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『三玉挑事抄』注釈 雑部(四)

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『三玉挑事抄』注釈 雑部(四)

著者 岩坪 健

雑誌名 人文學

号 199

ページ 63‑107

発行年 2017‑03‑15

権利 同志社大学人文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000015580

(2)

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 四

岩 坪

本 稿は

﹃三 玉挑 事 抄﹄ 雑 665部 707〜 番 を掲 載 す る︒ 凡例 は 雑 部︵ 二︶

︵同 志 社 大 学﹁ 人文 学

﹂第 一 九二 号 所 収︶ と同 じ であ る の で 省略 す る︒ 担 当者 は す べて 本 学 博 士課 程 在 学者 で

︑以 下 の 通り で あ る

︒な お 各 項 目 末 尾 の

︶内 に は︑ 担当 者の 氏名 を示 した

︒ 森あ かね

︑村 上泰 規︑ 島田 薫︑ 松本 匡由

︑金 子将 大︑ 小森 一輝

︑北 井達 也︑ 松田 望︑ 八木 智生

︑橋 谷真 広︑ 嶋中 佳輝

︑丹 羽雄 一︑ 溝口 利奈

︑湯 本美 紀 665人

かた の物 いふ はか りつ くり けん ひた たく みを も尋 ねや はせ ぬ 寄 生巻 云︑ むか しお ほゆ る人 かた をも つく り︑ 絵に もか きと めて おこ なひ 侍ら んと なん 云々

︒ 列 子︒ 湯問 篇曰

︑周

穆王 西巡

︑越

崑 崙

︑ 不

弇 山

反 還︒ 未

中 国

︑ 道

工 人

︒ 名

偃 師

云 云

︒偃 師 謁

見王

︒王 薦

之 曰︑

﹁ 若

﹂︒ 対 曰︑

﹁ 臣

造 能

﹂︒ 穆王 驚

視之

︑趣

歩 俯

仰︑ 信

︒巧

夫︑ 鎮

其頤

則 歌

︑捧

︑ 千

変万

︑唯 意所

― 63 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 四

(3)

云 云︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑六 一一 九番

︒源 氏物 語︑ 宿木

︑四 四八 頁︒ 列子

︑二 四八

︑二 四九 頁︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹃ 承 応﹄

﹃湖 月抄

﹄ナ シ︒

﹃ 列子 鬳齋 口義

﹄﹁ 臣所 造│ 臣之 所造

﹂︒

﹇ 訳﹈

︵ 哀傷 歌の 中︶ 人 形が しゃ べる ほど

︵精 巧︶ に造 った とい う︑ 飛騨 の匠 を尋 ねず には いら れよ うか

︒ 宿 木の 巻に よる と︑ 昔を しの ぶ像 も作 り︑ 絵に も︵ その 姿を

︶書 き留 めて 仏道 修行 をい たし まし ょう と云 々︒ 列 子︒ 湯問 篇に よる と︑ 周の 穆王 が西 へお 出か けに なっ たと き︑ 崑崙 の山 は越 えた が︑ 弇山 には 行か ずに 引き 返 した

︒ま だ中 国に は着 かな いと き︑ 途中 で 細 工 師を 献 上 した い と いう 国 が あ った

︒︵ そ の 細工 師 の︶ 名 は偃 師 と い っ た云 々

︒偃 師 は王 に 謁 見し た

︒王 は 偃 師を そ ば へ進 ま せ て言 っ た

︒﹁ お 前と 一 緒 に や っ て 来 た 者 は︑ 何 者か

﹂︒ 偃 師は 答え て言 った

︒﹁ 私が 作っ た 役 者 でご ざ い ます

﹂︒ 穆 王 が驚 い て こ れを 見 た とこ ろ

︑小 走 りに 歩 くさ ま︑ 下を 向い たり 上を 向い たり する さま は︑ ほん とう に人 間そ のも ので あっ た︒ それ のな んと 巧み であ る こと か︑

︵ 細工 師が

︶そ のあ ごを 動か す と

︑歌 を 歌っ て 旋 律も 合 っ てい た

︒︵ 細 工 師が

︶そ の 手 を上 げ る と︑ 舞 を舞 って 節に 合っ てい た︒ あり とあ らゆ る所 作が

︑︵ 穆 王の

︶思 いに かな った 云々

﹇ 考察

﹈﹃ 源 氏 物 語﹄ は︑ 中 の 君 の も と を 訪 れ た 薫 が 亡 き 大 君

︵中 の 君 の 姉

︶を 偲 ぶ 言 葉︒ 当 歌 の 第 四 句﹁ 飛騨 匠﹂ は

︑律 令に おい て飛 騨国

︵岐 阜県 北部

︶か ら徴 発 さ れ た大 工

︒和 歌 や説 話 の 世界 で は 名 工の 代 名 詞で

︑﹃ 今 昔 物語 集

﹄巻 二四 第五 話に 登場 する 伝説 上の 工匠 に由 来す る︒ 当歌 は飛 騨の 匠を 尋ね て︑ 故人 の像 を造 形し たい 気持 ちを 詠

む︒ ﹃

三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 四

― 64 ―

(4)

﹇ 参考

﹈﹃ 列子 鬳齋 口義

﹄は 寛永 四年

︵一 六二 七︶ 版︵ 国会 図書 館デ ジタ ルコ レク ショ ン︶ を使 用︒

︵小 森一 輝︶ 666霧 にむ せふ 春の うく ひす 立わ かれ 山ほ とゝ きす 音の みな くら ん

元 稹︒ 咽レフ

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑六 一一 四番

︒和 漢朗 詠集

︑上

︑春

︑鶯

︑六 五番

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁ 霧 にむ せぶ

│霧 にむ すぶ

﹂︒

﹃ 和漢 朗詠 集註

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

︵ 哀傷 歌の 中︶ 霧 の中 でむ せび 鳴く 春の 鶯︵ のよ うに 故人

︶は 別 れ て 行き

︑︵ 死 出 の山 か ら 来る と い う︶ 山 ほと と ぎ すの 声 だ けが 響 いて いる のだ ろう

︒ 元 稹︒ 朝霧 の中 でか すか に山 の鶯 がさ えず るの は︑ いっ そう 珍し い︒

﹇ 考察

﹈当 歌は 元稹 の詩 を踏 まえ

︑晩 春に 鳴き 声が 稀に な る 鶯と 入 れ 代わ り

︑夏 に 鳴き 始 め る 山ほ と と ぎす は 死 後の 世 界と 関わ り︑ 故人 との 別れ のつ らさ を詠 む︒

﹃ 和漢 朗詠 集註

﹄に は﹁ 春 残テ 鶯ノ 声ナ ヲモ ノウ シ︒ 故ニ 啼

ト 云也

︒咽

レフ

トハ 朝霧 ノウ チニ

︑コ ヱノ カ ス カ ナル 意 也︒

﹂ とあ り

︑鶯 の 鳴き 声 が 珍 しく な る のは

︑春 が 残 り少 な くな ると

︑鶯 は鳴 く気 が進 まな いか らだ と 解 釈 する

︒﹁ ほ と とぎ す

﹂は 夏 を告 げ る 鳥 で︑ その 声 は 恋心 や 懐 古の

情 を呼 び起 こす とさ れる

︒当 歌で は﹁ 死出 の田 長﹂ とい う異 名か ら冥 土と 現世 を往 復す る鳥 とし て詠 まれ てい る︒

﹇ 参考

﹈﹁ 山ふ かみ 立ち くる 霧に むす れば や鳴 く鶯 の声 のま れな る﹂

︵ 千里 集︑ 一番

︑咽 霧山 鶯啼 尚少

︶︒

︵松 本匡 由︶

― 65 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 四

(5)

667ま たみ すや なら ふる 翅か はす 枝た ゝあ らま しに くち しこ との は 長 恨歌

︑見 于恋 部︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑六 一一 三番

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

︵ 哀傷 歌の 中︶ 二 度 と 見 るこ と は ない な あ︒

︵﹁ 比 翼 の 鳥﹂ のよ う に

︶翼 を 並 べ

︑︵

﹁ 連 理 の 枝

﹂の よ う に

︶枝 を 交 わ し

︵と い う 誓 い

︶の 言葉 は︑

︵ 相手 が亡 くな ると

︶朽 ちて しま い︑ もう

︵叶 わぬ

︶願 望に なっ てし まっ たな あ︒ 長 恨歌 は恋 の部 に見 える

︒︵ 恋 345部 番歌

︑参 照︶

﹇ 考察

﹈﹃ 長恨 歌﹄ の﹁ 比翼 の鳥

﹂﹁ 連 理の 枝﹂ の内 容を 踏ま え︑ 恋人 を亡 くし たは かな さを 詠む

︵松 本匡 由︶ 668た のも しな 此世 つき ても はか りな き命 ある 国に うつ る行 末 分 別功 徳品

︒爾 時大 会聞

寿 命却

数 長遠 如

︑無

量無 辺 阿

生得

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑六 三八 四番

︒妙 法蓮 華経

︑巻 五︑ 分別 功徳 品︑ 第一 七︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄ナ シ︒

﹃ 妙法 蓮華 経﹄

﹁此

│是

﹂︒

﹇ 訳﹈

︵ 哀傷 歌の 中︶ 頼 りに 思わ れる なあ

︒こ の世 の命 が尽 きて も︑ 際限 の無 い命 があ る国 に移 り住 む未 来は

︒ 分 別功 徳品

︒そ のと き説 法の 会場 で仏 が

︑﹁ 寿 命 の年 数 が 果て し な く続 く さ ま は︑ この よ う であ る

﹂と 説 いた の を聞 いた

︑測 るこ とも 数え るこ とも でき ない ほど 無数 の人 々は

︑大 きな 益を 得た

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 四

― 66 ―

(6)

﹇ 考察

﹈出 典は

︑釈 迦が 久遠 実 成︵ はる か昔 に仏 にな った こと

︶の 如来 であ るこ とが 証 明 され た 結 果︑ それ を 信 じて 妙 法蓮 華経 を受 持︑ 読誦

︑解 説す る者 の功 徳を 説い たも の︒ 当歌 はそ の内 容を 踏ま え︑ 極楽 往生 を信 じて 故人 を弔 う

︵松 本匡 由︶ 無常 669し るし とて きさ める 石も あた しの ゝそ の名 をわ かぬ 草の 陰か な 白 居易

︒古 墳何 世人

│︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑七 二四 七番

︒白 氏文 集︑ 巻二

︑諷 諭︑ 続古 詩十 首︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄ナ シ︒

﹃ 白氏 文集

﹄﹁ 古墳 何世 人│ 古墓 何代 人﹂

﹇ 訳﹈

無常 目 印と して

︵死 者の 名を

︶刻 んだ

︑あ だし 野 の 墓 石も は か なく な り︑ そ の名 前 も 分 から な く なり

︑誰 も

︵訪 れ ず︶ 踏 み分 けな い草 の影 だな あ︒ 白 居易

︒古 い墓 はい つの 世の 人の もの なの か︵ 分か らな い︶

﹇ 考察

﹈出 典本 文の

﹁│

﹂は 省略 を意 味し

︑﹁ 不知 姓与 名︑ 化作 路傍 土︑ 年年 春草 生︑ 感彼 忽自 悟︑ 今我 何営 営﹂ と続 き

︑名 利に 奔走 して いる 我が 身を 疎ま しく 思 う 厭 世観 と 無 常を 歌 う︒

﹁ あだ し 野﹂ は 京 都市 右 京 区︑ 嵯峨 の 奥 にあ る 野で 火葬 場が あり

︑世 の無 常を 感 じ さ せる 地 名 とし て 詠 まれ る

︒地 名 の﹁ あ だし の

﹂に

︑は か ない 意 の﹁ あ だ﹂ を 掛け る︒ 当歌 の第 四句

﹁わ かぬ

﹂の

﹁分 く﹂ には

﹁判 別す る﹂ と﹁ 人が 踏み 分け る﹂ の意 を掛 ける

― 67 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 四

(7)

﹇ 参考

﹈﹁ あだ し野 の露 きゆ る時 なく

︑﹂

︵ 徒然 草︑ 七段

︶︒

︵村 上泰 規︶ 雑歌 中 670折 ふし の花 折ち らし あか むす ふた より もあ れや 山の 下庵 賢 木巻 云︑ あか 奉る とて

︑か ら

!

"

と なら しつ ゝ︑ 菊の 花︑ こき うす き紅 葉な と折 ちら した るも

︑は かな けれ と 云々

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑四 四四 四番

︒源 氏物 語︑ 賢木 巻︑ 一一 七頁

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹃ 承 応﹄

﹃湖 月抄

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

雑歌 の中

季 節の 花を 折り 散ら して

︑閼 伽︵ 仏前 に供 える 清水

︶を 汲む よす がも ある のだ ろう か︑ 山中 の庵 には

︒ 賢 木の 巻に よる と︑

︵ 法師 たち が︶ 閼伽 をお 供 え しよ う と して

︑か ら か らと 花 皿 の 音を 鳴 ら して は

︑菊 の 花や 濃 い薄 い紅 葉な どを 折り 散ら して いる 有様 も︑ 格別 の風 情で はな いが 云々

﹇ 考察

﹈﹃ 源氏 物語

﹄は

︑光 源氏 が藤 壷を 思う 気持 ちを 抑え て雲 林院 に参 籠し

︑法 師た ちに 経文 の義 を夜 通し 議論 させ た 明け 方の 場面

﹇ 参考

﹈﹁ 山の 下庵

﹂の 用例 は︑ 和歌 では 十五 世紀 から 見ら れる

︵村 上泰 規︶ 釈迦

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 四

― 68 ―

(8)

671世 の中 に只 われ ひと りた ふと しと のへ しこ とは の末 もた ふと し 禅 蒙求

︑普 曜経

︒世 尊降

︑ 一手 指

︑一 手指

︑周 行七 歩︒ 目顧

四方

︑﹁ 天 上天 下唯 我独 尊﹂

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑四

〇五 一番

︒禅 苑蒙 求︑ 巻之 上︑ 釈迦 七歩

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁ た ふと しと

│と ばか りを

﹂︒

﹃ 禅苑 蒙求

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

釈迦

︵仏 が︶

﹁こ の世 界に ただ 唯一

︑私 一人 が尊 い﹂ と述 べた その 言葉 は︑ 後の 世で も尊 い︒ 禅 苑蒙 求︑ 普曜 経︒ 釈尊 はこ の世 に降 誕し て︑ 一方 の手 で天 を指 差し

︑も う一 方の 手で 地を 指差 して

︑東 西南

北 を七 歩ず つ歩 き︑ 四方 を顧 みて

︑﹁ 天 上 天下

︑唯 我独 尊﹂ と言 った

﹇ 考察

﹈﹁ 禅蒙 求﹂ は正 大二 年︵ 一二 二五

︶に 成 立 し た︑ 金の 錯 庵 志明 撰 の 禅宗 事 典﹃ 禅 苑 蒙求

﹄︒ 初 学 者の た め に禅 宗 の公 案を

︑李 瀚の

﹃蒙 求﹄ に倣 い四 字 対 句 の韻 語 に より 分 類︒ 引 用箇 所 は 上 巻の 冒 頭 で︑ 以下

︑﹁ 和 補 曰︑ 普曜 経 云︑ 仏初 生刹 利王 家︑ 放大 智光 明︑ 照十 方界 地︑ 湧金 蓮華

︑自 捧双 足︑ 東西 及南 北︑ 各行 於七 歩分 手指 天地

︑作 師 子吼 声上 下及 四維

︑能 尊我 者︒

﹂ と続 く︒

﹁天 上天 下唯 我独 尊﹂ は当 歌の よう に﹁ 天地 の間 で私 が一 番尊 い﹂ と解 釈 す る ほ か︑

﹁こ の 世 で私 た ち 一人 一 人 の 人間 が 一 番尊 い

﹂と 見 る説 も あ る︒ 当 歌の 下 の 句 に あ る﹁ こ と ば の 末﹂ の 意味 は﹁ ちょ っと した 言葉

﹂で はな く︑

﹁ 釈迦 が言 葉を 発し たそ の末 の世

﹂と 理解 した

﹇ 参考

﹈﹃ 禅苑 蒙求

﹄は 寛永 十六 年︵ 一六 三九

︶版 を使 用︒

︵村 上泰 規︶ 得弁 才知

― 69 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 四

(9)

672た のめ との 法に 心を そめ 紙の かり のさ とり もか りの 色か は 延 喜式

︒忌

︑内

七言

︑仏 称

中子

染 紙

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑五 四三

〇番

︒延 喜式

︑巻 五︑ 神祇 五︑ 忌詞

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁ 得 弁才 知│ 得弁 才智

﹂︒

﹃ 延喜 式﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

弁才 知を 得る

︵法 蔵菩 薩が

︶頼 りに しな さい とい う仏 法や 経典 に心 を 深 く寄 せ た なら ば

︑か り そめ の 悟 り もか り そ めの 思 い であ ろ うか

︒︵ い や︑ 法蔵 菩薩 の四 十八 願を 頼め ば︑ 悟り は開 ける

︒︶

延 喜式

︒忌 詞で 内の 七言 は︑ 仏を 中子 と称 し︑ 経を 染紙 と称 す︒

﹇ 考 察﹈ 出 典 は 斎 宮 に お け る 忌 詞 を 説 明 し た 箇 所 で

︑仏 教 用 語 の 内 七 言︵ 仏・ 経・ 塔 な ど︶ と 不 吉 な 言 葉 の 外 七 言

︵死

・病

・哭 など

︶が ある

︒当 歌は

﹁心 をそ め紙

﹂に

﹁心 を染 め﹂ と﹁ 染め 紙﹂

︵経 典の 言い 換え

︶を 重ね る︒

﹇ 参考

﹈歌 題の

﹁得 弁才 知﹂ は﹃ 無量 寿 経﹄ で 説か れ る︑ 法 蔵菩 薩

︵後 の 阿弥 陀 仏︶ が 衆 生を 救 う ため に 立 てた

﹁四 十 八願

﹂︵ 四 十八 種の 誓願

︶の 内の 第二 十九 願﹁ 得弁 才智 の願

﹂︒ その 願は

﹁設 我得 仏︑ 国中 菩薩

︑若 受読 経法

︑諷 誦 持説

︑而 不得 弁才 智慧 者︑ 不取 正覚

︒﹂ で

︑国 中の 菩薩 が﹁ 弁才 智慧

﹂︵ 仏の 智恵 を理 解し 伝え る力

︶を 得な けれ ば

︑自 分︵ 法蔵 菩薩

︶は 正覚

︵正 しい 悟り

︶を 開か ない

︑と いう 内容

︵ 島田 薫︶ 釈教 673人 の世 のち とせ をま たぬ こと はり や鶴 の林 の春 にみ せけ ん

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 四

― 70 ―

(10)

涅 槃 経 曰︑ 爾 時世 尊 娑

䎵 宝 牀

云 云

︒入

涅 槃

︒其

林 東

西

双 合

︒ 南

一 樹

覆 宝

覆 如来

︒其

樹 即

惨然

猶如

白 鶴

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 七四 七番

︒大 般涅 槃経 後分

︑巻 上︑ 応尽 還源 品︑ 第二

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄ナ シ︒

﹃ 大般 涅槃 経後 分﹄

﹁䎵 宝牀

│臥 宝床

﹂﹁ 覆 宝牀

│覆 宝床

﹂﹁ 覆如 来│ 於如 来﹂

﹇ 訳﹈

釈教 人 の世 は千 年も の長 い年 月を 待た ない とい う道 理は

︑釈 尊入 滅を 悼ん で林 の木 々が 鶴の 羽の よう に白 くな った とい う

︑そ の春 に︵ 釈尊 が︶ 見せ たの だろ うか

︒ 涅 槃経 によ ると

︑そ のと き釈 尊は 娑羅 林 の 下 に臥 し て 宝床 に 寝 た云 々

︒︵ 釈 尊 は︶ 涅槃 に 入 り亡 く な った

︒そ の 娑羅 林の 東西 の二 本の 樹は 合わ さっ て一 本の 樹と なっ た︒ 南北 の二 本の 樹も 合わ さっ て一 本の 樹と なり

︑釈 尊 の伏 した 床に 垂れ 下が って 釈尊 を覆 った

︒そ の樹 はす ぐに 無惨 にも 白く 枯れ てし まい

︑ま るで 白い 鶴の よう で あっ た︒

﹇ 考察

﹈﹃ 大般 涅槃 経後 分﹄ 二巻 は釈 迦の 入滅 を中 心に 記述 する

︒釈 迦入 滅の 際に 木々 が鶴 の羽 のよ うに 白く なっ たこ と を当 歌は 踏ま えて

︑人 の世 の無 常を 詠む

︒当 歌の

﹁鶴 の林

﹂は その 故事 に由 来す る︒

︵ 島田 薫︶ 674霜 ふれ は音 する かね にを のつ から なか き眠 も限 りや はな き 山 海経

︒豊 山之 鐘│

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 四八 六番

︒円 機活 法︑ 巻二

︑天 文門

︑霜

― 71 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 四

(11)

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹃ 円 機活 法﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

︵ 釈教

︶ 霜 が降 ると ひと りで に鳴 ると いう 豊山 の鐘 のよ うに

︑長 い眠 りに 就い てい ても ひと りで に目 が覚 める こと はな いの だ ろう か︒ 山 海経

︒豊 山の 鐘は

│︒

﹇ 考察

﹈﹃ 山海 経﹄ は中 国 の地 理 書

︒た だ し﹃ 山海 経

﹄の 本 文は

﹁豊 山 有 九鐘 焉

︒是 知 霜 鳴﹂ 270︵ 番 歌に 引 用︶ で 異な る

︒出 典は

﹃円 機活 法

﹄﹁ 豊 鐘 鳴

﹂の 解 説﹁ 山 海経

︒豊 山 之 鐘︑ 霜降

自 鳴

﹂ に よ ると 考 え られ る

︒豊 山 の鐘 は 霜が 降る とひ とり でに 鳴る とい う意 で︑ 自然 界に 生じ た現 象に 対応 して

︑あ る現 象が 起こ され るこ とを いう

︒当 歌 の﹁ なが き眠 り﹂ とは 長眠

︵長 夜の 眠り

︶を 指し

︑煩 悩の ため 長く 輪廻 の迷 いか ら覚 めな いこ との 比喩

︒当 歌は ひ とり でに 鳴る 豊山 の鐘 に対 して

︑何 もせ ずひ とり でに 長眠 から 目覚 める こと はな いが

︑悟 る自 覚を 持て ば長 眠に も

﹁限 り﹂ があ り目 覚め ると 詠む

﹇ 参考

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄の 歌肩 に﹁ 永正 十三 十二 御月 次﹂ とあ り︑ 当歌 は永 正十 三年

︵一 五一 六︶ 十二 月の 月次 歌︒

︵ 松田 望︶ 675た のめ なを こゝ ろの 水は 濁る とも 子を おも ふ魚 の道 は絶 しな 大 論︒ 七十 九曰

︑菩 薩不

諸仏

念者

︑則 善根 朽壊

︒如

魚子 不

母念

則爛 壊不

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑七 四六 五番

︒大 智度 論︑ 巻七 九︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹃ 大 智度 論﹄ ナシ

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 四

― 72 ―

(12)

﹇ 訳﹈

︵ 釈教

︶ な おも 頼り にし なさ い︒ 水が 濁っ ても

︑魚 の子 を思 う︵ 母の

︶道 は絶 えな いよ うに

︑心 が濁 って も︑ 子を 思う

︵母 の

︶道 は絶 えな いな あ︒ 大 智度 論の 巻七 十九 によ ると

︑菩 薩が 諸仏 のた めに 祈ら なけ れば

︑善 根は 朽ち て壊 れる

︒魚 の子 が母 のた めに 祈 らな けれ ば︑ その 身が 腐り 崩れ て生 きら れな いよ うに

﹇ 考察

﹈﹃ 大智 度論

﹄は

︑他 者の ため に祈 り続 ける こと の重 要性 を説 く︒ 本文 中の

﹁善 根﹂ とは 諸善 を生 み出 す根 本と な る も の︑ ま た︑ 善い 果 報 を招 く と 思わ れ る 善 の業 因 を いう

︒当 歌 は 心が 濁 っ て も︑ なお 子 を 思 う こ と が で き れ ば

︑成 仏の 道は 閉ざ され ない こと を詠 む︒

﹇ 参考

﹈﹃ 大智 度論

﹄は 大乗 仏教 の論 書︑ 一〇

〇巻

︒龍 樹著 と言 われ る︒ 大論

︑智 論な どと 略称 する

︒出 典の 文章 では 孝 子が 母の ため に祈 るの に対 して

︑当 歌 で は 子を 思 う で異 な る︒ 当 歌に 合 う 資 料と し て は﹃ 観無 量 寿 経﹄ 676︵ 694・ 番 歌︑ 参照

︶の 注釈 書で 唐代 の僧 元照 が 撰 述 した と さ れる

﹃観 無 量 寿仏 経 義 疎﹄ に︑

﹁ 智論 云

︑例 如 魚子 母 若 不念 子 則爛 壊︒

﹂ とあ る︒ また

︑法 然著

﹃選 択本 願 念 仏集

﹄の 注 釈 書で

︑鎌 倉 時 代の 僧 良 忠 の著 と さ れる

﹃選 択 伝 弘決 疑 鈔

﹄﹇ 寛 永 九年

︵一 六 三 二︶ 版﹈ にも

︑﹁ 大 論

︑例

魚 子

母 若 不

即 壊 爛

︒﹂ と あ る︒ 当 歌は

﹃大 智 度論

﹄そ のも のよ りも

︑注 釈書 に引 かれ た﹃ 大智 度論

﹄に よっ て詠 まれ たと 推測 され る︒

︵ 松田 望︶ 寄鏡 釈教 676か の国 とお もへ はこ ゝを 遠く して さら ぬ鏡 にむ かふ はか りそ

― 73 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 四

(13)

双 観経

︒阿 弥陀 仏︑ 去此 不遠 云云

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 八四 六番

︒観 無量 寿経

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄

﹃観 無量 寿経

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

鏡に 寄せ る釈 教

︵阿 弥陀 仏が

︶あ の国

︵極 楽浄 土︶ にい ると 思う と︑

︵阿 弥陀 仏は

︶こ こか ら遠 くに 去っ たわ けで はな く︑ いつ もそ ば にあ る鏡 に向 かう ほど であ るな あ︒ 双 観経

︒阿 弥陀 仏は ここ から 遠く ない とこ ろへ 去る 云々

﹇ 考察

﹈﹁ 双観 経﹂ は﹃ 無量 寿経

﹄と

﹃観 無量 寿経

﹄を 指し

︑﹃ 阿 弥陀 経﹄ とと もに 浄土 三部 経と 総称 する

︒﹃ 勧無 量寿 経

﹄は 釈迦 が阿 弥陀 仏と その 浄土 など を観 想す る方 法を 説き

︑引 用文 は身 近な とこ ろに 浄土 があ り︑ 阿弥 陀仏 はす ぐ そば にい るこ とを 述べ る︒ 当歌 はそ れを 踏 ま え て阿 弥 陀 仏が

﹁こ こ を 遠く し て 去 らぬ

﹂に

︑﹁ こ こ を遠 く し て去 ら ぬ鏡

﹂︵ そ ばを 離れ ない 鏡︶ を重 ねる

︵金 子将 大︶ 信解 品

677ま よひ 来し 身は 雲水 の跡 とめ て立 かへ り見 る故 郷の 月

﹇ 出典

﹈碧 玉集

︑一 二〇 四番

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

信解 品 迷 って 来た 身は 行く 先が 定ま らな いが

︑そ の足 跡を 止め て︑ 戻っ て見 る故 郷の 月だ なあ

﹇ 考察

﹈出 典は 678番 歌︑ 参照

︒長 年︑ 諸国 を流 浪し てい た男 が帰 郷し た話 を踏 まえ る︒ 当 歌の

﹁雲 水﹂ は雲 や 水 のよ

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 四

― 74 ―

(14)

う にゆ くえ の定 まら ない もの の譬 え︑

﹁ 月﹂ は悟 りの 象徴 で︑

﹁月

﹂を

﹁見 る﹂ とは 改心 を意 味す るか

﹇ 参考

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄は 歌肩 に﹁ 五月 十一 日 故 竜 安寺 卅 三 廻と て 右 京太 夫 政 元 すす め 侍 る﹂ とあ る

︒﹁ 竜 安寺

﹂は 龍 安寺 を建 立し た細 川勝 元︵ 生没 一四 三

〇〜 七 三 年︶ の法 名

︒﹁ 政 元﹂ は応 仁 の 乱で 戦 火 に あっ た 龍 安寺 を 再 興し た 細川 政元

︵生 没一 四六 六〜 一五

〇七 年︶ で︑ 勝元 の子

︒当 歌は 勝元 の三 十三 回忌

︑一 五〇 五年 の詠 作︒

︵金 子将 大︶ 678た らち ねの 心は さら に闇 なら て見 し世 の道 やけ ふも たと らぬ

!

"

若 有

人︑ 年 既 幼

父 逃

︑久 住

︒或

︑二 十

五 十 歳

︒年 既 長 大

︑ 加 復 窮

困︑ 馳

騁四 方

以求

︑漸

︑ 遇

向 本国

︒ 其父 先

︑求

子不

得 云云

︒時 貧

子︑ 遊

聚 落

︑経

歴 国邑

︑遂

止 之城

︒父 毎

︒ 与

子 離別 五十 余年

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 五〇 一番

︒妙 法蓮 華経

︑巻 二︑ 信解 品︑ 第四

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄ナ シ︒

﹃ 妙法 蓮華 経﹄

﹁父 毎│ 父母

﹂︒

﹇ 訳﹈

︵ 信解 品︶ 親 の心 は決 して 平静 を失 わず

︑︵ 子 と︶ 暮ら して いた 故郷 の道 を今 日も 尋ね 捜さ ない こと があ ろう か︒ た とえ ばあ る人 がい て︑ まだ 若い 時に 父を 捨て て逃 げ出 し︑ 長い 間︑ 他の 国に 住ん でい て︑ 十年

︑二 十年

︑そ し て五 十年 に至 った

︒年 は既 に大 人に なっ て︑ 困難 や貧 乏で ます ます 苦し み︑ 四方 に奔 走し て衣 服や 食べ 物を 求 め︑ あち こち 放浪 して

︑た また ま生 まれ た国 に向 かっ た︒ その 父は 以前 より 子供 を探 し求 めた が見 つか らな か った 云々

︒そ のと き貧 窮し た子 は︑ あち こち の集 落を 放浪 し︑ 国や 領地 をめ ぐり 歩き

︑つ いに その 父の 留ま

― 75 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 四

(15)

る 町に たど り着 いた

︒父 はい つも 子を 思っ てい た︒ 子と 離別 して 五十 年余 り︵ も過 ぎた

︶︒

﹇ 考察

﹈出 典は

︑父 親が 失踪 した 子を 思い 続 け るさ ま を 描い た 部 分︒ 当歌 の

﹁心 の 闇﹂ は 親が 子 を 思う あ ま りに

︑思 慮

・分 別が つか なく なる こと のた とえ

︒﹁ 人 の親 の心 は 闇 に あら ね ど も子 を 思 ふ道 に 惑 ひ ぬる か な﹂

︵ 後撰 和 歌 集︑ 雑 一︑ 一一

〇二 番︑ 兼輔 朝臣

︶︒

︵金 子将 大︶ 薬草 喩品

679花 に咲 実に あら はる ゝ草 も木 もか れぬ 恵み を雨 にこ そし れ

﹇ 出典

﹈碧 玉集

︑一 二〇 五番

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

薬草 喩品 花 が咲 いた り実 が実 った りす る草 も木 も︑ 枯れ るこ との ない 慈悲 の恵 みを 雨︵ のお かげ

︶だ と知 って いる なあ

﹇ 考察

﹈出 典は 682番 歌と 同じ で︑ 雨は 仏の 教え

︑草 木は 衆生 の例 え︒

﹁花 に咲 き実 にあ らは るる

﹂と は︑ 草木 が雨 のお か げで 花を 咲か せ実 を結 ぶよ うに

︑人 も仏 の教 化を 受け れば 誰で も等 しく 成仏 でき ると いう 意味

﹇ 参考

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄は 歌肩 に﹁ 小倉 中納 言実 右卿 卅三 回に 一品 経す すめ 侍る

﹂と あり

︑当 歌は 小倉 実右 の三 十三 回 忌︵ 一五

〇二 年︶ の詠 作︒

︵北 井達 也︶ 680ふ る雨 の色 やは それ と実 をむ すひ 花を ひら くも をの か姿 を

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 五〇 二番

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄ ナシ

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 四

― 76 ―

(16)

﹇ 訳﹈

︵ 薬草 喩品

︶ 降 る雨 の種 類に よる ので あろ うか

︵い や︑ 雨は み な 同 じだ

︶︒ 草 木 が花 を 開 き実 を 結 ぶ のも

︑草 木 自 身の 性 質 によ る のだ なあ

﹇ 考察

﹈出 典は 682番 歌と 同じ で︑ 同じ 雨で も雨 水を 受け る 草 木の 育 ち 方は 種 々 ある よ う に︑ 仏 陀の 教 え は同 じ で も衆 生 の受 け取 り方 はさ まざ まで ある

︑と 説く

︒当 歌も それ を踏 まえ て︑ 同じ 雨を 浴び ても 花が 咲い たり 咲か なか った り

︑ま た実 が結 んだ り結 ばな かっ たり する のは

︑草 木自 身の 性質 によ ると 詠む

﹇ 参考

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄は 歌肩 に﹁ 続撰 八文 亀二 十二 廿二

﹂と あり

︑当 歌は

﹃続 撰吟 集﹄ 巻八

・三 一二 八番 歌︑ 文亀 二 年︵ 一五

〇二

︶十 二月 二十 二日 の 詠 作︒

﹃ 続撰 吟 集﹄ は 千艘 秋 男 氏編

︑古 典 文 庫・ 第 五八 五 冊︑ 一 九九 五 年 によ る

︵北 井達 也︶ 681ふ るま ゝに 色ま す峰 の木 の葉 とて 雨や はか はる 谷の 陰草

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 五〇 三番

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

︵ 薬草 喩品

︶ 雨 が降 るに つれ て︑ 峰の 木の 葉は 色を 増す から とい って

︑谷 陰の

︵ま だ黄 葉し てい ない

︶草 に降 る雨 と︵ 峰に 降る 雨 とは

︶違 うだ ろう か︵ いや

︑い ずれ も同 じ雨 だ︶

﹇ 考察

﹈出 典は 682番 歌と 同じ で︑ 雨は 仏の 教え

︑草 木 は 衆生 の 喩 え︒ 当歌 は ど こに 生 え る 草木 で あ ろう と

︑雨 は 平等 に 降り 注ぎ 葉の 色を 濃く させ るよ うに

︑仏 は誰 に対 して も平 等に 教え を示 すと 詠む

― 77 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 四

(17)

﹇ 参考

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄は 歌肩 に﹁ 十月 五日 妙華 寺関 白卅 三廻

﹂と あり

︑当 歌は 一条 教房 の三 十三 回忌 にあ たる 一五 一 二年 十月 五日 の詠 作︒

︵北 井達 也︶ 682末 の露 おな し恵 みそ 大あ らき の杜 の小 草の 本の しつ くも 譬 如︑ 三千 大千 世界

山川 谿谷 土地

︑ 所

生 草

木叢

林及 諸薬 草︑ 種

類若

︑名

色 各

︒ 密

雲弥

編 覆

三 千大 千世 界

︑ 一時 等

︒ 其沢 普洽

草 木叢 林及 諸薬 草︑ 小根 小茎 小枝 小葉

︑中 根中 茎中 枝中 葉︑ 大根 大茎 大 枝大 葉諸 樹

︒ 大小 随

上中 下

各 有

︒一

雨称

其種 性

而得

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 五〇 四番

︒妙 法蓮 華経

︑巻 三︑ 薬草 喩品

︑第 五︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄ナ シ︒

﹃ 妙法 蓮華 経﹄

﹁編

│遍

﹂︒

﹇ 訳﹈

︵ 薬草 喩品

︶ 葉 の末 にあ る露 は︑

︵ ほか の草 木と

︶同 じ雨 の恵 に よ るも の だ︒ 大 荒木 の 森 に生 え る 小 草の 根 元 の雫 も

︵同 じ 恵み の 雨だ

︶︒ 譬 えて いえ ば︑ 三千 大千 世界 にお いて

︑山 川︑ 渓谷

︑土 地に 生え る草 木︑ 密林 およ び多 くの 薬草 は︑ たく さん の 種類 があ り︑ 名称 と形 態は それ ぞれ 異な って いる

︒そ こに

︑厚 く重 なっ た雲 が一 面に 立ち こめ

︑あ まね く広 く 三 千 大 千世 界 を 覆い

︑一 時 に 等し く 雨 を 注ぐ

︒そ の 雨 の潤 い は あま ね く 草 木︑ 密林 お よ び 多 く の 薬 草 に 注 ぎ

︑そ れら の小 さい 根︑ 小さ い茎

︑小 さい 枝︑ 小さ い葉 と︑ 中ぐ らい の根

︑中 ぐら いの 茎︑ 中ぐ らい の枝

︑中 ぐ ら い の 葉と

︑大 き い 根︑ 大き い 茎︑ 大 きい 枝

︑大 き い 葉と 多 く の樹 を 潤 す︒ こ れ ら の 植 物 は 大 と 小 に よ っ

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 四

― 78 ―

(18)

︑ま た上

︑中

︑下 にし たが って それ ぞれ 雨か ら受 けと る水 の量 が決 まっ てい る︒ この よう にし て︑ 一つ の雲 が 降ら した 同じ 雨に よっ て︑ 植物 はそ の性 質に 応じ て生 長す る︒

﹇ 考察

﹈出 典は 三草 二木 の喩 え︒ 上草

・中 草・ 下草 と 大 樹・ 小樹 が 等 しく 慈 雨 の恵 み を 受 ける よ う に︑ 資質 の 異 なる 衆 生が 等し く仏 の教 えを 受け て悟 りを 開く こと

︑ま た︑ 衆生 の素 質や その 受け とめ 方が それ ぞれ に異 なる こと の喩 え

︒当 歌は

︑ど のよ うな 草木 でも 雨が 遍く 恵み を与 える とい う出 典の 内容 を踏 まえ

︑葉 の末 にあ る露 も根 元に ある 雫 も 同 じ 雨の 恵 み によ る も のだ と 詠 む︒

﹁ 末の 露

﹂﹁ も との 雫

﹂は

︑遅 速 はあ っ て も 結局 は 消 え て し ま う も の だ か ら

︑人 の寿 命に 長短 はあ って も死 ぬの に変 わり はな い こ と を意 味 す る︒

﹁末 の 露 もと の し づ くや 世 の 中の 遅 れ 先立 つ ため しな るら む﹂

︵ 和漢 朗詠 集︑ 下︑ 無常

︑七 九七 番︑ 良僧 正︶

﹇ 参 考﹈

﹁三 草 二 木﹂ は 法 華 七 喩 の 一 つ︒ 法 華 七 喩 と は 法 華 経 に 説 か れ る 七 つ の 比 喩 で︑ 火 宅 喩︵ 譬 喩 品

︶・ 窮 子 喩

︵信 解品

︶・ 薬草 喩︵ 薬草 喩品

︶・ 化 城喩

︵化 城喩 品︶

・衣 珠喩

︵五 百弟 子授 記品

︶・ 髻 珠喩

︵安 楽行 品︶

・医 子喩

︵寿 量 品︶ であ る︒

﹁ 三千 大千 世界

﹂と は︑ 古代 イン ドの 世 界 観に よ る 全宇 宙

︒須 弥 山を 中 心 と する 一 世 界を 千 集 めた も のを 小千 世界 とい い︑ それ を千 集め たも のを 中千 世界

︑さ らに それ を千 集め たも のを 大千 世界 とい う︒ 合計

︑三 千 の世 界か ら成 るの で三 千大 世界

︑略 して 三千 世界

︑三 千界 とも いう

︒﹁ 大 荒木 の森

﹂は 歌枕 で︑

﹁大 荒木 の森 の下 草 老い ぬれ ば駒 もす さめ ず刈 る 人 も なし

﹂︵ 古 今 和歌 集

︑雑 上︑ 八 九二 番

︑詠 み 人 知ら ず

︶の よ うに

︑草 が 生 い茂 っ て い る 様 子 を 詠 む 例 が 多 い︒

﹃ 新 編 国 歌 大 観﹄ は 歌 肩 に﹁ 続 撰 八 享 禄 三 十 二 五 理 覚 院 勧 進

﹂と あ り︑ 当 歌 は

﹃続 撰吟 集﹄ 巻八

・三 一五 四番 歌︑ 理覚 院の 勧進 によ る享 禄三 年︵ 一五 三〇

︶十 二月 五日 の詠 作︒

︵北 井達 也︶

― 79 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 四

(19)

授記 品

683あ つき 日も しら ぬ木 陰の 涼し さは 露よ りみ ゆる 夕く れの 空 如

甘露

清 涼

云 々︒

﹇ 出典

﹈碧 玉集

︑一 二〇 六番

︒妙 法蓮 華経

︑巻 三︑ 授記 品︑ 第六

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹃ 妙 法蓮 華経

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

授記 品 暑 い日 も︵ 暑さ を︶ 感じ ない 木陰 の涼 しさ は︑ 露︵ が降 り注 ぐこ と︶ によ って 見え る︵ 涼し い︶ 夕暮 れの 空︵ のよ う だな あ︶

︵成 仏の 約束 をし てく ださ れば

︶あ たか も甘 露 の 法雨 が そ そが れ て︑ 熱 悩が 取 り 除 かれ

︑心 身 が 清涼 と な るよ う だ云 々︒

﹇ 考察

﹈当 歌の

﹁露

﹂は 夕立 によ るも のと

︑仏 教語 の﹁ 甘露

﹂︵ 不死 の霊 液︶ を意 味す る︒ 出典 は授 記︵ 仏が 弟子 の成 仏 を予 言す るこ と︶ を得 るこ とを

︑甘 露を 得る こと にた とえ たも の︒

﹇ 参考

﹈出 典は 四人 の阿 羅漢

︵須 菩提

・迦 栴延

・摩 訶迦 葉・ 目連

︶が

︑釈 尊よ り未 来の 成仏 を約 束さ れる とい う内 容︒

﹃新 編国 歌大 観﹄ の歌 題に

﹁授 記品 行 季朝 臣す すめ 侍る に﹂ とあ り︑ 世尊 寺行 季に 勧め られ た詠 作︒

︵小 森一 輝︶ 勧発 品 684あ ひか たき 法の 中に もう へも なき 名残 つき せぬ けふ のか へる さ

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 四

― 80 ―

(20)

仏 説

︑普 賢 等

諸 菩 薩︑ 舎 利 弗 等

諸 声

︑及 諸 天 龍 人 非 人 等

︑一 切 大 会 皆 大

︑受

持 仏

︑作

礼 而去

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 五〇 六番

︒妙 法蓮 華経

︑巻 八︑ 普賢 菩薩 勧発 品︑ 第二 十八

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹃ 妙 法蓮 華経

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

勧発 品 出 会い がた い仏 法の 中で も︑ この 上も ない 仏法 に出 会い

︑こ の上 もな く名 残が 尽き ない

︑今 日の 帰り 道だ なあ

︒ 釈 尊が この 経を お説 きに なっ たと き︑ 普賢 ら諸 々の 菩薩

︑舎 利弗 ら諸 々の 声聞

︑お よび 天・ 龍・ 人・ 非人 に至 る まで

︑集 まっ たも のは 皆︑ 大い に歓 喜し

︑釈 尊の お言 葉を 受け とめ

︑礼 拝し て去 った

﹇ 考察

﹈勧 発品 は﹃ 法華 経﹄ の終 章に あた り︑ 出 典 は最 後 の 一文

︒当 歌 は 法会 の 感 動 の余 韻 を 詠む

︒第 三 句﹁ 上 も無 き

﹂は

︑そ の前 と後 を修 飾す る︒

﹇ 参考

﹈﹁ 舎利 弗﹂ は釈 迦の 十大 弟子 の一 人︒

﹁ 声聞

﹂は 仏の 説法 を聞 いて 悟る 人︒

﹁非 人﹂ は悪 鬼や 夜叉 など 人間 のよ う な姿 をし たも の︒

︵小 森一 輝︶ 人記 品 685う へ置 した ねや 昔の 春の 花い まを そく とき いろ につ くと も 而 告之 曰︑

﹁ 諸善 男子

︑我 与

阿難

空王 仏所

同時 発

阿耨 多羅 三藐 三菩 提心

︒阿 難

二ヒ

多聞

一ヲ

我常 勤

︒ 是故 我已 得

阿 耨多 羅三 藐三 菩提

︒阿 難護

持 我法

亦護

将 来 諸仏 法 蔵

教化 成

就諸 菩 薩 衆一ヲ

︒其

― 81 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 四

(21)

本 願如

是﹂

﹇ 出典

﹈碧 玉集

︑一 二一 一番

︒妙 法蓮 華経

︑巻 四︑ 授学 無学 人記 品︑ 第九

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁ 人 記品

│人 記品 人 の追 善と てす すめ 侍る に﹂

﹁い ろに つく とも

│色 に咲 くと も﹂

︒﹃ 妙 法蓮 華 経﹄

﹁ 阿難 護│ 而阿 難護

﹂︒

﹇ 訳﹈

人記 品 昔

︑植 えて おい た種 が春 にな り︑ 花が 今に なっ て遅 く色 づい て咲 いて も︑ 早く 色づ いて 咲い ても

︵咲 くこ とに 変わ り はな いよ うに

︑悟 りを 得る まで 遅く ても 早く ても 変わ りは ない

︶︒

︵釈 迦は 菩薩 たち に︶ こう 仰っ た︒

﹁み なさ ん︒ 私は かつ て阿 難と 一緒 に︑ 空王 のみ もと にお いて

︑仏 の悟 りを 求 める 誓願 を起 こし た︒ 阿難 はい つも 多く の教 えを 聞く こと に専 念し たの に対 して

︑私 はも っぱ ら精 進に 専念 し た︒ その 結果

︑私 はす みや かに 悟り を得 たの に対 して

︑阿 難は 私の 教え を正 しく 保持 し︑ また 未来 世に おい て 出現 する 多く の如 来た ちの 教え を正 しく 保 持 し︑ 菩 薩た ち を 教化 し て 悟り へ 導 く こと に な った

︒こ れ こ そ︑ こ の阿 難の 本願 なの だ﹂

﹇ 考察

﹈﹁ 授学 無学 人記 品﹂ の主 題は 授記

︵仏 が弟 子た ちに

︑未 来に おい て仏 の悟 りを 得る と予 言す るこ と︶ で︑ 授記 さ れる 対象 は︑ 阿難 と羅 䉩羅 をは じめ 二千 人の 声 聞 た ちで あ る︒ 阿 難が 授 記 され た 時︑ 新 米 の菩 薩 た ち八 千 人 が︑ 偉 大な 菩薩 に先 んじ て︑ 声聞 に過 ぎな い阿 難が 授記 され たこ とに 疑問 を抱 いた

︒そ の心 中を 察し た釈 迦が 過去 世か ら の因 縁を 明ら かに して

︑阿 難が 授記 され た理 由を 説明 し︑ 阿難 が未 来世 にお いて 悟り を得 て如 来に なる とい う内 容 を当 歌は 踏ま え︑ 悟り を開 くの に遅 速は あっ ても

︑悟 りを 得る 価値 に変 わり はな いこ とを

︑花 に例 えて 詠む

︒第

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 四

― 82 ―

(22)

四 句の

﹁と き﹂ は形 容詞

﹁疾 き﹂

﹇ 参考

﹈﹁ 空王

﹂は 空の 教え を説 く人 の意 から

︑仏 をい う︒

﹁ 阿耨 多羅 三 藐 三 菩提

﹂は 最高 の理 想的 な悟 りの 意で

︑仏 の 悟り を指 す︒

︵松 本匡 由︶ 寿量 品 686お ろか にそ おや のま もり とと ゝめ をく 薬を しら て身 をう れへ ける

﹁我 等愚

癡 誤服

︒ 願見

二レ

救 療

寿命

﹂︒ 父 見

子 等

苦 悩 如

是︑ 依

一ニ

好薬 草 色 香 美

味 皆

悉 具

一セ

︑ 擣

篩和 合

子 令

服︒ 而作

︑﹁ 此 大良 薬

色 香美 味 皆 悉 具足

︒汝 等 可 服︒ 速除

苦 悩

復衆 患

﹂︒ 其 諸子 中不

心者

︑見

此 良薬 色香 倶好

即便 服レシ

病尽

除愈

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 五〇 七番

︒妙 法蓮 華経

︑巻 五︑ 如来 寿量 品︑ 第一 六︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄ナ シ︒

﹃ 妙法 蓮華 経﹄

﹁此 言│ 是言

﹂︒

﹇ 訳﹈

寿量 品 愚 かな こと に︑ 親が

︵子 ども の︶ 守り とし て残 し て お いた 薬 だ と知 ら ず に︑

︵子 ど も は 回復 し な い︶ わが 身 を 嘆い た こと だな あ︒

﹁私 たち は智 慧が ない ので

︑誤 って 毒薬 を飲 ん で しま っ た︒ お 願い で す から 治 療 し てい た だ き︑ 命を 助 け てく だ さい

﹂︒ 父 親は 子供 たち がひ どく 悶え 苦し む 様 子を 見 て︑ 様 々な 医 薬 書を 参 考 に︑ 色 も香 も 味 もす べ て 優れ た 薬草 を手 に入 れ︑ 石臼 です りつ ぶ し て︑ 子 供た ち に 服用 さ せ よう と し た︒ そ して

︑こ う 言 った

︒﹁ こ の 非常

― 83 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 四

(23)

に よく 効く 薬は

︑色 も香 も味 も︑ みな 優れ てい る︒ だか ら︑ すぐ 服用 しな さい

︒た ちど ころ に苦 しみ を取 り除 き

︑症 状を 改善 する よ﹂

︒ 子供 たち の中 で︑ まだ 冷 静 で正 常 な 精神 状 態 を保 っ た 者 は︑ 与え ら れ た薬 が 色 も香 り も優 れて いる のを 理解 して

︑す ぐに 服用 した とこ ろ︑ 病気 は完 全に 治っ た︒

﹇ 考察

﹈出 典の 文章 に続 く︑

﹁毒 に侵 され 精神 状態 が尋 常で はな くな った 子供 たち は︑ 名医 の父 親が 手に 入れ た薬 草を 良 くな いも のと 思い こみ

︑服 用し よう とし なか った

﹂と いう 内容 を当 歌は 踏ま え︑ 親の 加護 に気 がつ かな い不 孝な 子 を詠 む︒

﹇ 参考

﹈﹁ 如来 寿量 品﹂ の主 題は 釈迦 の寿 命︒ 釈迦 は永 遠の 寿命 の持 ち主 であ るが

︑そ れを 明ら かに する と︑ いつ でも 指 導し ても らえ るか ら今 すぐ 修行 しな くて もよ い︑ と凡 人は 考え てし まう ので

︑八 十歳 で亡 くな った こと にし たと 説 く︒ いわ ゆる 嘘も 方便 で︑ 出典 の﹁ 良医 治子

﹂も 父親 が死 んだ と嘘 をつ くと

︑子 ども たち は悲 嘆に くれ るう ちに 正 常な 精神 状態 に戻 った とい う︑ たと え話

︵松 本匡 由︶ 分別 功徳 品 687い にし への 命の 程を こと のは にの へし ほと けの けふ のた ふと さ 要 文註 于哀 傷歌

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 五〇 八番

︒妙 法蓮 華経

︑巻 第五

︑分 別功 徳品

︑第 一七

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

分別 功徳 品

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 四

― 84 ―

(24)

か つて 命の 程度

︵永 遠の 命︶ を言 葉に 述べ た仏 の︵ 教え が︶ 今日

︵ま で続 くこ と︶ の尊 さよ

︒ 必 要な 文章 は哀 傷歌 に注 した

︒︵ 668 番歌

︑参 照︶

﹇ 考察

﹈釈 迦が 自分 の命 は無 限大 であ るこ とを 聴衆 に語 った こと を︑ 当歌 は踏 まえ て詠 む︒

﹇ 参考

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄の 歌肩 には

﹁続 撰八 文明 十六 九二

﹂と あり

︑当 歌は

﹃続 撰吟 集﹄ 巻八

・三 一〇 八番 歌︑ 文明 十 六年

︵一 四八 四︶ 九月 二日 の詠 作︒

︵松 本匡 由︶ 法師 功徳 品 688た らち ねも うれ しと しれ な黒 かみ のお もふ すち なる 法に あふ とは 以

レハ

︑ 三千 大千 世界

中 一切 内

有 諸声 雖

天耳

一ヲ

父母 所生 清

常耳

一ヲ

皆 悉聞

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 五〇 九番

︒妙 法蓮 華経

︑巻 六︑ 法師 功徳 品︑ 第一 九︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁ あ ふと は│ 逢ふ みは

﹂︒

﹃ 妙法 蓮華 経﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

法師 功徳 品 親 も︵ 子の 出家 を︶ 嬉し いと 知っ てほ しい

︒黒 髪が

︑願 いど おり に法 華経 に出 会っ

︵て 剃髪 し︶ たと は︒ 要 する に︑ 三千 大千 世界 の内 外で 発せ られ る あ り とあ ら ゆ る声 を

︑ま だ 天耳

︵世 界 中 の 声を 聞 け る天 人 の 耳︶ を 持っ てい なく ても

︑父 母か ら授 かり

︵法 華経 の功 徳で

︶清 めら れた 耳の おか げで

︑す べて 悉く 聞き 知る こと が でき るだ ろう

﹇ 考察

﹈出 典 の

﹁天 耳﹂ は 色界 の 諸 天人 の 耳 を指 し

︑六 道 衆 生の 言 語 と一 切 の 音響 を 聞 き とれ る

︒﹁ 常 耳

﹂は 生 まれ

― 85 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 四

参照

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