• 検索結果がありません。

水上勉文学における「夕暮れ」の表象---『故郷』、

---『故郷』、『はなれ瞽女おりん』、『たそ彼の妖怪たち』を中心に

水上勉文学には、「裏日本」を背景とする作品が多い。「裏日本」の世界を彩るために彼が こだわることの一つに、夕暮れという時間帯がある。水上文学における様々な出会いはよく 夕暮れという時間帯に設定されている。例えば、『故郷』において、外国から日本にある母 の故郷をに訪れた娘が初めて自分の祖父に会った時間は、夕暮れである。『はなれ瞽女おり ん』では、盲目のはなれ瞽女おりんと逃兵岩淵平太郎の出会う時刻が夕暮れに設定されてい る。水上の作品における夕暮れの出会いは、決して偶然の一致ではない。

生物学的な時間の流れは常に連続的であるが、私たちは時間を流れるものとして常に経験 しているわけではない。時間はときにその連続性を絶たれ、その仕方とその意味は文化によ って異なる。水上の文学における夕暮れは、何を表象しているのか。これらを明らかにする ために、本章では、『故郷』、『はなれ瞽女おりん』、『たそがれの妖怪たち』という三つの作 品を題材に、水上文学に頻出する境界上の時間帯としての夕暮れの描写を考察する。

1 『故郷』における「夕暮れ」

『故郷』の主な舞台である冬の浦という僻村は、登場人物キャシーにとって、日本人の母 の出身地である。ある日の夕暮れ、キャシーは母を探すために、冬の浦を訪問した。母は不 在であったが、代わりに、初めて自分の祖父である清作と会うことができた。作品において、

キャシーが冬の浦を訪れる時間は、夕暮れの時と設定された。しかも、キャシーと清作との 面会の進むにつれ、以下の引用に分かるように、冬の浦の夕暮れの景色が繰り返し描写され ている。

①夕刻だった。うしろの若狭湾がちりめん織のような夕波を立てて美しいあかねいろに 染まっていた。(水上『故郷』10)

②「海がきれいでしょ。西陽が山にかくれる前にいつも、こうして、赤い色にそまるん だよ。」(同 13)

③西陽は山の端にかかっていた。蓮昌寺の本堂に千年杉が空へつきぬけていた。その大 杉のとがった梢もあかね色に染まっている。(同 18)

④清作の家の前には、大きな柿の木が一本あって、まだその日は、先のとがった大四郎 の実が、沈みかけた陽をうけて、金色に染まっていた。(同 30〜31)

⑤外へ出たらもうあたり一面は暗くて遠い海の水平線にだけ、赤い空の名残があった。

(同 36)

以上の引用から分かるように、時間の変化が、景色の変化によって提示されている。時間 の推移に伴い、夕暮れの景色も、「あかね色」の夕波から、「赤い色」の海、あかね色に染ま った「大杉のとがった梢」、金色の柿の実、水平線の「赤い空の名残」へと変化していく。

しかし、夕日の景色をめぐる描写は時間の変化を表すだけではない。「幼い頃の記憶は、

誰でもさだかにあるものではないが、海の色が赤くて足もとから波音がしていたなら、冬の 浦かもしれない」という記述に示されるように、キャシーの幼い頃の一つの記憶として、西 陽がしずむときに「海の色が赤くて足ともから波音がしていた」という冬の浦の景色は重要 な役割を持つ(同 59)。この夕暮れの景色は、外国娘の思い出の中で最も印象深い風景とし て、彼女の冬の浦に対する記憶を呼び覚ますだけでなく、冬の浦との最初の繋がりも示唆し ている。これだけではなく、以下の引用には、水上が他所から転勤した巡査に託して、夕暮 れの景色を冬の浦の特徴として強調する意図が感じられる。

蓮昌寺の台地の日の暮れは早い。背中に山が迫っている。いつも不思議に思うのだが、

この台地にいると陽のしずんでゆく時々刻々が、杉の木立や山門の瓦やそのよこの鐘撞 堂ののけぞった腰板の囲みのかげりにあらわれる。いま大杉の梢をそめるだいだい色の 夕映えがしだいに地面におりてきて本堂の軒かげの線をくっきりうきあがらせ、じんわ りと庭の明るさをせばめる。巡査は、ここにきて、この時間のうつりゆくけはいを感じ て心にうきたつような気分を味わう。それは、よくいいあらわすことのできない気分な のだが、決して心地の悪いものではなかった。(同 193)

以上の引用から分かるように、巡査は、冬の浦に来てから初めて「時間のうつりゆくけは い」を感じることができ、「心にうきたつような気分」を味わう。しかも、彼にとって、夕 暮れの景色の変化または時間の変化から感じられる「心にうきたつような気分」は、決して

「悪いもの」ではない。水上は、夕暮れの景色の変化、場所、人の心理変化という三つの要 素を関連づけていると考えられる。仮にそうであれば、最初の引用に見られる夕方の景色の

変化に、何が読み取れるのであろうか。

まず、「夕暮れ」という時刻は、冬の浦で「めげる」と呼ばれる「大騒ぎ」に入る時間帯 である(同 29)。この時間帯は、「万田巡査が海岸道路に面した家々へ走って女たちを五人 あつめ」、清作の家の「ちらかった部屋を片付け」る時間であり、万田巡査と区長の伊佐ぇ 門は、清作にむかって、「アメリカ娘のことを交互に説明」する時間でもある(同 29)。つ まり、夕暮れという時間帯において、冬の浦に住んでいる人々は、清作とキャシーの出会い のための準備に奔走している。「ひるは祭り行事の打ち合わせだったが、夜は一変して混血 娘の世話をどうするかで、大騒ぎになる」という記述にみられるように、アメリカから来た キャシーの来訪は、この僻村に大きな影響をもたらすものであった(同 46〜47)。

この非日常的な状態に入るきっかけ、あるいは原動力は、冬の浦に住んでいる老人清作と 孫のキャシーとの出会いである。なぜ彼らの出会いはこのような騒ぎを引き起こすのだろう か。これは彼らの正反対の性質に関わるものと思われる。

表 1 は、作品おける清作とキャシーに関する描写を整理したものである。この作品の中で は、24 歳のキャシーは美しい人物として描かれている。「長い茶色の髪」、「乳色の艶やかな 顔」「両足も細くて」「形よいふくらはぎが少し短めの淡いみどりのスカート」、「笑顔」「腰 を用心ぶかくゆっくりおろす」などの描写から彼女の美しさや行儀のよさが感じられる。こ の美しい娘と異なり、80 近い清作は、「一人暮らし」で、「足腰も不自由」であり、「孤独好 み」の、妥協の無い人物として描かれている。そして、彼は、僻村冬の浦の最も奥に位置す る「小便臭く、非常に汚い古い家」に「寝たきりでいる」、と繰り返し描写されている。こ の描写から、清作が住んでいる場所は、僻村冬の浦の共同体内部とはいえ、かなり周辺に近 い場所であり、つまり、共同体の規範や規則に影響されにくい領域だと言える。

また、村人の言動からうかがえるように、清作は、冬の浦の村人たちとあまり親しくなく、

周縁的な存在である。「あの行儀のよい外国娘が、爺さまが一人でくらす、小便くさい古家 に一晩にしろ同宿できるものか」という表現に示されているように、キャシーと清作は正反 対の性質によって一種の不対等な関係を呈している。この不対等な関係ゆえに、清作とキャ シーとの出会いは、冬の浦の村人の関心を集め、大騒ぎを引き起こしたのだと考えられる。

表 1 清作とキャシー

(引用はすべて『故郷』からのものである)

清作 キャシー

①八十近い爺さまが寝たきりでいる一軒家(13)

②爺さまひとりが、いまは寝たり起きたりのぶらぶたぐら しだ。このところ、浜にできた村営ゲートボール場へもこ ず、腰足も不自由な孤独な身である。(24~25)

③人と話したがらない性格で、何かにつけて、妥協性がな かった。施設へ行っても仲間とトラブルをおこすのはわか っていた。孤独好みは清作の持ち前だ。(26)

④松宮清作のような常識では考えられぬ人嫌いいて、(49)

⑤清作爺さんは病人です。人嫌いで、身内の者さえ寄せつ けません。(69)

清作お爺さんの家

①冬の浦では谷奥といってもいい、背山にはいり込んだ谷 川沿いの奥の一軒家で寝きたりでいる清作爺さんの顔を 思い出したのである。(11)

②それにあの行儀のよい外国娘が、爺さまが一人でくら す、小便くさい古家に一晩にしろ同宿できるものかどう か。(13)

③「あんな、小便くさい家へつれてってもさ、娘は一分間 も辛抱できんよ、和尚よ……」(25)

④万田巡査は、つい五日前に谷奥へ用事があって出かけた 際、一軒家の清作を見舞ったときのことを思い出した。縁 先にすわっていたけれどひどく不機嫌だった。それに爺さ んの部屋の汚さといったらなかった。ボロのような衣服も ちらかっていたし、食事したあとの片付けもすんでいなか った。ぷ〜んと汚物くさい匂いもした。(25)

⑤その家はひどくきたなくて……(28)

⑥久七がひどく娘を清作の家へつれてゆくのに反対した。

理由は、清作の家があまりに汚いからだった。(29)

①駐在の所のまえに、年格好は二十前後と思える 外国人とわかる娘がいた。形のいい耳被った髪は 艶の茶色でひっこんだ目は青かった。(10)

②長い茶色の髪をかきあげると、乳色の艶やかな 顔が美しく思えた。両足も細くて、銀色のハイヒ ールへ入れた細い足首がくびれ、形よいふくらは ぎが少し短めの淡いみどりのスカートへ吸い込 まれているが、たつの眼にはまぶしかった。娘は ピンクの薄絹地のブラウスのうえにカシミヤの これも淡いグリーンのカーディガンを羽織って いた。たつのすすめてくれた木椅子は、古げけて、

バネのかたちもまるく透けてみえるほど羅紗布 がすりきれている。ちょっとひるみをおぼえた様 子だが、しかしすすめられたのだから、笑顔をつ くって、腰を用心ぶかくゆっくりおろした。白い 膝小僧がならんで、ちょっとななめに両足をくね らせている。たつは行儀のよい娘さんだァと思っ た。(12)

③なるほど外国人との混血の子であることはわ かる。ながい茶髪もだが、鼻梁がたかくて、柿の タネのような鼻腔がハの字にすぼまっているの だ。先が少し天をむいている。首すじも、耳たぶ も乳いろだ。(18)

男、老、純血、病気、汚い、日本語 女、若、混血(両義性)、健康、いい行儀、英語

清作とキャシーとの出会いは、冬の浦に住んでいる人々に非日常性をもたらす一方で、清 作に驚異的な変化をもたらした。キャシーと出会った後、もともと病気だった清作は、「急 に元気」になり、「村道へも出てとっとと歩けるよう」になった(同 100)。これには、キャ シーという他者が不思議な力を持つことが示唆されている。