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『今昔物語集』における「弥勒」と「天人」 : 巻 十一第三十話を中心に

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『今昔物語集』における「弥勒」と「天人」 : 巻 十一第三十話を中心に

著者 小林 純子

雑誌名 同志社国文学

号 73

ページ 46‑59

発行年 2010‑12‑20

権利 同志社大学国文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000012542

(2)

『 今 昔 物 語 集

﹄ に お け る ﹁ 弥 勒

﹂ と

﹁ 天 人 ﹂

巻 十 一 第 三 十 話 を 中 心 に

小 林 純 子

問題 の所 在

今 昔物 語集

﹄︵ 以下

﹃今 昔﹄ と略 す︶ 巻第 十一 第三 十話

﹁天 智天 皇御 子始 笠置 寺語

﹂は

︑す でに 類話 とし て﹃ 伊呂 波字 類抄

﹄︑

﹃阿 婆 縛抄

﹄︑ 護国 寺本

﹃諸 寺縁 起集

﹄︑

﹃大 日本 仏教 全書

﹄︑ 等の 存在 が指 摘さ れて いる

︒そ こで 比較 対照 表を 作成 する と︑ 別表 のと おり であ る︒ これ に従 って

︑並 行す る説 話の 枠組 みと して 次の よう な事 項を 取り 出す こと がで きる

天智 天皇 の皇 子の 紹介

皇子 が猟 に出 掛け

︑鹿 を追 う︒

皇子 の乗 った 馬が 崖の 上で 立ち 往生 する

皇子 が馬 とと もに 死に そう にな る︒

皇子 が弥 勒を 刻む かわ りに

︑命 を助 けて ほし いと 誓約 する

たち まち 馬が 後戻 りし て皇 子は 助か る︒

皇子 は笠 を目 印に して 帰る

後日

︑皇 子は その 場所 を訪 れる

天人 が顕 われ

︑皇 子を 助け よう とす る︒

あた りが 暗闇 とな り︑ 雲が 晴れ る︒

皇子 は︑ 弥勒 が彫 られ てい るこ とを 知る

皇子 は礼 拝し て帰 る︒

︵今 昔︑ ノミ

笠置 寺の 名前 の由 来︒

︵今 昔︑ ノミ

弥勒 を信 仰す れば

︑覩 卒天 に生 まれ るこ とが 約束 され ると い う︒

︵縁 起︑ ナシ

良弁 によ る寺 の繁 栄︒

︵今 昔︑ ノミ

︶ 笠置 寺に 関す る説 話の 諸本 及び 変容

・伝 播の 研究 に関 して は︑ 田

『今 昔物 語集

﹄に おけ る﹁ 弥勒

﹂と

﹁天 人﹂

四六

(3)

中尚 子氏①

・中 山一 磨氏②

によ って 詳細 な検 証が なさ れて いる

︒中 山氏 は田 中氏 の見 解を 再検 討さ れ︑

﹃大 日本 仏教 全書

﹄の

﹃笠 置寺 縁起

﹄ を笠 置寺 に現 存す る原 本に 立ち 返り 成立 過程 の考 証を され

︑天 文七 年︵ 一五 三八 年写

︶版 を﹃ 天文 縁起

﹄と され た︒ また 諸本 の比 較検 討を する ため に﹃ 天文 縁起

﹄の 話の 構成 を①

﹁天 智天 皇皇 子弥 勒彫 顕譚

﹂︑

②﹁ 天武 開山 譚~ 第八 十四 代順 徳院 時︑ 院庁 下文 の事

﹂︑

﹁第 九十 八代 後醍 醐天 皇時

︑元 弘戦 譚﹂ と三 分割 され た︒ そし て︑

①の 部分 がか なり 早い 段階 で成 立し てお り③

︑﹃ 伊呂 波字 類抄

﹄や

﹃阿 婆縛 抄﹄ は﹃ 天文 縁起

﹄① から の抄 出︑ 護国 寺本

﹃諸 寺縁 起集

﹄ は① の天 智天 皇皇 子弥 勒彫 顕譚 の部 分の 縁起 の異 本と 二系 統に 分類 され た④

︒こ の二 系統 の内

︑﹃ 今昔

﹄が どち らに 属す るか を考 察す る ため に︑ 中山 氏の 説を ふま え① の弥 勒彫 顕の 記述 を次 のよ うに 分類 した

︒ 天智 天皇 の皇 子が 弥勒 を彫 ろう と悩 んで いる と﹁ 天人

﹂が 顕れ て彫 った

天 智天 皇の 皇子 が弥 勒を 彫ろ うと 悩ん でい ると

﹁一 人童 子﹂ が 現れ て彫 るの を助 けた

︒ 前者 は﹃ 天文 縁起

﹄① から の抄 出と され た﹃ 伊呂 波字 類抄

﹄や

﹃阿 婆縛 抄﹄ の説 話で あり

︑﹃ 今昔

﹄と 同一 系統 のも ので ある

︒後 者 は異 本で ある とさ れた 護国 寺本

﹃諸 寺縁 起集

﹄の 説話 であ る︒ 近世

にお いて は﹁ 弥勒

﹂へ の関 心が より 薄れ

﹁天 人﹂ の記 述は 見ら れな くな る︒ 例を あげ ると

﹃扶 桑京 華志

﹄﹃ 雍州 府志

﹄に おい ては

︑山 神の 怒り は嵐 とな って 現れ

︑そ の鎮 静化 は虚 空蔵 の助 けに よっ て図 られ るこ とを 祈ら れて いる

︒ま た︑

﹃山 州名 跡志

﹄で は︑ 弥勒 彫顕 では なく 精舎 建立 をお こな う⑤

︒つ まり 時代 の変 容と とも に弥 勒の 重 要性 は語 られ なく なっ てい くの であ る︒ しか し︑

﹃今 昔﹄ にお いて は︑ 弥勒 と笠 置寺 の関 係は 濃厚 であ る︒ 話末 評語 にお いて も笠 置寺 にあ る弥 勒に 傾首 する 事に より 往生 でき るこ とが 説か れる

︒ま た笠 置寺 の弥 勒の あり がた さを 説く ため に

﹁天 人﹂ と﹁ 弥勒

﹂が 関連 付け て語 られ てい ると 考え られ る︒

今 昔﹄ の説 話内 容の 問題 点を 明ら かに する ため に︑ 今仮 に﹃ 阿 娑縛 抄﹄ に沿 って 概要 を記 すと 次の よう であ る︒

天 智天 皇の 皇子 が︑ 猟を 好み

︑猪 鹿を

﹁殺 害﹂ して いた

皇 子は

︑諸 臣と とも に︑ 笠置 山の 峯に 入り

︑鹿 を追 った

とこ ろが

﹁高 岸﹂ に臨 んで

︑急 に馬 が倒 れて しま う︒ 馬は 四足 を一 箇所 に揃 えて 立つ ほど の崖 で身 動き がで きな かっ た︒

皇 子は

︑こ のま ま馬 と一 緒に 命を 落す こと を恐 れ︑

﹁ 山神 鬼魅

﹂に 対し て︑ もし わが 命を 助け ても らえ ば︑

﹁弥 勒像

﹂を 彫る と誓 約し た︒

た ちま ち馬 は後 戻り して

︑皇 子は 助か った

皇子 は︑ 笠を 目印 に置 いて 帰っ た︒

後 日︑ 皇子 は笠 を置 いた 場所 を求 めて 山に 登っ た︒

﹁ 天人

『今 昔物 語集

﹄に おけ る﹁ 弥勒

﹂と

﹁天 人﹂

四七

(4)

の助 け﹂ によ り像 はた ちま ち完 成し た︒

黒 雲が 山を 覆い

︑弥 勒像 が出 来る と︑ 晴れ てし まっ た︒

弥 勒の 尊顔 を礼 拝で きた もの は成 道を 得る

︑と いう 内容 であ る︒ この

か ら

の事 項は

︑並 行す る説 話間 に共 有さ れて いる 部分 で ある

︒﹃ 阿娑 縛抄

﹄を 基準 に﹃ 今昔

﹄の 独自 性を 指摘 する と︑

に おい て皇 子が 猪鹿 を﹁ 殺害

﹂す る殺 生戒 を破 る存 在と して 紹介 され る︒ しか し﹃ 今昔

﹄で は︑ 皇子 は心 に﹁ 智︵ さと

︶リ

﹂あ る人 物と され てい るに もか かわ らず

︑殺 生戒 であ る﹁ 猪・ 鹿ヲ 殺ス 事ヲ 朝暮 ノ役

﹂と する こと への 矛盾 が述 べら れて いな い︒

﹃縁 起﹄ は︑ 皇子 につ いて

﹃阿 娑縛 抄﹄

﹃今 昔﹄ に見 られ るよ うな 詳細 な属 性は 触れ られ てい ない

︒ 問題 は︑

の 誓約 の違 いで ある

︒﹃ 阿娑 縛抄

﹄は

﹁山 神鬼 魅﹂ と 神格 から 霊格 まで あり とあ らゆ る存 在に 呼び かけ 助け を求 めて いる が︑ なぜ 弥勒 像を 刻む こと によ り﹁ 山神 鬼魅

﹂が 命を 助け てく れる のか であ る︒ さら に︑

﹃今 昔﹄ は﹁ 山神 等﹂ と簡 略化 して いる ため に︑ 違和 感が 生じ てい る︒ いず れに して も︑ この 誓約 によ って 皇子 は危 機を 脱す るが

﹃阿 娑縛 抄﹄ では

︑皇 子が 笠を 目印 に置 いて 帰る とい う簡 略な 記述 のみ であ るが

︑﹃ 今昔

﹄で は﹁ 藺笠 ヲ脱 テ置 テ返 ヌ﹂ とい う皇 子の 行動 が︑

﹁笠 ヲ注 ニ置 タレ バ︑ 笠置 ト可 云也

﹂と いう 笠置 寺の 名前 の由 来と 結び つけ る重 要な 行動 とな って

いる も ︒ う一 点︑ 大き な違 いは

﹃阿 娑縛 抄﹄

﹃今 昔﹄ では

︑前 述し たと おり

﹁天 人の 助け

﹂に よっ て弥 勒像 はた ちま ちに 出来 上が るの であ るが

︑﹃ 縁起

﹄だ けは

﹁童 子﹂ が出 現し て皇 子を 助け る云 々の 約束 がか わさ れる とこ ろに 特徴 があ る︒ 黒雲 に覆 われ てい るう ちに

︑大 きな 音が して

︑雲 が晴 れた とき に弥 勒像 が姿 を現 す︒ 結果

にお いて

﹃阿 娑縛 抄﹄ は︑ その 霊異 につ いて 直ち に弥 勒を 信仰 する もの は成 道す るこ とが 保証 され ると して 結ん でい るが

︑﹃ 縁起

﹄は

︑弥 勒の 顕現 とそ のあ りが たさ を説 いて 結ん でい る︒ 一方

︑﹃ 今昔

﹄は

・天 人に よっ て彫 顕し た弥 勒像 に対 し皇 子 が﹁ 泣紀 恭敬 礼拝

﹂す る︒

・ 笠置 寺の 由来

・首 を傾 ける 人は 皆︑ 覩卒 天へ 転生 し︑ さら に弥 勒菩 薩の 出世 に値 う事 が出 来る とい う話 末評 語で 締め くく られ てい る︒ この よう に﹃ 今昔

﹄で は﹁ 山神 鬼魅

﹂で はな く﹁ 山神 等﹂ と記 述 する こと によ り︑

﹁神

﹂を 意識 して おり

︑そ の﹁ 神﹂ の怒 りを 慰め るこ とが でき る存 在と して

﹁弥 勒﹂ が説 かれ

︑そ の﹁ 弥勒

﹂は

﹁天 人﹂ によ って 彫顕 する

︒﹁ 弥勒

﹂は 皇子 が泣 く泣 く礼 拝す るほ どの あり がた き存 在で あり

︑首 を傾 ける 人は 皆︑

﹁弥 勒の 出世

﹂に 値う こと がで きる とい う︒ では

﹃今 昔﹄ の編 者は

︑な ぜ﹁ 弥勒

﹂が

﹁天 人﹂ によ って 彫顕 する 説話 を記 した のか

︑ま た﹁ 弥勒 ノ出 世﹂ とは

『今 昔物 語集

﹄に おけ る﹁ 弥勒

﹂と

﹁天 人﹂

四八

(5)

どの よう な意 味が ある のか

︑こ の二 点に 注目 し﹁ 弥勒

﹂と

﹁天 人﹂ の特 徴を

﹃今 昔﹄ から 考察 する こと によ り︑ 天人 弥勒 彫顕 にみ る

﹃今 昔﹄ の編 者の 意図 を検 討し たい

︒特 に先 行研 究に おい て︑

﹁弥 勒﹂ は仏 教思 想の 研究 対象 とし て扱 われ てき たた め︑

﹃今 昔﹄ では 巻十 二以 後の 兜率 天往 生説 話に 注目 され てき た⑥

︒ま た﹃ 今昔

﹄に お ける

﹁弥 勒﹂ の意 味を 考察 され たも のは ない

︒よ って

︑本 論考 では

﹁弥 勒﹂ を仏 教思 想と して の研 究対 象と して では なく

︑国 文学 的視 点か ら﹃ 今昔

﹄に おけ る﹁ 弥勒

﹂の 意味 を﹁ 笠置 寺縁 起﹂ を通 じ検 討を 試み よう とい うも ので ある

︒ 一

今 昔物 語集

﹄に おけ る﹁ 弥勒

今 昔﹄ にえ がか れた 弥勒 がい かな る存 在で ある かを 調べ た⑦

︒ 特に

︑弥 勒の 特徴 をと らえ るた めに 幅広 く︑

﹁弥 勒﹂

・弥 勒の 漢訳 とさ れる

﹁慈 氏﹂

︑弥 勒が いる とさ れる

﹁兜 率天

﹂の 用語 が記 され てい るも のを すべ て取 り上 げ︑ その 役割 およ び巻 の構 成と の関 係を 含め て調 べた

︒ その 調査 の結 果か ら兜 率天 に生 まれ る︑ もし くは 往生 する こと を 記述 した 上生 信仰 のも の⑧

と︑ そう では ない もの とに 大別 した

︒そ れ を次 のよ うに A・ Bと いう 形式 で区 別し

︑話 数番 号を 便宜 上○ で表 記し た︒ 同一 説話 内で あっ ても 別の 役割 で語 られ てい る場 合は

︑分

けて 分類 した

︒ A兜 率天 に生 まれ る

①兜 率天 に生 まれ る︵ 往生

︶⁝ 九例

︵巻 十二

︑ 巻十 三⑦

⑪⑮

︑ 巻十 四③

④⑩

︑巻 十五

㊺ ㊻

②兜 率天 に生 まれ るこ とを 予告

⁝四 例︵ 巻十 二

︑巻 十三

②︑ 巻 十四

⑱⑳

︶ Bそ れ以 外の もの

①弥 勒像 の安 置⁝ 二例

︵巻 十一

②弥 勒を 造る

・彫 る⁝ 四例

︵巻 十一

︑巻 十二

↓そ の後 これ を拝 めば 弥勒 の世 に生 まれ る

③蜜 教の 教え

︑寺

︑造 仏の 為の 金を 弥勒 出世 の時 まで 保つ 誓約

⁝三 例︵ 巻十 一⑨

㉘ )

④願 いを かな える ため に出 現⁝ 一例

︵巻 十七

⑤罪 の重 さを 知ら せる ため 出現

⁝一 例︵ 巻十 七

⑥弥 勒出 現の 夢告

⁝一 例︵ 巻十 五⑯

︶ Aの 説話 は﹃ 法華 験記

﹄か らの 翻案 であ る⑨

︒い ずれ の説 話も 法華 経を 読む など の善 根を 積む こと によ り兜 率天 に生 まれ るこ とが 示さ れて いる

︒A で分 類さ れた 説話 には

﹁弥 勒﹂ は︑ 巻十 三第 十一 話と 第十 五話 にし か現 れな い︒ 兜率 天へ 生ま れる こと だけ を願 うの では なく

『今 昔物 語集

﹄に おけ る﹁ 弥勒

﹂と

﹁天 人﹂

四九

(6)

兜 率天 ノ内 院ニ 生レ テ慈 氏尊 ヲ見 奉ラ ム﹂

︵第 十一 話︶

兜 率天 ノ内 院ニ 生レ テ弥 勒ヲ 見奉 ラム

﹂︵ 第十 五話

︶ とあ り︑ 兜率 天の 内院 に生 まれ るこ とが 第一 目的 であ りそ の帰 結と して 慈氏 尊︵ 弥勒

︶を 見る こと を願 って いる ので ある

︒こ れら と

﹃今 昔﹄ にお ける

﹁笠 置寺 縁起

﹂の 話末 評語 を比 較す ると

世 ノ中 ノ人 専ニ 可崇 奉シ

︒﹁ 僅歩 ヲ運 ビ首 ヲ低 ケム 人︑ 必ズ 覩 率ノ 内院 ニ生

︑弥 勒ノ 出世 ニ値 ム□ 殖ツ

﹂ト 可頼 キ也

︒︵ 巻十 一第 三十 話︶ とあ り︑

﹁笠 置寺 縁起

﹂で は兜 率の 内院 に生 まれ さら に﹁ 弥勒 ノ出 世﹂ に値 うこ とを 祈願 して いる

︒つ まり 前A

①に 分類 され た説 話は 兜率 天往 生が 最終 目的 とな って おり

︑弥 勒に 値う こと はそ の帰 結で あり 必要 性は 語ら れて いな い︒ 特に 注目 した いこ とは

︑﹁ 笠置 寺縁 起﹂ では 弥勒 に首 を傾 ける 人 誰も が往 生す るこ とが でき ると され てい たが

︑A に分 類し た説 話は

︑ 巻十 四第 四﹁ 女依 法華 力転 蛇身 生天 語﹂ の一 例を 除い ては

︑男 性も しく は僧 侶に 限定 して 兜率 天往 生す るの であ り︑ その 方法 は︑ 法華 経の 読誦 によ って であ ると され てい る⑩

︒ また

﹁弥 勒上 生経

﹂に よる と︑ 兜率 天往 生を する には

︑ 戒身 心精 進不 求断 結修 十善 法一 一思 惟兜 率陀 天上 上妙 快楽

︒作 是觀 者名 爲正 観︒⑪

と説 かれ てお り︑ 弥勒 のい る荘 厳な 世界 を観 察す る事 とあ るが

﹁笠 置寺 縁起

﹂で は礼 拝す るの みと ある

︒ この よう なこ とか ら考 える と︑ Aに 分類 され た説 話の 兜率 天往 生 に見 られ る﹃ 今昔

﹄編 者の 意識 と︑

﹁笠 置寺 縁起

﹂の 話末 評語 にえ がか れた 往生 に対 する 認識 とで は違 いが 見ら れ︑ さら にそ れは 経典 に記 され た信 仰と もこ とな る︒ つま り︑

﹃今 昔﹄ の編 者は

﹁笠 置寺 縁起

﹂を 兜率 天往 生説 話と して 記述 した ので はな く︑ 首を 傾け た人 誰も が﹁ 弥勒 ノ出 世﹂ に値 うこ とを 記す ため に記 述し たと 捉え られ る︒ では

﹁弥 勒ノ 出世

﹂と

﹁笠 置寺 縁起

﹂で えが かれ た天 人彫 顕の

﹁弥 勒﹂ はど のよ うな 関係 であ った のか

︒B に分 類さ れた 説話 から 検証 して いく こと とす る︒ B

①は 弥勒 像の 伝来

・安 置と いう 史実 の記 述で あり

︑ま たB

④⑤ は﹃ 往生 要集

﹄か らの 翻案 であ るが

︑い ずれ も願 いを かな えた り罪 の重 さを 知ら せる ため に弥 勒が この 世に 顕れ る記 述で あり

﹁弥 勒ノ 出世

﹂の 記述 がな いた め検 討に は加 えな い︒ B

②は 弥勒 造仏 に関 する 説話 であ るが

︑巻 十一 第十 五話

︑第 三十 話︑ 巻十 二第 二四 話に 共通 して いる こと はい ずれ も出 典未 詳の 説話 であ る点 であ る︒

﹁笠 置寺 縁起

﹂も これ に属 する が︑

﹁天 人﹂

﹁海 に浮 かぶ 船に 乗っ てい た童 子﹂

︑や

﹁聖 人﹂

︵迦 葉仏 が仏 法を 助

『今 昔物 語集

﹄に おけ る﹁ 弥勒

﹂と

﹁天 人﹂

五〇

(7)

ける ため に牛 とな って やっ て来 てそ れを 拝む 人々 が手 に持 って きた 木々 で造 られ た弥 勒仏

︶な どが 弥勒 仏を 造り

︑こ の弥 勒仏 を拝 む人 は︑

﹁必 ズ弥 勒ノ 世ニ 可生 キ﹂ とい う︒ Aの 往生 譚と 異な る点 は︑ 天人 や童 子に よっ て造 られ た弥 勒仏 が信 仰の 対象 とな って いる 点で ある

︒A は法 華経 を読 誦す る男 性や 僧が 兜率 天に 生ま れる ので ある が︑ B

②で は︑ 弥勒 仏に 礼拝 した 誰も が弥 勒の 世に 生ま れる と いう 点で ある

︒具 体的 にそ の記 述を 見て みる

︒ a

船ニ 童子 一人 ノミ 有リ

︒︵ 中略

︶只 仏ヲ 造ル 計也

︒︵ 略︶ 是 ハ当 来補 処ノ 弥勒 造リ 奉レ ル也

︒ b

但シ

︑彼 ノ弥 勒ハ 于今 御マ ス︒ 化人 ノ造 奉ル 仏ニ 御マ セバ 糸貴 シ︒ 亦︑ 天竺

・震 旦・ 本朝 三国 ニ渡 給ヘ ル仏 也︒ 正ク 度々 光ヲ 放テ

︑帰 敬ス ル人 皆兜 率天 ニ生 タリ

(

巻 十一 第十 五話

)

横川 ニ□ ト云 テ道 心有 ル聖 人有 リ︑ 僧都 其ノ 人ニ 語ヒ 付テ

︑ 知識 ヲ令 引テ 仏ヲ 造ル ニ︑ 漸ク 仏形 ニ彫 ミ奉 ル間 ニ︑

⁝ d

一度 モ心 ヲ懸 テ礼 ミ奉 ラム 人︑ 必ズ 弥勒 ノ世 ニ可 生キ 業ハ 造リ 固メ ツ︒

(

巻 十二 第二 四話

)

いず れも 童子

・聖 人に よっ て造 られ た弥 勒に 対す る話

︵a c︶ であ り︑ その 話末 評語 とし て弥 勒仏 に拝 む人 は皆

︑兜 率天

︑弥 勒の 世に 生ま れる

︵b d︶ とさ れて いる

︒こ れは

﹁笠 置寺 縁起

﹂の 説話 構造

と同 じで ある

︒ e

其時 ニ︑ 天人 是ヲ 哀ビ 助ケ テ忽 ニ此 仏ヲ 刻ミ 彫リ 奉ル

︒ f

世ノ 中ノ 人専 ニ可 崇奉 シ︒

﹁僅 歩ヲ 運ビ 首ヲ 低ケ ム人

︑必 ズ覩 率ノ 内院 ニ生

︑弥 勒ノ 出世 ニ値 ム□ 殖ツ

﹂ト 可頼 キ也

(

巻 十一 第三 十話

)

巻十 一第 十五 話の みは 兜率 天に 生ま れる こと と記 述さ れて いる が︑

﹁笠 置寺 縁起

﹂を 含む 二例 は﹁ 弥勒 ノ世

﹂に 生ま れる

︑﹁ 弥勒 ノ出 世﹂ に値 うと され てい る︒ ここ で︑ 強調 して おき たい こと は︑ A

①で 語ら れた 弥勒 とは 位相 が異 なる こと であ る︒ A

①で 語ら れた 弥勒 は︑ 兜率 天に 生 まれ て初 めて 値え るの であ るが

︑こ のB

②の 部分 で語 られ てい る弥 勒は

︑天 人︑ 童子 等に よっ て造 られ た﹁ 弥勒

﹂で あり

︑当 にこ の造 仏さ れた 弥勒 を拝 むこ とに より 誰も が兜 率天 に生 まれ るこ とが でき る︒ その 信仰 対象 とし ての 弥勒 仏な ので ある

︒ では

﹁弥 勒ノ 出世

﹂と は何 を意 味し てい るの であ ろう か︒ 次の B

③に 分類 され た説 話か ら考 察す る︒ B

③に 分類 した 説話 は﹁ 弥勒 ノ出 世﹂ まで 密教 の教 えや 寺︑ 造仏 のた めの 金を 保つ とい う誓 約を 示し てい る説 話で ある

︒巻 十一 第九 話で は︑ 弘法 大師 が唐 に亘 り青 龍寺 の東 塔院 の和 尚か ら密 教を 学び

︑本 郷︵ 日本

︶に 帰る とき に﹁ 流布 相応 シテ

︑弥 勒ノ 出世

﹂ま

『今 昔物 語集

﹄に おけ る﹁ 弥勒

﹂と

﹁天 人﹂

五一

(8)

で密 教の 教え を保 つ所 に落 ちて ほし いと 三鈷 を投 げて いる

︒そ の地 は︑

﹁和 尚本 郷ニ 返ル 日﹂ に行 って いる ので ある から

︑﹁ 本郷

﹂つ ま り日 本で ある こと が分 かる

︒要 する に﹁ 弥勒 ノ出 世﹂ する 地が 日本 であ るこ とを 示し てい る︒ この 説話 は巻 十一 第二 五話

﹁弘 法大 師︑ 始建 高野 山語

﹂に 続く ので ある が︑ そこ で弘 法大 師が 唐で 投げ た三 鈷の 所在 を尋 ねて 行く と南 山︵ 高野 山︶ にあ った

︒弘 法大 師は そこ で弥 勒の 名号 を唱 えて 入寂 する

︒つ まり

︑﹁ 弥勒 ノ出 世﹂ する 地は

︑ 本朝 の高 野山 であ り仏 教の 教え が﹁ 流布 相応 シテ

︑弥 勒ノ 出世

﹂す る場 所で ある こと が分 かる

︒ 巻十 一第 二八 話の 説話 から も同 様の 特徴 が見 られ る︒ 寺の 仏法 を 守っ てい た人 は︑ 老僧

︵三 尾の 明神

︶で あっ たが

︑あ る人 の夢 では 弥勒 に見 えた

︒そ して 後に

︑こ の寺 に仏 法を 広め たと いう 説話 であ るが

︑﹁ 此寺 ハ造 テ後

□歳 ニ成 ヌ︒ 弥勒 ノ出 世ニ 至マ デ可 持キ 寺也

﹂ とあ り︑ 弥勒 の化 身で ある 老僧 が仏 法を 広め た寺 は︑

﹁弥 勒ノ 出世

﹂ まで 保つ べき 寺で ある とし てい る︒ その 後︑ この 寺は

﹁于 今仏 法盛 也︒

﹂と あり

︑後 々ま で仏 法が 盛ん にな った とい うの であ る︒ つま り︑ B

③で 分類 した 説話 から

︑﹁ 弥勒 ノ出 世﹂ とは

︑仏 法 流布 の象 徴と して 記述 され てお り︑

﹁弥 勒ノ 出世

﹂と は︑ 仏法 が本 朝に おい て広 まり 盛ん にな るこ とと 捉え られ てい ると いえ る︒ これ らの 説話 がい ずれ も﹃ 今昔

﹄の 本朝 を語 る最 の巻 であ る巻 十一 に

おい て語 られ てい るの は︑ 仏法 流布 にふ さわ しい 国が まさ に本 朝・ 日本 であ るこ とを 語る がゆ えに

︑位 置付 けさ れた と考 えら れる

︒ 本来

︑弥 勒三 部経 にお いて は﹁ 弥勒 の出 世﹂ とい うの は︑ 釈尊 入 滅後 から 五十 六億 七千 万年 後に この 世に 顕れ るこ とを 示し

︑こ こで 弥勒 が説 法を おこ ない その 説法 を聞 くと 兜率 天往 生す ると いう もの であ る⑫

︒し かし

︑﹃ 今昔

﹄の 編者 は﹁ 弥勒 ノ出 世﹂ を仏 法流 布に ふ さわ しい 所︑ つま り本 朝と 考え てお りそ れは

﹁天 人﹂ や童 子に よっ て造 られ た弥 勒に 祈願 する こと によ って 値え ると 捉え てい ると いえ る︒

弥 勒﹂ がこ の世 に顕 れる とい う概 念は 当時 一般 的で あっ たよ う であ る︒ たと えば

﹃御 堂関 白記

﹄に

︑金 峯山 が弥 勒下 生の 地と 信じ られ おり

︑そ れゆ え霊 山と して 信仰 され てい た記 述が 見ら れる⑬

﹃今 昔﹄ 編者 も同 じ意 識を もっ て﹁ 弥勒 ノ出 世﹂ を捉 えて いた と考 えら れる

︒ では

﹁弥 勒ノ 出世

= 本朝 が仏 法流 布に ふさ わし い地 であ ると い う概 念が

﹁笠 置寺 縁起

﹂に も見 られ るの か︑

﹁天 人﹂ との 関わ りか ら考 察を 進め る︒ 二

今 昔物 語集

﹄に おけ る﹁ 天人

﹂ 本朝 篇で 語ら れて いる 天人 は︑ わず かに 六例⑭

しか 見ら れず

︑ま た

『今 昔物 語集

﹄に おけ る﹁ 弥勒

﹂と

﹁天 人﹂

五二

(9)

兜率 天及 び極 楽に のみ 存在 して いる

︒し かし

︑天 竺に おい ては 一七 例も 認め られ る︒ 本朝 篇で は一 定の モチ ーフ では えが かれ てい ない が︑ 天竺 部に おい ては

︑巻 一第 一話 を始 め︑ 仏の 生涯 にま つわ り天 人が 関わ って 記述 され てい る︒ その 本文 は次 の通 りで ある

︒ 今昔

︑釈 迦如 来︑ 未ダ 仏ニ 不成 給ザ リケ ル時 ハ釈 迦菩 薩ト 申 テ︑ 兜率 天ノ 内院 ト云 所ニ ゾ住 給ケ ル︒ 而ニ 閻浮 提ニ 下生 シナ ムト 思シ ケル 時ニ

︑五 衰ヲ 現ハ シ給 フ︒ 其五 衰ト 云ハ

︑一 ニハ 天人 ハ眼 瞬ク 事無 ニ眼 瞬ロ ク︑ 二ニ ハ天 人ノ 頭ノ 上ノ 花鬘 ハ萎 事無 ニ萎 ヌ︑ 三ニ ハ天 人ノ 衣ニ ハ塵 居ル 事無 ニ塵

・垢 ヲ受 ツ︑ 四ニ ハ天 人ハ 汗ア ユル 事無 ニ脇 下ヨ リ汗 出キ ヌ︑ 五ニ ハ天 人ハ 我ガ 本ノ 座ヲ 不替 ザル ニ本 ノ座 ヲ不 求シ テ当 ル所 ニ居 ヌ︒

今 昔﹄ は釈 尊の 兜率 天降 下か ら語 り始 めら れ︑ それ に伴 い天 人 の五 衰が 語ら れる

︒巻 一第 一話 に見 られ るよ うに 釈尊 が兜 率天 にい ると いう 概念 は特 筆す べき こと であ り⑮

︑釈 尊が 兜率 天か ら天 竺に 下 生す ると いう 世界 構成 は本 朝に おい ても 語ら れて いく こと が指 摘さ れて いる

︒小 峯和 明氏 はこ の点 につ いて

﹁と りわ け釈 尊の 兜率 天降 下と 母麻 耶夫 人の

利 天昇 天を 基本 構造 とす る天 界と 人界 との 交渉 に重 点が 置か れて いる 点に 注目 して おき たい

﹂と し︑

﹁こ うし て仏 を核 とす る天 竺の 風景

︑な いし は宇 宙は

︑数 々の 物語 を通 して 人々 の意 識に 浸透 して いく

﹂と され てい る⑯

︒つ まり

︑仏 陀が 兜率 天か ら

下生 し︑ また その 時に 天人 の五 衰が

﹁現 シ給 フ﹂ とい う概 念は

︑仏 を中 心と した 世界 構成 を示 して いる ので ある

︒そ こか ら始 原し て

﹃今 昔﹄ は語 られ るこ とに より

︑仏 を中 心と した 世界 構成 が物 語を 通じ て見 える ので ある

︒ま た前 田雅 之氏 も次 のよ うに 述べ てい る︒ 生身 の︽ 仏︾ に拘 るの は︑ それ が今 昔物 語集 の方 法= 世界 構 想で あっ たか らに 違い ない

︒そ れは

︑繰 り返 して 言う なれ ば生 身の

︽仏

︾お よび

︽仏

︾が 時間 的・ 空間 的に 切り 開い た仏 国土 とし ての 天竺 こそ 世界 の事 実性 の根 源で あっ たと 今昔 物語 集が 捉え てい るか らで あろ う⑰

︒ 仏が 閻浮 提に 下生 する とい う﹁ 兜率 天降 下﹂ によ り︑ 天竺 が構 成 され 仏法 が広 まる とい う﹃ 今昔

﹄編 者の 世界 構成 があ り︑ その 構成 を﹁ 笠置 寺縁 起﹂ にお ける 弥勒 彫顕 譚に も見 るこ とが でき るの であ る︒ 弥勒 が天 人に より 造ら れる とい うこ とは

︑兜 率天 から 天竺 に仏 が 下生 する 構成 を彷 彿さ せる

︒﹁ 弥勒 下生 経﹂ の説 く弥 勒下 生の 様相 と﹃ 今昔

﹄の 編者 が持 つ仏 が閻 浮提 に下 生す ると いう

﹁兜 率天 降 下﹂ の世 界構 想が 重な り﹁ 弥勒

﹂が 説か れて いる とい う構 図を 見る こと がで きる

︒弥 勒が この 本朝 に天 人に よっ て彫 顕す ると いう のは

︑ 天竺 部で 語ら れて いる 正統 な仏 教が 本朝 に広 まる こと を示 して いる と捉 える こと がで きる

『今 昔物 語集

﹄に おけ る﹁ 弥勒

﹂と

﹁天 人﹂

五三

(10)

弥勒 が釈 尊の いる 兜率 天か らの 出現 であ り︑ それ が正 統な 仏教 の 伝来 を象 徴す るこ とは

︑B

②③ で分 類し た説 話か ら読 み取 るこ とが でき る︒ 巻十 一第 十五 話は 元興 寺の 弥勒 像の 由来 譚で ある が︑ 昔︑ 東天 竺 にお いて 童子 が一 人船 に乗 って やっ て来 て弥 勒像 を造 った

︒そ の後 この 国に 仏法 が広 まり

︑後 に白 木︵ 新羅

︶の 国王 がこ の仏 を移 して 供養 した

︒そ の後 本朝 の元 明天 皇が この 弥勒 仏の 霊験 を聞 いて 日本 に移 し安 置し たと いう 話で ある

︒天 竺に おい ても 弥勒 仏を 安置 する と﹁ 其後

︑此 ノ伽 藍ニ 僧都 数百 住シ テ仏 法弘 ム﹂ とあ り︑ 仏法 が弥 勒仏 を安 置す るこ とに より 広ま った とい う︒ 次に 白木

︵新 羅︶ にお いて もこ の弥 勒仏 が安 置さ れる と︑

﹁此 仏ヲ 安置 シ給 ヒツ

︒其 後︑ 僧徒 数千 集リ 住シ テ︑ 仏法 盛也

︒﹂ とあ り︑ 仏法 が広 まっ たと いう

︒ また 本朝 にお いて も﹁ 其後

︑此 ノ寺 ニ僧 徒数 千人 集リ 住シ テ︑ 仏 法盛 也﹂ とい ずれ も弥 勒安 置に よっ て仏 法が 広ま るこ とを 示し てい るこ とが 分か る︒ しか し最 後の 話末 評語 に﹁ 但シ

︑彼 ノ弥 勒ハ 于今 御マ ス︒ 化人 ノ造 奉ル 仏ニ 御マ セバ 糸貴 シ︒ 亦︑ 天竺

・震 旦・ 本朝 三国 ニ渡 給ヘ ル仏 也﹂ とあ る︒ 説話 の中 で新 羅︵ 白木

︶を 経て 本朝 にや って くる と語 られ てい る⑱

にも 関わ らず

︑﹃ 今昔

﹄の 編者 は﹁ 天竺

・震 旦・ 本朝 三国 ニ渡 給ヘ ル仏

﹂と 話末 評語 で述 べて おり

︑三 国意 識を 強調 して いる

︒こ れは

先行 研究 に指 摘さ れて いる 通り

﹃今 昔﹄ 編者 のも つ三 国意 識に 貫か れた 正統 な仏 法伝 来を 伝え よう とし てい ると いえ る⑲

︒ 要す るに 造仏 され る弥 勒が

︑巻 第一 第一 話で 語ら れた 釈尊 のい る 兜率 天か らの 出現 であ るこ とを 語る こと によ り︑ 正統 な仏 法が 本朝 にお いて もた らさ れる こと を示 して いる ので ある

︒ 造寺 にお いて も同 様の 概念 で持 って 記述 され てい るこ とが 巻第 十 一第 十六 話に みら れる

︒す なわ ち︑ 中天 竺︑ 舎衛 国ノ 祇園 精舎 ハ兜 率天 ノ宮 ヲ学 ビ造 レリ

︒震 旦 ノ西 明寺 ハ祇 薗精 舎ヲ 移シ 造レ リ︒ 本朝 ノ大 安寺 ハ西 明寺 ヲ移 セル 也 と記 して いる

︒元 明天 皇の 御代 に百 済大 寺を 改め 移そ うと した 時に

︑ 道慈 が︑ 震旦 に修 行に 行っ て帰 って きた 僧に 任せ たと いう 説話 であ る︒ 本朝 の大 安寺 は兜 率天 の宮

=天 竺の 祇園 精舎

=震 旦の 西明 寺を まね てそ れぞ れ造 られ たこ とが 示さ れて いる⑳

︒つ まり

︑造 寺に おい ても 兜率 天︑ 天竺

︑震 旦を 経た こと を伝 える こと によ り︑ 本朝 の寺 の正 統性 を示 して いる こと がわ かる

︒そ の始 まり があ の巻 第一 第一 話で 釈尊 のい ると され てい た兜 率天 であ るこ とを 語っ てい る︒ 本朝 の大 安寺 が兜 率天 の宮 を真 似て 造っ た天 竺の 祇園 精舎

︑そ れを 真似 た震 旦の 西明 寺を 移し て造 った 寺で ある と説 くこ とに より

︑正 統な 寺が 本朝 に建 てら れた こと を示 して いる ので ある

『今 昔物 語集

﹄に おけ る﹁ 弥勒

﹂と

﹁天 人﹂

五四

(11)

この 二例 から もわ かる よう に︑ 本朝 に伝 えら れた 仏教 は︑ 常に 兜 率天 から 始原 して 語ら れる

︒そ のこ とに より

︑本 朝の 仏教 の正 統性 を伝 えよ うと して いた

﹃今 昔﹄ の強 い意 識が 見ら れる ので ある

︒ この よう な点 から 笠置 寺の

﹁天 人弥 勒彫 顕譚

﹂を 考え ると

︑﹁ 弥 勒﹂ が﹁ 天人

﹂に よっ て顕 れた のは

︑仏 が天 竺か ら天 人の 五衰 をも って 閻浮 提に 顕れ ると いう 巻一 第一 話で 語ら れた 構成 が投 影さ れて いる と考 えら れる

︒そ れゆ え笠 置寺 に正 統な 仏教 がも たら され たこ とを 示し てい ると いえ る︒ この 説話 を﹃ 今昔

﹄の 編者 が巻 十一 に組 み入 れて いる とい うこ とは

︑正 統な 仏教 が本 朝︑ つま り笠 置寺 にお いて もた らさ れた こと を示 して いる とい う意 識が あっ たた めで ある と考 えら れる

︒つ まり

︑弥 勒下 生の 表現 を﹃ 今昔

﹄の 編者 が持 って いた

﹁仏

=兜 率天 から らの 天人 を伴 って 下生 する

﹂と いう 意識 を笠 置寺 の﹁ 天人 弥勒 彫顕 譚﹂ に投 影す るこ とに より

︑本 朝に おけ る仏 教の 正統 性を 示し てい ると いえ よう

︒ この こと はB

③で 分類 した 説話 がい ずれ も︑ 仏教 の教 えが 流 布す るの にふ さわ しい 所は

﹁弥 勒ノ 出世

﹂す る地 であ るこ とは 前述 した が︑ それ が﹁ 笠置 寺縁 起﹂ の話 末評 語に も見 られ るの であ り︑

﹁天 人﹂ によ って 顕れ た﹁ 弥勒

﹂は 仏教 流布 にふ さわ しい 地で ある こと を説 くた めに 用い られ た説 話と いえ る︒ また 冒頭 で論 じた とお り︑ 二系 統あ る﹁ 笠置 寺縁 起﹂ 説話 のう ち︑

﹃今 昔﹄ の編 者が

﹁童

子﹂ では なく

﹁天 人﹂ によ って 彫顕 した

﹁弥 勒﹂ の説 話を 記述 した とい う点 から もわ かる

︒﹁ 弥勒

﹂を 通じ

﹃今 昔﹄ の編 者が 本朝 は仏 教流 布に ふさ わし い地 であ るこ とを 示し

︑さ らに 本朝 にも たら され た仏 教が

︑三 国意 識に 貫か れた 正統 な仏 教で ある こと を示 すた めに 天人 によ る弥 勒彫 顕説 話を もっ て語 ろう とし たこ とが 明ら かに なる

︒ まと め

今 昔﹄ にお ける 弥勒 に関 する 記述 を分 類し 考察 する こと によ り︑ 大き く二 種類 の概 念を もっ て弥 勒が 捉え られ てい たこ とを 指摘 した

︒ 一つ は︑ 兜率 天往 生の 帰結 によ る弥 勒の 値遇 であ り︑ 高僧 が法 華 経を 読誦

︑写 経す るこ とに よる 兜率 天往 生の 後値 遇す る弥 勒で ある が︑ この 場合 は︑ 兜率 天往 生が 最終 目的 とな って いる 場合 が多 かっ た︒ もう 一方 は︑ 巻十 一で 多く 語ら れて いた 弥勒 であ るが

︑こ の弥 勒 は﹃ 今昔

﹄の 編者 の意 識に ある 兜率 天= 釈迦 がい た地 であ り︑ そこ から の弥 勒出 現を 語る こと によ り本 朝に おい ても たら され た仏 教が 三国 意識 に貫 かれ た正 統な 仏教 であ るこ とを 示し てい る︒ また その 弥勒 を礼 拝す る人 はみ な﹁ 弥勒 ノ出 世﹂ に値 うこ とが でき るの であ る︒ 笠置 寺の 天人 彫顕 譚は

︑﹃ 今昔

﹄の 編者 の釈 迦が 兜率 天か ら下 生し

︑ま たそ の時 に天 人を 伴っ て顕 れる とい う世 界構 成を 投影 した

『今 昔物 語集

﹄に おけ る﹁ 弥勒

﹂と

﹁天 人﹂

五五

(12)

説話 であ ると いえ る︒ それ ゆえ

︑弥 勒が 笠置 寺に おい て彫 顕し たと いう こと は︑ 本朝 にお いて 正統 な仏 法が もた らさ れた こと を示 すの であ り︑ 首を 傾け る人 がみ な往 生で きる ので ある

︒こ の説 話が 本朝 篇の 始ま りの 巻で ある 巻十 一に 組み 込ま れて いる とい うこ とは

︑本 朝の 仏法 の正 統性 を示 そう とし た﹃ 今昔

﹄の 編者 の意 識に よっ てで あっ たと 考え られ る︒ 注

① 田中 尚子

﹁笠 置寺 縁起 の位 相 護国 寺本

﹃諸 寺縁 起集

﹄所 収﹁ 笠置 寺 縁起

﹂を 中心 に

﹂﹃ 国文 学研 究﹄ 第一 三一 号︑ 二〇

〇〇 年︑ 三六

~四 二頁

「 ︒

﹃笠 置寺 縁起

』 成立 とそ の背 景 東大 寺と

﹃太 平記

﹄の 問題 を中 心 に

﹂﹃ 古典 遺産

﹄第 五一 号︑ 二〇

〇一 年︑ 一~ 一三 頁︒

② 中山 一磨

﹁勧 進帳 と縁 起 笠置 寺再 興事 業を 通し て

﹂﹃ 中世 文学

﹄ 五四 号︑ 二〇

〇九 年︑ 七八

~八 二頁

︒ 中山 一麿

中川 真弓

﹁笠 置寺 聖教 調査 報告

﹂﹃ 小野 随心 院所 蔵の 文 献・ 図像 調査 を基 盤と する 相関 的・ 総合 的研 究と その 展開

﹄一 巻︑ 二〇

〇六 年︑ 一二 七~ 一七 四頁

③ 護国 寺本

﹃諸 寺縁 起集

﹄は 中山 氏に よる と異 伝で ある とさ れて いる

﹃天 文縁 起﹄ の① の部 分に 該当 する 説話 が﹃ 今昔 物語 集﹄ にお ける

﹁天 人弥 勒彫 顕譚

﹂で あり

﹃東 大寺 要録

﹄に

﹁縁 起有

﹂と 記述 され てい るこ とか ら︑ 平安 末期 まで はこ の縁 起は さか のぼ るこ とが でき

︑さ らに

﹃帝 王編 年記

﹄︵ 一三 六四 年頃

︶の 記述 にも

﹁天 人降 造笠 置石 像弥 勒﹂ とあ るこ とか ら前 者の 天人 弥勒 彫顕 譚が 広く 語ら れて いた 可能 性が 高い こと

が分 かる

④ 中山 一磨

︑前 掲書

②︑ 七五 頁︒

⑤ 田中 尚子

︑前 掲書

①︑ 三九 頁︒

⑥ 弥勒 信仰 に関 する 代表 的な 研究 は次 の通 りで ある

︒ 松本 文三 郎﹃ 弥勒 浄土 論・ 極楽 浄土 論﹄ 平凡 社︑ 二〇

〇六 年二 月︒ 平岡 定海

﹃日 本弥 勒浄 土思 想展 開史

﹄大 蔵出 版︑ 一九 七七 年二 月︒ 石橋 義秀

﹁平 安朝 に於 ける 弥勒 信仰

﹂﹃ 国語 と国 文学

﹄四 八号

︑一 九 七一 年︑ 二五

~三 四頁

︒ 速水 侑﹁ 日本 古代 社会 にお ける 弥勒 信仰 の展 開﹂

﹃南 都仏 教﹄ 第一 六 号︑ 一九 六五 年︒ 井上 光貞

﹃日 本浄 土教 成立 の研 究﹄ 山川 出版 社︑ 一九 五六 年九 月︒ 辻善 之助

﹃日 本仏 教史

﹄岩 波書 店︑ 一九 四四 年一 一月

『今 昔物 語集

﹄に 見ら れる

﹁弥 勒﹂

﹁慈 氏﹂

﹁兜 率天

﹂の 記述 は︑ 本朝 部に おい ては 全二 五例 あり

︑内 Aは 十三 例︑ Bは 十二 例で ある

︒同 一説 話内 で弥 勒の 役割 が異 なる 場合 は︑ 分け て分 類し た︒ 詳細 につ いて は︑ 紙幅 の都 合か ら割 愛し た︒

⑧ 弥勒 信仰 の種 類は

︑経 典の 内容 から 上生 信仰 と下 生信 仰に 大別 され て きた

︒詳 細な 分類 もあ るが

︑大 きく はこ の二 種に 大別 され る︒ 石橋 義秀

﹁平 安朝 に於 ける 弥勒 信仰

﹂﹃ 国語 と国 文学

﹄四 八号

︑一 九七 一年

︑二 五

~三 四頁

⑨ Aに 分類 した 説話 で﹃ 法華 験記

﹄の 翻案 の説 話は 次の 通り であ る︒ 巻 十二 第三 二話

・第 三六 話︑ 巻十 三第 七話

・第 十一 話・ 第十 五話

︑巻 十四 第三 話・ 第十 話・ 第十 八話

︑巻 十五 第四 五話 であ る︒ 例外 は巻 十四 第四 話は 出典 不詳

︑巻 十五 第四 六は

﹃日 本往 生極 楽記

﹄﹃ 古今 著聞 集﹄ から の出 典の 二例 のみ であ る︒

⑩ 児玉 里麻

﹁﹃ 今昔 物語 集﹄ にお ける 転生 譚 忉利 天と 兜率 天を 中心 に

『今 昔物 語集

﹄に おけ る﹁ 弥勒

﹂と

﹁天 人﹂

五六

(13)

﹂﹃ 中世 文学 の諸 問題

﹄一 七巻

︑二

〇〇

〇年 五月

︑八 七~ 一〇 三頁

『大 正新 脩大 蔵経

﹄第 一七 巻︑ 大正 一切 経刊 行会

︑一 九二 四年

⑫ 池上 洵一 校注

﹃新 日本 古典 文学 大系

今昔 物語 集﹄ 第三 巻︑ 一九 九一 年五 月︒

⑬ 平岡 氏は

﹁平 安時 代貴 族社 会に 与え た明 確な 例証 とな るの は︑ 藤原 道 長の 弥勒 信仰 であ る︒

﹃中 右記

﹄に は︑ 多く 記述 され てい るが

︑道 長の 弥勒 信仰 は言 うま でも なく 金峯 詣を 中心 とす る寛 弘四 年︵ 一〇

〇七

︶の 金銅 経筒 の埋 蔵願 文に 見え てい る信 仰で ある

︒金 峯山 は弥 勒下 生の 地と 信じ られ てい た﹂ と指 摘し てい る︒ また

﹃御 堂関 白記

﹄寛 弘四 年六 月八 日条 にも 金峰 参り の記 述が 見ら れる

︒︵ 平岡 定海

﹃日 本弥 勒浄 土思 想展 開史

﹄大 蔵出 版︑ 一九 七七 年二 月︒

『今 昔物 語集

﹄本 朝篇 に見 られ る天 人の 記述 は︑ 次の 通り であ る︒ 巻 十一 第三 一話

︑巻 十三 第三 六話

︑巻 十四 第十 話︑ 巻十 五第 六話

︑巻 十九 第三 一話

︑巻 二十 四第 一話 であ る︒

『釈 迦譜

﹄が 依拠 資料 とし て指 摘さ れて いる

︒し かし

︑﹃ 釈迦 譜﹄ では 釈迦 の父 であ る白 浄王 の過 去因 縁を 観じ てか ら閻 浮提 に下 生す るの であ るが

﹃今 昔物 語集

﹄で は過 去因 縁は 一切 記述 され てお らず

︑閻 浮提 下生 の記 述か ら始 まる 所に 意義 があ ると 指摘 され てい る︒

︵前 田雅 之﹃ 今昔 物語 集の 世界 構成

﹄笠 間書 院︑ 一九 九九 年十 月︑ 二四

~二 七頁

︶︒ また 依拠 資料 初め て指 摘し たの は︑ 本田 義憲

﹁今 昔物 語集 仏伝 史料 に関 する 覚書

﹂︵

﹃仏 教文 学研 究﹄ 第九 号︑ 一九 七〇 年︶ であ る︒

⑯ 小峯 和明

﹃今 昔物 語集 の形 成と 構造

﹄笠 間書 院︑ 一九 八五 年十 一月

︑ 三四 八~ 三五

〇頁

⑰ 前田 雅之

﹃今 昔物 語集 の世 界構 成﹄ 笠間 書院

︑一 九九 九年 一〇 月︑ 二 五~ 二七 頁︒

⑱ 元興 寺の 弥勒 像の 由来 を語 るの に白 木︵ 新羅

︶を 経由 して いる がそ の

点を 述べ てい ない のは

︑三 国意 識を 強く 示す がた めで あり 新羅 に対 する 意識 が薄 かっ たか らで ある と述 べて いる

︒金 正凡

﹁﹁ 今昔 物語 集﹂ に見 る朝 鮮関 係説 話小 考﹂

﹃国 文学

解釈 と観 賞﹄ 第五 七号

︑一 九九 二年 五 月︑ 一六 八~ 一七 五頁

︒ 小野 裕子

﹁中 国・ 朝鮮 半島

﹂︵

﹃今 昔物 語集 を学 ぶ人 のた めに

﹄世 界思 想社

︑二

〇〇 三年 一月

︑一 一三 頁︶ にお いて は︑ 天竺

・震 旦・ 本朝 の三 部を 立て

︑仏 教の 起源 から 伝来 を説 く本 集の 構造 を反 映し てい ると 指摘 して いる

⑲ 前田 氏は 巻十 一の 第一 話~ 第一 二話 の説 話を 考察 し︑

﹁三 国構 成を 構 築し た三 国意 識﹂ が﹁ 仏法 を誰 から 伝授 した か︑ につ いて かな り綿 密に 詳述 して いる こと があ げら れる

︒こ れら が日 本仏 法史 を公 正に 叙述 して いこ うと する 今昔 物語 集の 基本 的姿 勢の 延長 線上 にあ るこ とは 否め な い︒

﹂と して いる

︒︵

﹃今 昔物 語集 の世 界構 想﹄ 笠間 書院

︑一 九九 九年 十 月︑ 一二 七頁

︶︒

⑳ 渡辺 匡一

﹁寺 社・ 聖地

・霊 場﹂

︵﹃ 今昔 物語 集を 学ぶ 人の ため に﹄ 世界 思想 社︑ 二〇

〇三 年一 月︑ 一二 二頁

︒渡 辺氏 もこ の記 述か ら︑ 天竺

・震 旦の 聖地 が日 本に おい て大 安寺 とし て具 現し たこ とが 確認 され ると 指摘 した

︒ま た元 興寺 も北 天竺 生天 子国 の化 人に よっ て造 像さ れた 弥勒 像が 伝来 する こと によ って

︑や はり 聖地 の役 割を 担い

︑日 本が イン ド・ 中国 に劣 らな い仏 の国 であ るこ とを 宣揚 した と論 じて おら れる

『今 昔物 語集

﹄に おけ る﹁ 弥勒

﹂と

﹁天 人﹂

五七

(14)

天智 天皇 第三 皇子

︑ 笠置 寺者

︑天 武天 皇御 宇 天智 天皇 ゝ子 好

文章

又好

遊 猟

害猪 鹿

︑ 天智 天皇 御願

︑天 智天 皇皇 子狩 猟之 間

今昔

︑天 智天 皇ノ 御代 ニ御 子在 マシ ケリ

︒心 ニ智 リ有 テ才 賢カ リケ リ︒ 文ノ 道ヲ バ極 テ好 ミ給 ケル

︒詩 賦ヲ 造ル 事ハ

︑ 此御 子ノ 時ヨ リゾ 此国 ニハ 始マ リケ ル︒ 亦︑ 田猟 ヲ好 テ︑ 猪・ 鹿ヲ 殺ス 事ヲ 朝暮 ノ役 トセ リ︒ 常ニ 身ニ 弓箭 ヲ帯 シ︑ 軍ヲ 引具 シテ

︑山 ヲ籠 メ□ 纏テ

︑獣 ヲ令 狩︒

&

『諸 寺縁 起集 護国 寺本

﹄笠 置寺 縁起

『阿 婆 抄﹄

『伊 呂波 字類 抄﹄

『今 昔物 語集

﹄巻 十一 第三 十

別表

:類 話対 照表 '

皇子 餘命 在只 今︑ 我身 欲失 日晩 魂消

・不 能引 手縄

︑無 力返 蹄

轡如

壁 之従 立

︑神 驟情 騒︑ 将

馬死

馬ヨ リ下 リム ト為 ルニ モ︑ 鐙ノ 下ハ 遥ナ ル谷 ニテ 有レ バ︑ 可下 キ所 無シ

︒馬 少シ 動カ バ落 入ナ ムト ス︒ 谷ヲ 下セ バ十 余丈 許ナ ル下

□也

︒見 ルニ 目モ 暗レ テ︑ 谷底 モ不 見エ

︑東 西モ 忘レ ヌ︒ 魂ヲ イツ キ心 騒テ

︑只 今馬 ト共 ニ死 ナム トス

︒ (

王子 之馬 不走 留︑ 同欲 落︑ 前之 ニ足 既離 巖在 虚 空

崢巖 之透 出

︑馬 踠餘 足四 蹄聚

一處

︑ 直下 者下 十丈 許也 眼眩

︑轉 而不

谿 底

︑驚 擬

馬無

足 之所

踏︑ 至崢 巖之 透出

︑馬 踠餘 足︑ 四蹄 一 處 直下 者十 許丈 也︒ 眼眩 轉而 不矚 谿床

︑驚 擬還

︑馬 無足 之所 踏︑ 如夢

此乗 タル 馬走 リ早 マリ テ︑ 鹿ノ 如ク 既ニ 可落 キガ

︑四 ノ足 ヲ同 所ニ 踏テ

︑少 シ指 シ出 タル 巖ノ 崎ニ 立ニ タリ

︒ 馬ヲ 折返 サム ニモ 所モ 無シ

*

出宮 遊猟 山城 国相 楽郡

︑ 入一 深山 忽得 鹿 馳馬 越峯 渡谷

︑ 不憚 石巖

︑付 鹿追 行 鹿欲 遁矢 心深

︑自 高巖 上捨 身逃 落

是皇 子乗

飛 雲之 馬

︑備

法 駕

︒ 率

群臣

山 代国 道崎

︑ 漸踏

笠 置之 峯

︑群 師田 猟馳 散各 隨

鹿章

︑章

皇子 就

鹿走

馳 行︑ 駿 馬

控弓 向

東到

臨 高岸

︑ 馬失 足 而田 倒︑ 急抛

弓 矢

手綱

敢 不

留︒

皇子 就鹿 馳行

︑駿 馬到 臨高 岸︑ 鹿失 足而 落︑ 抛弓 矢雖 引手 縄︑ 敢不 留

然ル 間︑ 山城 ノ国

︑相 楽ノ 郡︑ 賀□ ノ郷 ノ東 ニ有 ル山 辺ヲ 狩リ 行ク ニ︑ 山ノ 斜ニ 登タ ル所 ヲ︑ 皇子 駿馬 ニ乗 テ鹿 ニ付 テ馳 セ登 リ給 フニ

︑鹿 ハ東 ヲ指 テ逃 グレ バ︑ 我レ ハ鹿 ノ尻 ニ︑ 次テ 馳セ テ︑ 鐙ヲ 踏ミ アテ 弓ヲ 引ク 程ニ 鹿俄 ニ失 ヌ︒ 倒ル ルナ メリ ト見 ルニ

︑鹿 不見 へ︒

﹁早 ク︑ 岸ノ 有ケ ルヨ リ落 ヌル 也﹂ ト思 テ︑ 弓ヲ 投ゲ 棄テ 手縄 ヲ引 ト云 ドモ 走立 タル 馬ナ レバ

︑輒 ク不 留ラ

︒ 早ク

︑遥 ニ高 キ岸 ヨリ 鹿ハ 落ヌ ル也 ケリ

︒ +

即隨 祈念

︑馬 忽留 身亦 全 須臾 如

冥助

︑ 馬役

四 足指

後 而退

︑ 依願 力須 臾如 有冥 助 即チ 其験 ニ︑ 馬尻 へ逆 サマ ニ退 テ広 所ニ 立ヌ

︒ ,

悲歎 之餘

︑心 中誓 願︑ 我願 為山 之地 主︑ 顕弥 勒 像︑ 令保 今度 之命 給ヘ 云々

︑ 誓云

︑山 神鬼 魅︑ 若扶

吾 命

者︑ 於

此巖 畔

弥勒 尊像

︑ 立願

︒ 願言

︑山 神鬼 魅︑ 若扶 吾命 者︑ 於巖 畔奉 刻弥 勒尊 像︑

然レ バ︑ 皇子 歎キ テ云 ク︑

﹁若 シ此 所ニ 座セ バ︑ 山神 等︑ 我ガ 命ヲ 助ケ 給ヘ

︒然 ラバ

︑此 巖ノ 喬ニ

︑弥 勒像 ヲ刻 ミ奉 ラム

﹂ト 願ヲ 発ス ニ︑

『今 昔物 語集

﹄に おけ る﹁ 弥勒

﹂と

﹁天 人﹂

五八

(15)

此寺 ハ︑ 弥勒 彫顕 シ奉 テ後

︑程 ヲ経 テ︑ 良弁 僧正 ト云 フ人 ノ見 付ケ 奉テ

︑其 後ヨ リ行 ヒ始 タル ゾト 人云 フ︒ 其ヨ リナ ム堂 共ヲ 造リ 房舎 ヲ造 リ重 テ︑ 僧共 多ク 住シ テ行 フ也 トゾ 語リ 伝ヘ タル トヤ

15 -

其時

︑皇 子馬 ヨリ 下テ 泣々 伏シ 礼ミ

︑後 ニ来 テ尋 ム注 シニ 見ム ガ為 ニ︑ 着給 ヘル 藺笠 ヲ脱 テ置 テ返 ヌ︒

還竟

︑届

路 地

所服 之藺 笠

︑ 置

後日 之指 南

仏神 之霊 応於 爰願 之間

︑喜 悦信 伏︑ 涙下 両行

︑ 但此 深山 人跡 絶︑ 奇巖 聳︑ 雖造 佛誰 来拝 之︑ 設 雖造 雨露 忽犯

︑爭 得久

︑思 惟未 定之 間︑ 日暮 路 遠︑ 以後 日 来︑ 欲廻 意匠 之間

︑為 後脱 御笠

︑ 置石 上而 還御

︑ 14

実ニ

︑世 ノ末

︑希 有ノ 仏ニ 在マ ス︒ 世ノ 中ノ 人専 ニ可 崇奉 シ︒

﹁僅 歩ヲ 運ビ 首ヲ 低ケ ム人

︑必 ズ覩 率ノ 内院 ニ生

︑弥 勒ノ 出世 ニ値 ム□ 殖ツ

﹂ト 可頼 キ也

纔運 歩之 輩︒ 植

往生 覩率 之種

︑ 偶禮

尊 顔

之族

︑結

龍 華成 道之 果

成︑

. 其後 一両 日ヲ 経テ

︑其 所ニ 置シ 所ノ 笠ヲ 尋テ 至ヌ

︒山 ノ頂 ヨリ 下テ

︑巖 ノ腰 ヲ廻 リ経 テ麓 ノ砌 ニ至 ヌ︒

一両 日

至笠 置所

︒ 擬

山腹

像 乎嶲 其面

谿 谷不

其後 経数 日︑ 歎願 之難 遂︑ 向彼 山︑ 尋泉 河流

︑ 登置 笠峯 不遂

︑ 0

上様 ヲ見 上グ レバ

︑目 モ不 及︑ 雲ヲ 見ル ガ如 シ︒ 皇子 心ニ 思ヒ 煩ヒ

︑山 ノ腹 ヲ指 テ︑ 其面 ニ弥 勒ノ 像ヲ 彫リ 奉ラ ムト 為ル ニ︑ 力無 シ︒ 其時 ニ︑ 天人 是ヲ 哀ビ 助ケ テ︑ 忽ニ 此仏 ヲ刻 ミ彫 リ奉 ル︒

仍建 立之

誓念 暗報 天人 助

之︑ 刻雕 急成

︑ 有一 人童 子︑ 其形 非 普通 人︑ 貴人 上﨟 気色 成︑ 爰王 子云

︑我 在造 佛之 願︑ 為之 々何

︑童 子云

︑ 我奉 造助 君願 云々

︑雖 奇思 給︑ 与童 相共 趣彼 山︑ 於山 之北 之麓

︑河 之南 際︑ 童子 忽失 ︑ 10

其間

︑俄 ニ黒 キ雲 覆テ 暗キ 夜ノ 如ク 成ヌ

︒其 暗キ 中ニ 少キ 石ノ 多ク 逬ル 音聞 ユ︒ 暫計 有テ

︑雲 去リ 霞晴 テ明 カニ 成ヌ

黒雲 覆

山︑ 宛如

子 夜暗

︑ 中有

聱岩 奔散

︒造

像 既畢

︒雲 去霞 晴︒

即黒 雲覆 峯︑ 荒風 忽吹

︑大 雨即 降︑ 雷電 霹靂

︑ 大地 欲破

︑山 峯欲 崩︑ 我有 何罪

︑依 何科

︑忽 遇 此灾

︑愁 歎而 有余

︑雖 然無 程天 晴明 静︑ 11 其ヨ

リ後

︑是 ヲ笠 置寺 ト云

︑是 也︒ 笠ヲ 注ニ 置タ レバ

︑笠 置ト 可云 也︒ 其レ ヲ只 和カ ニ︑ カサ ギト ハ云 也ケ リ︒ 13

其時 ニ︑ 皇子 仰テ 巖ノ 上ヲ 見給 ヌニ 弥勒 ノ像

︑其 形チ 鮮ニ シテ 彫リ 奉リ タリ

成奇 登峯 見之

置笠 之巖 恣削 之︑ 12

皇子 是ヲ 見テ

︑泣 恭 敬礼 拝シ テ返 給ヌ

其面 如掌

︑彼 面五 丈之 弥勒 彫刻 之︑ 相好 殊妙 如 生身

︑彫 藍田 々青 ︑ 似眦 首渇 摩造 栴檀 之像

︑ 顕兜 率之 妙僧 相︑ 同末 田尊 者写 生身 之質

︑雖 経 五十 六億 七千 万歳 不可 𣏓︑ 待三 会之 下生

︑及 千 佛之 出世

︑利 生可 無限

︑況 哉天 人雨 降︑ 常成 供 養︑ 古今 類少 者歟

『今 昔物 語集

﹄に おけ る﹁ 弥勒

﹂と

﹁天 人﹂

五九

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