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『故郷』における「裏」の表象

水上勉文学には、故郷の若狭をふくめ「裏日本」を背景とする作品が多い。例えば、社会 派推理小説『霧と影』、京都や越前越後に材をとった『越前竹人形』、『はなれ瞽女おりん』、

『五番町夕霧楼』、私小説『冬の光景』、『壺坂幻想』及び多くのエッセイや紀行文では裏日 本が舞台になっている。このように多くの作品に特徴的に取り上げられている「裏日本」は、

自分の「心の根」と繋がる場所であると作家自身が語っているように、水上にとって重要な 意味を持つ(水上「在所礼賛」196)。「裏日本」には 2019 年 1 月 1 日現在、日本で最多の 15 基(廃炉作業中を含む)の原発があり、「原発銀座」という呼称が示すように、日本の原 子力発電所の約 4 分の一が集中している。

こうした故郷の原発に対して、水上は 1985 年を境に態度を変化させた(正津 224)。1985 年以前、水上は、原発について「静観の態度」をとり(同 224)、ほとんど発言しなかった。

しかし、1985 年 3 月、故郷の大飯町での若州一滴文庫の開設をきっかけに、水上は現地の 人々の状況に触れるようになった。そして、1986 年 4 月のチェルノブイリ事故の発生後、

原発問題とそれに関わる故郷の変貌について、水上は数多くの作品を集中して発表し始めた。

1987 年7月から「二、三年間にわたって京都新聞や福井新聞をはじめとする全国地方新聞 十二紙」に連載された『故郷』は(水上『故郷』613)、水上の原発問題及び故郷の変貌をめ ぐる代表作である。

「裏日本」は水上の後期の作品に頻出する言葉であるだけでなく、水上の数多くの文学作 品の背景をなす場所でもある。酒井は、仮に“裏日本文学”というジャンルがあれば、水上 がそういうジャンルの昭和時代を代表する作家であろうと述べている(酒井 141)。小松伸 六も水上を「裏日本の代表的作家」と評している(小松「叙情による認識と表現」40)。

周知のように、「裏日本」という表現は差別的意味合いを含んでおり、1970 年代に公的に 使用を禁止されていた。そのような実情にもかかわらず、水上が敢えて様々な位置関係や自 分の故郷を表示する際に「裏日本」という表現を多用したのはなぜだろうか。「裏日本」は、

どのような場所として、水上によって表現されているのだろうか。また、その表象と「裏日 本」等の既存の「裏」言説は、どのような関係にあるのだろうか。これらの問いを念頭にお き、本章では、水上が原発問題及び故郷に対する思いを込めた作品であり、彼の後期文学の 集大成と言える『故郷』を題材に「裏」の表象を考察する。具体的には、『故郷』の主な舞 台である冬の浦、東唐崎、若狭という 3 つの場所をめぐる描写を取り上げ、<裏>と表現さ

れる場所の特徴を確認しながら、その表象と「裏日本」等の既存の「裏」言説との関係を分 析する。

1 「裏日本」の形成史概略

「裏日本」は 1970 年代にも、差別用語とされ、公的使用が禁止された。辞書で調べると、

「本州の、日本海に臨む一帯の地。冬季降雪が多い。明治以後、近代化の進んだ表日本に対 して用いられ始めた」という説明がある(広辞苑第 4 版)。阿部恒久の考証によると、「裏日 本」の造語者である地理学者の矢津昌永は、1895 年3月に刊行された中学の地理教科書『中 国日本地誌』で、「裏日本」を地勢上の自然地理的用語として用いた(阿部 26〜28)。そし て、1900 年代になると、自然地理・地勢上の概念として使われるはずの「裏日本」は、明 瞭に「地域格差をあらわす概念」として使われていた(同 36〜37)。古い時代にも東北や北 陸一帯に対する中央の辺境意識は存在していたが、それは「『表』と『裏』という、文字ど おり表裏一体の因果関係を示す関連構造的格差意識」ではなかった(古厩 20〜21)。近代以 前の日本海側の人々には、地理の上でも観念の上でも、「裏」という意識はなかった。とい うのも、人々の交流が主に海上のルートでなされた近代以前においては、日本海は「朝鮮半 島や北九州・北陸に通ずる重要な交通ルート」として重要な役割を果たしていた故に、「日 本海は決して『裏』ではなかった」のである(同 22)。

このような状況は明治 20 年代以降の産業革命により一変した。政府の富国強兵政策及び 機械製工業の発展に伴い、太平洋側と日本海側の経済構造は顕著に変容した。例えば、この 時期に政府によって行われた鉄道敷設、並びに外国貿易・長距離運輸のための港湾修築、い ずれの面においての投資も「太平洋ベルトとなる地域と『国内植民地』北海道」に集中した。

そのため、「太平洋ベルト地帯と脊梁山脈を挟んで位置する裏日本は絶好の後背地と目され、

ヒト・モノ・カネの移転システムが、表と裏の明確な対照性」を現しつつ形成された。こう して、日本海側は「工業化・資本主義化のための産業基盤全体の立ちおくれ」を徴づけられ、

「『裏日本』化」された(同 35〜36)。産業革命による日本資本主義の確立に伴い、1900 年 頃になると、「裏日本」は「『表日本』に対するヒト・モノ・カネの供給地」と位置付けられ、

「裏日本」という言葉は「社会的格差を表現する言葉」として使われるようになった(同表 紙)。

しかし、日本海側の人々が自ら「裏日本」という用語を意識するようになったのは、日清

戦争(1894 年)以後である。明治 29~31 年、新潟一帯は 3 年連続で大洪水に見舞われた。古 厩は、この大洪水こそ、その「ヒト・モノ・カネの移転システムを通しての諸価値の流出の 結果を、さまざまなかたちで洗い出した」という(同 81)。日清戦争後の治水事業停滞と大 洪水、凶作、米価高騰、それに社会不安と精神的閉鎖状況及び日露戦争後の政府による大増 税に対して、国に不満を持つ日本海側の人々は、「裏日本」の実態を認め、あえてこの語を 用いるようになった。「裏日本」の「立ち遅れ」を意識する日本海側の人々には、<裏日本 脱却>=産業化への強い意識が生まれ、古厩はそれを裏日本イデオロギーと名付け、この裏 日本イデオロギーが、「裏日本脱出を日本海の彼方へ託そうとする」植民地主義に結びつい たと論じている(同 108)。

「裏日本」という言葉が頻繁に使われた時期が二つある。一つは日本の資本主義確立期で ある 1900 年代で、もう一つは高度成長期にあたる 1960 年代である(同 22)。高度成長期は、

「裏日本」的実態が極限に達した時期である。そのため、この言葉がより差別用語として問 題視されるようになり、1960 年から NHK 放送委員会は「裏日本」という表現の使用中止を 決めた。そして、1975 年前後、民放・地元紙が使用を中止するにつれて、「裏日本」という 表現は公的には使われなくなった(同 7)。

以上のように、元来地理的な用語であった「裏日本」は、日本近代の産業革命による経済 格差の拡大に伴い、社会的格差を表現する言葉として用いられるようになった。しかし、「裏」

は必ずしも常に否定的に捉えられていたわけではない。「裏」という言葉に、開発の手を逃 れた日本海側に近代的価値観を相対化しうる見地を見出すという、積極的な評価の動きもあ る。森本哲郎は、言語学の観点から日本人の「おもてよりうらに価値を置く」という傾向を 指摘している(森本 130)。森本によると、日本人は「日本列島の日本海側を「裏日本」と 呼ぶことを侮蔑のように受けとりながら、天皇の住居を「内裏」」と呼び、「見えないもの、

かくれたもの」としての「裏」を「いとわしく思いつつ、一方でそちらを重視し、ものごと の本質と考え、畏敬さえする」と指摘している(同 130)。また、森本は、昔の日本人が最 も愛した日本の浦(内海・入江・湾)3 景を列挙し、「うらの美学」としての「日本人の美 感」を評価している(同130)。また、『「裏日本」文化ルネッサンス』や『裏が、幸せ。』の ように、「裏日本」の魅力を再発見することを試みた文献もある。『「裏日本」文化ルネッサ ンス』では、「裏日本」が、異文化の対立・反発・混合に基づき様々なアイデンティティを 生み出す場と見なされ、「裏」を特徴づける「カラフルなハイブリッド」を「『多様・共生』

というスローガンとともに再び活性化」することが目指されている(石塚他 21)。『裏が、

幸せ。』の著者である酒井順子は、「裏日本」を「大切なものがひっそりと隠されている地」

と定義し(酒井 17)、「表」に比べると「裏」は「開発が遅れている面があるかもしれない が、かえって自然や風俗が壊されずにいたりと、表には無い魅力が残っている」と述べ、開 発の手を逃れた日本海側=「裏」に、日本の大切なもの=「幸せ」が詰まっていることを指 摘している(同 13)。

このように裏日本は、文化的観点から積極的に評価されつつある一方で、依然として「都 の犠牲」となっている。かつて「裏日本」と呼ばれた場所に位置する福井県には、先述した ように全国で最多の 15 基(廃炉作業中を含む)の原発があり、それらは全て県内の僻地に あたる嶺南に集中している。酒井は、「『裏日本』の『嶺南』の『大島』という、2 重・3 重 に『裏』である地に大飯原発が存在」すると述べ、原発立地と「裏」との関連を指摘してい る(同 199)。南信雄は、「鯖街道」と「塩街道」に象徴されるように、若狭は「古くからい ろいろな意味で、都の生活と文化を支え」、「都の犠牲」になっていたが、現在も「原子力発 電所などでその状況はあまりかわっていない」と指摘している(南 201)。言い換えれば、

現代でも「裏」の地域に原子力発電所があるという事実が、何よりも「都の生活と文化を支 え」、「都の犠牲」となってきた若狭の歴史の延長にあることを示している。

2 『故郷』における「裏」の流動性

差別的な意味が込められている「裏日本」は、何よりも経済的、政治的な力と絡み合い ながら、歴史化されてくる周縁の場所である。本節では、水上作品に頻出する「裏と表」を、

より一般的な「中心と周縁」「中央と地方」という概念と比較しながら、水上文学における

「裏」の表象の特徴を論じたい。

(1)在所感と切り離すことができない裏

作品の分析に入る前に、「中心と周縁」、「中央と地方」の概念の地理的な定義を確認して おきたい。辞書を調べると、以下のような説明が見られる。

中心:1まんなか。中央。ア 周囲や両端から等距離にあるような点とそのまわりの部 分。イ「数」一定点に関して点対称な図形に対して、その一定点を中心という。ウ 回 転軸。2すべてがそこに集まりそこから出るというような働きをする所。その位置。3