... 75

(4)

1出自の曖昧性、生活場所の境界性 ... 76

2盲目 ... 78

3遊行性 ... 82

4性的な閉鎖性と開放性 ... 84

結 論 ... 85

第5章 『はなれ瞽女おりん』における女性の表象 ... 87

1平太郎に出会う前のおりん ... 88

2平太郎に出会ったおりん ... 90

3危機 ... 93

結 論 ... 96

第6章 水上勉文学における「夕暮れ」の表象---『故郷』、 『はなれ瞽女おりん』、 『たそ彼の妖怪たち』を中心に ... 98

1『故郷』における「夕暮れ」 ... 98

2『はなれ瞽女おりん』における「夕暮れ」 ... 102

3『たそ彼れの妖怪たち』における「夕暮れ」 ... 105

結 論 ... 108

終 章 ... 110

参考・引用文献 ... 116

付録一:水上勉の中国語に翻訳された作品一覧 ... 122

付録二:水上勉の映画化された作品一覧 ... 124

(5)

序 章

1 研究の目的と意義

本研究は、水上勉の文学実践をエコクリティシズム(ecocriticism)の見地から分析し、水 上文学における環境の表象の現代的意義を明らかにするものである。後述するように、これ まで水上の作品は、(1)社会の貧者と弱者の代弁、(2)日本文学の伝統の継承、(3)失われた 風土や故郷との絆、(4)薄倖の女性たち像-救済・母性・他界性、(5)文学における仏教思想 という五つの見地から研究されてきたが、エコクリティシズムの観点からの研究は、管見の 限り、僅かであり、いわば研究途上の段階にある。本論文は、人と環境の関係を分析するエ コクリティシズムの見地から、水上文学の再評価を試みるものである。

そもそも水上の文学実践を研究するにあたって、何故エコクリティシズムという観点が必 要なのか。エコクリティシズムが生まれた背景を顧みながら、その問いについて考えてみた い。

人間は、誕生して以来、常に環境に影響を与え続けてきた。もちろん、その影響は、里山 のように、人間の関与が生物多様性の維持に貢献するという肯定的な側面を持つ一方、環境 破壊というマイナスの方向にも働く。環境問題は現代特有のものではない。1 しかし、近代 社会に入って以後、人間が自然に与えるマイナスの影響が次第に強くなっていったことは否 定できない。18 世紀後半の産業革命の発生とその後の発展は、人類の生活に便利をもたら すと同時に、様々な環境問題を引き起こしてきた。

深刻な環境問題及び、それに対する危機意識と反省に伴い、とりわけ20世紀以降、環境 の大切さが意識されるようになり、自然や環境に関わる新たな視座、或いは環境との新たな 関係が模索され始めた。これらの模索には、技術の進展に基づく打開策だけでなく、人間の 世界観、価値観や生活様式の変更も含まれる。

文学研究という人文科学の研究も、こうした模索と決して無縁の領域ではない。これにつ いて、アメリカ文学研究者でエコクリティシズムに早くから着手しているローレンス・ビュ

1人類の歴史上の各段階には、必ずそれなりの環境問題がある。例えば、水本邦彦は「近世の自然と社会」という論文の中で、土砂災害と その防止策である土砂留制度を手がかりに、近世の農村社会とその背後の山々との関係を検討することを通して、近世社会は、「農業生 産に必要な草肥確保のため、多くの山々に対して木山への遷移を阻止して草山循環を強制するという、自然を改造して自然に圧力をかけ 続けた社会」であり、それゆえに、「土砂流出や山火事などの災害が頻発していた」のだと述べ、現代と同様に、近世も、「人間による自

190〜191)。

(6)

エル(Lawrence Buell)は、「科学、工学および社会政策」という分野は、「概して環境研究 の世界的プログラムを構築してきた基盤」であるため、環境危機の関わりが顕著であるが、

「歴史、哲学、宗教、文化地理学、文学や他の芸術」という環境人文学も「劣らず本質的に 重要」であると述べている。なぜなら、「環境福祉に関する技術の画期的進展や立法上の改 革、書類上の契約が功を奏するためには、そしてそもそもそれらが生み出されるためには、

環境的価値の状況の変容やその認識そして意志が必要だから」だと、ビュエルは指摘してい る(ビュエル1)。

エコクリティシズムは、厳しくなる地球環境問題に対する危機感を伴う形で、人間と環境 の関係を文学的アプローチから研究する批評理論・実践である。「環境保護を志向する文学 研究」として(同 171)、エコクリティシズムは、積極的に環境問題の解決策を探求する姿 勢を有する。また、「複数の領域にまたがる多様な形式を有した学際的な動き」として、エ コクリティシズムは、「一つの方法や方針に限定されずに、環境への配慮の精神にもとづい て文学やその他の創造的な表現手法にみられる環境表象」を考察することによって、「環境 への配慮を深め、刺激し、方向付けるような言葉、物語、イメージの力をつかみ取るので、

環境問題、つまり現在、地球に悪影響をもたらしている様々な形態の環境破壊を理解するう えで大きく貢献できる」という。(小谷他195)。

<環境>は、抽象性が強い言葉かもしれない。しかし、私たちにとって、<環境>をめぐ る事件(水俣病事件、原発問題、大気汚染、河川汚染など)は、決して遠い話ではなく、む しろ<私>たちと環境とを常に結びつける装置として機能している。まさに野田研一と山里 勝己が述べたように、<環境>とは、「<私たち>が現在住み、暮らしている場所のこと」

であり、そして、<私たち>と「そのように親密な関係を持つ<環境>=場所が危機に瀕す る」ということは、<私たち>が危機に瀕するということに等しい(野田・山里vi)。

後述するエコクリティシズムの主な批評的関心の変容にもうかがえるように、エコクリテ ィシズムで取り扱われている「環境」とは、自然環境だけではなく、社会環境でもある。ま た、日本では、環境問題は、しばしば「公害」2 という概念と重なり合っている。主に物理 的環境に関心を向ける欧米とは異なり、日本における環境あるいは公害問題は、人間の健康

2加藤尚武の「環境問題と公害」によると、「公害」とは、「発生源が不特定多数で因果関係が不明確(原因の公共性)」で、「被害が広範囲

(被害の公共性)」であり、「公共政策による解決(対策の公共性)」が求められるものである(加藤 2〜3)。日本で環境問題が注目される ようになったのは、戦後の高度経済成長期である。その典型な例として、日本の四大公害(イタイイタイ病、水俣病、新潟水俣病、四日 市ぜんそく)がある。1993 年に成立した環境基本法によると、「公害」とは、「事業活動その他の人の活動に伴って生ずる相当範囲にわた る(1)大気の汚染、(2)水質の汚濁、(3)土壌の汚染、(4)騒音、(5)振動、(6)地盤の沈下及び(7)悪臭によって、人の健康又は生

(7)

に関わる社会問題という特徴を有していたと言える(Forrest, et al. 13~37)。よって、本論で は、<環境>を、水上文学における自然環境だけではなく、社会環境を含めて、総合的、包 括的にとらえることを試みる。もちろん、このような試みは、本論の独創ではない。このよ うな作法は、ASLE-Japan /文学・環境学会(1994 年)の学会誌『文学と環境』に掲載された 諸論文及び諸会員が著した本からも伺える。学会が成立してからの 25 年間に、エコクリテ ィシズムの研究対象が自然環境に限定されたものだけではなく、社会環境における制度や支 配するシステムなどにも及んできた。言い換えれば、自然環境を主題とする作品だけではな く、社会問題を描いている作家とその作品も、エコクリティシズムの分析対象となってきた のである。

本論で主に検討するのは、水上勉(1919-2004)の文学実践である。多くの作家の中から 水上を選んだのは、二つの理由がある。まず、大衆作家として、彼の作品は娯楽性を持つた め、広く読まれていた。例えば、1961年に『霧と影』(1959年)が初めて映画化されて以来、

1987年までに映画化された水上の作品は16部3にのぼる。また、水上文学の影響力は日本だ けにとどまらなかった。1970年代初頭の彼の最初の訳作『虚名の鎖』(1970年)が中国で出 版されて以来、これまでに中国語に翻訳された作品は20部以上4もある。これらの事実から、

水上の作品が日中読者の共感を呼んだことが推察される。そうした共感は人間の環境観と関 わっていたはずであり、水上の文学の分析を通して、1960年代〜1980年代までに日本におけ る環境をめぐる心性の変遷に接近することができると考える。

水上は、昭和の代表作家として、環境問題・社会問題に常に関心を持ち、水俣病事件をい ち早く告発し、原発問題や弱者の貧困問題にも関心を向けてきた。作家として、水上は、社 会問題に悩まされる人間、具体的に言えば貧者や弱者を表現するだけでなく、それらの「か もし出す事件」、「生きる環境や、背後の社会組織などの成立ち」をも追究した(「水上勉 受賞一覧」244)。しかも、彼の視線は常に弱者の立場にあり、傍観者の立場から他人事の ように弱者を表現することがない。貧者、弱者という周縁に位置する人間と同じように、水 上文学の舞台も常に地方の僻地、僻村という場所である。言い換えれば、水上は常に弱者の 立場で、自然と生命に対する深い認識を以て、生存環境に対する深刻な危機意識を表現し、

3映画化された作品について、付録二を参照されたい。

4

(8)

環境問題をめぐる多面的な見解を表現している。よって、彼の文学実践は環境言説の検討題 材として示唆に富むものであると考える。

本論文で検討する環境の表象は、主に次の四点とする。(1)水俣病事件を主題とする『海 の牙』における海と漁民、(2)原発問題をめぐる『故郷』における<裏>という位相、(3) 差別問題に関わる『はなれ瞽女おりん』における<瞽女>という他者、(4)他者の存在を示 唆する境界上の時間帯<夕暮れ>。以上四点を考察することによって、水上文学における環 境の表象が現代に与えうる示唆を検討する。

2 エコクリティシズム

本研究は、水上の三つの作品――『海の牙』(1960 年)、『故郷』(1997 年)、『はなれ瞽女 おりん』(1975 年)――を中心的検討題材とし、エコクリティシズムの見地から水上文学に おける<環境の表象>の解体と構築を明らかにするものである。本節では、エコクリティシ ズムが生まれた背景と、この批評理論・実践の発展の過程を概観する。

近代化を達成した先進諸国においては、エコクリティシズムの出現前に、まずネイチャー ライティング5という文学ジャンルへの関心が高まった。ネイチャーライティングとは、そ

5現在においても、ネイチャーライティングならびに環境文学は、まだ学術的に定まった定義がない。例えば、ローレンス・ビュエルは『環 境批評の未来:環境危機と文学的想像力』において、環境文学の範囲は茫漠と広く、どのような「ジャンルのテクストであっても、環境 文学とみなしうる」と述べている(ビュエル 177)。それに対して、生田省悟は、ネイチャーライティング/環境文学とは、「環境をめぐる 想像力と言語表象行為を通じて人間と自然の関係性のありよう、ひいては環境を前景化し、主題とするジャンル」だと指摘している(生 田 9)。これに対して、喜納育江は、人間と場所との関係という角度から、環境文学を「人間を自然の一部であるとみなすまなざしと、そ れを語る文学を基軸としながらも、「場所」、「環境」、「他者」という主概念をそれぞれ重層化していくことによって、その物語の地平を さまざまな方向と広げ、さらに包括的なビジョンをもつ学問へと深化していく可能性を秘めている文学のジャンル」と定義している(喜 納 15)。また、『文学から環境を考える』によると、環境文学とは、「自然環境と人間との対話や交流、共生を主なテーマとし、その過程 で人間中心主義の再考を促していく文学作品全般」、を指し、それは、ネイチャーライティング(一人称ノンフィクション、エッセイ)

だけでなく、小説、詩、エッセイ、演劇も含んでいる(小谷他 307)。以上の定義をまとめると、環境や環境危機に対処し、環境問題を告 発する文学作品だけではなく、自然環境と人間との対話や交流、共生を主なテーマとする小説、詩、エッセイ、演劇など、多様な文学ジ ャンルが、「環境文学」を形成していると言える。

環境文学の具体的な類型も多様である。例えば、篠田知和基は「ソローのタイプの自然賛美、あるいは自然体験」と「『苦界浄土』 の タイプの公害告発」の二つに分類しているが(篠田 147)、門脇仁は以下のように詳細な分類を提示している。

環境問題の生々しい現実をとらえ、生態系論理を訴えるもの 生態系における命の営みやかかわり合いを観察・描写したもの 自然と向き合う人間の感受性や想像力を刺激するもの

博物誌的な関心を呼び起こしたり、自然についての情報・知識を伝えるもの 環境についての思索や思想を述べたもの(門脇 144)

篠田の簡潔で大雑把な分類に比べると、門脇の分類の方がさらに詳細で包括的である。なお、環境文学という用語は、英語の environmental literatureの訳語であるが、中国では、環境文学ではなく「生態文学」(ecological literature)という言葉が広く使われている。

中国生態文学研究の開拓者とみなされている夏門大学の王諾によると、生態文学とは、「生態学的全体主義に基づき、生態系の全体的な 利益を最大の価値とし、自然と人間の関係を考察・表現し、生態系危機の社会的根源を探求し、且つ独特の生態学的な審美を表現する文 学ジャンル」であり、その特徴として、「生態学的責任、文化的批判、生態学的理想、生態学的警報および生態学的審美」 を挙げている

(王 27)。王は「環境文学」という用語の最大の問題は、それに隠されている人類中心主義の自然観だと指摘している。その例として、

王は、アメリカの初期エコクリティシズムの代表的研究者である C・グロトフェルティ(Cheryll Glotfelty)の「環境」をめぐる論述を引 用し、「環境」という言葉は、人間を中心に位置付け、その他すべての非人間的存在物は人間の周囲に位置している状況を意味すると述

(9)

の最も基本的な定義によれば、「自然に関するノンフィクション文学」である(野田・山里 vii)。日本人にとって、ネイチャーライティングに相当する作品、つまり、自然に関するエ ッセイや随筆は、決して珍しいものではない。何故なら、まさに野田・山里が述べたように、

日本では、「旅を主題とする紀行文学、登山を主題とする山岳あるいはアルピニズムの文学、

植物や昆虫や動物を主題とするノンフィクション・エッセイが、一種伝統のように存在して いる」からである(同 vii)。しかし、日本においても、アメリカにおいても、残念ながら、

従来の文学研究は、このような作品群にあまり注意を払ってこなかった。ネイチャーライテ ィングという用語がアメリカで使われ始めたのは、19 世紀の初めあたりであるが、1980 年 代以降、それを基盤として、人間と自然環境との関係を再検討する方向で、文学研究が実践 されるようになると共に、ネイチャーライティングはようやく「文学上の確固としたジャン ル」として位置づけられるようになった(同 vii〜viii)。

ネイチャーライティングが、独立した文学ジャンルとして最初にアメリカ文学に認識され たことは、エコクリティシズムがアメリカ文学研究で樹立されたことにも深く繋がっている。

1989 年、マサチューセッツ州にあるベントレー大学で「わずか九ページの小冊子、『アメリ カン・ネイチャーライティング・ニューズレター』(American Nature Writing Newsletter)

が刊行されたことが、エコクリティシズムと呼ばれる文学批評の始まりとなった(野田『交 感と表象』215)。エコクリティシズムは、「広く文学と自然環境とのかかわりを考察し、文 学研究の立場から深刻化する環境破壊への提言を模索する試み」である(文学・環境学会『楽 しく読める』i)。1993 年前後、アメリカでは、文学・文化研究の環境論的な傾向が、「一つ の自意識的な運動」として始まった(ビュエル5)。こうした動向を背景として、1992 年、

アメリカで「文学・環境学会」(ASLE)が設立された。新しい学会の登場と共に、環境の視 点を導入した文学の読み直しも盛んにされるようになった。

ビュエルによれば、エコクリティシズムの発展段階にはいくつかの傾向があり、彼はそれ を第一波と第二波に分けて概観している(同 25〜38)。第一波エコクリティシズムの特徴と して、ビュエルは、その「科学的リテラシーへの要請[が]、基盤となる人文学的状況を前 提とする傾向があり、自然法則を記述する科学的方法の有能さを推奨し、批評的主観主義と 文化的相対主義への一種の修正として科学に頼る傾向がある」こと、「『自然』と『人間』の

内の各部分の密接なつながりを意味する点で、人類中心主義でなく、生態全体主義という生態文学の思想基礎と一致すると論じている(王 10〜22)。環境文学は常に伝統的に環境運動と密接な関係を保ってきたため、その具体的な定義と範疇にも、常に伝統的に環境運動に伴 って変化していく。スコット・スロヴィックが指摘するように、環境運動の発展と多様化とともに、環境文学の取り組みは、「公害はも

(10)

領域の差」より明確に分断されていたこと、を挙げている(同 26、30)。これに対して、第 二波エコクリティシズムにおいて、「科学と文化の境界線はそれほど明確ではな」くなり、

「環境と環境保護主義を考察する有機体説的モデルを問題にする傾向」を呈している(同 27、30)。第一波と第二波がエコクリティシズム内部に起きたのは、「それまで自然環境、と りわけ野生の自然環境に向けられることの多かった批評的関心が、人間が生活を営なむ社会 環境に移っていった」からだと一般的に指摘されている(結城「エコクリティシズムをマップ する」95)。第一波と第二波のどちらも、「文学と物理的環境との関係をめぐる研究」という エコクリティシズムの包括的定義をはみ出るのもではないが、その大きな相違は、「定義に ある『物理的環境』が、第一波では主として自然環境として、第二波では社会環境を含むも のとしてとらえられている点」である(同 95)。

文学研究だけではなく、映画、アニメ、広告など様々な研究領域でも、エコクリティシズ ムの視点からの研究が進んでいる。これらの研究は、疑いなく、人文学的アプローチから環 境の問題に取り組むエコクリティシズムが、世界的に一つの学術的潮流を形成している証左 であり、その根底には、いずれも、環境危機を導いた工業化や近代化への根底的な問い直し を強く求める意識が働いている。

今では、エコクリティシズムは、「ネイチャーライティングのみならず幅広く環境と文学 の関係」を研究し、「文学作品全般の環境意識や自然の位相のみならず、文化全域に新しい パラダイムを提示する文学批評の様相」を持つようになった(文学・環境学会『楽しく読め る ネイチャーライティング』242)。例えば、現在、アメリカでエコクリティシズムが対象 とするテーマは、『オルタナティヴ・ヴォイスを聴く――エスニシティとジェンダーで読む 現代英語環境文学103選』の研究テーマ一覧を参照すると、特定のエスニック・グループの 環境観だけではなく、「汚染と身体」「自然の再発見」「自然と植民地主義」「土地の歴史と喪 失」「いきものを語る」「食と農業」「エコシステムの崩壊」「アクティヴィズムと環境正義」

「都市環境と越境」「音楽・映画」をはじめ、多岐にわたることが分かる。

アメリカの環境文学研究の波は、日本、イギリス、韓国、オーストラリア、ニュージーラ ンドをはじめ世界各地に及び、ASLE(Association for the Study of Literature and Environment)

と 呼 ば れ る 学 会 や そ れ に 類 す る 学 術 組 織 が 次 々 と 設 立 さ れ た 。2019 年 5 月 現 在 、 ASLE-US(1992)、ASLE-Japan(1994)、ASLE-UKI (UK and Ireland 1998)、ASLE-Taiwan (2000)、

(11)

ASLE-Korea(2001)、 ASLE-India (2006)、ALECC(Canada 2006)、 tiNai Ecofilm festival(2007)、6 ASLEC-ANZ(Australia–New Zealand 2007)、EASLCE(European Journal of Literature, Culture and Environment 2010)、ASLE-ASEAN(Association of Southeast Asian Nations 2016)、

ASLE-Brasil(2016)、ASLE-Pakistan(2017)、FSLE-India7 (2017)を含み、世界中には14のASLE が作られている。

日本におけるエコクリティシズムの「最大の牽引力」は、アメリカでのASLE創立から2 年後に発足したASLE-Japan/文学・環境学会(1994年5月)である(野田「文学からの環境 研究に向けて」1)。この学会の活動を中心に、日本におけるエコクリティシズムはいくつ かの発展段階を経てきた。まず、「翻訳を通して環境文学、ネイチャーライティング、エコ クリティシズムが紹介された時期(1990 年代前半〜2000 年)」、次に「欧米のエコクリティ シズム理論を援用して比較研究的アプローチから日本文学の分析が活発化した時期(2000

〜2010 年頃)」、そして「第二期と若干重複するが、米英文学研究者を中心とする環境文学 研究者と日本文学研究者の研究交流を通して(日本のエコクリティシズム)の探求が本格的 に着手された時期(2000 年代後半〜現在)」である(結城「日本のエコクリティシズム」i-ii)。

ネイチャーライティングおよびエコクリティシズムの形成と発展の背景には、世界的な規 模での環境問題への関心(または不安)の増大がある。この点において、エコクリティシズ ムは、従来の「<文学における自然>をテーマとする研究」と大きく異なる。これについて、

結城正美は、論文「エコクリティシズムをマップする」で、エコクリティシズムと従来の<

文学における自然>をテーマとする研究は、「重なる部分」が大きいにしても、その「相違」

も明瞭であり、それは、「従来の文学研究には地球環境問題への危機意識がなかった、ある いは仮にあったとしても希薄だったり、個人レベルだったために目に留まりにくかった」の だと指摘している(結城「エコクリティシズムをマップする」91)。つまり、エコクリティ シズムは、人類の生活あるいは生存の問題に深く関わるものだと言える。ネイチャーライテ ィング、環境文学、エコクリティシズムへの関心の広がりの背後には、「環境思想における 人間中心主義から環境中心主義への転移の問題」が存在しており、つまり、「エコクリティ シズムの領野とは、文学における人間中心主義批判の遂行、およびその結果としての環境中 心主義の可能性を探る試み」だと野田は指摘している(野田『交感と表象』201)。

6この学会の前身は、2005 年に成立したOSLE-Indiaである。

7この学会の前身は、元々ASLE-India ASLE-Delhi(2011)である。

(12)

3 水上文学研究の概況

(1)水上勉とその文学創作

水上勉は、日本の昭和時代を代表する作家である。彼は、福井県大飯郡本郷村(現:おお い町の北東部、小浜線若狭本郷駅の周辺にあたる)岡田にある農家の次男として、大工の父 と農婦の母のもとに生まれた。盲目の祖母がいたが、水上が3歳の時に亡くなった。彼が生 まれた大正8(1919)年は、米騒動に象徴されるように、日本の農村が最も疲弊した時代で あった。水上の自伝『冬日の道』(1970 年)と『わが六道の闇夜』(1977 年)には、幼年期 の貧困生活、特に、電線が引かれていても、電気代を支払えなかったために電気を止められ たことが繰り返し言及されている。周囲に村で唯一電灯のない家の子として見られたことは、

おそらく幼年時代の水上に劣等感を抱かせたのであろう。水上が幼少年期に抱いた劣等感が 彼の文学創作に与える影響について、田辺匡は、「水上文学の一番根っ子の部分作者自身 はこれを『私の劣等感の球根』といっているを形成している感受性」、すなわち「よその 家と比べ自分の家の貧困な暮らしに対する怨恨の気持が、成長するにしたがい段々とふくら み固まって、生きる自我」となり、「やがてそれが彼の作品の中では、身体的にハンディキ ャプを背負った男性の主人公という、厭世的でしかも陰湿な歪んだ姿になって、あらわれた とみてまず間違いなさそう」だと述べている(田辺 11)。

戦前までの日本では、長男が代々家を継いでいくという家父長制が存続していたが、保守 的な風土の色濃い地方では、家父長制が戦後も長きに渡って残存していた。若狭の分家の次 男として生まれた水上にとって、離郷は、生まれた時点で既に決まっていた宿命である。家 計の負担を減らすために、10 歳の水上は、京都の臨済宗相国寺塔頭瑞春院に送られ小僧に なった。この幼少期の経験と水上の文学創作との関係について、尾形ゆき江は、離郷後の水 上が「幼少期に満たされなかった愛情の飢餓感を少しでも癒そうと、母のぬくもりを求めて、

女性遍歴を重ね」たと述べ、そのような「母恋い、無意識なる母親への回帰願望こそ、水上 文学を開花させる一番の原動力になった」と論じている(尾形 52)。この時期の体験に基 づいて創作された『雁の寺』(1961 年)にうかがえるように、水上にとって小僧としての 生活は非常に辛いものであり、結局、彼はその辛さを我慢できず、13 歳の時に脱走した。

脱走して引き戻された水上は、同じ相国寺塔頭の玉龍庵に入り、その後、天龍寺派別格地 衣笠山等持院に移った。17 歳の水上は、中学を卒業し、等持院を出て還俗し、放浪生活を

(13)

始めた。伯父の下駄屋で働いた後、膏薬の行商にも従事した。19 歳の時、京都府満州開拓 青少年義勇軍応募係となって府下を巡回し、「はるびん丸」で渡満し、奉天の国際運輸会社 でクーリー監督として働いた。木村光一によれば、水上が満州に滞在する期間は、「非差別 から差別へのきっかけの時期」であり、同時に彼にとって「他人に支配されるのではなく、

言葉によって他人を支配する世界を作る」という「文学の意味を自覚する契機」でもあった

(木村 5)。

その後、喀血を理由に奉天での仕事を辞めた水上は、故郷に戻ることになった。若狭の生 家で病気療養しながら文学書を耽読し、暫く穏やかな生活を送った。その後、水上は上京し、

新聞会社で仕事をし、25 歳の 5 月、召集を受け、丙種の身柄(実家で療養の期間に行われ た徴兵検査で、丙種合格となった)でもって輜重輓馬隊に入隊したが、二ヶ月後、終戦のた め除隊となった。敗戦後、彼は直ちに上京し、洋服の行商や編集記者など様々な職業を転々 としながら、小説家になりたいという志を抱き続けていた。

作家という職業にたどり着く前に、水上は、新聞配達、膏薬の行商、自動車組合の集金人、

苦力監督見習、新聞記者など 30 以上の仕事を経験した。この職歴と同様に、水上の作風も 多様であり、まさに曽根博義の評価する通り、彼は「変身の作家」である(曽根 92)。

周知のように、水上勉が初めて文壇に登るのは、デビュー作「フライパンの歌」(1948 年)

である。その後、約 10 年の空白期に入り、再び文壇に現れるのは、松本清張の小説『点と 線』に啓発されて執筆した『霧と影』(1959 年)である8。『霧と影』を発表した後、水上は、

『海の牙』(1960 年)、『若狭湾の惨劇』(1960 年)、『巣の絵』(1960 年)、『耳』(1960 年)等、一連の推理小説を次々と発表し、「松本清張と共に社会派推理小説の前盛を出現、

その牽引車として注目」を浴びる(祖田 473)。『海の牙』を書いた 1960 年に、水上はす でに世評のよい『霧と影』によって一躍「社会派推理作家」となった。9その後、彼は一転 して純文学(私小説と社会派推理小説の一種の統合)の『雁の寺』(1961 年)、『五番町夕霧 楼』(1962 年)、『越後つついし親不知』(1962 年)、『越前竹人形』(1963 年)、『しがらき物 語』(1964 年)、『櫻守』(1968 年)などを発表した。また、それだけでなく、彼は評伝小説

『宇野浩二伝』(1970 年)、『古河力作の生涯』(1972 年)、仏道への関心にもとづく『一休』

8『水上勉全集 第22巻』の「あとがき」で水上勉は、社会派推理小説を創作するきっかけについて述べている。彼は松本清張の小説『点 と線』を読んで、「殺人事件を取りあつかった小説だが、毛嫌いしていた本格派のトリック小説に比して、現実性があり、人間描写もす ぐれているので驚嘆、さらに『黒地の絵』『作家の舟板』『眼の差』などむさぼるように読み進め、単なる殺人も、その背後に社会性と人 道主義的な動機をひそませれば、充分読みごたえのある推理小説となり、ちゃんとした「小説」になり得る」と考えた。

9「社会派推理作家」というのが、昭和348月、『霧と影』(河出書房)によってデビューした水上勉に貼られた最初のレッテルだった。

水上勉の話によると、当時は社会派の推理小説が全盛で、その種の作品を書けば新人でも出版社が買ってくれる時期であった。(水上『不 知火海、ふるさと若狭』12)

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(1974 年)及び劇曲、児童文学、歴史小説、散文、紀行文など膨大な数の作品を創作した。

1948 年の第一作から、2004 年 9 月に肺病によって没するまでの 56 年間に、水上は約 200 篇の小説、約200篇の紀行文、約100篇の随筆を書いた。

次男として生まれたこと、そして、30 種類以上の仕事を転々としたことは、我々から見 れば、水上の人生の不遇と映るかもしれないが、一方で、そのような不遇に見える人生が、

水上の文学創作の糧となり、彼の文体を支えるものとなった。これについて、田野辺薫は、

水上の作品には自身の不遇を土壌とする「怨念の美学」があると指摘し、この「根源の美学 として怨念」ゆえに水上の文学には悲話と残酷な描写が多いと論じている(田野辺 57〜58)。 福田宏年は、「不幸が慕い寄ってくるかのように集まっている」水上の人生の不幸と悲しみ は、彼の文学にも反映されているが、一方で彼の文学の得難い点は、その「個人的な暗さと 悲しみを作品の中に転化させ」、「世襲の悲しみ」として描写することにあると指摘している

(福田 176)。言い換えれば、不遇に見える水上の人生は、彼の独特な文学の特色を成し遂 げたのである。

(2)水上文学研究の主題

これまでの水上文学研究において最も取り組まれているのは、作品に登場する人物像をめ ぐる研究である。中野孝次は、水上文学に登場する主人公たちは、「一所定住すべき土地か らさまよい出なければならなかった、農民層よりもっと下の、まず遊女や娼妓や、下働きや 使い走りや、そういう日本社会の最も悪い条件を生れながらに背負わされた流民層」だと指 摘している(中野 3)。栗田勇は、水上が「日本の、生活者の、貧しい、時に悲惨な、俗の なかの俗なる人々の群れ」を「現実的に描いた」わずかな作家であり、彼が「俗なる人間と しての目をすえる場として、しばしば、山陰地方の貧しく名もなく不幸で弱い人々の人生の 側にた」っていると指摘している(栗田 47)。尾崎秀樹は、「弱者の立場に立つ人への共感」

が、水上の現代小説に共通したモチーフだであると論じている(尾崎 51)。

社会の底辺層の人々を描写対象とすることには、水上の出自及び原体験が関わっている。

これについて、野乃宮紀子は、水上は、「あまり、恵まれているとは言えない人々に暖かい 光をあて、喜び・哀しみといったものを通してさまざまな愛のかたち、つまりは人間を描く 作家」であり、その理由として、彼の視座が、「常に社会の底辺近くで生きている人間と同 じ高さ」にあるのだと述べ、そのような視座が「作者自身の生い立ちや、歩んだ道の厳しさ」

と関連があることを指摘している(野乃宮 106)。饗庭孝男も、水上の文学は「そうした他

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者の不幸の闇を、想像力によって明らかにする文学」であり、その想像力は、「不幸の根の ところまで下りてゆき、不幸を痛覚する感受性によって息づく想像力」だと述べ、水上の文 学創作と彼の生活や経験との深い関連を指摘している(饗庭 22〜23)。

水上自身は、世の中には「弱い立場の人、苦しみ悩んでいる人、病気か障害で人より生き づらい人、貧乏でめしが喰えない人、失職している人、働いても働いてもうまくゆかぬ人」

が多く、「作家になれないで、職業を転々としていた時」、自分も彼らの仲間だったが、作家 として成功しても、「そういう人とつきあいをさけ難い」と述べている(水上「牛女」86)。

このような社会の貧者や弱者と共感する意識がある故に、水上は、他人事としてではなく、

弱者の悲しみに自分の出自を重ねて作品を描き続けたと言えよう。

以上のように、水上文学に登場するのは主に、不幸で弱く、虐げられている人々である。

これらの人々は、疑いなく社会的に排除され、差別される存在でもある。貧者、弱者、被差 別者に向けられている眼差しが、彼の文学の原点にある。

水上文学は、日本文学の伝統の継承という点においても研究者の注目を集めている。村松 定孝は、水上の人生及び文学活動の履歴を振り返りながら、水上が「日本のロマンの伝統」

を継承しており、彼の文学が、「和讃のリズムをもって人情を語った最も日本的散文詩」で あると述べている(村松 35)。小松伸六は、水上の文学表現の分析を通して、彼が「日本文 学の伝統に流れている日本的叙情の具現者」、「表現者」であると評価している(小松「叙情 による認識と表現」40)。栗田勇は、水上文学に描かれる仏教の世界が、「日本の伝統的文学 の正統を継承することによって、世界の、あるべき文学の理想像を示している」のだと指摘 している(栗田 48〜49)。飯島宗享は、水上の文学は「古風なのだが、それは単に近代以前 の意味で古風なのではなく、近代を超えて未来にまで、およそ『地を継ぐ者』の資質として の古風さなの」だと指摘している(飯島 88)。

以上に挙げた先行研究の内容は、主に水上文学における日本文学のロマンの伝統、日本的 叙情、日本の伝統的文学の継承に集中している。しかし、それは決して彼が近代と無縁なと ころに作家として出発するわけではない。新聞記者歴がある水上は、近代社会に存在する問 題に対して決して鈍感ではなく、むしろ敏感であったと言えるだろう。彼が日本文学の伝統 を継承を通して激しく求めるものは、むしろ近代以降の世界を乗り越える道筋ではないだろ うか。

風土や場所も水上研究における主要なテーマである。とりわけ、水上の生まれ故郷である 若狭は、彼の数多くの小説の舞台となっている。松本健一によると、水上にとって、若狭の

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土地は、「身をひきはがせぬ、根源的な場所」である(松本 168)。

水上は、自分の生まれた場所を語る際に、「故郷」という語を避け、「在所」という言葉を 好んで使った。彼のエッセイによると、「故郷」という言葉は「どうも意にそぐわ」ず、「在 所」という方が「ぴったりする。心の根がそこにつながるから」だという(水上「在所礼讃」

196)。在所と文学創作との関係について、水上は随想集『草ぐさのこころ』の“あとがき”

で、自分は「これまで数多い小説で、人間の生死を材料とした。それらの殆んどの主人公た ちは、地方の山奥の谷あいに生まれ、必死に生きた人たちだった」と振り返りながら、「娼 婦、犯罪者、底辺労働者、零落者——そういう人たちに目をむけた」のは、「因縁」つまり、

「在所から学んだもの」のためだ、と述べている。つまり、常に人間社会の底層に生きてい る人間を描写する水上の基本姿勢の根底には、「在所」での経験がある。

水上が在所とよぶ若狭の風土は、水上と彼の文学を育てた。武藤信雄が「水上勉の文学と 風土」において、風土は「たてのつながりのなかで自己の生きかたを確認することができる 空間」であり、水上がよく使う「在所」は、風土への親しみを込めた表現だと述べている。

また、武藤は、水上文学とその風土との繋がりを検討することを通して、水上文学が目指し ているものが彼の「在所の暗い現実」であると論じている(武藤 1〜9)。木村光一は「水上 勉の劇世界」の中で、水上文学の特質は、「その登場人物たちの顔に刻み込まれた皺や年輪 が、彼等の生まれ育った土地の自然・風土と分かちがたく結びついているさまや、そのさま においてしか生きられない、あるいは、そのさまにおいてこそ生きる人間の運命が生き生き と具体によって表出されること」だと述べ、水上が描く人物に土地の影響が刻まれているこ とを指摘している(木村「水上勉の劇世界」25)。水上文学に濃い風土性があるのは、おそ らく 10 歳時の離郷によって生まれた故郷に対する喪失感や欠落感が、彼の意識の底に沈殿 しているからなのかもしれない。

水上の作品における女性像をめぐる研究も多く見られる。香内信子は、『五番町夕霧楼』

の片桐夕子と『越前竹人形』の折原玉枝を中心に分析し、水上文学に描かれる女性たちは、

美しいという特徴を持つ一方で、「通念の社会生活からはみ出してしまう貧困の家庭」をル ーツに持つと述べ、水上の独特の創作方法として、「一生はらいのけることのできぬ苦痛や 悲しみを背負う人(あるいは、背負わされた女性)」の中に人間の心の美しさを描く手法を 指摘している(香内 29〜32)。野口富士男は、「こんな悲しい女を世間はどうしてこれほど いじめぬかずにはおかないのか、水上勉の文学は、そういう苛酷な人生への恨み辛みの積り

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積った口説きの文学にほかならない」と述べ、薄幸な女性たちの気持ちを代弁することに水 上文学の特徴を見出している(野口冨士男161)。

水上の描く薄幸の女性たちは、厳しい生活を忍従し、常に優しくて明るく、男性に対して 安らぎを与える存在でもある。野口武彦は、水上の作品世界に描かれる女性は「ひたすらな る受苦をつうじて解脱に近づく女」であり、それらの女たちは「時には娼婦となり、時には 従順一途な妻となり、時には母性愛を求められるだけの対象となって、さまざまに男たちを 救済する」のだと述べている(野口武彦 58)。小苅米晛は、水上が描く女性像には、「集約 されているような汚穢のなかの清浄という逆説的(バラドキシカル)な輝き、あるいは両義 的な存在感というもの」があり、劇曲に描かれる女性は、水上にとっては「一種の理想像だ といってもいいすぎではないし、時には母性の豊かささえあわせもっている」と述べ、水上 文学に登場した女主人公と母性との繋がりを指摘している(小苅 103)。同様の論点を示す 研究は他にもあり、例えば、権田萬治も水上の「推理小説とそれ以外の作品に登場する女性 の多くは、母性的な存在である」と述べている(権田 67)。

水上文学における女性像を他界性に繋げて論じている研究もある。尾形ゆき江は、水上文 学に描かれる「観音的、他界性を有する女性」には六つの特徴があると指摘している。それは、

「(1)貧困ゆえに放浪すること、(2)忍従を強いられる運命を持っていること、(3)男性の 欲情の犠牲になること、(4)現世の「闇」を見つめていること、(5)性的、宗教的男性救済 者として設定されていること、(6)冥界と現世を往還する通路のありかを知っていること」

である。尾形は、これらの女性たちは、「現世の闇とその先を見つめてきた孤独な作者が、

己自身の業の救済を願い続けた情念の形像化に他ならない」と述べている(尾形 56〜57)。

野口武彦は、「水上文学の女たちは、あの世とこの世を往還する通路のありかを知っている。

(略)氏はさまざまな女たちの生と死を書きたどることによって、われわれの民俗がつねに 蔵してきた『女』の他界性への夢を、次々と掘り起こしては造型してやまない」と指摘して いる(野口武彦 59)。

水上の作品に描かれる水死した女性について、岩佐壮四郎は、水上文学にこうした「女性 像が<悲母)>として水上のなかに確固とした像を結んでいく」と考え、狩野芳崖の「悲母観 音図」と重なっていると論じている(岩佐39)。これに反して、「自然の風景に、この世の非 情な残酷さをみて、そこに哀れな女性の死体を置くこと」は、作家のある時期においての女 性に対する「渇望と恐ろしい憎悪の産物」ではないかという見解もある(木村「贖罪の場所

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——産小舎」3)。水上文学における女性像をめぐるこれまでの研究は、いずれも本論の主題の 一つである水上文学における<他者>――瞽女、または女性の表象――の探求に有意な参考 になる。

仏教思想も、水上文学研究において注目されている。水上は、10 歳で口減らしのため僧 院に送られ、13 歳の時に寺院の生活が我慢できずに脱走し、その後、再び寺院に戻るが、

19 歳の時に還俗した。このような履歴を見ると、水上は一見して反宗教的な存在と思える が、内田朝雄の論文「水上勉の仏教」では、実際には仏教が水上の感情生活に沈殿している という見解が示されている。この論文では、水上文学に頻出する「純禅」とは、「仏教諸派 のなかの一つの宗派のことではなく『天、地、自然、人間、生命』への『対面』のしかたの こと」であると指摘されている(内田 26〜27)。水上及び水上文学と仏教との関連について は、前述の内田論文、小椋嶺一の「水上勉文学考―禅を否定的媒介として咲いた『業の花』」、 水上文学における寺院の表象を分析する磯田光一の論文「寺社の変奏」、仏教思想と日本の 伝統的文学の正統を継承することとの関係を論じる栗田勇の「水上文学における仏教思想」

などの研究がある。

以上、これまでの水上の文学研究における主要なテーマを概観した。従来の研究では、水 上の私小説、社会派推理小説、歴史小説、児童小説、劇曲、中国関連の作品群など幅広い作 品群が、さまざまな視点から考察されている。10 しかしながら、いずれも前期の作品に集中 しており、後期の作品、特に 1970 年代以後の作品に関する研究は少ない。おそらく、その 理由は、後期作品にエッセイ集や紀行文が多いためであろう。従来の研究には、小説を研究 対象とし、エッセイや紀行文をめぐる考察を重要視しない傾向が見られる。

10水上の私小説研究について、主に処女作『フライパンの歌』をめぐる考察であり、饗庭孝男の「水上勉と<私小説>」などがあげられ る。饗庭は、主に水上が昭和 51 年から 2 年にかけて書いた『太市』『寺泊』『壺坂幻想』『みかん水と棒剣』『鑛太郎』『丹波ほおずき』等 の私小説を考察し、彼の<私小説>の独自性を論じている。水上の推理小説について考察した論文には、権田萬治「弱者へのレクイエム

-水上勉の推理小説」と山田有策「水上勉文学の社会性」などが挙げられる。権田は、水上の推理小説の底流となっているものを考察し ながら、彼の推理小説の独創性を論じている。これに対して、山田は水上文学に新鮮で重い<社会性>を与えているのは、「社会的事件 の虚構への組み込み方」ではなく、「人間がつねに時代や地域と一体化して生きざるを得ないという認識と描写法」のだと指摘している。

歴史小説研究において、小松伸六は論文「叙情による認識と表現」の中で、水上の歴史小説は「いずれも英雄譚ではなく、歴史のエレジ ーだということだけ」だと評価している。児童文学研究の、千葉俊二は「水上勉の児童文学-『ブンナよ、ブンナよ、木からおりてこい』

をめぐって-」という論文の中で、水上の児童文学作品『ブンナよ、木からおりてこい』を、マクシム・ゴーリキー著「鷹の歌」と比較 し、児童文学作品である『ブンナよ、木からおりてこい』の「主題があまりに重く、暗すぎるといった批判」もあるかもしれないと述べ る一方、「これまでの児童文学が子供たちに提示し得なかったような生と死の全体的真実」を語っている点を高く評価している。水上は 劇曲にも取り組み、1946 年の歌舞伎公演の《縮緬飛脚》を書き始めて以来、創作あるいは自作の小説を劇曲化した劇曲は十数部ある。「歌 舞伎から新派・新劇にいたる幅広いジャンル」にわたって劇曲を創作することにより、水上は劇曲作家としての地位を確立した。彼の劇 曲に関する論文は、木村光一の「水上勉の劇世界」と小苅米晛の「物語る精神と演じる言葉」などが挙げらいる。木村は《山襞》を中心 に、《飢餓海峡》、《五番町夕霧楼》の登場人物の考察を通して、舞台表現手法を中心に、水上文学の特質を分析している。小苅は、水上 の劇曲世界を支えている二つの柱、即ち「社会問題への関心と民衆の中の風土性」を論じている。また、孫暘は博士論文「水上勉の研究――

中国関連の作品を中心に」では、水上の中国を題材とする小説及び多くの旅行記や随筆を中心に、水上が中国に関心を抱くようになった

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本論文も水上の小説を中心的検討題材とするが、先行研究には見られない、人間と環境の 関係に焦点を当てるエコクリティシズムの手法を用いる。主に研究材料として検討する三つ の小説のうち、『はなれ瞽女おりん』(1975 年)と『故郷』(1997 年)は水上作品の中では後 期作品に属する。また、水上文学における環境問題および差別問題の取り扱い方をより全面 的に理解するために、これまでの研究に重視されてこなかった『若狭がたり』(2017 年)、『草 ぐさの心』(1975 年)などのエッセイ集も重要な参考資料として用いる。

社会の発展及び新しい文学理論の出現に伴い、水上文学をエコクリティシズムの視点か ら読み直す動きも見られるようになってきた。例えば、中国の生態文学研究者である楊暁輝 は、博士論文「日本当代生態文学研究」(『日本当代生态文学研究』2013)において、推理 小説『海の牙』を「生態思想と文明批判」を含む生態文学と見なし、作品における場所の構 築と人物の原型の考察を通して、水上の「環境をめぐる想像力」に示唆されている生態系破 壊に対する憂慮を分析している。小谷一明は、論文「原発のある風景-水上勉『故郷』にお ける里山の変容」の中で、『故郷』を中心に、想起、無音、幻視という三つのキーワードを 示して、「変貌する若狭に抗い、かつての里山を幻視しようとする水上の文学実践」を分析 している(小谷 70)。これらの研究はいずれも、エコクリティシズムから水上文学におけ る<環境の表象>を試みる本研究の基礎となる。

4 作品選定

本論文は環境文学と呼ばれる作品はもちろんのこと、一般にはそのように考えられていな い作品をも含め、水上の複数の作品をコクリティシズムの見地から論じることを特色とする。

水上の文学実践における<環境の表象>の解体と構築を明らかにするために、本研究は、水 俣病事件を告発する『海の牙』、場所の問題と深く関わる晩年の集大成作『故郷』、及び共 同体に排除される<他者>としての瞽女を主題とする『はなれ瞽女おりん』を中心に、それ ぞれの作品における<環境>の表象を分析する。以下に、本論文で検討する作品を選んだ理 由を述べる。

まず、『海の牙』(1960 年)は、水上文学における<環境>の表象を考察する上で不可欠 な作品である。水俣病事件を告発することを目的に創作された『海の牙』は、水上の環境問 題への関心の起点と言える作品である。水上はこの作品を契機に水俣病についての知見を得

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たことにより、その後環境問題に関心を持つようになった。『海の牙』の分析では、より多 角的に水上の環境表象の特徴を明らかするために、同じく水俣病問題を題材とする石牟礼道 子(1927−2018)の『苦海浄土-わが水俣病』(1969 年)との比較考察を行う。

水上の後期作品の集大成と言える『故郷』(1997 年)は、原発問題への関心と、原発によ って変貌した故郷への思いに基づいて創作された小説である。周知のように、原発立地場所 は、国家や企業など大きな論理による構造的差別の標的にされ、危険と隣り合わせの状態に 置かれている。原発誘致が地域の貧しさ及び中央の地方への差別と深く関わっていることが 水上の後期作品に頻出する「裏」という表現に読み取れる。原発及び故郷の変容をめぐる水 上の見解を考察するために、『故郷』は不可欠な題材である。また、原発、及び故郷をめぐ る考えをより深く理解するために、彼のエッセイ集『草ぐさの心』と『若狭がたり―わが「原 発」撰抄』も検討の範疇に入れる。

人間が人間として存在するのは、<他者>が存在するからである。その<他者>と言える ものは、ある場合は自然であり、動物であり、また場合によっては、人間共同体によって排 除され、周縁に位置する者でもある。水上文学に描かれる<他者>の中には、その最も典型 的なのは、瞽女である。瞽女とは、三味線を携えて民間を遊歴し、語り物・はやり唄・民謡 などを歌い歩いた盲目の女芸人である。身分制を成している中世社会において、瞽女は疑い なく身分的周縁に位置づけられ、共同体によって常に賎視され、排除される<他者>である。

先行研究で述べられているように、共同体によって排除される<他者>として、水上文学に 表象されている女性たちは、常に<異界>と繋がっている。「人間」であることに排除され ることは、人間以外の世界(自然、動物、異界など)に近づいていることを意味すれば、人 間とこういう他者との関係に対する考察は、人間と自然/動物/異界などとの関係にも反映す るのだと思われる。環境をめぐる言説を<異界>論11として展開している研究を参照し、水 上文学において<異界>の役割を担う女性の表象をエコクリティシズムの観点から分析す ることも試みる。この問題を考察するために、賎視される瞽女を主題とする作品『はなれ瞽 女おりん』(1975年)を分析する。

人間社会にはつねにおびただしい「境界」が設定されている。なぜなら、まさに小松和彦

11野田研一は、『交感と表象』では、エドワード・アビーの代表作『砂の楽園』(1968 年)の記述方式、迷路的な要素、荒野の表象を分析 することを通して、アビーが呼び続ける自然や荒野とは、<他界>にほかならなく、そしてこの<他界>という認識の仕方ほど<自然>

の他者性を明確に物語ることばはないのだと述べ、東部出身のエドワード・アビーが西南部へと出離するのは、「風景としての異質さ」

だけではなく、「西南部の荒野に<他界>をこそ見出していた」のでもあるのだ、と指摘している(野田『交感と表象』174〜186)。そし て、野田は、同じ本で、藤原新也『乳の海』における「山犬の物語」のような<動物遭遇譚>が、しばしば<他界>をめぐる物語である

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が指摘したように「境界を作ることが人間自分の世界を作ること」だからである(小松和彦 7)。人びとは常に錯綜し重層化した境界を、必要に応じて恣意的に作ったり消したりしなが ら暮らしてきたのである。むろん、境界は空間だけではなく、時間レベルにも存在する。水 上の文学実践に頻出する<夕暮れ>という境界上の時間帯は、物語が起こるのに必要な時間 的要素以上の役割を果たしており、常に他者の存在と遭遇を示唆している。彼の文学に描か れる夕暮れの表象及びその表象に隠されている「人間自分の世界」、つまり、人間中心主義 の世界に対する批判を明らかするために、『故郷』、『はなれ瞽女おりん』のほか、『たそ彼の 妖怪たち』(1973年)にも考察の範疇に含まれる。

5 論文の構成

本論文は、序論で研究の目的と意義、エコクリティシズム、水上文学研究の概況、作品選 定と論文構成を説明した後、主に 4 つのテーマを 6 章に分けて論ずる。

第 1 章と第 2 章では、主に『海の牙』を題材に、作品における自然環境と人間の描写を取 り上げ、同じく水俣病事件に取り組んだ石牟礼道子の『苦海浄土』と比較・分析しながら、

水上は水俣病事件における<環境>をどのように捉え、いかに表象しているか、また、それ がどのような意味を持っているかを分析する。第 1 章では、『海の牙』における海の描写に 焦点をあて、『苦海浄土』における海の描写と比較・分析し、水俣の自然環境の表象と、そ の表象に隠される人間中心主義に対する批判を分析する。第 2 章では、『海の牙』における 漁民の描写に注目し、衣、食、住と 3 つの面から漁民をとりまく社会環境の表象及びその意 義を考察する。

第 3 章では、水上文学における原発、故郷の変貌を取り扱う『故郷』を題材に、作品に描 かれる三つの場所の描写に注目し、水上文学に描かれる<裏>の表象、またはその表象と既 存の<裏>の表象との繋がりを分析する。

第 4、5 章は、『はなれ瞽女おりん』を題材に、作品における瞽女おりんに関する描写に 注目し、水上文学における<他者>の表象を分析するものである。第 4 章では、水上が、い かに瞽女という<他者>を表象したのか、その表象はいかに既存の瞽女の表象を解体しえた かを明らかにする。第 5 章では、主に作品におけるセクシュアリティをめぐる描写に注目し、

水上文学における女性の表象を検証する。

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第 6 章は、『故郷』、『はなれ瞽女おりん』、『たそがれの妖怪たち』という 3 つの作品 を題材に、水上文学に頻出する境界上の時間帯すなわち夕暮れの描写に注目し、水上文学に おける夕暮れの表象及びその表象に示唆される彼の人間中心主義に対する批判を考察する。

最後は、結論の終章である。この章では、論文の内容をまとめるとともに、今後の展望に ついて述べる。

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第1章 『海の牙』における海の表象

---『苦海浄土』との比較を中心に

1956 年4月から、熊本県水俣市の月浦地区で、口がきけない、歩くことができない、食事 もできないなどの重い症状」12を持つ原因不明の病気にかかった住人が現れるようになった。

この病気が、1956 年 5 月に熊本県水俣市にて公式発見され、「公害病の原点」13と呼ばれる 水俣病である。水俣病事件は文学的関心を呼び、中でも石牟礼道子の『苦海浄土-わが水俣 病』14(1969 年)が最もよく知られている。しかし、実際に、水俣病事件をいち早く告発し たのは、水上勉の『海の牙』(1960 年)であった。

『海の牙』の原型は、1959 年の秋に水上自身が行った水俣の現地調査に基づいて創作され、

同年 1 月『別冊文藝春秋』に発表された作品「不知火海沿岸」である。この作品は、奇病の 現場である「水潟」15へ調査に来た保健医の奇怪な失踪を巡って、「推理」によって犯人を追 究しながら、当時「奇病」16と呼ばれていた水俣病の実態と因果関係を明らかにしていくも のである。周知のように、10 年ぶりに17再び文壇に登る水上が推理小説を創作するきっかけ は、松本清張の小説『点と線』18である。『海の牙』を書いた 1960 年に、水上氏はすでに世 評のよい『霧と影』によって、一躍「社会派推理作家」19となった。『海の牙』が発表された 当時、多くの研究者やメデイアは、この作品を推理小説とみなし、作品の社会性を高く評価

12水俣病の発生については、水俣市立水俣病資料館のホームベージに掲載されている「水俣病-その歴史と教訓-2015」の 005 頁を参照。

13水俣病研究の第一人者とも言える原田正純は、水俣病が公害の原点とされる理由として、次の 2 点を挙げている。「第一に、工場の環境 汚染によって食物連鎖を通じて起こったこと、第二に、胎盤を通じて胎児性水俣病が発生したことである。これは二つとも数十万以上と いわれる人類史のなかで初めて経験され、画期的な事件だったのである。」(原田「水俣の教訓から新しい学問への探求」12)

14『苦海浄土』の原型は、石牟礼道子が 1965 年から『熊本風土記』で連載し始めた「海と空のあいだに」である。この作品は、チッソ水 俣工場が不知火海に排出した汚染物質が原因で水俣病に罹った人々の苦悩と悲しみを、石牟礼が鋭敏な感受性をもって創作したものであ る。

15『海の牙』の「あとがき」によると、「水潟」という地名の創作には、作家なりの思案があった。チッソ水俣工場と同じように水銀をた れ流しにしている工場が当時新潟県下にもあった。それが昭和電工鹿瀬工場である。昭和 35 年の新潟ではまだ奇病は起きていなかった が、水上は、水銀をたれ流して放置する工場の近くに病人が出ることを予測し、新潟の「潟」と水俣の「水」と重ね、水銀たれ流し工場 の町としたのだった。当該作品を発表した 5 年後の 1965 年 1 月に発表した『海の牙』で予言した通り、新潟でもネコの狂死に引き続い て第二水俣病が発見された。(水上『水上勉全集 第 23 巻』640〜641)

16水俣病の原因究明に関しては、水俣市立水俣病資料館のホームページに掲載されている「水俣病-その歴史と教訓-2015」の 006−007 頁を参照。

17水上勉が初めて文壇に登るのは、デビュー作 「フライパンの歌」(文潮社1948)においてである。その後、約十年の空白期に入り、文 壇への再出発は、松本清張の小説『点と線』に啓発されて執筆した『霧と影』(19598月、河出書房新社)である。

18『水上勉全集 第22巻』の「あとがき」で、水上は、社会派推理小説を創作するきっかけについて述べている。彼は松本清張の小説『点 と線』を読み、「殺人事件を取りあつかった小説だが、毛嫌いしていた本格派のトリック小説に比して、現実性があり、人間描写もすぐ れているので驚嘆、さらに『黒地の絵』『作家の舟板』『眼の差』などむさぼるように読み進め、単なる殺人も、その背後に社会性と人道 主義的な動機をひそませれば、充分読みごたえのある推理小説となり、ちゃんとした「小説」になり得る」と考えるに至った。

19「社会派推理作家」というのが、昭和348月、『霧と影』(河出書房)によって推理小説界にデビューした水上勉に貼られた最初のレ ッテルだった。水上によると、当時は社会派の推理小説が全盛で、その種の作品を書けば新人でも出版社が買ってくれる時期であった。

(水上『不知火海、ふるさと若狭』12)

表 1 清作とキャシー  (引用はすべて『故郷』からのものである)   清作  キャシー  ①八十近い爺さまが寝たきりでいる一軒家(13)    ②爺さまひとりが、いまは寝たり起きたりのぶらぶたぐら しだ。このところ、浜にできた村営ゲートボール場へもこ ず、腰足も不自由な孤独な身である。(24~25)  ③人と話したがらない性格で、何かにつけて、妥協性がな かった。施設へ行っても仲間とトラブルをおこすのはわか っていた。孤独好みは清作の持ち前だ。(26)  ④松宮清作のような常識では考えられぬ人嫌いいて、
表 2 おりんの人生履歴  (引用はすべて『はなれ瞽女おりん 』からのものである)  時間  事件  備考  生まれ:曖昧模糊  おりんは何年何月の何日に、どこで生まれたか定かで はなかった(水上『はなれ瞽女おりん』406)。  2 歳  「大きな手に抱かれ」、「ひろい縁と庭」に座っていた という曖昧模糊の記憶がある(407)。  3 歳の春頃  おりんは、全盲になった(407)。  6 歳  明治 29 年 3 月  おりんは、越中の方から、男の人に手をひかれて、高田の瞽女屋敷、 「里見」へ弟子入りし、ど

参照

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