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教室空間における児童・生徒の関係性についての一考察 : いじめの根幹を探るエスノグラフィー

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†学校教育専修 学校教育専攻 指導教員:紅林伸幸 原 著 論 文

教室空間における児童・生徒の関係性についての一考察

―― いじめの根幹を探るエスノグラフィー ――

An examination regarding the relationships of

school children with in the classroom

― Enthrography researching the problem of bullying ―

Toshiaki TAKAHASHI

キーワード:いじめ,客観的エスノグラフィー,日常生活,グレーアクション 1.は じ め に 学校教育において,大きな教育の課題として, いじめが取り上げられる。いじめは,今や世界 中で問題とされ,その対処に全力をあげて取り 組んでいるが,未だにいじめによって命を失う 子どものニュースが後を絶たない。これらの報 道を見る限りでは,これまで数々の研究や実践 があるものの,有効に活用できていない現状が あり,これといった改善策が見つからないので ある。いじめ論を語るときに,よく言われる言 葉は,「いじめは昔からあった」「いじめはどこ にでもある」である。これまではそんな問題視 されていなかったものが問題とされ,大きな社 会問題化まで発展している。いじめで子どもの 命が失われる度に,教員を追い詰め,学校や教 育委員会のあり方を問う問題へと発展している。 いじめが学校教育の中で問題視されてきたの は,1980 年代からである。「校内暴力」の沈静 化が見られるようになる頃から,子どもの間に 起こる問題の中に「校内暴力」とは違う新たな 課題が出てくる。新たな気づきというのは,暴 力まではいかない「悪質ないたずら・嫌がら せ」である。京都市教育研究所 (1983) が行っ た調査によると,「悪質いたずら・嫌がらせ」 の項目の報告数は急激な増加が見られる。そし て,この時期からマスコミ報道の中にもいじめ に関する報道が増えていき,その結果,国会で の審議の場で「いじめ」についての話題が上 がってくる。そして,1986 年に一気に社会問 題化へとたどっていくのである。1986 年 2 月 に東京都中野区の中学 2 年生男子が自殺した, いわゆる「鹿川君事件」である。この事件では, いじめが自殺の原因であったことが,遺書に よって明確になった。さらに,事件の経緯が明 らかになる中で,いじめ加害者らによる被害者 の「葬式ごっこ」が行われ,その色紙に教師 4 名も署名していたことが明らかになる。それを 受けて,マスコミ報道は,教師の対応を問題に 取り上げ,加熱していく。この当時のいじめの 認識は,悪質ないたずらや嫌がらせのような暴 力行為ではくくれない行為と捉えられ,暴力や 非行とはまた違った新たな問題として「いじ め」を捉えられていた。これまでもいじめは身

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近な存在であったが,社会問題となることに よって,いじめに対する認識に変化をもたらし ている。そのことを森田 (2010) は,特定の現 象が社会問題となり,用語として確立すると, 私たちの認識や反応まで変更を迫ることになる。 「決して健全なものではない」が,人間の社会 ならば「どこにでもあるもの」としてこれまで 認識されてきたいじめを「人間として許すこと ができないもの」へと読み替える「変換コー ド」が確立したと指摘している。これまでグレ イゾーンに存在していたいじめが,明確に 「悪」とされるのであった。 それから 40 年近く時間が過ぎている。いじ めに関して多くの研究が積み上げられてきた。 それらの研究からいじめについて多くの知見を 得ることができる。しかしながら,学校教育に おいて,いじめの事例報告は後を絶たないし, いじめによって精神的に厳しい状況におかれて いる子どもは今もたくさん存在する。学校生活 において安全で安心の学校作りは,もっとも基 本の部分である。学校での人間関係において, 傷つき,苦しみ,その結果,命を失うというこ とだけは,二度と起こってはいけない。そのた めにも,いじめについて学習を深め,いじめと 向き合えるような学校を作っていく必要がある。 本研究では,いじめの定義や特性について触 れながら,そのいじめが持つ曖昧さについて言 及したい。いじめは人間関係の間に起こる現象 であるから,子どもたちの日々の行動を観察す ることにより,子どもたちの関係性について考 察し,いじめの根幹へのアプローチを目的とす るものである。 2.問 題 の 所 在 文部科学省は,いじめを「当該児童生徒が, 一定の人間関係のある者から,心理的・物理的 な攻撃を受けたことにより,精神的な苦痛を感 じているもの」と定義している。いじめは,い じめられた人が精神的な苦痛を感じたとき成立 する。どのような行為であっても,被害者の主 観性によって決まるのである。主観性というこ とは,いじめ被害者の受け止め方の程度に委ね られる。しかも,いじめ行為には,からかいや 意地悪とされる軽い行為から,暴力や恐喝のよ うな行為まで含まれるように,幅を持つもので ある。その幅が,受け取り手によって認識の違 いが生まれる。その違いによって,起こってい る現象の解釈を現実とは違うものと捉えてしま うのである。ある行為はいじめとされ,ある行 為はいじめではないということである。現在の 定義は,主役はいじめ被害者の受け取り方であ り,周囲の人がいじめらしい行為を見たときに, 周囲の人がその行為をいじめだと確信を持って 言えない。それは,教師にとっても同じで,子 どもの間に起こっている関係性の中にいじめが 存在しているかを見取ることは難しい。それ故 に教師の立場であっても,その行為をいじめと 思うかどうかは,教師の認識による異なりを見 せる。子どもの世界の中において,どこまでを いじめと捉え,どこまでをいじめと捉えないの かが,状況によるものが大きく,いじめとされ る行為の境界線が曖昧であるということである。 そのことは教師や周囲の子どもたちの対応を難 しくしている原因となっている。 いじめの構造においてもっとも知られている のは,「いじめ集団の 4 層構造論」である (森 田・清永 1986)。4 層構造論によれば,いじめ は,被害者,加害者,観衆,傍観者の 4 つの層 から構成される。いじめの行為を発見した場合, 「加害者」「被害者」の関係に目がいきやすい。 しかし,その周囲に存在する「観衆」と「傍観 者」は,いじめを助長し,または抑止する重要 な要素を含んでいる。いじめの質や量を決める のは,加害者はもちろんであるが,同時に「観 衆」や「傍観者」の関わりに大きな影響がある。 しかしながら,その構造は,状況によって変化 を見せる。その理由は,子どもたちの人間関係 の築き方にある。子どもたちは,スマホなどに 代表される情報機器等で常につながりやすい時 代である。それは,つながる人とつながらない 人の差を生みだすこととなり,人間関係を築い ていく上で,お互いの距離感を保つのが難しい と思われる。また,明確な理由はなくとも,遊 びやいじめのそれは,構造は流動的あり場面に 応じて立場に変化を与える。 これまでの研究では,4 構造のそれぞれの役 割の特性に焦点をあてたものが多く見られた。

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それらの研究は,学級という集団を見たときに いじめが起こる可能性の強い部分を表しており, 参考になる部分もあった。また,これまでの人 権学習の成果と考えてよい。しかしながら,こ れまで仲良く遊んでいたグループの中で,ある 日を境にいじめ−いじめられの関係が作りあげ られる場合もある。子どもたちの関係性の中で, その子どもの特性に関係なく,面白半分や冗談 の中で作りあげられるいじめの構造にこそいじ めの本質があるのであろう。仲の良いグループ だからこそ,そのグループの行為がいじめであ ると明確に断言しにくいものである。それは, 「ふざけ文化」を背景に,子どもたちの中でから かいや意地悪のような軽度の行為の積み重ねが, やがて深刻ないじめの事例と成り得るからであ る。時代の変化とともに子どもたちの世界の中 で,「ふ ざ け 文 化」を 作 り,「ノ リ」「KY」に 代表されるように,半ば強制的にその場の空気 を固定し,場の雰囲気がいじめそのものへと支 配されるのである。このような場の雰囲気こそ が,いじめの構図であり,その構造は状況依存 されている。いじめの構造を見取るには,子ど もたちの関係性に焦点を当て,日常の子どもた ちの様子から見取る必要があると考えた。 3.研究の方向性 いじめは被害者の主観で決まるため,いじめ と判断するのは難しく,その境界線は曖昧であ る。それ故にその様相を捉えていくことは大変 難しい。しかしながら,いじめは子どもたちの 世界の中で起こっている。子どもたちの関係性 の中から生み出される病理といってよい。森田 (2010) の調査によると,いじめが起きる友人 の関係は,「よく遊ぶ友だち」や「ときどき話 す友だち」の中で起こるケースが多く,両者を 併せると 8 割に達するという報告をしている。 このことから,いじめは親密性が高い関係に生 まれやすいことになる。それ故に,どこの学校 でも,どの子どもの間でも起こりえるものであ り,いじめの芽は,どの子どもの間でも持ち合 わせていることになる。2011 年の大津いじめ 自殺事件においても,それまで友人関係にあっ た集団の中で起こった出来事からも,このこと が言える。また,いじめには,ふざけやからか い,冗談から,明らかに刑法に触れる暴行,傷 害まで幅広いものがある。どんな社会でも,能 力の違いや経験や知識の差,人気度,集団にお いての役割の違いがあり,それらが力のアンバ ランスを生んでいる。日常に広がっている社会 生活では,広い意味での力のアンバランスが日 常的発生している領域であり,乱用がなければ, それ自体はいじめではない。しかし,その領域 で行われている行為が,乱用することで被害の 度合いが強まり,その度合いは濃くなり,黒い 領域へと近づいていくのである。つまり,いじ めは,児童が日常生活を営んでいる中で,日常 生活の延長上にあり,その生起は,私的責任領 域において,力のアンバランスを乱用すること である。そこで,森田 (2010) は,いじめの対 策の焦点は,現代社会に生きる人々の意識や行 動,関係の取り方へ当てることが必要であろう と指摘している。 いじめの現象を捉えようとしたとき,その定 義や特徴は曖昧なものである。しかし,いじめ 加害者の特性やいじめ被害者の特性などの要因 分析的に解釈していくことも大切なことでもあ るが,そうなると現象そのものから自分を遠ざ けることになり,現象そのものの中に意味付与 されている構造や意味を捉えることが困難に なってくる。現象そのものの中へ自分の身を置 き,現象そのものを明確化し,行動の意味を理 解し,構造を解釈していくことが必要になるの である。そして,その現象を私たちが理解しよ うとする際に,理解できうるようになるのは日 常世界というコンテクストの中にだけに存在す るのである。 そこで,教室で繰り広げられている「生」の 出来事からそれぞれの子どもの行動を捉えてい くことが重要であろう。外側からの目でいじめ につながる行動を捉えるのではなく,自然状況 下における子どもの内側にあるものを観察して いくことで,いじめに繋がる要素を明らかにし ていけるであろう。そこで,子どもの様相や関 係性などを詳細に記述していく客観主義的エス ノグラフィーが好ましいと考えている。教室空 間において子どもの間に繰り広げられる事実を 客観的に捉えていくで,子どもの世界を理解し

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ていけると考えている。 4.研究調査の概要 調査を行う学級として,小学生の方が日常の 「生」の世界を捉えやすい。そこで,滋賀県の 南部に位置し,中規模の小学校に依頼し観察し た。この学校は,昔からの住宅が並ぶ地域だが, 新興住宅も増えつつ,どちらも混在する地域で ある。教育政策研究所・文部科学省 (2006) の 調査から,「いじめられた子の割合は小学校の ほうが中学校に比べて高い」ことが明らかに なっている。また,学年が進むに連れ,徐々に 減少していくことがわかる (図 1)。 そこで 5 年生に焦点を当てて研究をした。5 年生は,社会性が少し育ちつつも,まだまだ人 間関係が未熟な段階である。また,思春期特有 の恥ずかしさを感じる子どもも少ない。そこで, 小学 5 年生を対象にして,給食の準備の時間を 観察することにした。 5.観 察 記 録 観察は,教室全般に記録をしている。時間帯 は,4 時間目が終わった給食の準備の時間帯を 選んだ。その理由は,給食準備の時は,決めら れた仕事がある児童もいれば,そうでない児童 もいる。いろいろな立場の児童が入り乱れる時 間帯であり,児童の行動も違った様子が見られ るであろう。 給食準備をしながら,A が,B の肩に腕を 回しながら,C に話す。B は,ナフキンを 机の上に置こうとするが,C が手で払う。 そのために机から落ちてしまう。落ちたナ フキンを A が拾う。C が B に対してデコ ピンをするように B の頭を指で小突く。 児童観察記録 1 児童観察記録 1 では,ナフキンを机に上に広 げ,給食の準備をしている場面である。B と C は隣の席であり,距離が近い。お互いに準備を しているが,C が B のナフキンを指ではじき とばし,ちょっかいをかけている。その行動に 対して C は嫌がるようなそぶりは見せずに, その位のちょっかいは許容しているように受け 止められる。 D が,E に対して,空手の正拳突きのよう な格好でゆっくりとパンチを当てる動作を とる。E は特に反応もしない。D が体を回 転させ,黒板の方に向きを変えて一回転を すると,D は E に銃を撃つ真似をする。E はそれを受けて,撃たれた真似をする。何 度から D が撃つ真似をし,E も撃つ真似 をする。D は倒れる真似をする。 児童観察記録 2 D と E はお互いに遊んでいる雰囲気を出し ており,対等な関係にある。 F が自分の椅子に座っている。隣に立って いて話をしている G の後ろから H がやっ てきて,後ろから抱きつくように手を回す。 F が G の手を引っ張り,H も後ろから G の手を引っ張り合っている。 児童観察記録 3 国立教育政策研究所・文部科学省編『平成 17 年度教育改革 国際シンポジウム「子どもを問題行動に向かわせないために 〜いじめに関する追跡調査と国際比較を踏まえて〜」報告 書』より 図 1 被害経験の学年進行による推移:(7 学年分・男女) いじめ被害:仲間はずれ・無視・陰口:週に 1〜2 回

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児童観察記録 3 では,友人関係にある児童が 後ろから抱きついている場面である。これは 身体的接触であり,それを通して友人関係を表 現している。身体的接触により,友人を肌で感 じ,友人関係にあると無意識の中で確認をして いる。 給食を班の体制で食べるので,机の形を相 談している。H が,机の形を I に指示を出 してから給食の準備に行く。H が去った 後,I は,机の向きを 1 つ変える。その後, J におもむろに背中に抱きつく。すぐに離 れ,机の向きを変える。隣の列に移動し, 机の向きを変えるが,前の A が座ってい ると,じゃまになるので, I「ちょっとどいてよ」といって A の肩を 押す。 A「無理。」 A は,ノートや教科書の整理をしている。 I が机を半分方向け,J の方に向いて「な んなん!」と言い合っている。 そんな様子を見た A は,「そんなん,知る か!」とおどけながら言う。A が立ち上 がったので,I は机の向きを変え,机をそ ろえている。 児童観察記録 4 児童観察記録 4 では,給食を食べる机の体制 にしている時に起こった出来事である。ここで 見られるような出来事は,机を給食の体制にし たい児童と自分の荷物を整理したいために 「今」は机を動かしたくない児童との衝突であ る。このように見られる衝突は,集団生活を送 る上で必ず起こることである。 給食当番の K が L に声をかける。 K「ご飯入れ」 L「違うし」 K「L やし」 L「なんで」 K「L やし」 といって給食当番の確認をしている。 V「今日は水曜日やで。何言っての?」 L「勝手に言わんといて。」 K は給食当番を確認し,K の誤解と分かる。 児童観察記録 5 児童観察記録 5 では,K は,L が給食当番だ と思い込んでいたために起こった出来事である。 いくら分担を決めていても,忘れていることも あるし,勘違いをして覚えてしまうこともある。 この事例では,生活をみんなで分担をしていく 中では,お互いに自分の役割を果たしていくこ ととできない時にいかにして支え合っていくの かが重要であろう。お互いに生活をきちんとし ていこうとするものの,必ずしも良い方向に進 むとは限らないものである。誤解や認識不足な どから失敗することもある。それこそが社会で の軋轢であり,お互いに上手く役割を果たして いくために衝突も必要なことであろう。 M は,N の後ろから首に手を回し,「こい つがどうなってもいいのか」と言う。N は特に抵抗することもない。 M「こいつがどうなってもいいのか」 M「こいつがどうなってもいいのか」 M「こいつがどうなってもいいのか」 M は急に N を離し,壁の方に向かう。O と P が「やめろ」といって近づいてくる。 O は,N を守るような体制をとり,P は M と N との間に入る。M は,P の背中を 向かせ,後ろから P の首に腕を回し,首 を絞めるような体制をとる。その後,N と O は,M の腕をとり,はがすような行 動をとる。同時に M は座り込んでしまい, M と P は座り込んだ状態となる。上から O と N は見ている。O は何とか手を出し ているものの,N は見ているだけである。 そのうち,M が N に対して銃で撃つ真似 をする。N は撃たれた真似をして,その 後その場を立ち去る。O は,P のちょっか いをかけ始める。そこで,P は O の腕を とり,同じように寝転んでしまう。M は P を押さえ込み,P は O を押さえ込んで いる状態がしばらく続く。しばらくすると, M が立ち上がり,その場を去るが P と O

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はそのまま寝転んでお互いがおさえ合いを している。 児童観察記録 6 児童観察記録 6 では,M が N に対して後ろ から抱きつき,力ずくでおさえている。この光 景は,給食の準備の時間の間に何度も見られた。 その場面で共通していることは,N は,M に 対して後ろから捕まえられてもほとんど抵抗し ていないことである。O と P が途中から登場 し,途中から 4 人での遊びとなるが,この場面 でも N は積極的な行為には至っていない。ま た,M と O,P に間に寝技をかけ合いながら ふざけている場面もあった。 6.考 察 (1) 身体的接触との関わり ① からかいの身体的接触 児童観察記録 1 では,児童たちのからかう場 面が見られた。これは,この記録だけではなく, 他にも多くの場面で見られる。具体的なからか う行為として,相手の身体をつつく,からかう 言葉を発する,相手の持ち物をつつくなどが あった。これらは,教室空間において物理的に, 時間的に,空間的に限られた空間であるから, その中で,児童たちなりの時間の過ごし方であ る。その過ごし方の中に,相手をからかって遊 んでいる様子が見られた。児童観察記録 2 に出 てくる D と E は対等の関係にあるとは感じら れる。しかし,児童観察記録 6 に出てくる M と N は,N が抵抗の程度を見ると,ほとんど 抵抗しているとは思えない。それは M と N が 抵抗の関係性を表しており,対応な関係でない と思われる。 ところで,森田の調査 (2001) では,被害者 と加害者のつきあい方の中で,日頃から「よく 遊んだり,話したりする」グループの「仲間」 同士にいじめ関係が多く存在していることを明 らかにしている。いじめが起こる場合は,プロ レス技がかけられる相手であり,常に一緒に遊 ぶ存在の方がよいわけである。児童観察記録 2 に見られるように対等と見られる関係において も安心はできない。いじめの関係にあるとき, その立場は流動的である。一見,いじめの関係 ではないと思っていても,関係性は変化する可 能性があり,それぞれの立場に変化が見られる こともある。深刻ないじめでは,結果的に,こ のお互いの関係を見誤っている。教師が,対等 な関係だと思い込んでいるのである。深刻ない じめにつながるのは,この対等だと思っていた 関係の中で生まれる少しのズレなのである。こ のズレが修正できずに,いじめへとつながって 行くことが,危険なのである。 ② 居場所を確認する身体的接触 児童観察記録 3 では,背中に乗りかかる行為, 手をつなぐ行為,肩に手を回し抱きつく行為に ついて焦点を当てたものである。これらの行為 は,仲間としての絆の確認であり,安心を求め る気持ちの表れである。城 (2010) は,教室空 間は子どもにとって「生活の場」であると述べ ており,教室空間の中でお互いの居場所を作り 上げながら共に生活をしているのである。居場 所を作るためには,友人関係というものが重要 であり,友人との距離感によってそれは成り 立っている。そこで,児童たちにとって精神的 な不安やストレスなどから身を守るために友人 の存在を感じることで教室内での安心感を得る のである。身体的接触を求めることで仲間の存 在を意識し,それが教室の中で自分の居場所を 確認しているのである。 (2) 子どもの関係性に潜むもの ① 生活上の軋轢 学校生活を送る中で,認識不足から生じる誤 解や無責任な言動,身勝手な行為など生活の中 で軋轢となる出来事を児童たちは経験をする姿 が見られた。今回の観察の中では,ある児童は 児童が給食当番だと思い込んでいたために起 こった出来事があった。生活をみんなで分担を していく中で,お互いの自分の役割を果たして いくことと,できない時にいかにして支え合っ ていくのかが重要であろう。お互いに生活をき ちんとしていこうとするものの,必ずしも良い 方向に進むとは限らない。社会を営んでいく上 で起こる社会での軋轢は必ず起こるものである。 そこから,生まれてくるいじめもある。

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② 児童が生きる教室空間 教室には,多くの子どもたちが存在する。彼 ら一人ひとりに自分の世界が存在し,それぞれ の世界が交わりあっている様子が確認された。 児童たちにお互いに関わり合いを持ちながら生 活をしている。その関わり合いこそが,社会性 を身に付けることに繋がっている。しかし,子 どもたちの個性が,課題となって表れる場合も ある。児童たちは,その課題を表に出しながら, お互いに衝突しながら生きているのである。そ れは,現代社会が持っている時代背景やその家 庭にある課題,その個人が持つ発達課題等,さ まざまなものが影響している。そして,教室空 間には,児童の世界にある課題を複雑に絡ませ ながら存在している (図 2)。 ③ 教室内のカースト 児童の行動を観察する中で,体を使っての関 わりが多く見られた。その中でも,体の大きな 児童が,体の小さな児童に対して,後ろから首 に手を回し,プロレス技のような形で遊んでい る様子が観察された。体の小さな児童は,特に 抵抗することなく,無反応であった。無反応の 背景には,児童の気持ちが表れている。いじめ られた子どもに中で,「気にしないふりをする」 と「何もしない」というケースがある。この無 反応ということから,体格差による関係性が読 み取れる。体格の大きな児童も小さな児童もど ちらも同じ小学生であり,同じように遊びたい 気持ちを持っている。しかし,教室の中のよう な空間的にも物理的にも時間的に限られた空間 では,行動範囲が狭い。その限られた空間の中 で,体格差は彼らの行動に影響している。体格 の差は,教室内でのカーストにおける位置に影 響している。もちろん,その児童の特性にも影 響しているが,人間関係の築き方に影響を与え ているのである。 (3) 児童・生徒の関係性について 児童の関係性は,それぞれの世界のぶつかり 合いの中で作られていく。それは,人が関係を 持った時に,生まれるものである。児童がそれ ぞれの関係の中で,行っている行為の中で,他 者が見て,いじめととれる行為を『グレーアク ション』と呼ぶことにする。『グレーアクショ ン』は,被害者が苦痛にまで思わないが,他者 から見れば,苦痛である行為のことである。こ のような『グレーアクション』は,日常生活の 中において子どもたちの中で多く繰り広げられ ていて,それが積み重なることによって,いじ めの関係性を作りあげていくのである。『グ レーアクション』は,状況に応じて,時間軸に 関係なくいじめという形で子どもたちの関係の 間に姿を現すのである。 児童の観察と比較し,中学校の生徒の実態に ついて述べる。小学生とは違い,中学生の時期 は,大人と子どもの境目であり,精神的にも不 安定になる時期である。また,部活や友だちな ど集団をより意識する時期でもある。より人間 関係が複雑になり,いじめの構図も複雑となっ てくる。小学生と比べると,学年が上がるにつ れて『グレーアクション』は少なくなっていく。 なぜなら,中学 3 年生ともなると,精神的な落 ち着きをみせ始め,仲間との関係も落ち着いて くる。安定はするものの,いじめが起こる時は, より深刻なものとなっている。 (4) 子どもと教師の関係性 今回の研究では,児童を中心に見てきた。し かしながら,子どもの関係性を考える中で,教 師の関わりは重要である。子どもたちは,経験 が少なく社会性が乏しいことから,それを補う 形で橋渡しをしているのが教師の関わりである。 子どもたちにとって,教師の関わり方が見本と なり,子どもたちの人間関係の結び方に影響し ている。川嶋の研究にもあるように,子どもの 行動を肯定的に捉えるのと,否定的に捉えるの とでは大きく違う。教師の否定的な態度が, 「キレる」子どもを育てて,さらに「キレる」 図 2 教室内における児童の世界

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子どもを作っているように,子どもたちの行為 に対する教師の態度が,今後の子どもたちの関 係の中に影響をもたらすのである。そういう意 味では,教師が子どもたちの間に入り,どのよ うにつなぎ合わせていくかが重要である。教師 は,子どもの関係の変化を的確に捉えるように していきたいものである。いや,むしろ,子ど もの関係の変化をよりよい関係が築けるような 変化へとしていきたいものである。よりよい関 係というのは,教室の中で,それぞれの個性が 認められつつも,安心して過ごせる空間となる ようにお互いに関わりあう関係である。それを コーディネートするのが,教師の役割であり, 学級担任の面白さであろう。 7.最 後 に 今回の研究から,子どもの関係性に注目をし たときに,教室の中では子どもたちの世界が重 なり合いながら,お互いに関わりあいながら生 活をしていることが明らかになった。そして, お互いの関わりの中で,いじめともとれるし, いじめともとれないような行為を『グレーアク ション』として注目した。『グレーアクション』 は,人間関係を築いていく中でお互いの距離感 を学ぶために必要なことであり,子どもたちの 社会性の育成において有効である。小学生時期 においては,『グレーアクション』は多く見ら れ,経験を通してお互いの関わり方を学ぶので ある。しかし,このような『グレーアクショ ン』は,悪い結果としていじめをもたらすこと になる。現代を生きる子どもたちは,学校での 価値観が一様ではなくなってしまったこと,ま た,相手との関係を築いていくための手段が増 えたことなどによってお互いの関係性を築き, 維持していくことが難しくなってしまっている。 子どもたちの関係性の変化に注目をしていくこ と,そして,そこから子どもたちの視点に立っ て見ていくことが重要である。 子どもたちのそれぞれの個性が発揮される瞬 間がいくつも確認できた。教室には 40 人いれ ば,40 人の個性が連続して同時多発的に発揮 され,それらが入り交じって学級の空気感を作 り出す場所である。それは,教室の中が一様で ないことを示している。教室にいる子どもたち は,学校での顔,家庭での顔,塾などでの習い 事での顔,それぞれの場所によって,見せてい る顔は違う。教室内で見せている顔は,ほんの 一部分である。教室は,そんないろいろな課題 を抱えた児童たちの集まりである。いじめをさ せない取り組みは,一人ひとりが学級に「居場 所」があり,充実した学校生活を送ることがで きれば,いじめは減っていくのである。どの児 童生徒にとっても学校や学級が安心・安全な場 所になる「居場所づくり」,すべての児童生徒 が活躍でき認められる機会が提供される「絆づ くり」からいじめは減るであろう。いじめは人 間関係に潜む病理である。しかし,すべての人 間関係が病理に犯されているわけはないし,い じめという関係にならず,よい関係を結んでい ることの方が多い。学校教育で重要なことは, 互いに顔を合わせて,生きた関係を作り上げて いくことである。どれだけ情報が発達しようと も,直接顔を合わせ,共通の体験をしていくこ とは子どもの発達にとって,とても重要なこと である。 参考文献 伊藤美奈子 (2011)「関係性の病理といじめ」現代 エスプリ 川嶋稔彦 (2001)「子どもの「キレる」意味世界へ の現象学的接近 ― 生きられる居場所への闘争 ―」滋賀大学大学院教育学研究科紀要 北澤毅・古賀正義 (2008)「質的調査方法を学ぶ人 のために」世界思想社 清永賢二 (2013)「いじめの深層を科学する」ミネ ルヴァ書房 柴山真琴 (2006)「子どもエスノグラフィー入門 技法の基礎から活用まで」新曜社 城京子 (2010)「教室の学校臨床社会学的考察 ― 生徒が生き合う空間の視点から ―」滋賀大学 大学院教育学研究科紀要 竹川郁雄 (2006)「いじめ現象の再検討 ― 日常社 会規範と集団の視点 ―」法律文化社 森田洋司 (1985)「いじめ集団の構造に関する社会 的研究」大阪市立大学社会学研究室 森田洋司・清永賢二 (1994)「いじめ ― 教室の病 い ―」金子書房 森 田 洋 司・滝 充・秦 政 春・星 野 周 弘・岩 井 彌 一 (1999)「日本のいじめ」金子書房 森田洋司 (2010)「いじめとは何か」中央公論新社

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