一般的に、地球環境問題という場合、その加害者は人類である。その認識は皆平等に加害 者であり、そして、平等にその被害を受けるという錯覚を起こす。しかし実際には、環境汚 染・環境破壊の被害は、全ての人間に平等に及ぶわけではない。水俣病事件において、その 被害を最も受けたのは、現地の漁民であった。石牟礼道子と水上勉はともに水俣病事件を描 き、そこで生きる漁民たちに焦点を当てたが、漁民の扱い方は対照的である。例えば、石牟 礼は『苦海浄土』において、海を「豊穣かつ母性的」だとし、漁民の豊かな生活が海によっ て支えられているものと表現している。これに対して、『海の牙』において水上は、海を人 間に復讐しようとする「化け物」として表象し、漁民を、海を恐ろしいものと感じつつも、
生活のために海から離れられず、貧しく厳しい生活を送っている存在として描いている。『海 の牙』に描かれるような、今世の苦を耐え難く思い、来世に救いを求めて自殺する水俣病患 者やその家族は、『苦海浄土』では見られない。
水上がいかに水俣の「漁民」を表象したか、また、その表象は、『苦海浄土』の漁民表象 と比べて、どのような特徴を持っているか、そして、そのような漁民の表象は水俣病事件を 告発することにおいて、どのよう役割を果たしているか。これらの問題を念頭におき、本章 では、『海の牙』における漁民の描写を、衣、食、住という3つの面から考察する。その際、
『苦海浄土』における漁民の描写との比較・分析を通して、『海の牙』における水俣の漁民 の捉え方の特徴、及びそれが水俣病を告発することに果たす役割を考察する。
1 衣
現代社会に生きる人間が、服を着ずに生活することはありえないが、そもそも人間はなぜ 服を着るのか。その理由として、まず、身体の保護、つまり変化のはげしい自然環境から身 を守ることが挙げられる。しかし、鷲田清一によると、服は単に人体を過酷な自然条件から 切り離す役割だけではなく、「社会的な記号」としての働きも持つ(鷲田 33)。例えば、我々 は、着ている「服」を通して、その人が一体どのような人物なのかを予想することができる。
なぜなら「服」には身分、職業、年齢、性格などの社会的記号が含まれているからである。
以上の論述を踏まえ、本節では、『苦海浄土』と『海の牙』それぞれにおいて、漁民の衣服 が何を象徴するかを考察する。
『苦海浄土』における子供の描写では、衣服の不在が目に付く。『苦海浄土』冒頭の次の 一節は、その一例である。
湯堂湾は、こそばゆいまぶたのようなさざ波の上に、小さな舟や鰯籠などを浮かべて いた。子どもたちはまっ裸で、舟から舟へ飛び移ったり、海の中にどぼんと落ち込んで みたりして、遊ぶのだった。
夏は、そんな子どもたちのあげる声が、蜜柑畑や、夾竹桃や、ぐるぐるの瘤をもった 大きな櫨の木や、石垣の間をのぼって、家々にきこえてくるのである。(石牟礼『苦海 浄土』11)
この一節には、主に漁家の子供の気楽で元気な姿が表されている。子供たちは「まっ裸」
であり、海で遊ぶ子どもたちにとって衣服という保護が要らない状態が読み取れる。また、
「まっ裸」とは、人間の体と自然とが何の保護もなく完全に接触している状態でもある。人 間の体と衣服の関係について、鷲田は、衣服とは「身体の表面に恒常的に適度の刺激を与え」
ることによって、人間の「身体の断片的であいまいな輪郭を補強しつづけ」る役割を持ち、
人間は自らを保護するために、「衣服という、もう一つの恒常的な皮膚を編みだした」のだ と述べ、だからこそ人々は、常に衣服のことを「第二の皮膚」と呼んできたと指摘している
(鷲田 30)。つまり、人間の「第二の皮膚」として、衣服とは、身体と外界との障壁、境界 線とも言うことができる。
また、衣服は、人間の身体を自然から遮蔽することができると同時に、人間の輪郭を目立 たせる効果もある。衣服は人間の自己像の形成にも関わる。鷲田は、衣服は単なる「わたし たちの存在の覆」うものではなく、「自分の存在を確定」できるものとして、「わたしたちの 存在の継ぎ目ないしは蝶番とでも言うべきもの」であり、「人間という存在のギプス」だと 指摘している(同 31)。もし、体を包む衣服が社会的存在にとって必須のものであるなら、
人間は、いかなる条件でも、人間として衣服のことを気にしなければならない。言い換えれ ば、いかなる条件下でも衣服を身にまとっているから、人間だと認められることになる。し かし、それは人間にとって衣服が一種の負債、束縛であるということでもないだろうか。
先に引用した『苦海浄土』の一節における「まっ裸」の状態とは、人間の第二の皮膚であ る衣服を外すことであり、人間の体と自然との障壁を外すことを意味していると考えられる。
さらに言えば、「まっ裸」になる行為は、人間の社会的な存在である符号を削り取るような 行為でもある。「まっ裸」が示唆するのは、子どもたちが完全に第二の皮膚の束縛から解放 され、付与された自己像を削り取り、自由に海=自然の中に溶け込んでいる状態だと言って よいだろう。また、「舟から舟へ飛び移った」という表現には、子供たちの移動の速さだけ でなく、彼らの明るく、元気な様子も感じられる。そして、所々に聞こえる「子どもたちの あげる声」からも、漁家の子供にとって海が絶好の遊び場であることが読み取れる。
また、『苦海浄土』における、16歳の水俣病患者、山中九平という少年の衣服に関する描 写には、漁民の生活様式の特色が感じられる。
少年は秋と冬と春さきには、たいがい黒い木綿の学生服を着ていて、冬にはその学生 服の上に、大きな、チャンチャンコを着ていた。
少年が着ている木綿の縦縞の、袖のないその綿入れは、古びて、厚くごつく、それは 漁師の家の暮らしに、深く馴染んでいるものであった。(中略)
少年の着ている大ぶりの、綿の厚く入れられたかたいチャンチャンコはしかし、潮風 を含む暮らしの年月を滲ませており、この家の、十年前までの暮らしを物語っていた。
舟の上で父が着、姉が着していた、ゆずり渡しの仕事着を、二人の働き手が死んでしま った今、少年の母は彼女のすったれ-末っ子-に着せているのだった。(石牟礼『苦海 浄土』23〜24)
少年が秋と冬と春先に着ている学生服は、彼の存在を、ある社会的な属性=学生に還元し てしまう。ここでは、石牟礼はこの社会的な属性を表す学生服についてあまり描写しない。
それに対して、彼女は、少年の学生服の上に着ていた「大きな、チャンチャンコ」に対して 非常に細かい描写をしているのである。「古びて、厚くごつく」という表現は、非常に堅く 丈夫そうな綿入れのイメージを表す。後述する『海の牙』の衣服の「つぎ」に示唆される貧 しさとは異なり、「漁師の家の暮らしに、深く馴染んでいる」棉入れは、漁民のスタイルと 年代感をよく表している。
もうひとつ注意しなければならないのは、少年が着ているチャンチャンコを、彼の死んだ 父と姉も着ていたことである。現代社会では、死んだ人が着ていた服を遺品と見なし、捨て
るか、焼却するか、あるいは売って処分するのが一般的であろう。「大きな、チャンチャン コ」という表現には、その服が少年の体に合わないことを示しているが、彼はそれでも父と 姉が着ていたその仕事着を受け継ぎ、着用している。これは、死んだ人が使っていた物を遺 品として見なし処分する現代ではあまり見られない光景である。家計の問題が一つの理由と して考えられるが、ここでは、チャンチャンコは、学生服のように社会的制度に関わる属性 を示すものとは異なり、死んだ父、姉及び代々の漁師であった先祖とのつながりを意味して いる。
ここから、「物」を人間存在の一部とみなす石牟礼の手法を見ることができる。同じよう な手法は、「漁師は道具ば大事にするとばい。舟には守り神さんのついとらすで、道具にも ひとつひとつ魂の入っとるもん。敬うて、釣竿もおなごはまたいでは通らんとばい」という 箇所にも見られ(同 120)、石牟礼は、単なるその物だけを見るのではなく、必ずその物を 人間の一部ないし家族の歴史や共同体の生活と照らし合わせながらとらえているのだと言 える。
『苦海浄土』と同じように、『海の牙』にも子どもたちが海で貝を拾う場面が描かれてい る。しかし、そのイメージは全く異なる。
貝を拾った子供は五人いた。中に女の子が一人まじっている。どの子も裸足だった。
男の子たちは、汚れたメリヤスのシャツと、つぎはぎのある木綿のシャツを着ていた。
みんながズボンの裾を膝までまくりあげている。女の子は赤いふるびたメリンスの着物 だった。その着物の膝のあたりに穴があき、裏生地が見えた。女の子も裾をまくりあげ、
その端を縄のように細くなった兵児帯にたぐりこんでいた。膝がしらの白い子である。
やせているので、くるぶしがとび出ている。
どの子も、古い空罐や、角のまるくなった弁当箱をもっていた。磯波はゆるく、土色 に陽焼けした子供たちのふくらはぎのあたりへ間断なく打ち寄せていた。(水上『海の 牙』5)
この一節には漁民の子として生まれ、その貧困を背負って苦労している子供の姿が表され ている。通常、「子供」、「海辺」、「裸足」及び「貝を拾う」というキーワードで喚起される のは、一種の牧歌的なイメージである。しかし、彼らの服の描写から分かるように、子ども たちの海辺での貝拾いは牧歌的なものではない。以下は、その理由である。