Komazawa University 駒 澤 大 學 佛 教 學 部 論 集 第 二 十 二 號 平 成 三 年 十 月
十
二
巻
本
『正
法
眼
蔵
』本
文
の
成
立
時
期
に
つ
い
て
二 三 六石
井
清
純
Kom 三1z三1w三1 Umversrty は じ め に 十 二 巻 本 「 正 法 眼 蔵 』 の 書 写 は 、種
々 の 写 本 の懐
弉
の 識 語 に よ れ ば 、 そ の 多 く が 道 元 禅 師 没 後 の 、 建 長 七 年 の 夏 安 居 中 ( − ) に 行 な わ れ て い る こ と が 知 れ る 。 そ れ は 、 懐 弉 ・ 義 雲 ・ 義 演 等 の 手 に な る も の な の で あ る が 、 「 三時
業
」 の 巻 を 除 い て 、 ( 2 ) み な禅
師 滅後
に 行 な わ れ た も の な の で あ る 。 な お か つ そ れ は 、 多 く禅
師 の 推 敲修
訂 を 経 る こ と の な い 草 案 本 で あ り、 ま た示
衆
奥
書
に 関 し て も 、 「 袈 裟 功 徳 」 と 、 発菩
提 心 L 以 外 に は 、 こ れ を 見 出 だ す こ と が で き な い の で あ る 。 し か も こ の 二巻
は 、内
容
お よ び表
題 の 類 似 す る 、 「 伝 衣 」 の お よ び 七 十 五巻
本 「 発菩
提 心 ( 発 無 上 心 ) 一 と 、 そ れ ぞ れ 同 日 の 示 衆 を 記 し て い る も の で あ っ て 、 十 二 巻 本 に 見 ら れ る 内 容 が 、 そ の 当 日 に 大 衆 に 示 さ れ た と は 考 え に く い も の で あ る 。唯
一 そ の 撰 述年
月 日 が 独 自 に 示 さ れ る 「 八 大 人覚
」 に し て も 、 そ れ は 「 建 長 五年
正 月 六 日 、 書 于 永 平寺
」 ( 大 久 保 道 舟 博 士 編 「 道 元 禅 師 全 集 』 上 ・ 七 二 六 頁 ) と あ っ て 、 示 衆 の 記録
は見
ら れ な い の で あ る 。 し か し 、 本 論 の 目 的 は 、 示 衆 の有
無 お よ び そ の 形 態 を論
じ る こ と で は な い 。 少 な く と も 、 禅師
の 手 に よ っ て起
こ さ れ た 本 文 が 存在
す る 以 ヒ 、 そ こ に は ど の よ う な形
に し ろ、 対象
に 向 か っ て 、 自 己 の 意識
を 示 す意
図 が 存在
し た こ と は 確 実 と 考 〔 3 ) え る か ら で あ る 。 こ こ で 問 題 な の は 、 そ れ が い っ た い い つ ご ろ 成 立 せ し め ら れ た の か と い う こ と で あ る 。 筆者
は 、先
に 「 道 元撰
新 草 十 二巻
本 『 正法
眼
蔵 』 の性
格
に つ い て 一 ( 同 財 団 法 人 松 ヶ 岡 文 庫 研 究 年 報 』 第 五 号、 一 九 九 一 年 三 月 ) と 題 し た 論考
に お い て 、 『 永 平 広録
」 上堂
と の 内容
的 関 連 か ら、 か な り 大 雑把
で は あ る が 、 そ の 時期
に つ い て 論 及 し た こ と が あ る 。 そ れ は 主 に 、 十 二巻
本系
諸巻
の 撰述
は 、建
長 二 年 の 、波
多 野 氏 に よ る 永 平寺
へ の 大 蔵 経寄
進
以降
の こ と でKomazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty は な か っ た の か 、 と い う も の で あ っ た。 本 論 は 、 そ の 内 容 を
受
け る 形 で 、 十 二巻
本 っ 正 法 眼蔵
』 に 収録
さ れ る 個 々 の巻
に つ い て、 そ の 成 立時
期 を絞
り 込 む こ と を 目 的 と し た も の で あ る 。 そ れ に 際 し て 一 言 申 し 添 え た い の は 、 こ れ を 、 十 二巻
本
と い う 一 つ の 体系
の 成 立 と し て 捉 え る も の で は な い と い う こ と で あ る 。 こ こ で は あ く ま で 、 そ れ ぞ れ の本
文 内容
が ど の よ う な過
程 で 成 立 し た か と い う 興 味 に限
定 し て考
察
を進
め て行
く こ と に し た い 。 一 ま ず 最初
に 、 十 二 巻本
全 体 か ら 見 た 撰 述時
期 の 幅 に つ い て考
え て み る こ と に す る 。 最 も 広 い 範 囲 で 見 れ ば 、 そ れ は 「 袈 裟 功徳
」 の 示衆
奥書
を 信 用 す る か ぎ り に お い て 、 仁 治 元年
2
二 四 〇 ) 開 冬 日 か ら 、 「 八 大 入覚
」 の書
さ れ た建
長 五 年 ( 一 二 五 三 ) 一 月 六 日 ま で の 、 お お よ そ 十 二 年 四 ヵ 月 間 と な る。 そ の よ う に 考 え る と 、 そ れ は 当然
の ご と く、 禅 師 が 最 も 精 力 的 に 仮名
「 正法
眼 蔵 」 の 示 衆 撰述
を 行 な っ て い た 時期
と も 一 致 す る こ と に な り。十
二 巻 本 の撰
述 は 、 そ の他
の 諸巻
と同
時 並 列 し て 行 な わ れ て い た こ と に な る 。 河 村 孝 道博
士 は 、 『 正 法 眼蔵
の 成 立史
的
研 究 』 ( 一 九 八 七 年、 十 二 巻 本 『 正 法 眼 蔵 』 本 文 の 成 立 時 期 に つ い て ( 石 井 ) 春 秋 社 ) 第 二章
「 「 正法
眼 蔵 」 親輯
試 論 L に お い て 、道
元禅
師
の 『 正 法眼
蔵 』編
集 は、始
め に暫
定
的
結集
本 と し て 六十
巻
本 が 存 在 し 、 そ こ か ら 第 一 義 諦 と し て の 七 十 五巻
本 と、第
二義
門
のt
二巻
本 が 編集
さ れ た と さ れ る が 、 こ れ は 、 十 二巻
本
と 七 十 五 巻本
と を 並 立 さ せ る こ の 解釈
に 基 づ い た も の と言
え る で あ ろ う 。 し か し な が ら 、 先 に も述
べ た よ う に 「袈
裟 功徳
」 の 示衆
年
月 日 は 「 伝衣
一 の そ れ と同
日 で あ り、 ま た こ の 両 者 は 、 そ の 内容
的類
似性
か ら 、後
者 は 前者
を 、禅
師 の 置 か れ た 立 場 や環
境等
の 種 々 の要
請
に よ っ て書
き 換 え ら れ た も の で は な い か と ( 4 ) の指
摘
も 存在
す る 。 な お か つ 十 二 巻 本 は 、 そ の 内 容 的 な連
関
性 か ら 、 か な り 短期
間 に 集 中 的 に撰
述
さ れ た 可能
性
が高
く 、 こ れ ら の 点 で、 「 八 大 人 覚 」 の奥
書 に 基 づ く 終 了 時 期 は と も か く 、 少 な く と も そ の 撰述
の 開 始 を 入 越 以 前 に 設定
し う る 可 能 性 は 極 め て薄
い と 思 わ れ る 。 そ こ で 次 に考
え ら れ る も の が 、開
始 時期
を 七 十 五 巻 本 の 第 七 十 五 番 目 に 位 置 す る 「 出家
」 の 巻 の 示 衆 、 即 ち 寛 元 四年
( 一 二 四 六 ) 九 月 十 五 日 以 降 に 設 定 す る こ と で あ る 。 こ れ は 、 二 十 八巻
本
『 秘 密 正法
眼蔵
』 後 冊 の識
語 に 、 「 右 ( 5 ) 出家
後 有 御龍
草 本 、 以 之 可書
改 之、 仍 可 破 之 」 ( 『 永 平 正 法 眼 蔵 蒐 書 大 成 』 巻 一 、 九 五 三 頁 下 段 ) と あ り 、 こ の 「龍
草 」 を 「 出 家 功 徳 」 と 解 釈 す る こ と に よ り 、 そ の 撰 述 が 「 出 家 」 の 二 三 七Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty 十 二 巻 本 『 正 法 眼 蔵 』 本 文 の 成 立 時 期 に つ い て ( 石 井 ) 巻 の 再 治
修
訂 と し て行
な わ れ た と解
釈 で き る こ と に よ る の で あ る。杉
尾
玄 有 氏 は 、 「 道 元 の自
己透
脱 の 御 生 涯 と 田 正 法 眼 蔵 』 の 進 化 」 ( − 宗 学 研 究 』 第 二 七 号、 一 九 八 五 年 ) に お い て 、 こ の 「 出家
」 の 巻 の 破 棄 と い う 表 現 か ら 、禅
師 の 「 正法
眼 蔵 』 撰述
は 、 こ の 巻 を 「 出家
功徳
」 に 書 き 改 め る こ と か ら 、 十 二巻
本
へ と 連 な り 、 そ れ 以 降 、 旧 草 が 順次
書 き 改 め ら れ つ つ接
続 さ れ 、 百巻
が成
立 し て ゆ く は ず だ っ た の で は な い か と 推 測 さ れ て い る。 こ れ は さ ら に 、 「 出家
」 の巻
冒
頭 の 『 禅 苑 清 規 』巻
一 受 戒 章 よ り の 引 用 文 お よ び そ の拈
提 が 、 「 出 家 功徳
」 と 「受
戒
」 の巻
の そ れ ぞ れ の 主 題 に 則 っ て 分 割 さ れ て い る こ と に よ っ て も 裏付
け ら れ る。 以 上 に よ り 、 「 出 家 功 徳 」 お よ び 「 受 戒 」 の 両巻
は 、 寛 元 四 年 の 「出
家 」 の巻
を 「 書 き 改 め 」 る こ と に よ っ て 成 立 し た こ と は まず
間 違 い な く 、 そ の 点 で 、 そ れ を第
一 に 置 く 十 二 巻 本 『 正法
眼
蔵 』 諸巻
の 成 立 も 、 こ れ 以 降 に限
定 で き る の で は な い か と考
え ら れ る の で あ る 。 た だ し 筆 者 は 、 杉 尾氏
の 言 わ れ た よ う に 、 「 出家
」 の 巻 が 消 え 去 る は ず の も の で あ っ た と は考
え な い 。 そ の 理 由 の 一 つ は 、 そ の 「書
き 改 め 」 に際
し て、禅
師
が あ え て巻
の名
称
を、 「 功徳
」 の 文 字 を 付 加 す る こ と に よ っ て 変 更 し て い る こ と に よ る 。 二 三 八禅
師 が 一 度 示衆
さ れ た巻
に 修 訂 を 施 し つ つ再
示 衆 を す る場
合 、 「 大悟
」 や 「 洗 面 」等
の 巻 に お い て は 、 け っ し て そ の巻
名
は 変 更 さ れ て い な い の で あ っ て 、 そ の こ と か ら考
え れ ば 、 こ の 両 巻 の問
に は 、 あ る 程 度 の 目 的意
識 の 違 い が存
在 し た と解
釈 で き る の で あ る。 さ ら に 、 こ の 秘 密本
に お け る 懐弉
の 識 語 が 、 そ の 記 録 形態
な ど か ら 、道
元禅
師 の意
向 を ど れ ほ ど 忠 実 に 反映
し た も の で あ る の か が 判 断 し 難 い こ と も そ の解
釈 に 従 う こ と を躊
躇 す る 〔 6 ) 要 因 と 言 え よ う 。 さ て、 と も か く も 、編
集 論 は 別 と し て、 こ れ を も っ て 十 二巻
本 諸 巻 の 本 文成
立 の 最 も早
い 時期
を設
定
し え た の で あ る が 、 『永
平 広録
』 上 堂 や 、 あ る い は そ の他
の著
述類
か ら 、 こ れ を さ ら に 晩年
に 設定
す る こ と も可
能 な の で あ る 。 柴 田 道 賢 氏 は 「 正 法 眼蔵
の 編集
に つ い て − 特 に 道 元 禅 師 の 親集
を 中 心 と し て 」 ( 『 宗 教 学 論 集 」 第 六 輯、 一 九 七 三笙
、 一 月 ) に お い て 、 ま ず そ の撰
述 の動
機 を 、宝
治
元年
( 一 二 四 七 ) の 鎌倉
行
化 の 不 成 功 に 置 き 、 具 体 的 な 成 立 は 、 司永
平 広録
』 巻 五 ・ 第 三 八 → 上 堂 に て 説 か れ る 、 福 増長
者 の 出 家 功 徳 の 因 縁 と 「 出 家 功 徳 」 の 巻 と を 関連
づ け て 、 そ の 上 堂 の行
な わ れ た建
長 二 へ ゴ年
六 月 頃 の 撰 述 と さ れ る。 そ し て 、 ま た こ れ を 、経
典 を多
用
す る と い う 引 用 形態
か ら 、 同 じ 建 長 二 年 の 、 波 多 野 義 重 の永
平
寺 へ の 大 蔵経
の奉
納 と の 関 連 も 示 唆 さ れ て い る の で あ る 。Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty
先
に 示 し た拙
論 は 、 こ の柴
田氏
の意
見 と極
め て 近 い も の と ( 8 ) い え る 。 し た が っ て 、 以 下 で は 、 こ れ を多
く意
識
し つ つ 、 さ ら に個
々 の 巻 に つ い て 、 そ の 成 立年
次 を 具 体 的 に考
察 し て ゆ く 形 を 取 る こ と に し た い 。 以 下 に 、 巻次
を 追 っ て考
察 を 進 め て ゆ く こ と に す る 。出
家
功 徳 こ の 巻 は 、先
に も 少 し触
れ た よ う に 、 「受
戒 」 の巻
と 共 に 、 「 出 家 」 の 巻 よ り 分割
増
訂
さ れ た も の と 考 え ら れ る 。 よ っ て そ の成
立 は、 「 出 家 」 の巻
が 示 衆 さ れ た 寛 元 四 年 九 月 十 五 日 以 降 と い う こ と に な る。 さ ら に 『 永 平 広録
』 巻 五 ・ 第 三 八 一 上 堂 と の関
連 で 見 れ ば 、 そ の 年 代 は さ ら に 下 る こ と に な ろ う 。 こ の 長 文 の 上 堂 は、 先 に も 示 し た よ う に 、 既 に引
用 経 典 の 点 か ら の コ 出 家 功 徳 L と の 深 い 関 連 が 指 摘 さ れ て い る も の で あ る 。 こ れ に 対 応 す る 「 出 家 功徳
」 の 巻 の内
容 は 、 『 賢 愚 因 縁 経 』 巻 四 「 出家
功 徳 尸利
什 必提
品 」 よ り の 、 出 家 の 功徳
無量
な る こ と を 示 す引
用 の 後 に 「 世 尊 あ き ら か に 功徳
の 量 を し ろ し め し て 、 か く の ご と く校
量 し ま し ま す 。 福増
こ れ を き き て 、 一 百 二 十 歳 の 耄 及 な れ ど も 、 し ひ て 出 家 受 戒 し 、 少年
の 十 二 巻 本 『 正 法 眼 蔵 』 本 文 の 成 立 時 期 に つ い て ( 石 井 )席
末 に つ ら な り て修
練 し 、 大 阿羅
漢
と な れ り L ( 大 久 保 道 舟 博 〔 9 ) 士 編 『 道 元 禅 師 全 集 』 上 巻 ・ 六 〇 七頁
) と い う も の で あ る 。 こ の 福 増 出家
の 因 縁 を 、第
三 八 一 上 堂 で は 、 同 じ 『賢
愚 因縁
経 』 巻 四 か ら の 引 用 を 以 て 極 め て 詳細
に示
し て い る の で あ っ て 、 こ れ に よ っ て 前者
が 後者
を踏
ま え つ つ 行 な わ れ た 可 能 性 が 示唆
さ れ る の で あ る 。 『 永平
広 録 』 に収
録
さ れ る 上 堂 は 、 仮 名 『 正 法 眼蔵
』 諸巻
と違
い 、 大衆
に 口頭
で 示 さ れ た後
、即
座 に 文 章 化 さ れ た と は 考 え に く い 。 語 録編
集
の 慣 例 か ら 言 え ば 、 そ の 成 文 化 は 禅 師 没 後 の可
能 性 が 高 い の で あ る が 、 こ の 上 堂 の よ う な長
文 の 引 用 を 有 す る も の に関
し て は 、 上堂
に当
た っ て の 下 書 き が 存 在 し た こ と が 予 想 さ れ る 。 従 っ て 、 上堂
の 後 、 継 続 的 に 大 衆 に 示 さ れ る こ と は な く と も 、禅
師 自身
の 「 出 家 功 徳 」 執 筆 に 際 し、 手 元 に 存在
し た そ れ を 参考
に し た こ と は 十 分考
え ら れ る こ と で あ る 。 そ の 点 で 、 「 出家
功
徳 」 の 本 文 成 立 を こ の 上堂
の後
と推
測 さ れ る 柴 田 道 賢 氏 の説
は妥
当
な も の と言
え よ う 。 た だ し 、 柴 田 氏 は 、 そ れ を 建長
二 年 五 月 頃 と さ れ る が 、 伊藤
秀 憲 氏 弓 永 平 広 録 』説
示年
代
考
L ( 『 駒 沢 大 学 仏 教 学 部 論 集 』 第二
号、 一 九 七 五 年 一 〇 月 ) に よ れ ば 、 そ れ は 同 年 七 月 前後
( 10 ) で あ る 。 因 み に 、 寺 田透
氏 ・ 水 野弥
穂 子 氏 校 注 『 日 本 思 想 大系
13
道 元 ( 下 ) 』 ( 岩 波 書 店、 一 九 七 二 年 二 月 ) の 巻 末 出 典 一 覧 で は 、 二 三 九Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty 十 二 巻 本 『 正 法 眼 蔵 L 本 文 の 成 立 時 期 に つ い て ( 石 井 ) 「 出
家
功 徳 」 の こ の 一節
の 出 典 を 『 永 平 広 録 』 の こ の第
三 八 〔 11 ) 一 上 堂 と さ れ、 こ の 巻 の成
立 に 同 様 の解
釈 を 示 さ れ て い る 。 以 上 の よ う に 見 れ ば 、 「 出 家 功徳
」 は 、 寛 元 四 年 の 出 家 L の 巻 の 示 衆 の後
、 約 四 年 を 経 て 成 立 し た と解
釈 で き る の で あ る 。 次 に も う 二 例 、 建 長 年間
に 行 な わ れ た 上 堂 で 、 こ の巻
と関
連 す る も の を 示 し て お く こ と に す る。 ○ 巻 六 ・ 第 四 三 〇 上 堂 A 建 長 三 年 四 月 下 旬 か ら 五 月 中 ∀ 二 卜 五 有 に 流 転 す る 際、 も っ と も 得 が た き 事 あ り。 い わ ゆ る、 生 れ て 仏 法 に 値 う な り。 既 に 仏 法 に 遇 え ど も 、 菩 提 心 を 発 す こ と 、 ま た も っ と も 難 し。 既 に 仏 法 を 得 れ ど も、 親 を 捨 て て 出 家 す る こ と 、 ま た も っ と も 得 が た し。 既 に 親 を 捨 て て 出 家 す る こ と を 得 れ ど も、 ま た 六 親 を 引 導 し て 仏 道 に 入 ら し む る こ と 、 ま た も っ と も 難 し 物 9 の 鏡 島 元 隆 博 上 校 注、 春 秋 社 刊 『 道 元 禅 師 全 集 』 巻 四 ・ 一 五 頁 ) こ の 上 堂 で は 、入
間 の 生 涯 で 「 も っ と も得
難 き こ と 」 が 列 挙 さ れ て い る が 、 こ の う ち 「 菩 提 心 を 発 す る こ と 」 以外
は 、 み な 「出
家 功徳
」 の 巻 の 次 の 一節
に述
べ ら れ る も の で あ る。 す で に う け が た き 人 身 を う け た る の み に あ ら ず、 あ ひ が た き 仏 法 に あ ひ た て ま つ れ り。 い そ ぎ 諸 縁 を 抛 捨 し、 す み や か に 出 家 学 道 す べ し. ( ヒ ・ 六 一 六 ) ま た 、 さ ら に こ の 上 堂 の こ の 後 の 内 容 も 、 『普
燈
録
』 巻 一 慧能
章
よ り 、 五 祖 下 に お け る 得法
の後
に 六祖
慧 能 が 親 を 捨 て 一 四 〇 て 出 家 し た 因 縁 を 引 き 、 そ れ を 賛 嘆 す る も の と な っ て お り 、 「 出家
功徳
」 の巻
を 予 想 す る に 充 分 な 内 容 と い え る 。 ま ず こ れ を も っ て 、 「 出 家 功 徳 」 は 、 建 長 二 年 秋 頃 か ら 翌 三 年 に か け て、 そ の 本文
が 形成
さ れ て い っ た も の と 考 え ら れ る の で あ る が 、 以 上 に 示 し た も の と は 別 に 、 こ れ と 同様
、 今 の 世 に 人 身 を 受 け た 幸 を 述 べ る 上 堂 が 、 数多
く 指摘
で き る の で あ る 。 へ 12 ) そ れ は ま ず 、 第 三 八 一 上堂
の 直 後 に 続 く 第 三 八 三 上堂
と、 建 長 三 年 九 月 に 行 な わ れ た 「 仏祖
の 大 道 を参
学
す る に 、 人 道 ま ま こ れ 最 れ た り 。 一. 一 州 こ れ機
な り 、畜
生 間 に あ り 」 ( 巻 四 ・ 四 五 ) と い う書
き出
し て 始 ま る 、 巻 六 ・ 第 四 五 七 上堂
で あ る。 ま た さ ら に 、 建 長 四 年 三 月 の 、巻
七 ・第
四 九 一 上 堂 冒頭
に も 「 流 転 生 死 の 中 に 、 如 来 の 出世
に 遇 う 、最
第 一 の 果 報 な り。 … ( 中 略 ) … 正 法 ・像
法 に 値 わ ず と い え ど も 、 な お 仏法
未 滅 の 末 法 に 生 れ値
う 、 こ れ 則 ち 世 の憂
曇 華 、 人 の芬
陀 利華
な り 。 輪 王 に 比 せ ず、 北 州 に 比 せ ず。 既 に 遇 い 逢 う こ と を得
た り 、 も っ と も 真 実 に 修 行 弁 道 す べ き の 時 な り 。 先達
の覓
む る と こ ろ は 、 た だ 正 見 の み な り 」 ( 巻 四 ・ 七 三 ) と い う 記 述 が 存 在 す る の で あ る 。 こ の 末 尾 は 、 邪見
を 排 斥 す べ き こ と を多
く 述 べ る 「 四禅
比 丘 」等
に も 関 連 す る も の と も い え る が 、 と も か く 、 第 三 八 一 上 堂 以 降 、 内 容 的 に 類 似 す る ヒ 堂 が 定期
的 に 行 な わ れ て い る の で あ る。 そ し て最
も 注 目 す べ き は 、 そ れKomazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty が、 最 終 的 に は 、
十
二 巻 本 の末
尾 を 結 ぶ 「 八 大 人 覚 」 の 巻 へ と連
な っ て い る こ と で あ る。 そ れ は 「 八 大 人 覚 」 の次
の 一 節 に 明 ら か で あ る 。 仏 法 に あ ひ た て ま つ る こ と、 無 量 劫 に か た し。 人 身 を う る こ と ま た か た し , た と ひ 人 身 を う く る と い へ ど も、 三 州 の 人 身 よ し 。 そ の な か に 南 州 の 人 身 す ぐ れ た り 、 見 仏 聞 法 、 出 家 得 道 す る ゆ ゑ な り。 ( 上 ・ 七 二 丘 〜 六 ) 以 上 か ら考
え る に 、 「 出 家 功徳
」 の 本 文 は 、 そ の成
立 段 階 で 、 既 に 「 八 大 人覚
」 ま で を意
識
し つ つ 形 成 さ れ て い っ た 可 能 性 を 指摘
で き る の で あ る。 ま た そ の他
、 第 四 三 〇 上 堂 で 、 「 出 家 功 徳 」 の内
容 に 該 当 し な か っ た 「 菩 提 心 」 の 記 述 は 、 当 然 「発
菩提
心 」 の巻
と の 関 連 を 予 想 さ せ る も の で あ り 、 巻 の 内 容 か ら 見 れ ば 、 「 六親
を 引 導 し て 仏 道 に 入 ら し む る こ と 」 も 、同
じ く 「 発 菩 提 心 」 を意
識 し た も の と解
釈 す る こ と も 可 能 と な ろ う 。 た だ し 、 こ こ で 「 菩提
心 を発
す 」 こ と と 「 出 家 す る 」 こ と の 順 序 が 逆 と な っ て い る が 、 こ れ は 、 こ の 記 述 の 後 に 引 か れ る 六祖
の 出 家 に 至 る 経 緯 の 特殊
事情
に 合 わ せ た た め と 考 え ら 〔 13 ) れ 、 基 本 的 に は 「 仏 法 を 得 る 」 こ と は 「 出 家 」 の後
に位
置
す る も の と考
え て 問 題 な い と 思 わ れ る 。 ま た も う ひ と つ 、 こ の 上 堂 で は 、 長 文 の引
用 が 、門
鶴 本 に お い て 、 一 箇 所 を除
い て 完 全 に 原 典 と 一 致 す る こ と が 指 摘 さ 十 二 巻 本 っ 正 法 眼 蔵 』 本 文 の 成 立 時 期 に つ い て ( 石 井 ) ( 14 ) れ て い る 。 そ の 一 箇 所 と は 「 見性
」 の 語 で あ っ て 、 こ れ が 一 仏 性 L に 置 き換
え ら れ て い る の で あ る 。 こ れ は 見 性 の語
の存
在 ゆ え に 『 六祖
壇 経 』 を偽
経 と し て 退 け る 「 四禅
比 丘 」 の内
容 を意
識 し た も の と 解 釈 で き 、 そ の 点 で、 こ の 上 堂 が行
な わ れ る 以 前 に 「 四 禅 比 丘 」 の 巻 が 成 立 し て い た 可 能 性 を 示 す も の と 言 え る の で あ る 。 十 二 巻 本 と い う 体 系 の成
立 に つ い て は 、 ま た 稿 を 改 め て論
及
す る 所 存 で あ る が 、 こ こ で 大 胆 な憶
測 が 許 さ れ れ ば 、 以 上 の こ と か ら 、建
長 二年
秋
か ら 三 年 に か け て、 「 出 家 功徳
」 の巻
の 成 立 と ほ ぼ 同 時 期 に 、十
二 巻 本体
全 の 骨 子 が 形 成 さ れ て い た と も 推測
で き る の で は な い か と 思 わ れ る の で あ る。 た だ し 、 全 巻 の 内 容 の す べ て が こ の時
期 に 集 中 し て成
立 し た と は考
え ら れ な い 。 ま た 、 本 文 成 立 が こ の時
期 で あ っ た と し て も 、 そ こ に 至 る ま で の間
に 、 禅師
に お い て 、 撰 述 に 至 る準
備
段 階 の存
在 し た 可能
性 も 指 摘 で き る の で あ る 。 こ れ は 、 こ の 「 出 家 功徳
」 の巻
が 、 書 写 段 階 に お い て 、懐
弉
に よ っ て 「 草案
」 ( 秘 密 本 奧 書 ) と さ れ た も の で あ る と い う こ と に も よ る 。即
ち 、 本 文 の 内 容 は 、 懐 弉 に と っ て も 、 け っ し て確
定 さ れ た も の て は な か っ た と い う こ と に な る の で あ る 。 こ の こ と に つ い て は 、他
の巻
に つ い て の考
察 の後
に 再 び 触 れ る こ と に す る 。 二 四 一Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty 十 二 巻 本 『 正 法 眼 蔵 』 本 文 の 成 立 時 期 に つ い て ( 石 井 ) 受 戒 次 に 「 受 戒 」 の
巻
で あ る が 、 こ れ に つ い て は 、 『永
平 広録
』 上 堂 と の 具 体 的 関連
性
は 見 出 だ せ な か っ た 。唯
一 そ の 成 立 年 次 を 予 想 で き る の は 、 「 洗 面 」 の巻
と の 内 容 的 関 連 で あ る 。 以 下 に そ の 対 応 部 分 を 示 し て み る 。 「 受 戒 」 そ の 応 受 菩 薩 戒 の 儀、 ひ さ し く 仏 祖 の 堂 奥 に 参 学 す る も の か な ら ず 正 伝 す、 疏 怠 の と も が ら の う る と こ ろ に あ ら ず 。 そ の 儀 は 、 か な ら ず 祖 師 を 焼 香 礼 拝 し 、 応 受 菩 薩 戒 を 求 請 す る な り. す で に 聴 許 せ ら れ て 、 沐 浴 清 浄 に し て、 新 浄 の 衣 服 を 著 し、 あ る い は 衣 服 を 浣 洗 し て 、 華 を 散 じ、 香 を た き 、 礼 拝 恭 敬 し ブ 丶 そ の 身 に 著 す 。 あ ま ね く 形 像 を 礼 拝 し 、 三 宝 を 礼 拝 し、 尊 宿 を 礼 拝 し 、 諸 障 を 除 去 し、 身 心 清 浄 な る こ と を う べ し 。 そ の 儀、 ひ さ し く 仏 祖 の 堂 奥 に 正 伝 せ り。 ( 上 ・ 六 二 〇 ) 「 洗 面 一 ( 乾 坤 院 本 ) 仏 法 僧 を 供 養 し た て ま つ ら ん と す る に は、 も ろ も ろ の 香 を と り き た り て は、 ま つ み つ か ら が 両 手 を あ ら ひ、 嗽 凵 洗 面 し て 、 き よ き こ ろ も を 著 し 、 き よ き 盤 に 浄 水 を う け て 、 こ の 香 を あ ら ひ き よ め 、 し か う し て の ち に 仏 法 僧 の 境 界 に は 供 養 し た て ま つ る な り. ( 上 ・ 四 二 七 ) こ こ に あ え て 乾 坤 院 本 の 「 洗 面 」 の 巻 を挙
げ た の は 、 そ れ が 建 長 二 年 の 一 月 十 一 日 の 第 三 回 目 の 示 衆 に際
し て の修
訂
の ( 15 ) 跡 形 を 残 し て い る と 思 わ れ る か ら で あ る 。 そ し て 「受
戒
」 の 二 四 二巻
の菩
薩
戒 を 受 け る に 際 し て の 三 宝 供養
の 作法
と 、 「洗
面 」 の巻
の そ れ と は 完 全 に 一 致 す る 。 そ の 中 で も、 特 に 注 目 さ れ る の は 、 衣 服 に 関 す る 記 述 で あ る 。 こ れ は 建 長 二年
の 示衆
に い た っ て 始 め て 挿 入 さ れ た も の な の で あ る が 、 そ の 部 分 が 一 致 し て い る と い う こ と は 、 「 受戒
」 の巻
が 「 洗 面 」 の巻
の 修 訂 作 業 を 踏 ま え つ つ成
立 し た も の で あ る こ と を 示 し て い る と 考 え ら れ る の で あ る 。 よ っ て 、 「 受 戒 」 の巻
の 成 立 は 、 建 長 二 年 一 月 以 降 と い う こ と に な る で あ ろ う。 た だ し 先 に も述
べ た よ う に 、 「受
戒 」 の 巻 は 「出
家功
徳
」 の 巻 と 共 に 「 出 家 」 の巻
か ら 分 割修
訂
さ れ た も の と解
さ れ る の で あ る か ら 、 実 際 は 「洗
面 」 の 巻 の 示 衆後
、 若 干 の 期間
を 置 い て の 成 立 と 思 わ れ る 。 し か し、 こ の 時 点 で 、 「 受 戒 」 撰述
の 構 想 が存
在
し た 可能
性
は 、 か な り 高 い と 考 え ら れ よ う。 そ の 他 に も 、 こ の 部 分 の 記 述 は 、 「 受戒
」巻
と は 別 に 、 三 宝供
養 を 述 べ る も の と し て 、 「 帰 依 仏 法僧
宝 」 の 巻 と 、 ま た 先 程 問 題 と し た 乾 坤 院本
独 自 の 内 容 は、 そ れ に続
く 阿 那婆
達
池 の喩
え と 共 に 「 袈 裟 功徳
」 と 関 連 し て く る。 そ の 意味
か ら 、 こ の 「洗
面 」 の 巻 の異
例 の第
三 示 衆 は 、 十 二巻
本 の 撰 述時
期 と 交 錯 し つ つ 、 そ の性
格 に 以外
に 深 く 関 わ っ て い る の で は な い か と も 思 わ れ る の で あ る 。Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty 袈
裟
功 徳 こ の巻
は 、 洞 雲 寺本
に 「 と き に仁
治 元 年庚
子開
冬 日在
観
音
導 利興
聖
宝
林
寺 示 衆 一 ( 『 永 平 正 法 眼 蔵 蒐 書 大 成 匹 巻 六 ・ 四 〇 八 頁 下 段 〜 九 頁 上 段 ) と い う 示衆
奥
書
が 存 在 す る 。 し か し こ れ は、内
容 的 に極
め て 類 似 し た 、 旧 草 の 「 伝 衣 」 の巻
と 同 日 の示
衆 を 記 す も の で あ つ て 、 こ れ が そ の ま ま 「 袈裟
功徳
」 の巻
の 示 衆 日 で あ る と は 考 え に く い 。 水野
弥
穂 子 氏 も 「 伝 衣 か ら袈
裟 功徳
へ 」 ( 『 宗 学 研 究 』 第 三 一 号 、 一 九 八 九 年 三 月 ) に お い て 、 旧草
の 「 伝衣
」 が 、禅
師 の 修 訂 を経
て 「 袈裟
功
徳 」 と な っ た と さ れ 、 そ の作
業
の 方 向性
を 具 体 的 に考
察
さ れ て い る。 そ し て そ こ か ら 、水
野
氏 は こ の 修 訂 の契
機
の 一 つ に 、 建 長 二 年 の 波 多 野 氏 に よ る 大 蔵 経 の 安置
を 挙 げ ら れ て い る 。 こ れ は 実 に 興 味 深 い御
指
摘
と い え る 。 そ こ で 以 下 で は 、 そ の 修訂
傾
向 を 中 心 に し て 、 成 立時
期 を 考察
す る 方向
で 論 じ て み る こ と に し た い 。 水 野氏
が 具 体 的 に指
摘 さ れ る 修訂
傾 向 は 、 一 般 の 日常
生 活 に 具 体 性 を持
た な い 内 容 の 削除
。 袈裟
の 体色
量 が 具 体 的 に 文 献 を 以 て 証 明 さ れ る。 と い う 二 点 で あ る が 、 私見
に よ れ ば 、 こ れ は じ つ に 「 洗 面 」 の巻
の 二系
統 の 写 本 の 、本
文 の 相違
と 極 め て 類 似 し て い る の で あ る 。 こ の 二系
統
の 写 本 は 、 内 容 的 に 対 校 を 許 さ な い ほ ど の 異 同 十 二 巻 本 『 正 法 眼 蔵 』 本 文 の 成 立 時 期 に つ い て ( 石 井 ) を有
し て い る の で あ る が 、 こ こ で 注 目 す べ き は 、 こ の 両者
の示
衆
年
代
が確
定
で き る こ と で あ る 。 す な わ ち奥
書
か ら 見 れ ば 、 洞雲
寺 本 は 、 寛 元 元年
十 月 二 十 日 に 吉 峰寺
に て 行 な わ れ た第
二 回 目 の 示衆
の 際 に 用 い ら れ た 本 文 で あ り 、乾
坤 院本
は 、 そ の後
、 建 長 二 年 一 月 十 一 日 の 永 平 寺 に お け る第
三 回 目 の 示 衆 の 際 に成
立 し た も の な の で あ る 。 即 ち 、 こ の 両 者 の相
違
は 、 重 示 衆 の 後 の 、 道 元 禅 師 の 本 文 再 治 修 訂 の 跡 形 を 示 し ( 16 ) た も の で あ る こ と に な る の で あ る 。 「 洗 面 」 の 巻 の 最 初 の 示 衆 は 延 応 元年
( 一 二一 二 九 ) 十月
二十
三 日 で あ り 、 「伝
衣 」 の巻
の 示衆
は 、 入 越 以 前 の 仁 治 元年
( 一 二 四 〇 ) 冬 で あ っ て ど ち ら も興
聖 寺 に お い て 行 な わ れ た も の で あ る 。 そ し て こ の 両 者 の 修 訂作
業 が 、 極 め て 類 似 し た 方 向性
を 持 っ て 行 な わ れ て い る と い う こ と は 、 そ れ が か な り 近 い時
期
に 行 な わ れ た も の で あ る こ と を 予 想 さ せ る に 充 分 な も の と 言 え よ う 。 そ の 他 に も 「 袈裟
功徳
」 と 「 洗 面 」 の 巻 と の関
連 は 、 具 体 的 な 文章
表 現 に お い て も指
摘 で き る 。 そ れ は 前項
に お い て触
れ た 「 着 衣 の 浣 洗 」 の 記 述 と 、 そ れ に 続 く 次 の 記 述 で あ る 。 ね が は く は 摩 黎 山 の 栴 檀 香 を 、 阿 那 婆 達 池 の 八 功 徳 水 し て あ ら ひ て 、 三 宝 に 供 養 し た て ま つ ら ん こ と を 。 ( 上 ・ 四 ニ ヒ ) こ の 阿 那婆
達
池 の 例 示 は、 乾 坤 院本
に お い て 突 然 に 現 わ れ る も の な の で あ る が 、洗
浣 す る 対 象 こ そ、 「香
」 と 「袈
裟
二 四 三Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty 十 二 巻 本 『 正 法 眼 蔵 』 本 文 の 成 立 時 期 に つ い て ( 石 井 ) ( 糞
掃
衣 ) L と相
違
し て は い る も の の 、 こ れ と 同様
の表
現 が 「 袈裟
功徳
」 の巻
に も 見 受 け ら れ る の で あ る 。 そ れ は 次 の よ う な も の で あ る 。 糞 裟 衣 は、 む か し 阿 耨 達 池 に し て 浣 洗 せ し に 、 龍 王 讃 歎、 雨 華 礼 拝 し き (h
・ 六 二 九 ) こ の よ う に 、 両 者問
に極
め て類
似 し た 表 現 が 存在
す る と い う こ と は 、 こ れ ら の修
訂 作業
が 、 あ る 程 度 近 い時
期 に行
な わ れ た も の で あ る こ と の 一 応 の 目 安 と な る の で は な い で あ ろ う か 。 す な わ ち そ れ は 、 建 長 二 年 の 春 頃 と 推 測 で き る の で あ る 。 し か し そ う で あ る と す れ ば 、 「 袈裟
功 徳 」 の 修訂
に つ い て は 確 定 し な い な が ら も 、 少 な く と も 「 洗 面 」 の巻
の第
三 示衆
に 現 わ れ て く る 経 典偏
重 の姿
勢 は 、 若 干 で は あ る が 、 波 多野
氏 に よ る 大 蔵 経 の 安置
の時
期 に 先 立 つ も の で あ る こ と に な る の で あ る 。 こ れ に よ れ ば 、 先 の水
野
氏 の 推測
は 成 立 し な い よ う に も思
わ れ る 。 も っ と も 「袈
裟
功 徳 」 の巻
は 、懐
弉 の識
語 に よ る限
( 17 ) り 、 「草
案
」 で あ っ て 、当
然 そ の 後 に も 禅 師 の 手 の 入 り続
け た可
能 性 が高
く 、 一 概 に 大蔵
経 安置
と の 因 果 関 係 を 否 定 し 去 る こ と も で き な い と 思 わ れ る 。筆
者
も先
に 述 べ た よ う に 、 「 四 禅 比 丘 」 の 巻 に つ い て 、 こ の撰
述 の 契 機 の 一 つ に 大 蔵 経 の 安 置 を 設 定 し た の で あ る が、 た だ し 、 そ れ を 十 二巻
本 全 体 の 撰 . 一 四 四述
契機
と し て、 あ ま り に 重要
視 す る こ と に は 注 意 し な け れ ば な ら な い と い え よ う 。 さ て 、 以 上 の本
文修
訂
の 傾 向 か ら、 「 洗 面 」 の 巻 の 第 三 回 目 の 示衆
と の 関 連 に お い て 、 一 応 の 成 立 年 代 を 推定
し は し た の で あ る が 、 実 際 に そ れ を 具 体 的 に絞
り 込 ん だ と は 言 い 難 い 。 た だ 、 先 に述
べ た 「 出家
功 徳 」 ・ 「 受 戒 」 の 両巻
と 、 程遠
く な い 撰 述 で あ る 可 能 性 は 指摘
し え た と考
え る 。 発 菩 提 心 こ の巻
も、 「 袈 裟 功 徳 」 同様
、 示衆
奥
書
の 存 在 す る も の で あ る 。 し か し こ れ に つ い て も 、 乾坤
院 七 十 五 巻 本 「 発菩
提 心 ( 発 無 上 心 ) 」 と の 同 日 示衆
で あ る う え 、 そ の 示 衆 奥書
が 、 唯 一 、 玄透
即 中 開版
の 九 十 五 巻 本 に の み 見 ら れ る も の で あ る こ と を考
え れ ば 、 そ れ が そ の ま ま 、 こ の 巻 の 示 衆 日 で あ る 可 能 性 は極
め て 少 な い と い え る 。 そ の 上、 こ の 巻 に 関 し て は 、 内 容 的 に 先 の 「 伝 衣 」 と 「 袈 裟 功徳
」 の よ う な 、 後 者 が前
者 の 修 訂 の 上 に 成 立 し た と い う よ う な関
係
は 見 出 し え な い 。 む し ろ 、 そ れ は 別 の 目 的 の 下 〔 18 ) に 、 新 た に書
き 下 し た も の と の 印象
を 受 け る も の で あ る 。 従 っ ブ 丶 こ こ で は 十 二巻
本
コ 発菩
提
心 L の 成 立 を考
察
す る に 、 七 十 五巻
本 の 「発
菩
提
心 ( 発 無 上 心 ) 」 の 巻 の 存 在 は ] 応 無 視 し て こ れ を 進 め て 行 く こ と に す る 。Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty さ て 、 こ の
巻
の内
容
と 最 も 深 く 関 連 し て く る と 思 わ れ る の は 、 建 長 三 年 秋 の 『永
平
広 録 』 巻 六 ・ 第 四 四 六 上 堂 で あ る 。 そ れ は 極 め て 長 文 で あ る が、抜
粋
し て 示 せ ば 次 の よ う な も の で あ る 。 上 堂 。 仏 と 謂 い 祖 と 謂 う、 混 雑 す る こ と を 得 ず。 仏 と 謂 う は 七 仏 な り 。 七 仏 と い う は、 荘 厳 劫 の 中 に ゴ、 仏 あ り、 謂 わ く、 毘 婆 尸 仏 ・ 尸 棄 仏 ・ 毘 舎 浮 仏 な り。 賢 劫 の 中 に 四 仏 あ り、 謂 わ く、 拘 楼 孫 仏 ・ 拘 那 含 牟 尼 仏 ・ 迦 葉 仏 ・ 釈 迦 牟 尼 仏 な り 。 こ の 外 に さ ら に 仏 と 称 す る こ と な し 。 然 る 所 以 は、 毘 婆 尸 仏 に 附 法 蔵 の 遺 弟 多 く あ り と い え ど も、 倶 に 祖 師 と 称 し 、 あ る い は 菩 薩 と 称 す 、 未 だ 曾 て 乱 り に 仏 世 尊 と 称 す る こ と あ ら ず。 必 定、 尸 棄 仏 の 出 世 に 至 っ て 仏 と 称 す。 行 満 ち、 劫 満 つ る 所 以 な り。 乃 至、 ま 尸 棄 ・ 毘 舎 浮 等 の 仏 の 後、 正 法 ・ 像 法 の 時 、 亦 復 た か く の ご と し 。 … ( 引 用 文 省 略 ) … こ の 徳 を 具 す る と い え ど も 、 未 だ 称 し て 仏 と せ ず。 況 や 澆 季 に ま っ た く 一 徳 な き の 輩 、 猥 り が わ し く 吾 こ れ 仏 と 称 す、 あ に 謗 仏 ・ 謗 法 ・ 謗 僧 を 免 れ ん や 。 大 愚 癡 な り 、 あ に 三 悪 の 中 に 墜 堕 す る こ と を 免 れ ん や 。 迦 葉 よ り 己 後 、 達 磨 に 至 る ま で 二 十 七 世、 あ る い は こ れ 羅 漢、 あ る い は こ れ 菩 薩 、 仏 世 尊 の 正 法 眼 蔵 を 伝 う れ ど も、 未 だ 称 し て 仏 と せ ず。 仏 は こ れ 行 満 ち 作 仏 す る 所 以 な り 。 祖 は こ れ 解 備 わ り 嗣 法 す る な り. 仏 果、 菩 提、 猥 り に 成 ず る こ と を 得 ず。 こ の 道 理 を 明 ら め 知 る、 実 に こ れ 仏 祖 の 嫡 子 な り 。 ( 巻 四 二 三 二 〜 九 ) こ の 上堂
に つ い て は 、 以前
に も 「 四 禅 比 丘 」 と の 関連
で 触 れ た こ と が あ る が ( 前 掲 『 松 ヶ 岡 文 庫 研 究年
報 』 第 五号
所 収 十 二 巻 本 「 正 法 眼 蔵 』 本 文 の 成 立 時 期 に つ い て ( 石 井 )拙
論 ) 、 「 仏 」 と 「 菩薩
」 と の 相違
を 明 確 に す べ き こ と を そ の 主 題 と し た も の で あ る 。 そ し て こ こ で は 、 「 仏 」 と は 釈 迦 牟 尼 仏 ま で の 過 去 七 仏 の み に 限定
さ れ 、 迦 葉尊
者 以降
は 、 す べ て 「菩
薩 」 あ る い は 「祖
師 」 と 定義
さ れ て い る。 こ れ は 仏 祖 正 伝 の 仏法
を 標 榜 す る禅
師 に と っ て 、 特 例 と も 言 え る も の な の で あ る が 、 こ の 上堂
の 主 旨 と 全 く 同 じ 表 現 が、次
に 示 す よ う に 、 こ の 「 発菩
提 心 」 の 巻 に 見受
け ら れ る の で あ る。 あ き ら か に し る べ し 、 仏 祖 の 学 道、 か な ら ず 菩 提 心 を 発 悟 す る を さ き と せ り と い ふ こ と、 こ れ す な は ち 仏 祖 の 常 法 な り。 発 悟 す と い ふ は 暁 了 な り 、 こ れ 大 覚 に は あ ら ず。 た と ひ 十 地 を 頓 証 せ る も、 な ほ こ れ 菩 薩 な り 。 西 天 二 十 八 祖 ・ 唐 土 六 祖 等、 お よ び 諸 大 祖 師 は 、 こ れ 菩 薩 な り 、 ほ と け に あ ら ず、 声 聞 ・ 辟 支 仏 等 に あ ら ず 。 ( 上 ・ 六 四 九 ) こ の 両者
の 内 容 は 、明
ら か に 前者
が 具 体 的 説 明 的 で あ る と 言 え る 。 そ う で あ る と す れ ば 、 「発
菩
提
心 」 の 巻 の 撰 述 は 、 こ の 第 四 四 六 上 堂 を踏
ま え つ つ 、 そ の 後 、 即 ち 建 長 三年
の 秋 以 降 に 成 立 し た こ と に な ろ う。 し か し 、 そ の 他 の 上 堂 と の 関連
で 見 る と、 一 概 に そ う と も 言 い 切 れ な い 要 素 も存
在 す る の で あ る 。 そ れ は 、 次 に 示 す巻
五 ・ 第 三 二 三 上 堂 で あ る 。 上 堂 。 古 人 道 く、 「 即 心 即 仏 」 と。 而 今、 会 す る も の 得 る こ と 少 な し。 即 心 と 道 う と い え ど も 、 こ れ、 五 識 ・ 六 識 ・ 八 識 ・ 九 二 四 五Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty 十 二 巻 本 『 正 法 眼 蔵 』 本 文 の 成 立 時 期 に つ い て ( 石 井 ) 識 、 お よ び. 心 数 法 等 に あ ら ず 。 ま た こ れ、 悉 多 ・ 汗 栗 駄 ・ 矣 栗 陀 等 に あ ら ず。 こ れ を 除 い て 外 に 何 の 心 あ っ て か 即 心 と 作 す こ と を 得 ん 。 こ れ、 慮 知 念 覚 ・ 知 見 解 会 ・ 霊 霊 知 ・ 昭 昭 了 等 に あ ら ず。 ( 巻 三 ・ 二 一 一 ) こ の 上 堂 は 、
先
の 上 堂 に 三年
半
先 立 つ 、 宝 治 三年
( 建 長 元 年、 一 二 四 九 ) 四 月 に行
な わ れ た も の で 、 「 即 心 是 仏 」 の 「 心 」 の 定 義 に つ い て述
べ た も の な の で あ る が 、 こ こ で は 具 体 的 に そ れ が ど の よ う な も の で あ る か は 示 さ れ て い な い 。 た だ そ れ が 、 「 発 菩提
心 」 に も 示 さ れ る 三 心 や 、 識 覚 の 主 体 と し て の 心 で は な い こ と が 示 さ れ て い る の み で あ る 。 そ の 中 に お い て 、 特 に 三 心 が 否定
さ れ る こ と か ら考
え れ ば 、 こ れ は 「 発菩
提 心 」 の 内 容 に 反 す る も の の よ う に 感 じ る の で あ る が 、 「 発 菩 提 心 」 に お け る 慮 知 念覚
心 の取
り扱
い を 吟味
す れ ば 、 実 際 に は 、 こ れ は そ の 巻 の 次 の 一 節 に繋
が る も の と考
え ら れ る の で あ る 。 こ の 慮 知 心 に あ ら ざ れ ば 、 菩 提 心 を お こ す こ と あ た は ず 。 こ の 慮 知 心 を す な は ち 菩 提 心 と す る に は あ ら ず 、 こ の 慮 知 心 を も て 菩 提 心 を お こ す な り。 ( 上 ・ 六 四 五 ) つ ま る と こ ろ、 こ の 巻 に お い て も 「 慮知
心 」 を そ の ま ま 「 菩提
心 」 と す る こ と は否
定
さ れ て い る の で あ る 。 こ の 意味
か ら 、先
の 第 三 二 三 上 堂 は 、 そ の 原 形 を 示 し た も の と 考 え ら れ よ う 。 そ し て さ ら に 遡 れ ば 、 こ れ に類
す る 記 述 は コ 即 心 是 る 仏 OL 二 四 六 の巻
に 見 出 す こ と が で き る 。 そ れ は 次 の よ う な も の で あ い は ゆ る 即 心 の 話 を き き て 、 癡 人 お も は く は 、 衆 生 の 慮 知 念 覚 の 未 発 菩 提 心 な る を、 す な は ち 仏 と す と お も へ り 。 こ れ は か つ て 正 師 に あ は ざ る に よ り て な り。 ( 上 ・ 四. 一 ) こ こ で は 、 「慮
知念
覚
」 の 起 こ ら な い と こ ろ を 「仏
」 と す る こ と を 批 判 す る の で あ る か ら 、 こ れ は 、 そ れ を そ の ま ま 「菩
提
心 」 と す る こ と は 否 定 し な が ら 、 そ れ が 菩 提 心 を 発 す る 唯 一 の 媒 体 で あ る と す る 、 「 発菩
提
心 」 の 巻 の 先 の 引 用部
分 と矛
盾 す る も の で は な い . そ し て こ の 「即
心是
仏 」 の 巻 は 、 示 衆 こ そ 延 応 元 年 ( 一 二 一 二 九 ) 五 月 二 十 五 日 で あ る が、 そ れ が懐
弉 に よ っ て書
写 さ れ た の が 、 寛 元 三年
( = . 四 五 ) 七 月 十 二 日 の こ と な の で あ る 。 こ の書
写 が 、 一 応 の 決定
稿
に つ い て な さ れ た も の で あ る と す れ ば 、 今 こ こ に挙
げ た 一 連 の 記 述 は 、 こ の巻
の 確 定 の 後 に 、 心 の は た ら き か ら 、 そ れ を 発 す こ と の意
義 へ と 、 次 第 に そ の 内 容 が 展 開 し て い っ た 様 相 を ( 19 ) 示 す も の と 言 え る の で は な か ろ う か 。 即 ち 、 こ の時
期 が 、 禅 師 に お い て 、 「 発 菩 提 心 ・ 撰 述 の準
備 段 階 で は な い か と 考 え ら れ る の で あ る 。 で は そ れ が 、 い っ た い 何時
頃 具 体 化 さ れ る か と い え ば 、 そ れ は 、 や は り建
長 二年
の 夏頃
の こ と で あ っ た も の と 思 わ れ る の で あ る 。 そ れ は 、 次 に 示 す 上 堂 の 存 在 に よ る 。Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty ○ 『 永 平 広 録 』 巻 五 ・ 第 三 七 七 上 堂 〈 建 長 二 年 夏 〉 無 上 菩 提 は 、 自 の た め に あ ら ず 、 他 の た め に あ ら ず、 名 の た め に あ ら ず 、 利 の た め に あ ら ず。 然 れ ど も 一 向 に 専 ら 無 上 菩 提 を 求 め て 精 進 不 退 な る、 こ れ を 発 菩 提 心 と 名 つ く。 既 に こ の 心 現 前 す る こ と を 得 て、 な お 菩 提 の た め に 菩 提 を 求 め ざ る 、 こ れ は こ れ 真 実 の 菩 提 心 な り。 如 し こ の 心 な く ば、 あ に 学 道 と せ ん や 。 当 山 の 兄 弟 、 一 向 に 専 ら 菩 提 心 を 求 め て、 応 に 懈 廃 す べ か ら ず。 如 し 未 だ 菩 提 心 を 得 ざ る も の は 、 須 く 先 代 の 仏 仏 祖 祖 に 祈 願 す べ し 。 ま た、 須 く 修 む る と こ ろ の 善 業 を も っ て 、 菩 提 心 に 廻 向 し て 願 求 す べ し。 ( 巻 三 ・ 二 四 一 ) こ の 上 堂 に お い て 「
菩
提 心 」 は 、 具 体 的 に 「 無 上菩
提
を求
め て 精 進 不 退 な る 」 こ と で あ る と定
義
さ れ る 。 こ こ で 問 題 は 、 そ の次
の 傍 線部
の表
現 で あ る 。 即 ち こ こ で は 、 そ の 最 初 の 定義
の 上 に 、 さ ら に 「真
実 の 」 菩提
心 が設
定
さ れ て い る の で あ る。 こ の 「菩
提 の た め に菩
提
を求
め ざ る 」菩
提
心 こ そ が 、 「発
菩提
心 」 の巻
に お け る 「自
未
得 度 先 度 他 」 と し て 展開
さ れ た も の と は考
え ら れ な い で あ ろ う か 。 以 上 の 三 つ の 上 堂 と の関
連 か ら こ の 巻 の成
立 状 況 を 推 測 す る と 、 ま ず 建 長 元 年春
か ら 夏 頃 に 、 既 に こ の巻
撰述
の 基本
的 構 想 が 存 在 し、 そ れ が 、 翌 二 年 の夏
頃 か ら 具 体 化 し つ つ 、 最 終 的 に 建 長 三年
秋
頃 に 完 成 さ れ た も の と 推 測 さ れ る の で あ る 。 十 二 巻 本 『 正 法 眼 蔵 』 本 文 の 成 立 時 期 に つ い て ( 石 井 )供
養
諸 仏 以 上 に 見 て き た 四 巻 は 、 〕様
に 建 長 年間
の 、 し か も か な り の短
期
間
で の 成 立 を 思 わ せ る も の で あ っ た 。 し か し、 こ の 「 供養
諸 仏 」 の 巻 は、 そ れ ら と は若
干 そ の様
相 を 異 に し て い る も の で あ る 。 そ れ は 、 こ の巻
の 内 容 と対
応
す る 、 田 永 平 広 録 』 の 巻 二 ・ 第 一 八 二 上 堂 が寛
元 四 年 の 七 月 に 行 な わ れ た も の で あ る こ と に よ る 。 以 下 に そ の 上 堂 の 内 容 と、 そ れ に 対 応 す る 「 供 養 諸 仏 」 の 部 分 を 列挙
し て み る 。 ○ 「 永 平 広 録 』 巻 二 ・ 第一 八 二 上 堂 〈 寛 元 四 年 七 月 上 旬 上 堂 〉 上 堂。 我 が 本 師 釈 迦 牟 尼 大 和 尚、 先 世 に 瓦 師 と 作 る。 名 づ け て 大 光 明 と 日 う。 爾 の 時 仏 あ り、 釈 迦 牟 尼 仏 と 名 つ く 。 彼 の 仏 世 尊、 寿 命 ・ 名 号 ・ 国 土 ・ 弟 子 ・ 正 法 ・ 像 法、 . え に 今 仏 の ご と し 。 彼 の 仏 と 弟 子 と 、 倶 に 瓦 師 の 舎 に 至 っ て 宿 る 。 瓦 師 、 草 座 ・ 燃 燈 ・ 石 蜜 漿 を も っ て 仏 お よ び 比 丘 に 施 し て 誓 願 を 発 す 。 当 来 、 五 濁 の 世 に 仏 と 作 り、 仏 お よ び 弟 子 の 寿 命 . 名 号 . 国 土 ・ 身 量 ・ 正 法 ・ 像 法、 一 切 み な 今 釈 迦 牟 尼 仏 の ご と く に し て 異 な ら ざ ら ん、 と 。 そ の 昔 の 願 の ご と く、 今 日 仏 と 作 り 、 国 土 ・ 弟 子、 正 法 ・ 像 法 、 寿 命 ・ 名 号、 一 切 み な 古 釈 迦 牟 尼 仏 の ご と し。 日 本 国 越 宇 、 開 闢 永 平 寺 沙 門 道 元、 ま た 誓 願 を 発 す 。 当 来 五 濁 の 世 に 仏 と 作 り、 仏 お よ び 弟 子 の、 国 土 . 名 号、 正 法 ・ 像 法 、 身 量 ・ 寿 命、 → え に 今 日 の 本 師 釈 迦 牟 尼 仏 の ご と く に し て 異 な ら ざ ら ん と。 た だ 願 わ く は 、 仏 法 僧 の 三 宝 、 天 衆 . 二 四 七Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty 十→ . 巻 本 「 正 法 眼 蔵 」 本 文 の 成 立 時 期 に つ い て ( 石 井 ) 地 衆 、 雲 衆 ・ 水 衆 、 挂 杖 ・ 払 子、 こ の 願 を 証 明 せ ん こ と を。 か く の ご と く な り と い え ど も、 今 釈 迦 牟 尼 仏、 親 し く 曾 て 古 釈 迦 お の 牟 尼 仏 国 に あ り、 仏 お よ び 弟 子 、 自 が 舎 に 来 り 宿 り し と き 、 一 え に 与 に 草 座 ・ 石 蜜 を 供 養 し て 誓 願 を 発 す。 今、 己 に そ の 願 を 成 就 せ り. … ( 中 略 ) … 既 に か く の ご と く 仏 の 所 説 を 聞 く こ と を 得 れ ば 、 即 ち 仏 身 を 見 る な り 。 始 め て 仏 身 を 見 て、 ま た 自 ら 能 く 信 受 し、 如 来 の 慧 に 入 る な り。 況 や 耳 に 仏 身 を 見 、 眼 に 仏 ま 説 を 聞 き 、 な い し 六 処 亦 復 た か く の ご と か ら ん に は、 仏 の 家 に 入 っ て 住 し 、 仏 の と こ ろ に 入 っ て 誓 願 を 発 す る こ と、 一 え に 昔 の 願 の ご と く に
L
て 異 な ら ざ る な り. ( 巻 三 ・ . 二 一 〜 三 ) ○ 「 供 養 諸 仏 [ 气 大 般 涅 槃 経 』 巻 二 二 一 光 明 遍 照 高 貴 徳 王 品 」 よ り の 一 売 身 菩 薩 L の 引 用 省 略 v そ の と き の 売 身 の 菩 薩 は 、 今 釈 迦 牟 尼 仏 の 往 因 な り。 他 経 を 会 通 す れ ば、 初 阿 僧 祗 劫 の 最 初、 古 釈 迦 牟 尼 仏 を 供 養 し た て ま つ り ま し ま す と き な り. か の と き は 、 瓦 師 な り 。 そ の 名 を 大 光 明 と 称 す. 古 釈 迦 牟 尼 仏 な ら び に 諸 弟 子 に 供 養 す る に 、 三 種 の 供 養 を も て す 。 い は ゆ る 草 座 ・ 石 蜜 漿 ・ 燃 燈 な り 。 そ の と き の 発 願 に い は く 、 国 土 ・ 名 号 ・ 寿 命 ・ 弟 子 、 一 如 今 釈 迦 牟 尼 仏. か の と き の 発 願 、 す で に 今 日 成 就 す る も の な り. ( 上 ・ 六 五 八 ) こ の 第 一 八 一 . 上 堂 は 、冒
頭 の 「我
が 本師
釈 迦 牟 尼 仏 大 和 尚 [ か ら 「 異 な ら ざ ら ん 」 ま で は 『 大 智 度 論 』巻
三 ( 大 正 二 五 ・ 八 三 ) よ り 引 用 さ れ た も の で あ り 、 釈尊
が 過 去 劫 に お い て、 仏 お よ び 仏弟
子 に 供養
し た 因 縁 を述
べ た も の で あ る 。 そ 二 四 八 し て そ れ は 、禅
師 が、 永 平 寺 の開
創
者 と し て 、 そ れ と 同 じ誓
願 を 抱 い て い る こ と へ と 繋 げ ら れ て い る。 こ の 『 大智
度
論 』 か ら の 引 用 文 の 内 容 が 、 . 供養
諸 仏 L の 巻 に お い て 、 『 大 般 涅槃
経 』巻
二 二 〔 大 正 一 二 ・ 四 九 七 ) に お け る、 釈 尊 の 過 去 劫 に お け る 「売
身
供 養 」 の 引 用 の 後 に 、 、他
経 か ら の会
通 L ( 傍 線 部 ) と し て 引 き 出 さ れ る 内 容 と 完 全 に 一 致 し て い る の で あ る 。 と す れ ば 、 こ の 「 他 経 」 と は 先 の 困 大智
度
論 』 を 指 し て い る こ と に な り 、 そ れ が 第 一 八 二 上 堂 ( 20) の 内 容 を踏
ま え て い る こ と は明
ら か で あ る 。 こ の第
一 八 二 上堂
は 、 引 用中
に も 示 し た よ う に 、 寛 元 四 年 七 月 に行
な わ れ た も の で あ る か ら 、 「 供 養 諸 仏 」 の巻
も 、 こ の 後 さ ほ ど 遠 く な い 時 期 に 撰述
さ れ た も の と考
え ら れ る の で は な い で あ ろ う か 。 ま た 、 同年
の 九 月 に 行 な わ れ た 、 巻 三 ・第
一 九 七 上 堂 が 、 「 供 養 諸 仏 一 の 巻 に お い て 「 仏 法 は有
部
す ぐ れ た り 。 そ の な か に 、 僧 祗 律 も と も根
本 な り 」 ( 上 ・ 六 六 四 ) と 評 価 さ れ る 田摩
訶
僧 祗 律 』 十 八 ( 大 正 二 二 ・ 三 七 二 ) よ り の 引 用 を 用 い 、 仏 身 を如
何
に 見 る べ き か 、 と い う 問 題提
起 の後
に 「南
無
仏陀
耶 」 ( 巻 三 ・ . 三 五 ) と結
ば れ で い る こ と も、 こ の 巻 の 成 立 が 、 こ の前
後 で あ っ た こ と を予
想 さ せ る に充
分 な も の と 言 え る で あ ろ う 、 以 上 の 二 点 か ら 、 こ の 巻 が撰
述 さ れ た 時 期 は 、 寛 元 四 年 のKomazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty 秋 頃 と 思 わ れ る 。 そ の よ う に 考 え る と 、 「 供 養 諸 仏 」 の 巻 は 、 旧