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田辺哲学に於ける「メタモルフォーゼ」

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田辺哲学 に於 ける「メタモル フ ォーゼ」

Die "Metamorphose" in der Philosophie Tanabes

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筑摩書店版 「田辺元全集』第十四巻の巻頭には、 (1) 田辺元が良寛 の 「生涯願立身 騰 々任天真 褒中 三升米 塩 追一束薪 誰問迷悟跡 何知名利塵 夜雨草庵裡 隻脚等閑伸」 とい う詩 を書写 した手 稿の写真が掲げ られている。 この手稿について唐 木順三はその著書 F良寛』 で、次の ような消息を 我 々に伝 えている。 「この詩について私に忘れがたい思ひ出がある。 田辺元先生が群馬 の大学病院で亡 くなられたが昭 和三十七年四月二十九 日)、北軽井沢で葬式をす ま した後 、私たち数人が残 って先生 の遺品を整理 してゐた。その中に、二百字詰 の原稿用紙七枚に わた って, この詩を三十回 も書 き写 された手稿が 出て来た。ペ ソ書 きで、一字一画をゆるがせに し ない倍書であ った(J2)、とO 田辺元は、その論文が 「一字一句 を忽がせに し ない周到綿密」であっ遇 i・か りではな く、その人 柄 の点で も謹厳そのものであった と聞いている。 まさし く、 この字体の如 くであ ったのだろ う。 こ れに対 して、良寛の草書の筆の運びには、文字通 り 「隻脚 を等閑に伸す」 とい うが如 き趣 きがある。 それに、実におお らか とで もい うべ きか、良寛の 書 には しば しは脱字がみ られ るし、逆にまた資字 がみ られ ることもある。 こ うした こ とは自作の歌 あ るいは詩 を書いた ものに もみ られ るのである。 現に、 「生涯願立身・- ・・・・-」の詩 を書いた ものに (4) も 「身」 の字が脱漏 したの も伝わ っている。 この 点 でも几帳面な田辺元 とは鮮やかな コン トラス ト をな しているQ したが って、唐木順三は、良寛の 詩 を丹念に書写 した田辺元の手稿を前に して、「先

Haruyuki Enzo

生は ど うい う気拝で丹念に これ を写 したのであろ うか」 と訪 しげに問っているが 、それ ももっとも なこ とである。 この問いに続けて唐木順三はさら に次 の よ うに述べてい る。 「良寛 と先生 とは非常に違ふ。草書体 と稽書体 のや ふに達ふ。先生は F願』か らも F騰 々』か ら も遠 か った。米に も薪に も不 自由は無か った。然 しこの詩の下四句、殊に下二句は、どこか一脈 で はあ るが通 じてゐる。先生は昭和二十六年に夫 人 に先立たれて以来、その逝去 までの十飴年、北軽 井沢 のあ ま り広 くない山荘で独 り起居 されてゐた。 手伝 ひの者はあったが、語 り合ふ人は無か った。 夜雨草庵 の裡に、聖脚 、等閑に仲 はすの等閑を所 在な くととれば、等閑に伸ば された こともあった らう。然 し、さ ういふ ことだけではな く、私は先 生が これを、昔 の人の写経 のや うな気持で写 され たのではないか と思 った。先生には生涯、草体 の や うに くずれた ところ、流れた ところ、騰 々然た るところは無か ったが、晩年にはその外貌は鉄蒼 や安 田籾彦が遺 した良寛像にやや似て来てゐた。 私に は、あの四角四面であった 田辺元博士が、最 晩年 にあの良寛を思慕 した ことが面 白か った」0 と、このように唐木順三は語 っているが、田辺 元が この良寛の詩の心地 と通 じているのは、果 し ていわれてい るように、その下四句 もし くは下二 句に限 ってのことであろ うか。 あるいは また、単 に田辺元は良寛 と外貌に於いて似ているにす ぎな か ったのだろ うか。 このよ うな問いを胸 に抱 きな が ら以下 に於いて我 々は、その全生活を賭 しての 思索 であ った田辺元の哲学の F種の論理』以降の 変貌 をみ てい きたい.

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BLH: 田辺元が昭和九年か ら昭和十五年 にかけて展開 した 「種 の論理」の哲学 は、そ こに於いては 「凡 てが媒介 されて居なければならない、其処では如 何なるもの も直接態のま ゝで留 まることが許 され ない、仮令所謂絶対的 な ものとい- ども、単に無 媒介に止 まることが出来 ぬ(J5)とい うように徹底 し た 「論理 の立場」に於 いて、 「絶対媒介」 の活動 として、展開された。 この 「絶対媒介」 とは、田 辺元に よると、 「媒介そのもの もそれに於 いて媒 介せ られて、何 もの も単に直接に与- られ前提せ られ ることな きこと36'を、意味す る.従 ってそれ は、 「人間は氷上に庁立す る能はず、-処に停止 せん と欲す る時は直ちに転倒す る、ただ不断の滑 動のみ能 く氷上に、身体 の正位を維持せ しめ る」 が如 くに、 「危 きに遊 んで安

T、 とい うよ りも む しろ 「危 きに遊んで安 うことな き」 とで もい う べ き 「不断の活動」であ るといえ るであろ う。田 辺元の哲学、あるいは哲学的思索は、かか る 「絶 対媒介」 として、いかな る非合理な直接態 も直接 態のままで留 まることを許さず、その媒介運動の うち-巻 き込み、それ を媒介の契機に転化せん と す るのであ る。それ故に、かか る哲学的思索は、 その本性上必然的に 「絶 えざる思索」 となって、 「哲学を離れて私の生活 は無いのであ り、又私の 生活の外に私 の哲学はあ るのではなJJ8'と言われ た ように哲学にその全体 を賭 した田辺元 の実生活 に於 いて、絶 えずその安眠を脅か したであろ うこ とは想像に熱 くないO それ故にであろ うか、事実 、 田辺元は晩年 の芥川龍之介以上に不眠症 であ った

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9) と御 自身で語 った とも聞 いている

「種 の論理」 の諸論文 が発表 された1930年代後 半は、満州事変以来す でに軍国主義化 ・フ ァシズ ム化の道 を歩み出 していた我国が、さらに加速度 を増 して盲 目的に突 き進 んでい った時期 であ る。 すなわ ち、 1936年二 ・二 六事件、 1937年 日中戦争 開戦、 1938年国家総動員法制定、 1940年 日独伊三 国同盟調印、そ してついには1941 年太平洋戦争-突入 していった、そ うい う時期 である。 この よう な当時 の社会 ・政 治の歴 史的動向を 自分 自身省み させ る畷 もな く駆 り立 て たのが、民族主義や全体 主義の暗 い盲 目的意志

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「権力意志」 )であった。 - 8-それは、主体 としての 「個人」 の自由を昧踊 し、 日本 とい う 「国家」を非合理主義- とその破局に いた るまで馬区り立ててい ったのであ った。 田辺元 の哲学は、かか る歴史の奔流の外に傍観者的に立 つのではな く、む しろ積極的にその流れ の内に入 り、その流れ を内か ら転換 させ ようと悪戦苦闘 し て思惟 したのであった。 このよ うな志向について 田辺元 自身 、戦後の昭和21年に発表 された F種の 論理 の弁証法』 の序の中で次の よ うに述懐 してい る。すなわ ち、 「私は昭和九年か ら同十五年に至 る問、 自ら種 の論理 と呼んだ弁証法の論理の研究 に従 ひ、之 を も って国家社会 の具体的構造を論理 的に究 明 しよ うと志 したo その動掛 ま、当時拾頭 しつつあ った 民族主義を哲学の問題 として取上げ、従来私共 の 支配 され来 った 自由主義思想を批判す ると同時に、 単な る民族主義に立脚す るいはゆ る全体主義を否 定 して、前者 の主体た る個人と、後者の基体 とす るところの民族主義 とを、交互否定的に媒介 し、 以て基体即主体、主体即基体な る絶対媒介の立場 に、現実 と理想 との実践的統一 としての国家 の、 理性的根拠を発見 しようと考-た こ とにあ る。飽 くまで国家 を道義に立脚せ しめ るこ とに よ り、一 方に於てその理性的根拠 を確保す ると同時に、他 方に於て当時 の我国に顔著であ った現実主義の非 合理的政策を、で きるな ら少 しで も規正 したい と (1【り 念願 したわけである」、 と。 「しか し」、 と田辺元はそれに続 いて 自らいわ ば 「メタノ-テ ィシュ」に述べてい るよ うに、そ の当時 の田辺元 の立場は、 「私 (すなわ ち、田辺 元)の始終批判 しつつあ った- -ゲルの合理主義 に 自ら頼落 し、彼の如 く国家を絶対化 して個 人の 自由をそれに同化す る傾向を免れ得 なか ったので ある」 0 「種 の論理」の初期の論文 r社会存在の 論理

(昭和9年∼10年)では、田辺元は- -ゲ ルの合理主義 を次のように批判 してい る。すなわ ち、 「- -ゲルは国家を直接的なる共 同社会 として の民族精神 と同一視す る傾向を完全には脱却 して 居 らぬ。これは彼が絶対媒介の論理に徹せず、媒介 せ られ ざる直接的な るものを其罷合理的 とす る合 理主義を脱 しない結果であって、其為 めに、現実 的な るものが理性的であ るといふ彼 の有名な標語

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の一肢が 、直 ちに 自然的直接的な るものを理性的 となす保守主義乃至寂静主義な るかの如 き誤解を も招 くのであ る」、と。 しか し、 田辺元は、た とえ非合理的な 「自然的 直接的な るもの」を 「直ちに」直接 「理性的」 と みなす のではない として も、 「自然的直接的なる もの」を 「理性的なるもの」 の 「契機」 として間 接的には理性的 とみな してお り、その限 りやは り 一種 の合理主義であ ることにはちが いないのであ る。 同 じ F社会存在の論理』 のなか の別の箇所で は、 「哲学 の立場に立つ限 り、非合理性 も絶対合

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理性 の契機 として観 られ るのでなければな らな

とも、言われている。 田辺元の哲学は、そ うい う 見地に立 って、現実の非合理的な るものをすべて 理性的な るものの実現の契機 として理性 の うちに 摂 り容れ ん とす る理性 の不断の媒介活動であ った。 そ して、 「絶対媒介の論理」に於 いては、この理 性の不断 の媒介活動を支え るのは、他の何 もので もない、そ の活動それ 自身であるとされたのであ る。一般的に言 っても、何か或 る活動を支えるの がその活動 それ 自身であった とした ら、その活動 は不断の活動た らざるをえない、 といえるであろ う。 まさし く、 「ただ不断の渦動 のみ能 く氷上に、 身体の正位を維持せ しめ る」、 と言われ るが如 く にであ る。 以上の如 き理性の不断の活動た る媒介活動 の内 で、すなわ ち弁証法の内でそれを貫 いてい るのは、 理性 の自分 自身に対す るいわば一種 の自力信仰で あ った。す なわ ち、 「自己に対す る他者を伝ず る のではな く、 自己の無限な る奥底た る絶対否定の 首定性に対す る信頼

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頚であ る. この 「信」はまた、 「如何に限 り無 き臣既を重ね、如何に大過を繰返 し、悪の繋縛に対す る自己の無力を嘆ず るも、な は絶対は此我を媒介 とし、此我の主体的行為を通 じて自己を実現す る、斯か る如何な る悪の重積 も 絶対に於 ては皆善の媒介に化せ られ る、 と信ず る」 とい う 「絶 対善の信LrpT、 とも言い表わ されてい る

「種 の論理」の 「旧き立場」は、 「如何に限 り無 き臣贋 を重ね」 ようともその此我の主体的行 為 を通 じて絶対が自己を実現す るとい うオプティ ミステ ィシュな理性信仰に裏打ちされて、理性主 義的に 、限 りな く媒介に媒介 を重ね てい くのであ る。か くして、 「絶対合理主義」の哲学は、 「絶 対善 の信仰」 と表裏相即 して成 り立 ってい るので あ った。 かか る立場に於 いては、 「絶対善の信仰」の裏 打ちに よって、 「悪の繋縛に対す る自己の無力を 嘆ず る」悲嘆 も,なお真に否定的に徹底 されずに 底の浅 い ものになって しまっていることは否めな いであろ うo それは未だ、後の 「燥悔道 としての 哲学」に於いて見 られ るような、 「自己の無力不 自由を徹底的に見極めて、理性の自己放棄 を行ぜ しめるT とい う徹底的な倣悔に至 っていないので あ った。後年 「自是慢心」 と田辺元 自らメタノ-テ ィシュに告 白俄悔す ることにな る 「理性主義的 倫理主義」に、 「種の論理」の 「旧き立場」は固 執 してい

徹 に、そ こでの理性 の無力を嘆ず る 悲嘆 も、絶望的 自己放棄たる伐悔にいた るまで宗 教的にあ るいは ニヒリステ ィシュに深刻化 され る ことなか ったのである。実際その ことについては、 「種 の論理」の 「旧き立場」当時 の田辺元 自身 も す でに認めてい るところであ り、昭和10年 の F種 の論理 と世界図式』のなかで次 のよ うに語 ってい る。す なわち、 「斯 か る絶対善の信仰な るものが安易な る最 良 観楽天主義 と批評 され るであ らうことは もとよ り 私 の予め覚悟す る所である。宗教に縁蒔 き私に と っては、深刻な る罪悪の悲痛感、憤悔、祈蒔、と いふ如 き所謂宗教的体験 の真意が、十分に了解せ られ ないのは如何 ともし難 いT、 と。 以上 の ようなオプテ ィ ミステ ィシュな 「絶対善 の信仰」は、田辺元がそれへ と 「生来傾 いた」 と 自ら述べているところの 「自力主義3秒を裏 か ら支 え、一層強固な ものに している。かか る理性的、 とい うよ りも理性主義的 「自力の立場」に於いて、 「種 の論理」を提案す る動磯 とな るところの実践 的要求が、生 じたのであ った

F種の論理 の意味 を明にす

(昭和12年)では この実践的要 求は次 の ように言い表わ されてい る。すなわち、 「現実の合理性を信ぜ ざるを得 ない私に とって は、国家社会の強制 も、理性に由 って自律に転ぜ られ るのでなければな らぬ。それは単な る強力に 轟 きざる、理性的根拠を有 しなければな らない。 但 し私の考- る理性は、現実の個人がその存在を 規定す る総ての制約か ら脱 して、単に自己の内部 か ら普遍的法則を、意志の格律に対す る規準 とし

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て 自己に課す る、 といふ如 き、形式的法則性の能 力に益 きるのではない。理性の無制約的普遍性は 単に抽 象的なる普遍性ではな くして、具体的なる 全体性 でなければな らぬ。それは客観的存在 とし ての 自己の窮極的な る規定が矛盾を含み二律背反 に陥 る結果、 自己が無に帰す ることに由って、却 て主体的に現実その ものが全体 として 自己を充た し、 自己即現実 として無制約的普遍性が成立す る ことでなければな らぬT、 と。 しか しこの ような要求は、どこまで も 「なけれ ばな らぬ」ままやは り当為に とどま り、現実には 「国家社会の強制」は 「単なる強制」に尽 きて し まい、いかな る 「理性的根拠」 も発見で きないま ま終戦 とともに終 って しまったのである。田辺元 が、その堅忍不抜の思索で もって して、 「自己の 能力の許す限 り、論理 と相即す る現実の歴史哲学 的研究 を今後に期joしたに もかかわ らずに、であ る。す なわち、 「理性の自律が理性批判 として自 らを根拠附け ようとす る自力」が 「敗亡賢 したの であ った。そ してこのことが、自力の哲学的無力 に対 しての、生身を引 き裂 くような絶望の告 白域 悔をせ ざるを得 ざらしめるのであった。

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自らの無力不能についての絶望的に徹底せる「俄 悔」は、 もはや 「理性批判」のよ うに、自力に対 す る批判を自力がなす とい った批判ではない。そ れは、 「他力の行に他な らない」。昭和21年の F域 悔道 としての哲学』 に於いて、田辺元は 「俄悔」 について次の よ うに憤悔的に語 っている。すなわ ち、 「私の自力は此憤悔を も能 くす ることが出来な い程に無力であ り、私の愚痴顕例はそれ程に も根 深 く執鋤 である。た ゞ私 の内にはた らく慨悔の他 力は、それに も拘 らず 自らを貫徹 して私に俄悔 を 行ぜ しめ る。私はただその催起に随順 して像悔を 行ず るばか りである竿、 とQ か っで 「種 の論理」の 「旧き立場」で 「絶対他 力」について語 られた時、それは 「自力」 と相即 的 として語 られ るも、そ こで箭極的に主題 とな っ たのほ 「自力」の働 きの方であ った。 これに対 し、 「他力」 の方は 「自力」 の働 きに即 して、いわば - 10-消極的に話題にのぼ っているにす ぎなか った。た とえば、 F社会存在の論理』では次 の如 く述べ ら れてい る。すなiっち、 「信心は F如来 よりた まは りた る信心』であ る け ど、之を受け る心は自力に媒介せ られ るのでな ければな らぬ。絶対他力 もなお 自力 と相即す る。 却て絶対他力の祐取不捨の隣が 自力を否定契機 と e劫 してそれに媒介せ られ るのであ る」 、 と。 ところが、 「懐悔道 としての哲学」の立場では、 「哲学す る」 とい う行は、その力点が 「自力」か ら 「他力」- と置 き換え られて、語 られ行ぜ られ ることになる

「慨悔」は、自力の無力不 自由を 徹底的に 自覚 し、自らを絶望的に地ち棄て る行で あ るが故に、 もはや 自力を以て為す ところの行で はない

「私な らぬ他者が之を催起す るのであ る。 私を促 して私に哲学-再 出発 をな さしめ る他力は、 私の憤悔に於いてはた ら くT のであ る。 か っての 「種 の論理」 の 「旧き立場」に於いて は、不断の思惟た る 「弁証法的思惟」を内面的に 裏附け る信は、先にみた ように、 「絶対善の信」 であるが、 これについては、 「弁証法 の外に無媒 介の直接態 として之を包む他力の信仰 とは本質を C5) 異にす る」 と、いわれ る。 これに対 して、 「懐悔 追 (超理観学)」 として方向附け られた 「種の論 理」 の 「新 しき立場」に於いては次 のよ うに言わ れ る。すなわ ち、 「相対著 の行為実践が 自己矛盾 に陥 り、自己放棄の慨悔行に転換せ られ ることに 於て、絶対 の大行は他力行 として行ぜ られ る。そ の行を内面的に裏附け る信は、いはゆ る、F如来 よ り賜は りた る信』 として、先進者 の教に媒介せ ら れ るのであ るデ 、と。つま り、慨悔は、 「如来 よ り賜は りた る信」に よって内面的に表附け られ、 他力的に行ぜ られ るとされたのであ る。 まさに、 「憐悔の核心は転換にあ る竿。理性の 不断の 自力的思索の非合理的現実 との悪戦苦闘の 極に於 いて、 自力の絶望的 自己放棄た る慨悔に媒 介 され て、 「哲学は聖道門的 自力の理性的立場か ら浄土門的他力の行信的立場-転換せ られ る」0 そ して、 「餓悔」に於け る転換はそれだけではな い。懐悔は、 「西洋語に於いてpaenitentiaが本 来苦痛を意味す る」 ように、必然的に悲痛 ・苦悩 ・漸悦 を伴 うが、 しか し同時にそれ らも転換す る。 すなわ ち、 「苦痛が歓喜に転 じ、漸悦が感謝に換

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Cta る」のである。 この転換は、 「理観超越」 の 「懐悔道」 の途上 に於け る転換であるが故に、超理性的に生起す る のであ るのか もしれない。 それ故にであろ う、こ の転換は田辺元に よってなに よ りもまず 「不可思 議」 とい う驚 きを もって体験 されたのである。 この 「不可思議」の体験 はすでに終戦前年 の昭 昭19年 の講演 F文化の限界』 で表 白されている。 国家存亡の切迫 した時局 のなか行なわれた この講 ¢9) 演 の終 りに近い処で、 「この国の中に於け るいろ いろの不都合、無 いことの願は しいや うな ことに 就いて、 自分が責任があ る、自分が微力であるか らであ り、 日夜悩む ところの私 の体験 を申 しあげ る」 と 「懐悔」が語 られた後、段落がつけ られ(と い って も、聴講者の速記 ノー トに もとづいて整理 された原稿 の段落なのだが、文意の展開か ら言 っ てそれ は非常に適切な段落づけであるといえ よう)、 「しか し不思議な ことに、云 々=・-

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」 と、 「転 換」す る。そ して、以下 の ように続 く

「私は さ ういふ現実 の問題に於いて 自分が悩 んで、いかに もど うも自分が済 まない、 自分が連帯責任 といふ ものに於 て、実に無良心な、足 らないものである といふ ことを、或はそれがまだ どこかに不徹底な ものが残 ってゐるで もあ りませ うけれ ども、 とに か くもはや これが 自分の腹 の底であると思ふ とこ ろか ら、 どうも何 とも申 しわけないことであると いって、頭が下が る気持にな った時に、私は非常 に何か軽 い気持、明るい気拝にな る」、 と。 我 々は、同様の 「転換」の表現を、翌昭和20年 潤筆 の論文 F俄悔道 としての哲学』 で も兄い出す ことが で きる。 この論文の F第-章 像悔道 の哲学的意義』に 於 いて田辺元は、 「俄悔」 とい うことについて、 「いはゆ る絶望の反抗心 を動か して捨鉢 とな り消 極的な る我性を主張 し増長す るのでな く、 自己の 当にあ るべ き存在に対す る願望をは持 ち続けなが ら、それに背反す る現実の自己に絶望 し、文字通 り自己の存在資格に対す る積極的希望を絶 ち、斯 か る随順的絶望に於て自己を放棄す るのが、私の OO) 謂ふ怯悔である」、と説 明 した後 、行を改め、転 換 して 日 く、 「併 し何 とい う不可思議であろ う」、 と。そ して さらに続けて言 う、 「私を斯か る自己 放棄- と促す力は、同時に私を回復 し、一度否定 せ られた私 の存在性 を再 び肯定に返す力なのであ る。只管に首を垂れて自己の無価値空無性 、否、 反価値反抗性 を素直に首 う時、却て不思議に も、 一度否定せ られた存在が肯定に転ぜ られ るのであ る」 、 と。 そ こでは、俄悔に於け る絶望的 自己放 棄 の死が再び新 しい生-復活せ しめ られ る歓喜の 不可思議の体験が告 白されてい るのである。 以上 のよ うに 「死復活」 の転換 をその核心に於 いて学 んでいる 「域悔」、す なわ ち田辺元の 「メ タノ-テ ィク」の 「俄悔」は、 「単にいはゆ るメ タノイヤ即ち後思後悔 として過去 の罪悪を想起 し それ に苦 しみ悩みて、それがあ らざ りしことを後 か ら希願 しそれの起れ るを悔やむに止 まるもので はない」のであ る。田辺元に よれは、すでにニ ッ ク-ル トもまた 「もはや斯 く像悔 した者は、いつ まで も古 き罪に こだは り之を悔ゆ ることを要せず 、 ただ現在に於て 日常 の汚れか ら足 を洗ひ浄め るば か りで足 りる3

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、 と述べた とい う。俄悔は、 「人 間的現世的なる後悔」 とは異な り、いつ まで も過 去に、 自己に こだわ り、これに執われて終 るので はな く、む しろかえ って「自己の突破」(Durchbruch) に転 じるのでなければならない。 な るほ どた しかに、 「俄悔」は 「自己を突破 し、 自己を放棄す る行」であ るが故に、単な る自力を 以て これを行 うことが出来ず、 「必ず他力の催起 を侠つ」のであるが、とはいえ、 もし自己が突破 され て しまった とした ら、 もはやそ こでは 自力 と 他力 とい う相対的区別 もな くな って しま うはずで ある。 したが って、 自己を突破 した処で生 きると した ら、それ こそすなわ ち、 「清浄無心な る善悪 の彼岸において」、 「自他を超ゆ る自然法

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に 任せて生 きることになるのではないか。 そ ここそ まさに、あの 「死復活存在の火中蓮 的清浄」が現 前 し、現在 している処ではないだろ うか。そ して、 それが また良寛の 「騰 々任天真」の痘涯 と相通 じ ていたのではないだろ うか。 いわれた ようにな るほ ど、 「絶対合理主義 の立 場」-と於ける田辺元には、その 「-処に停止せん と欲す る時直ちに転倒す る」が如 き 「絶 え ざる思 索」故に、 「騰 々然」 とした ところがない ように みえるか もしれない。しか し、田辺元 がそ の最晩年 に於 いて しば しは言及 している 「善悪の彼岸」な る 「清浄無心」の童涯 こそ、良寛の 「騰 々任天真」

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のそれ と相通 じているように思える。そ してその ような境涯 こそ、田辺元の祈念す る境涯 であった にちがいない。それ故に こそ、あの 「生涯働立身」 の良寛 の五言詩 をあたか も写経 の時 のよ うな心持 ちでもって書 き写 したのか もしれないと考え られ よう。 「種の論理」 の 「旧き立場」で田辺元は、理性 の自力を以 ってすべての非合理的現実を理性的な るものの実現の媒介に転化せん との大いなる志を もって、現実 と苦悶 したの とち ょうど同 じ様に、 か って若 き良寛 も天を衝 く志気を胸に抱 いて托鉢 行脚 の 日々を送 った ととわれ る。後年行脚修業 の 時代を回顧 した良寛の詩に次の ような詩がある. 「家は荒村に在 って四壁空 し/ 展転借賃 且 く 時を過す/ 憶ひ得た り噂昔行脚 の 日/ 衝天 の 志気敢えて 自ら持せ Lを 」。 まさに この詩は、「衝 天の志気」に満 ちて肩に力を入れ歩 き回 っている 若 き良寛の後姿を、我 々に妨排 させ るo Lか し、 「騰 々任天真」 と詩を詠む良寛 の肩か らは力がふ うっと脱け落ちているように、私には思 える。そ こには隻脚 を等閑にのびのび伸は している良寛の 姿がある。その良寛に、餓悔に於いて 「何か軽 い 気持、明るい気持」になった田辺元の何か感応す るところがあったのか もしれない。それ故に また、 良寛は格別の関心を抱いて、道元の FOL7D正法眼蔵』 の中の F愛語』 を書写 した とき くが、同様の心胸 を抱いて田辺元は良寛 の 「生涯願立身」 の詩を書 写 したにちがいないのである。 (Ⅳ) ところで前述の如 く、像悔は、 「後悔」 とは異 な り、単に過去を悔い るに とどまらず、 自己を突 破 し自己を放棄す る行 である。かか る懐悔 の道に 於いて、田辺元に よると、 「私は死復活の生を生 O4) きることが出来 るとい うべ きである」 とい う。 し てみれば、像悔は、後を、過去を向 くとともに同 時にヤヌス的に、前を、未来を向いている。 メタ ノ-テ ィクはい うなれはエ ビメテ ウス (後思)的 に して同時に プロメテ ウス (先思)的である。 こ の 「俄悔道 としての哲学」を

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田辺元は、 FEJ 慣㌣海 道 としての哲学』 の序に よれは、 「やむにや まれ ざる所」に よ りて、 「私一人の哲学 とす るのみな - 12 -らず 、諸 君 (引用 者 註 :読 者 諸 君 の こ と )の 哲 学 と して それ を提 供 す る」 の で あ る とい う。 の み な らず 、 さ らに 「憤 悔 道 は ひ と り我 国民 の 哲学 た るのみ な らず 、 人類 の 哲 学 で もあ る の で な けれ ば な らぬ 」 と まで言 わ れ て い る。 さす れ ば 、 「闇 を 問 の ま まで光 耀 かす 所 の絶 対 光 源 」 といわ れ る 「俄 悔 」 は 、 プ ロメテ ウ ス が 人類 に与 えた 火 の如 く、 あ るいは 人類 の 運 命 の 未 来 に新 た な る光 を投 げ か け るや も し れ ない。 しか るに、 「死復活の生」はただ に 「慨悔道」 のみを通 して生 きることができるよ うにな るだけ ではない。それ どころか、 「それに於 いて私は死 復活の生 を生 きることが出来 るとい うべ きであ る」 といわれ るよ うに、 「私の慨悔 な行ふ」 ところの 「私の慨悔道」に於いて生 きられ る 「死復活の生」 は、 「私 の死復活の生」であるに限 られ るにす ぎ ない

F像悔道 としての哲学』 では 、 「死復活」 の 「絶対転換」はなお、田辺元個人の体験に とど まってお り、それを 「国民諸君に、その 自由なる 取捨に向 って提供す る」にす ぎない。後に 田辺元 の最晩年 の論文 r生 の存在学か死の弁証法か』(昭 和37年 )に於 いて、 「自己の解脱を犠牲に し、白 の作仏を他の作仏 まで猶予 し差 し控 -て、その結 果 、直接 には 自己作仏 の障擬 と思は る、る如 き倫理 的悪行為を も、清浄無心なる善悪 の彼岸に於て、 衆生に伍す る方便のために敢てす るデ といわれ る よ うな、 「菩薩道」に於いてみ られ る実践的積極 性が未だ 「憤悔道」に於いてはみ られないのであ る。 そ もそ も 「慨悔道」に於け る自己放棄は、なん といって もやは り、自分の存在 の丸 ぐるみ全体を 賭す るところの、すなわち 「自己の生命を賭す る」 ところの決死の行ではない。田辺元 の 「憤悔」は、 O7) r域悔道 としての哲学』に よれば、 「此程度 の困 難 を迷ふ所な く処理す ることが出来 ないや うでは、 私は哲学に従事す る資格は無い、況や哲学教師 と して人を導 くことなど思 も寄 らない、当に私は哲 学を廃 し哲学教師を辞任すべ きではないか、 とい ふ疑」 (傍点引用老)か ら起発 している。そ して、 「最早哲学す る能力 も資格 もない私 であ るか ら、 それが哲学であ るか ど うかは問題 ではない、ただ 当面為すべ く私に課せ られた思想的仕事であ る以

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上は、私の力の許す限 りそれを しよ うといふ決心 が、却てそ こに哲学 ならぬ哲学を餓悔の自覚 とし て私に課す るに至 ったのである」 (傍点引用老)、 とい う。 されば、 「慨悔道 としての哲学」は 「哲 学 ならぬ哲学」 として道な き道を踏み分け歩む と はいえ ども、それ は 自己の存在全体 を賭 しての行 ではない。俄悔道に於け る自己否定 は、 「自らの ●●●■ 無力不能 を噺ぢ」、 「自己の存在資 格を自ら放棄 す る」 (傍点引用老)にす ぎず、なお観念論的な 自己否定に とどまる。つま り、 「私」の存在は実 在的には死に曝 され ることな しに とどまっている のであ る。 「俄悔道」が 「自己の価値性 (あ るいは反価値 性)」の見地でなされ る行である限 り、それは、 自己否定行 であるとはいえ、善悪 の彼岸に立 って 自己存在 の全体を賭けて出 るような、実践的積極 性 に欠け るとやは り言わ ざるをえないであろ う。 後に F生の存在学か死の弁証法か』 に於 いて、「単 にみずか ら死を決断す る能力を自覚 し、更に他に 向 って同 じ能力の 自覚を宣べ伝へてそれを促すだ けに止 まるか、或はまた愛を人間の道 として教説 勧誘す るに過 ぎないな らば、なは未だ自己の活け る信仰 を他に頒 ち伝- ることはで きぬ竿 と述べた 言 は或 る意味で、か って読者に 「その自由なる取 捨に向 って提供」 したにす ぎない 「憾㍗悔道 として の哲学」に も妥当す るところがあ ったのではない だろ うか。 みて きた ように、 「怯悔」、すなわち 「悔改軌」 は 自己否定的媒介の行であるにはちがいないが、 その否定媒介の構造は、その思考的側面を表わ し ているといえる。 この ように 「俄悔」に於いては なお観念論的であ るに とどまっていた 「死復活」 を、決断的な実存的 「死復活」- と転 じる働 きの 一 つ として、最晩年の田辺元に於 いて、仏教でい う 「忍」が考え られたのではないだ ろ うか。 田辺元は、 F生の存在学か死の弁証法か』、お よび、 「死の哲学」に関す る五つの F補遺』のな かで、幾度か仏教的な 「忍」について言及 してい る。そ のなかの或 る箇所で、 「忍は決 して単に非 合理をそのまま諦め る消極主義ではない」、 「忍」 の字形 には 「自己の心の上に刃を加 えて 自己否定 を行ず る実践的積極性が現われて居 る」、 といっ ¢⑳ ている

「忍」に於いては、 「死」 を運命 として 諦め甘受す るに とどまらない

「死」を 自ら青い 敢えて 自由に 自己を放棄す る行為に出でるのであ る。その自己否定 ・自己犠牲は正に死である、 し か し単な る死ではない。禅者のい うところの 「大 死」 といわれ るものである。生は、現実 の二律背 反的矛盾 を徹底 して 「忍」ぶ こ とに於いて、 「大 死一番」、死復活的にこの二律背反的矛盾を突破 し、復活的生 を生きるのであ るoしてみれば、胤 、 すなわち勇猛心 を奮 って 自己の心の上 に 自己否定 の刃 を加える心は、 自らのその行に よって、死復 活的 に転換 ・変容す る、 といえ る。 しか し、残念 なことに、かか る 「忍」に もとづ く心胸の現実の変容は、田辺元 の場合その現実の 「死」に よって、我 々は もはやみ ることがで きな いのである。

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前述の如 き 「忍」に於け るの と同 じ様に徹底 し た 自己否定を、我 々は ニーチ ェの 「良心 の生体解 剖

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にみ ることが できる。 これについて ニーチ ェは遺稿集 F力-の 意志Elに収録 された或 る7フ ォリズムで次の よ う に述べている。すなわ ち、 「我 々は、二千年 の良心の生体解剖 と自己傑刑

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の相続者である。 この ことの うちに我 々の最 も長い習練が、恐 らくは我 々の熟 達が、いずれにせ よ我 々の洗練が存す る。我 々は 自然な性向を悪 しき良心

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に 結びつけてきた./ (しか し)逆の試み も可能 であろ う。不 自然な性向を、つ ま り、私 のい う彼 岸的な もの-の、感性に反す るもの、思考に反す るもの、 自然に反す るもの-の憤斜を、要す るに、 すべてが この世界を誹誘す る理想であった ところ の理想を、疾 しき良心

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に結びつける試み も可能であろ う」、 と。 キ リス ト教 の禁欲主義的理想 のもと自分の生 の 内に属す る自然な欲求を悪 として峻厳に断罪 して きたキ リス ト教的良心が、その二千年にわた って 磨 きあげた鋭 さを以 って、ついには、そ の良心を は ぐくみ育てあげたキ リス ト教的 ・道徳 的な遠近 法 自身 の虚偽を暴 くにいた った。すなわ ち、 「自 然を神の善意 と守護 の証明であ るかのよ うに見な

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す こと、神的理性に敬意 を表 して歴史を倫理的世 界秩序や倫理的最終 目的 の不変の証言 として解釈 す ること、敬虎 な人間が相当長い間解釈 して きた よ うに 自分 自身の体験 をすべて摂理 、合図、魂の 救いのために考案され贈 られて きたかの よ うに解 釈す ること、 このよ うな解釈は今や過去の もの と な って しまっている。 このような解釈は 自分に背 ● く良心 の珂責 となる。 それはよ り織細なすべての 良心に とっていかがiっしく、不誠実 として、嘘つ きで女 々しく、弱々 し く、怯儒 であるとみなされ るヨ1㌧ と斯 く相成 るに いたったのであ る。 しか るに、斯 くの如 く解釈 された世界は、人間 がそこに於 いて生 きる意味を兄 い出す ことができ た世界 であ った。今そ の世界が虚偽であると見破 られ る一方で、科学的 良心にかけて嘘いつわ りの ない世界 として明らかになった世界は、そ こで我 々が生 きることにいかな る意味 も兄い出す ことの で きないよ うな世界 であ った。 この結果我 々は、 我 々が認識す るところの ものは尊重 しない し、他 方我 々が 自分 自身を偽 って信 じさせた く思 ってい るものを尊重す るこ とは許されない、 とい う二律 背反に、生 きなが ら引 き裂かれ ることにな る。 ニーチ ェの良心は 「善悪の彼岸」(jenseitsvon Gutund Base)に立 って情容赦な しにその メスを 揮 う。それに よって、生 の彼岸にあって彼岸か ら 生を支 えて きた 「神」 、 「異なる生」、 「浬襲」、 「救済」′、 「浄福」等 の虚偽性を暴 き、それ らを 信 じることを、"dasbi)SeGewissen"な らぬ "das schlechte Gewissen"に結びつけて、摘 出 したの であ る。 「そ うす るこ とが」、ニーチ ェの言に よ れは、 「薮 長あ仕事 で あ り、

長ゐ仕方での人間 愛であ る」、 とい う。 そ して、 「それに よって我 (4カ 々は哲学者 であ る、我 々極北の者は !」 といわれ るのであった。 このよ うな仮借な き良心の珂責に耐え 「忍」ぶ ニーチ ての 「心胸」 こそ、あの積極的意味を有す る 「忍」 と等 しい積極性を もつ。 「二千年 の良心 の生体解剖 と自己探刑」 の後、この生体解剖を 自 分 自身 の生 の うちで大胆 に仮借 な く徹底 した ニー チ ェの良心に於 いて、生 き活 きと生は復活す る. まさに傑刑後イエスが復活 した よ うに。 ニーチ ェ にあ っては、死復活的生は人間 とい う形態 をいわ ば 「メタモルフ ォ。- ギ ッシュ13に超えて、新た - 1 4-な る生 の形態 をめざして生 まれ変 ってい くのであ る。 この ようなニーチ ェとい う一個 の実存の良心 に於け る二千年来の良心 の生体解剖的 自己否定、 即 自己肯定 の死復活的転換構造は、次 のニーチ ェ の遺稿 アフ ォリズムに もよく言われている。すな まっち、 「-・--我 々 ヨーロ ッパ人は 自分 の信仰のため に死んだ老たちの血を我 々の うちに もってい る。 我 々は道徳を恐れ、真剣に うけ と り、何 らかの仕 方でその犠牲に しなか った ものは何 もない。他方 、 我 々の精神的織細 さは本質的に良心 の生体解剖に よって達せ られたのである。我 々は斯 くの如 く我 々の古 い地盤か ら離脱 して しまった後で もなお、 我 々が駆 り立て られ るのは F何処-か』について は知 らない。 しか しこの地盤 自身が、我 々を今や 遠 く-、冒険- と駆 り立てる力を、それに よって 我 々を果 しな きもの-、吟味 されていない もの- 、 未発見の もの- と推 し出す力を、我 々に育てたの である.我 々には選択 の余地がないO我 々に とっ て故郷た る土地を、我 々が F保持す る』 ことを望 む土地を我 々が もはや もたな くな って しまったか らには、我 々は侵略者 であ らざるをえない。我 々 のいかなる否 よ りも強い隠れた る然 りが我 々をそ

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t) れ- と駆 り立て るのである。- --・・・

」、 と。 二千年釆 自分 自身を生体解剖 しっづけて きた良 心 の血脈 が、その相続者た る 「良 きヨー。ッパ疋 ニーチ ェの生 の うちに脈持 ち流れ、幾世代に もわ た る自分探刑 の果てに、その生を駆 り立て変容せ しめ る。かか る自己否定 の力に よって駆 り立て ら れ 自己を賭 して広 く開かれたホ リツォソ トの上に 漕 ぎ出でた生は、さらにそのホ リツォソ トの上を 自己を賭 して変容 しつつ漕 ぎ渡 ってい くのである。 その変容は、それ故 まさに ニーチ ェとい う一個の 実存 の良心の変容であ ると同時に、二千年にわた って自己の心臓 の上にその メスを生体解剖的に揮 いつづけて きた ヨーロ ッパの良心の変容で もある といえるo CuHE 以上でみ られた ように、ニーチ ェの 「良心」を 媒介 として 「死復活」 した生は、新たなる地平へ と超 えて、そ こに於いて メタモル フ ォローギ ッシ

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ユに 「新た な る形態」 を とって現象す る。か って 「種 の論理 」 の 「旧き立場」 の時期 の田辺元 は、 F国家的存 在 の論理』 のなか で、 「今 日我 国 の歴 史 哲学 的思 想にな は、歴史 を生 命形態乃至文化表 現 の メタモ ル フ ォーゼ と解 す る如 き非実践的観想 の流行す るのを見 るのは、真 に意外 といはなけれ ばな らぬ。 --・-

-

(中略)・- ・--・歴史 を単 に 傍 観者 と して観想す るのでな く、実践的にそれ を 生 きるものに とって、 メタモ ル フ ォーゼ とふ如 き 生 態学的概念 の如何に不満 な るか は改めて言 うを uO 須 ゐぬ であ ら う」 、 と述べ た。 田辺元が 「メタモ ル フ ォーゼ」 とい う概念 を批判 した のは、 この概 念 を直接 的生 の範噂 とみ な したか らであ った。 し か るに 、我 々の 「メタモル フ ォロギ ー」 とい う概 念 は、直 接 的生 のではな く、敢 えて い うなれは死 復 活的生 の概念 であ る。最 晩年 の田辺元 は、 「自 己 の死 に於 て地 ち棄 て るに及 び 、生 の立場 で無路 不通 の難 関 に行詰 まった生 きる主体 は 、死 と共 に 消散 して空 に解放 せ られ 、却 って生 死 を超 え る脱 酒 自在 の立 場 に復活せ しめ られ る竿 、 とい ってい るが、 この よ うに生が- た び無 に帰 してそ こか ら 復 活す る時 、それ は 「変貌浄化せ られ てヂ復 活す るので あ る。 この よ うな 「変貌 浄化」 、す なわ ち、 「清浄 無心 な る善悪 の彼岸 に於 いて」生 きる生へ の変貌 は、 もはや 「単 な る生 命 の表 現形態 の交代 変転」 では ない。 それ は一種 の我 々の言 う 「メタ モル フ ォローギ ッシ ュ」 な変貌 といえ るであろ う。 この よ うな変容 を遂げた生 の容貌 を、我 々はあ の 「天真 に任せて騰 々 と」生 きる良寛 の不罵 な る 生 にみ て とることがで きないだ ろ うか。 あ るいは ひ ょっ とす ると、晩年 の田辺 元 もそ の よ うな生-自 ら変容す ることを求めたのか もしれ ない。そ こ に 良寛 の心胸 と田辺元 のそれ との問に 「一脈 」以 上 に脈 樽 ち通 じる道交がみ とめ られ るのではない だ ろ うか。 註 (1)以下すべて敬称を略 した。 (2) F良寛』 (筑摩書房版 F唐木順三全集』第十三巻)I 214京O (3) F田辺元全集」 (筑摩書房版)第七巻の巻末 「解 説」 (大島康正執筆)ー 376貢。 (4)新潟県三島郡和島村島崎の木村家 (良寛維宝館) 所蔵の良寛の書。 (5) F種の論理 と世界図式

』(

F田辺元全集』第六巻). 172頁。 (6) F種の論理の意味を明にす

』(

F田辺元全集』第 六巻)ー 473頁。 (7) F社会存在の論理』

(

F田辺元全集』第六巻)、 146頁。 (8) F倣悔道としての哲学

』(

FEEI辺元全集』第九巻)I 40頁O (9)相原信作 F思い出の一端

』(

F田辺元全集』昭和 三十九年三月刊筋十二巻付録の F月報』)0 00 F田辺元全集』第七巻 253真O 的 F田辺元全集」第六巻 155頁。

上掲告、 65頁。 8母 上掲書ー 223京o M 上掲喜一 223頁以下。 88 F田辺元全集』第九巻、 4頁および32京。 吐

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F種の論理の弁証法,a (昭和21年8月)t F田辺 元全集』第七巻ー 367頁O 的 F田辺元全集』第六巻ー 223頁。 ㈹ F俄悔道としての哲学

」(

F田辺元全集』第九巻)I

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田 餌 6真。 F田辺元全集」第六巻ー 450京以下。 上掲喜一 519●頁。 F懐悔道 としての哲学

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F田辺元全集』第九巻)I 38頁。 上掲喜一 19頁。 F田辺元全集』第六巻、 165頁以下。 F俄悔道 としての哲学』ー 4頁。 F種の論理 と世界図式』 F種の論理の弁証法』ー F伐悔道としての哲学』 上掲同所。 F田近元全集』第八巻ー F俄悔道としての哲学』 F哲学と詩 と宗教

」(

419真以下。 F懐悔道としての哲学』 ー 222京。 369京。 ー 12真0 302頁。 ー 20真以下。 F田辺元全集』第十三巻)I 一 40貢。 前記の木村家の良寛維宝館に伝わる。 F像海道 としての哲学』、 40頁。 上掲書ー 12京以下。 FEEl辺元全集』第十三巻ー 544頁。

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e7) 『懐悔道 としての哲学』ー 3貢以下 。 的 『田辺元全集』第十三巻ー 546貢O 細 上掲書ー 545頁お よび611貢。

細 Fr.Nietzsche,"I)erWillezurMacht",Nr. 357.

的 Fr. Nietzsche, "Die frbhliche Wisse n-schart",Nr.357.

的 Fr.Nietzsche,"I)er Antichrist",Nr.7.

的 「メタモル フ ォロギー」 とい うコソツ ェプツィオ ーソについてはー Fニーチ ェ ・コン トゥラ ・パスカ ル くその5)』 (長野大学紀要第7巻第3 ・4号合 併号) を参照 してほ しい。

紬 Fr.Nietzsche,"DerWillezurMacht",Nr. 405. 的 ニ-チ ェは F悦は しき知識』 のアフ ォリズム番号 377番 の文章 に於 いて次の ように言 っている。「我 々はー一言で言えはー良 きヨー ロ ッパ人 であ るーす なわち ヨーロ ッパの相続者ー数千年 来の ヨー ロ ッパ 的精神の豊かに して蓄積のあ るt Lか しまた手に余 - 16 -るほ どの義務 も課せ られた相続人であ るOかか る者 として我 々はキ リス ト教か ら手におえなし・ほ ど成長 しキ リス ト教 を嫌悪 している。そ してそれ は まさ し くー我 々がキ リス ト教か ら成長 して きたが故にであ りー我 々の祖先がキ リス ト教 の仮借 のない誠実 さを 身につけたキ リス ト教徒であ り一 日分 の信仰 のため に進 んで財産 も血 もー地位 も祖 国 も犠牲 として きた が故になのであ る。我 々も - 同 じことをす る。 し か し何 のために ? 我 々の無信仰のためにか ? あ らゆ る種類の無信仰のためにか ? .いやー我が友 よー 諸君 は もっとよ く承知 してい る ! 諸君 の うちに隠 された 『然 り』 はー諸君が諸君 の時代 と共にそれに 病む ところのすべての 『否』 と 『恐 ら く』 以上 に強 いのであ る」 と。 的 F田辺元全集』第七巻ー 29貢以下 O 色7

)

『「死の哲学」試考

』(

F田辺元全集』第十三巻)I 583貢。 ㈹ F生 の存在学か死 の弁証法か

』(

F田辺元全集』 第十三巻 )ー 559貢。

参照

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