最 低 賃 金 制 と 労 働 組
ム、
口
l l富山地方最低賃金審議会をめぐる労働組合の運動
1 i
藤
壮
介 原
最低賃金法の成立と労働組合の審議会参加
﹁総評十年史﹂は︑現行法成立時点における戦いについて︑﹁業者間協定による最低賃金法が成立したという新し
い段階に立って︑国会戦術の上から一時的にとられた政府案修正という方向をいっさい捨て︑ふたたび当初の全国一
律八
︑
00
0円の最低賃金要求を前面に立て︑新しい行動を組織することにした︒﹂︵六九三頁︶と述べている︒現行
法成立によって︑最低賃金制をめぐる労資の対抗はたしかに新しい段階に入った︒日本最大の労働組合全国組織が︑
再び全国一律要求にたち帰ったというだけではない︒最低賃金制をめぐる運動は︑業者間協定法の実態にたいする具
体的な戦いによって吟味される段階に入ったのである︒成立時の﹁八人委員会﹂に一ホされた総評の姿勢が︑果して一
時的なものであったか否かも︑その後の経過においてためされる基本的な問題の一つであった︒
制度の発足にあたって︑中央・地方の最低賃金審議会に参加するか否かは︑その後の戦い方に関連する最初の問題
‑515‑
であった︒業者間協定を中核とする現行法の体系において︑労働者代表の参加する審議会の位置がきわめて低いこと
は周知のところである︒ILO二六号条約・三十号勧告等︑全般的危機の第一段階における国際的な産業平和の規定
最低
賃金
制と
労働
組合
︵藤
原︶
五
富大経済論集
一一
六
‑516‑
さえも︑戦闘的なわが国労働組合にとって現行法批判の中心的な武器となっている事実は︑現行法の社会政策的貧困︑
危機の新しい段階における日本資本主義の社会政策的狭陸性を一示す著しい特徴というべきであろう︒最低賃金決定機
構に示されたこの特性によって︑現行法は﹁一般の最低賃金法の精神﹂に反する特異な立法であると批判され続けて
いる︒だが︑法制が戦後労働立法上の規定︵直接には労働基準法第二十八条i
第三
十一
条お
よび
労働
組合
法第
十八
条︶
しつつ︑しかもその社会的規定からの後退として成立した事実については︑労働組合勢力の聞にきわめて弱い抗議の
声しか呼び起きなかった︒ に関連
ところで︑この狭陸性にもかかわらず︑最低賃金は業者の自発的協定の普及をもって終りえなかったこと︑制度が
実効性を確保するためには︑限られた形においてであれ︑労働組合勢力の参加を求めなければならなかったことも︑
社会政策上の著しい事実である︒
審議
会の
構成
︑
任命
方法
︑
権限
等︑
労資の自主的賃金交渉原則にたいする修Eと
いうよりは︑業者間協定にたいする労働組合勢力の介入を抑制し︑防壁を築くことをもって主旨としている︒しかし
﹁審議会としては最大限の行政官庁に対する拘束力をも
qh
そして︑審議会委員には外ならぬ労働組合勢力が︑排
他的な推薦権をもって任命をうけるものとされていた︒未組織労働者に強く関連するこの制度の中にも労働組合幹部
の席は用意され︑その社会的活動の舞台は拡大された︒
﹁ニセ最賃法の実施に参加することによってその立場が不明確となったばか
りでなく︑全国的最低賃金の確立闘争の組織化がひるんだ﹂という批判がある︒ともあれ︑現行法成立に努力を傾け 労働者代表の審議会参加については︑
た全労の参加はもちろん︑現行法反対を唱える総評も審議会に参加し︑
ゎ︒地方においてもこの方向で審議会は発足し︑富山県の場合︑組織勢力に応じて総評・中立系四︑全労系一が推さ
れ︑任命をうけた︒この割合はその後現在にいたるまで変っていない︒最低賃金法はこうして︑その外部において全 その中においても戦うという態度に決定し
国 一 律 制 の 要 求 を う け る と と も に
︑ 内 部 に お い て も
︑ 具 体 的 な 決 定 を め ぐ っ て 労 働 組 合 勢 力 の 批 判 を う け る こ と と な
− っ
Tこ。
‑517‑
註
ω
審議会の基本的性格は諮問機関であり︑権限もきわめて限られている︒法解説としては堀秀夫﹁最低賃金法解説﹂︑指摘は︑簡単だが黒川俊雄﹁現段階における現行最低賃金法﹂︵﹁経済評論﹂一九六四年二月号︶等︒
ω
氏原正治郎﹁最侶賃金と法律﹂︵同氏﹁日本の労使関係﹂所収︶および藤本武﹁最但賃金制度の研究﹂︵以下﹁研究﹂という︶第三篇第三章第一節参照︒なお坂寄俊雄氏によれば︑制度論的批判とともに︑﹁国家独占資本の労働政策の一環として検
討した場合には︑他の重要な問題点を自ずと見出し得る︒﹂︵同氏﹁日本の労働問題﹂九五頁︶︒
ゆ堀秀夫︑前掲書︑三三九頁︒
ω
最低賃金審議会令第三条︒この﹁推薦il
任命制﹂は︑一団体が推薦を拒否した場合いつでも他団体の推薦者によって代え
うる︵同条2項︶︒だが︑現実的には組織勢力の比重を無視できるものではない︒なお労働者側委員の報酬は日当制で会議開 催毎に現行二五OO円︵富山県の場合通常月一回開催︶であり︑地方労働委員︵現行月額ごニ︑
00
0円︶よりはるかに割が
悪いとされている︒
問藤本武﹁労働組合の賃金政策﹂︵講座﹁日本の労働問題﹂︑﹁l賃金﹂の第五章︶三四一頁︒細迫朝夫﹁最低賃金制闘争の
現状と課題﹂によれば︑1現行制度下の審議会は︑全国・全産業的な統一行動を反映する条件をもたない︑2審議会は本質的
に︑労働者代表を大衆からきり離した位置におく必然性をもっている︵二八t
九頁
︶︒
ω
社会政策の本質規定として﹁価値収奪の一時的な抑制・緩和﹂を強調される岸本英太郎氏にあっては︑社会政策の一形態としての最低賃金制は︑﹁工場法を補うものとしての︑工場法の拡張たるの意味﹂において位置づけられる︵同氏﹁窮乏他法則と
社会政策﹂一O八i九頁︑および一一七頁︶︒同規定によるかぎり︑戦後日本の圃家独占資本主義が与えた貧弱な﹁社会改良﹂
が︑同時に社会的規定の後退を伴っていた問題は軽損され︑﹁一試歩﹂の量の問題に還元される︒現行法成立にあたって︑﹁労
働者階級も最低賃金制が成立した以上その方向を転換し︑乙の制度の内容充実に向って闘争をすすめてゆくべきであろう︒業
者間協定も次第に締結され︑それが賃金の若干の引上げとなっていることも周知のとおりである︒業者間協定は狭い節囲では
あっても企業のワクをこえる賃率の形成である︒﹂︵同氏﹁労働問題の理論的諮問題﹂九八頁︶と説き︑その中に﹁労働運動の 批判的
最低賃金制と労働組合︵藤原︶
一一
七
富大
経済
論集
一一
八
‑518‑
前進
﹂を
期待
され
たの
も必
然で
あっ
た︒
間富山県の当初の五名は県労協推薦︒審議会発足直後の十月に全繊同盟県支部は県労協を脱退し︑十二月に県全労を結成した
︵後
に富
山地
方向
盟︶
︒現
在の
委員
は︑
県労
協四
︑同
盟か
ら一
であ
る︒
−T
本稿
は︑
内容
的に
は﹁
富大
経済
論集
﹂第
十二
巻第
二号
の拙
稿﹁
最低
賃金
と地
域労
働経
済|
|富
山県
にお
ける
最低
賃金
制の
動向
とそ
の批
判
i!
﹂︵
以下
﹁前
編﹂
とよ
ぶ︶
の後
編を
なす
もの
であ
る︒
最低賃金額をめぐる戦いと審議会
﹁同盟︵旧全労||筆者︶の評価は︑業者間協定最賃方式の
過渡的な制度としての意義とそれなりの効果を認める一貫した立場に立つものである﹂︒﹁現行最賃法に定められた業 現行法にたいする全労側の評価と政策は一貫している︒
者間協定最賃は︑主として業者の申請に依存するものであるために︑その普及にはおのずから一定の限界があり︑ま
た︑適切な最賃額の決定についても本来的な困難をともなわざるをえない﹂︒同盟︵H全労︶の努力こそは︑﹁このよう
な業者間協定最賃のもつ本質的な欠陥をわれわれの主体的な努力︑闘いによって除去しつつ︑これを真に全国的最賃
制確立のための︒地ならし︒たらしめようとしたところにある︒﹂
こうした全労の態度からすれば︑総評の運動は非現実的であり︑﹁画一的観念目標﹂に固執するものである︒要す
﹁全産業一律方式以外に最低賃金はありえないという先入観﹂のとりこになり︑
金問題の所在から切り放して考え﹂るものであって︑
する理念﹂が流れている︒ ﹁現行の賃金制度︑或いは賃
るに
︑
﹁その根底にはいぜんとして最低賃金闘争は政治闘争であると
しかし︑最低賃金審議会の活動を通して見るかぎり︑現行法の運用にたいする積極的批判的態度︑その﹁本質的欠
陥﹂を吋主体的広克服して行く﹂努力は︑外ならぬ総評系委員を中心として進められている︒
﹁総評や社会党では︑成立した最最低賃金審議会の活動に関するかぎり︑全労に関する一宣伝文書の述べる非難︑
いまなお妨害的態度に出ょうとしている︒﹂との非難は当らない︒低賃金法をゴマ化しであると呼び︑
総評方針は︑現行法の運用にたいする積極的介入を拒否するものではなかったが︑全国一律制獲得を運動上の第一
目標にかかげ︑審議会外の戦い︑労働組合を中心とする社会的運動の基本重要性を強調する点で︑たしかに全労の評
価とは対立した︒その基本的見解は︑昭和三十三年二月の政府法案要綱にたいする反論および現行法成立にあたって
の声明に見ることが出来る︒運動論上の反省と戦いの方向は総評第十二回大会︵一九五九年八月︶の運動方針に︑ある
いは総評幹部の社会的発色として表わされている︒総じて︑最低賃金制度を賃金闘争の側面から見ること︑あるいは
現段階の社会政策にたいする﹁社会改良﹂の視点と社会的一元的理解の態度こそは︑総評の運動の基本的観点と言う
タ最低賃金制は独占段階における労働者側の要求であり︑資本の基本的態度は常に反対をもって貫か
﹂と
がで
きる
︒
れる︒労働組合の広般かつ強力な統一闘争によって独占資本は﹁譲歩﹂
﹁ゴマ化し﹂あるいは﹁統一行動の発展を妨げる﹂ためのものでしかない︒︒とは︑最低賃金制にたいする戦闘的・
先進的理解の教示するところであった︒ ・﹁妥協﹂を余儀なくされるが︑その内容は
﹁低賃金労働者の賃金を引き上げ︑労働条件の向上をつうじて︑労働者を保
護するという最低賃金法本来の目的﹂︵前記声明︶は︑低賃金の普辺的に存在するわが国では全国一律法制によっての
と論じられた︒み有効となる︑同法制は賃金闘争の高揚によってのみ獲得される︑
このような立場からすれば︑全国一律の法制化闘争こそは基本でなければならない︒﹁業者間協定方式は最低賃金
制に名をかりた賃金釘づけ政策である﹂︵前記法案批判︶︒現行法発足時点における総評第十二回大会は︑全国一律法制
‑519ー
をめざす大衆的統一闘争の方針を具体化した︒審議会内における対応的戦いについては︑すでに七月末の全国研究集
会が
具体
的戦
術を
明ら
かに
して
いた
︵﹁
最賃
審議
会に
のぞ
む基
本態
度と
予想
され
る問
題に
たい
する
対策
﹂︶
︒
最低
賃金
制と
労働
組合
︵藤
原︶
二 九
富大
経済
論集
一 一
一
O
n u
にd しかしこの戦闘的態度にもかかわらず︑現行法成立とともに現実の運動は教年間の停滞に転じたのであった︒最賃
共闘会議の結成は全国的にも数少なく︑中央のそれは遂に結成されなかったがそれだけではない︒いち早く三月に組
織結成をみた富山県最賃制獲得協議会の例でも︑その主旨と活動は次の県労協報告に一示されている︒
﹁国会における最賃制改正案提出にあわせて︑県内の業者間協定の阻止︑労働者と経営者の交渉による最賃協定を
とる体制が必要であった︒このため︑最賃制の教育宣伝︑未組織労働者の組織化︑所管官庁への陳情行動などを組織
すベ
く:
::
結成
した
﹂︒
運動は︑国会における法提案の支援活動︑あるいは業者間協定に対する幹部の陳情行動に終り︑組織は春闘の前段
﹁国会依存主義﹂といわれる内容がこれであ司令︒問題は次のことと切り離せない︒総評第闘争の機関にとどまった︒
十二回大会の運動方針の討論は︑最低賃金制闘争の今後の方向として︑失業反対・社会保障拡充その他臨時工︑社外
工︑中小企業未組織労働者︑農民︑失業者等のあらゆる要求を結合して︑全労働者の統一要求として取り組むべきこ
とと原案に修正補強を加えた︒修正提案が︑独占段階の社会政策問題がもっ広般な基盤という社会経済的側面にたい
する反省をともなったかぎり︑その方向は主体勢力の面でも従来の型を踏襲するものではなかった︒大会における
﹁闘争態勢の強化﹂問題の経緯がこれを示している︒しかし︑こうした修正案の方向も︑強固な社会的視点からすれ
ば従来の方向の補強として︑労働組合運動の下への全階層の動員として︵何よりも未組織労働者の組織化の問題とし
て︶受けとめられていたのである︒
協議会は翌年度も社会党案を中心とする教宣活動をすすめたが︑国会における同案の帰すうにあわせて次第に不活
緩となり︑業者間協定にたいする戦いは︑審議会中心の活動に限られることとなった︒
ところで︑業者間協定による﹁低すぎる最低賃金﹂こそは︑最低賃金制度にたいする総評の戦闘的理解を裏付ける
とともに︑審議会内部の社会的戦いを意義づけ︑これに重要性を与えた最大の要因であろう︒現行法の基本的性格は
もとより︑とくに︑﹁関係者の自主的気運の醸成﹂に重点をおいた初期の最低賃金水準がいかに低かったか︑今日す
でに語る必要もない︒労働者側にとってもその第一の理解は︑金額水準に関する分配的内容のものであった叫彼等が
最低賃金批判の一般的方法に従って︑初任給水準の上昇︑一般賃金動向をあげて︑業者間協定を低賃金固定政策であ
ると非難したことは言うまでもない︒経済の高度成長H物価高騰の中では︑論議は第一には﹁食える賃金﹂かどうか
と出されている︒生計費について格別の数理的根拠も示されなかった︑れ︑業者間協定額の実体と激しい物価騰貴を前
にして︑この単純な主張は実感として各委員に迫るものがあっ
h o
業者間協
‑521‑
第1表 最 低 賃 金 設 定 様 式 の 推 移
38 26
数 22 件全
成
i!ilili
− − 作
mH J
よ
計統務業局準基
33 21 全 労 働 者 一 本 の も の 7
4 4 職種による区別あるもの 2
14 勤続による区別あるもの 年令による区別あるもの
定額前進のための漸進的措置︵付帯意見等︶はこのことによって促進された︒
高度成長経済下の業者の自発的協定を前にすれば︑現行法批判の一論点であ
った﹁支払能力﹂︵第三条︶さえも︑金額引上げの武器として積極的に取りあ
最儲
賃金
制と
労働
組合
︵藤
原︶
げうるものであった︒﹁低すぎる最低賃金﹂にたいする具体的な戦いは︑ま
ず﹁但書﹂による勤続年限上の差別の撤廃に向けられた︒第一表は最低賃金
設定様式の推移を示したものである口当初︑協定の大部分は職種・勤続・年
令 ︑
なかでも勤続︵ほとんどが六ヶ月︶によって最低賃金の下にさらに最低を
設けていたが︑こうした規定は︑昭和三十七年︑三十八年の改定を通じて撤
廃され︑全労働者一本の規制に移っている︒別規定のねらいが最低賃金額の
切下げであり︑そのことによって普及をはかろうとした点にあったことは言
うまでもない︒ここで勤続上の別規定の理由とされた試用期間︑見習期間等
富大経済論集
一一
一
一一
つ 〆 ﹄
瓦 .u が︑労働市場の実態によってもはや空文化された差別であったことに注目すべきであろう︒例えば
1昭和三十六年六月︑紙製容器製造業は二三O円︑六ヶ月未満二一O円の公示をうけたが︑審議会における基準
局賃金課長の報告によれば︑差別の理由とされた見習期間は当時有名無実の状態であっ向︒
2
同年七月︑銑鉄鋳物業は二五O円と六ヶ月未満二三O円で公示されたが︑同年二月の実態調査によれば︑試用
いずれも形式的で賃金格差はないと報告されてい九︒期間︑見習期間の制度は各一・事業所で設けているが︑
勤続区分︵というよりも最偶賃金額の切り下げ規定︶の減少は︑労働者側・当局一体の努力︑なによりも労働者側の関心
と熱意に負うものである︒要望に答える当局の態度も︑﹁出来るだけ但書期間を短く︑或は全然なくするよう努力指
導している﹂というものであった︒
戦いの第二は協定違反の摘発である︒これは特に一九六一年に重点的に取り上げられ︑同年の県労協大会では﹁今
日最賃の闘いの中で一番効果をあげたもの﹂として報告されている︒戦い方は︑﹁これらを審議会の場で取り上げ基
準局にその責任を追及する中で:::監視の目を離さず更に違反摘発を行う︒﹂というものであった︒﹁特にこのことが
帥労働者の関心を強くしている︒更にこのことが県労協の門をたたく結果も生じている﹂という︒労働者の主体的・積
極的な戦いなくしては︑いかなる貧弱な賃金最低限の規定も守られるものではなかった︒
戦いの第三︑最低賃金額の全般的引き上げこそは︑労働者側の最も力を入れる点であり︑同時にその限界性を示し
ι
んものであった︒昭和三十六年六月︑現行法施行二ヶ年の実績を検討して当局は︑今後のすすめ方について中央最低賃金審議会に諮問したが︑その中の﹁時間の経過と共に:::効果を失いつつある﹂最低賃金の問題点にカいでさえ︑
﹁締結するときから︑すでに最低賃金としての役割を果していな川﹂というのが︑労働者側の公式見解である︒最低
賃金額の目標の設定︑かっ一定基準以下協定への反対の表明が地審における具体的戦いであった︒発足当初の﹁二O
︒円以下は審議会を通過させない﹂という方針にはじまり︑その額は賃金・物価水準の上昇に応じ︑また業種によっ
て適宜︑労働者側委員協議のもとに改訂されている︒いま年次大会毎に表明されたものは第二表のとおりである︒こ
れを最低賃金公一示額の年次推移と対比すれば︑六三年までの目標額はほぼ当時決定の上位水準に対応し︑最低基準は
中位の決定件数の最も多い額に対応していることを知る︒地域的公正賃金要求の一種である︒
水準が︑要求額においても総評の全国一律要求を下まわっていることは一つの問題点であろう︒だが︑最低賃金協
年 次 別 最 恒 賃 金 要 求 額
円︿U
第2表
[最低基準
1
目 標 額 ! 総 評 要 求 額8,000円
10,000円 300円以上
200円 250円
円
円UハU
ハリ
ハU間月
300円 1962・8
産業別12,000円 全国 14,000円 県 13,000円 県も 14,000円 500円
350円 1963・8
1964・8
500円 1965・8
最低賃金制と労働組合︵藤原︶
1960・6 1961・6
県労協大会議案書による
定を現実の事例にそくして考えるとき︑労働者側は︑業者間協定を拒否して
﹁もし放置しておいても賃金が﹃自然に﹄上昇するような状態﹂に信頼す
ることができたか︒労働力需要の高さは初任給水準上昇の原因であり︑賃
金の大巾増額を期待させる一つの条件であったが︑逆に最低賃金の影響率
の一口同さ自体が最低賃金の必要性を物語ってはいないか︒そして︑協定にあ
たって業界幹部が﹁頑迷な﹂反対にあわねばならなかったことも事実では
同州ないのか︒労働者側の控え目な要求も﹁最賃協定自体一つの前進である﹂︑
﹁業界の結束にひびを入らすことはできない﹂︑﹁申請を拒否しても改善さ
れた額が出るとは考えられない﹂という意見の前には無力であった︒組織
労働者勢力によって大衆的宣伝が行われた数少い例の一つである﹁町ぐる
川刊の場合でも︑労働者側委員の強い態度によっ
み最
賃﹂
︵昭和三十六年福先︶
て設けられた小委員会の調査では︑初任給・賃金水準・生計を理由として
三OO円を要求する︵福光︶町ぐるみ最賃対策委員会の宣伝とは逆に︑季
一一 一一一 一
富大経済論集
‑524‑
一 一 一 四
節労務者あるいは近隣の主婦は二OO円でも︑それ以下でも使ってくれと来ているというのであっ白︒この現実の前
には労働者の努力も︑結局は﹁業者の努力の一階梯としてこれを認めても︑その額が早急に改正されるよう行政指導
九 条 方 式 最 低 賃 金 の 影 響 率 表
!
労 働 者 影 響 率 同 | 賃 金 引 上 げ れ ) |昭351昭36I昭371昭41 昭351昭361昭371昭41
5 % 未 満 1 1
5〜10%未満 2 5 10 4 4 10 10〜20%未満 2 4 1 10 4 3 I 4 s
20〜30%未満 1 1 2 1 2 2
30〜40%未満 2 1 2 1
40〜50%未満 2
50 % 以 上 2 2
不 明 1 5 1
言
十 5 10 10 32 5 10
第3表
各年3月末現在で, 1ヶ年間の新設・改定のものをとった。
(
刈 は最低賃金額末満の労働者数÷適用労働者数×100
(B) は最低賃金額までに引上げに要する賃金増加額÷最低賃金額未
満の労働者の賃金支払総額 業務統計により作成
すべきである﹂という付帯決議に終らなければならない︒
第三表は業者間協定方式︵第九条︶による最低賃金の影
響率を示している︒昭和三十七年三月末までの新設・改定
件数中︑約三分の一は三O%以上の労働者に影響を与えて
いる︒労働者影響率の低い協定も︑同業種の前例あるいは
以前のものと比べれば︑多かれ少なかれ前進の面をもっ︒
協定額の面では︑労働者側に不満足ではあれ︑ともかく漸
次的改良の方向にあった︒﹁業者間協定が賃金改善に役立
っていない﹂という類の批判は︑県労協文書の随所に見出
すことができる︒しかしそれにもかかわらず︑中央の諮問
と同じく二ヶ年の経過をもとにして︑現行法批判の立場を
とる県労協こそは︑﹁現在実施している業者間協定による
最低賃金法には︑基本的には反対の立場をとるが:・:::現
状からみて︑このことによってわずかでも賃金が引き上げ
られている労働者のいることを否定できないか九﹂と逆な
悩みを表明しなければならなかった︒そして︑
﹁最
低賃
金
審議委員会の中で︑委員の活動を強化して協定額のさらに大巾な引き上げをかちとることにより︑業者間協定の狙い
を打ち砕くようつとめるにというのが解決の方向であった︒
審議会のこれまでの闘争自体︑すでに行政依存であった︒第十一条方式の点をも含めて︑現行法の枠内で﹁分配﹂
上の改良を求めるとすれば︑行政指導をてことする以外に実現の道は与えられていない︒いま︑低賃金政策にたいす
る具体的な対抗運動を背後に持たない﹁低賃金との戦い﹂は︑業者間協定にたいして審議会が無力であるという証明
によ
って
︑
かえって行政にたいする審議会の役割を高めるべきことを要求する︒しかも︑行政の干与こそは業者間協
定の普及・発展の中で主導的役割を果しつつあるものであった︒審議会活動強化の方向は︑第三期委員による審議会
発足にあたって︑﹁今後一ヶ年の審議会のあり方﹂として要望された労働者側意見に代表される︒それはんゲ一︑二の
同叫
但書の全廃あるいは期間短縮ψのほか次のようなものであった︒金額水準改善︑四
零細企業には設備内容や労働者賃金実態等委員が実際に調査するようにしていただきたい︒
五
労働者側の意見をとりいれ︑少なくとも労働組合のある事業所については労組の意見を聞いてもらいたい︒
実態調査後三ヶ月もすれば賃金の変化も著しいので︑出来る限り早く申請書を提出されるようしてもらいたい︒
一‑L...
ノ\
申請前に委員が現地調査できることが明らかにされたのは︑この討議においてであった口行政指導において今後は
労使双方の意見を徴したいという局長言明もえている︒注目すべきは︑金額水準に関する中央の諮問は言うまでもな
く︑富山県の実態に関しても︑み量的には高水準に達しているが︑質的には必ずしも良好とは一一一口えないんVと︑基準局
﹁分配﹂改善のために積極的
にd 門ノ ム
にJ 長自身︑会議冒頭の挨拶に述べている点である︒中小企業政策の新しい時期を迎えて︑な介入を主張する労働組合側の要求と︑最低賃金制度の役割の高度化を求める行政当局の聞に︑基本的な対立は存在
しない口要望は︑六の点に関してタ全国的水準に達した︑内容の高度のものを審議していただくことにしている︒と
最低
賃金
制と
労働
組合
︵藤
原︶
五
富大経済論集
一 一 一 六
‑520‑
いう返事のほかは︑全面的に労働基準局長の同感を得るものであった︒
こうして行政に対する期待は高められた︒三十七︑三十八年労働者側の批判も強化され︑とくに三十七年石動工場
協会申請の最低賃金︵町々るみ最賃︶の継続審議はその頂点であったが︑町ぐるみに対する業種別最賃要求の点を別と
制して︑その討議の焦点は監督署長の金額指導の態度におかれていた︒三十八年薬業最賃の審議では︑タ賃金を高くし
ても若い者が入らない︒また地区によっては幾らでもよいという者がいる
0 6
という実情が報告さ刷︑ファスナー製
造業では親企業が下請を打切るおそれが懸念されたが︑こうした障害も﹁強力な行政指導﹂の付帯決議によって乗り
切られた︒行政依存の傾向は第一次答申以降のものではない︒
註
ω
同盟調査局長加藤俊郎﹁新目安と本格最賃への道﹂︑雑誌﹁同盟﹂一九六六年四月号︑二ハ頁︒ω
︑ω
同盟調査部長河野徳三﹁最賃制前進のために﹂︑雑誌﹁同盟﹂一九六四年十二月号︒ω
全労会議経済政策部長井上甫﹁最低賃金制の確立と賃金闘争﹂︑﹁日本労働協会雑誌﹂一九六二年十二月号︑二三頁︒伺全労会議﹁全労に関する二十章﹂︑一九六二年刊︑三五頁︒
ω
﹁日本労働協会雑誌﹂第四号︵一九五九・七︶の﹁労働問題フォーラム﹂における太田薫総評議長の報告︑三一1三頁
o
m
永野順造﹁最恒賃金論・最低賃金制の闘争と理論﹂第四章参照︒附産業別最賃︑地域最賃︑全国的統一闘争等の戦術的問題は本稿の課題ではないc倒前掲藤本氏﹁研究﹂︑六六一頁︒
ω
富山県労働組合協議会︵県労協︶第十回大会︵一九六O年六
月︶
﹁一
般会
務報
比巴
三九
頁︒
ω
永野氏前掲書二五頁の内山達四郎氏文章︒ω
新聞記事による︒﹁共闘会議﹂の方向も追加である︒ω
東村金之助﹁最低賃金の現状と問題点﹂︑﹁日本労働協会雑誌﹂四五号︑二七頁︒ω
一面では︑地方審議会の権限上の制約に基いている︒地方審議会内抗争の基本性格は﹁分配闘争﹂にある︒側最低生活費の労働制科学的推算との対出は︑前掲藤本氏﹁研究﹂︑六八O頁︑
六四
一頁
︒
州四県労協第十一回大会︵一九六一年六月︶﹁一般会務報告﹂三八頁︑﹁特にこの面について公益側委員は態度が強く︑﹃人た る生活﹄を二五O円以下でできるのかと極めて不満を示しているになお富山県の金額水準は全国状況と比較して劣ってはい
pih︑ ︑ ︒
ナι
︑ ︑ h v
m
昭和三十六年五月二十五日︑富山地方最低賃金審議会議事録︵以下﹁審議会議事録﹂とよぶ︶︒制昭和三六年五月︑富山労働基準局﹁富山県における銑鉄鋳物製造業の実態調査結果報告書﹂︑九頁︒
ω
註仰の審議会議事録︒側県労協第十一回大会﹁一般会務報告﹂三八頁︒ω総評側中央最賃委員入江正治﹁現行最低賃金法の欠陥をどう克服するか﹂︑﹁日本労働協会雑誌﹂四五号︑一九頁︒ω前掲﹁前編﹂︵拙稿︶の第五表︵一三六頁︶参照︒
ω
どの業種においてもほとんど幹部の﹁努力﹂が報告されるのが常である︒側関係労働組合は︑業者間協定の動きが事前に察知された場合︑普通︑基準局︑業者団体に申入れを行っている︒福先・石動
等の場合は︑地区労中心に町々るみ最賃対策委員会が設けられた︒
倒福光町ぐるみ最賃対策委員会のピラ﹁町々るみ二五O円最賃では飯は食えない﹂
二十日の地審小委員会議事録︒
側︑仰県労協第十一回大会︵一九六一年六月︶﹁運動方針書﹂︑二一頁︒
倒昭和三十六年十月六日﹁審議会事議録﹂︒ω昭和三十七年五t
六月
三回
の﹁
審議
会議
事録
﹂︒
側︑倒昭和三十八年三月十一日および七月二十二日﹁審議会議事録﹂︒ ︵昭和三十六年十月三十日︶と同年十二月
第一次答申以降の運動
7I
円ノ ム
昭和三十八年八月︑中央最低賃金審議会において﹁最低賃金制の今後のすすめ方について﹂の答申︵第一次答申︶が 採択された︒問答申とこれに基く具体的作業の一つである第二次答申︵昭和三十九年十月︶
によって︑現行法下最低賃
最低賃金制と労働組合︵藤原︶
二一
七
富大経済論集
/
円 ︒
門/
﹄
金制は﹁積極的推進﹂の新しい時期に入った︒
昭和三十八年は同時に︑全国一律最低賃金制のための大衆的行動が︑地域的な統一行動・対自治体闘争を基礎に審
議会外・国会外に組織され︑労働組合自身による対政府交渉が行われて︑その後の運動に新しい道をしいた年でもあ
る︒十一月︑春闘期間に終らない独自の﹁長期にわたる日常的な大衆運動のため﹂の機関として︑﹁最賃共闘連絡会
議﹂が成立していることも見のがし難い︒最低賃金制の戦いは春闘の中で準備され︑その前段闘争として成長を遂げ
て来たが︑安保共闘以降の地域的共闘の経験をへて︑その高揚点において︑賃金闘争としての理解の枠にとどまらな
い日常的な戦いの組織を生み出じたのである︒
きて︑中小企業近代化・合理化政策の一環として最低賃金制の基本的構想を明らかにした第一次答申肉︑
﹁社
会改
良﹂の視点︑社会的一元的把握の立場にあたっては︑
答申にたいする全労の評価は︑﹁われわれの主張の反映﹂︑﹁積極的な側面をもっ前進的提案﹂という言葉に集約され
る︒全労は︑答申路線の主体的推進を改めて基本方針とした︒その方向五点のうち︑とくに付昭和四十一年度全国一律
最賃
の実
現︑
HH
業種選定および金額設定の主体的検討について︑さし当り具体的な態度がとられた︒中央最低賃金審
議会の審議にあわせて進められた﹁五人委員会﹂の第一の作業が後者であ玖u四十一年度を目標とする単純不熟練労
働者の初任給二ニ
00
0円の要求と最賃プロック会議で設定された地域別年次別段階的指標が前者である︒新らしく
基本目標とされた全国一律一三
00
0円達成のために︑未組織労働者の組織化と組織労働者の高い協約賃金︵産業別最
﹁改
l良ーー欺鵬﹂の観点から評価されるにすぎなかった︒まず
賃︶獲得の必要が強調されたことは言うまでもないが︑審議会内部の戦いの強化による﹁地ならし﹂は︑まず基本で
なければならなかった︒第二次答申もほぼ全労の線に合致した︒第二次答申を迎えては︑金額に若干の不満を残すほ
か満足を表明し︑推進のためにも審議会の権限強化を中心に第一次答申の全面実施を要求するものであった︒
第一次答申を﹁欺蹄的﹂︑﹁反動的﹂と非難する総評にとっても︑全国全産業一律の最低賃金採用の可能性にふれ︑
現行最賃法検討の目標時点を﹁昭和四十一年度末ごろ﹂と明示した答申︑かつ当面の具体的推進要項においても労働
者側の批判に譲歩的対応を示した内容は︑大きな影響を与えた︒答申は﹁業者間協定による最賃決定方式に固執して
当面を糊塗しようとする態度﹂と批判されるが︑同時に︑﹁現行最低賃金法の枠の中で最低賃金を普及させるとすれ
ば︑今回の答申はその限度まできたと云いうるものである︒﹂
﹁従来以上に審議会対策を強めなければならないよ と理解される︒そして︑業種選定・目安設定を控えて
という態度は固められた︒同方針にならう富山県労協の言葉に
﹁全国一律法制化の斗いは︑中審の答申案によって斗う方向が極めて明確になった︒私たちの今後の斗いに
よってその実現の可否が決せられる段階といっても過言ではなかろう︒﹂ よ
れば
︑
こうした方向が﹁中賃コlス便乗論﹂と言われ︑やがて実践的に反省されたことは周知のとおりである︒
一九
六五
年春闘の反省は︑基本的問題点の一つとして最賃闘争上の指導の弱さ︑﹁とくに中賃ベースから脱皮できなかった中
央指導の欠陥﹂を指摘し︑﹁最賃闘争の重点は︑中賃対策ではなく︑産業別または地域から︑現行業者間協定を具体
的に打破ってゆく運動ミそ大切であり︑:::日常普段の運動のつみあげがあってこそ︑はじめて効果を発揮するもの
であることをしらなければならないよと改めて強調するのであった︒
答申を契機とする総評方針の全国一律法制化闘争への回帰︑法制化をめぐる主体的闘争体制の再編成にもかかわら
ず︑現行法批判の運動が停滞し︑反省しなければならなかったこと︑これは答申方向にたいする総評の基本的理解と
もかかわる︑総評の運動の根本的な問題点である︒だが︑きし当り﹁中賃コース﹂と言われるものにおいても︑審議
‑529ー
会外部における大衆闘争の強調とその全国闘争への集約は︑答申に対応する注目すべき転換であった︒富山県におい
ても第一次答申以降の戦いは︑最賃闘争推進委員会の結成︵昭和三十八年十月二十五日︶をもって始まったが︑同議案書
最低
賃金
制と
労働
組合
︵藤
原︶
一 一 一 九
富大経済論集
主六
︶
‑530ー
は︑県段階・各地域プロック協議会内に委員会を設置して︑
最賃実現のための斗いを強力に推進すム﹂ことを誓うものであった︒議案書前文に述︒代られた労働組合闘争にたいす ﹁今もり上がっている労働者の力を結集し︑全国一律制
る強い信頼の表明︑すなわちんゲ中小企業労働者の怒りと組織化への胎動︒の報告は︑この時点︑合理化の進行と大衆
的貧困の深化の中で労働者の組織化が全国的に進んだ情勢を背景に理解すべきであろう︒
最低賃金制度に関する現在の実践的理解が︑ほぼこの時点で大筋を確立していることも注目される︒推進委員会の
同開活動は学習をもって始まり︑全国一律法制化闘争の基本的意義はこの中で徹底された︒最低賃金の決定方式︑最低賃
金の決定機構︑統一闘争の強調等を通じて︑最低賃金制度の団交権にかかわる性格がとりあげられ︑権利闘争として
の理解が進められたことも重要である︒全国一律方式による低賃金構造打破の役割も︑この社会的性格によってのみ
達成されることが強調された︒
ところで︑答申方向にたいする総評の基本的理解こそは︑強調されたこの戦いのもろさを物語っている︒第一次答
申にたいする戦いの策定にあたって︑まず総評は答申の背景として次の三つの事情をあげた︒
中小企業労働者を中心とする低賃金層の賃金の大巾上昇︒
が内包している矛盾から現実の賃金水準に比較して低すぎ︑最低賃金としての効力を持ちえなくなっていた︒﹂ ﹁業者間協定による最低賃金は︑決定方式それ自体
一
一、自由化︑開放経済体制への移行の中での国際的考慮︒三︑国際競争力強化のための新産業体制の方向︒
﹁中
小企
業も
これらの動きに並行して︑中小企業基本法に代表されるように︑再編・強化が進められている︒﹂
戦後国家独占資本主義の政治経済動向にかかわるこれらの事情は︑経済的改良のための基盤としてとりあげられ︑
最低賃金法の新展開はつ日本経済の体質改善と労働力の需給関係から﹂来るところの﹁最低賃金法の行き守つまり﹂と
理解される︒﹁以上のような客観的な条件の推移の中で︑基本的には︑現行最低賃金法の運用め部分的改善にとどま
り︑:::答申が出されたのは何故であろうか︒基本的には最低賃金制闘争を闘うわれわれの主体的な力の弱さの反映
であるといえよう︒﹂制度の前進について一元的理解を貫く総評にとって︑答申は﹁改良﹂の前進と主体的力量の不
足によるその﹁限界性﹂という観念を一一層明瞭にするものであった︒新たな段階の戦いは︑この反省にもとやついて︑
まず審議会外部における地域最賃闘争の強化と自治体請願行動の具体化を背景に︑全国的にはこの戦いを中央闘争へ
強固に集中し︑地方審議会内部においても社会的戦いを技術的に高めることによって対応し︑これを中央闘争の足場
に高めようとするものであった︒
戦いの第一の課題は︑中央指導においては総評も︑中央審議会小委員会の討議にあわせての業種・目安の問題にお
かれた︒しかし︑中賃ーーー地賃関係を律するパターンとなった﹁各県段階における斗いを通じて中央につきあげる﹂
という方針は︑業者間協定申請の具体的審議を中心機能とする地方審議会にとっては︑行われ難い問題である口実際
の運動は依然として最賃額の引上げ︑この時期においては改定をめぐる戦いとして行われた︒政府の第一次諮問に指
摘された改定問題は︑地方審議会の問題としては昭和三十七年四月から三十九年三月にかけて︵とくに後半︶が第一の
山場であった︒富山県においてもこの期間二十一件の改定︵賂止を含む︶を数え︑この結果三十七年四月以前制定の最
低賃金は一件︵後に廃止︶を除いてすべて改訂をうけることになった︒うち五件は第二回の改定を経験した︒業者間協
だが︑名目賃金上昇の著しいこの時期において
も︑改定の四分の三は一年半以上を経過し︑制定後二年半以上が五件を数える状態であった︒ 定の改定自体︑物価・賃金水準の変動にともなうものでしかない︒
﹁実効性の薄らいだ最賃﹂の早期改定の要望も出されている︒だがそれにも増
一531‑
改定の停滞期︑昭和二十九年には︑
して︑継続審議︑小委員会設置等が意識的戦術として採用され︑労働者委員はこの背景のもとに金額水準改善のため
の行政指導強化を求めることに努力を注いだ︒昭和三十九年の鉄工機械︑医薬品︑絹人絹︑四十年の電気機械器具︑
最低
賃金
制と
労働
組合
︵藤
原︶
一
一
一一一
富大経済論集
一
一一一一
一
‑532ー
クリーニング等は経済不況に裏打ちされた業界の強い態度と生活および実効性を根拠とする労働者側の強い態度の中
で難行した︒最低賃金の設定自体一つの前進であるとする理解は︑労働者側のものとしてはすでに一掃されたかのよ
うで
ある
︒
﹁実効性﹂の問題は︑この時期の特徴的な論議であった︒金額水準を中心とするこの現行法批判は︑昭和四十年十
一月の最賃対策委員会・地賃打合会﹁討議資料﹂の六項目の問題点に集大成されたが︑地方審議会の審議にそくして
考察すれば︑批判は答申前時期のつまずきの石︑﹁影響率﹂に向けられているのをみる︒第一は︑調査
ll
指導||協
定ーー審議にいたる時間的ずれである︒通常三ヶ月から半年に及ぶこのずれは二面では行政上の業務量過重を一示すも
ので
あり
︑
審議会は実態調査の簡墨化を了承しなければならなかった︵四十年度最賃行政概括計画審議時の了承事項︶︒第
二に︑申請の大部分は審議以前に協定で実施していること︵行政指導だけが金額に介入できる︶︒第三に︑・改善され
た金額も春闘・秋闘の中で再び実効性を失うこと︒昭和四十一年春闘期間中県労協委員は審議を拒否していないが︑
目安額に合致した最低賃金︵印刷四六O円︶にさえこの理由で五OO円を要求する︒以上︑当局のあげる﹁影響力﹂の
魔力は失われて︑一層﹁実効性のそう失Lを主張させるものであった︒
戦いが︑答申前からの主張︵第三十一条六項︶︑そして答申にもふれられた関係︑労働者の音山見反映の問題を重要なて
ことしたことは言うまでもない︒それは審議会外の労働者と審議会を結ぶ手段と考えられたものであり︑小委員会設
置要求の理由であった︒しかしこの努力も︑強蓄積政策・合理化過程における労働市場の変貌の前には無力なことを
知らねばならなかった︒若年労働力に代って動員された農村地帯の女子労働力︑都市主婦層こそは広般な内職労働者
層に接続し︑実生活上も一部には内職と分ち難く結ばれている︒人件費上昇にたいする資本の反援は必然的にこの問
題をとり上げるに至っ丸︒そして︑協定金額以下でも吸引きされる主婦労働力の存在は行政指導上も最大のネックと