﹃ 今 昔 物 語 集
﹄ に お け る 弥 勒 仏
│
│ 巻 十一 第 一 話を 中 心 に│
│
小 林 純 子
は じ め に 周知
のと おり
﹃今 昔物 語集
﹄︵ 以 下﹃ 今 昔﹄ と略 す
︒︶ は 天竺
・震 旦
・本 朝 とい う 説 話 群に よ っ て構 成 さ れ てい る
︒ こ のこ とは
︑従 来か らの 研究 史に おい て﹁ 三国 意識
﹂が 働い てい ると 指 摘 さ れて い る!
︒ し かし な が ら︑ 本朝 に お け る 仏法 の伝 来・ 創始 を説 いた 巻十 一第 一話 に︑ 三国 以外 とさ れる 朝鮮 半島 の記 述が みら れる
︒そ れは
︑百 済か ら僧
・ 経 論・ 石の 弥勒 仏像
︑新 羅か ら釈 迦如 来が 伝わ った とい うも ので ある
︒こ れは どの よう な意 味を もつ ので あろ うか
︒ 本話 は﹃ 三宝 絵﹄ が出 典で ある とさ れ てい る が︑
﹃ 今昔
﹄編 者 が﹃ 三 宝絵
﹄の 記 述 を 忠実 に 用 いて い る とい う わ け で はな い︒ 他に も﹃ 日本 往生 極楽 記﹄
︵ 以下
﹃極 楽記
﹄と 略す
︒︶ や﹃ 法華 験記
﹄︵ 以 下﹃ 験記
﹄と 略す
︒︶ など から も 一 部引 用し てい るこ とが 知ら れて い る︒ つま り 新 羅・ 百済 伝 来 の仏 像 に つ いて 記 述 しな い
﹃極 楽 記﹄
﹃験 記
﹄と 同 じ 手 法で
︑説 話を 叙述 する こと もで きた であ ろう
︒す なわ ち︑ この よう な事 実に
﹃今 昔﹄ 編者 の朝 鮮半 島に 対す る意 識 が う か がえ る の では な い か︒ そ こで 私 は︑
﹃ 今昔
﹄巻 十 一・ 第 一話 に お け る百 済 伝 来 の 弥 勒 仏 の 意 味 を 考 察 し
︑﹃ 今
― 493 ―
昔
﹄に みる 三国 意識 にも とづ いた 朝鮮 観の 一端 を探 って みた いと 思う
︒ 一
説 話 構成 及 び 問題 点 の 指摘 1
﹃今 昔物 語集
﹄巻 十一 第一 聖徳 太子 於此 朝始 弘仏 法語 の説 話構 成 巻十 一第 一話 は︑ 聖徳 太子 の母 の懐 妊か ら太 子入 寂ま でが 基本 軸と なり
︑そ こに 百済 から 僧・ 経論
︑新 羅か ら釈 迦 如 来︑ 百済 から 日羅
︑石 弥勒 など の伝 来が 組み 込ま れた 仏法 伝来 と流 布を 語る 説話 構成 にな って いる
"
︒ もう 少し 詳し く述 べる なら ば︑ 説話 の基 本軸 は︑ 聖徳 太子 の母 が懐 妊︑ 太子 の誕 生︑ 六歳
︵百 済か ら僧
・経 論が 伝 わ る︶
︑ 八歳
︵新 羅か ら釈 迦如 来︑ 百済 から 日 羅︑ 弥勒 の 石 像の 伝 来︶
︑ 太子 が 四 天 王寺 を 建 てる
︑甲 斐 の 国 へ赴 く
︑ 勝 曼経 を講 義︑ 三昧 定を 行う
︑入 寂の 予言
︑片 岡山 での 出来 事︑ 太子 入寂
︑太 子の 名前 の由 来︑ 話末 評語
︑と いう 太 子 の生 涯を 軸に 据え た叙 述方 式で ある
︒そ れは 太子 が 果た し た 日本 仏 教 興隆 の 功 績 を述 べ る ため で あ る︒ そ の中 に
︑ 丸 括弧 で示 した 百済 から 僧・ 経論 の伝 来︑ 新羅 から 釈迦 如来
︑百 済か ら日 羅︑ 弥勒 の石 像の 伝来 が記 述さ れて いる
︒ 本朝 仏法 部の 最初 の説 話で ある 巻十 一第 一話 にお いて
︑初 めて 他国 から 伝来 する もの とし て﹁ 亦︑ 太子 六歳 ニ成 給 フ 年︑ 百済 国ヨ リ僧 来テ
︑経 論持 渡レ リ﹂ と記 述さ れて いる ため
︑あ たか もこ の部 分が 本朝 にお ける 仏教 初伝 の記 事 の よう であ る︒ しか し︑
﹃ 日本 書紀
﹄に 伝え る とこ ろ の 欽明 天 皇 十 三年
﹁冬 十 月 に︑ 百済 の 聖 明王
︑︹ 更 の 名 は聖 王
︺ 西 部姫 氏達 率怒
#
斯 致契 等を 遣し て︑ 釈迦 仏の 金銅 像一!
・ 幡蓋 若干・経 論若 干巻 を献 る﹂ とい う記 述が
︑諸 説は あ る が文 献上 では 仏教 初伝 とさ れて いる
︒と ころ が︑
﹃ 今昔
﹄に はこ の記 述が 見ら れな いの であ る︒
﹃今 昔﹄ が欽 明天 皇 十 三年 の仏 教初 伝を 欠い てい る点 につ いて
︑池 上洵 一氏 は︑
『今昔物語集』における弥勒仏 ― 494 ―
多 少な り と も史 的 回 顧の 姿 勢 を 持つ 説 話 書の 多 く は︑ 欽 明初 伝 に は触 れ な いか
︑触 れ た と し て も 簡 略 に 済 ま せ
︑聖 徳太 子の 話を 冒頭 に据 えて
︑日 本仏 教の 始発 時に おけ る自 力開 発的 な側 面を 大き くク ロー ズア ップ させ た の であ る︒ 例え ば︑
﹃ 三宝 絵﹄ は︑ 中巻 の序 で欽 名初 伝 に 触れ て は いる も の の ただ 一 言 であ り
︑本 文 は太 子 の こ の 話で 始ま って いる
︒! と
︑従 来 の 説話 の 語 りに 従 っ た 形 式 で あ っ た が 所 以 で あ る こ と を 指 摘 さ れ て い る︒ こ の 見 解 に 対 し︑ 荒 木 浩 氏 は
︑
﹁印 象さ れる ほど 太子 伝の 強調 と仏 法初 伝の 抹消 とが 歩み を等 しく する わけ では ない
﹂と され
︑﹃ 今昔
﹄が
﹁す べて を 説 話で 構成
﹂し よう とし てい た点 を鑑 みる こと が出 来る とし た︒ さら に巻 十一 第一 話は
︑﹃ 三 宝絵
﹄﹁ 太子 伝﹂ の﹁ 説 話 叙述 の枠 組み を固 守し 説話 形成 の論 理を 踏 み外 さ な い﹂ こと を 前 提に し た
︑﹃ 今 昔﹄ の独 自 意 識に 基 づ く叙 述 方 法 で ある こと を指 摘さ れた
"
︒
﹃ 三宝 絵﹄ が本 話の 結語 を﹁ 日本 紀︑ 平氏 撰聖 徳大 使上 宮 記︑ 諾 楽古 京 薬 師寺 沙 門 景 戒撰 日 本 国現 報 善 悪霊 異 記 等 ニ 見タ リ﹂ と述 べて いる 通り
︑﹃ 日 本書 紀﹄
︵以 下﹃ 書紀
﹄と 略す
︶︑
﹃ 聖徳 太子 伝暦
﹄︵ 以 下﹃ 伝暦
﹄と 略す
︒︶
︑﹃ 日 本 霊 異記
﹄︵ 以 下﹃ 霊異 記﹄ と略 す︒
︶な どを 基に し記 述さ れて いる の は 明 らか で あ り#
︑ その
﹃三 宝 絵﹄ を 出典 と す る
﹃今 昔﹄ も同 様に
︑﹃ 書紀
﹄﹃ 伝 暦﹄ で記 述さ れて いる のと 同様
︑年 代を 追っ て叙 述さ れて いる
︒だ が︑
﹃今 昔﹄ は一 言 も 欽 明 十三 年 の 仏教 初 伝 に はふ れ ず︑ 仏 教伝 来 に つい て は 敏 達天 皇 六 年の 記 事 を初 出 と し て い る
︒そ こ に
︑﹃ 今 昔
﹄ の 説話 形成 の意 識が 見て 取れ ると する 指摘 は︑ 首肯 すべ き見 解で ある
︒ しか し﹃ 書紀
﹄の 欽明 天皇 十三 年に おけ る仏 教伝 来の 記述 に関 して は︑ 歴史 学・ 仏教 学の 立場 から 後世 の創 作で あ り 史実 性が 薄い とさ れて いる
$
︒一 方︑ 速水 侑氏 は︑ 一概 に後 世の 創作 とは いい 切る こと は出 来な い︒ ただ 破仏 を蘇 我・ 物部 両氏 の抗 争に 結び つけ る﹃ 書紀
﹄の 記
― 495 ― 『今昔物語集』における弥勒仏
述 には きわ めて 疑わ しい 面が ある
︒︵ 中 略︶ 崇仏 も排 仏も 日本 古代 社会 にお ける 外神 の二 つの 対応 の立 場を 代弁 して いる にす ぎな い︒ その 意味 では
︑崇 仏 派 も排 仏派 も︑ とも に日 本的 カミ 信仰 の次 元に 立脚 して いた ので ある
︒! と 指摘 され
︑こ の記 述か らは
︑史 実か 否か を読 み取 るの では なく
︑朝 鮮半 島伝 来の 仏・ 外神 に対 する 対応 を見 て取 る べ きで ある とさ れた
︒仏 とい うも のを 古代 日本 人が どの よう に理 解し てい たか を考 える 上で 貴重 な資 料で ある と述 べ ら れた
︒ この 視点 に立 ち再 度考 える なら ば︑
﹃ 今昔
﹄巻 十一 第 一 話は
︑欽 明 十 三年 の 仏 教 公伝 の 記 述は な い が︑ 朝鮮 半 島 か ら 仏 像 がも た ら され る と い う敏 達 六 年の 記 事 は有 し て い る︒ そこ か ら﹃ 今 昔﹄ の仏 像 に 対す る 姿 勢 を 考 察 す る こ と は
︑有 効で ある とい えよ う︒ 今こ こで 問題 にし てい るの は︑ この 記述 が史 実で ある かど うか の問 題で はな い︒
﹃ 書紀
﹄﹃ 伝暦
﹄を もと に記 述し て い る
﹃三 宝 絵﹄ が︑
﹃書 紀
﹄﹃ 伝 暦﹄ の古 代 の 仏像 に 対 す る認 識 を 踏ま え ど の よう に 叙 述 し て い る の か︑ さ ら に そ の
﹃三 宝絵
﹄の 仏像 に対 する 視点 をも とに
﹃今 昔﹄ がど のよ うに 説話 を叙 述し てい るの かを 見る こと によ り︑
﹃今 昔﹄ に お ける 新羅
・百 済伝 来の 仏像 に対 する 独自 視 点を 捉 え るこ と が でき る と 考 える
︒こ の よ うな 立 場 か ら︑
﹃今 昔
﹄に お け る百 済伝 来の 弥勒 仏の 意味 を解 釈し てい く︒
﹃ 今昔
﹄編 者 の 仏像 に 対 する 意 識 を 表現 か ら 導き 出 す にあ た り
︑ま ず 出典 と さ れ て い る﹃ 三 宝 絵﹄ 中 巻 第 一 話 と
︑ 一 部増 補資 料と され てい る﹃ 日本 往生 極楽 記﹄ 第 一︑
﹃法 華 験 記﹄ 上巻 第 一 話を 比 較 し 並行 す る 共通 の 説 話の 枠 組 み と して 次の よう な事 項を 取り 出し
︑さ らに 異同 を見 てい くこ とと する
"
︒ 1・ 聖徳 太子 の紹 介
『今昔物語集』における弥勒仏 ― 496 ―
2・ 母の 夢告 によ る懐 妊 3・ 聖徳 太子 の出 生 4・ 出生 時の 奇瑞 5・ 百済 より 僧・ 経論 伝わ る 6・ 経論 の内 容・ 太子 仏道 修行 7・ 新羅 より 釈迦 如来 仏伝 わる 8・ 百済 より 日羅 来日 し︑ 聖徳 太子 と出 会う 9・ 百済 より 弥勒 仏伝 わる
︒馬 子と 仏法 流布 を祈 願 10・
塔像 に舎 利を こめ 三宝 弘む 11・
物部
・中 臣勝 海王 が天 皇に もう して 仏法 をと どめ る 12・
太子 が二 人を たし なめ る 13・
天皇 が仏 経な どを 焼き 弾圧 14・
病が 流行 し︑ 再度 仏法 を崇 める 15・
用明 天皇 即位 し︑ 三宝 に帰 依 16・
太子
︑馬 子と 共に 守屋 など を討 つ 17・
太子 十六 才︒ 守屋 など と三 度戦 う 18・
四天 王の 像を つく る 19・
物部 氏大 神に 祈り 戦う
― 497 ― 『今昔物語集』における弥勒仏
20・ 四天 王寺 を建 て仏 法隆 盛 21・
推古 天皇 即位
︒太 子摂 政と なり
︑百 済よ り阿 佐来 日 22・
太子 甲斐 の黒 駒で 空を 飛び 信濃 にい たる 23・
太子 勝鬘 経を 天皇 の前 で講 じ︑ 橘寺 つく る 24・
妹子 を唐 に派 遣し
︑前 生の とき にい た衡 山へ 法華 経を 取り に行 かせ る 25・
妹子 法華 経を 持ち 帰り 太子 に渡 す 26・
太子 諸経 の疏 を作 る 27・
太子 夢殿 に七 日七 夜入 り︑ 唐に 渡り 法華 経を 取っ てく る 28・
妹子 再び 唐に 赴く 29・
太子
︑夫 人に 共に 死に たい と希 望し
︑世 の無 常を 語る 30・
片岡 山で 飢え た人 のた めの 歌を つく る︒ 31・
飢え た人 の死 に︑ 太子 悲し む 32・
飢え た人 を葬 るが
︑屍 はな くな る 33・
太子
︑妃 と共 に死 ぬ︒ 四十 九歳 34・
太子 の死 去の 日︑ 法華 経も 消え
︑黒 駒も 死ぬ 35・
新羅 より 伝わ った 釈迦
︑百 済よ りき た弥 勒は 今に 残る 36・
太子 の作 った 経の 所在
︵ 今昔 の独 自文
︶ 37・
太子 の三 つの 名に つい て
『今昔物語集』における弥勒仏 ― 498 ―
38・ 話末 評語
︵ 今昔 の独 自文
︶ こ の 中 で7
︑9 22〜 28︑ 35︑ 38〜 は﹃ 極 楽 記﹄
︑ 7︑ 9〜 22︑ 28〜 30︑ 34
︑3 5︑ 38 は﹃ 験 記﹄ に は な い 事 項 で ある
︒ この 共通 する 事項 をも とに 異同 を 調べ る と︑
﹃ 今昔
﹄は
﹃三 宝 絵﹄ を 基に 叙 述 し てい る が︑ 表 現の 次 元 で意 味 の 改 変 があ るほ どの 大き な異 同は ほと んど 見ら れな い#
︒し か し︑
﹃ 今昔
﹄に は 6・
﹁我
︑昔 漢 ノ 国ニ 有 シ 時︑ 南岳 ニ 住 シ テ 仏 ノ 道修 行 シ テ年 積 タ リ﹂ と 言う 一 文 があ る
︒こ の 表 現 は
﹃三 宝 絵
﹄に は な い が﹃ 極 楽 記﹄ に﹃ 今 昔﹄ と 同 文 の
﹁児 漢に あり て南 岳に 住せ しこ と︑ 数十 の身 を歴 たり
︒仏 道を 修行 した りき との たま へり
﹂が 見ら れる
︒つ まり
︑﹃ 三 宝 絵﹄ を出 典と しな がら も﹃ 極楽 記﹄ をも 参考 にし てい たこ とは 明確 であ る︒ した がっ て﹃ 三宝 絵﹄ との 異同 をみ な が ら︑
﹃ 極楽 記﹄ との 異同 をも 確認 しつ つ﹃ 今昔
﹄の 叙述 意 識 を︑ 新羅 と 百 済か ら の 仏 像伝 来 の 記述 を 中 心に 見 て い く と次 の四 点を 上げ るこ とが で きる
︒今 回 の 考察 で は︑ 観 智院 本
﹃三 宝 絵﹄ を 用い た が︑
﹃ 三宝 絵
﹄の 諸 本間 で も 表 現 の異 同が みら れた
︒﹃ 三 宝絵
﹄諸 本間 の表 現の 比較 は 今 後の 課 題 とし た い
︒今 回 は︑ 今昔 の 特 徴を 導 き 出す た め に 比 較を 用い るこ とと する
︒
!
百 済か ら伝 来し た弥 勒像 を9・﹃ 三 宝絵
﹄で は
﹁コ ノ 像ヲ ウ ケ テ︑ 家ノ 東 ニ 寺 ヲツ ク リ テ︑ スヘ タ テ マツ リ テ ウ ヤ マフ
︒﹂ と ある が﹃ 今昔
﹄は
﹁此 ノ来 レル 使ヲ 受テ
︑家 ノ東 ニ寺 ヲ造 リ︑ 此ヲ 居ヘ テ養 フ︒
﹂と あり
︑仏 像だ け で なく 仏像 を伝 えた 者達 も含 めを 祀っ たと ある
︒
"
難 波 の 堀江 に 捨 てる も の 13が
・﹃ 三 宝 絵﹄ では
︑﹁ ヤ ケ ノコ レ ル 仏経 ヲ バ
︑難 波 ノ ホ リ 江 ニ ス テ イ レ ツ﹂ と あ る が
︑﹃ 今 昔﹄ では
﹁焼 残セ ル仏 ヲバ 難波 ノ堀 江ニ 棄テ ツ﹂ とあ り︑
﹃三 宝絵
﹄で は仏 教を 構成 する 要素 とし て仏 と 経 典を 重視 して 考え てい るが
︑﹃ 今 昔﹄ では 仏像
︑つ ま り この 文 章 から は 弥 勒 像を 指 し 示し て い るの で あ り︑ そ
― 499 ― 『今昔物語集』における弥勒仏
れ を構 成要 素の 一つ とし て捉 えて いる
︒
!
再 度仏 教を 行お うと 14︑・﹃ 三 宝絵
﹄で は﹁ 又ヤ キ シ 寺ヲ
︑ア ラ タ メツ ク ラ シ メ給
︒ヤ キ ウ シナ ヒ テ シ仏 経 ヲ モ ト メ︑ アラ タメ テ︑ コレ ヨリ ハジ メ テ又 オ コ シサ カ ヘ シメ 給
︒﹂ と あ るが
﹃今 昔
﹄で は﹁ 改 メテ 寺 塔 ヲ造 リ 仏 法 ヲ 崇ム ル事
︑本 ノ如 ク也
﹂と あり
︑﹃ 三 宝絵
﹄で は仏 と経 を 求 める こ と によ り 仏 教 再興 へ 繋 がる と 意 識し て い る が
︑﹃ 今 昔﹄ では
︑﹁ 仏法
﹂に 重点 がお かれ てい る︒
"
話 末 評 語で は 38︑
・﹃ 三 宝絵
﹄で は 本 話 の出 典 を 述べ る だ けで あ る が︑
﹃今 昔
﹄で は
﹁此 ノ 朝 ニ 仏 法 ノ 伝 ハ ル 事 ハ
︑太 子ノ 御世 ヨリ 弘メ 給ヘ ル也
︒不 然ハ
︑誰 カハ 仏法 名字 ヲモ 聞カ ム︒ 心有 ラム 人ハ
︑必 報ジ 可奉 シト ナム 語 リ 伝ヘ タル トヤ
﹂と 解き
︑本 話は 仏法 が伝 わり 広ま るこ とを 語る ため の説 話と して 位置 付け られ てい る︒ これ らの 四点 をま とめ ると
︑﹃ 三 宝絵
﹄で は﹁ 仏経
﹂つ ま り 仏と 経 と が強 く 意 識 され た 説 話と な っ てい る
︒し か し
﹃今 昔﹄ では
﹁仏 法﹂ の伝 来・ 弘布 を語 るた め の 話と な っ てい る こ と が指 摘 で きる
︒そ し て︑ そ の﹁ 仏法
﹂の 構 成 要 素 の一 つと して
︑百 済か ら伝 来し た弥 勒仏 を含 めて いる
︒こ のよ うに 弥勒 仏を 仏法 と捉 える
﹃今 昔﹄ の意 図は どの よ う に見 てい けば よい ので あろ うか
︒ 2
先 行研 究お よび 問題 意識 早く か ら 巻 十一 第 一 話は
︑本 朝 仏 法部 の 最 初 の説 話 で ある こ と から 注 目 さ れ︑ 数多 く 論 述さ れ て き た#
︒ そこ で
︑ 百 済伝 来の 弥勒 仏に 対す る﹃ 今昔
﹄編 者の 意識 はど のよ うに 捉え られ てき たの かを 中心 に見 てみ ると
︑森 正人 氏は 話 末 評語 との 関係 から
︑﹁ 現 存す る事 物を 通じ て︑ 変わ らず 継承 さ れ てき た と ころ の 仏 法 を享 け る べき こ と を説 い て い る
﹂と 指摘 され た$
︒ 前田 雅之 氏も
﹁太 子自 身の 唯一 の遺 物が
︑釈 迦像 や 弥 勒 の石 像 と 共に
﹁今
﹂に 伝 わ って い る こ
『今昔物語集』における弥勒仏 ― 500 ―
と が判 明し
︑そ れが
﹁損
﹂じ ない こと から 明ら かな よう に︑ 太子 の力 が今 日ま で伝 わっ てい るこ とを 示し
﹂て いる と し
︑弥 勒・ 釈迦
・太 子の 経典 が本 朝仏 法に おけ る重 要な 要素 であ るこ と を 指 摘さ れ て いる
︒!
私 も 森・ 前 田両 氏 の 御 説 を支 持す るも ので ある
︒ とこ ろで
︑弥 勒は
︑本 来釈 尊入 滅後 五十 六億 七千 万年 後に 下生 し竜 華樹 の下 で成 道し
︑三 会の 説法 で衆 生を 救済 す る とさ れて いる 未来 仏で ある
︒釈 迦は
︑釈 迦牟 尼の 略称 で釈 迦族 の聖 者つ まり 釈尊 を現 して いる
︒釈 迦仏 が伝 来す る 事 は︑ 仏教 の伝 来と 捉え られ るの は当 然で あ ろう
︒た だ
︑弥 勒 は菩 薩 の 一つ で あ り︑ 如 来の 釈 迦 とは 位 相 が 異な る
︒ そ れに も関 らず
︑あ えて 弥勒 を釈 迦仏 と同 じ位 相に まで 高め 仏法 伝来 の一 要素 と捉 える
﹃今 昔﹄ の意 図は 何で ある の か とい うこ とで ある
︒ 巻十 一第 一話 につ いて は︑ 先学 によ り編 者の 独 自意 識
・﹁ 最 初か ら 虚 構的 な 仏 法 世界 の 構 築を 強 く 志向
﹂し よ う と す る 意 識が 働 い た説 話 で あ ると 指 摘 され て い る"
︒ もし そ う で あ る と す る な ら ば
︑編 者 は 何 を 改 変 し 虚 構 す る た め に
︑弥 勒を 通じ 仏法 伝来 を語 ろう とし てき たの か︒ 著者 は︑ 先学 の見 解に 従い
︑編 者が 弥勒 を仏 法の 一要 素と 捉え よう とし た独 自意 識︑ つま り弥 勒仏 への まな ざし を 捉 える こと とす る︒
二 他 文 献と の 比 較
﹃ 今昔
﹄で は弥 勒仏 を仏 法の 一要 素と して 捉え てい たこ とは
︑﹃ 三宝 絵﹄ との 異同 から 指摘 でき たが
︑本 話の 中で 弥 勒 がど のよ うな 意味 で語 られ てい るか を︑ 他文 献と の比 較を 通じ 考察 して いく
︒少 し長 くな るが 仏教 の伝 来を 語る 本
― 501 ― 『今昔物語集』における弥勒仏
文 を引 用す る︒ 亦︑ 太子 八歳 ニ成 給フ 年冬
︑新 羅国 ヨリ 仏像 ヲ渡 シ奉 ル︒ 太子 奏シ 給ハ ク︑
﹁ 此︑ 西国 ノ聖 キ釈 迦如 来ノ 像也
﹂ ト
︒亦
︑百 済国 ヨリ 日羅 ト
!
"
衣 着テ 下童 部 ノ 中ニ 交 ハ リ︑ 難 波ノ
! "
舎 奉ル
︒太 子 驚 キ逃 給 フ 時︑ 日羅 跪 テ 掌 ヲ 合テ
︑太 子ニ 向テ 云ク
︑﹁ 敬 礼救 世観 世音
︑伝 灯東 方粟 散王
﹂ト 申ス 間︑ 日羅 身ヨ リ光 ヲ放 ツ︒ 其ノ 時ニ
︑太 子亦 眉ノ 間ヨ リ光 ヲ放 給フ 事︑ 日ノ 光ノ 如ク 也︒ 亦︑ 百済 国ヨ リ弥 勒ノ 石像 ヲ渡 シ奉 タリ
︒其 時 ニ
︑大 臣蘇 我ノ 馬子 ノ宿 禰ト 云人
︑此 ノ来 レル 使ヲ 受テ
︑家 ノ東 ニ寺 ヲ造 リ︑ 此ヲ 居ヘ テ養 フ︒ 大臣 此寺 ニ塔 ヲ 起 ムト 為ル ニ︑ 太子 ノ宣 ハク
︑﹁ 塔 ヲ起 テバ
︑必 ズ仏 ノ舎 利ヲ 籠メ 奉ル ナリ
﹂︒ 舎利 一粒 ヲ得
︑即 チ瑠 璃ノ 壺ニ 入 テ 塔 ニ 安置 シ テ︑ 礼 奉ル
︒惣 テ 太 子︑ 此 大臣 ト 心 一ニ シ テ︑ 三 宝ヲ 弘
︒此 ノ 時 ニ
︑国 ノ 内 ニ 病 発 テ 死 ル 人 多 カ リ
︒其 時ニ
︑大 連物 部弓 削ノ 守屋
・中 臣 ノ勝 海 ノ 王ト 云 フ 二人 有 テ
︑ト 奏 テ云 ク
︑﹁ 我 国︑ 本ヨ リ 神 ヲノ ミ 貴 ビ 崇 ム︒ 然ル ニ︑ 近来
︑蘇 我大 臣仏 法ト 云物 ヲ発 テ行 フ︒ 是ニ 依テ
︑国 ノ内 ニ病 発テ 民皆 可死 シ︒ 然レ バ︑ 仏法 ヲ 被 止テ ノミ ナム 人 ノ命 可 残 キ﹂ ト︒ 此ニ 依 テ︑ 天 皇詔 シ テ 宣︑
﹁ 申ス 所 明 ケシ
︒早 ク 仏 法ヲ 可 断 シ﹂ ト︒ 亦︑ 太 子 奏 シ給 ク
︑﹁ 此 二ノ 人 未 ダ 因果 ヲ 不 悟︒ 吉キ 事
!
"
福忽 ニ 至 ル︒ 悪事 ヲ 政 テ バ過 必 来 ル︒ 此二 人 ノ 人必 ズ 過 ニ 会 ナム トス
﹂ト
︒然 ト云 へ共
︑天 皇︑ 守屋 ノ大 連ヲ 寺ニ 遣テ
︑堂 塔ヲ 破リ 仏経 ヲ焼 シム
︒焼 残セ ル仏 ヲバ 難波 ノ 堀 江ニ 棄テ ツ︒ 三人 ノ尼 ヲバ 責打 テ追 出シ ツ︒
﹁ 百済 国ヨ リ弥 勒ノ 石像
﹂が 伝え られ
︑そ れ を 蘇我 馬 子 が﹁ 家ノ 東 ニ 寺 ヲ造 リ
︑此 ヲ 居ヘ テ 養﹂ う とあ る
︒こ の よ う に︑ 百済 から
﹁渡 シ奉
﹂ら れた 仏像
・僧 を祀 るこ とに より
﹁国 ノ内 ニ病 発テ 死ル 人多 カリ
﹂と いう 災難 にみ まわ れ る
︒そ の 理 由を 考 え る に︑
﹁本 ヨ リ 神﹂ だ け を 崇 拝 し て い た に も か か わ ら ず
︑蘇 我 馬 子 が 弥 勒 仏 を 祀 っ た 事 に よ り
﹁神
﹂の 祟り がお こっ たか らで あり
︑そ れに より
︑国 中に 病が 発生 し皆 死ん でし まう ので ある
︒
『今昔物語集』における弥勒仏 ― 502 ―
こ の箇 所 か らは
︑弥 勒 仏 に対 す る 視 点を 二 つ あげ る こ と がで き る︒ 一 つは
﹁弥 勒 仏
﹂が 元 来︑ 日 本 で 祀 っ て い た
﹁神
﹂の 祟り をも たら す存 在で あり
︑も う一 つは
︑馬 子が 弥勒 仏を 祀っ てい たこ とを
︑﹁ 仏法 ト云 物ヲ 発テ 行フ
﹂と 言 い 換え てい るこ とか ら︑ 弥勒 仏が 仏法 とし て捉 えら れて いる こと であ る︒ つま り弥 勒を 祀る こと は︑ 仏法 を崇 拝す る こ とと 位置 付け られ てお り︑ それ は日 本古 来の 神の 祟り をも たら す行 為で ある とさ れ︑ 仏法 信仰 と国 神信 仰と の相 克 を 伝え てい ると いえ よう
︒ この 部分 は﹃ 三宝 絵﹄ と 同一 の 記 述で あ り︑
﹃ 三宝 絵
﹄と
﹃今 昔
﹄は
﹁神
﹂に 対 する 存 在 とし て 仏 法︵ 弥勒 を ま つ る こと
︶と 捉え てい る︒ では
︑﹃ 三 宝絵
﹄が 出典 とし てい る﹃ 書紀
﹄に はど のよ うに 記述 され てい るの であ ろう か︒
﹃ 書紀
﹄に は仏 教伝 来の 記述 が︑ 欽明 十三 年と 敏達 天皇 十 三 年と 二 箇 所あ り
︑い ず れ も仏 像 が 朝鮮 半 島 から も た ら さ れ︑ それ を祀 った こと によ り祟 りが おこ り︑ その 仏を 難波 の堀 江に 捨て たと 叙述 され てい る︒ これ らは
︑前 述し た と おり
︑後 世に より 脚色 され たも ので ある とさ れて いる が︑ そこ から 朝鮮 半島 伝来 の仏 像に 対す る意 識を 見て いく
︒
﹃ 今昔
﹄で は蘇 我馬 子の 出来 事が 記さ れて おり
︑こ れは
﹃書 紀﹄ の敏 達十 三年 の記 述に 該当 する
︒ 秋九 月に
︑百 済よ り来 る鹿 深臣
︑︹ 割 注│ 名字 を闕 せり
︺弥 勒の 石像 を一
!
有 てり︒佐 伯連
︑︹ 割注
│名 字を 闕 せ り︺
︒ 仏像 一
!
有て り︒ 是の 歳に︑蘇 我馬 子宿 禰其 の仏 像二
!
を 請け︑乃 ち鞍 部村 主司 馬達 等・ 池辺 直氷 田を 遣し て︑ 四方 に使 して 修 行 者 を 訪ひ 覓 め しむ
︒是 に 唯 播 磨国 に の み︑ 僧還 俗 の 者を 得
︒名 は 高 麗の 恵 便 と い う︒ 大 臣︑ 乃 ち 以 ち て 師 と し
︑司 馬達 問等 が女 島を 度せ しむ
︒善 信尼 と曰 う︒
︹ 割注
│年 十一 歳︒
︺又 善信 尼の 弟子 二人 を度 せし む︒ 其の 一 は
︑漢 人夜 菩が 女豊 女︑ 名は 禅 蔵尼 と 曰 ひ︑ 其の 二 は︑ 錦 織壺 が 女 石 女︑ 名は 恵 善 尼と 曰 ふ︒
︹ 壺︑ 此に は 都 符 と 云ふ
︒︺ 馬 子独 り仏 法に 依り て三 尼を 崇敬 す︒ 乃ち 三尼 と以 ちて
︑氷 田直 と達 等と に付 けて
︑衣 食を 供え しむ
︒
― 503 ― 『今昔物語集』における弥勒仏
仏 殿 を 宅の 東 方 に経 営 り︑ 弥 勒 の石 造 を 安置 し ま つる
︒︹ 中 略︺ 辛 亥 に︑ 蘇 我 大 臣 患 疾 す︒ 卜 者 対 へ て 言 は く
︑
﹁父 の時 に祭 りし 仏神 の心 に祟 れり
﹂と いう
︒大 臣︑ 即ち 子弟 を遣 して
︑其 の占 状を 奏す
︒詔 して 曰は く︑
﹁卜 者 の 言に 依り て︑ 父の 神を 祭祠 れ﹂ との たま ふ︒ 大臣
︑詔 を奉 りて
︑石 造を 礼拝 し︑ 寿命 を延 べた まへ と乞 ふ︒ 是 の 時に
︑国 に疫 疾行 りて 民の 死者 衆し
"
︒
﹃ 書紀
﹄で は︑ 弥勒 伝来 の後
︑三 人の 尼を 祀る 話な どが 含 ま れ︑ 国中 に 病 が起 こ る の では な く 仏像 を 安 置し た 蘇 我 大 臣が 病に 伏せ ると いう 話の 展開 にな って いる
︒朝 鮮半 島伝 来の 仏像 に対 する 意識 は︑ 蘇我 馬子 が弥 勒仏 像二 体を 請 け て崇 め尊 んだ とこ ろ病 気に かか ると して いる こと から
︑病 をも たら す存 在と 理解 でき る︒ しか し︑ この 原因 を占 者 に 尋ね ると
︑馬 子の 父・ 稲目 のと きに 祀っ た﹁ 仏神
﹂が 祟り をも たら して いる から だと いわ れ︑ 父の 祀っ てい た仏 神 を 祀る よう に言 われ る︒ つま り︑ 弥勒 を祀 るこ とと
︑仏 神を 祀る こと は同 一次 元で 捉え られ てお り︑ 病を もた らす 存 在 と説 かれ てい るの であ る︒ この 父の 祀っ てい たと され る﹁ 仏神
﹂が 何を 示し てい るか は︑ 欽明 十三 年の 記事 に該 当 す るの で見 てみ よう
︒ 冬十 月に
︑百 済の 聖明 王︑
︹ 更の 名 は聖 王
︺西 部 姫氏 達 率 怒
$
斯 致契 等 を 遣し て︑釈 迦 仏の 金 銅 像 一
!
・幡 蓋 若 干・ 経論 若干 巻を 献る
︒︵ 中 略︶ 蘇我 大臣 稲目 宿禰 奏し て曰 さく
︑﹁ 西蕃 の諸 国︑ 一に 皆礼 ふ︒ 豊秋 日本 豈独 り 背 かむ や﹂ とま をす
︒物 部大 連尾 輿・ 中臣 連鎌 子︑ 同じ く奏 して 曰さ く︑
﹁ 我が 国家 の︑ 天下 に王 とま しま すは
︑ 恒 に 天 地社 稷 の 百八 十 神 を 以ち て
︑春 夏 秋冬
︑祭 拝 り たま ふ こ と を事 と す︒ 方 今し
︑改 め て 蕃 神 を 拝 み た ま は ば
︑恐 るら くは 国神 の怒 を致 した ま はむ
﹂と ま を す︒ 天皇 の 曰 はく
︑﹁ 情 願 ふ 人稲 目 宿 禰に 付 け て︑ 試に 礼 拝 せ し むべ し﹂ との たま ふ︒ 大臣
︑跪 きて 受け たま はり て忻 悦び
︑小 墾田 の家 に安 置せ まつ る#
︒ 蘇 我稲 目 が 祀っ た も のは
︑百 済 の 聖 明王 か ら 献上 さ れ た﹁ 釈 迦仏 の 金 銅像 一
!
﹂ であ る
︒馬 子 の 病 を お こ し た の
『今昔物語集』における弥勒仏 ― 504 ―
は
︑こ の 釈 迦仏 の 心 に 祟 っ た か ら で あ る
︒こ の 祟 り を 取 り 払 う た め に
﹁仏 神
﹂で あ る 釈 迦 仏 を 祀 れ と い わ れ る が
︑
﹁石 造を 礼拝 し︑ 寿命 を延 べた まへ と 乞﹂ へ とし て お り︑ 石弥 勒 を 祀 って い る︒ つ まり
﹃書 紀
﹄で は︑ 釈 迦仏 と 弥 勒 仏 との 厳然 とし た区 別は 行わ れて おら ず︑ 朝鮮 半島 伝来 の仏 像と いう 形像 仏は 同一 と捉 えて おり
︑そ れは
﹁仏 神﹂ も し くは
﹁蕃 神﹂ とさ れ︑ 国神 の祟 りを もた らす 存在 と捉 えら れて いる
︒ 仏教 公伝 の記 述と して
︑﹃ 元 興寺 伽藍 縁起
﹄も 指摘 され てい るこ とか ら︑ 右記 と同 一の 箇所 を見 てみ る︒ しか る後
︑癸 卯に 稲目 の大 臣の 子馬 古足 禰︑ 国内 の
"
を得 て筮 卜に 問へ る時
︑言 はく
﹁こ れ︑ 父の 世に 祀る 神 の 心な り﹂! と あり
﹁父 の世 に祀 る神
﹂の 祟り によ って 国内 に病 が流 行っ たと 記さ れて いる
︒そ の理 由を 卜部 に聞 くと
︑父 の時 に 祀 った
﹁神 の心
﹂に 祟っ たか らで ある とい う︒ 父の 時に 祀っ た神 に関 する 記述 を見 ると
︑ 百済 国聖 明王 の時 太子 の像 並び に灌 仏 の器 一 具︑ 及 び仏 起 を 説け る 書 巻 一函 を 度 して 言 わ く︑
﹁当 に 聞 く︑ 仏 法 は既 にこ れ世 間無 上の 法︑ その 国も 又修 行す べき なり
﹂と
︒︵ 中 略︶ 時に 余の 臣等 白さ く︑
﹁我 等が 国は
︑天 つ 社
・国 つ 社 の一 百 八 神を
︑一 所 に 礼 ひ奉 れ り︒ 我 等が 国 つ 神の 御 心 を 恐る る が 故に
︑他 国 の 神 を 礼 拝 ふ べ か ら ず
﹂と 白し き︒ と ある
︒馬 子の 父で ある 蘇我 稲目 が祀 った もの は︑ 百済 の聖 明王 から 献上 され た﹁ 太子 の像
﹂と され てい る︒ さら に こ の像 を﹁ 他国 の神
﹂と し︑
﹁ 国つ 神﹂ の心 に恐 れる 存在 であ り︑ 畏敬 すべ 像と して 受け 止め られ てい る︒ 以上 の内 容を まと める と︑
﹃ 日本 書紀
﹄の
﹁仏 神﹂ は釈 迦仏 であ り︑
﹃元 興寺 縁起
﹄の
﹁神
﹂・
﹁ 他国 の神
﹂は 太子 像 で ある
︒大 臣の 病を 起こ した り︑ 国内 に病 が流 行っ たり した のは 釈迦 仏・ 太子 像を 祀っ たこ とに よる 国神 の怒 りに ふ れ たか らで ある とさ れて いる
︒こ の祟 り を取 り 払 うた め に 石弥 勒 を 祀 って い る︒ つ まり
﹃書 紀
﹄﹃ 元 興寺
﹄と も に 釈
― 505 ― 『今昔物語集』における弥勒仏
迦 仏と 弥勒 仏で ある 朝鮮 半島 伝来 の仏 像 とい う 形 像仏 は
﹁仏 神﹂
﹁ 蕃神
﹂と さ れ
︑祟 り をも た ら す畏 怖 す べき も の で あ ると され てい る!
︒ さら に︑ 日本 本来 の神
﹁天 地社 稷の 百八 十神
﹂で ある
﹁国 神﹂ に対 峙す る存 在と して 捉え られ てい る︒ 直接 的な 祟 り をも たら した のは
﹁国 神﹂ であ るが
︑そ の国 神を 怒ら せた 原因 が︑ 朝鮮 半島 伝来 の仏 像を 祀っ たこ とな ので ある
︒
﹃ 三宝 絵﹄ は﹃ 聖徳 太子 伝暦
﹄︵ 以 下﹃ 伝暦
﹄と 略 す︶ を も元 に し てい る た め︑
﹃ 伝暦
﹄に お け る同 一 箇 所の 記 述 を 見 て み たが
︑や は り︑ 朝 鮮半 島 伝 来 の仏 像 を﹁ 異 国之 神
﹂と し てい る"
︒さ ら に は︑
﹁国 之 神﹂ に 対 峙 す る 存 在 と し て 記述 され てい る︒ 以上
︑﹃ 書 紀﹄
﹃元 興寺
﹄﹃ 伝 暦﹄
﹃三 宝絵
﹄﹃ 今 昔﹄ の仏 像に 対す る表 現方 法を 一覧 に示 すと
︑次 の通 りと なる
︒
﹃ 元興 寺﹄
﹃書 紀﹄
﹃ 伝暦
﹄で は
︑朝 鮮 半島 伝 来 の仏 像 に た いし て
︑﹁ 他 国の 神
﹂﹁ 仏 神﹂
﹁蕃 神
﹂﹁ 異 国之 神
﹂と 述 べ ら れて いる
︒古 代社 会に おい てこ れら は︑ 病を もた らす 恐ろ しき 存在 とし て意 識さ れて おり
︑畏 怖す べき 神と して 仏 像 が捉 えら れて いる
︒一 方︑
﹃ 書紀
﹄﹃ 伝暦
﹄を 出典 とし て記 述さ れた
﹃三 宝絵
﹄で はす でに
︑仏 像を
﹁仏 法﹂ とし て
書 名
祀 る も の
捉 え 方
対 峙 す る も の
捨 て る も の
﹃ 元 興 寺 縁 起
﹄
弥 勒 仏
神
・ 他 国 の 神
︵ 太 子 像
︶
国 つ 神
仏 像
﹃ 書 紀
﹄
仏 神
・ 蕃 神
︵ 釈 迦 仏 の 金 銅 像
︶
国 神
仏 像
﹃ 伝 暦
﹄
仏 神 ノ 心
・ 異 国 ノ 神
神
仏 像
﹃ 三 宝 絵
﹄
仏 法
神
仏 経
﹃ 今 昔
﹄
仏 法
神
仏
『今昔物語集』における弥勒仏 ― 506 ―
理 解し てい る︒ さら にこ の仏 法を
﹃三 宝絵
﹄で は︑ 仏像 と経 典と いう 両者 をも って 再度 捉え なお して いる
︒ しか し﹃ 今昔
﹄で はこ の箇 所を
﹁仏
﹂と して おり
︑仏 法を なす もの とし て弥 勒仏 が意 識し 記述 され てい る︒ つ まり
﹃今 昔
﹄に お いて は
︑弥 勒
=
仏 法と い う 概 念で 捉 え られ て い る こ と が︑ こ こ で も 再 度 確 認 で き る︒﹃ 今 昔
﹄ に おい ては
︑古 代日 本に おけ る仏 像に 対す る﹁ 仏神
・蕃 神﹂ とい う畏 怖す べき 形像 仏の 一つ の伝 来と いう 意識 から 離 れ てお り︑ すで に仏 法の 到来 とし て理 解し てい た︒ いう なれ ば︑ 弥勒 仏を 異国 の仏 神像 では なく
︑仏 教そ れ自 身を 形 容 して いる もの
︑つ まり 仏法 であ ると 認知 し需 要し てい たこ とが
﹃今 昔﹄ から 読み 取れ るの であ る︒ では なぜ
︑﹃ 今 昔﹄ は弥 勒仏 を︑ 仏法 と捉 えよ うと して いた ので あろ うか
︒﹃ 書紀
﹄﹃ 元 興寺
﹄﹃ 伝暦
﹄で 見て きた と お り朝 鮮半 島伝 来の 仏像 は古 代に おい て︑ 外来 神︑ 蕃神 とさ れて いる こと から
︑こ れら に対 する
﹃今 昔﹄ の意 識が 影 響 して いる ので はな いか
︒で は﹃ 今昔
﹄に お ける
﹁仏 神
﹂﹁ 蕃 神﹂ とい う 記 述は 本 書 全 体を 通 し てど の よ うに 扱 わ れ て いる だろ うか
︒ 三
﹃ 今 昔﹄ に み る仏 神 弥勒
仏や 釈迦 如来 を﹃ 書紀
﹄で は︑
﹁ 仏神
﹂﹁ 蕃神
﹂と 記し てい たこ とを 指摘 して きた が︑ これ はい ずれ も︑ 百済 伝 来 の仏 像に 対す る言 葉で あり
︑外 来の 神と いう 意味 で使 われ てい た︒
﹃ 今昔
﹄で は﹁ 仏神
﹂﹁ 蕃神
﹂と 言う 用語 はど の よ うに 使わ れて いる かを 調べ た"
︒
﹁ 仏神
﹂の 例と して は本 朝篇 のみ 調査 する と六 例見 られ た︒ 一つ ずつ 意味 を見 てい くこ とと する
︒
!
巻 十二 第三 五神 名睿 実持 経者 語― 507 ― 『今昔物語集』における弥勒仏
然 レ バ︑ 其 ノ時 ノ 国 ノ司
! "
︑此 ノ 聖 人 ノ 誹 謗 シ テ︑
﹁此 レ ハ 破 戒 無 慙 ノ 法 師 也︒ 更 ニ 人 ノ 辺 ニ 不 可 寄 ズ
﹂ ト 云テ
︑聖 人 ノ 財物 ヲ 皆 奪ヒ 取 ツ
︒其 ノ 後︑ 守ノ 妻 病 重ヲ 受 テ︑ 仏 神 ニ祈 請 シ
︑薬 ヲ 以 テ 療 治 ス ト 云 ヘ ド モ ト︑ 皆 其ノ 験
!
"
︒然 レ バ︑ 守此 レ ヲ 歎ク 間 ニ
︑呂 代 守ニ 云 ク︑
﹁ 彼ノ 睿 実 君ヲ 請 ジ テ︑ 法 花経 ヲ 令 読 テ 試 ミ 給へ
﹂ト
︒ 神明 とい う寺 に睿 実と いう 僧が いた
︒法 華経 をよ く読 み質 素に 暮ら して いた
︒公 季が 重い 病気 にな った とき
︑祈 祷 さ せよ うと 神明 寺へ 赴い た︒ 睿実 が公 季の 首に 手を 入れ て寿 量品 を三 回読 むと 治っ た︒ この 僧が 肥後 に下 り富 豪と な っ た
︒国 司 の妻 が 重 病に か か っ たた め
︑病 を 治す た め に睿 実 に 頼 まず 仏 神 に祈 っ た が効 果 が な かっ た と い う 話 で あ る
︒こ こで は仏 神は 仏像 に祈 るこ とを 示し てい る︒ また 法華 経読 誦の 功徳 を語 る説 話で ある ため
︑仏 神に 祈る こと は 法 華経 読誦 より 効験 が少 ない 印象 を与 える よう に記 され てい る︒
"
巻 十四 第十 八話 山城 国高 麗寺 栄常 謗法 花得 現報 語 然レ バ︑ 年来 ヲ経 テ思 エズ ト誦 スル ニ︑ 弥 ヨ忘 レ テ 第八 巻 更 ニ不 思 ズ
︒我 ガ 根性 ノ 鈍 ナル 事 ヲ 歎 テ云 ク
︑﹁ 上 ノ 七巻 ノ経 ヲモ 我レ 更ニ 不可 誦ズ
︒根 性聡 敏ナ ラバ 第八 巻ヲ モ可 思キ ニ︑ 何ノ 故ニ カ︑ 上七 巻ヲ バ﹂ 一年 ノ内 ニ 思 エテ
︑第 八巻 ニ至 テ年 来功 ヲ運 ブト 云ヘ ドモ 不思 ズ︒ 然レ バ︑ 仏神 ニ祈 請シ テ︑ 此ノ 事ヲ 可知 シ﹂ ト云 テ︑ 稲 荷 ニ参 テ︑ 百日 籠テ 祈請 ズル ニ︑ 亦其 験ナ シ︒ 明連 とい う僧 が﹃ 法華 経﹄ を暗 唱し たい と思 って い たが
︑巻 七 ま では 覚 え られ て 巻 八 は何 回 呼 んで も 覚 え られ ず
︑ そ の理 由を 仏神 にた ずね よう と祈 った が効 果が なか った とい う話 であ り︑ こち らも
!
と 同様︑法 華経 読誦 より 劣る 手 法 とし て仏 神祈 祷が 記さ れて いる
︒
#
巻 十四 第十 九話 備前 国盲 人︑ 知前 世持 法花 語『今昔物語集』における弥勒仏 ― 508 ―
今昔
︑備 前ノ 国ニ 有ケ ル人
︑年 シ十 二歳 ニシ テ︑ 二ノ 目盲 ヌ︒ 父母 此レ ヲ歎 キ悲 ムデ
︑仏 神ニ 祈請 スト 云ヘ ド モ 其験 ナシ
︒薬 ヲ以 テ療 治ス ト云 ヘド モ不 叶ズ
︒然 レバ
︑比 叡ノ 山ノ 根本 中堂 ニ将 参テ
︑盲 人ヲ 籠メ テ︑ 心ヲ 至 テ 此ノ 事ヲ 祈請 ス︒ 備前 の国 に︑ 十二 歳の 時に 両目 を失 った 子の いる 父 母が
︑そ の 子 の病 を 治 そう と 仏 神 に祈 っ た が効 果 が な かっ た
︒ 法 華経 を読 むと
︑治 りは しな かっ たが
︑他 の人 の病 を治 した とい うも ので ある
︒
#
巻 十六 第二 十二 話!
女︑ 依石 山観 音助 得言 語 今昔︑誰 トハ 不知 ズ︑ 中比
︑京 ニ階 不苟 ヌ 人ノ 娘 有 ケリ
︒形 ハ 極 テ美 麗 ニ シ テ生 ケ ル ヨリ
!
ニ テ ゾ 有 ケレ バ︑ 父 母明 暮此 ヲ歎 キ悲 ムト 云ヘ ドモ
︑甲 斐ナ シ︒ 暫ハ
︑﹁ 神 ノ祟 カ︑ 若ハ 霊ノ 為ル カ﹂ ナド 疑ヒ テ︑ 仏神 ニ祈 請シ
︑ 貴 キ僧 ヲ呼 テ祈 ラセ ケレ ドモ
︑長 大ス ルマ デ遂 ニ物 云フ 事無 ケレ バ︑ 後ニ ハ︑ 父母 棄テ 不知 ザリ ケリ
︒ 京に 卑し くな い身 分の 美し い女 がい たが
︑生 まれ た時 から
$
者 であ った︒父 母が 仏神 に祈 った り︑ 僧を 呼び 祈ら せ た りし たが 効果 がな かっ た︒ その うち 父母 も亡 くな った ので
︑乳 母が 仲を 取り 持ち 夫を 得た が︑ 夫は
$
者 であ ると 知 り︑足 が 遠 のい て し まう
︒そ う し て 女が 石 山 の観 音 に 治し て も ら うよ う に お祈 り し てい る と 阿 闍 梨 が 治 し た︒ そ の 後
︑夫 婦も 仲良 くな った とい う話 であ る︒
!
〜"
に 共通 し︑ 仏神 祈祷 は病 を治 して もら うた めの 信仰 対象 仏と して 捉え られ てお り︑ 法華 経読 誦よ り効 験は 少 な いと され てい る︒ 仏神 に外 来の 神で ある とい う意 味は ない
︒こ こま では
︑法 華経 の功 徳を 験し た説 話群 巻一 三・ 一 四 に属 する 説話 であ るた め︑ 仏神 祈祷 より
︑法 華経 読誦 によ る功 徳が 勝る とさ れて いる のは 当然 であ ろう
︒ま た
#
の 巻 一六 は観 音の 利益 につ いて の説 話で ある︒そ のた め観 音以 外の 神や 仏な どに お祈 りし たが 功徳 がな いと いう 意味 で 説 かれ た説 話で あり
︑そ の後
︑石 山寺 の観 音に 祈祷 する と病 が治 ると いう もの で︑ 観音 の利 益に 優位 性が 置か れて い
― 509 ― 『今昔物語集』における弥勒仏
る
!
︒ 巻 二三 第一 五話 陸奥 前司 橘則 光切 殺人 語﹁ 今ハ 此ク ナメ リ﹂ ト思 程ニ
︑今 一人 有ケ レバ
︑﹁ ケヤ ケキ 奴カ ナ︒ 然テ ハ否 不罷 ジ﹂ ト云 テ︑ 走リ 懸リ テト ク 来 ケレ バ︑
﹁ 此ノ 度我 ハ被 錯ナ ムト 為ル
︒仏 神 助 ケ給 ヘ
﹂ト
︑太 刀 ヲ鉾 ノ 様 ニ 取成 シ テ︑ 走 リ早 マ リ タル 者 ニ 俄 ニ 立向 ヒケ レバ
︑腹 ヲ合 セテ 走リ 当リ ヌ︒ 橘則 光が 夜中 に三 人の 男に 襲わ れ︑ 最後 の人 に襲 われ た時 に仏 神に 助け を請 うと
︑切 り倒 すこ とが 出来 たと いう 話 で ある
︒
"
巻 二六 第七 話美 作国 神依 猟師 謀止 生贄
﹁ 其ニ 只一 人持 給ヘ ラム 娘ヲ
︑目 ノ前 ニテ 膾 ス 二造 セ テ 見給 ハ ン モ︑ 糸 心躁 シ
︒只 死 給ヒ ネ
︒敵 有 密ニ 行 烈 シ テ
︑徒 死為 者ハ 無ヤ ハ有 ル︒ 仏神 モ命 ノ為 ニコ ソ怖 シケ レ︑ 子ノ 為ニ コソ 身モ 惜ケ レ︒ 亦︑ 其君 ハ今 ハ無 人也
︒﹂ 生贄 にな る娘 のこ とを 気に 入っ た男 が言 った 言葉 で︑ 神も 仏も 我命 の惜 しさ ゆえ 恐ろ しい もの であ り子 の為 にこ そ 身 を惜 しむ もの であ ると いう 意味 であ る︒
! "
を見 ても 仏神 は︑ 単に 命を 助け ても らう ため の祈 祷対 象で ある こと が 分 かる
︒ 六例 を通 して みて も︑
﹃ 今昔
﹄に おけ る﹁ 仏神
﹂に は 外 来神 と い う意 味 を 読 み取 る こ とは で き ない
︒仏 像
・神 と い う 意味 で用 いら れて おり
︑さ らに は法 華経 読誦 より 劣る とい う認 識が なさ れて いる
︒さ らに 病を 治す
︑も しく は命 乞 い をす ると きの 祈祷 対象 とさ れて いる
︒ その 他︑
﹁ 他国 神﹂
﹁蕃 神﹂ とい う記 述が あ るか ど う かを
︑﹃ 今 昔﹄ を 通し て 調 査 して み た が見 ら れ なか っ た
︒し か し
︑外 来の 神と いう 意味 で捉 えら れて いる
﹁客 神﹂ とい う記 述が 一例 あっ たの で見 てみ よう
︒
『今昔物語集』における弥勒仏 ― 510 ―
守屋 ノ大 臣栖 野ヲ 責テ 云ク
︑﹁ 今
︑国 ニ災 ノ発 ル 事 ハ︑ 隣国 ノ 客 神ヲ 国 ノ 内 ニ置 ケ ル 故也
︒早 ク 客 神ノ 像 ヲ 取 出 シテ 豊国 ニ可 棄流 キ也
﹂ト
︒然 レド モ︑ 栖野 固辞 シテ
︑此 仏ヲ 不取 出シ テ止 ヌ!
︒ 池辺 直氷 田に よっ て造 られ た仏 像を
﹁隣 の国 の客 神の 像﹂ と称 し︑ これ を国 内に おく こと によ り災 いが 起こ ると さ れ てい る︒ ここ でい う隣 国は 朝鮮 半島 を示 して いる ので
︑朝 鮮半 島由 来の 像は
﹁客 神﹂ とさ れ︑ 災い をも たら すと 考 え られ てい たこ とが わか る︒ この 記述 から 考え るに
︑巻 十一 第一 話で の弥 勒仏 は朝 鮮半 島由 来の 仏像 であ り︑ それ は災 いを もた らす とと らえ ら れ てい たの では
︑と 考え られ る︒
﹃ 書紀
﹄﹃ 伝暦
﹄で 見て きた とお り︑ 古代 にお いて 朝鮮 半島 伝来 の仏 像は
︑畏 怖す べ き 存在 であ り︑
﹃ 今昔
﹄も それ を意 識し てい た こ とが こ の﹁ 客 神﹂ の記 述 か ら も汲 み 取 れよ う
︒し か し︑ 巻十 一 第 一 話 とい う本 朝の 仏法 伝来 を語 る説 話に おい て︑ 仏像 が畏 怖す べき 存在 であ ると され るこ とは
︑本 朝に おけ る仏 法伝 来 を 語ろ うと して いる
﹃今 昔﹄ の叙 述意 識に 合 わな い も ので あ っ たの で は な いだ ろ う か︒ そこ で
︑﹃ 今 昔﹄ は弥 勒 仏 を
﹁客 神﹂
﹁仏 神﹂ と表 記せ ず﹁ 仏法
﹂と 表記 し︑ 畏怖 すべ き仏 像と いう イメ ージ を払 拭さ せ︑ 仏法 の伝 来譚 へと 書き 換 え よう とし たの では ない かと 考え るの であ る︒ 本朝 に仏 教を もた らし たの は︑ 朝鮮 半島 の百 済・ 新羅
・高 句麗 であ るこ とは 仏像 の伝 来や 渡来 僧の 存在 から も明 ら か であ る"
︒ しか し︑ 朝鮮 半島 由来 の仏 像は 古代 社会 にお いて 蕃神
・外 来神
・異 国 之 神 と捉 え ら れ畏 敬 す べき 存 在 と し て受 け止 めら れて いた 事 も また
︑﹃ 書 紀﹄
﹃ 元興 寺
﹄﹃ 伝 暦﹄ の記 述 か ら 明ら か な ので あ る︒ そ れを
﹃今 昔
﹄編 者 が
﹁仏 法﹂ 伝来 とい う自 身の 世界 観に 合致 した 説話 へ語 り替 え る がた め に︑ 弥 勒を 仏 法 と 捉え 語 り 直し て い たの で は な い かと 考え るの であ る︒
― 511 ― 『今昔物語集』における弥勒仏
四
﹃ 今 昔﹄ に お ける 弥 勒 仏に 対 す る意 識 弥勒
仏を
﹃今 昔﹄ の編 者が 釈迦 仏と 同様 の高 位相 で捉 え︑ 仏法 の一 つと みな して いる こと は︑
﹃ 三宝 絵﹄ との 異同
︑ お よび 今ま での 論述 によ って はっ きり とし たが
︑こ のよ うな 編者 の視 点は
﹃今 昔﹄ 全体 にわ たっ て見 られ る姿 勢な の で あろ うか
︒
﹃ 今昔
﹄に おけ る弥 勒仏 の記 述は
︑本 朝篇 のみ で十 三 例 ある が
︑い ず れも 巻 十 一〜 巻 十五 話 ま でに し か 見ら れ ず 本 朝 仏法 部に 集中 して いる
!
︒さ らに 本 朝 仏法 部 に お ける 仏 教 伝来 縁 起 説話 内 に お ける 弥 勒 の出 現 を 調べ て み た"
︒ 仏 教 本来 の縁 起︹
prptitya -samutpa-da
︺の 概念 は︑ 一切 のも のは
︑種 々の 因や 縁 に よ って 生 じ ると い う 考え か ら
︑老 死 の 苦の 原因 を愛 や無 明に 求め るも のと され てい る︒ 本論 で使 う縁 起の 意味 は︑ 仏寺 や仏 像な どが
︑ど のよ うな 因に よ り もた らさ れた 縁な のか
︑ど のよ うな 縁に より 功徳 や効 験等 を招 来し たも のな のか に該 当す る﹁ 因縁 生起
﹂の 概念 を 示 すこ とと する
︒よ って
︑仏 像が どの よう な因 によ り造 られ たの かと いう
︹因
︺の 部分 に注 目し
︑そ の因 が︹ 造ら れ た
︺︹ も たら され た︺
︹出 現し た︺ もの なの かを 調べ た︒ その 結果 を添 付資 料1 に示 した が︑ 仏像 が伝 来す る話 は︑ 巻十 一第 一話 のみ であ る︒ それ 以外 は︑ 誰か によ って 造 像 され るか
︑安 置さ れる
︒造 像す る人 物は
︑高 僧も しく は︑ 天皇
︑大 織冠 など のこ の世 に存 在す る人 物で ある
︒し か し 弥勒 仏︵ 巻十 一第 十五 話︑ 三十 話︶ のみ 天人 や童 子と いう 天上 界に いる もの によ り造 像さ れて いる
︒ 巻十 一第 十五 話・ 三十 話に つい ては 別稿 に譲 りこ こで は割 愛す るが
︑い ずれ も弥 勒が 仏菩 薩の いる 世界 から の始 原 と して 語ら れて いる
#
︒こ れは 弥勒 が仏 法の 象徴 の一 つと して 捉え られ てい る か ら であ り
︑弥 勒 が当 来 す るこ と に よ
『今昔物語集』における弥勒仏 ― 512 ―
り 正統 な仏 法が 本朝 にも たら され たこ とを 語ろ うと して いる から であ ると 捉え てき た︒ 本論 では その 理由 につ いて 考え てき たが
︑そ れは 朝鮮 半島 から 伝来 する 仏像 に恐 ろし い祟 りを もた らす 外来 の神 と い うイ メー ジが あっ たの も一 要因 であ ると 考 えら れ る︒ こ れら の 概 念を 取 り 払 うた め に︑
﹃ 今昔
﹄は 天 上 界に い る 天 人
・童 子が 弥勒 を造 ると 説い た説 話を 本朝 仏法 部の 最初 の巻 十一 に組 み込 むこ とに より
︑正 統な 仏法 伝来 を示 す説 話 群 へと 印象 付け るこ とに 成功 して いる とい えよ う︒ 最 後に
︑弥 勒 を 仏法 と ら えて い る 箇 所 を 巻 十 一 第 一 話 の 話 末 評 語 と の 関 係 か ら も 見 て み る こ と と す る︒
︵ 傍 線 は
﹃今 昔﹄ 独自 文を 示す
︒︶ 本説 話の 最後 に太 子が 広め た仏 法の 要素 とし て︑ 次の 五つ を述 べて いる
︒
!
今 ノ世 ニ有 ハ︑ 前ニ 妹子 ガ持 亘レ リシ 経也︒
"
新 羅ヨ リ渡 リ給 ヘリ シ釈 迦ノ 像ハ
︑今 ニ興 福寺 ノ金 堂ニ 在マ ス︒
#
百 済国 ヨリ 渡リ 給ヘ リシ 弥勒 ノ石 像ハ︑今
︑古 京ノ 元興 寺ノ 東ニ 在ス
︒
$
太 子ノ 作リ 給ヘ ル自 筆ノ 法華 経ノ 疏ハ︑今
︑鵤 寺ニ 有リ
︒
%
亦 太子 御物 ノ具 等︑ 其寺 ニ有 リ︒ 多ノ 年ヲ 積メ リト 云ヘ ドモ︑損 ズル 事無 シ︒ この 五つ の要 素を 受け
︑話 末評 語で
︑﹁ 此 ノ朝 ニ仏 法ノ 伝ハ ル事
﹂﹁ 太子 ノ御 世ヨ リ弘
﹂ま ると まと め︑ 本朝 に仏 法 が 弘布 した こと を説 いて いる
︒太 子の 経に つい ては
﹃三 宝絵
﹄で は﹁ 太子 カク レ給 シ日
︑彼 衡山 ヨリ モテ キタ リ給 ヘ リ シ経 ハ︑ 俄ニ ウセ ヌ︒ イマ ダ寺 ニア ル経 ハ︑ 妹 子ガ モ テ キタ リ シ ナリ
﹂が 最 後 の 記述 で あ り︑ 妹子 が 持 ち 帰っ た
︑ 太 子の 弟子 が書 いた 経が 本朝 にも たら され たと 説く
︒﹃ 三 宝絵
﹄で はこ の経 典が 残る こと で︑ 仏教 伝来 とし てい るが
︑
﹃今 昔﹄ 編者 はさ らに
﹁太 子ノ 作リ 給ヘ ル自 筆 ノ 法華 経 ノ 疏ハ
︑今
︑鵤 寺 ニ 有 リ﹂ を付 け 加 え︑ 本朝 に 伝 わっ た 経 典
― 513 ― 『今昔物語集』における弥勒仏
が 聖徳 太子 自身 によ り著 され た経 典で ある と語 り︑ 経典 の出 自に 正当 性を 与え てい る︒ それ と同 一の 次元 とし て︑ 弥 勒 の石 像も 並べ られ
︑本 朝に もた らさ れた 仏法 の要 素と して 捉え られ てい る︒ 編者 は弥 勒と 太子 の経 典・ 具物
・釈 迦 仏 とを 共に 並べ
︑こ れら の存 在が 残る こと によ り本 朝に 正統 な仏 法が 伝わ った と語 って いる ので ある
︒ ま
と
め 本朝
仏法 部巻 十一 第一 話を 中心 に︑ 朝鮮 半島 伝来 の仏 像で ある 弥勒 仏に 対す る﹃ 今昔
﹄編 者の 視点 を見 てき た︒ 本 来
︑弥 勒は 釈尊 入滅 後五 十六 億七 千万 年後 に下 生し
︑三 会の 説法 で衆 生を 救済 する とさ れて いる 未来 仏で ある
︒し か し 巻十 一第 一話 では
︑如 来で ある 釈迦 仏と 同じ 位 相で 弥 勒 仏は 捉 え られ
︑﹁ 仏 法
﹂を 構 成す る 一 要素 と し て記 述 さ れ て きた
︒ なぜ 弥勒 は﹁ 仏法
﹂と すべ く語 ら れて い た のか
﹃書 紀
﹄や
﹃元 興 寺﹄
﹃伝 暦
﹄の 記 述 と比 較 し なが ら 仏 像に 対 す る 捉 え方 の違 いを 見て きた
︒ 朝鮮 半島 伝来 の仏 像は
﹁仏 神・ 蕃神
﹂と 他の 書で は記 述さ れて おり
︑国 神に 対峙 する 存在 とし て説 かれ
︑祀 るこ と に より 災い をも たら すと され てい た︒ しか し﹃ 今昔
﹄で は﹁ 異国 之神
・蕃 神﹂ の言 葉が 本書 全体 にわ たっ て使 われ て は おら ず︑ また
﹁仏 神﹂ にも 外来 の神 とい う意 味は ない こと から
︑こ れら を故 意に 避け て叙 述し てい た可 能性 が伺 え る
︒ なぜ なら
︑弥 勒仏 は朝 鮮半 島か ら伝 来し たと いう 厳然 とし た事 実が あり
︑畏 怖す べき 外来 の神 とし て認 識さ れて い た から であ る︒ その ため
︑弥 勒仏 にみ られ るそ れら のイ メー ジを 払拭 する ため に︑ 編者 は弥 勒仏 を再 三仏 法と いう 言
『今昔物語集』における弥勒仏 ― 514 ―
葉 で置 き換 え︑ 正統 な仏 法の 伝来 譚へ と語 り変 えよ うと して いた ので あろ う︒ この よう な意 識は
︑﹃ 今 昔﹄ の本 朝仏 法部 にお ける 仏 教 伝来 譚 の 説話 群 に も 顕著 に 表 れて い る︒ そ こで は
︑弥 勒 以 外 の 仏 像は
︑こ の 世 に存 在 す る 人物 に よ り造 ら れ るが
︑弥 勒 の み 兜率 天 に いる 童 子 や天 人 に よ って 造 ら れ る の で あ る
︒化 人に よっ て造 られ る弥 勒説 話を 本朝 仏法 部に 取り 込む こと によ り︑ 朝鮮 半島 伝来 の弥 勒
=
外来 神の 伝来 とい う イ メー ジか ら正 統な 仏法 の伝 来の 説話 集へ とみ ごと に構 成し てい ると いえ よう︒
﹃ 今昔
﹄は 三国 史観 に貫 かれ た説 話集 であ ると され てき た が︑ 百 済伝 来 の 弥勒 仏 に た いす る 編 者の 視 点 を捉 え る こ と によ り︑ 百済
・新 羅を も見 据え た三 国史 観の あり よう が再 度検 証さ れる べき 必要 性を 感じ るの であ る︒
! 註 前 田 雅 之
﹃ 今 昔 物 語 集 の 世 界 構 想
﹄ 笠 間 書 院
︑ 一 九 九 九 年 十 月
︑ 一 二
〇 頁
︒ 前 田 氏 は
︑ 小 峯 和 明
﹁ 今 昔 物 語 集 天 竺 部 の 形 成 と 構 造
﹂︵
﹃ 徳 島 大 学 経 要 部 紀 要
﹄ 一 五 巻
︑ 一 九 八
〇 年 二 月
︒︶ や 黒 田 俊 雄
﹃ 日 本 中 世 の 国 家 と 宗 教
﹄ 岩 波 書 店
︑ 一 九 七 五 年
︒︶ を も と に
︑ 王 法 の 究 極 の 目 的 は 仏 法 流 布 で あ る と し
︑ そ れ が 根 源 的 な 編 纂 意 識 で あ っ た と し て お ら れ る
︒ そ れ ら を 踏 ま え
︑ 巻 一 一 第 一 話
〜 三 話 を 考 察 さ れ
︑﹁ 三 国 意 識 と 自 国 意 識 が 折 り 重 っ て 仏 法 伝 来 史 は 叙 述 さ れ た
﹂ と さ れ た
︒ 他
︑ 三 国 意 識 に つ い て は
︑ 荒 木 浩
﹁ 仏 法 初 伝 と 太 子 伝
│ 今 昔 物 語 集 本 朝 部 の 構 想 を め ぐ っ て
│
﹂︵
﹃ 説 話 文 学 研 究
﹄ 一 九 九 四 年 三 月
︑ 六 三
〜 七 八 頁
︒︶ な ど で も 論 じ ら れ て い る
︒
"
本 説 話 は 先 学 に よ り
︑ お お む ね 仏 法 伝 来 譚 で あ る こ と で 一 致 し て い る
︒ 小 峯 和 明
﹃ 今 昔 物 語 集 の 形 成 と 構 造
﹄ 笠 間 書 院
︑ 一 九 八 五 年 十 一 月
︒ 森 正 人
﹃ 今 昔 物 語 集 の 生 成
﹄ 和 泉 書 院
︑ 一 九 八 六 年 二 月
︒ 黒 部 通 善
﹁ 今 昔 物 語 集 巻 十 一
・ 十 二 考
│ そ の 構 想 に つ い て
│
﹂﹃ 名 古 屋 大 学 国 語 国 文 学
﹄ 第 一 六 号
︑ 一 九 六 五 年 六 月
︒﹁ 今 昔 物 語 集 巻 十 三
・ 十 四 考
│ 法 華 験 記 と の 関 係 に つ い て
│
﹂﹃ 名 古 屋 大 学 国 語 国 文 学
﹄ 第 七 号
︑ 一 九 六
〇 年 一 二 月
︒ な ど を 参 考 に さ せ て い た だ い た
︒ 小 峯 氏 が
︑ 国 東 説
︑ 黒 部 説 を 整 理 さ れ
︑ 巻 十 二 第 十 一 話 ま で を
︑仏 法 伝 来 譚 で あ る と 位 置 づ け ら れ た
︒
― 515 ― 『今昔物語集』における弥勒仏