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Author(s)
森, 雅秀
Citation
仏教について教えてください : 講義によせられた3000の質問と回答,
1: 697-735
Issue Date
2010-03
Type
Others
Text version
publisher
URL
http://hdl.handle.net/2297/24026
IV. 仏教の信仰と美術:弥勒・文殊・普賢を中心に 1. 大乗仏教の若き勇者たち とても初歩的な質問で申し訳ないのですが、弥勒 菩薩といった名前は、仏教における位の名前か、 実在した人(?)の名前か、上記のことばや観音 などはよく聞いたこともあるし、仏像も見たこと があるのですが、その実態がわかりません。地位 か名前か 。できれば教えていただきたいと思い ます。半跏思惟像のコーティングがはがれたのは、 意図的なのか、保存状態のせいなのか、どちらで しょうか。 「初歩的な質問」ではなく、大事な問題です。菩 薩は普通名詞で、「悟りを求めるもの」という意 味で理解されていますが、これについては今回の 授業でくわしくお話しします。一般には「位を表 すことば」と理解していただいてけっこうです。 「弥勒」や「文殊」「観音」などの、「菩薩」の前 に付くのが、それぞれの固有の名称です。ただし、 菩薩の名称はよくわからないものが多いです。弥 勒の場合、釈迦の弟子に同名の者がいたことが文 献に残っています。その場合、固有名詞ですが、 「弥勒」の原語の「マイトレーヤ」が「慈悲」の 意味を持つことから、普通名詞とも理解できます (弥勒は「慈氏菩薩」とも訳されることがありま す)。「観音」は「観自在」とか「世自在」と訳さ れることがあります。「観音」と訳した場合、「音 を見る」という意味になるので、何とも変なこと ばです。菩薩以外の位を表すことばには、「悟っ たもの」を意味する「仏」(如来なども同じです)、 忿怒の姿をとったほとけである「明王」、ヒンド ゥー教などの異教の神を起源とする「天」などが あります。女性の仏のグループも、密教の時代に は登場しますが、位を表すことばはありません。 なお、広隆寺の半跏思惟像のコーティングですが、 授業では漆と言いましたが、後で調べたら金箔で した。訂正しておきます。意図的にはがしたので はなく、だんだん剥落したのでしょう。 弥勒菩薩にせよ、何にせよ、なぜ仏教は仏像を作 り出すのですか?釈迦入滅後、数百年は仏像が作 られることもなかったと聞いたことがあります。 それがなぜ?すべての人が菩薩であり、在家と出 家を分けない大乗仏教が、なぜ仏像という信仰対 象を必要とするのか、よくわかりません。すべて の人が菩薩となりゆくなら、特定の○○菩薩とい う信仰の対象は何がどう偉いんですか。 「すべての人が菩薩」と「特定の○○菩薩」との 違いについては、今回の授業で取り上げます。イ ンドの仏教美術の歴史において、仏像誕生は画期 的な出来事で、その理由もいろいろ考えられてい ます。信仰の対象として何らかのイメージ(イコ ン)が必要であるのは、多くの宗教に共通してい ます。問題はそれをわれわれと同じ人の姿で表す かどうかです。イス ラム教のよう に、いわゆ る 「偶像崇拝を禁止」している宗教は、世界にたく さんありますが、それは信仰の対象がないのでは なく、それをわれわれのような人間の姿で表すこ とを拒否しているのです。インドで仏像が誕生し た理由としては、たとえば次のような説があげら れます。インドでは仏像は紀元前後に現れました が、その背景として、当時のインドを支配してい たクシャーン朝が、北西インドから侵入した異民 族であったことが重要です。彼らは非常に強大な 王をいただき、その肖像彫刻を作る伝統を有して いました。その一方で、仏教では早くから仏のイ メージを王のイメージと重ねる伝統がありました。 この両者がそろったことで、仏教において仏を人 (すなわち王)の姿で表すことが可能になったの です。なお、仏像誕生の背景や、仏のような「聖 なるもの」のイメージをどのように表現するかに ついては、最近「マ ンダラの表現 方法とその 意 味」という文章の中でくわしく書きました。私の HP の「仕事」の「一覧と要旨」の最後のところ
に、pdf ファイルをアップしておきましたので、 関心がある人はダウンロードして読んでみてくだ さい。 授業を聞いていてよくわからなかったのですが、 部派仏教の中の上座部と大衆部も、ともに小乗仏 教なのですか。それとも上座部だけが小乗仏教な のでしょうか。 いずれも小乗仏教です。もちろん自称ではありま せんが、大乗の者たちからは、そのように呼ばれ ました。部派仏教の時代になると、仏教は保守的 な立場を守る者と、進歩的(あるいは頽廃的?) な立場をとる者とに、大きく二分します。これを 「根本分裂」といいます。これが上座部と大衆部 です。さらにこの二つは内部分裂を繰り返し、最 終的には 18 に分かれます。これを「枝末分裂」 といい、全体を「小乗十八部派」と呼びます。仏 滅後二百年あまりのころのアショーカ王の時代に は、ほぼこの分裂が終わっていたといわれます。 大乗仏教はこのような部派の分裂とは別のところ で発生し、たちまちのうちにインド仏教の中の重 要な位置を占めたようです。大衆部の考え方の中 には、大乗仏教に通じるものもあるのですが、大 衆部から大乗仏教ができたわけではありません。 大乗仏教の成立は仏教史の大きな謎で、かつては 仏塔崇拝の在家信者の集団が、その成立に大きく 関わったという説が有力でしたが(平川彰説)、 最近はそれに批判的な研究者も増えています。 「色即是空 空即是色」で有名な「般若心経」は、 空を体得するものであるが、般若といえば、同時 に般若面のイメージを持つ。前者と後者はおおよ そ共通しているとは言い難いように思えるが、お そらく後からできたであろう後者のイメージはど こから来たものなのだろうか。 般若と般若面については、別の方からも同様の質 問がありました。これについては私も知識があり ません。能などにくわしく、ご存じの人がいれば 教えてください。「般若心経」は「空」の哲学を 説いている経典としてよく知られていますが、じ つは「陀羅尼経典」の一種で、最後あげられてい る「ギャーテー、ギャーテー 」という一説が最 も重要なのだそうです。 今まで密教の多神教的側面と、初期仏教の釈迦の 人間的側面を同じものに考えて、なじめずにいた のですが、今回の授業の中で、大乗仏教の特徴の 説明を受けて、ようやく少し腑に落ちた気がしま した。 たしかに同じ仏教でも、初期仏教と密教とではま ったく違います。そのつなぎとして大乗仏教が位 置しますし、とくに菩薩をどのようにとらえるか は、その場合のポイントになります。菩薩を説明 しようとすると、仏教とは何かという全体から説 明しなければならないのです。 聞き逃してしまってのですが、弥勒の持つ水瓶は 何を表しているのですか。またなぜ水瓶を持たな くなったのでしょうか。 まだ水瓶の意味は説明していないので、聞き逃し たわけではありません。弥勒のイメージについて は来週あたりにくわしく取り上げますが、インド のバラモンや行者が持っている携帯用の水瓶がそ のもとです(ペットボトルのようなかんじ)。「つ ぼ」と言いますが、水をたくさん蓄えておく大き な丸い壺ではなく、縦長の細い容器です。弥勒と 水瓶の結びつきはガンダーラから現れ、強固に維 持されるのですが、密教の時代には「龍華」とい う植物が、弥勒の新しいシンボルとして流行し、 水瓶は次第に姿を消していきます。 仏像のスライドで、女性的なものが多かったのを 見て、「慈悲」のイメージはやはり昔から女性ら しい「優しさ」をうつしていたのかなぁと思いま した。水月観音を少ししか見られなかったが、ス ライドの中でもとりわけ美しい像だと思った。何 のために、何を象徴として作られたものか知りた いです。 「慈悲のほとけ」といわれる観音が、しばしば女 性的なイメージをそなえているのは、女性と慈悲 の結びつきが自然だったからではないかと、私も 考えています。べつに男性に慈悲がないわけでは ないのですが 。東慶寺の水月観音は、私の授業
でときどき紹介するですが、とても人気が高い作 品です。日本の仏像にしては自然なスタイルと写 実的な表現、少女の雰囲気をそなえた表情などが 印象に残るようです。制作は南北朝で、このころ の中国の仏像・仏画の影響を強く受けています。 とくに、禅宗では水墨画などの絵画で描かれるこ とが多く、その立体的な表現とも言われています。 水月観音は中国で成立した変化観音の一つで、楊 柳観音(ようりゅうかんのん)と同一視されるこ ともあります。楊柳観音は朝鮮半島で流行し、日 本にも多くの作品が伝えられています。水月観音 を含め、前回のスライドはゆっくりお見せできな かったので、今回の授業の前に、流しておきます。 菩薩はすべての人がなりうるならば、当然、女性 的な菩薩(観音)があってもふしぎではないのに、 先生は菩薩は男性が基本みたいに言っていました。 そのあたりの流れを次週聞きたいです。 「菩薩」ということば自体が男性名詞なので、女 性の菩薩というのは、言語的にもおかしいのです。 「だれでも菩薩」の場合は、理論的には女性も菩 薩になりますが、女性のままでは悟りを得ること ができないので、男性に姿を変えます(ひどい話 ですが)。『法華経』の有名な「変成男子」(へん じょうなんし)は、その代表的な例です。 なぜ去年はパワーポイントのプリントはカラーだ ったのに、今年はモノクロになったのですか。 二年連続の受講、ありがとうございます。たしか に去年の仏教文化論の資料はカラーでした。昨年 度末に会計課から通知のあった比較文化のコピー 代が、予想をはるかに超えていて、主任の島教授 が困惑していました。昨年はカラーコピーの料金 をはっきり知らなかったのですが、最近コピー機 のところに「カラー18 円、白黒 4 円」という掲 示があり、ひるんでいます。なお、授業でお見せ しているパワーポイントは、個人で利用する方に は自由にコピーをしてもらっています。希望者は CD かメモリースティックなどを準備して、研究 室に来てください。 メレンコリアも見てみたいと思いました。東洋の 作品と西洋の作品の似ているところを、もっと知 ってみたいと思いました。 デューラーのメレンコリア I を、パワーポイント のプリントの最後にあげておきます。ぜひ、東洋 と西洋の美術の比較をいろいろ試みてください。 2. 弥勒(1)信仰と文献 ・釈迦によって仏(過去仏)のルールができ、そ れが仏のルールの一般化へ進んで、釈迦すらもそ のルールの中に埋もれていくという過程がおもし ろかった。 ・過去仏が過去菩薩に授記を与え、現在菩薩が釈 迦になり、釈迦が未来で弥勒になる流れでいいの ですよね?釈迦以前の過去仏はいったいどこから 生まれたのか(宗教的に)疑問です。現地の宗教 と合体したのでしょうか。 ・釈迦が過去仏や弥勒以下の他の仏のモデルにな ったということは、過去仏が悟りを開くまでの経 緯等も釈迦と同様になるように改変されたという ことでしょうか。 ・釈迦の生涯をモデルに他の仏の話を作っていっ たのに、釈迦が数ある仏の一つになってしまうな んて、おかしな話だけど、後の世の人たちはそん なこと気づかすに、見過ごしてしまいそうだと思 いました。 授業の本筋とははずれるのですが、過去仏から釈 迦、そして弥勒という考え方から、仏はすべて同 じ生涯をたどるという話を、前回の授業では紹介 しました。これについてコメントする方が何人か いらっしゃったので、ここではそのうちの 4 名分 を紹介しました。釈迦以外にも仏がいるという信
仰は、大乗仏教以前から仏教の中には古くからあ ったようです。研究者の中には、仏教は釈迦が開 いたのではなく、すでに存在していた宗教を釈迦 が改革して、広めただけであるという人もいます。 インドにおける仏教の歴史では、釈迦以外の仏の 数は、時代を追うごとに多くなり、その結果、授 業でもお話ししたように、釈迦すらもその中の一 人として位置づけられることになります。授業で は時間的な文脈でお話ししましたが、同じことは 空間的にも起こり、この世界以外にも別の世界が あり、そこには釈迦ではない別の仏が、今でも説 法しているという信仰が生まれます。極楽浄土の 阿弥陀仏ものそのひとりです。このような時間的、 空間的な仏の世界の広がりが、大乗仏教の基本的 な考え方となります。皆さんにとっての仏教とい うイメージとは異なるかもしれませんが、弥勒を はじめとする菩薩の思想も、この中にあります。 質問中の「釈迦以前の過去仏はどこからか」とい うのは、たしか『徒然草』の中でも同じような疑 問が記されていますが、大乗仏教の仏とは永遠の 時間の中につねに存在するので、質問そのものが 無意味になります。 ミスラ教は後のローマ帝国で迫害を受けたと思っ ていたのですが、迫害しつつ一方ではその構造を 受容するというパターンは、他の文化圏(イスラ ームなど)でも、よく見られるものなのですか? 民衆への受け入れやすさを考えると、よくありそ うですね。 先週紹介したキュモンの『ミトラの密議』を見る と、ローマ帝国では はじめはミス ラ教(ミト ラ 教)はそれほど迫害されていたわけではないよう です。地中海の周辺地域には、ミスラ教の遺跡や 遺物が多数存在しています。ローマからはるか離 れたロンドンからも見つかっていて、ローマ軍の 駐留とともに、ヨーロッパ各地にミスラ教は広が っていたようです。ミスラ教が迫害されるように なったのは、キリスト教の発生と伝播の過程で、 ミスラ教のようなオリエント起源の宗教が攻撃さ れたからだと思います。「迫害しつつ一方ではそ の構造を受容する」というのはおもしろい指摘で すね。たしかに、そのようなパターンは宗教一般 で見られるようです。たとえば、中世の魔女狩り はキリスト教のマリア信仰の裏返しです。迫害す るというのは、それだけ迫害される方が力を持っ た魅力的な存在だから、それを危険視するのでし ょう。宗教の基層には、このような両義的なもの への畏怖がつねにあるようです。 三機能説で、祭祀(バラモン)、戦闘(クシャト リア)、生産(ヴァイシャ)がありましたが、こ の一つ一つの階級の上下関係とかはあったのです か。 生産階級がそれよりも低い位置にあったのはたし かですが、のこりの二つは時代や状況で、一概に は上下関係は示せないでしょう。通常はカースト 制度(正しくはヴァルナ制といいます)では、バ ラモン(ブラーマン)の方が上位におかれますが、 実際の社会では為政者であり、軍事力を持ったク シャトリア(王侯貴族)が、優位に立つ場合も多 かったでしょう。むしろ、機能分担にもとづく相 互補完的な関係にあったと見た方が適切かもしれ ません。祭祀階級が社会の頂点というのは、現代 的な感覚では違和感があるでしょうが、神秘的な 力や、呪術的力を持つ者が、社会を統治するのは、 インドに限らず、広く見られます。日本の天皇も かつてはそうでした(今もそうかもしれません)。 菩薩は仏ではないですよね。では観音や弥勒や普 賢は、仏になる前段階の僧で、釈迦と同列という ことですか?また、ヴァルナはミトラと切り離せ ないくらい重要な神だったのに、仏教においては あまり重要な存在にならなかったがふしぎです。 観音などの菩薩が仏になる前段階であるのはたし かですが、かれらは「僧」ではなく、特別な存在 でした。モデルとしては悟りを開く前の釈迦がい ますが、菩薩それぞれの起源はことなります(そ の多くは不明といった方が適切かもしれません)。 大乗仏教の「だれでも菩薩」と、観音などの大菩 薩の間にも大きな断絶があるのです。ヴァルナは 仏教に取り入れられると水天になり、西の方角を 守る神として、マンダラなどに描かれます。他の
ヒンドゥー教の神々と十方天というグループを形 成し、彼らを描いた絵画作品も多く残されていま す。ミトラは仏教ではほとんど登場しません。こ れは仏教がヒンドゥー教の神々を取り入れた時代 に、すでにミトラの信仰がインドにはなく、ヴァ ルナも護方神としてしか信仰されていなかったか らです。ミトラやヴァルナなどの至高神は、すで に『リグ・ヴェーダ』の時代において、インドラ などの別系統の神に、その座を譲っています。そ のインドラも、次の時代にはシヴァやヴィシュヌ などの新参の神々の台頭を前に、護方神に格下げ されます。神々の世界はこのような交代が頻繁に 起こり、とくに至高神はその時代ごとに大きく異 なります。 弥勒の説明から「神」ということばが出てきまし たが、もともと仏教における神の地位はどうだっ たのでしょうか。今日の授業では仏と神は自然に 融合というか、同列の地位のように感じられたの ですが。インドなどでも神 vs.仏などの論争はあ ったのでしょうか。 授業では仏や菩薩などがたくさん登場するので、 混乱を招くのですが、神も仏もほとんど同じよう な意味で使っています。仏教では仏は悟った者で ある仏陀を指しますが、菩薩などの他の信仰の対 象も、広い意味で仏と呼びます。神という語はヴ ェーダの宗教やヒンドゥー教に登場する神々を指 すときにも使いますが、仏教に取り入れられたも のも、それにしたがって神と呼びます。仏教の用 語では「天」という方がふさわしいのですが 。 それ以外に、仏教でもヒンドゥー教でも、あるい はキリスト教などの他の宗教でも、信仰の対象と して何らかの「超越的な存在」があるとき、総称 として「神」と呼ぶときもあります。 観音という名が固有名詞だったなんておどろきま した。○○観音像、△△観音像と多くの観音像が あり、姿も違うけれど、同じ「観音」の存在だと わかった。ミトラとヴァルナがプリントの No.2 で対比的に描かれていて、ヴァルナはマイナスな イメージとして扱われていたのに、至上神、神と されているので、神は必ずしもよいイメージでは ないのだなと思った。 観音は菩薩の中で最も人気があるのですが、なか なかやっかいな存在で、その起源もよくわかりま せんし、イメージも普通の菩薩とは異なります。 変化観音(へんげかんのん)と呼ばれるように、 さまざまな姿をとり、それに応じて名前が変わる ところも特別です。日本仏教では、このような観 音の多種多様さから、「観音部」というグループ を菩薩とは別にたてることがあります。そこでは 観音という名称は、かぎりなく普通名詞に近いで す。ミトラとヴァルナが明と暗のイメージをとも なうというのは、多くの文献が指摘するとおりで すが、べつに「闇の神」がよくないイメージであ るとは一概には言えません。神というのは慈悲深 い優しいだけの存在ではなく、人々に畏怖心を与 え、ときには懲罰を与える恐ろしい存在でもあり ます。旧約聖書の神などは、まさにそうですし、 ユダヤ教やイスラム教も同様でしょう。 プリントの「ミトラとアスラがともに両数形で並 び立つとき 」の「両数形」とはどういう意味で すか?なんだか数学みたい 。 両数形というのは文法上の用語で「数」の一種で す。英語などのヨーロッパ系の言語では、単数と 複数の区別があることは、よく知っていると思い ますが、サンスクリットではこれに「両数」が加 わります。二つのものを表すときに、名詞や動詞 がそれに応じた活用形をとります。英語では s を つける程度ですが、サンスクリットでは、名詞の 場合は格、動詞の場合は人称などにしたがって、 異なる語尾になります。ミトラとヴァルナはつね にひと組として扱われるので、文章の中では両数 形になるのです。 ヴェーダの話はおもしろかったです。もっと詳し く知りたいです。何かお薦めの本はありますか。 資料の参考文献にもあげた辻先生の以下の本が最 適です。 辻直四郎 1967 『インド文明の曙 ヴェーダ とウパニシャッド』(岩波新書) 岩波書店。
ほかにも以下のような本があります。 辻直四郎 1970 『リグ・ヴェーダ賛歌』(岩波 文庫)岩波書店。 辻直四郎 1978 『古代インドの説話 ブラー フマナ文献より』春秋社。 ヴェーダの人々の思考法や哲学については、つぎ のものが読みやすいでしょう。 服部正明 1979 『古代インドの神秘思想 初期 ウパニシャッドの思想』講談社現代親書。 ヴェーダの神々を含め、インドの神話については 上村勝彦 1981 『インド神話』東京書籍。 立川武蔵他 1980 『ヒンドゥーの神々』せりか 書房。 印欧語族の神話に見られる三機能説については、 デュメジル自身の著作の他に、デュメジルの弟子 だった吉田敦彦氏の本が読みやすいでしょう。 弥勒はインドの宗教から来た神のようですが、そ ういう神は天という部類に納められ、マンダラで はちょっと外側の方に描かれていたように思いま す。弥勒が仏教で重要な存在となったのは、至上 神だったからでしょうか。それとも早い時期に取 り入れられたからでしょうか。 弥勒の起源がミトラやミスラであるという説は、 必ずしも定説ではありません。しかし、ミトラや ミスラの持っているいろいろな性質や機能は、弥 勒にも通じるものがあるので、紹介しています。 これは私が神話学の大風呂敷的なものが好きだか らでもあります。仏教の弥勒はさらに直接のモデ ルとなる仏弟子も存在したようで、それについて は今回紹介します。マンダラの周囲に描かれる天 部は、あきらかにヒンドゥー教起源の神なのです が、ミトラがその時代のヒンドゥー教で、すでに 信仰の対象ではなかったことは、すでに述べたと おりです。 地域において神々の呼び名が異なっていますが、 発音が地域によって異なることにより、呼び名が 異なるというのはわかりますが、他に呼び名が変 わる要因として、どのようなことがあったのでし ょうか。また辻さんの論文に「ヴァルナの神性は、 アヴェスタの最高神 アフラ・マズ ダーに対応 す る」とありますが、両者は同じ神なのですか?ま た「神性」ということばがよくわからないので、 できれば教えていただきたいです。 神々の名称の変化は、さまざまな要因があると考 えられますが、私自身はよくわかりません。おそ らく言語学の領域に属する問題でしょう。バンヴ ェニストとかの本を見てください。ミトラとミス ラはほとんど変化がない方でしょう。アフラ・マ ズ ダ ー の ア フ ラ は イ ン ド で は ア ス ラ で す 。「 神 性 」 と い う の は 「 神 と い う 存 在 」「 神 で あ る こ と」といった意味で用いられています。ミトラと アフラ・マズダーは別の地域で別の名前で信仰さ れているのですから、「同じ神」とはいえないで しょうが、きわめてよく似た存在であるというこ とです。 燃燈仏授記の他の物語も見てみたくなりました。 お薦めの本などはありますか。 物語そのものは、授業で配布した「ジャータカ」 の他に、『仏本行集経』や『ディヴヤアヴァダー ナ』などの文献に含まれています。燃燈仏授記を 含む授記思想については、以下の本があります。 田賀龍彦 1974 『授記思想の源流と展開』平楽 寺書店。 平川彰 1989-90 『平川彰著作集 3・4 初期大 乗仏教の研究』春秋社。 板書、sakta の「執着」が「執著」になっていま した。 これは失礼しました。板書をすると、よく字を間 違えます。でも「執着」の場合、仏教用語として は 「 執 著 」 と 表 記 す る 方 が 一 般 的 な よ う で す 。 『広辞苑』では「執着」なのですが、仏教語辞典 では「執著」が見出しになっていて、「執着」は 「執著」を見よとなっています。インドの有名な お坊さんに無著(むちゃく)という人物がいます が、もとの名前は「アサンガ」といって、「何も のにもとらわれないもの」を意味します。興福寺 には有名な無著像が、世親像と一緒に残されてい ます。このあたりの印象が強くて、一般的な表記
ではない「執著」のほうを書いたようです(単な るいいわけですが) 3 .弥勒(2)神話と造形 弥勒(救済者)と転輪王(為政者)は、対立した ものとしてとらえられていたが、チベット仏教な どを見ても、実際は両者を分けない場合も多いの ではないか。 たしかに、チベット仏教ではダライラマが仏教界 のトップにいながら、政治的にもチベットを支配 していました。チベットに限らず、人類の歴史の 中で政治と宗教はしばしば重なり合います。古代 日本においても卑弥呼のような呪術的な能力を持 つものが権力者の地位にありましたし、天皇も本 来は宗教的な力をそなえていたからこそ、人々を 支配していたはずです(今でも、天皇の代替わり の大嘗祭などを見ると、そのことがよくわかりま す)。政治を「まつりごと」と呼ぶことも、その 例としてしばしばあげられます。これに対し、イ ンドでは世俗的な支配者である王と、宗教的な世 界の最高存在(たとえば仏陀)とは区別されるの が一般的です。これは、インドにおいて世俗の世 界と精神的な世界、いわば聖なる世界とが、完全 に分かれていることによるのでしょう。神々のイ メージに「バラモン・聖職者的イメージ」と「ク シャトリア・戦闘者的イメージ」があることを以 前に紹介しましたが、これもこのことと関係しま す。このような伝統は、おそらくインド人を含む アーリア人やインド=ヨーロッパ語族の人々に、 ある程度共通するのではないかと思います。その 上で、両者はイメージの上では対立しつつも、実 際の政治や統治の場では、相互補完的な役割を果 たしていたのでしょう。たとえば、聖職者は王権 の正当性を神話や儀礼のなかで保証することがし ばしば見られますし、王は聖職者の持つ呪術的な 力を統治に利用したりしたようです。宗教と権力 との結びつきは人類に普遍的に見られるでしょう。 転輪聖王の七宝は輪、象などのものがあるが、経 典によっては別の七宝もあるということを聞いた が、本当だろうか。 それは私も知りませんでした。七宝は工芸品の種 類としても用いられることばですが、転輪聖王の 七宝とは、あまり関係ないようです。この場合は 七宝(しっぽう)と読みますね。七宝焼きともい われます。愛知県の尾張地方に七宝町というとこ ろがあり、七宝焼き で有名だそう です。そこ の HP を見たところ、「七宝とは、仏典にある七つの 宝物<金・銀・瑠璃・しゃこ・瑪瑙・真珠・まい え>のことで七宝焼の美しさが七種の貴品に似て 絢爛で高貴である所 からこの名が つけられま し た」と説明がありました。これのことかもしれま せん。どの仏典かはわかりませんでしたが(とい うよりも、仏典にはこのような宝石の列挙がいた るところにあります)。 ヴァルナ・ミトラといった神々が、それぞれ「階 級」や「役割」に対応した神性・属性を持ってい たというのは、それ によって「神 の世界のル ー ル」を定め、「人の世界のルール」を強固にする ためだろうかと思った。簡単に言えば「神ですら 役割がある。だから人に役割があるのも当然だ」 といったような思想があったのではないか。 おもしろい発想だと思いますが、私自身は、神々 の世界は人の世界の規範を示すために人為的に作 られたものではないと思います。むしろ、人々の 持つ世界のイメージや構造が、神々の世界に投影 されるのではないでしょうか。もちろん、その場 合も神々の世界が人間の世界の規範となるという 見方もあります。神話のイデオロギー化とも言え ます。神話学のおもしろさは、神や神話そのもの にあるのではなく、そこからみえる人々の考え方
の再発見にあるかもしれません。 スライドで半跏思惟像を見て同じ半跏思惟蔵なの に、だいぶ雰囲気がちがい少し驚きを感じた。彼 らは何を思っている像なのですか。 インドには半跏思惟像がかなりありますが、意味 はさまざまなようです。たとえば、釈迦が木の下 で考えている姿は、樹下観耕図といって、出家す る前に木の下で瞑想をしているところを表してい ます。また、降魔成道、つまり釈迦が悟りを開く 前に、それを妨げようとした悪魔を撃退した場面 では、妨害することができなかった悪魔が半跏思 惟のポーズを取ります。この場合、なぜ失敗に終 わったのかを反芻していると解釈されます。ガン ダーラでは釈迦のまわりに大群衆を置いた作品が いくつかありますが、その中に、半跏思惟をする 菩薩が登場します。ここでは、釈迦の示した奇跡 を見て、その真意を熟考している菩薩を表すとい う説が有力です。広隆寺の弥勒像などで有名な日 本の半跏思惟像については、日本の弥勒のところ で取り上げましょう。 寿命が長すぎて想像がつかない世界だと思った。 どこから未来の話になるのかよくわからなかった。 仏陀は入滅した後、どこへ行ったのですか。歴史 上の釈迦と仏教の釈迦が混乱して、どこから分け ていいのかわかりません。「マイトレーヤはトゥ シタ天から下り」とありますが、メッテーヤはど こでマイトレーヤになると宣言したのか疑問でし た。 『転輪王師子吼経』で寿命が延びたり縮んだりす る話は、すべて未来のことです。メッテーヤ(マ イトレーヤのパーリ語表記)が仏陀になると宣言 して、釈迦から授記を得るのは過去世のことです。 釈迦は悟りを開いたので、入滅すれば涅槃に入り、 完全な仏となるので、どこにも行きません。どこ かに生まれ変わったりするのは輪廻の世界で、悟 りとはその輪廻からの脱却だからです。あえてい えば、仏の世界に行くのでしょう。ただし、それ では満足できない人々がたくさんいたようで、釈 迦は涅槃に入ったように見せただけで、じっさい は永遠不滅の存在であると考える人々が現れます (久遠実成の仏といいます)。過去七仏のように、 釈迦以外にも別の仏がいたとするのは、それとは 別の方法で仏やその教えの永遠性を信じる人たち が考えたものです。弥勒信仰もこれと同じです。 この世界にはわれわれの世界以外にもさまざまな 世界があり、そこでは釈迦以外の仏がいるという 信仰も生まれました。いずれの場合も、歴史的な 存在であった釈迦から、普遍的な存在の仏へとい う方向が認められます。なお、メッテーヤがマイ トレーヤ(この場合は仏の名前として)となると 宣言したのは、『スッタニパータ』では見られま せんでしたが、前回紹介した多くの弥勒関係の経 典で釈迦との会話の中で行われたことが記されて います。トゥシタ天から下ったのは釈迦の前例に ならったからで、ここにもモデルとしての釈迦の 普遍化が見られます。 仏教にはもともと葬式という概念がないというの はよく聞くことだと思いますが、では、今日のス ライドやプリントにもあった「荼毘」は、葬式で はないのでしょうか。先生は途中に「葬式」とい うことばを用いて説明されていたように思うので すが。葬式でないのなら「荼毘」はいったい何な のでしょうか。 「荼毘」は火葬のこ とです。原語 はパーリ語 で jhāpeti(点火する、火葬にする、破壊する)です。 文法的な説明をすれば、この語は jhāyati の使役 動詞(causative)の形で、jhāyati は「禅定をな す」という意味です。座禅の「禅」というにあた る語で、禅というのはしずかに瞑想するというよ りも、煩悩などを焼き尽くすというイメージであ ったことがわかりま す。サンスク リットでは √ dham という動詞が「荼毘にふす」という意味で 用いられます。これは「息を吹く」という意味で、 息を吹いて火をおこすところから来ています。荼 毘は葬式そのものではありませんが、遺体の葬送 の方法として、用いられることばで、葬式の重要 な要素です。葬式というのは死者儀礼や葬送儀礼、 それに付随したさまざまな儀礼の総称として用い られますが、遺体をどのようにあつかうかが、そ
のもっとも重要なことであることには間違いあり ません。仏教に葬式の概念がないというのは少し 不正確で、本来、仏教は葬式に関与しないという ことでしょう。現在の日本で葬式と仏教が密接に 結びついていることを批判的に見る人が、そのよ うな極論を説いたのではないかと思います。その ときによく引き合いに出されるのが、釈迦が涅槃 に入る前に、釈迦亡き後の葬儀を心配した弟子た ちに「汝らはそのよ うなことに関 わる必要は な い」と言ったという経典の記述です。しかし、こ れに関しては最近ショペンという仏教学者が下記 の論文で異論を唱え、釈迦が禁止したのは特定の 比丘に対して遺骨の処理に関わるなというだけで、 すべての比丘が葬儀そのものに関与してはならな いと言ったわけではないことを明らかにしていま す。なお、このエピソードの中で、釈迦がみずか らの葬儀の方法を「 転輪聖王のご とくになす べ し」と言ったことも、仏陀と転輪聖王の関連の深 さを示すものとして重要です。 ショペン、G. 1996 「『大般涅槃経』におけ る比丘と遺骨に関する儀礼 出家仏教に関する 古くからの誤解」『大谷学報』76(1): 1-20 (平岡 聡訳)。 奈良の大仏は螺髪で、手に何も持っていないので、 釈迦ですか?そもそも螺髪があるから弥勒なので すか?今日の最後のスライドの弥勒がたまたま螺 髪だったのですか。あと、ふたつの神が対になっ ているというのは、なるほどと思いました。そう いえば、日光菩薩像と月光菩薩像というのがあっ たなーとか思いました。 螺髪は仏の重要な身体的な特徴のひとつで、釈迦 以外でも仏であればすべて螺髪です。阿弥陀も薬 師もそうです。弥勒が螺髪の髪型になるのは、菩 薩ではなく成道後の弥勒仏として表現されている からです。なお、奈良の大仏はこれらのいずれの 仏でもなく、毘盧遮那(びるしゃな)です。仏で すからやっぱり螺髪です。でも、密教になると毘 盧遮那は大日如来になり(一種の進化)、そこで はなぜか螺髪ではなく、菩薩と同じ髪型になりま す。これを菩薩形(ぼさつぎょう)の大日といい ます。ややこしいというか、よくわからない世界 ですね。ふたつの神が対の例は、たしかに三尊形 式の脇侍菩薩にしばしば見られます。インドで観 音と弥勒が対になることも、脇侍としてでした。 なお、日光菩薩と月光菩薩を従えるのは、薬師如 来で、釈迦の場合は別の菩薩になります。 『増一阿含』で弥勒が母の右脇から生まれたとあ りましたが、釈迦の人生の一般化とはこのことで しょうか。しかし、いくら何でも脇から生まれる 考えに驚嘆です。いったいインド人は脇をどのよ うに考えておられたのでしょうか。 「釈迦の人生の一般 化」はそのと おりです。 脇 (あるいは腋)から生まれるというのは、釈迦の 伝記で共通してみられますので、古い時代からそ う信じられていたようです。ちなみに、釈迦は母 親の摩耶夫人の胎内にはいるときも、右脇から入 りましたし、そのときには六本の牙のある白象の すがたを取ったと言われていますので、これもも っと驚異(脅威?)というか驚嘆すべきことです。 釈迦のような特別の存在が、通常の人間とは別の 方法で生まれるというのは、古今東西の神話や物 語でよく現れるモチーフです。帝王切開のことば の起源であるシーザー(カエサル)などが想起さ れます。シェークスピアの『マクベス』のクライ マックスの場面なども。 わかりやすい仏像の解説本とかありませんか。 仏像の本は星の数ほどありますが、中には読まな い方がいい本もたくさんあります(授業でもこの ことにはふれました)。タレントや有名人が書い た本は、エッセイとしてならともかく、学術的に はほとんど使い物に なりません。 私は至文堂 の 『日本の美術』シリーズを授業の準備ではよく使 っています。「ぎょうせい」という出版社から出 ている『日本の仏像大百科』は、タイトルが少し 安易な感じですが、内容はしっかりしていて重宝 しています。このほか、毎日新聞社刊の「国宝」 シリーズも便利です。展覧会の図録も役に立ちま す。12 月 3 日まで東京国立博物館で「仏像」と いう特別展が開催されています。この展覧会の図
録はとても充実しているそうです(私自身は未見 です)。この展覧会にあわせて、『芸術新潮』の今 月号が特集を組んでいて、これもよくできていま す。最近、山と渓谷社から『仏像』という本が出 ました。奈良と京都を中心に、数百点の仏像につ いて、良質の写真とコンパクトな解説からできて います。すこし値段が高いですが、持っていると 一生使えるでしょう。私も一部、項目執筆をした ので、手元に在庫があります。3 割引の著者割引 で頒布できますので、関心のある人はどうぞ。 ブッダと弟子の問答は読んでも全然意味がわから ないのですが、これは知識が増えればわかるよう になりますか。抽象的すぎてさっぱりです。同じ 弟子との問答でも、儒教などとは全然違うのです ね。 『スッタニパータ』の抜粋の部分だけでは、たし かによくわかりませんが、知識が増えれば確実に 理解できる部分が増えていきます。しかし、2 千 5 百年も前の人々の会話なのですから、文章の本 当の意味が理解できるという保証はありません。 さまざまな知識を動員して、それにアプローチし ます。たとえば、当時の言語をくわしく研究する ことでそれをめざしたり、あるいは、同時代の資 料(たとえばジャイナ教文献)と比較したり、さ まざまです。それが仏教研究、とくに文献学的な 仏教研究の醍醐味でもあります。 4. 弥勒(3)救済者としての弥勒 多宝如来を呼び出すために集まった仏は、「世尊 の分身」とも書いてありますけれども、釈迦の過 去仏などとはまた別の仏なのでしょうか。しかし 「十万世界にある無数の仏国土」とはすごい表現 ですね 。 過去仏も『法華経』の時代には無数にいますが、 「見宝塔品」に登場する無数の仏は、現在世に属 する仏たちで、空間的な広がりの中でとらえられ ています。「十万世界にある無数の仏国土」の他 にも、このような仏国土が無数であることの表現 はいろいろあります。たとえば「ガンジス川のす べての砂の数」とか、「さらにそれを砕いてでき た砂の数」とかがよく用いられます。「恒河砂 」 (ごうがしゃ)と言 って、現在で も数字の単 位 (億とか兆よりももっと上)にもなっています。 大乗経典で説かれている内容は、現実的なイメー ジでとらえられるものではなく、宇宙全体とか、 極小の世界とかに相当します。これは通常の感覚 の世界ではなく、一種のトランスに入った状態で の感覚に似ているでしょう。仏教ではそれを「三 昧」と言います。大乗仏教以前の経典が、釈迦の 日常的な世界を中心にしていることと、大きく異 なる点です。 お経というと、釈迦の教えというイメージがある が 、 こ れ ま で の プ リ ン ト の お 経 の 訳 を 見 る と 、 「教え」というよりは釈迦やその他の神々のエピ ソードという感じがする。釈迦の弟子たちが釈迦 の教えをまとめたということなので、「あれをし ろ」「これをしろ」という内容なのだと思ってい た。釈迦や神々の生活や生き方そのものが、見習 うべき教えなのだといわれれば、納得しないこと もないが。「法華経」や「華厳経」とかの有名な お経も同様なのでしょうか。 お経については上記の通りですが、初期の仏典や、 部派仏教の時代の経典には、「あれをしろ」「これ をしろ」という内容のものも多くあります。とく に律は基本的に禁止事項をあげるために編纂され たものなので、出家者の生活規範が細かく定めら れています。お経に ついては渡辺 照宏『お経 の 話』(岩波書店)がおすすめです。仏典の壮大な 世界がわかりやすくまとめられています。 仏坐像の脇侍に観音と弥勒がいましたが、二つは
対になるものでしょうか。最初の方にもどってし まうかもしれません(ごめんなさい)。このあい だ、法隆寺に遊びに行ったときにたくさん弥勒や 観音がいたのですが、水瓶を持った観音や、勢至 菩薩と対になっている観音ばかりだったので、気 になってしまいました。 観音と弥勒が脇侍になるパターンは、インドの仏 教美術でもっとも一般的な三尊形式です。これに 加え、エローラやオリッサでは、観音と金剛手が 脇侍になります。はやくはマトゥラーでも見られ ます。授業で写真を紹介したパーラ朝の三尊形式 は、観音と弥勒の方ですが、まれに観音、金剛手 の組み合わせも見られます。日本では釈迦の脇侍 は文殊と普賢が多いのですが、この形式はインド では見られません。法隆寺ばかりではなく、日本 の観音の圧倒的多数は水瓶を持っているようです。 日本で人気の高い十一面観音も同様ですし、千手 観音も主要な手のひとつに水瓶を持っています。 水瓶に蓮華が入っている場合もあります。日本の 観音が水瓶を持つのは、インドとは異なりますが、 インドでも四臂観音などの多臂になりますと、水 瓶が持物に登場します。また、弥勒の持っている 水瓶とも図像的な交渉があるのではないかと思い ます。勢至菩薩と観音とが対になる形式は、浄土 教の来迎図に由来します。その場合、中尊は釈迦 ではなく阿弥陀です。 中国の石窟の箇所で、仏教の世界の時間の流れが、 そのまま参拝の経路に沿っているのがとてもおも しろかったです。今までそういうものを見ても漫 然と眺めるばかりでしたが、他にもあるのだろう かと思いました。 キジルに現れる弥勒が、単なる単独像ではなく、 石窟全体のプラン(仏や菩薩などをどのように配 置するか)を視野に入れて、全体がひとつの流れ になるように組み立てられていることを、私も興 味深く思います。とくに兜卒天上の弥勒が涅槃や 大迦葉説話と結びつくことで、壮大な時間が圧縮 されて、石窟の中で再現されているようです。前 回紹介したキジル石窟の弥勒の図像は、名古屋大 学の宮治昭先生が明らかにされたものです。参考 文献にもあげました『涅槃と弥勒の図像学』とい う名著の中でくわしく説かれていますので、参照 してください。仏教美術や図像研究の魅力のひと つに、このような寺院内部のプランの持つ象徴性 や物語性の解明があります。たんに仏像が美しい とか、特徴がどうであるとかいうばかりではあり ません(それも重要ですが)。 キリスト教の教会とかに、天井に天使がたくさん いる絵が描かれていますが、キジルの天井に描か れているのを見て、天井に描くことに何か意味が あるのかと単純に疑問に思いました。 天井に描くことに意味があります。というか、石 窟の内部空間が、そのまま現実世界に対応して、 天井が天界を表したりします。授業では省略しま したが、キジル石窟の場合、仏教的な世界観の中 心にある須弥山(しゅみせん)という山も、内部 に表現されているといわれています。宇宙全体が 石窟の中に象徴的に再現されているのです。入口 上部という特別な場所に兜卒天上の弥勒がいるこ とも、これに関係します。兜卒天とは須弥山の山 頂に位置する神々の世界だからです。キリスト教 の教会からも、仏教以上にさまざまな象徴性が読 み取れます。教会とは神の家であり、神の国であ り、さらに神の身体でもあったりします。キリス ト教の建築や美術は、直接仏教と影響関係はあり ませんが、さまざまな点で共通性や類似点があり、 興味深いです。 石窟は大きな穴がひとつ開いているだけかとおも っていたが、穴がたくさんあることがわかって、 少しおどろいた。石窟は寺院とは別なのだろうか。 それとも石窟全体がひとつの寺院のようなものな のだろうか。 石窟そのものの説明を授業ではしませんでしたの で、イメージがわきにくかったかもしれません。 寺院と理解してもらってけっこうです。日本に石 窟寺院はほとんどありませんが(皆無ではないの ですが)、インドからシルクロード、中国にかけ て、多くの石窟寺院があります。インドではアジ ャンタ、エローラ、アフガニスタンのバーミヤン、
中央アジアのキジル、中国の敦煌、龍門、雲岡な どはその代表です。いずれも山腹に多くの石窟が 作られています。石窟は仏教の出家者の修行の場 であり、その居住空間でもありますが、さらに参 拝者や巡礼者の礼拝の場所でもあります。「石窟 全体がひとつの寺院」というのは、そうである場 合も、ない場合もあります。石窟を作るには、当 然かなりの時間が必要とされますので、窟がふえ ていくにしたがって、全体をひとつのまとまりと とらえる意識が薄れていくこともあります。エロ ーラのように、仏教窟に隣接して、ヒンドゥー教 の石窟やジャイナ教の石窟がある場合もあります。 なお、岩山に穴を掘るというのは、われわれ日本 人から見れば、「わざわざどうして」と思うこと かもしれませんが、いったん作ってしまえば、ほ ぼ半永久的に使えますし、内部はきわめて快適な ようです。 昼休みに流れていた考える人のスライドが、とて もおもしろかったです。ドイツにキジルの石窟が 多く移されたのはなぜか気になりました。ドイツ の仏教との割合は高くないと思うので、仏教美術 ブームでも起きたのでしょうか。 昼休みのスライドは、授業の番外編ですが、考え る人のポーズが弥勒の半跏思惟像と関係があるの で、紹介しました。おもしろいという感想の方が、 他にも何人かいらっしゃいました。一般向けの類 似のスライドが他にも若干ありますので、ときど き昼休みに流しておきます。ドイツにはたしかに 仏教徒はあまりいないでしょう。キジルの壁画が はがされてドイツに持って行かれたのは、20 世紀 の初頭のことで、たしか探検家のグリュンベーデ ルによるものと思います。この時代は探検の時代 で、ヨーロッパ各国からかずかずの探検家たちが 中央アジアに入っていきました。イギリスのスタ インやフランスのペリオなども有名です。敦煌が 広く知られるようになったのも同じ頃です。ロン ドンの大英博物館や、フランスのギメ東洋美術館 などには、ヨーロッパにはアジアの美術のすぐれ たコレクションが所蔵されています。その多くは この時代の獲得物(強奪品?)です。日本からも 大谷探検隊が中央アジアを中心に活動しました。 ヨーロッパにおいて、東洋美術はオリエンタリズ ムとよばれるような異国情緒を感じさせる重要な ジャンルです。アジアへの探検はこのような需要 を満たすためでもありました。それに対して日本 の探検家たちは、仏教の起源を探るという、日本 人独特の使命を強く意識していました。 パーラ朝のものは弥勒がやたら色っぽいというか、 女性的に見えました。観音もですが。弥勒のシン ボル、水瓶、龍華、仏塔はすべて「水」に関係し ませんか?(水瓶はそのまま、龍はナーガ、仏塔 も語源のひとつがたしか水です)。むりやりすぎ ますかね 。キジルの弥勒は行者風でなく、装飾 がけっこうあるように見えました。キジルや敦煌 の青系の彩色は、何で塗ってあるんでしょう。 弥勒のシンボルに水が密接に関係しているという のは、そのとおりだと思います。弥勒の起源のと ころで、ミトラ信仰を紹介し、その中で水の要素 を強調したのも、そのためです。水を軸にして弥 勒の信仰や図像をとらえると、おもしろいでしょ うね。キジルの青は本当に鮮やかです。どの石窟 を見ても、背景や人物の一部に青がふんだんに使 われていますし、数ある色の中でもひときわ目立 つ色彩です。青色の絵の具の原料は、宝石のラピ スラズリだそうです。日本では瑠璃の名で伝わっ ています。手元にあった『シルクロード キジル 大紀行』(NHK 出版)を見たら、わざわざキジル 石窟の青について一章をさいて、くわしく説明さ れていました。ラピスラズリがシルクロードで貴 重な交易品であったこと、その原産地はほぼアフ ガニスタンに限られていること、エジプトなど、 さまざまな地域で珍重されたことなどが書いてあ りました。とくに興味深いのは、この地域ではラ ピスラズリの青が水を表すと一般に理解されてい ることです。ここでも水のシンボリズムのような ものが登場します。 ゾウの寿命とアリの寿命、当然、違っていると思 っていました。しかし、心臓の動いた回数で寿命 が決まると考えたら 。すごく納得させられまし
た。ではもし、お風呂にたくさん入ったり、スポ ーツをたくさんやっている人は、他の人よりたく さん心臓を動かしているので、寿命は縮んでしま うのか、などと考えてしまいます。そこはだれに もわからないことですが。 『ゾウの時間ネズミの時間』(中公新書)は一般 向けの科学書として傑作なので、紹介しました。 同じ著者が同じタイトルで福音館書店からも児童 向けの本を出しているので、それを見た人もいる かもしれません。お風呂やスポーツはたしかにそ うかもしれませんが、おそらく一生の心臓の鼓動 数からすれば、その差は誤差の範囲内なのでしょ う。それよりも、他の病気によって寿命の長さが 決まることの方が一般的です(あたりまえですが、 すべての人が心臓病で亡くなるわけではありませ んし、心臓病であっても生活習慣病などの方がよ り大きなウェイトを占めます)。同じ本に書いて ありましたが、動物が一生の間に食べる量も、体 重比にすると、種類に関係なくほぼ一定なのだそ うです。人生とは絶対的な時間ではかれるもので はないようです。 法華経、その他の経典と宗派のつながり、とくに 大乗形の思想の系譜がよくわかりません。大乗系 の思想の源みたいなものと、各派の解釈の展開に ついて、わかりやすい説明や本はないでしょうか。 大乗仏教についてのくわしい本としては『講座大 乗仏教』(春秋社 全十巻)があります。もう少 し 短 い も の で は 平 川 彰 『 イ ン ド 仏 教 史 』( 春 秋 社)や玉城康四郎『仏教史』(山川出版社)があ ります。入門書としては渡辺照宏『仏教』(岩波 新書)がおすすめです。 5. 弥勒(4)弥勒信仰の諸相 入定の説明のときに定期的に髪を切ったりすると 言っていた気がするのですが、実際に生きている わけではないので、他の人の髪を切ることになる のでしょうか。それとも切ったことにするだけで、 実際には何もしないのでしょうか。 どのようにするのでしょうね。私にもわかりませ ん。真言宗の僧侶になって、出世して、その儀式 の役に就けばわかるかもしれませんが、望みはな いでしょうね。あくまでも儀式なので、おそらく 「切ったことにする」といったところでしょう。 そのほかにも、朝晩、入定中の弘法大師に食事を お出しするという儀式も、毎日行われています。 「髪が伸びる」ということを、とくにクローズア ップしている点も興味深いです。入定中であれば 他にもいろいろな身体的な変化が起こると思いま すが、とくに髪の毛が重要であることに意味があ るようです。別の授業で五劫思惟の阿弥陀とよば れる阿弥陀像を紹介しましたが、それも五劫とい う長い間、思惟し続けた阿弥陀を表すために、髪 の毛を異常なまでに伸ばしています。伸ばすとい っても、仏の髪の螺髪なので、アフロのようです。 時間の経過と、そこでの身体的な変化が、髪の毛 に象徴的に表される のです。手塚 治虫の『火 の 鳥』の中に、ほとんど無限の生命を持った主人公 が登場して、何億年も生きていくのですが、やは り髪の毛やひげを長く伸ばす姿で描かれています。 なお、弘法大師の伝記絵の中で、髪の毛の伸びた 大師の髪を剃る場面が見つかりましたので、今回 配布します。 末法思想というと、「山越阿弥陀図」や「聖衆来 迎図」などを枕元に飾って極楽浄土へ連れて行っ てもらうというのがあったと思う。そこでは、阿 弥陀が中心に信仰されているので、今日の弥勒信 仰のように、さまざまな信仰の形があるのだと思 った。 一般に末法思想は浄土教と密接に結びついている ので、阿弥陀を中心とした信仰と思われています が、実際はもっと複雑で、重層的です。前回の授 業で紹介したように、藤原道長の経筒の文言から
も、阿弥陀の極楽浄土への往生に加え、弥勒信仰 が、その信仰世界の重要な位置を占めていたこと がわかります。阿弥陀信仰と弥勒信仰は、相互補 完的な関係にあったのでしょう。また、明恵の臨 終行儀も紹介しましたが、明恵といえば法然に対 して批判的な立場を取ったことで知られています が、弥勒が来迎することには何の疑いも持ってい なかったようです。仏教美術の分野では、平安時 代の仏教は、法華経、密教、浄土教の三者が重要 で、しかも重要度もこの順序になるといわれてい ます。高校までの日本史では、平安後期の仏教は ほとんど末法思想=浄土教で、そこから鎌倉新仏 教につながっていくという説明がなされているよ うですが、実際はそれほど単純ではないのです。 とくに、もっとも重要と見なされている法華経の 信仰は、そこでは取り上げられることすらないよ うです。 真言を唱えるとありますが、真言はあまり意味の ないことばで、唱えることに意味があるというよ うな話を聞いたことがあります。真言って何です か。また、座禅と真言とマンダラといろいろ出て きましたけど、何派の信仰なんですか。 真言について簡単に説明するのは、なかなか困難 ですが、すくなくと も「あまり意 味のないこ と ば」ではありません。インドでは古代から儀礼の 中でことばがきわめて重要な役割を果たしていま した。儀式が成功するか失敗するかも、儀礼を行 う祭官の発することば次第でした。このようなこ とばを「マントラ」といいます。これが真言です。 インドではほとんどの宗教が、独自のマントラを 有していましたが、仏教でも密教の時代になると 多くのマントラが生み出されます。やはり、儀礼 の場面で用いられましたし、密教の修行僧が瞑想 やヨーガなどを行うときも、独自のマントラが唱 えられます。この場合、実際に唱えることが大事 ですし、場合によっては、文字の形も意味を持ち ます。このような神秘的なことばなので、意味を 解釈することが困難なこともしばしばあります。 それは「意味がない」のではなく、日常的なこと ばとはレベルが違うことばなのでしょう。座禅は 日本では禅宗の修行法として知られていますが、 インド以来、仏教は静かなところで正しく坐り、 瞑想をすることがもっとも重要な修行法のひとつ でした。座禅の禅は「禅定」の意味で、精神統一 を意味します。マンダラはもともとは密教のもの なので、真言宗や天台宗に固有のものでしたが、 日本では独自の展開をして、浄土教や神道なども 独自のマンダラを持つようになります。 いろいろと謎に思ったことはあるのですが、マイ トレーヤは何語なのでしょうか。トゥシタ、ウパ ーリ、アルハトなど、たくさんの横文字が出てき てむずかしいです。前、先生が言ってたかもしれ ませんが、弥勒や如来などの古称が一番ランクが 高いのでしたでしょうか。 カタカナ読みの語はたいていサンスクリットです。 インドの古典語で、おもに聖典に用いられました。 仏教ははじめ民衆と同じことばを使っていたよう ですが、しだいにサンスクリットで自分たちの聖 典を記述するようになりました。弥勒は固有名詞 で、如来や菩薩が普通名詞です。如来は悟った存 在で、仏とか仏陀、あるいは世尊などと同じです。 菩薩はまだ修行の身で、請来は仏陀になることが いわば約束されていますが、現時点ではわれわれ 衆生の救済につとめています。 高野山奥の院灯籠堂に、実際家族と一緒に行った ことがありますが、祈る対象物が門の奥にあると 思わなかったです。だまされましたね (泣)。 それは残念でした。でも灯籠堂がとても立派なの で、そこで満足する観光客はけっこういるようで す。それに、灯籠堂の後ろには開口部があり、そ こから奥の院の御廟が見えたはずです。高野山は いいところなので、何度でもおでかけください。 今頃の季節ですと、ほとんど観光客もいないので、 幽玄な雰囲気にひたることができます。 東大寺の弥勒如来坐像を見て思ったのですが、仏 像の美しさはどういった基準できまるのか気にな りました。平安前期の仏像の特徴がよく現れてい るという点で評価されているのかもしれないので
すが、他のスライドやイメージとしてある弥勒如 来より、ぐったりしていて、あまり美しくは見え ませんでした。 これは私の説明と、スライド用に使った写真がよ くなかったのかもしれません。私は先週の火曜に 東京に出かける用事 があり、東京 国立博物館 の 「仏像展」で、実際にこの作品を見てきました。 以前にも奈良国立博物館で見ているので、はじめ てではありませんが、授業で取り上げたこともあ りじっくり見ました。全体に力がみなぎった堂々 とした作品で、独特の面貌も風格を感じます。何 よりも見て驚くのは、この作品がわずか像高 30 ㎝程度の、とても規模の小さな像であることです。 東京国立博物館の仏像展は今週末の 12 月 2 日ま でです。チャンスが ある人はおで かけくださ い (ただし、会期末なので、猛烈な混雑が予想され ます)。図録を購入してきたので、関心のある人 はどうぞ研究室まで。 弥勒を待っている場所が弥勒の成仏している場所 と、重層的になっているところが興味深かったで す。 そうですね。高野山の場合、入定して弥勒の下生 を待っている弘法大師がいるところが、そのまま 弥勒の浄土である兜卒天と見なされています。弘 法大師が大迦葉に対応するのであれば、高野山は 鶏足山になるのですが、そうではないところが興 味深いですね。高野山信仰は山上他界観でもある ので、そこが仏の国となるのでしょう。 カラーコピーを配布してくださってありがとうご ざいます。アンクレットなどの細部まで見られて よかったです。人体のバランスとしては少し腕が 長すぎますが、そんなことどうでもよくなるくら い美しい像です。手に持っている蓮の花に乗って いる建物のようなものは何でしょうか。弘法大師 像の右手がかなり不自然な形ですよね。実際やっ てみたらできないことはありませんでしたが。 なかなか、細部までよく観察しています。仏像の 腕が長いのは、仏の身体的な特徴のひとつで、両 腕を左右にひろげた長さが、身長と一致するとい う規定があるからです。坐像ではあまり目立ちま せんが、立像にこのような腕の長い像がしばしば 見られます。蓮の花に乗っている建物は仏塔(多 宝塔)です。インドの弥勒の場合、頭の前の部分 に小さな仏塔を表していましたが、日本の密教系 の弥勒は、塔を持物として持ちます。醍醐寺三宝 院の阿弥陀坐像なども、両手の上に置いています。 弘法大師の右手は金剛杵という仏具を持っていま す。たしかに不自然な形ですが、これはおそらく 画像に影響されたものです。弘法大師をはじめと する真言宗の祖師たち(その宗派の重要な歴史上 の人物)は、はじめは絵で描かれたようです。そ のとき、右手の持物がわかるように描くので、手 首をひねったような形を取りました。それを彫刻 にする際、ひねったままの形で作ったため、この ような状態になったようです。 全然、授業について行けません!配布のプリント をちょっと読んでみ ても全然意味 がわからな い し 。レポートもしくは試験はどんな形式になる んでしょうか。何とか単位を取りたいと思います。 とにかく欠席、遅刻をしないようにがんばって授 業に出ます。 とにかく、そうですね。欠席、遅刻をせずに、わ かる範囲で理解してください。それほど深刻に考 えなくとも、何か考えるヒントになることがあっ て、仏像のイメージが記憶に残れば、それでいい でしょう。ついでに、「仏教ってこんな世界なん だ」ということも、感じてほしいです。レポート の課題などはまだ考えていません。それほど奇抜 なものではない予定です。 弥勒などは鎌倉までは紹介してもらったので、仏 教が当時の人々に影響が大きかったと思うのです が、江戸の仏像は少ないように思います。江戸で は仏教が人々に与える影響は少なかったのですか。 授業で取り上げる仏像は、たしかに平安から鎌倉 にかけてのものがほとんどです。もちろん、江戸 時代にも仏教の影響も大きかったはずですし、仏 像もたくさん作られました。その中にはすぐれた 作品も少なくはないのですが、仏教美術史ではど