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唯 識 説
に
お
け
る
法
と
法 性
袴
谷
憲
昭
仏教 思 想は , ある意 味で 法 (dharma )お よび法 性 (
dharmata
)の歴 史 と し て 集 約 で きる とい っ て も過 言で は ない 1)。 仏 教は, その 長い 歴史
の中
で ,様
々 に展
開 し 発 展 し た が ,仏陀
が 自分の 死 後は 「法を灯明 と し法を依 り どこ ろ とせ よ 2)」 と遺 言 し て 以来, 法は仏 教を一貫
し て流れ続け た 。唯識説
も当然
そ の流
れ を受
け てい る。唯識
説は , 『解 深密
経 (Sai2zdhinirmocana
・ 5露”α)』 と ともに , こ の 経 典 と意 識の 奥 底で 深 く結びつ い て い たMaitreya
−−Asa
血ga
−Vasubandhu
とい う資 師 相 承 3) の な か で , 文 献⊥二に は っ き りと姿
を1
) 例 えば, Th .Stcherbatshy
は 次の よ うに 言っ てい る。 “AII
Buddhists
rejected thea’tma ・vdda , since
Buddhism
(buddha
−
nuCdsani ), philosophically, nleans nothing else
than the dharmatd
, the theory of dharmas , which is bu亡another name forα雁 ’耀 α,
nairdtmJ ・a.”(
The
Central
ConcePtion
ofBuddhism
and theMeaning
Of
theWord
“
Dharma
”, p .
70
:金岡 秀 友和 訳 p .150
)2
) ‘‘eva単 kho,
Ananda
,bhikhu
atta−dipo
viharati atta −sarapo anafifia ・sararpo , dhamma .dipo dharnma ・sara 口o anafifia −saralo /” (Dighanikdya , II,P.
100
)3
) 三 者 の密接 な 相 承関係に つ い て は 疑 うべ く も ない 。 た だ 『中辺分 別 論』 『大乗 荘 厳 経論 』r
法 法性 分 別 論 』の 本文 (偈 ) と註 釈に 関し, Asahga が著 者か ら省かれる所 論 もある (宇井 伯 寿 『印哲 研』第1
, pp .373
−384
)。 こ れに 対 し , 山 rl益 博士 の所 論 は ,特 にr
法 法 性 分別 論 』に 関 し, その 帰敬偈 中の 「彼 〔無勝な る〕 師長 (guru )に 合 掌 尊 敬 し て ,諸 師長 よ り聞 き彼 〔無 勝な る師長 〕に よ り て親 し く嘉許せ ら れ た る(samanujfiata ) 語を聚 集した る もの は 此 論 な り。 bla ma
de
Ia
thal sbyar rab btudnas //
bla
ma rnams las thos nas de fiid kyis //gnahbahi
tshig bsdusbstan
bcos
hdi
yi don / (野沢校訂 本 , p . 19)」に 基 き, Asafiga に よっ て こ の 論が編輯された とする(1亅」口益 「弥 勒造法 法性 分 別論 管見 」『常盤博 【:還暦記 念、淪叢』p 、
537
)。 こ の 偈中 の下線部分は, 今は事 前の 了承 が 必要な ため 明確に 典拠を指摘で ぎない が, ある現存サ
ソ ス ク リッ ト写 本に は
“
gurubhya
ity
firyAysahgab
” とあ り,これに よれ ば,「諸師長」で は な く As ahga の 尊敬の 複 数代名詞だ とい うこ とに なる . さすれ ば Asahga の
璽 要性は さ らに 強 ま る こ と と な る。 ま た筆者 はすで に 『大乗 荘 厳経論』散 文箇所の著
者は
Asahga
で は ない か とも考 えて い る (拙 稿「『丿く乗荘厳 経 言侖』散 文 箇 所の著 者 問 題につ い て」 『駒沢大学仏 教学部論集』 第4号 , pp .
1
−12
)。M
aitreya 一一Ag
, ahga 一Vat
−ubandhu の 密 接な関 係は 疑わ れ ない と し て も, その 関 係の 仕 方に は ま だ まだ 問 題が 残 さ れ て い る とい え よ う。 なお Asahga と 『解 深 密 経 』との 密接な関係に つ い て は , 拙論 ‘’On a
Paragraph
一186
一 N工 工一Eleotronio LibraryKomazawa University
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(2) 唯 識 説に おける法 と法性 (袴谷)
現わす。 そ れ らの 文 献を とお して ,彼 らの 内的 意 識を
探
っ て い け ぽ ,彼
らが過去
の歴 史に 参入 し (
praveSa
),教 説の 隠れ た意 図 (samdhi )を解
きほ ぐして (nirmocana ),そ れ らを
集約
(salpgraha ) しよ う と し た 形 迹が認め られる。本
稿
は , こ うして姿
を現わ し た 唯識
説が法 ・法 性お よび それに 比 肩 す る教
説 を い か に受
け とめ , い か に 解 きほ ぐし て自
らの 思 想 体 系 の うち に咀 噛 し た か を概述
す る もの で ある 4) 。概
述 の 要 点は以下の 四 とす る。i
)ii
)
iii
)iv
) 唯 識 説 に お ける法と法 性 の 関連
諸 項 縁 起 思想
史に お ける二 つ の 思 想 傾 向 唯 識 説 の 思 想 体 系に おけ る法 と法 性 教説 の解釈
と して あ らわ れた 三 性 説1
周 知 の よ うに , 法 と法 性を
直
接主題と して 唯 識 説を述べ た もの に 『法 法 性 分 別 論 (Dharmadharmatavibhdiga
5))』 がある。 まずそ れ に よ っ て,彼 らが 法と法性 を ど う考
えた か を 検 討 し よ う 6) 。 論 の 劈 頭で は 次の よ うに い わ れ て い る。あ ま ね く知 っ た 後 (
parij
砿 ya)J あ るもの は 断ぜ らるべ きもの (praheya )で あ り, 他の ある もの は証 得さるべ き もの (sak $Etkararpiya)で ある か ら,そ れ ゆ え, その両者を特質か ら 7)弁別 (vibhaga )し よ う と欲 して こ の論を造っ た。 このすべ て は 二種で ある。 法 と法 性 〔とい う二 種がすべ て〕を抱 括 する か らで ある。 生死 (sa叩s五ra)は 法に よっ て特徴づけ られ,三 乗の 涅 槃 (nirv 帥 a)は 法 性 に よっ て 特
in the
1
)肋 厂”2σ”漉3c
αンαChaPter
of theAbhidharm
αsamucc αya” (『印仏 研』21
−1
,pp .
41
−51
) を 参 照 してほ しい 。
4
) ま さ に概 述で しか ない こ と をお こ と わ りし て お く。 本稿で扱 う問 題 中 当然個 別 的に論 及 しな け れ ば な らぬ 問題は 他 日を期 し て 公けに し た い 。
5
)V
.V
.Gokhale
博k
の 御教 示 (1971
年11
月一1972
年1
月, 東大に お け る講 義 ) に より,
Dharmadharmata
−vibhahga では な く, Dharmadharm αtdvibha”
ga
とする 。山口益 前掲 論 文は 二 の 論お よび註釈 の抄訳 と註記を主 とし た 論 稿で あ り, 最近 『山
口益仏 教学 文 集』
E
:,pp
.165 −200 に 「弥 勒造法 法 性 分 別 論 の 訳 註」と改題 して
収録され た。 以下の 引用ぽ後 者に よ るv なお チ ベ ッ ト訳は , 野 沢 静 証 校 訂 “The
Dharmadharmata
−vibhaabga and 亡heDharmadharmata
−vibhaftgavrtti ”(『山」1還暦記
念 印度学仏 教学論叢』,pp .9−49 )に よ る。
6
) 直 接こ の 論を 扱 っ た もの と し て ,武邑尚邦 「弥 勒 教学に 於ける法 と法性との 問題に就て 」(『龍 谷学 報 』333 号, pp .85 −
101
) お よ び 金 倉 円 照 「弥 勒の 法 法 性弁別論に つい て」 (
r
叙 説』第2 輯 , 『イ ソ ド哲 学 仏 教学研 究 〔1
〕』所収 )が ある。 末尾追補 参照。7
) 次註に 示 す よ うに サ ン ス ク リ ツ ト原 文は “tayor Iak$arPata ・vibhfigarp ”とあるがチ
ベ ッ トは “de dag mtshan fiid sgo nas lli//rnam
dbye
” とある。 こ こ で は チベ ッ トに よ り “
tayor .
1ak
§apatas vibhagarp ” と読む。 一185
一Komazawa University
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唯識説に お ける法と法性 (袴谷 ) (3)
徴づ け られる 8) 。
註
釈に よれば,多
くの 言語表
現 (abhilapa )か ら二種 の み を別 出 し て弁 別 す るので は な く,
世尊
に よ っ て 説か れた 蘊 (skandha )・界 (dhatu ) ・処 (ayatana )9)な どのすべ て を 要 約す れ ば 自ず と二 種 に な る の で あ っ て , そ れ が法 と法 性 なの だ1G)とい
う。 こ の 場 合, 法は 雑染 (sarpklesa ) を
特質
とす る もの で ある か ら雑 染 を 自性 とする生 死 を 表わ し11)
, 法性 は転 依 (gnas yo血s su gyur pa , a§raya ・parivrtti) を特 質と
す る もの で あ る か ら転 依に 摂せ られる涅 槃を
表
わ して い る12)とい う。
8) Rahula
Sahk
;tyayana に よ りサ ン ス ク リ ッ ト原 文が現存する こ とが 報告されて い る(“
Search
for
Sanskrit
MSS . in Tibet ”,ノBORS
,XXIV
−4, p.163 )。 所 引の 和訳は ,その報 告 中に示 さ れ たサ ソ ス ク リ ッ ト原文に よ る。 なお ,こ の報 告の ある こ と を知 っ た
の は V .V . Gokhale 博
1
:の講 義 (註5
参 照 )に お い て で ある。 なお サ ン ス ク リ ッ ト原 文は 次の とお り。kificit
parij五会ya
yatab
praheya 卑
sakS 巨c
ca
kificit kara箪iyam
anyat /
atas tayor lakSarpata−vibh2garP cikir §ata 白盃stram
idaip
prapitaTT) //dvayam
idarp
sarvarp /dharmma (t巨)・dliarmmata −sa甲grah且t /dharlnma
−prabhfivi・tab sa 卑sara13 dharmmata −prabh亘vi亡arp y自na ・traya−nirv 且parp/
9
) 蘊 ・界 ・処に 関 して ,Abhidharmasamuccaya
中 に重 要な 文が あ る 。 “api khalu
sam 訌satab skandha −
dhatv
・巨yatananarp prabhedas trividhah, parikalpita −1ak
Sapa −pra −bhedab
, vikalpita −lak§apa ・prabheda
取,dharmata
−lak爭apa ・prabhedaS ca//tatra parikalpita・lakSarpa・prabhedab katamab / skandha ・dllatv−ayatane$v atm6ti va sattvo
jivo
jantuh
po$ah pudgalo manujo manava
iti
v盃yat parikalpyate//vikalpita ・lak$ala ・prabheda
りkatama
り/ttiny eva skandha ・dhatv
・亘yatanani
//dharmat
剞 ak §aOa ・prabhedabkatamab
/te$v eva skandha ・dhatv ・盃yatane爭v atmabhavah , sattva−
jiva
−jantu
・po§a・manuja ・mana −vSbhavab , nairatmy 自stita //” (V . V . Gokhale
,
‘‘Fragments
from
theAbllidhar
・masamuccaya of
Asahga
”, ノBBRAS
,N
.S
.Vol
.23
, p .29
, ILl
謁 :大 正蔵 ,31巻,
672b
:Tib
・,P
・ed
・, No ・5550
, Li,81ba
「B
,
D
. ed.,No
.4049
,Ri
,26a7
−b4
),こ の所 論にょっ て , 蘊 ・界 ・処 が 三性 と して促え ら れて い る こ と を念 頭に お い て ほ しい 。 こ こ で
は , い わ ゆ る三 性 の用語が 使わ れ て い るわ けで は ない が, 蘊 ・界 ・処 に お い て 主体
(sattva ,
jiva
な ど ) がある と分 別される こ と (parikalpita ・lakSa4a
−prabheda ),主体と して の蘊 ・界 ・処 その もの (vikalpita ・lakSapa −prabheda = paratantra)
, 蘊 ・界 ,処
に お ける 主体の 無 (
dharmatalak
$arpa・prabheda )は ま さに 三性 説で あるt)い わ ぽ 「一切法 (蘊 ・界 ・処 )」 が 三様にみ ら れ,.前二 者が
r
法 法 性 分 別 論』 の い う法 , 最 後の一つ が ま さに法性 で ある。 なお , 主体の 類語は ほぼ同 じ列挙 順 で 『般若経 』 に もあ
ら わ れ て い る。
‘‘Atma −
satva ・
jiva
・(jantu
)・po
$a−puru §a・pudgala −manuja −m 議pava ・kiraka
・k2rayitr
・utth 互paka −samutthapaka ・vedaka −vedayitr ・jfiatT
・daTSaka
・pari6uddhitab pariSud ・dha prajfiaparamita”(R .
Hikata
, ed .,Suvikra
−ntavikrdmipariprccha − P7の’舜δρδ7α跏 ,δ,stitra , p .
53
:大正蔵 ,7
巻 ,1087b
.Cf
. p .45
,47
),この 主体の 類 語はTrim
.SihavijfiaPt
・
ibhdsya
で 我の仮 説とい わ れ るもの (p
.15
,1
.22
)。10
) 野沢校訂 本 ,p .20
,11
.9
−14
. 11) 同上, p .21
, IL4
−5
.12
) 同 上 , p .21 , IL 9 −10 . 一184
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(4) 唯識説に お ける法と法 性 (袴谷)
以.
i
二の 記述
か ら我 々 は容 易に 次の よ うな図 式を導
くこ とがで きる。pa「IJnaya
↓
praheya = dharma = sarps 盃ra = sa町1k正e9. a
↓
s盃k珮tkarapiya = dharmata = nirv 盃pa =
aSraya
−parivrttiKomazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty 唯識説に お け る 法 と法性 (袴 谷 ) (5)
最 後
を欠い た もの であ
る こ とは 明 らか で あ る。今
, 四 聖諦
と三性の 関係
に 言及 す るつ も り は ない 19)が ,上に 引 用 し たSthiramati
の 設 問 お よび 返 答の 形態
20)か ら い っ て ,古 くか ら知 られ て い た 用語 ・概念
を新 しい 意図 (三 性 説 )の 下 に 問い な お そ う とする 動 きが読
み とれ よ う。以上 の よ うに 三 語 と三 性 との 関 係が考
慮
さ れ るな ら ば, 先 の 図式
に多 少
の変 夏
が許 され るで あろ う。 それ を 以下に 図示 す る。、
h
。,ma .∠
驪
罫
:
慧
欝
\
_ _ 、leSa
↓【lharmata = sak $atkartavya =
parini
§panna ° = nirv 亘口a = 言Sraya ・parivr亡tiさて 上 図 の よ うに 考え うるな らば , 唯 識 説に お け る法 と法性 との 関 係は終
局 的
に は そ の
根本
思 想で ある 三 性 説 に お い て理 解 しな け れ ば な ら ない であろ う。 し かし今は ,法 と法 性 とい う 二 分 法の 観 点か ら,
前者
(法) が 三 性 中の 所 分別 性,依 他 起性 に 相 当 しな が ら特 に sa 甲 s五ra , sarpkle §a の 特質
あ る もの と して 纒め られ ,後
者す な わ ち三性 中の 円成 実性 にあた り nirv 亘pa
,aSraya
−pariv
;tti を特 質 とす る法
性 と対
比 さ れ て い る点
に 注目 して ,多
少 と も言 及を重ね る必 要 があ ると思われる。
法 と法 性 の 特
質
に つ い て 『法 法 性 分別 論』は 次の よ うに 述べ てい る。〔所 取 ・能 取の 〕二 と 言語 表 現の ま まに 顕 現 す る (pratibhasa )虚妄分 別 (abhata ・
parikalpa )が法の 特質で あ る。 無の顕 現が虚妄 (abhitta )で ある 。 分 別 (parikalpa )と
は あらゆる場 合に 対象 (artha )な くし て た だ分別の み (
kalpana
−matra )で ある こ と。所 取 ・能 取 (grahya ・
grahaka
)お よび 能 詮 ・所 詮 (abhidhana −abhidheya ) の差別な き真如 (tathata)こ そ法性の特 質で ある21)。
こ こ で虚 妄 分別 と真 如 とい わ れ て い る法 と法 性 は , ま さに
r
中辺 分別 論」 の虚
妄
分 別 と空性
とに 対 応 する で あろ う22) 。 そ れ ゆえ , 両者
の 関 係を適 切に 表わ し た深 密 経』の 文は第
7
章 (無自性 相 品)の 始め に お い て過 去の教 説が列 挙さ れ る中に 認め られる ことに 注意。 伊藤秀憲 「和訳
チ ベ ッ ト訳 解 深密経⇔」(『駒沢大 学大 学 院 仏 教学 研究年報』 第
8
号 ,p .9
, 註2
)参 照。19
)四 聖諦 と 三 性の 関係に つ い て ,
Madhyantavibha
’gabhd5ya
は ‘‘parikalpitasya
pa .rijfiane /
paratantrasya parijfiane
prahape
ca /
pariniSPannasya
parij負ane
prapti ・ sakSatkararpe ca /evam atra parijfia・
prahatpa
−sak6atkriyam margga −satya ・vyavastha .nam
iti
veditavyam /”(長尾 本 p.
41
, 1L2
−5 ),なお 本註 記51
参 照。20
)本註記
15
,16
に指摘 した箇所 参照。 五 者と もに 古い 用語を三 性で 解釈する意図があ る。21
) 野沢 本, P .11 , IL 10−14
,山口 前掲 書, PP . 172 − 173 .22
) 山 口前掲書, PP .175
−176
の 註 記 参照。 一182
一 N工 工一Eleotronlo LlbraryKomazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty (6) 唯識 説に お ける法 と法 性 (袴 谷 ) 有 名な
r
中 辺 分別 論 』 第1
章 第1
偈とつ き合せ て 考 察を進め よ う。 虚 妄 分別は ある。 そ こ に お い て 〔所 取 ・能 取の 〕二 は存 在 し ない 。 し か し な が ら, こ こ に こ そ 空性は存 在 し, その (空 性 )に お い て ,ま た 〔同時に〕か れ (虚 妄分別 ) が存 在する23)。こ の よ うに ,虚
妄
分別 (法を対 象 とし て言 説 する主 体 )がある とい うこ とが同 時に 空 性 = 法 性= 真 如を表わ す 。 なぜ な ら, 『法 法 性 分別 論』 がい うよ うに , 二 取が 本来無
で ある に もか か わ らず 顕 現 す るか ら虚
妄 (abhfita )なの で あっ て ,それ ゆ え 虚妄
分別 の 有は 二 取の無に お い て 成立 し, し か もその 二取 の 無こ そ空 性=法
性= 真 如 に ほ か な ら ない か らで あ る 24) 。こ の よ うな
虚 妄
分 別 と空 性 , お よび法
と法性
との関係
が , 両者
の不 一 不 異なあ り方を示 し て い る 25)が , こ こ で 問題 とす べ きは , 法 の 側 に属す る諸項 で あ る。特
に , 法が なん らの 媒 介な しに 生死 で あ り雑染で あ る とい うの は た だ ち に 首肯
しえ ない で あろ う。 とい うの も, 法が直接
生 死や雑染
を意昧
す るこ とは語 義
上 あ りえ ない こ と だか らで あ る。 これ を説 明す るの は お そ ら く依 他 起 性で ある。虚 妄
分別 は 依 他 起 性で あっ て , 依 他 起 性は縁 起 (pratityasamutpada )VC
e
まか な ら ない 26)。縁
起 とは また 法 の こ とで ある 。 無明 (avidya )か ら始 っ て生 (
jati
)・老 死 (jara
−mararpa )と流 転す る縁 起は ま さ に 生死 で あ り雑 染 の 法で あ ろ う。 し か し, 一 口 に 縁 起 とい い 法とい っ て も, そ こ に は種 々 の 歴 史 的
変
遷が認め られ る。次
に そ れ を概略
しよ う。 皿古 来 仏 教で は , 法が
縁
起を表
わ し,縁
起 とは法に ほ か な ら ない とい わ れ て い た 27) 。 こ の 場 合 の法
とは ,縁 起
の 個別 的 な各支
分で はな く, 理法
と して定
ま っ た23
) 長尾本 ,p . 18, ll.2−3 .24 ) ‘‘
dvaya
・grEhya −grahakasyfibhava 尊/tasya cabhavasyabhava
り§ifnyatayA lak§apam
iti
abhava ・svab 順 va −lakSapatva 卑 §Onyat
町 醒 ’(MAVBh
,長尾 本,
p
.22
,1
.24
−p .23
,1
.1
).25 ) 本 註記
13
の 箇 所, お よ びMAVBh
(長尾本, P .23
,11
.
8
−11
) 参照 。26
) ‘‘chos rnams kyi g爭an gyi dbah gi mtshan fiid ga血 Se na /chos rnams
kyi
rtencih
hbrel
par りbyuh
ba
(pratltyasamutpAda ) fiidde
/” (『解深 密経』Lamotte
ed.,p . 60,
11
.25
−26
)お よ び以下の 説明 参 照。 “pratityasamutpannatvatp punar vijfianasya
(=paratantrasya ) paripama −9abdena
jfiEpitarp
/ ”(
Trii
.nSika −vij’fiaptibhj5ya
,Levi
,ed., p .
16
−17
).‘‘pratyay6dbhava
ity
anenapiparatantr
盞bhidhana
・pravrtti−nimittam aha/”
(同 p ,
39
,1L
22
−
23
).27) ‘‘yo paticcasamuppada 甲 passati so
dhammam
passati
, yo dhammarp passati sopaticcasamuppadarp passati /” (ノし
ha1
[ノhi
〃zanz’
々δyα,
1
,190 −1
).一
181
一Komazawa University
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NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty (8) 唯 識 説に お ける法 と法性 (袴谷 ) れ る もの が
Sai
?t yuttanikaNa と 同様
な経 文を典拠 と し た こ とに 起 因 するで あろ う。 特に 異る と こ ろは ,先に “ ‡hitfi
va sAdhatu
” と あ る 箇 所 が , こ こ で は “ sthitaiv6yalpdharmats
” と な っ てい るこ とで あ る。 こ の 相 違 に 関 し て は厳密
な 説 明が要 求され るで あろ うが ,dhatu
で あっ て もdharmata
で あっ て も両 者 が 意 図す る こ とは 同 じ とみ て 大過は ない と思 う33) 。 い ずれ の 語 も縁
起が理法
と して 確 定 し て い るこ と を表わ す もの で あるか ら。 しか る に , その 縁 起の 理 法を 縁起 以外 の なに か別 の 存 在と考えて 常 住 で あ る(
kirpcit
bhavantararp nityam asti ) と主 張 す るの は 有 部 の 拒む と こ ろ であ る 34)。
有
部
に よれ ば, 縁 起 とは縁 に よ っ て生 起 す る こ とで あ り, 生 起は有為
を特質
と す るもの だか らで ある (utp2dasya sarpskrta ・
lak
$arpatvat35))。 こ の よ うな意味
で , 有 部は縁起
そ の もの を常 住 な もの とし て実 体 視 する こ とは なか っ た けれ ども,縁
に よっ て生起す る個々 の 構 成要 素 (dharma
) を実 体と 考 え, こ の因果 関 係を縁 起 と称
し た の で ある 36) 。 し た が っ て 有部 に お い て は , 個 々 の 法 (dharma )の 方が重 要 な意味
を もつ 。 「それ自身
の本 質
を保 持
する か ら法で ある 37)」 とい うの が有部
の最
も 有 名な定義
で あ る。こ の よ うに
実 体
視 され た 個 々 の 法が 『般 若 経 (P7
¢タndPa − ramit δ)』 の 空 の 思想に よ っ て否定
さ れ た こ とは 周知
の 事実
で ある。 次に 『般若
経』 の一節
に よ っ て こ の 事実 を見て み よ う。一切 法 皆以 空為自 性。 一 切法皆以無相 為 自性。 一切法 皆以無願 為 自性。 … 由是因緑, さ れ たか ,何 れか であ ろ う。 法蘊足論の も亦 ダル マ ダ ー トゥか ダー トゥ か 何れか であ っ たに 相違 ない 。」したが っ て, 博士 は
dhatu
かdharmadhatu
以外の 可能性を考えて お られ ない 。 サ ン ス ク リ ッ ト原 典 に も と も とdharmata
とあっ た とすれば , 『倶舎論』 真 諦訳 ・玄奘 訳の法 如 ・法 性を すべ て説 明す る。 『法蘊 足論』の 法 界の み が dhatu の 訳 だ っ た とみ るぺ きであろ う。 し たが っ て 典拠 とし て はdhatu
と読ま れて いた もの とdharmata
と読まれて い たもの との二 種 を想 定 するこ とが で きる。33
)dhatu
の 解釈 と し てdharmata
が置換え られ たか , あるい は両者が別 な系統で伝 承 された か は別な テ ーマ で あり , 本稿と は直接関係ない 。 な お, 高崎 直 道 『如来 蔵 思 想 の形 成』P .386
参 照。34
)A
.KBh
, p . 137, IL18
− 19を参 照の こ と。35
)AKBh
, P ・137
,L
20
. ま た “Prakara
皐e馴 ‘pratityasamutpada 阜 katama り /sarve
sa卑skr 撤 dharma ’iti”(同 p .
133
, 11. 7−8),ま た “sa 甲skrtatvalp pratityamutpannatam ” (同 p .77
,1
,1
) と並 ん だ 両 語 に対 しYaSomitra
は “ samskrtatvaip pratityasamutpan ・natvam
iti
paryayav
etau ”(yyaleha
,p
.174
, IL
14
−15
)と明言する。
36
)Th
.Stcherbatsky
前 掲 書, p .28
:同 和 訳 p .77
, お よび中 村 元 「ア ビ ダル マ の縁起説」 『福 井 博士 頌 寿 記念 東洋 文 化 論 集』p .
724
参 照。37
)‘‘svalak §apadharap 且
d
dharmab /
” (AKBh
,P
,2L9
).一
179
一Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty 唯 識 説に おけ る法 と法 性 (袴谷 ) (
9
) 諸菩 薩摩訶 薩 ,応知, 一切 法 皆以無 性 為其 自性 。 …一一切 法 皆 以 真如為自性。 一切 法 皆以法 界 為 自性。 一切 法皆 以法性為自性 。 一切 法 皆以
不虚妄性 … 以不 変 異 性 … 以 平 等性 …以離生 性…以法定…以 法 住 … 以実際 …以 虚空界…以 不思議 界為 自性。 由是 因緑, 諸菩 薩 摩訶 薩, 応知, 一切法 皆 以無 性 為 其 自性 38) 。 これ は , 一 切 法 の 否定 (ワTヒ一)に よっ て 無
性
(ni勾svabh 巨va , asvabhava ) を示 そ うとす る もの で あ る。 そ れ が ま た , 真 如 (tathata)で あ り法 界 (dharmadhatu )で あ り法 性 (dharma な どで ある。 これ らの 類 語か ら知 られ る よ うに , 『般 若 経』 は個 々 の 法 の実 体
を否定
し (一 切法無 自性 ), そ の真実
の あ り方 とし ての 法 性 を強
調 す る か ら, これ らの 類 語 に 対 して , 縁 起 の 理 法に対す る と 同様の 定 型 句が付 され る39)。 諸 法真 如 ・法界 ・法 性 ・不虚 妄性 ・不変異 性 ・平 等 性 ・離 生性 ・法 定 ・法 住 ・実 際 ・ 虚空 界 ・不思 議 界s 如 来 出世 若不 出 世性 相 常住 40)。 こ こ で 注意
すべ ぎは , こ の よ うに 言説
で い え るの は , 世 俗に よ る こ とで あっ て , 勝 義に お い ては無
分別 ・無戯
論で ある とい う文が 後に 続い てい る こ と で あ る41) 。有
部が批 判 する よ うに , 別な存 在を認め て常
住だ とい っ て い るの で は ない 。 法 性 とは究 極 的に は無
分 別 ・無
戯論
な もの で ある。Nagarjuna
がか か る 『般若
経 』の 思 想を継 承 し体系
づ け た こ とは今
さ らい う まで もない が, こ こ で は 必 要に 応 じ て 『中 論(Madhyamakakdrika
− )』 よ り彼の 考え を摘 出 して お く。 い か な る 法 も縁 起 な ら ざる も の は な い (apratityasamutpannodharmah
kagcin na vidyate )。 縁 起す る もの はすべ て 空性
であ
る (yah pratityasamut ・padab
gfinyatarp
taip pracak $mahe )。空 性 すなわ ち法 性 (dharmata
= tattvasya lak§a4am )は 不 生不滅 (anutpanna −anifi ・ddha )で あ り, 捏
槃
(nirvarpa ) の ご とき もの で あ り,寂
静 (
9anta
)で 戯 論 に よっ て 戯 論 され ず (prapafi(rair aprapaficitam ),
無
分別 (nirvikalpa )で 不 異 義 (ananartha42 ))で あ る。
38 ) 大般 若波羅蜜多 経 , 巻 365, 大正蔵, 6 巻, 880a −
b
.39
)直接 縁 起に つ い て は “
Prativedha
iti
Suvikrantavikr
互min pratityasamutp 且dasy
直i
頭 :yaM pratltya yodharma
utpadyate, tam eva pratitya sa
dharmo
na saqlvidyate , ayamucyate
pratityasamutptida
−prativedhah .” (Hikata
ed ., p .11
,ll
.
19
−21
:大正蔵7
巻 ,
1069a
)の よ う な表 現 と なる。40 )
大 般若波羅蜜多経, 巻
396
, 大 正蔵 6 巻,1049b
.なお 高 崎 直道r
如来蔵思 想の形成』pp .
382
−391
参照。 下 線 部分は 高崎博士 がASP
(273
.20
−274
.3
) よ り引用 さ れ た‘‘utpadad va tathagatanam anutpadad va tathataivaitani sthitani //”
と 同 ・とも とれ る 。
41
)「此依 世俗説為清浄, 不依 勝 義, 所 以者 何 ,勝義諦中無分別 無戯論 切 音声名字路 絶」(同上,
1049b
)。 木 註 記65
参照。42
) 順 次 に, il4adhyamakah δriha −, XXIV − 19 ,− 18 ,
XVIII
−7
,−9
(Prasannapaddi
, pp .
505
。503
,364
,372
−
3
)t一
178
一Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty
oo
唯 識説に おける法 と法性 (袴 谷) 皿 以 上 で 縁 起 とい う仏 教 の 根 本 思 想を中心 に 二 つ の 思 想 傾 向があるの を 概 観 し た。 すなわ ち ,(
1)
個々 の法
をか くあ ら し め てい る法
則 性 を重 視 し法 性を強 調す る もの 。(
2)
個 々 の 法そ の もの を重視
し, そ の個 別 的 関 係に おい て法を強 調 する もの 。 前 者は如 来 の 出世 あるい は不 出世 にか か わ ら な い 不変
の 真理 (dharmata
)の 下に現
実
(dharma )をみ ,後者
は現実
そ の もの (dharma
)の考察
を とお し て真理 (dllarmata
)に むか うとい う
構
造を と りな が ら仏教
思 想を綾取
っ て い る とい え よ う。完 成 し た唯 識 説は こ の 二 傾 向を 内的に統 合 して 過 去 の 教 説を集 約 し た 。 そ の
集
約の仕 方
を 『摂 大 乗 論 (Mahdydnasampgraha
)』 は次の よ うに 述べ て い る。 大乗法 (mahayana ・dharma )を 解 釈 し よ うとする もの は , 要 約 し て 三 種に よっ て解 釈 すべ きである。 〔すな わ ち〕 (1)縁 起を 説 くこ と(pratityasamutpada −deSana)と(2)縁起 し た 諸 法の 実 相を説 くこ と (pratityasamutpannanarp Iak6arpadeSanA )と(3)すで に 説か れ た意 味を説 くこ と (uktartha −deSana )とに よっ て解釈 すべ きであ る43)。 こ の 一 節の 詳 細な考 察は すで にな され てい る 44)か ら, こ こ で は 再説 しない が, (1
) は ア ー ラ ヤ識 (alaya −vijfidna ), (2)
は 三 性を さ す。 先に述
べ た二 傾向
の うち,縁起
と して の ア ー ラ ヤ識は 後 者, 諸 法 の実
相 と して の 三 性は前者
を継 承 し て い る 45)。 し か もこ の 一節
で,縁起
し た それ ら諸 法は依 止 (agraya)と所 分別 (parikalpita
)と法 性 (
dharmata
) と を特 質
(lak
sapa ) と し て お り, そ れ が三 性で ある と説
か れて いる 46)よ うに , ア ー ラ ヤ識 も諸 法の 依止 と し て 三性 中の 依 他起 性に 内的に 結 合 さ れ てい る。 先に
r
中論』 よ り摘 出 し た よ うに , 中 観 説に お い て は あ らゆる法が空であ り縁起
であ
っ た (一切法無 自性)が , 唯識
説に おい て は 虚 妄 分 別で ある依 他起性
,すな ノ43
)Etienne
Lamotte
,La
Somme
de
Grand
V
彡hicule
d
,
Asa
カga , LTome I.Chap
. II,§
32
,P
.42
,Il
.4
−8
. ’44
) 荒牧典俊 「摂 大 乗論 第二 章第三 十二 節」 (『印仏 研 』12
−2
,pp
.72
−79
).45
) あえて言 うこ と を許されるな ら,alaya ・vijfiana の思 想は有部を含め た部派仏教に お けるAbhidharma
教 学の 「一切 法 (sarvadharma )」 の伝 統の 中で育ち, 三 性 説は 『般 若経 』を中心 とする法 性 とし て の 「大乗の教 説 (mahayana −deSana
)」 を解 釈する もの と して あら われた と理 解 したい 。 なお, 本註記52
で示 したr
法法性分別論』の 文, お よび本註記65
参 照。 ノ46
) EtienneLamotte
, 前掲書, p .42
,Il
.16
−18
. 一 177 一 N工 工一Eleotronlo LlbraryKomazawa University
Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty
唯
識説に お け る法と法性 (袴 谷)こ の 法か ら
法
性 へ む か う場 合の根
拠 につ い て 『法 法
性 分別 論』 お よび註 釈は次の よ うに 言 っ て い る。
厂〔法 性へ 参入する (dharmatapraveSa )〕根拠 (a§raya )は 一切 法と十二 分教に属 する
(dvada §
ango
−vac (>gata )一切の 経典で ある」 と 〔論中に〕い う うち 「一切法」 とは 色 など (raPAdi )で あ り, 「十二 分 」 とは 契経 (stttra)や重頌 (
geya
)な どで ある52)。こ こ で ,法 性の 根 拠 とし て の 法が二 種に 分 類され て い るの は注 目し て よい 。 前 者 は 一
切法
とい わ れ色な どと解
さ れ てい る よ うにAbhidharma
的な構成要 素
ある い は 存 在 と し て の 法で あ り, 唯識
的に 解す るな らぽ ,識
を根
本 と す る現実
の あ り 方 と し ての 法で あろ う。 後 者は こ こ で特 に法 とは呼ば れて い ない が , 十二 分 教 と い うの は教 説 として の 法を さすと み て よい 。 法が十二分教
と し て の教 説を意味
す るの はr
阿 毘 達 磨 集 論 (Abhidharmasainuecay
α)』 のDharmavinis
’ caya章
の 「法 (dharma
)」 の場 合 に そ の 適例 を見 出 し うる 53) 。 以 上 の 二 種の 法 ,す な わ ち現実
を構
成 す る法の 分 析, お よ び 教 説 と し て の 法の 理 解を根 拠 と して , 次の 「大乗
経に 依る
如
理作 意(yoniSomanasikara )に よ っ て摂 さ れた あ らゆ る加 行 道(prayoga ・marga )54)」と して の 決
択
が あ るとい うの がr
法 法 性 分別 論』 の 所 論で あろ う。さ て , こ の 二 種の 法 の 捉え方は
r
阿 毘達 磨集論
』の論 構
成を思わ せ るの で 多 少付
記 し たい 55) 。r
阿毘達 磨集論
』は大別 すれぽ二 種に 分か れる。 玄 奘 訳で い え ば 「本 事 分」 と 「決 択 分」 で あ り, サ ソ ス ク リ ッ ト断 片ない しチ ベ ッ ト訳か らい え ば, 法の特 質
(lakSarpa
) を述
べ る前 半 と教 説の 決 択 (vinigcaya )を扱
う後半
とで あ る 56) 。 内 容 的に は ,前半
がAbhidharma
的な 法の 分 類 考察
を行 うの に 対 し, 後52
) 野 沢 本 ,p .29
,1L15
−18
.山口前掲 書 , p .182
, 註3
.53 ) 拙稿「
Asahga
の聖 典 観一Abhidharmasamuccaya
の dharmavini 白caya 章に つ い て 一」(
r
曹洞 宗 研 究 員 研 究 生 研究 起 要』第4
号, pp .15
−
30
) 参 照。 ま た 「十 二 分 教」は,
Mahdya
−nasai ?zgraha お よ び そのVasubandhu
註に お い て 「実 践を起 す清 浄な対 象(*tad−utpadanam alambana −vyavadanam
)」 と し て 「清浄な法 界よ り流 出 し た も の
(vii uddha −dharmadhatu −ni$yanda )」 である (
Tib
., P . ed .,No . 5551, Li,180b2
−6
)。 これは
本 註 記
50
で注意 したSthiramati
註 と同 じ。54
) 野 沢木, p .13
,ll
.12
−
13
.山 口前 掲 書 , p.181
.55
)こ の 二 種の 法の促え方は
Abhidhar
ηnasamtrccaya 中に 説か れ る 尽所有性 (yavad ・bhavikata ) と如所有性 (yathavadbhavikatE ) との 分類 lcも関連がある と 思 わ れ る。
これに つ い て は 拙 稿 “
On
a
Paragraph
in
theI
)harmavinis
‘caya Chapter ot the
Abhidharmasamucc
α)’a”,『印仏 研』第21
巻1 号, pp ,41
−42
参照 。 なお 本註 記70を 見 よ。56
) 玄奘 訳 とSkt
.お よびTib
. との 章節の切 り方は 異るが, 内容的に は 漢訳に 準じてよい 。 本註記
53
に掲げた拙稿参照D 窺基は こ の 二分に 関 し 「此有 何因 縁, 総為二 分。 本 事分 中略広 分 別諸 法体 事。 沢択分中 略広決択深密 要 義。」(続 蔵1
−74 −4 −316a )とい う。 「深 密要 義 」とい っ た とこ ろ が興 味 深い 。 一175
一 N工 工一Eleotronlo LlbraryKomazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty 唯 識 説に おける法 と法 性 (袴谷)
半
は教 説
の 理解
の仕 方に力
点を おい て い る。 お そ ら くは,法
性へ参
入す る根 拠 と し て の 法が二 種に 分類 され てい る こ とと内 的な関連 性を持 っ て い るで あ ろ う。か な り論 点が散 慢 に な っ た 感が あるの で, 以一
k
を 要 約 し よ う。永
い 歴史を もっ た教 説 が法 性 として 現実
(法)へ 注がれて い る。 こ れが こ の 節 の 始め に纒
め た 第 一 の 傾 向で ある 。 そ の 教 説を受 けとめ る の は常 に 現 実と し て の 主 体で あっ て , こ の 主体は ア ー ラ ヤ識を根 底 とす る言 語 的 習 慣に ほ か な らない 。 こ の 主体
をただ ち に 空 ・無 自性だ とい っ て し ま うこ とは で き な い 。 唯 識 説はAbhidharma
的
な第
二 の 傾 向を受け て , 現実 的
な法
の あ り方
を ア ー ラ ヤ識
を中
心 に考察
し た 。 そ の 結 果 , 中観 説に おけ る 「一 切法無 自性」とは 言 語 的習慣
に よ っ て 対 象化 さ れ た境 (法 ) の 無 と言明 され , か く現 実 (法 ) が 識と境 とに 分け て考 察
さ れ た。 しか し,識
(虚妄分別 )は 境 の無
に よ り有
に して無
で ある。 また こ の こ とは 三性説
と し ての 教 説 が 法 性 よ り流れ た もの で ある こ と を証 し てい る。 そ れ ゆ え法 性 に参入す る もの は 現 実 の 法 とそれを保 証 す る教 説 と して の 法 を根
拠 と しな け ればな ら ない 。法性 そ の もの で あ る教 説 (
dharmadhatu
−ni $yanda −de
§ana )の 理 解を妨た げる もの が我 々 の 言 語 習 慣で ある こ と を 白覚すれ ぽ す る 57)ほ ど , そ の 言 語習
慣
(依他 起 性 )の 解明 を 主 と し た = :性 説 が唯
識説 に おけ る経 典理 解の 垂要
な役 割 を演 ずる よ うに な っ た。 とい うよ り は む し ろ 、経 典理 解 の 中で言 語習慣が反 省 され三性 説 が育っ た とい っ た ほ うが よい か も しれ ない 。 それ は と もか く.唯 識 説が過 去 の 教 説 (法) をすべ て 三 性 説 に よっ て 解 釈 し よ う とす る態度は , 本稿 中で も すで に 指 摘 した よ うに ,Sthiramati
が 「なん の た め に 三 性が 主 張 され るの か 」を 問い ,用意され た 答が す べ て過 去 に 説かれ た 用語
・概
57
) 『解 深密経』 を始め とし て こ の 自覚に は明 確 な もの がある。Bodhisattvabh
励mi は 言語 表現 し え ない 性 質の 一切法 (nirabhilapya ・svabhavab sarvadharmab )に 関 し て, 次
の よ う な B加 o α罐扉 劭 〜齢 躍厂α の 偈を引 く。“yena yena hi namn 哀 vai yo yo dharmo
’
bhiiapyate
/na sa satpvidyate tatra dharmarparp sa hi dharmata //”(荻原 本 P ,
48
)ま た 71ア吻甜々δ, 第
20
偈は次の よ うに い い , “yena yena vikalpena yad yad vastu
vikalpyate /parikalpi亡a ev 蝕au svabh 且vo na sa vidyate //” これ を註 して
Sthiralnati
は 仏の 教え (buddhadharma ) さえ分別さ れ る (p .
39
) とい う。 両偈の類似は も とより, 我々 の 言語 習 慣に 対 する深い反 省に注 目 すべ きで あ る。 法性がこ の 反 省と無関係
で ない こ とは
BBh
所引の 偈が語っ てい る。一
174
一Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty 唯識 説に お け る法 と法性 (袴 谷)
念
を指 示 してい る点
に も認
め られ た58) 。 次に示 す 『瑜 伽 師地論
(yo8
δCδ7α肋 励 の 』 の文
もま た 一層 よ くその 歴 史的
過 程 を示 唆 して い るで あろ う。復次, 由此三 種 自性 , 一切 不 了義 経 諸 隠 密 義 ,皆 応決了。 謂 , 諸 如来 秘 密語言 及諸菩 薩 随 無量 教 秘 密 語 言 所有要義, 皆 由如是三 種 自性, 応 随 決了 59)。 要 す るに , 過 去 の 教 説は 不 了義 (neyartha )で あ っ て そ の 隠れ た
意
図 (samdhi ) を 三 性に よ っ て解
きほ ぐそ う (nirm ・cana ) とい う趣 意で あ る。こ の よ うな
趣 意
の文
は唯
識 文 献 中に相 当数見
出し うる もの で ある が , そ も そ も 三性 説を最 初に 説い た文 献は , 現 存 す る資 料に よ る か ぎり ,『解深 密経
』 で ある とい うの が学 界 の定 説で あ る。 こ の 三 性 説 初出 の経典
に お い て上述
の趣
意は すで に 明 確に 示されて い る。そ れは ある
意
味で 当 然な こ とで ,経名 自体
が過去
の 教 説の 隠れ た意
図 (sarpdhi ) を解 きほ ぐす (nirmocana )経 (satra ) で あ る こ と を語
っ て い る の で ある60)。 また , 山口益 博士 御 指摘
の よ うに 61),教 の 正 宗 分が 「深い 意 味 の 隠れた意
図を解
きほ ぐす (Gaipbhirarthasarpdhinirmocana )」 とい う名 の 菩 薩が 「如理 に 問 う (Y・ni 螽ahpariprc ・ cha62 ))」とい う名
の 菩薩
に答
え る形で始
ま っ て い るの はき
わ め て 暗示 的 と い わ ね ぽ な ら ない 。 こ の 両菩
薩 の 対 比に よ っ て , 我 々 は先 の 『法 法 性 分 別 論』 に おい て説か れてい る よ うな ,法
性へ参
入する 根 拠 と して の法
と, そ れ を 如 理 作意
(yoniSomanasik …ma
) に よ っ て決択
す る加 行 との 関係
を類 推 す る こ と も可 能 で あ ろ う63) 。こ の 両
菩
薩の 問答
は ,三性に よ る教説
理 解 とは直
接関
係ない が , 一 一 種 の 教 法 解 釈を 示 す点で参 考に な る。 「一 切法が無二 (advaya ) で ある とい うの はなに か 」 と い うの がそ の 問で , 答は 二種
に 分か れ る。 す な わ ち , 「一 切 法 と は 有 為 と無 為で ある 」 と 「無二 とは そ の有 為
が有 為
で もな く無 為で も ない こ とお よ び無 為が無
為 58 ) 本註記20
参 照の こ と。59
) 『瑜 伽師 地論 』 巻74
, 大 正蔵 第30
,705a
.60
) 倉.Lamette ,S
卿 融 厩 γηzoc砌 αs露〃α,Pr6face
, pp .12
−
14
, Titre の項 参 照。61
) 山口益r
中 辺分 別論釈 疏』序 論, p ・51
,62 )
Tib
.は tshul b$in
kunljdris
’.Lamotte
は ‘VidhivatpariprcchakaP
’;山口益は ’
Yoni
§arccha ’(同
E
書 ),長 沢 実導は ‘Yonigaspariprccha
’(「解深密経第一章に つ い て」 『印仏研』第
6
巻1
号, p .210
)と還元。後
者の あ るこ と を知っ た の は, 伊 藤秀憲 「和 訳チ ベ ッ ト訳解 深密 経 (一)」(『駒大 院 仏教 学 研究会年 報 』第6 号, p .
4
, 註12
)に よる。こ こでは後 者に 従い なが ら一応 男性 名詞で示す。
63
) 木註 記50, 52で指摘 した 箇所お よび関連 文 献 参 照の こと。 一173
一 N工 工一Eleotronlo LlbraryKomazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty 唯 識 説に おける法 と法性 (
袴
谷) で もな く有為
で も ない こ と である 」 との 二種
で ある 64) 。後者
は言 語に よ っ て表
現 しえ ない 法 性 (nirabhilapya ・dharmata
)を 示 し, 前 者は そ の 法[生を他に知 ら し め る た め に あえ て 言 語 表 現 された法を 示 す の で あ り65) , さ らに そ れ を受
け とめ る我 々 の 言語
習 慣が反 省されて い る。 註 釈に よれば前者
は 「尽所有性
(yhvadbhavikata )」, 後 者は 「如
所有
性 (yath袞vadbhavikat の」 を 説 くもの で あ る 66) 。 こ の 「尽 所有
性」と 「如所有
性 」 とは 『菩 薩
地 (Bodhisattvabhtimi
)』に おい て真 実 義 (tattvartha) を要
約 する二種
であ り, や は り教 説の 一 種の ま とめ方 を 示 す もの で ある 67) 。r
解
深密
経
』の 同上 の註
釈に よれぽ 「ア ーラ ヤ 識の流転安
立 の有
らん限 りの 一 切の 異 門が 尽所 有
性で ある68)」 とい わ れ , これ に 対 して 三 性が如
所有
性 とみれ る 69 ) 。 そ うな らば, 法 と法 性 の 関 係が 上に 論 じた よ うに ア ー ラ ヤ識
と三 性 との 関係
を示 唆 す る こ とに な り, また 「一 切 法」 と 「十二 分 教」 の 関 係に つ い て の 立 入 っ た 考 察 も可 能な気がす るが , 「尽 所 有 性」 と「如 所 有 性」 を含め た 論 究は 現
在
の筆者
の 力に 余る。後
日 を期
し た い 70)。さて , 「 一 切
法 無
二 」 とい うの は 「一 切法
無自性
」 と同種 の 表 現 と み う る。 とすれ ぽ , 『解 深 密 経』 の 冒頭に 示 さ れ る問答
の よ うに ,「一 切法」が 「法」,「無 自性 」 が 「法 性」 を表わ して い る と考え る こ とが で きる。 こ の 「 一 切 法 無 自 性 (nibsvabhavall sarva −dharmah
)」 お よ び これに 続 く 「無 生
,無滅
, 本来寂
静,自性
涅
槃
(anutpanna aniruddha Adi−9anta prakrti・parinivrtah71
))」の 教 説は , 『解 深 密 経』第
7
章
パ ラ マ ール タサ ム ド ガ タ の 章 (玄 奘 訳 無 自性 相品)に よれ ば, 三 時 の 転 法 輪64
)Lomotte
, 前掲本, p .35
,お よ び伊藤秀憲前掲論文 参 照。65
) BodhisattvabhuHmi の 一文 ‘‘evarp nirabhilapya −svabh 瓢ve $u sarva ・dharmeSu kasmadabhilapall prayujyate . tatha hi vina ’
bhi12pena
sa nirabhilapya ・
dharmata
pare$amvaktum api na §akyate , §rotum api . vacane §ravape cfisati s巨nirabhilapya −svabhavata
jfiatutn
api nagakyate
. tas111ad abhilapab prayujyategravarpa
・jfianaya
.” (p.50
,11
.16
−21 ) も同趣 意で ある。 以 上 を含め て 本註記
41
所 引の 『般 若経』 と比 較せ よ。66
)SarPdhinimocanasu
−travydhhyana , p. ed ., No .5845
,Co
, 前 者は44a3
, 後者は44a4
− 7 を見 よ。
67
)Bodhisattvabhu
−mi , P .37
,IL
1
−4
.68
) 野沢静証 『大乗 仏 教 瑜 伽 行の 研 究』,p .135に 示 さ れ た 和 訳に よる。69
) 野 沢 同上書 ,p .64
, p .150
の 所 論に ょ る。70
) こ こ で は先学の 関係論 文を指 摘 するに止め る。 長 尾雅人 「中 観哲 学の 根 本 的 立場 」(
r
哲学研 究 』第368
号, 第31
巻 第11
冊, pp .646S49
);鎌田茂雄 「如 所 有性yathavad
−bhavikata
と尽 所有 性 yavadbhavikata 」(『印 仏研 』第3
巻第2
号, pp .306
−308
); 野 沢静 証前掲 書,pp ,149
−151
, p .272
. pp 。277
−8
.71
)Skt
.は 本註 記73
に 指 摘のAbhidharmas
αmuccaya の 文に よ る。 一172
一 N工 工一Eleotronlo LlbraryKomazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty
唯識説に おけ る法 と法 性 (袴 谷 )
中 第二 蒔に属 し 「空 性 の 説 相 を も っ て (stofi
ba
fiid smos p的i
rnam pas ,9itnyata
− vada −akarena )」説
か れ た もの で ある72)。 しか も, こ の 『般 若経』系の 「 一 切法 無自
性」 な る法 と法 性を三性 説に よ っ て解釈
するの が 『解深密
経』第
7
章
の 眼 目 な の で ある。 た だ しこ の 場 合, 三 性は い わ ば そ の 否 定 的表
現である 三無
性と し て説 か れ る , 三性 と 三無 性は 内 容 的に は 少 しも異 らない 。 た だr
般若
二 経』系
の 「一 切 法 無 自性」 の解
釈 と し て 三 性 説 が述べ られ る ときは , 三 無 性が前面に お しだされ る と考え う る。 その 適 例は, か つ て 指摘
し た よ うにr
阿 毘 達 磨集論
』 の 一節
に も 認め られ73) , 『唯 識三十 頌』 の よ うな 簡 潔な もの に おい てす ら明 言 さ れ て い るの をみ るの で ある 7の 。『解 深
密
経』は 所 分 別 性 ・ 依 他 起 性 の 無 と して の 勝義
の 無自
性 性に 対 して ,縁
起の 法 則 性 あるい はr
般 若経』 の 真 如等に 冠せ られた定
型 句 と類 似の表 現
を与
え て い る。 法 無我 (dharma
−nairtitmya )’f こ よ っ て 特 徴づ け られ る 勝 義 無 自 性 性 (param 註rtha ・ nibsvabhavata )は永 久 ・永 遠 に 確 定 されて い るの で あっ て, それは 諸 法の 法 性 (dhar
m 寂顧fp dharmata )と して無 為 (asamskrta ) で あ り, あ ら ゆ る 煩悩 (
klega
) を離れたもの で ある75)。
あの 「如 来の 出 世 ある い は 不 出世 に もか か わ らず 」 とい う表現 の か わ り に , 「永
久 ・永 遠に (rtag pa rtag pabi
dus
dah
ther zug ther zug gidus
su )」 とい う言葉
が使用され , また 同
様
に法
性 の確 定
性 がい わ れ て い る こ と を知
るの で ある76 ) 。縁 起の 法則 性 として の 法性は , 『般 若経』系の 思 想を継承 し,法 性か ら法 の 方 向で 三 性 説 と し て 述べ られ ,縁起 の 個 別的 な あ り方 と して の 法は , 経 典 理解 の 主 体 と し て 『般
若
経』系
の 虚妄
分 別を重視
しな が ら も77) ,Abhidharma
的な論 議
の72
)Lamotte
本, p .85
.なお ,E
.Obermiller
, ‘’TheDoctrine of Prajfia・
parami
懐 as ex ・posed in the Abhisamayala 【pkara of
Maitreya
”, AO XI ,p
.92
参照 。
73
)V
. V .Gokhale
,“Fragments
… …” , p .35
,11
.15
−20
.拙稿 「Asahga
の聖 典観」, pp .28
−29
.こ の 一節は ル励 δy
δ s灘7δ1α解屈 厂α, XI ,50
− 51 (p .68
),Maha
− ya−nasai ?igraha , II,§30
と比較 して 考 察すべ き もの で ある。74)
7
「厂卿 色請δ,第23
偈 , ‘‘trividliasya svabhfivasya trividh盃rp nihsvabhAvat 且m /satpdh 且yasarva −dharm 議p巨rp
dei
it
巨 nibsvabh 訌vat 盃/
/”75
)Lamotte
−*, p ,70 , II.9
− 13 .76) こ の 経 中の 他の 箇所 (Lalllotte 木, P.52 , IL 7 − 14)に も真如 ・勝 義 ・法 無 我に対 し て上 の註 記 箇 所 と同 種の 文が認め られ るが, そこ で は ,「永久
・永遠に 」 と 並 列 し て
「如来の
ilHHr
あるい は 不 出i
凵1に もか か わ らず 」が使 用さ れ て い る。 なお高 崎直 道 ,“Dharmata ,
Dhannadhatu
,Dharmaksya
and Buddhadhatu ”〔『「