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佛教大学仏教学会紀要 11号(20030325) 077工藤美和子「平安中期における在家者の仏教思想 : 慶滋保胤を中心として」

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Academic year: 2021

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は じ め に 一 〇 世 紀 後 半 の 文 人 官 僚 に 慶 滋 保 胤 (九 三 三 ? ∼ 一 〇 〇 二 ) と い う 人 物 が い る 。 彼 が 著 し た 詩 文 に は 、 当 時 の 貴   ユ   族 社 会 の 人 々 が ど の よ う に 仏 教 を 捉 え て い た か を 知 る 手 が か り と な る 重 要 な 叙 述 が 含 ま れ て い る 。 本 論 で は 、 慶 滋 保 胤 の 仏 教 に 関 す る 作 品 の い く つ か を 検 討 す る こ と に よ っ て 、 こ れ ま で 源 信 を 中 心 に し て 論 じ ら れ て い た 一 〇 世 紀 後 半 の 浄 土 教 と は い さ さ か 様 相 を 異 に す る 、 在 俗 者 が 作 り 上 げ て い っ た 仏 教 思 想 に つ い て 考 え て い き た い 。 一 、 勧 学 会 詩 序 に み る 仏 教 思 想 ま ず 最 初 に 慶 滋 保 胤 に つ い て 簡 単 に 紹 介 し て お こ う 。 保 胤 は 陰 陽 寮 官 人 を 家 職 と す る 賀 茂 忠 行 の 第 二 子 と し て 誕 平 安 中 期 に お け る 在 家 者 の 仏 教 思 想 -慶 滋 保 胤 を 中 心 と し て 1 七 七

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仏 教 学 会 紀 要 一 一 号 七 八 生 し た が 、 家 職 を 継 ぐ こ と な く 大 学 で 紀 伝 道 を 学 ぶ と と も に 、 当 時 の 代 表 的 な 文 人 官 僚 菅 原 文 時 ( 八 九 九 -九 八 一 ) に 師 事 し 、 文 人 官 僚 と し て の 道 を 進 む こ と に な る 。 官 僚 と し て の 彼 は 、 従 五 位 下 ・ 大 内 記 に 至 る が 、 永 観 二 年 ( 九 八 四 ) に 花 山 天 皇 の 執 政 が は じ ま る と 、 側 近 と し て 政 務 に 参 加 し 詔 勅 な ど の 起 草 に 携 わ っ た が 、 寛 和 二 年 (九 八 六 ) の 花 山 退 位 と と も に 出 家 し 寂 心 と 名 乗 っ た 。 出 家 後 の 寛 和 二 年 (九 八 六 ) 九 月 に は 比 叡 山 横 川 首 楞 厳 院 の 二       十 五 三 昧 会 の た め に ﹁ 八 ケ 条 起 請 文 ﹂ を 著 し て い る が 、 そ の 後 の 足 取 り は 定 か で は な い 。 文 人 と し て の 活 動 は 、 応 和 三 年 ( 九 六 三 ) の 善 秀 才 宅 詩 合 や 安 和 二 年 ( 九 六 九 ) の 粟 田 山 荘 尚 歯 会 で の 作 詩 が 確 認 さ れ る が 、 仏 教 者 と し て の 彼 の 名 が 知 ら れ る よ う に な る の は 康 保 元 年 ( 九 六 四 ) に 創 始 さ れ た 勧 学 会 の 活 動 に お い て で あ る 。 そ れ 以 降 彼 は 、 天 元 五 年 (九 八 二 ) に ﹁ 池 亭 記 ﹂ を 、 寛 和 元 年 ( 九 八 五 ) に 日 本 最 初 の 往 生 伝 ﹃ 日 本 往 生 極 楽 記 ﹄ や 観 相 念 仏 を 讃   ヨ   嘆 し た ﹃十 六 相 観 讃 ﹄ ( 九 八 七 年 以 前 ) な ど を 撰 述 し て い る 。 保 胤 が 著 し た 初 期 の 仏 教 的 作 品 と し て 注 目 さ れ る の は 、 勧 学 会 で の 詩 序 ﹁ 五 言 暮 秋 勧 学 会 於 禅 林 寺 聴 講 法 華 経 同       賦 聚 沙 為 仏 塔 ﹂ ( ﹃本 朝 文 粋 ﹄ 巻 第 十 、 以 下 ﹃ 文 粋 ﹄ と す る ) で あ る 。 以 下 、 勧 学 会 の 性 格 に つ い て 、 こ の 詩 序 を 中  ゑ      心 と し て 康 保 元 年 ( 九 六 四 ) 九 月 十 五 日 の 勧 学 会 の 様 子 を 記 し た 賀 茂 保 章 ﹁ 勧 学 会 記 ﹂ や 源 為 憲 ﹃ 三 宝 絵 ﹄ な ど を 参 照 し な が ら 検 討 し て い こ う 。 勧 学 会 は 康 保 元 年 三 月 一 五 日 に 結 成 さ れ 、 そ れ 以 後 保 胤 の 出 家 ま で の 期 間 、 毎 年 三 月 と 九 月 の 一 五 日 、 文 人 貴 族 二 〇 人 、 比 叡 山 の 学 僧 二 〇 人 が 参 加 し て 行 わ れ た 。 そ の 開 催 場 所 は 定 ま っ て お ら ず 、 左 京 郊 外 に あ っ た 親 林 寺 や 月 林 寺 で 行 わ れ て い た 。 行 事 の 内 容 は ﹁ 勧 学 会 記 ﹂ に よ る と 、 ﹁ 午 上 は 講 説 、 午 後 は 竪 義 あ り 。 ⋮ ⋮ 大 乗 を 衆 経 の 裳 よ り 抽 ん で 、 無 二 無 三 の 文 を 講 説 し 、 弥 陀 を 諸 尊 の 中 に 礼 し 、 念 仏 法 の 奥 義 を 讃 歎 す 。 ⋮ ⋮ 縦 ひ 綺 語 の 罪 を 把 る も 、 請 ふ 随 喜 の 詩 を 作 ら む 。 ⋮ ⋮ 緇 徒 其 の 題 目 を 授 け 、 文 友 即 ち 座 よ り 起 ち て こ れ を 取 る 。 法 花 経 の 文 に 云 ふ 、 静 処 を

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志 し 楽 ふ と 。 探 韻 の 儀 式 は 一 に 文 章 院 の 例 に 准 ず 。 茂 興 序 を 作 り 、 中 和 こ れ を 称 す 。 献 盃 す る 者 は 、 序 者 、 藤 賢 ( 藤 原 有 国 ) 、 茂 能 (保 胤 ) 、 文 信 (文 室 如 正 か ) 及 び 講 師 な り L と あ っ て 、 ﹃法 華 経 ﹄ の 講 説 に は じ ま り 、 阿 弥 陀 仏 を 念 じ た の ち 、 暁 に い た る ま で は ﹃ 法 華 経 ﹄ 中 の 文 言 を 讃 歎 す る 詩 作 を 作 り 夜 を 明 か し た こ と が 知 ら れ て い る 。 そ の 時 詠 ま れ る 詩 の 題 目 は 、 当 日 講 じ ら れ た 巻 の 中 か ら 僧 侶 側 が 選 び 、 そ れ に 応 じ て 文 人 が 詩 を 作 り 詠 む と い う も の で あ っ た 。 康 保 元 年 三 月 の 勧 学 会 の 詩 題 は 、 ﹃ 法 華 経 ﹄ 従 地 涌 出 品 の 中 の 釈 尊 が 説 く 偈 の 一 句 で あ る ﹁ 静 処 を 志 楽 ふ ﹂ で あ っ た 。 ま た 、 ﹁ 勧 学 会 記 ﹂ 等 に よ っ て 現 在 明 ら か な っ て い る 結 衆 は 、 学 生 側 が 慶 滋 保 胤 ・ 橘 倚 平 ・ 藤 原 有 国 . 高 階 積 善 ・ 源 為 憲 ・ 高 岳 相 如 ・ 中 臣 朝 光 ・ 賀 茂 保 章 (保 胤 弟 ) ・ 文 室 如 正 を は じ め と す る 一 八 名 の 文 人 貴 族 た ち で あ る 。 一 方 、 ﹁勧 学 会 記 ﹂ の 発 見 に よ っ て 初 め て 明 ら か に な っ た 僧 侶 側 の 結 集 は 、 後 に 天 台 座 主 に 登 っ た 慶 円 を は じ め 、 そ の 後 僧 綱 と し て 高 位 に 至 っ た 勝 算 や 穆 算 と い っ た 人 物 を 含 む 一 四 名 が 知 ら れ て い る 。 保 胤 の ﹁ 五 言 暮 秋 勧 学 会 於 禅 林 寺 聴 講 法 華 経 同 賦 聚 沙 為 仏 塔 ﹂ は 、 勧 学 会 結 成 か ら 間 も な い 時 期 に 作 成 さ れ た 詩 序 で あ る 。 以 下 本 文 の 前 半 部 を 見 て い こ う 。 台 山 禅 侶 二 十 口 、 翰 林 書 生 二 十 人 、 共 に 仏 事 を 作 し 、 勧 学 会 と 日 ふ 。 ⋮ ⋮ 方 に 今 一 切 衆 生 を し て 諸 仏 の 知 見 に 入 ら し む る は 、 法 華 経 に 先 ん ず る こ と 莫 し 。 故 に 心 を 起 こ し 掌 を 合 せ 、 其 の 句 偈 を 講 ず 。 無 量 の 罪 障 を 滅 し 、 極 楽 世 界 に 生 ず る は 、 弥 陀 仏 に 勝 る こ と 莫 し 。 故 に 口 を 開 き 、 声 を 揚 げ 、 其 の 名 号 を 唱 ふ 。 凡 そ 此 の 会 を 知 る 者 、 謂 る 見 仏 聞 法 の 張 本 と 為 す 。 此 の 会 を 軽 ん ず る 者 、 恐 る ら く は 風 月 詩 酒 の 楽 遊 と 為 ら 攬 。 こ こ で は 勧 学 会 を 行 う 目 的 を 、 ﹃法 華 経 ﹄ の 講 説 と 阿 弥 陀 仏 の 名 号 を 唱 え る こ と と し て い る 。 そ の 意 義 は 、 人 々 を 仏 法 へ と 導 く の は 、 ﹃ 法 華 経 ﹄ が 最 も す ぐ れ て い る と し 、 ま た 計 り 知 れ な い 罪 障 を 滅 し 、 極 楽 浄 土 に 生 ず る こ と が で き る の は 、 阿 弥 陀 仏 を 念 じ る こ と 以 外 に は な い と す る 。 そ し て 、 こ の 法 会 の 意 義 を 理 解 す る 者 は 、 こ の 法 会 は 平 安 中 期 に お け る 在 家 者 の 仏 教 思 想 i 慶 滋 保 胤 を 中 心 と し て 1 七 九

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仏 教 学 会 紀 要 = 号 八 〇 来 世 に あ っ て 仏 に 会 い 仏 の 教 え を 聞 く ﹁ 張 本 ﹂ 、 す な わ ち 良 因 と な る が 、 勧 学 会 を 軽 蔑 す る 者 に は 、 ﹁ 風 月 詩 酒 ﹂ の 遊 び に す ぎ な い と し か 認 識 で き な い だ ろ う と 述 べ ら れ て い る 。 な お 、 ﹃法 華 経 ﹄ の 講 説 ・ 称 名 念 仏 . 詩 詠 は 、 勧 学 会 の み で 行 わ れ て い た の で は な い 。 作 成 年 が 未 詳 な が ら 、 同 じ く 保 胤 が 書 い た 六 波 羅 蜜 寺 の 供 花 会 で の 詩 序 ﹁ 七 言 暮 春 於 六 波 羅 蜜 寺 供 花 会 聴 講 法 華 経 同 賦 一 称 南 無 仏 ﹂ ( ﹃ 文 粋 ﹄ 巻 第 十 一 ) に は 、 ﹁ 是 に 於 い て 毎 日 妙 法 一 乗 を 講 じ 、 毎 夜 念 仏 三 昧 を 修 す ﹂ ﹁ 是 の 時 に 当 た る や 、 緇 素 相 語 て 曰 く 、 世 に 勧 学 会 有 り 、 ま た 極 楽 会 有 り 。 講 経 の 後 、 詩 を       以 て 仏 を 讃 ず 。 今 此 の 供 花 会 、 何 ぞ 仏 を 歎 ず る の 文 無 か ら む や ﹂ と あ る か ら 、 六 波 羅 蜜 寺 の 供 花 会 や 極 楽 会 と 名 づ け ら れ た 法 会 で も 講 説 ・ 念 仏 ・ 詩 詠 が な さ れ て い た こ と が わ か る 。 さ ら に 序 の 後 半 で は 次 の よ う に 述 べ ら れ て い る 。 原 れ ば 夫 れ 童 子 沙 を 聚 め 、 以 て 仏 塔 と 為 す 、 戯 弄 の 手 よ り 始 め 、 幼 稚 の 心 に 出 づ 。 波 洗 ひ 消 さ ん と 欲 し 、 竹 馬 を 索 ち て 以 て 顧 み ず 、 雨 打 た ば 破 れ 易 し 、 芥 鶏 闘 ひ 以 て 長 く 忘 る 。 既 に し て 其 の 数 則 ち 是 幾 許 ぞ 、 其 の 高 さ 一 重 に 過 ぎ ず 。 海 風 の 沈 香 吹 く に 、 自 ら 芬 芳 を 供 ふ 、 河 水 の 砕 金 を 汰 き 、 暗 に 厳 餝 を 添 ふ 。 如 来 説 く 所 、 此 の 児 戯 に 依 り 、 皆 仏 道 を 成 ず 。 況 や 我 等 、 或 は 齢 壮 年 を 過 ぎ 、 其 の 誠 且 く 日 を 多 き を や 。 何 ぞ 疑 は ん や 来 世 宿 住 通 を 開 き 、 今 日 の 事 を 覚 ゆ ら む こ と 、 智 者 大 師 の 霊 山 の 会 を 記 す が 如 し 。 重 ね て 此 の 義 を 宣 べ ん と 欲 し 、 而 し て 詩 句 を 以 て 、 歎 じ て 曰 く 。 こ の 日 の 講 説 の 題 目 は 、 砂 の 仏 塔 を 童 子 が 戯 れ に 作 り 、 作 っ た こ と を す ぐ に 忘 れ て し ま う と い う よ う な わ ず か な 善 業 で あ っ て も 悟 り へ と 至 る こ と が で き る と い う 、 ﹃ 法 華 経 ﹄ 方 便 品 で 釈 尊 が 説 い た 偈 の 一 句 ﹁ 乃 至 童 子 戯 れ に 沙       を 聚 め 佛 塔 を 為 す ﹂ で あ っ た 。 詩 序 で は 、 童 子 の わ ず か な 善 行 で も 悟 り へ と 至 る こ と が で き る の で あ る か ら 、 ま し て 勧 学 会 を 主 催 す る 結 衆 は 必 ず 往 生 し て 、 勧 学 会 で 学 ん だ 知 識 を 参 照 し な が ら 、 阿 弥 陀 仏 の 説 法 を 聴 く で あ ろ う と 述 べ て い る 。 同 様 の 内 容 は 、 ﹁ 六 波 羅 蜜 寺 供 花 会 ﹂ の 詩 序 で も 、 ﹁ 便 ち 経 中 の 一 称 南 無 仏 の 一 句 を 以 て 、 抽 で て 題 目

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と 為 す 。 往 昔 信 心 無 く 、 善 心 無 く 、 其 の 心 或 は 乱 心 し 、 再 称 せ ず 三 称 せ ず 、 其 の 称 只 一 称 。 彼 の 人 成 仏 せ ざ る は 莫 く 、 得 道 せ ざ る は 無 し 。 嗟 呼 、 我 党 一 心 に 余 心 無 く 、 千 唱 又 万 唱 す 。 此 の 凡 身 を 脱 し 、 覚 位 に 登 る 、 且 く 何 を 疑 ん や 、 何 を 疑 ん や L と 記 し て い る 。 念 仏 を 唱 え る 者 の 中 に は 一 称 し か 唱 え て い な い 者 も い る し 、 信 心 を 持 た な い 者 も い る 。 し か し 、 釈 尊 は 、 そ の よ う な 人 で も 悟 り を 得 る こ と が 出 き る と 説 か れ て い る の だ か ら 、 長 い 間 供 花 会 に て 講 説 を 聴 講 し 、 念 仏 を ﹁ 千 唱 ﹂ も ﹁ 万 唱 ﹂ も 唱 え て い る 我 々 は 往 生 し な い わ け は な い 、 と 認 識 さ れ て い た こ と が わ か る 。 以 上 が 詩 序 の 内 容 で あ る が 、 こ の 中 で 大 き な 特 色 と い え ば 、 美 辞 麗 句 を 並 べ て 虚 擬 の 言 説 日 詩 を 作 る と い う 、 ﹃ 法 華 経 ﹄ で 禁 じ て い る 妄 語 の 罪 に 当 た る 行 為 を 、 ﹁ 此 の 会 を 知 る 者 、 謂 る 見 仏 聞 法 の 張 本 と 為 す 。 此 の 会 を 軽 ん ず る 者 、 恐 る ら く は 風 月 詩 酒 の 楽 遊 と 為 ら む ﹂ と あ る よ う に 仏 法 讃 歎 の 善 行 と 考 え て い る と こ ろ で あ ろ う 。 ﹁ 風 月 詩 酒 の 楽 遊 ﹂ と は 、 虚 偽 の 言 葉 を 弄 び 酒 を 酌 み 交 わ す こ と で あ る が 、 そ れ は 当 時 は 一 般 に 戒 律 に 背 く も の と 考 え ら れ て い た の で あ る 。 同 様 の こ と を 保 胤 は ﹁ 勧 学 院 仏 名 廻 文 ﹂ ( ﹃ 文 粋 ﹄ 巻 第 十 三 ) で ﹁ 妄 語 の 咎 逃 れ 難 し 、 綺 語 の 過 何 ぞ 避 く る る や ﹂ と か 、 寛 和 二 年 (九 八 六 ) 七 月 廿 日 に 大 宰 府 で の 詩 合 に て 作 成 し た 願 文 ﹁ 菅 丞 相 の 廟 に 賽 す る 願 文 ﹂ ( ﹃ 文 粋 ﹄ 巻 第 十 三 ) で も 、 ﹁ 嗟 呼 、 花 言 綺 語 の 遊 び 、 何 ぞ 神 道 を 益 さ ん や ﹂ と 逆 説 的 に 詠 ん で い る 。 し か し 、 先 に 述 べ た よ う に 、 詩 を 詠 作 す る こ と は 、 ﹃ 法 華 経 ﹄ の 講 説 や 読 誦 と 同 様 に 浄 土 で の ﹁ 見 仏 聞 法 ﹂ の 準 備 に な る と す る 。 そ の 根 拠 は 、 勧 学 会 結 衆 の 一 人 で あ る 源 為 憲 が 著 し た ﹃ 三 宝 絵 ﹄ 下 巻 の 勧 学 会 の 項 に も 引 用 さ れ て い る 、 白 居 易 ﹃ 白 氏 文 集 ﹄ 七 十 一 ﹁ 香 山 寺 白 氏 洛 中 集 記 ﹂ の 中 の 一 句 で あ る 。 つ ま り 、 ﹁ 又 居 易 ノ ミ ヅ カ ラ ツ ク ル 詩 ヲ ア ツ メ テ 、 香 山 寺 ニ オ サ メ シ 時 二 、 ﹁ 願 ハ コ ノ 生 ノ 世 俗 文 字 ノ 業 、 狂 言 綺 語 モ ア ヤ マ リ ヲ モ テ カ ヘ シ テ 、 当 来 世 々 讃 仏       乗 ノ 因 、 転 法 輪 ノ 縁 ト セ ム ﹂ と い う 理 解 に 拠 っ て い る 。 す な わ ち 文 人 貴 族 た ち の 職 業 で あ っ た 詩 作 を 、 白 居 易 を 先 平 安 中 期 に お け る 在 家 者 の 仏 教 思 想 ー 慶 滋 保 胤 を 中 心 と し て t 八 一

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仏 教 学 会 紀 要 一 一 号 八 二 例 と す る こ と に よ っ て 、 在 俗 信 者 の 保 つ べ き 五 戒 の ﹁ 妄 語 ﹂ に あ て は ま る ﹁ 綺 語 ﹂ で は な く 、 ﹁讃 仏 乗 ﹂ や ﹁ 見 仏 聞 法 ﹂ の 因 に な る と 逆 転 し て い る の で あ る 。 こ の よ う に 保 胤 の 書 い た 勧 学 会 詩 序 に は 、 法 会 と い う 場 で の ﹃ 法 華 経 ﹄ の 講 説 を 聞 く こ と は ﹁ 知 識 ﹂ と な り 、 詩 を 作 る と い う 行 為 は 称 名 念 仏 と 同 様 に 善 行 の ﹁ 実 践 ﹂ に な る と 明 言 し て い る の で あ る 。 二 、 ﹁ 池 亭 記 ﹂ に み ら れ る 仏 教 思 想 勧 学 会 詩 序 の 次 に 注 目 さ れ る の は 、 勧 学 会 の 活 動 が 始 ま っ て 一 八 年 後 の 天 元 五 年 (九 八 二 ) に 記 さ れ た ﹁ 池 亭 記 ﹂ で あ る 。 ﹁ 池 亭 記 ﹂ 前 半 は 、 保 胤 が 二 〇 年 に わ た っ て 目 に し て き た 京 都 の 変 貌 ぶ り が 叙 述 さ れ 、 後 半 に は 五 〇 歳 に な っ て よ う や く 持 つ こ と が 出 来 た さ さ や か な 邸 宅 に つ い て の 説 明 が な さ れ る 。 保 胤 は 私 邸 で の 生 活 に つ い て 次 の よ う に 述 べ て い る 。 予 行 年 漸 く 五 旬 に 垂 と し て 、 適 小 宅 有 り 。 ⋮ ⋮ 家 主 ( 保 胤 ) 、 職 は 柱 下 ( 内 記 ) に 在 り と い へ ど も 、 心 は 山 中 に 住 む が 如 し 。 官 爵 は 運 命 に 任 す 、 天 の 工 均 し 。 寿 夭 は 乾 坤 に 付 く 、 丘 の 濤 る こ と 久 し 。 人 の 風 鵬 (出 世 ) た る を 楽 は ず 、 人 の 霧 豹 (隠 遁 ) た る を 楽 は ず 、 膝 を 屈 し 腰 を 折 り て 、 媚 を 王 侯 将 相 に 求 め ん こ と を 要 は ず 、 ま た 言 を 避 れ 色 を 避 り て 、 蹤 を 深 山 幽 谷 に 刊 ま ん こ と を 要 は ず 。 朝 に 在 り て は 身 暫 く 王 事 に 随 ひ 、 家 に 在 り て は 心 永 く 仏 那 に 帰 す 。 予 出 で て は 青 草 の 袍 ( 六 位 の 服 色 ) 有 り 、 位 卑 し と い へ ど も 職 な ほ 貴 し 、 入 り て は 白 紵 の 被 有 り 、 春 よ り も 暄 く 雪 よ り も 潔 し 。 盥 漱 の 初 、 西 堂 に 参 り 、 弥 陀 を 念 じ 、 法 華 を 読 む 。 飯 喰 の 後 、 東 閣 に 入

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り 、 書 巻 を 開 き 、 古 賢 に 逢 ふ 。 そ れ 漢 の 文 皇 帝 は 異 代 の 主 た り 、 倹 約 を 好 み て 人 民 を 安 ず る を 以 て な り 。 唐 の 白 楽 天 は 異 代 の 師 た り 、 詩 句 に 長 じ て 仏 法 に 帰 す る を 以 て な り 。 晋 朝 の 七 賢 は 異 代 の 友 た り 、 身 は 朝 に 在 り て 志 は 隠 に 在 る を 以 て な り 。 予 賢 主 に 遇 ひ 、 賢 師 に 遇 ひ 、 賢 友 に 遇 ふ 。 一 日 に 三 遇 有 り 、 一 生 三 楽 を 為 す 。 ⋮ ⋮ あ あ 、 聖 賢 の 家 を 造 る 、 民 を 費 さ ず 、 鬼 を 労 せ ず 。 仁 義 を 以 て 棟 梁 と 為 し 、 礼 法 を 以 て 柱 礎 と 為 し 、 道 徳 を 以 て 門 戸 と 為 し 、 慈 愛 を 以 て 垣 墻 と 為 し 、 好 倹 を 以 て 家 事 と 為 し 、 積 善 を 以 て 家 資 と 為 す 。 ⋮ ⋮ そ の 家 自 つ か ら       富 み 、 そ の 主 こ れ 寿 し 。 官 位 永 く 保 ち 、 子 孫 相 承 く 。 慎 ま ざ る べ け ん や 。 保 胤 は 官 僚 と し て の 心 境 を 、 内 記 と い う 決 し て 高 位 で は な い 官 職 を 任 じ ら れ て は い る が 、 そ の 心 は 山 中 に 住 ん で い る 隠 者 の よ う で あ る と 語 る 。 ま た 出 世 を 願 う わ け で も な く 、 隠 居 を 願 う わ け で も な く 、 膝 を 屈 し て 媚 び を 売 る わ け で も な く 、 深 山 幽 谷 に 居 を 求 め る わ け で も な い 。 官 僚 と し て の 内 記 の 仕 事 を 全 う す る と と も に 、 帰 宅 す れ ば 、 家 の 仏 堂 ( 西 堂 ) に 入 っ て ﹃法 華 経 ﹄ を 読 誦 し 阿 弥 陀 仏 を 観 相 し て い る 。 ま た 書 斎 (東 閣 ) に 入 っ て は 、 儒 書 や 詩 文 を 開 き 、 昔 の 賢 人 た ち と 出 会 う 。 さ ら に 、 儒 教 の 徳 目 を 守 る こ と で 、 ど ん な 災 い を も 防 ぎ 、 子 々 孫 々 ま で 富 と 長 寿 に 恵 ま れ 文 人 貴 族 と し て の 官 職 を 継 承 す る こ と が で き る と 述 べ る の で あ る 。 こ の よ う に ﹁ 池 亭 記 ﹂ に は 、 一 見 す る と 儒 教 思 想 と 仏 教 信 仰 の 使 い 分 け が な さ れ て い る よ う に も 思 え る が 、 儒 教 思 想 に よ る 善 行 や 善 政 を 行 う こ と も 、 あ る い は 仏 教 経 典 を 読 誦 す る こ と に よ っ て 自 他 の 現 世 利 益 を 祈 る こ と も 、 結 果 的 に 自 分 と 他 の 人 々 に 安 穏 や 泰 平 の 世 を も た ら す と い う 意 味 で は 全 く 同 じ で あ る と い う 認 識 に 立 っ て い る 。 こ の よ う な 儒 教 と 仏 教 の 理 想 が 別 の も の で は な い と い う 考 え は 、 中 国 唐 代 以 降 東 ア ジ ア 世 界 で の 共 通 し た 思 想 と な っ て い っ た の で あ っ て 、 保 胤 独 自 の 思 想 と い う わ け で は な い 。 と こ ろ で 、 中 国 に お け る 儒 仏 道 の 三 教 の 交 渉 の プ ロ セ ス の 中 か ら 、 四 世 紀 に ﹁ 吏 穏 兼 得 ﹂ の 思 想 が 唱 え ら れ る こ 平 安 中 期 に お け る 在 家 者 の 仏 教 思 想 ー 慶 滋 保 胤 を 中 心 と し て 1 八 三

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仏 教 学 会 紀 要 二 号 八 四 と と な っ た 。 ﹁ 吏 穏 兼 得 ﹂ と は 、 官 僚 と し て の 実 務 に 携 わ り な が ら 、 神 仙 的 な 隠 者 の 心 境 を 楽 し む と い う 、 官 僚 と し て の 理 想 的 な 生 活 を 提 示 し た 思 想 で 、 日 本 の 文 人 官 僚 に も 受 容 さ れ 、 八 世 紀 中 頃 の ﹃懐 風 藻 ﹄ 以 来 の 漢 詩 集 で は   の   何 度 と な く 詠 ま れ た 重 要 な テ ー マ で あ っ た 。 ﹁ 池 亭 記 ﹂ に は ﹁ 身 は 朝 に 在 り て 志 は 隠 に 在 る を 以 て な り ﹂ と 記 さ れ て い る が 、 こ れ は ﹁ 吏 穏 兼 得 ﹂ と 共 通 す る 思 想 の 表 明 と い っ て よ い だ ろ う 。 保 胤 は 、 ﹁ 吏 穏 兼 得 ﹂ の 思 想 を 取 り 入 れ る こ と に よ っ て 、 官 僚 と し て の 世 俗 生 活 と 神 仙 的 な 隠 者 の 生 活 の 統 合 を 計 り な が ら 、 さ ら に 現 世 と 来 世 の 安 穏 を 実 現 す る た め の 仏 教 的 実 践 を 加 え よ う と し て い る の で あ る 。 し か し 、 そ れ は 彼 の 個 人 的 な 心 情 を 吐 露 し た も の で は な い 。 文 人 官 僚 の 役 割 は 、 さ ま ざ ま な 書 物 か ら 得 た 言 葉 を 、 少 し ず ら し た 形 で 文 章 の 中 に 取 り 入 れ 、 新 し い 社 会 を 構 築 し て い く こ と の 必 要 性 を 表 明 す る 文 章 を 作 成 し て い く こ と が 職 務 で あ っ た か ら 、 内 記 で あ る 保 胤 に と っ て 、 儒 書 や 中 国 の 詩 人 た ち が 残 し た 詩 と と も に 仏 書 を 学 ぶ と い う こ と は 、 文 章 を 書 い て い く 上 で の 素 材 を 豊 か に す る と い う 実 用 性 に か な っ た も の で あ っ た 。 ま た 、 日 常 的 に ﹃法 華 経 ﹄ を 読 誦 し 阿 弥 陀 仏 を 観 相 す る と い う 善 業 は 、 勧 学 会 で の 活 動 を そ の ま ま 日 常 生 活 の 中 に 移 し か え た と 考 え る こ と が で き る だ ろ う 。 法 会 と い う 限 定 さ れ た 空 間 で 、 仏 教 的 善 業 を 行 う こ と は 、 当 時 す で に 貴 族 社 会 で 十 分 に 認 知 さ れ る よ う に な っ て い た 。 ﹁ 池 亭 記 ﹂ で は 仏 教 的 善 業 と い う 実 践 を 、 法 会 と い う 特 別 な 場 で は な く 、 日 常 生 活 に お い て 常 に 行 え る 善 行 へ と 転 換 し 、 官 僚 生 活 と 仏 教 的 生 活 は 完 全 に 一 致 す る こ と を 証 明 し よ う と し て い る の で あ る 。 先 に 検 討 し た 勧 学 会 の 詩 序 は 、 そ の 考 え を さ ら に 発 展 さ せ て 、 文 人 官 僚 と し て の 詩 作 と い う 職 務 も 仏 教 的 善 行 と な る と い う 考 え に 展 開 し た も の と い う こ と が で き る ( も ち ろ ん 官 僚 と し て 善 政 の 一 翼 を に な う と い う 役 割 に 変 化 は な い ) 。

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3 、 ﹃ 日 本 往 生 極 楽 記 ﹄ に み る 化 身 と 利 他 行 ﹃ 日 本 往 生 極 楽 記 ﹄ (以 下 、 ﹃ 極 楽 記 ﹄ と 記 す ) は 、 永 観 二 年 ( 九 八 四 ) 頃 に 編 集 さ れ た 往 生 者 の 伝 記 集 で あ る 。 記 載 さ れ た 往 生 者 は 僧 俗 併 せ て 四 二 人 。 そ の 序 文 で 保 胤 は 、 極 楽 往 生 へ の 思 い が 四 〇 歳 以 降 ま す ま す 強 く な り 、 称 名 念 仏 と 阿 弥 陀 仏 を 観 ず る 観 相 を 行 い 、 経 曲 ハや 論 書 な ど を 閲 覧 し て い た と 述 べ て い る 。 保 胤 は ﹃極 楽 記 ﹄ の 序 文 で 撰 述 の 動 機 や 目 的 に つ い て 次 の よ う に 述 べ て い る 。 大 唐 弘 法 寺 の 釈 の 迦 才 、 浄 土 論 を 撰 し け り 。 そ の 中 に 往 生 の 者 を 載 す る こ と 二 十 人 。 迦 才 の 曰 く 、 上 に は 経 論 二 教 を 引 き て 、 往 生 の こ と を 証 せ り 。 実 に 良 験 と す 。 た だ し 衆 生 智 浅 く し て 、 聖 旨 を 達 せ ず 。 も し 現 に 往 生 の 者 を 記 せ ず は 、 そ の 心 を 勧 進 す る こ と を 得 じ と い ふ 。 誠 な る か な こ の 言 。 ま た 瑞 応 伝 に 載 す る と こ ろ の 四 十 余 人 、 こ の 中 に 牛 を 屠 り 鶏 を 販 ぐ 者 あ り 。 善 知 識 に 逢 ひ て 十 念 に 往 生 せ り 。 予 こ の 輩 を 見 る ご と に 、 い よ い よ そ の 志 を 固 く せ り 。 今 国 史 及 び 諸 の 人 の 別 伝 等 を 検 す る に 、 異 相 往 生 せ る 者 あ り 。 兼 ね て ま た 故 老 に 訪 ひ て 都 盧 四 十 余 人 を 得 た り 。 予 感 歎 伏 膺 し て 聊 に 操 行 を 記 し 、 号 づ け て 日 本 往 生 極 楽 記 と 日 ふ 。 後 に こ の 記 を 見 る 者 、  ヨ 疑 惑 を 生 ず る こ と な か れ 。 願 は く は 、 我 一 切 衆 生 と と も に 、 安 楽 国 に 往 生 せ む 。 こ の 中 で 、 撰 述 の 動 機 が 、 迦 才 ﹃ 浄 土 論 ﹄ に 記 さ れ て い た ﹁ 衆 生 智 浅 く し て 、 聖 旨 を 達 せ ず 。 も し 現 に 往 生 の 者 を 記 せ ず は 、 そ の 心 を 勧 進 す る こ と を 得 じ ﹂ と 、 唐 文 論 ・ 少 康 編 ﹃ 往 生 西 方 浄 土 瑞 応 刪 伝 ﹄ の ﹁ 牛 を 屠 り 鶏 を 販 ぐ ﹂ と い う 殺 生 を 犯 し た 者 で も 、 十 念 を 唱 え て 往 生 し た と い う 叙 述 に あ る こ と 、 そ し て 、 日 本 で も 現 実 に 往 生 人 が い る こ と を 示 す こ と で 多 く の 人 々 が 、 作 善 を 行 い 極 楽 往 生 を し て 悟 り を 得 る こ と を 目 指 す よ う に な る こ と を 目 的 と 平 安 中 期 に お け る 在 家 者 の 仏 教 思 想 ー 慶 滋 保 胤 を 中 心 と し て t 八 五

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仏 教 学 会 紀 要 一 一 号 八 六 し て い る 旨 が 述 べ ら れ る 。 多 く の 人 々 が 極 楽 に 往 生 す る こ と に よ っ て 得 道 す る こ と が で き る と い う 保 胤 の 考 え は 、 こ れ ま で 考 察 し て き た 勧 学 会 詩 序 や ﹁ 池 亭 記 ﹂ に み ら れ る 基 本 的 な 考 え で あ る が 、 こ れ は ﹃ 極 楽 記 ﹄ で も 継 承 さ れ て い る 。 保 胤 が 往 生 者 の 典 型 を ど の よ う に 捉 え て い た か を 、 ﹃極 楽 記 ﹄ 第 五 話 の 律 師 隆 海 伝 を 一 例 と し て 見 て み よ う 。 漁 者 の 家 に 生 ま れ た 隆 海 は 、 摂 津 国 講 師 薬 円 に よ っ て 見 出 さ れ 、 ﹁ 三 論 の 宗 義 ﹂ を 受 け 、 つ い に は ﹁ 維 摩 会 の 講 師 ﹂ と な る と い う 一 流 の 学 僧 と し て の 一 面 が あ る と と も に 、 日 頃 か ら ﹁ 常 に 極 楽 を 念 ず べ し と い へ り 。 毎 日 沐 浴 し て 念 仏 す 。 兼 て は 無 量 寿 経 の 要 文 お よ び 龍 樹 菩 薩 ・ 羅 什 三 蔵 の 弥 陀 讃 を 誦 せ り ﹂ と 極 楽 往 生 の た め の 作 善 を 行 う と い う よ う に 、 浄 土 願 生 者 と し て の 側 面 も 備 え て い た 。 そ の 臨 終 は 、 ﹁右 の 手 を 見 れ ば 、 無 量 寿 如 来 の 印 ﹂ を 結 ん で い た と い う 記 述 に よ っ て 知 る こ と が で き る 。 こ の よ う に 阿 弥 陀 仏 を 念 じ 、 定 印 を 結 ん で 入 滅 す る と い う パ タ ー ン は 、 俗 人 の 往 生 者 の 伝 記 に も 叙 述 さ れ て い る こ と か ら 、 僧 俗 関 係 な く 往 生 者 の 基 本 的 な パ タ ー ン と 保 胤 が 考 え て い た こ と が わ か る 。 と こ ろ が 、 往 生 者 に 違 い な い が 、 こ れ と は 異 な る 往 生 者 に つ い て も 保 胤 は 叙 述 し て い る 。 そ れ は ﹃ 極 楽 記 ﹄ の 冒 頭 の 聖 徳 太 子 と 第 二 話 の 行 基 の 伝 記 で あ る 。 こ の 二 名 は 、 往 生 者 で あ る と と も に ﹁ 菩 薩 ﹂ と さ れ て い る が 、 そ れ は ど う い う 意 味 が あ る の か に つ い て 検 討 し て み た い 。 ﹃ 極 楽 記 ﹄ 冒 頭 の 聖 徳 太 子 伝 は 、 多 く を ﹃ 聖 徳 太 子 伝 暦 ﹄ に 拠 っ て お り 、 聖 徳 太 子 の 誕 生 以 前 の 母 間 人 皇 后 の 夢 か ら 始 ま る 。 そ の 夢 は 次 の よ う な も の で あ っ た 。 母 妃 の 皇 女 夢 み ら く 、 金 色 の 僧 あ り て 謂 ひ て 曰 く 、 吾 救 世 の 願 あ り 。 願 は く は 后 の 腹 に 宿 ら む と い ふ 。 ⋮ ⋮ 吾 は 救 世 菩 薩 な り 。 家 は 西 方 に あ り と い ふ 。 .. .. .. (誕 生 後 ) 太 子 奏 し て 曰 く ﹁ 児 、 昔 漢 に あ り て 南 岳 に 住 せ し こ と 、 数 十 の 身 を 歴 た り 。 仏 道 を 修 行 し た り き ﹂ と の た ま へ り 。 時 に 年 六 歳 。

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聖 徳 太 子 誕 生 以 前 の 夢 告 に よ っ て 聖 徳 太 子 は 本 来 救 世 (観 音 ) 菩 薩 で あ る が 、 皇 子 と な っ て 娑 婆 世 界 に 誕 生 す る だ ろ う と 告 げ ら れ る 。 ま た 幼 少 期 に 自 ら の 来 歴 を 、 数 十 回 も の 輪 廻 転 生 を 繰 り 返 し て い た こ と 、 前 世 は 中 国 天 台 宗 の 僧 侶 で あ っ た と 語 る 。 数 十 も の 身 を 変 え て 輪 廻 転 生 を 繰 り 返 し 仏 道 修 行 を 行 っ て き た と い う 叙 述 は 、 釈 尊 が 王 子   ぬ   と し て 誕 生 す る 以 前 に 、 数 十 も の 輪 廻 転 生 を 繰 り 返 し て き た と い う 前 生 譚 を 想 起 さ せ る 。 救 世 菩 薩 で あ る 聖 徳 太 子 は 、 こ の 世 に 誕 生 し た 後 入 滅 ま で 、 一 体 ど の よ う な 役 割 を 果 た し て い っ た と 記 さ れ て い る の だ ろ う か 。 ﹃ 極 楽 記 ﹄ は ま ず 最 初 に 、 推 古 天 皇 の 摂 政 と し て 善 政 を 行 っ た こ と が 挙 げ て い る 。 推 古 天 皇 立 て て 皇 太 子 と な し て 、 万 機 悉 く 委 せ た ま へ り 。 太 子 政 を 聴 き た ま ふ の 日 、 宿 の 訟 い ま だ 決 せ ざ る の 者 八 人 、 同 音 に 事 を 白 す 。 太 子 一 々 に よ く 弁 へ 答 へ た ま ふ 。 二 つ 目 と し て 、 様 々 な 経 典 の 注 釈 書 を 著 し た こ と が 次 の よ う に 叙 述 さ れ て い る 。 太 子 の 宮 の 中 に 別 殿 あ り 。 夢 殿 と 号 つ く 。 一 月 に 三 度 沐 浴 し て 入 り た ま ふ 。 も し 諸 の 経 の 疏 を 制 す る に 、 義 に 滞 る こ と あ れ ば 、 即 ち こ の 殿 に 入 り た ま へ り 。 常 に 金 人 あ り て 、 東 方 よ り 至 り て 告 ぐ る に 妙 義 を も て す 。 聖 徳 太 子 は 、 ﹃ 三 経 義 疏 ﹄ を 著 し た と さ れ る が 、 著 述 に あ た っ て 疑 問 を 生 じ る こ と が あ れ ば 、 ﹁ 金 人 ﹂ が 夢 に 現 れ て そ の 義 を 説 い た と い う 。 さ ら に 聖 徳 太 子 は 、 経 典 の 注 釈 だ け で は な く 、 天 皇 に 対 し て 経 典 の 講 説 も 行 う 。 天 皇 、 太 子 を 請 じ て 勝 鬘 経 を 講 ぜ し め た ま へ る こ と 三 日 、 太 子 袈 裟 を 着 、 麈 尾 を 掘 り て 師 子 の 座 に 登 り た ま ふ こ と 、 そ の 儀 僧 の ご と し 。 ⋮ ⋮ 天 皇 ま た 法 華 経 を 講 ぜ し め た ま ふ こ と 七 日 ⋮ 。 ﹃ 勝 鬘 経 ﹄ は 波 斯 匿 王 の 娘 を 語 り 手 と し て 如 来 蔵 を 説 く 経 典 と さ れ る が 、 そ の 中 に は 、 勝 鬘 夫 人 の 即 身 成 仏 が 説 か れ て い る 。 聖 徳 太 子 撰 と 伝 え る ﹃ 三 経 義 疏 ﹄ の 一 つ に ﹃ 勝 鬘 経 義 疏 ﹄ が あ る が 、 女 帝 で あ る 推 古 天 皇 に 女 人 成 仏 が 説 か れ て い る 経 典 を 講 説 す る と い う こ と は 、 聖 徳 太 子 が 、 女 性 の 往 生 の 方 法 も 説 い て い た 菩 薩 で あ っ た こ と が わ 平 安 中 期 に お け る 在 家 者 の 仏 教 思 想 -慶 滋 保 胤 を 中 心 と し て i 八 七

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仏 教 学 会 紀 要 一 一 号 八 八 か る 。 ま た 、 ﹃法 華 経 ﹄ の 講 説 も 行 わ れ て い た と も 記 さ れ る 。 太 子 は 死 を 迎 え る に あ た り 、 ﹃勝 鬘 経 ﹄ や ﹃ 法 華 経 ﹄ な ど の 経 典 を 講 説 す る こ と で 宮 廷 社 会 に 大 乗 仏 教 の 教 え を 広 め る こ と が 、 菩 薩 と し て の 自 ら の 務 め で あ っ た こ と に つ い て 次 の よ う に 語 る 。 吾 昔 数 十 の 身 を 経 て 、 仏 道 を 修 行 し 、 今 小 国 の 儲 君 と な り て 、 漸 く に 一 乗 の 妙 義 を 弘 め た り 。 吾 久 し く 五 濁 に 遊 ば む こ と を 欲 は ず と の た ま へ り 。 こ の 言 葉 は 、 ﹃ 三 宝 絵 ﹄ 中 巻 の 聖 徳 太 子 伝 に 、 ﹁ 我 昔 ア マ タ ノ 身 ヲ カ ヘ テ 、 仏 道 ヲ 行 ヒ ツ ト メ キ 。 ワ ヅ カ ニ 小 国 ノ 王 子 ト シ テ 来 テ 、 タ ヘ ナ ル 法 ヲ ヒ ロ メ テ 、 法 モ ナ キ 所 }二 乗 ノ 義 ヲ 弘 メ 説 ツ ﹂ と 語 ら れ て い る こ と と ほ ぼ 同 じ 内 容 で あ る 。 つ ま り 、 聖 徳 太 子 は 日 本 に 誕 生 す る 以 前 数 十 回 も の 輪 廻 転 生 を 繰 り 返 し な が ら ﹃ 法 華 経 ﹄ を 受 持 し 続 け て い た の で あ る が 、 そ れ を 人 々 に 説 く こ と や 注 釈 す る と い っ た 教 化 活 動 を 行 っ て は い な か っ た 。 し か し 、 日 本 に 聖 徳 太 子 と し て 転 生 し 、 初 め て ﹁ 一 乗 の 妙 義 ﹂ を 説 い た の で あ る 。 す な わ ち 、 日 本 こ そ が ﹃ 法 華 経 ﹄ を は じ め と す る ﹁ 一 乗 の 妙 義 ﹂ を 弘 通 す る 場 と し て も っ と も ふ さ わ し い と い う こ と を 太 子 伝 は 言 っ て い る の で あ る 。 で は 、 も う 一 人 の 菩 薩 で あ る 行 基 の 場 合 は ど う で あ ろ う 。 ﹃極 楽 記 ﹄ の 行 基 は 、 文 殊 菩 薩 の 化 身 と し て 叙 述 さ れ   め   て い る 。 文 殊 菩 薩 の 化 身 と し て の 行 基 の は た ら き は 聖 徳 太 子 が み せ た 菩 薩 の は た ら き と は 異 な っ て い る 。 菩 薩 出 家 し て 薬 師 寺 の 僧 と な れ り 。 瑜 伽 唯 識 論 等 を 読 み て 奥 義 を 了 知 せ り 。 菩 薩 周 く 都 鄙 に 遊 び て 、 衆 生 を 教 化 せ り 。 道 俗 化 を 慕 ひ て 、 追 ひ 従 ふ 者 動 も す れ ば 千 を も て 教 へ た り 。 ⋮ ⋮ 器 に 随 ひ て 誘 へ 導 き け り 。 悪 を 改 め て 善 に 趣 き ぬ 。 諸 の 要 害 の 処 を 尋 ね て 、 橋 梁 を 造 り 、 道 路 を 修 へ り 。 そ の 田 の 耕 種 し て 、 水 の 蓄 へ 潅 く べ き を 点 検 し て は 、 渠 池 を 穿 り 陂 阻 を 築 け り 。 ⋮ ⋮ 菩 薩 畿 内 に 道 場 を 建 立 す る こ と 凡 そ 四 十 九 処 、 諸 州 に ま た 往 々 に し て 存 せ り 。 昔 諸 国 に 修 行 し て 故 郷 に 帰 る に 、 里 人 大 小 、 池 の 辺 に 会 ひ 集 り て 、 魚 を 捕 り て こ れ を 喫 ふ 。 菩 薩

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そ の 処 を 過 ぐ る に 、 年 小 放 蕩 の 者 相 戯 れ て 、 魚 の 膾 を も て 菩 薩 に 薦 め ぬ 。 菩 薩 こ れ を 食 し て 、 須 臾 に 吐 き 出 す に 、 そ の 膾 変 じ て 小 魚 と な れ り 。 見 る 者 驚 き 恐 れ た り 。 聖 徳 太 子 が 宮 廷 を 中 心 に 菩 薩 行 を 行 っ た の に 対 し て 、 文 殊 菩 薩 の 化 身 と 記 さ れ る 行 基 は 、 聖 徳 太 子 と は 対 照 的 に 庶 民 の 出 身 で 、 出 家 後 に 学 問 に 通 達 し 、 庶 民 の 教 化 と 人 民 の 苦 難 を 取 り 除 く 社 会 事 業 (現 世 利 益 ) を 行 い 、 数 々 の 奇 跡 を 示 し た こ と に 特 色 が あ る 。 一 見 す る と 、 教 化 活 動 と 現 世 利 益 ・ 奇 跡 と は 関 連 が 少 な い よ う に 思 わ れ る が 、 そ う で は な い 。 奇 跡 や 現 世 利 益 を 示 す こ と に よ っ て 、 人 々 を 仏 教 へ と 向 か わ せ る 一 種 の 方 便 と し て の 機 能 を 果 た し て い る か ら で あ る 。 つ ま り 、 行 基 伝 に み ら れ る 菩 薩 と は 、 多 く の 人 々 の 間 を 廻 っ て 生 活 空 間 に 密 着 し て 教 化 す る 菩 薩 で あ り 、 奇 跡 や 現 世 利 益 を 与 え る 菩 薩 で あ る と 考 え ら れ て い る の で あ る 。 こ の よ う に ﹃ 極 楽 記 ﹄ は 、 聖 徳 太 子 と 行 基 を 通 し て 、 そ れ ぞ れ に 異 な る 菩 薩 像 を 示 す こ と に よ っ て 、 異 な る 社 会 階 層 の 人 々 を そ れ ぞ れ の 菩 薩 が 受 け 持 つ こ と で 、 す べ て の 人 々 の 往 生 が 可 能 に な る こ と を 明 ら か に す る の で あ る 。 も ち ろ ん 宮 廷 社 会 で も 庶 民 の 社 会 で も 、 自 ら の 意 志 で 作 善 を 行 い 極 楽 往 生 を め ざ す 人 々 が い る こ と を ﹃ 極 楽 記 ﹄ は 叙 述 し て い る が 、 そ こ か ら 外 れ る 人 々 、 つ ま り 、 仏 教 的 知 識 の 少 な い 人 、 講 会 に 参 加 す る こ と に よ っ て 菩 提 心 を 起 こ す 経 典 の 講 説 を 聞 く 機 会 の な い 人 で も 、 菩 薩 の 方 か ら の は た ら き か け に よ っ て 浄 土 往 生 に つ い て の 知 識 や 機 会 が 与 え ら れ れ ば 、 そ の 人 は 作 善 を 行 い 極 楽 往 生 し て い く こ と が 可 能 に な る 。 極 楽 往 生 は 、 序 文 に ﹁ 善 知 識 に 逢 ひ て 十 念 に 往 生 せ り ﹂ と あ る よ う に 、 十 念 の 念 仏 で も 可 能 な の で あ る 。 つ ま り 、 現 実 世 界 に 菩 薩 の 化 身 が 出 現 す る こ と に よ っ て 、 浄 土 に 往 生 で き る 人 と 出 来 な い 人 と い う 区 別 が な く な り 、 全 て の 人 々 が 浄 土 往 生 す る こ と が 可 能 と な る と 保 胤 は 語 っ て い る の で あ る 。 と こ ろ で 、 ﹃ 極 楽 記 ﹄ に は 、 保 胤 の 時 代 の 人 々 が 現 実 に 出 会 っ た 空 也 (九 〇 三 ∼ 九 七 二 ) の 往 生 譚 も 載 せ て い る 。   め   空 也 は 、 念 仏 を 広 く 勧 め た 浄 土 教 の 祖 と さ れ て い る が 、 そ の 実 像 は 当 時 で も あ ま り 知 ら れ て は お ら ず 、 実 際 は ほ と 平 安 中 期 に お け る 在 家 者 の 仏 教 思 想 ー 慶 滋 保 胤 を 中 心 と し て 1 八 九

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仏 教 学 会 紀 要 一 一 号 九 〇 ん ど 無 名 の 僧 侶 で あ っ た と 考 え て よ い だ ろ う 。 ﹃ 極 楽 記 ﹄ 空 也 伝 の 前 半 部 は 次 の よ う に 述 べ る 。 沙 門 空 也 は 、 父 母 を 言 は ず 、 亡 命 し て 世 に あ り 。 或 は 云 は く 、 漬 流 よ り 出 で た り と い ふ 。 口 に 常 に 弥 陀 仏 を 唱 ふ 。 故 に 世 に 阿 弥 陀 聖 と 号 つ く 。 或 は 市 中 に 住 し て 仏 事 を 作 し 、 ま た 市 聖 と 号 つ く 。 嶮 し き 路 に 遇 ひ て は 即 ち こ れ を 鑵 り 、 橋 な き に 当 た り て は ま た こ れ を 造 り 、 井 な き を 見 る と き は こ れ を 掘 る 。 号 づ け て 阿 弥 陀 の 井 と 日 ふ 。 播 磨 国 揖 穂 郡 峰 合 寺 に 一 切 経 あ り て 、 数 の 年 披 閲 せ り 。 も し 難 儀 あ れ ば 、 夢 に 金 人 あ り て 常 に 教 へ た り 。 ﹃ 極 楽 記 ﹄ は 、 空 也 の 出 生 は 明 ら か で は な い が 、 皇 族 の 出 身 で あ る と も 言 わ れ て い る と 記 す 。 常 に 称 名 念 仏 を 欠 か す こ と が な か っ た の で ﹁ 阿 弥 陀 聖 ﹂ と 呼 ば れ て い た こ と 、 市 中 に あ っ て は 人 々 を 教 化 し 、 架 橋 ・ 道 の 整 備 ・ 掘 井 な ど の 現 世 利 益 の 活 動 を 行 っ て い た こ と 、 ま た 、 経 曲 ハを 閲 覧 す る と き に は 夢 に ﹁金 人 ﹂ が 現 れ て そ の 義 を 教 え て く れ た と い う 奇 跡 に つ い て も 記 し て い る 。 こ こ に 記 さ れ た 空 也 の 前 半 生 は 、 皇 族 出 身 で あ る と さ れ て い る と こ ろ や 、 夢 に ﹁ 金 人 ﹂ が 出 現 し て 経 典 の 義 を 教 え る と い う と こ ろ で は 、 聖 徳 太 子 の 伝 記 と 共 通 性 が あ る 。 ま た 、 市 中 に て 教 化 し 、 現 世 利 益 的 な 利 他 行 を 行 っ て き た こ と な ど は 、 行 基 の 伝 記 と も 酷 似 す る と こ ろ が あ る 。 つ ま り 、 聖 徳 太 子 と 行 基 の 伝 に み ら れ る 菩 薩 行 を 再 構 成 す る こ と で 、 ほ と ん ど 知 ら れ て い な か っ た 空 也 の 前 半 生 を 叙 述 し て い っ た の で あ る 。 こ の よ う な 再 構 成 は 、 保 胤 が 始 め て で は な い 。 天 禄 三 年 (九 七 二 ) に 空 也 は 亡 く な っ た が 、 死 後 一 年 以 内 に 源 為 憲 に よ っ て 書 か れ た 追 悼 文 ﹁ 空 也 誄 ﹂ の 中 で 、 空 也 と い う 無 名 の 僧 侶 の 生 涯 を 記 す た め に 、 国 史 や 伝 記 よ り 聖 徳 太 子 ・ 行 基 な ど の 著 名 な 人 を 選 び 出 し 、 そ れ ら の 人 物 の 善 行 を 組 み 合 わ せ る こ と で 、 空 也 の 生 涯 が 再 構 成 さ れ て い る 。 保 胤 は こ の ﹁ 空 也 誄 ﹂ の 叙 述 を ほ と ん ど そ の ま ま ﹃ 極 楽 記 ﹄ に 引 用 し て い る の で あ る が 、 保 胤 は 空 也 伝 の 最 後 に 次 の よ う な 文 章 を 追 加 し 載 せ て い る 。

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上 人 化 縁 已 に 尽 き て 、 極 楽 に 帰 り 去 り ぬ 。 天 慶 よ り 以 往 、 道 場 聚 落 に 念 仏 三 昧 を 修 す る こ と 希 有 な り き 。 何 に 況 や 小 人 愚 女 多 く こ れ を 忌 め り 。 上 人 来 り て 後 、 自 ら 唱 へ し め ぬ 。 そ の 後 世 を 挙 げ て 念 仏 を 事 と せ り 。 誠 に こ れ 上 人 の 衆 生 を 化 度 す る の 力 な り 。 こ の 叙 述 に は 、 ﹁ 化 縁 已 に 尽 き て 、 極 楽 に 帰 り 去 り ぬ ﹂ と あ る よ う に 、 空 也 が 実 は 極 楽 か ら 娑 婆 世 界 に 来 た 菩 薩 の 化 身 で あ っ た こ と が 示 唆 さ れ て い る 。 空 也 11 菩 薩 と い う 考 え は 、 ﹁ 空 也 誄 ﹂ に は な く 、 保 胤 が 空 也 の 伝 記 を 記 す に あ た っ て 付 加 し た 考 え で あ ろ う 。 保 胤 が 書 い た ﹁ 六 波 羅 蜜 寺 供 花 会 ﹂ の 詩 序 の 冒 頭 に は 空 也 が 菩 薩 で あ る と い う 叙 述 が 次 の よ う に 記 さ れ て い る か ら で あ る 。 夫 れ 六 波 羅 蜜 寺 は 、 空 也 聖 者 こ れ を 権 輿 し 、 中 信 上 人 の 潤 色 な り 。 此 の 両 人 の 如 き は 、 寧 ぞ 如 来 の 勅 を 奉 じ 、 如 来 の 使 と 為 し 、 此 の 娑 婆 世 界 に 来 り 、 濁 悪 衆 生 を 度 す る に 非 ざ ら ん や 。  ゼ ﹁ 如 来 使 ﹂ は ﹃ 法 華 経 ﹄ に 依 拠 す る 言 葉 で あ る 。 ﹃極 楽 記 ﹄ は 空 也 が こ の 世 に ﹁如 来 の 勅 ﹂ を 奉 じ ﹁ 如 来 の 使 ﹂ と な っ て 出 現 し た 理 由 を 、 念 仏 を 広 め る こ と で あ っ た と 叙 述 し て い る 。 空 也 と い う 一 人 の 僧 侶 の 伝 記 に 、 念 仏 を 弘 通 し た と い う 要 素 と 聖 徳 太 子 や 行 基 の な か の 菩 薩 と し て の 要 素 を 組 み 合 わ せ る こ と で 、 菩 薩 の 化 身 が 現 れ る の は 何 も 昔 の こ と で は な く 、 今 現 在 の 社 会 の 中 で も 、 空 也 と い う 菩 薩 の 化 身 が 現 れ て 我 々 を 教 化 し 念 仏 に よ る 浄 土 往 生 を 勧 め て い た の だ と い う こ と を 明 ら か に し よ う と し た の で あ る 。 ま た 、 そ の よ う な 叙 述 法 に よ っ て 、 実 は 空 也 が 聖 徳 太 子 か 行 基 の 生 ま れ 変 わ り で あ る こ と も 示 唆 さ れ る 。 な ぜ な ら 、 ﹃ 極 楽 記 ﹄ は 聖 徳 太 子 に ﹁ 数 十 の 身 を 歴 た り ﹂ と し て 、 死 後 も ま た 生 ま れ 変 わ り 人 々 を 教 化 し て い く だ ろ う と 語 ら せ て い る か ら で あ る 。 と こ ろ で 、 保 胤 が 著 述 し た 作 品 の 中 に は 、 他 に も 菩 薩 の 化 身 が 登 場 し 人 々 を 教 化 し た と す る 作 品 が あ る 。 そ れ が 次 に 検 討 す る 保 胤 が 作 成 し た 追 善 願 文 で あ る 。 平 安 中 期 に お け る 在 家 者 の 仏 教 思 想 -慶 滋 保 胤 を 中 心 と し て 1 九 一

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仏 教 学 会 紀 要 = 号 九 二 四 、 追 善 願 文 に み る 菩 薩 の 化 身   お   保 胤 が 作 成 し た 願 文 と し て は ﹃ 文 粋 ﹄ 巻 第 十 三 ・ 十 四 に ﹁ 賽 菅 丞 相 廟 願 文 ﹂ ( ﹃ 文 粋 ﹄ 巻 第 十 三 恥 四 〇 〇 ) 、 ﹁ 爾 然 上 人 入 唐 時 為 母 修 善 願 文 ﹂ (同 恥 四 一 一 ) 、 ﹁ 為 二 品 長 公 主 四 十 九 日 御 願 文 ﹂ (巻 第 十 四 恥 四 一 九 ) ﹁ 為 藤 原 卿 息 女 女 御 四 十 九 日 願 文 ﹂ (同 、 恥 4 2 1 ) の 四 篇 が 残 さ れ て い る 。 そ の 内 追 善 願 文 と し て 作 成 さ れ た の は 、 尊 子 内 親 王 の 四 十 九 日 法 会 の 追 善 願 文 ﹁ 為 二 品 長 公 主 四 十 九 日 御 願 文 ﹂ と 花 山 天 皇 女 御 藤 原 恢 忻 子 の 四 十 九 法 会 の ﹁ 為 藤 原 卿 息 女 女 御 四 十 九 日 願 文 ﹂ の 二 篇 で あ る 。 二 つ の 願 文 は 女 人 往 生 に か か わ る 史 料 と し て す で に 注 目 さ れ て い る が 、   ド   こ こ で は そ の 問 題 に つ い て は 論 じ な い 。 ﹁ 為 二 品 長 公 主 四 十 九 日 御 願 文 ﹂ で 追 善 供 養 さ れ た ﹁ 二 品 長 公 主 ﹂ こ と 尊 子 内 親 王 (九 六 五 ∼ 九 八 五 ) は 、 冷 泉 天 皇 の 第 二 皇 女 で 花 山 天 皇 の 同 腹 姉 と し て 誕 生 し た 。 六 歳 で 賀 茂 斎 王 と な り 、 そ の 後 天 元 三 年 (九 八 〇 ) に 円 融 天   の   皇 女 御 と し て 入 内 し た 。 し か し 、 同 五 年 (九 八 二 ) 四 月 に 突 然 出 家 し た と さ れ る 。 そ の 出 家 に 際 し て 、 源 為 憲 が ﹃ 三 宝 絵 ﹄ を 献 呈 し た こ と は よ く 知 ら れ て い る 。 尊 子 は 寛 和 元 年 (九 八 五 ) 四 月 に 二 〇 歳 と い う 若 さ で こ の 世 を 去 っ た 。 そ の 約 一 ケ 月 半 後 の 六 月 一 七 日 に 四 十 九 日 法 会 が 行 わ れ た 。 願 文 は こ の 法 会 の 中 で 読 ま れ た も の で あ る 。 願 文 で は 冒 頭 に 、 釈 尊 や 天 人 で さ え 生 死 を 免 れ る こ と が 出 来 な い と い う こ と を 述 べ 、 生 前 の 尊 子 の 人 と な り や 、 出 家 し た 理 由 に つ い て 次 の よ う に 述 べ て い る 。 二 品 長 公 主 、 今 年 五 月 、 忽 ち 以 て 入 滅 す 。 公 主 春 秋 十 有 五 初 め て 入 内 す 。 一 咲 再 顧 す れ ば 、 既 に 是 れ 羅 山 の 旧 容 、 玄 鬢 翠 蛾 、 洛 川 の 麗 質 に 非 ざ る は 莫 し 。 彼 の 蓬 莢 洞 の 花 は 芳 し か ら ず に 非 ざ る に 、 素 意 久 し く 七 覚 を 期 す 。

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長 秋 宮 の 月 は 潔 か ら ず に 非 ざ る に 、 宿 望 は 偏 に 三 明 に 在 り 。 未 だ 恩 寵 を 受 け る を 以 て 栄 と 為 さ ず 、 唯 だ 俗 塵 を 逃 る る を 以 て 志 と 為 す 。 嗟 呼 、 晨 昏 誦 す る 所 は 提 婆 品 、 造 次 念 ず る 所 は 弥 陀 尊 な り 。 ⋮ ⋮ 凡 そ 此 界 の 古 今 の 婦 人 の 出 家 す る や 、 或 は 暮 齢 に 及 び 寡 婦 と な り 、 或 は 愁 患 多 く 依 怙 無 き の 人 等 な り 。 公 主 は 先 の 太 上 皇 (冷 泉 ) の 女 、 後 の 太 上 皇 ( 円 融 ) の 妃 、 今 上 陛 下 (花 山 ) の 姉 な り 。 天 下 に 於 い て 亦 賎 し か ら ず 、 桃 李 に 衰 色 無 く 、 桑 楡 斜 暉 に 非 ず 。 何 ぞ 其 の 世 を 遁 る る の 太 疾 か 。 こ こ で は 尊 子 内 親 王 の 美 し さ が 、 白 居 易 ﹃ 長 恨 歌 ﹄ に 叙 述 さ れ た 楊 貴 妃 の 美 し さ に 類 比 し て 述 べ ら れ て い る 。 し か し 、 彼 女 の 願 い (素 意 ・ 宿 望 ) は 、 ひ た す ら さ と り を 得 る こ と に あ っ た と し 、 そ の 証 と し て 日 頃 か ら ﹃ 法 華 経 ﹄ 提 婆 品 を 誦 し 、 常 に 阿 弥 陀 仏 を 念 じ て い た こ と が 挙 げ ら れ て い る 。 ま た こ の 願 文 は 、 尊 子 の 出 家 が 多 く の 女 性 の 出 家 の よ う な 病 気 や 老 齢 ・ 身 寄 り が い な い と い っ た 世 俗 的 な 理 由 か ら で は な か っ た こ と 、 高 貴 な 身 分 や 美 貌 に も か か わ ら ず 出 家 し た と さ れ る 。 そ の 出 家 の 理 由 に つ い て 願 文 で は 次 の よ う に 語 ら れ る 。 追 う て 往 事 を 思 ふ に 、 良 に 化 人 な る べ し 。 知 ら ず 妙 音 暫 く 自 界 よ り 来 た り て 、 仮 に 後 宮 と な る か 。 ま た 知 ら ず 、 観 音 随 類 を 度 せ ん と 欲 し て 、 化 身 を 現 ず る か 。 ⋮ ⋮ 公 主 臨 終 の 間 、 西 面 几 に 憑 り 、 寸 心 乱 れ ず 、 十 念 休 む こ と 無 し 。 便 ち 是 れ 綺 窓 瞑 目 の 時 、 寧 ぞ 蓮 台 結 跏 の 日 に 非 ざ ら む 。 定 て 知 ぬ 、 中 有 を 経 ず し て 、 直 に 西 方 に 至 る こ と を 。 公 主 若 し 暫 く 含 め る 花 の 色 を 住 む れ ば 、 常 楽 の 風 吹 き 、 忽 ち 開 敷 せ し め ん 。 若 し 未 明 の 月 輪 あ ら ば 、 余 習 の 雲 散 じ 、 永 く 円 満 な ら し め む 。 今 日 の 善 業 、 上 は 則 ち 新 仏 の 珱 珞 の 末 光 を 増 加 し 、 下 は 則 ち 群 生 輪 廻 の 苦 縁 を 解 脱 せ ん 。 敬 て 白 す 。 こ の よ う に 保 胤 の 願 文 で は 、 尊 子 が 元 来 人 間 な の で は な く 、 妙 音 菩 薩 の ﹁ 化 人 ﹂ か 観 音 菩 薩 の ﹁ 化 身 ﹂ で あ っ た と さ れ て い る 。 ﹃ 法 華 経 ﹄ 観 世 音 菩 薩 普 門 品 で は 、 観 音 は 三 十 三 身 に 変 化 し て 衆 生 救 済 を 行 う と さ れ る が 、 そ の 三 平 安 中 期 に お け る 在 家 者 の 仏 教 思 想 i 慶 滋 保 胤 を 中 心 と し て 1 九 三

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仏 教 学 会 紀 要 = 号 九 四 十 三 身 に 女 性 も 含 ま れ る の で 、 女 性 に 身 を 変 じ て 救 済 活 動 を 行 う こ と は 観 音 菩 薩 の 誓 願 に 従 っ て い る こ と に な る 。 ま た 、 妙 音 菩 薩 は 、 ﹃ 法 華 経 ﹄ 妙 音 菩 薩 品 に 三 十 四 身 に 変 化 し て 衆 生 救 済 を 行 う と さ れ る 。 妙 音 菩 薩 が 宮 廷 社 会 に   れ   女 性 の 身 と し て 現 れ る こ と に つ い て 、 ﹁ 王 後 宮 に 於 い て 、 変 じ て 女 身 と 為 し て 是 の 経 を 説 く ﹂ と さ れ て い る 。 つ ま り 、 尊 子 は 本 来 菩 薩 で あ っ て 、 こ の 世 に 女 性 の 身 と な っ て 現 れ 、 三 代 に わ た る 天 皇 の た め に 教 化 を 行 っ て い た と 述 べ ら れ て い る の で あ る 。 菩 薩 で あ る 尊 子 の 世 俗 世 界 で の 臨 終 は 、 机 に 寄 り か か り 顔 は 西 の 方 向 、 す な わ ち 西 方 極 楽 浄 土 へ と 向 け ら れ 、 口 は 念 仏 が 唱 え ら れ て い た と い う よ う に 、 そ の 姿 は 一 見 す る と 人 間 と し て の 死 を 迎 え て い る よ う に み え る が 、 そ れ は 人 々 に 浄 土 往 生 の 方 法 を 示 す た め で あ っ て 、 菩 薩 で あ る 尊 子 の 極 楽 往 生 は 本 来 の 住 処 に 帰 っ た に す ぎ な い と さ れ る 。 こ の 願 文 は 娑 婆 世 界 で の 役 割 を 終 え た 尊 子 が 、 菩 薩 の 身 を 脱 し 早 く 仏 と な っ て 、 さ ら な る 救 済 活 動 に 邁 進 し て ほ し い と 述 べ ら れ て い る の で あ る 。 同 様 の こ と は 、 ﹃ 三 宝 絵 ﹄ 序 に も 、 ﹁ 穴 貴 ト 、 吾 冷 泉 院 太 上 天 皇 ノ 一 一 人 二 当 リ 給 フ 女 ナ 御 子 、 春 ノ 花 皃 チ ヲ 恥 、 寒 キ 松 音 ヲ 譲 リ 、 九 重 ヘ ノ 宮 二 撰 レ 入 リ 給 ヘ リ シ カ ド 、 五 ノ 濁 ノ 世 ヲ 厭 ヒ 離 給 ヘ リ 。 彼 勝 鬘 ハ 波 斯 匿 王 ノ 女 ス メ 也 、 心 ヲ 発 セ ル 事 人 モ 不 教 。 有 相 ハ 宇 陀 羨 王 ノ 后 也 、 髪 ヲ 剃 シ 事 誰 又 進 メ シ 。 貴 ト キ 家 ヨ リ 生 レ 、 重 キ 位 二 備 ハ リ タ シ カ ド 、 蓮 ノ 花 二 宿 ラ ム ハ 芳 シ キ 契 リ ナ レ バ 、 忿 ギ 法 ノ 種 ヲ ウ へ 、 月 ノ 輪 二 入 ム ハ 高 キ 思 ヒ ナ レ バ 、 強 ヒ テ 戒 ノ 光 ヲ 受 テ キ 。 今 ヲ 見 テ 古 ヲ オ モ ヘ バ 、 時 ハ 異 ニ テ 事 ハ 同 ジ ﹂ と 述 べ 、 尊 子 を 女 性 の 即 身 成 仏 を 説 く ﹃ 勝 鬘 経 ﹄ の 勝 鬘 夫 人 や ﹃ 雑 宝 蔵 経 ﹄ 巻 第 十 で 天 上 に 生 ま れ た と さ れ る 宇 陀 羨 王 妃 有 相 夫 人 と 対 比 し て い る 。 ま た 、 序 の 後 半 で は 、 ﹁ 願 ハ 此 ノ 志 ヲ 以 テ 又 後 ノ 世 ニ モ 被 引 導 奉 ラ ム 事 、 喩 ヘ バ 猶 淨 飯 王 ノ 御 子 ノ 仏 二 成 リ 給 ヘ リ シ 時 キ 、 古 ル ク ヨ リ 仕 マ ツ レ ル 橋 陳 如 ガ 先 ヅ 人 ト ヨ リ 先 キ ニ 被 度 シ ガ 如 ナ ラ ム ﹂ と 記 さ れ る 。 つ ま り 、 ﹁ 淨 飯 王 ノ 御 子 ﹂ (釈 尊 ) が 尊 子 と 、 そ の 最 初 の 弟 子 ﹁ 橋 陳 如 ﹂ が 為 憲 と が 類 比 さ れ る こ と で 、 尊 子 が 釈 尊 の 化 身 と し て 現 実 世 界 に 現 れ た こ と 、 そ し て

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ま ず 為 憲 を 最 初 に 浄 土 に 導 い て く れ る よ う 願 わ れ て い る 。 尊 子 は 菩 薩 の 化 身 と し て 、 衆 生 救 済 を 行 う と い う 点 に お い て 保 胤 の 願 文 と の 共 通 性 が み ら れ る 。 ま た 、 保 胤 が 書 い た も う 一 つ の 追 善 願 文 で あ る 、 寛 和 元 年 閏 八 月 二 日 に 花 山 女 御 藤 原 低 子 (藤 原 為 光 女 ) の ﹁ 大 納 言 藤 原 卿 息 女 女 御 の 為 の 四 十 九 日 願 文 ﹂ に は 慨 子 を 普 通 の 人 間 で は な か っ た と し て 次 の よ う に 述 べ ら れ る 。 弟 子 (為 光 ) 早 く 幽 霊 (慨 子 ) を 引 き 、 偏 に 極 楽 に 在 ら ん こ と を 。 弥 陀 尊 の 蓮 台 を 設 け 、 上 品 を 望 み 、 又 下 品 を 仰 ぐ 。 法 華 経 の 仏 果 を 説 く に 、 我 が 女 を し て 龍 女 に 異 な ら ざ し め ん 。 彼 は 即 身 な り 、 是 は 後 身 な り 。 こ こ で は 、 ﹁ ﹃ 法 華 経 ﹄ が ど の よ う す れ ば さ と り を ひ ら け る の か を 説 い て い る の を 見 る と 、 私 の 娘 (低 子 ) は 龍 女 と 同 じ で あ る と 説 い て あ る よ う に み え る 。 龍 女 は 即 身 成 仏 し た が 、 私 の 娘 は そ の 生 ま れ 変 わ り で あ る ﹂ と し て 、 慨 子 が 即 身 成 仏 を し た 龍 女 の ﹁ 後 身 ﹂ で あ る か ら に は 、 死 後 成 仏 し な い は ず は な い と 記 さ れ て い る の で あ る 。 こ の よ う に 保 胤 の 願 文 で は 、 天 皇 の 后 妃 を 菩 薩 の 化 身 も し く は 即 身 成 仏 し た 龍 女 の 後 身 と み な す よ う に 、 生 ま れ な が ら の 菩 薩 と し て 位 置 づ け て い る 。 し か し な が ら 保 胤 の こ れ ら 二 篇 の 願 文 に は 、 彼 女 た ち の 死 後 の 成 仏 に つ い て 記 さ れ て い る も の の 、 生 前 の 菩 薩 と し て の 救 済 活 動 に つ い て は 、 ほ と ん ど 記 さ れ る こ と は な い 。 当 時 の 女 性 の 生 活 が 文 章 と し て 叙 述 さ れ る こ と は ほ と ん ど な か っ た の で あ る が 、 こ れ ら の 願 文 は 彼 女 た ち が 宮 廷 社 会 で 教 化 者 と し て の 役 割 を 果 た し て い た こ と を 示 唆 し て い る の で あ ろ う 。 そ し て こ の よ う な 願 文 が 、 法 会 で 読 み 上 げ ら れ る こ と で 、 聴 衆 の 人 々 に は 、 菩 薩 が 今 ま さ に 自 分 た ち が 生 き て い る 現 実 社 会 に は た ら き か け て い る と 知 る よ う に な る の で あ る 。 こ う い っ た 意 味 で こ れ ら 二 篇 の 願 文 は 、 ﹃ 極 楽 記 ﹄ の 聖 徳 太 子 や 空 也 の 往 生 伝 の 叙 述 に 近 い と い う こ と が 指 摘 で き よ う 。 平 安 中 期 に お け る 在 家 者 の 仏 教 思 想 ー 慶 滋 保 胤 を 中 心 と し て 1 九 五

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仏 教 学 会 紀 要 一 一 号 九 六 お わ り に 以 上 、 一 〇 世 紀 後 半 を 代 表 す る 文 人 官 僚 ・ 慶 滋 保 胤 の 作 品 か ら 伺 え る 、 在 俗 者 が 作 り 上 げ て い っ た 独 自 の 仏 教 思 想 を 検 討 し て き た が 、 彼 の 仏 教 思 想 の 特 色 を 整 理 し て み る と 以 下 の よ う に な る だ ろ う 。 ( 一 ) 在 俗 者 の 仏 教 の あ り 方 。 こ れ に は 、 次 の よ う な 二 つ の 方 向 性 が あ る 。 ① ﹃極 楽 記 ﹄ に 著 わ さ れ た よ う に 、 聖 徳 太 子 を 理 想 と し た あ り 方 で あ る 。 こ れ は 政 治 家 と し て 仏 教 に も と つ く 善 政 を 行 う こ と に よ っ て 人 々 に 泰 平 と 安 楽 を も た ら す と と も に 、 宮 廷 社 会 の 人 々 を 教 化 し て 衆 生 救 済 の 指 導 者 に し て い く と い う 理 想 を 掲 げ る 。 ② ﹁ 池 亭 記 ﹂ に 叙 述 さ れ た よ う に 、 官 僚 と し て の 職 務 を 遂 行 し な が ら も 、 そ れ と 併 行 し て 仏 教 的 な 作 善 を 積 み 重 ね て 浄 土 往 生 を 実 現 し よ う と す る 生 き 方 。 ( 二 ) 出 家 者 の 仏 教 の あ り 方 で あ る 。 行 基 や 空 也 の よ う に 、 出 家 者 で は あ る が 寺 院 に 留 ま る こ と な く 積 極 的 に 人 々 と 接 触 し 、 利 他 行 と し て 数 々 の 奇 跡 や 現 世 利 益 を 与 え る と と も に 、 庶 民 た ち に も 浄 土 往 生 の 意 義 を 伝 え て い く と い う あ り 方 で あ る 。 ( 一 ) と ( 二 ) は 、 そ れ ぞ れ 別 々 に 活 動 す る の か と い う と そ う で は な く て 、 皇 族 や 貴 族 が 主 催 す る 法 会 と い う 場 で さ ま ざ ま な 階 層 の 人 々 を 対 象 と し て 教 化 を 行 い 、 と も に 作 善 を 行 っ て 浄 土 往 生 を 目 指 す と い う こ と で は 関 連 し て い る の で あ る 。 こ れ は 、 す で に 源 為 憲 が ﹃ 三 宝 絵 ﹄ で 提 示 し て い た 構 想 と も 一 致 す る 。 ﹃ 三 宝 絵 ﹄ は 上 ・ 中 . 下 巻 が そ れ ぞ れ 仏

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宝 ・ 法 宝 ・ 僧 宝 に 対 応 し て い る 。 仏 宝 11 上 巻 に は 釈 迦 の 前 生 譚 、 す な わ ち 釈 迦 菩 薩 の 利 他 行 が 著 さ れ て お り 、 在 家 者 に と っ て の 手 本 と な る べ き 実 践 が 叙 述 さ れ て い る 。 法 宝 H 中 巻 は ﹃ 日 本 霊 異 記 ﹄ か ら 化 身 が 現 れ る 説 話 の い く つ か を 引 用 す る こ と に よ っ て 、 法 身 の は た ら き は 、 現 実 世 界 の 中 で 奇 跡 が 起 き た り 化 身 が 現 れ た り し て 人 々 を 導 い て い く と い う 様 式 で 実 現 さ れ る 構 想 に な っ て い る 。 さ ら に 僧 宝 11 下 巻 に は 年 間 に 行 わ れ る 仏 教 法 会 が 紹 介 さ れ て い る が 、 こ れ は 寺 院 で 行 わ れ る 年 中 行 事 の 紹 介 だ け が 目 的 な の で は な く 、 経 典 講 説 と い う 形 で 仏 の 教 え を 聞 き 、 作 善 を 行 い 浄 土 往 生 を 目 指 す 場 と し て ど の よ う な 法 会 が あ る の か を 明 ら か に す る こ と を 目 的 と し て い る の で あ る 。 こ こ ま で 検 討 し た 保 胤 の 作 品 も 、 こ の 構 想 と 共 通 す る 思 想 を 持 っ て い る と い え る で あ ろ う 。 以 上 の よ う に 保 胤 の 作 品 に は 、 こ の 時 代 、 積 極 的 に 法 会 を 主 催 し て い っ た 貴 族 階 層 の 在 俗 者 た ち が 作 り 上 げ て い っ た 、 自 分 た ち を 主 体 と す る 新 し い 仏 教 の あ り 方 が 提 示 さ れ て い る の で あ る 。 註 ( 1 ) 慶 滋 保 胤 に つ い て の 近 年 の 論 究 と し て 、 小 原 仁 ﹃ 文 人 貴 族 の 系 譜 ﹄ (吉 川 弘 文 館 、 一 九 八 七 年 ) 、 後 藤 昭 雄 ﹁慶 滋 保 胤 ﹂ ( ﹃ 日 本 文 学 と 仏 教 ﹄ 第 一 巻 、 一 九 九 三 年 = 月 ) 、 平 林 盛 得 ﹃慶 滋 保 胤 と 浄 土 思 想 ﹄ (吉 川 弘 文 館 、 二 〇 〇 一 年 ) を 参 照 。 ( 2 ) ﹃ 恵 信 僧 都 全 集 ﹄ 第 一 巻 (比 叡 山 図 書 刊 行 会 、 一 九 二 七 年 ) ( 3 ) 佐 藤 哲 英 ﹃ 叡 山 浄 土 教 の 研 究 ﹄ (百 華 苑 、 一 九 七 九 年 ) に 翻 刻 と 当 時 の 浄 土 教 に お け る 位 置 づ け に つ い て の 検 討 が な さ れ て い る 。 ( 4 ) 勧 学 会 に つ い て の 代 表 的 な 論 究 と し て 、 桃 裕 行 ﹃ 上 代 学 制 の 研 究 ﹄ ( 目 黒 書 店 、 一 九 四 七 年 ) 、 速 水 侑 ﹃ 浄 土 信 仰 平 安 中 期 に お け る 在 家 者 の 仏 教 思 想 -慶 滋 保 胤 を 中 心 と し て ー 九 七

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仏 教 学 会 紀 要 一 一 号 九 八 論 ﹄ (雄 山 閣 出 版 、 一 九 七 八 年 ) 、 小 原 仁 ﹃文 人 貴 族 の 系 譜 ﹄ (前 掲 ) 、 西 村 冏 紹 ﹁ 勧 学 会 と 二 十 五 三 昧 会 ﹂ (﹃ 叡 山 学 院 研 究 紀 要 ﹄ 第 一 七 号 、 一 九 九 六 年 一 二 月 ) 等 を 参 照 。 (5 ) ﹁ 勧 学 会 記 ﹂ の 翻 刻 と 勧 学 会 の 復 元 的 考 察 を 行 っ た 論 考 に 後 藤 昭 雄 ﹁勧 学 会 記 に つ い て ﹂ ( ﹃ 国 語 と 国 文 学 ﹄ 一 九 八 六 年 六 月 号 ) が あ る 。 (6 ) 源 為 憲 に つ い て は 大 曾 根 章 介 ﹁ 源 為 憲 雑 感 ﹂ ( 馬 淵 和 夫 ・ 他 校 注 ﹃ 三 宝 絵 ・ 注 好 選 ﹄ 新 日 本 古 典 文 学 大 系 三 一 、 岩 波 書 店 、 一 九 九 七 年 ) 等 を 参 照 。 ( 7 ) 引 用 は 、 大 曾 根 章 介 ・ 他 校 注 ﹃本 朝 文 粋 ﹄ ( 新 日 本 古 典 文 学 大 系 二 七 、 岩 波 書 店 、 一 九 九 二 年 ) に 拠 る 。 ま た 原 文 は 漢 文 で あ る が 訓 読 を 施 し た 。 以 下 の 引 用 も 漢 文 で あ る 場 合 は 訓 読 を 施 し た 。 (8 ) ﹃文 粋 ﹄ 巻 第 十 一 。 ( 9 ) 坂 本 幸 男 ・ 岩 本 裕 訳 注 ﹃ 法 華 経 ﹄ 上 (岩 波 文 庫 、 一 九 七 六 年 ) 。 (10 ) ﹃ 三 宝 絵 ﹄ の 引 用 は 、 馬 淵 和 夫 ・ 他 校 注 ﹃ 三 宝 絵 ・ 注 好 選 ﹄ に 拠 る 。 ﹁ 狂 言 綺 語 ﹂ に つ い て は 、 柳 井 滋 ﹁ 狂 言 綺 語 観 に つ い て 1 白 楽 天 か ら 保 胤 へ の 屈 折 ー ﹂ (﹃ 国 語 と 国 文 学 ﹄ 第 三 九 巻 第 四 号 、 一 九 六 二 年 四 月 ) 、 高 橋 亨 ﹁ 狂 言 綺 語 の 文 学 ー 物 語 精 神 の 基 流 ﹂ ( ﹃日 本 文 学 ﹄ 第 二 八 巻 第 七 号 、 一 九 七 九 年 七 月 ) な ど の 論 考 が あ る 。 ( 11 ) ﹃ 文 粋 ﹄ 巻 第 十 二 。 ﹁ 池 亭 記 ﹂ に つ い て は 、 大 曾 根 章 介 ﹁ ﹃池 亭 記 ﹄ 論 ﹂ (山 岸 徳 平 編 ﹃ 日 本 漢 文 学 史 論 考 ﹄ 所 収 、 岩 波 書 店 、 一 九 七 四 年 ) を 参 照 。 ( 12 ) ﹁ 吏 穏 兼 得 ﹂ に つ い て は 、 後 藤 昭 雄 ﹁ 宮 廷 詩 人 と 律 令 官 ー 嵯 峨 朝 文 壇 の 基 盤 I ﹂ ( ﹃ 国 語 と 国 文 学 ﹄ 一 九 七 九 年 六 月 号 。 後 に 補 訂 さ れ ﹃ 平 安 朝 漢 文 学 論 考 ﹄ 桜 楓 社 、 一 九 八 一 年 に 収 載 ) や 、 藤 原 克 己 ﹁吏 穏 兼 得 の 思 想 -勅 撰 三 集 の 精 神 的 基 底 l ﹂ ( ﹃菅 原 道 真 と 平 安 朝 漢 文 学 ﹄ 東 京 大 学 出 版 会 、 二 〇 〇 一 年 ) を 参 照 。

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(13 ) 井 上 光 貞 ・ 大 曾 根 章 介 校 注 ﹃ 往 生 伝 ・ 法 華 験 記 ﹄ (日 本 思 想 体 系 七 、 岩 波 書 店 、 一 九 七 四 年 ) に よ る 。 (14 ) ﹃ 三 宝 絵 ﹄ 上 巻 に は 釈 尊 の 前 生 譚 と し て 、 国 王 ・ 修 行 者 ・ 王 子 ・ 長 者 ・ 童 子 ・ 動 物 な ど 様 々 な 形 に 身 を 変 え て 輪 廻 転 生 し て い っ た こ と が 語 ら れ て い る 。 輪 廻 転 生 を 繰 り 返 す な か で 、 釈 迦 は 利 他 行 を 行 い な が ら 悟 り へ と 近 づ い て い く が 、 ﹃ 三 宝 絵 ﹄ 中 巻 で は 冒 頭 に 聖 徳 太 子 の 説 話 が 配 さ れ 、 あ た か も 釈 尊 が 輪 廻 転 生 を し な が ら 化 身 と な っ て 、 聖 徳 太 子 と し て 生 ま れ た よ う な 叙 述 法 が さ れ て い る 。 (15 ) ﹃ 三 宝 絵 ﹄ 中 巻 の 行 基 伝 は 、 ﹃ 日 本 霊 異 tltt a d 中 巻 第 七 話 か ら の 引 用 で 、 す で に 行 基 は 文 殊 菩 薩 と し て 記 さ れ て い る 。 ﹃ 三 宝 絵 ﹄ の 行 基 は 、 む し ろ 菩 薩 と し て の は た ら き と し て 、 諸 国 を 遍 歴 し な が ら 社 会 事 業 ( 現 世 利 益 ) を 行 っ た こ と に 焦 点 を 移 し 、 そ れ を 詳 述 す る ﹃続 日 本 紀 ﹄ の 行 基 卒 伝 に み ら れ る 築 堤 や 造 寺 な ど の 行 業 を 追 加 し て 再 構 成 し て い る 。 (16 ) 空 也 に つ い て は 平 林 盛 得 ﹃聖 と 説 話 の 史 的 研 究 ﹄ (吉 川 弘 文 館 、 一 九 八 一 年 ) を 参 照 。 (17 ) ﹁ 如 来 使 ﹂ は ﹃ 法 華 経 ﹄ 法 師 品 に 出 て く る 言 葉 で あ る 。 坂 本 幸 男 ・ 岩 本 裕 訳 注 ﹃ 法 華 経 ﹄ 中 (岩 波 文 庫 、 一 九 七 六 年 ) 。 ( 18 ) 願 文 の 先 行 研 究 と し て 、 国 文 学 の 分 野 で は 、 渡 辺 秀 夫 氏 の ﹁ 願 文 の 世 界 ﹂ ( ﹃平 安 朝 文 学 と 漢 文 世 界 ﹄ 第 四 篇 勉 誠 社 一 九 九 一 年 ) 等 の 一 連 の 研 究 が 挙 げ ら れ る 。 ま た 拙 稿 ﹁ 平 安 仏 教 の 変 容 -菅 原 道 真 の 願 文 を 中 心 に l ﹂ ( ﹃日 本 宗 教 文 化 史 研 究 ﹄ 第 七 巻 第 一 号 、 二 〇 〇 三 年 ) 、 同 ﹁ 文 人 官 僚 が ︿ 書 く ﹀ と い う こ と 1 菅 原 道 真 の 願 文 を 中 心 と し て l ﹂ (﹃ ジ ラ テ ィ ー ヴ ァ ﹄ 第 三 号 、 二 〇 〇 三 年 三 月 ) で は 、 菅 原 道 真 が 編 纂 し た ﹃菅 家 文 草 ﹄ 所 収 の 願 文 を 検 討 し 、 天 皇 . 皇 族 の 願 文 に は 天 皇 が 死 後 菩 薩 と な っ て 衆 生 救 済 を 行 う こ と 、 ま た 貴 族 の 追 善 願 文 に は 、 親 族 が 立 て た 誓 願 を 遺 族 が 継 承 し 利 他 行 を 一 族 が 継 続 的 に 行 う こ と に よ っ て 、 一 族 の 者 が 次 々 と 浄 土 往 生 と 悟 り を 達 成 し 続 け る と い う プ ロ セ ス が 叙 述 さ れ て い る こ と を 考 察 し た 。 平 安 中 期 に お け る 在 家 者 の 仏 教 思 想 -慶 滋 保 胤 を 中 心 と し て ー 九 九

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仏 教 学 会 紀 要 一 一 号 1 0 0 ( 19 ) 女 人 往 生 の 問 題 に つ い て の 論 究 と し て 、 西 口 順 子 ﹃ 女 の 力 ﹄ ( 平 凡 社 、 一 九 八 七 年 ) 、 吉 田 一 彦 ﹁ 竜 女 の 成 仏 ﹂ (大 隅 和 雄 ・ 西 口 順 子 編 ﹃ 救 い と 教 え ﹄ シ リ ー ズ 女 性 と 仏 教 2 、 平 凡 社 、 一 九 八 九 年 ) 、 小 原 仁 ﹁転 女 成 仏 説 の 受 容 に つ い て ﹂ (﹃ 日 本 仏 教 史 学 ﹄ 第 二 四 号 、 一 九 九 〇 年 三 月 ) 、 平 雅 行 ﹃ 日 本 中 世 の 社 会 と 仏 教 ﹄ 、 (塙 書 房 、 一 九 九 二 年 ) 等 が あ る 。 ( 20 ) 尊 子 の 生 涯 に つ い て は 、 所 京 子 ﹃斎 王 和 歌 文 学 の 史 的 研 究 ﹄ (国 書 刊 行 会 、 一 九 九 一 年 ) を 参 照 。 ( 21 ) 山 本 幸 男 ・ 岩 本 裕 訳 注 ﹃法 華 経 ﹄ 下 (岩 波 文 庫 、 一 九 七 六 年 ) 。

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