ドーマン法による訓練を受けている脳障児の一事例研究 : 発病後12年間に亘る発達記録の分析
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(2) 目. 次. 第4章 運動プログラム各種目の発達過程の縦断的分析……………57 第1節高ばい・腹ばい・ランニングマラソン57. 第1章 研究の目的と方法・……・…………… …・……・……・1. 第2節 ランニング・高ばい・腹ばい全力疾走 62. 第1節研究の目的 1 第2節 ドーマン法について2. 第3節 その他のプログラム67. 第3節研究の経過 6. 第5章 訓練プログラム以外の運動に関する能力の発達過程の概要…・・74. 第4節 研究の方法 7. 第1節発病後3ヵ月 74. 第5節対象児のプロフィール8. 第2節小学校1・2年生78 第3節小学校3・4年生80 第4節小学校5・6年生83 第5節中学校時代86. 第2章 両親の障害児療教育観…・………・……・…………・…12 第1節障害児療教育の現状認識12 第2節 ドーマン法に対する両親の評価15. 第3節治療についての両親の決意17. 第6章 前章各項目の発達過程の縦断的分析…………・…・…・・…92. 第4節学校生活19. 第1節 粗大運動各項目 92. 第5節 訓練に対する基本的な考え方 24. 第2節微細運動各項目 100 第3節 日常生活動作各項目 108. 第3章 訓練プログラムの内容と実施の過程…・……………・・…・27. 第1節第1回目プログラム27 第2節第2回目プログラム28. 第7章 書字能力獲得に至る発達過程の縦断的分析………………115. 第3節第3回目プログラム31 第4節第4回目プログラム33 第5節第5回目プログラム36 第6節第1回目ハネムーン39 第7節第6回目プログラム40 第8節第7回目プログラム43 第9節第8回目プログラム46. 第2節 充実期 117. 第1節準備期115. 第8章 考察及び今後の課題… ……・・………・・……・………131 第1節 訓練の効果について 131. 第2節両親の障害児に対する治療、教育観について132 第3節訓練の結果と治療、教育のあり方についての考察133 第4節 今後の課題 137. 第10節 第9回目プログラム47 第11節 第10回目プログラム50. 引用文献、参考文献……・…・………・……・・…………・…・139. 第12節 第2回目ハネムーン 52. 謝辞・・……・……・…・… …………・・……・……・・…・…・148. 第13節 第11回目プログラム53.
(3) 第1章 研究の目的と方法. の障害がどのように改善されたのか、あるいは改善されなかったのかを縦断 的に解明することを第一の目的とする。さらに、この訓練を続けながら普通 学級に通い続けた本児を養育するなかで両親が築きあげた、治療と教育にっ ) いての考え方を分析することによって、今後の障害児の治療、教育のあり方. 第1節 研究の目的. について考察することを第二の目的とする。. 脳障害児の治療法である「ドーマン法」についての研究は数多くなされて. 具体的には、. きたものの、一般マスコミの肯定的評価とは逆に、学術雑誌に発表された論. (1)記録の中から、両親が障害児に対する治療・教育についての考え方を述. 文のほとんどは、この治療法の有効性に疑問を投げかけるものであったω一. べた部分を拾いだし、それを分析すること。. (9}。 しかし、Doman自身は、「我々に批判の目を向けたグループの中で実際. ② 与えられたプログラムのうち、運動プログラムのみについて、実施の過. に、われわれの協会に来てどういう治療をやっているのかをみた人はだれも. 程を追って行くことによってその効果を明らかにすること。. おりません。どういうことをやっているかということを知らせてくれた人も. (3)プログラムとして実施した種目以外の、運動に関する能力の発達過程を. 一人もおりません。ですから事実上彼等は私どもがやっていることを何も知. 明らかにし、それが訓練プログラムの実施結果とどのように関係しているか. らないわけです。こういう批判を受けるということは、つまりかなり進んだ. を分析すること。. ことをやっている者にとってさけられないことであります。」(10) と証言. (4)病後全く文字の書けなかった三児が、書字能力を獲得するに至るまでの. している。従って、今までになされた実験研究の方法が、訓練プログラムの. 過程を明らかにすること1. 内容・実施方法・実験の期間等が妥当であったかどうかの疑問は依然として. などを通して上記の目的を達成することとする。. 残るのではないかと考える。そのような反省の上に立って行なわれたのでは ないかと考えられるのだが、D. N. MacKAY(1986)らは、この治療法を支える理. 論をめぐる論争にはかかわりたくないとしたうえで、北アイルランドで「ド. 第2節 ドーマン法について. ーマン法」による治療を行なっている35人の脳障害児のfollow−up study を発表した(11)。 この研究では、研究者は治療効果については壊疑的なの. 「ドーマン法」は、1950年代から60年代のアメリカにおいて、リハビリテ. だが、両親は29組は効果があったと思っており、5組だけが何の効果もな. ーション学に基礎を置きっっ、Cruickshank, Kephart, Getman, Barsch,. かったと思っていると、その問題点を指摘している。日本における研究で筆. Frostigらperceptual−motor theoristsの理論の流れの中にあって、はじめ. 者の目にとまったのは、佐藤(1978)が学校の授業に2年間とりいれて、L定. Doman−Delacato theoryと呼ばれ、理学療法士であった Doman, G.と、教育. の効果が認められたという研究のみである(12)。. 心理学者であったDelacato, C.が共同で打ち立てた理論であると言われてい. そこで本研究は、「ドーマン法」によって10年近く訓練を行なっている. る。 ところが、この理論が生まれるもとになったのはDomanの師とも言うべ. 一人の子供とその両親が、自分たちの歩んで来た長い道を、膨大かっ詳細に. き,著名な脳外科医であったFay, T.の構築した理論であったことから、「フェ. 記載し続けた、その貴重な記録を材料として、この訓練法によってこの子供. イの方法」と呼ばれることもある。(13)(14). 一1一. 一2一.
(4) この理論の中心概念となるものは、neurological organization(神経学 的組織化)と名付けられている。それによると、人間の中枢神経系の機能は 大きく分けると、視覚、聴覚、触覚に関係する感覚系と、移動、言語、手の 機能に関係する運動系に分けることができる。そして、感覚系は入力のみ、 運動系は出力のみの一方通行であり、正常な脳ではこれらが一連のループと なって機能しているが、脳に障害が起こるとこの一連の搬能に欠陥が生じる. わけである。その欠陥を治療するための目安として考案されたのが、以下の Developmental Profile(発達プロフィール)というものである(表1−1)。. このプロフィールでは、recapitulation theory(反復発生説)を応用し ていて、感覚系、運動系の各機能の発達は、脊髄・延髄→橋→中脳→大脳皮 質という順に発達する脳の発達段階に対応しているとした上で、それぞれの 機能の発達段階を7つに分けて表わしている。この中で最もよく知られてい るのは、移動運動の発達の仕方である。つまり、. ①移動はできないが、手足を動かす時期。これは延髄の働きであり、魚類と 同じ。. ②腹ばいの時期。脳橋めもつ能力で、サンショウウオやカエルなどの両棲類 がそれにあたる。. ③高ばいの時期。中脳がっかさどる能力で、トカゲやワニなどの爬虫類、四. 表1−1 神群醗達診断プロフィール価m・n・D・lacat。による). ‘幼児翼発臼会,1964よウ) 獺また腱動(e〈二と) 館またIM.k’(読む二と). 鵬雑・鎚・鋤・・舐・・手囎・D覗撫・暁闇巖ド・鵬・ポ 上 36ヵ月 優勢な大脳 完全な語# 優勢な大脳 眼を使っ 完全な語 手を用い “. 平均72ヵ月. x滞96ヵ月. 大. ス均46ヵ月 x滞67ヵ月. 賃. 完全な交互パターン5二. 2,000話を. ヨう. p. 謔髟熏sとかけ足. 上 13ヵ月. 上肢のバラ. °マ28ヵ月 x滞45ヵ月. 塔Xから解. 烽ツ短い文. 両手を使うが、一方の. ゙. 標示や麗. 墲フ個別. ヘ. 閧ェ早牛で. 10−25の誘. 両側の同時 覚 似ている. F識 もつ. 冾ウれた歩. s. 葉と正し. て字を読. Iな皮質性 フ対立. て物体を. 「文章を. 立. ョいて理. ス知し物. 立 フを正し. ュ知る. 2.000語. 駐覚によ. ニ簡単な. a カ章を理. ずる. ⋮. 7. ヘの構成. 体愴. 上 22ヵ月. 半球の支配により書くために手を. と正しい文. ¥成される I幽幽のあ 驩コ肢の使. 体視. 脳皮. 職. 一. 半球により. 10帽25茎吾. ェ異なる W示の区. F. 上 8ヵ月. 上肢を肩の. 2緬ヌ:を話. ス均16ヵ月. bウまたは. サれ以上に 棟繧オ,バ. キ. x海26ヵ月. 宴塔Xをと 閧ネがらの. 両手におけ. 幅枯‘二よ. 髞邇ソ性の. 髓P緯な. ホ立. ハ行きの. 2距:文を. 揄. 中脳. 翼. 意味のある. 図形の中の. ス均Sヵ月. 「て遣う交 ン四這いの. つかむため. ケ戸を発す. ノ手を握る. Iかい都分 識別. x瀞13ヵ月. ・橋. 竰ク期. American Academy for Cerebral Palsyをはじめ7っの権威あるとされる専. 似ている. 、にみえ. 門家組織が、障害児にこの治療法を使うことに反対するOfficial Statement を発表するに至った(15)。 ところが、それに対して反論した原稿を掲載し. なかったとして、以後Domanらは自ら進んでは学界との接触を持たなくなり 論争は急速に衰えていった。この間の経過については、Ha l l ahan, D. P. and Cru ickshank,W. M.(1973)(16)や、 Cratty, B. J.(1974、1975)(17)(18》、 1、ynn,. 意味のあ引 識別刺滋の ケを旧き分1. ッ・ 1. 広がり最も有名なものとなった。しかし、その理論に対しては多くの理論家. @・. 1. 手と膝をつ. この理論と治療法は、1950年代末から60年代にかけてまたたく間に全米に が賛否両論を発表した。 そして、論争が高まっているさなかの1968年に、. 髟ィが立 狽ナある アとを独 oで知る. F知. 上 4ヵ月. というように説明されている。. 平面のよ. する. 熏s. 大脳皮質の働きのおかげである。. 阨ィ惇を. する. 一. ④∼⑦つかまり歩き、歩行の時期。これは人間においてのみ高度に発達した. 囀ハする. ェ異なる 烽フを鍾 チて区別. 理蝉す. ハ. 一足獣がもつ。. エ知. w曲糠肇艶騨量靴略欝麦1山霊. Il些下時欝騨繍繍欽く販腱キ. R.(1979)(t9》らが詳細に論じている。今日のアメリカでは、 Nonstandard Therapiesの1っに数えられ(20)、 日本においては、斉藤(1978)(2 1)、小 笠原(1979)(22}、佐本(1981)(23》らの肯定的評価がある一方、武田(1987)の. 「人道上問題がある」{24}、上田(1983、1988)の「非科学的で、有害」との 批判(25)(26}、阿部(1983)の、 「ドーマン理論については往々にして、そ. 一3一. 一4一.
(5) の評価が両極端に分かれるきらいがあるが、どの理論によらず私たちにとっ. 人間能力開発研究所(1988)(37}らが論文や翻訳によって紹介している。ま. て大切なことは、やみくもに盲信することでもいたずらに反発することでも. た、その治療法による体験を内容とした親向けの書物も次々と出版されてい. なく、その理論の積極的な要素から虚心に学ぶ態度であろう」(27)という中. る(38)一(53)。それに、Do皿anのもう1つの研究所であるThe Evans Thomas. 間的な評価がある。. Institute(エバン・トーマス研究所)が、新たに幼児の早期教育に取り組. そのようないろいろな評価に対して、Domanの研究所のスタッフで医師で. んだことに対して、石井(1977)(54)、田中(1978)(55)、窪田(1983)(56)(57). あった(故人)LeWinn(1969)は、 Ric㎞ond(1967)の「われわれはすべてを. (58)、三石 (1988)(59)らが関心を示して、それぞれの著書で日本に紹介し. 知り尽くしているわけではないゆえ、何も提起しないのがよいと言う者がい. たりしている。. る。しかし、彼らは、肝油にビタミンDが含まれていることを生化学者が明 らかにし得ていないからという理由で、肝油をくる病の予防に用いようとし なかった昔の小児科医のようなものである」(28)という言葉を引用して皮肉. 第3節 研究の経過. っている。さらに、Domanの研究所のジャパンオフィスを開設している佐本 (1981)は、「データや数字がやたらと並べられると、一見科学的な根拠があ. 筆者が初めて「ドーマン法」という治療法のことを知ったのは、Doman,(し. りそうに、人は安易に数字の魔術に幻惑され易いものであるが、障害児の治. の著書「親こそ最良の医師」であった。以後、この治療法に対する関心が日. っていく過程が脳の中の出来ごとである以上、直接的なデータを手に入れる. 毎に高まっていった。しかし、調べていくうちに、新聞、テレビをはじめマ. ためには脳を切り開く以外に方法は無さそうだし、そんな事が不可能だとす. スコミでは治療の効果を大きく取り上げているが、学術書にはほとんどその. れば、間接的な方法で脳力・ら数字を抽出するほどには科学そのものが発達し. 名が現われず、現われても、前述のように「非科学的」、「有害」、「ペテ. ていないのだとも云い得よう」(29)と述べている。. ン」などの非難の言葉ばかりであることが分かった。また、筆者の勤務する. 多くの専門家の批判にもかかわらず、 Domanらの研究所である The. 養護学校においても、知らないという教師が多く、知っていても、ある教師. Institutes For The Achievement Of Human Potencial(人間能力開発研究. は治療法の一部を取り上げて「残酷だ」と言い出す始末であった。筆者にと. 所、以下IAHP)には、世界各国から多数の脳障害児が回復の望みを託し. っては、このことは大変不可思議な現象に思えた。そこで、血液型不適合に. て訪れており、その数は無視できないほどである。また、その治療法による. より脳性マヒになった自分の子供をドーマン法で治療している、近所の産婦. 成果を新聞をはじめ多くのマスコミがとりあげて評価している。さらに、重. 人科医師を訪ねて体験話を聞いたが、その話の内容は、多くの点でドーマン. 度障害児の治療に対する一定の成果は批判者側も認めているところである。. 法を非難している専門家の言うことと大きく食い違うものであった。また、. 現在、日本では、神戸市で小児歯科医院を開業している佐本 進氏が、ボラ. 学校ぐるみでドーマン法の理念を取り入れて教育している学校としては、お. ンティアとしてジャパンオフィスを開設して、IAHPとの連絡を担当して. そらく唯一の学校ではないかと考えられる、「芦屋市立みどり学級」を訪問. おり、同時にさまざまな啓蒙活動をしている。 研究の分野においては、林. して話を聞いたり、実際にIAHPで1年余り研修を積んでこられた、埼玉. (1971)(30)、武田(1973)(3D、幼児開発協会(1974)(32)、 久富(1980). 県の大学院生A氏にも会って疑問に答えてもらったりもした。. (33}、阿部(1981)(34)、つくも幼児教室(1983){35)、小笠原(1984)(36)、. そのような準備の後、初めは研究のテーマを、「ドーマン法による訓練を. 一5一. 一6一.
(6) 実施した親の意識調査と訓練の実態調査」ということに決めて、61項目に わたる質問紙の他、いろいろな調査用紙を作成してみた。そうして、3歳の ときの発熱で、「痙攣重責症の後遺症による四肢マヒ」となった、尼崎市の. Mちゃん、 Pierre−Robin Syndrome(ピエール・ロバン症候群)という病 気をもって生まれ、呼吸困難と痙攣発作を繰り返す、下松市のMちゃん、新 生児仮死のため脳性マヒとなった、芦屋市のA君などの家を訪ねて行き、そ れぞれ約2時間ほど訓練についての話を聞かせてもらった。しかし訓練の内 容と子供の変化のことを、ほんの2時間では全て聞き出すことは不可能であ ったし、何度も訪問するわけにもいかず困ってしまった。そのような時に、. 上記の医師に紹介してもらい、T市のS家を訪問することになった。結局、 その訪問がきっかけになって、それまでの研究方法を改め、新たに事例研究. 究に値することがらが非常に多くあった。それをうまく引き出せるかどうか 分からないが、研究材料にしたい、と申し出た所、幸いにも承諾を得ること ができた。従って、本研究ではSさん夫妻が書かれた成長記録を主として、 それに母親の手による手記(60)、筆者が作成したアンケートへの回答、夫妻. から直接聞いた話、M学院高校の担任の先生から聞いた話、 Y君の9年間の 通知票などを参考にして分析を行なうことにした。しかし、分析を行なうた めに残された期間が少なかったために、中学校卒業以後の分にはあまりふれ. ることができなかった。また、Y君の成長と訓練のかかわりについて、全て の側面から分析することも時間的に不可能であったために、本研究では、両. 親の障害児の治療、教育に対する考え方と、Y君の運動能力の発達過程、及 び書字能力の発達過程のみを取り上げることにした。. に取り組んでいくことになった。. 第5節対象児のプロフィール. 第4節研究の方法 1.①氏名一S.Y.(男) ②生年月日一1970(昭和45)年11月8日 Sさん夫妻は、どちらも法曹関係の仕事をされながら、5歳の時に発病し. ③家族一両親と、4歳下の妹の4人④現在、私立M学院高等学校2年. て重度の障害をもってしまった長男のY君を元のように回復させたいとの一. 生. 念から、ドーマン法による訓練を始められ、Y君が9歳の時から今日(17 歳)までずっと親子で訓練を続けられている。訓練のノルマがあるからとい. II.生育歴. うわけで、訪問するのはたいてい土曜日の午後10時以後であったが、いつ. ①5歳時、年の暮れに母親の実家に帰省中、高熱を発する。. も遅くまで話を聞かせていただけた。Sさん夫妻は、子供が発病した時から. ②1週間後には、言葉を失い、自立歩行もできなくなり、失禁状態に陥. 今日までほとんどとぎれることなく成長の記録を書き続けておられ、その総. つた。手先に食物を持たせてもポトンと落としてしまう。. べージ数は、中学校3年生までのものだけでも6000ページにもなってい. ③帰省先の小児科医は、「原因が分からない。心因性のもので、一種の. た。ドーマン法による訓練を続けることだけでも大変なことなのに、その上. ヒステリー状態としか考えられない。」との診断をする。. 詳細な記録を書き続けるには想像を絶する苦労があったと推測できる。記録. ④居住地の小児神経科医は、「心因性では説明できない。インフルエン. の中には一部行方不明になっているものもあったが、そっくり貸していただ. ザピールスによる脳炎後遺症の可能性がある。」との診断をする。その. けた。それを読むことだけで5ヵ月近くかかってしまったが、その中には研. 病院にしばらく入院する。. 一7一. 一8一.
(7) ⑤5ヵ月後、岩手医大の衝撃療法による治療を受けたが、効果はなかっ. 13.ランニングマラソン 4800m. た。そして、この時期には歩けるようになっていたものの、著しく多動. 14.その他、腹筋、背筋、腕立て伏せ、肩・首まわし、敏捷性を養う. であった。. 運動. ⑥T市立1小学校の1年生普通学級に入学。2人担任のクラスに編入さ れる。. ②社会性. ⑦2年生では、特定の教科について専任の教師がっく。. 身辺処理は問題なし。家族やお客にコーヒーをわかして接待できる。. ⑧3年生の4月から、ドーマン法による訓練を始める。. 簡単な買物やお使いができる。長い留守番ができる。音楽会などでの鑑. ⑨中学校1年春1学期の3ヵ月ほどをアメリカの研究所の附属学校で過. 賞態度もよい。. ごす。. ⑩中学校卒業後1年間導入の後、M学院高等学校に2ヵ月の見学を認め. ③言語能力. られ、以後見学期間の延長が認められて今日に至る。. よく話すが、その場にあった会話がしにくく、話題が次々に移る。語 彙は豊富であり、自分の好きな阪急電車や阪急プレーブスのことについ. 皿.現在の様子. ては博識である。毎日のできごとを振り返り、本児がロ慨したものを日. ①現在行なっている運動プログラム. 記の1つとして母親がそのまま書きとめている。. 以下の種目を毎日行なっているが、達成度については第3章を参照の こと。. ④微細運動と書字能力. 1.なわとび 200回×3. 手指の巧緻性に欠け、紙を二つ折りにしたり、はさみで曲線を切るこ. 2。プレキェーシヨン(brachiation、うんてい) 5往復×6. となどは苦手である。そのため、文字も小学校の間はほとんど書けなか. 3.バッティング又はボール投げ. ったが、猛練習の結果何とか書けるようになり、今では毎日、自分の手. 4.ボールけり(ラグビーけり). で日記を書き、また祖母宛に短文を添えた絵はがきを投函している。. 5.バレーボールの基本 6.ハードル 3本(高さ95c皿)×5試行. ⑤問題解決能力. 7.高ばいマラソン 3200m. 本塩の学習に関する最大の問題点として、文字や文章を黙読では理解. 8.前転 40m 9.後転 40m. できているようであるが、音読することが大変困難であることがあげら れる。また、テストのときに問題を見て解答を書いたり、問題を耳で聞. 10.平均台 前後5往復. いて答を言ったり書いたりすることはできない。しかし、不思議なこと. 11.テニスの基本. に、問題を与えて黙読させ、その内容についての問題を出し、答の選択. 12.腹ばいマラソン 800m. 肢をいくつか並べてやると100%近い正答率を出すことができる。これ. 一9一. 一10一.
(8) は、高校においても「Reader」や「世界史」の試験で実証されている。. 第2章 両親の障害児に対する治療、教育観について. ⑥その他の問題点 注意の集中ができにくく、自分のまわりに見慣れない物があったり人. 第1節 障害児に対する治療、教育の現状認識. がいるとすぐに気をとられる。また、視覚の問題があるようで、物を見 るときに継続して焦点を合わせられない。だから、物をとるときに、対. (1)専門家批判. 象物から目をそらして触覚をたよりにして取ることがよくあったり、人. 本児の両親は、第一に自分達の体験から医師、心理学者、障害児教育関係. と話をするときに相手の顔をジッと見つめることができない。さらに、. の学者などいわゆる専門家に対して根深い不信感を持っている。. 空間感覚が悪く、例えばテニスボールを打つとき、技術の稚拙さによる. 中でも医師に対する批判は辛辣である。その例として、元競馬の騎手として. とは考えられない問題として、あらぬ方向ヘボールを打とうとすること. 有名であった福永洋一氏が落馬事故で重傷を負った際、医師が「危篤状態。. がある。また、「○○を△△の上に置きなさい」というような、位置関. 瞳孔散大。早撮反射なし。角膜反射、左眼にわずか、右眼はまったくなし。. 係語の含まれた指示を聞いてもその通りにできないことがある。. 自発呼吸わずか。頭蓋底骨折の可能性あり。舌は3分の2が切れていたが縫 合手術を行なった。脳障害に対しては慎重に対処していきたい。治っても植 物状態の人間になる可能性あり。」と診断した(51}にもかかわらず、ドーマ. ン法による訓練によって自力で歩けるようになるまで回復したという事実を. 挙げている。福永氏の失人もアメリカに行く前にY君の訓練を見学したのだ が、見学に来た他の多くの人達も、口を揃えたように医師の批判をしたよう. である。例えば、Y君が小5の時であるが、ある子供は、ある一流大学医学 部のその道では高名な教授に、「この子は軽い自閉症ですよ」と診断された だけで、何ら治療法を教えてもらえなかったということがあった。また、当. 時25才になる肢体不自由の弟がいるという人が、弟はそれまで腹ばいがで きていたのに、体中十割ヵ所も手術されてからは、全く身動きできなくなっ てしまったと話した。両親はそのような話を聞く度に憤慨するのであるが、 特に後者については、何らかの診断に基づいて治療を行ない、結果として、. 持っていた機能まで失わせるとなると、犯罪行為に等しいのではないかと考 えている。. さらに、医師は響動をおさえるためにとすぐ薬を与えようとするが、ある. 時、施設に収容された多動な子が薬のために一日中ポーッとしている姿を見. 一11一. 一12一.
(9) て、これはおかしいと感じ、以後、Y君にも薬をすすめられたことがあるが. が両親の考えである。そういうわけで、言葉の使い方を1っのバロメーター. 断っている。. として、専門家といわれる人が精薄とか自閉症という言葉を平気で使ってい. そんなわけで、今の日本では、障害を克服する方法を見つけられずに苦し. るのを聞くと、もう信用しないことにしているのだという。. んでいる家族が大変多いのではないかと考え、そのような人達の参考になれ. (3)多くの親の意識の低さ. ばという願いで、Y君の訓練に関するテレビ局や新聞社の取材にも応じてい. 第三の点は、障害児を持つ多くの親の治療、教育についての意識の低さに. る。その結果多くの人達から反響があったが、その人達の訴えによると、医. 対する嘆きである。この原因として、脳の発達についての研究があまり進ん. 師にドーマン法のことを聞いても何も教えてくれないとか、それでなくても. でいないことや、専門家のアドバイスの不十分さ、世間の目などを挙げてい. 有効な治療法があれば教えてほしいと言っても教えてもらえなかったという. る。両親は、学校で他の親と話をしていて、多くの親が、学校側と対等もし. ことであった。そのために、Y君が小5の時、母親は新聞に、「医師はもっ. くはそれ以上にやらねばならないのに、学校側に頼りすぎていると感じる。. と謙虚になれ」という一文を投稿して訴えた。両親は、今でも筆者のアンケ. また、どの子も専門機関の指導を受けているのだろうが、自分の子供はその. ートに「謙虚であるかどうかがよい医者の第一条件である。」という回答を. 体系的な指導の中のどの部分をやっていて、それは次にどのような段階にな. 寄せている。. っていくのかという見通しがあるのだろうかと疑問を持つ。その親たちのう. (2)診断名への疑問. ちの何人かは、Y君の訓練を見学し、しばらくは同じようにやったらしいが. 第二の点は、障害児につけられる診断名に対する疑問である。まず、「自. どうも続けている様子はないので、自分の子供の持っている障害の深刻さに. 閉症」という言葉は、自閉ではなく、混乱していて何をどうしてよいか分か. 対する認識が低いのではないかと心配する。. らないために何もしない子なのに、まるでそんな自分の世界に閉じこもって. (4)学校教育の問題. いるかのような錯覚を与えるので、むしろ状況判断混乱児とか、状況判断不. 最後は、学校教育についてである。まず障害児が学校に通うのに、養護学. 可能児と言うべきであると考えている。. 校か普通学校かの選択しかできないことに対する疑問がある。Y君が小2の. 「精神薄弱」という言葉も同じで、自分の子供を見ていると、知能は劣っ. 時、初め普通学校に通っていたある子がそこになじめず、養護学校に転校し. ているかもしれないが、大変豊かな感情の起伏を表現できるのに、人がこの. たが、それではレベルが低すぎたという話を聞いて、丁度その中間のものが. 言葉を聞くと感情面でも劣っているような印象を持つのではないかというわ. あればいいのにと思ったわけである。’Y君が小3の時、クラスにいたある子. けである。またこれに関連して、Y君はある大学の教授から「情緒障害」と. (健常児)が他の学校に転校したが、その親の話では、そのクラスでは障害. 診断されたことがあるが、Y君は感情的な面ではかなり早くから成長してい. 児がまわりの子からバカにされていて、前の学校との違いに驚いたという。. たので両親はその診断を全く信用していない。さらに、Y君は「知恵遅れ」. その話を聞いて、そういう学校こそが障害児の置かれている標準的な学校で. とも言われたが、この子はある日を境に突然何もかもなくしたので、どうせ. はないかと考えている。そして、普通学校に通う障害児は、身体的な面より. 言うなら「知恵失い」とでも言うべきであろうと考えている。. も知的な面に問題を持っている子が多いわけだが、それにもかかわらず、知. 従って、「脳障害児」という言葉だけで十分であって、「情緒障害児」、. 的な面の成長を促すためのものが何もなされていないのではないかという疑. 「自閉症児」、「知恵遅れ」や「精薄児」という言葉は正しくないというの. 一13一. 問を持っている。それは、Y君の訓練を経験することによって、知的な面の. 一14一.
(10) 成長なしに、社会的な面や情緒的な面の成長はないということを、両親は実. 慮にも納得した。Y君が小6になると、1っの訓練を毎日やってそれができ. 感したからである。. るようになるだけでなく、訓練していないことが、半年後の再診のときに上 達していることがあり、それがこの訓練法の素晴らしさだと感じたこともあ る。. 第2節 ドーマン法に対する両親の評価. そして、この訓練を9年近くやった時点で、「ドーマン法のよいと思う点 を書いて下さい」とのアンケートをお願いしたところ、次のような答が返っ てきた。. (1)納得と信頼 両親が初めてドーマン法を知ったのは、Y君が小1の夏、読売新聞の「な. ①理論が明確で納得できること。. ぜ日本ではドーマン法が行なわれないのか」との要旨の投書を読んだことに. ②脳障害でも治る、治そうという基本的精神。. よるらしく、以後「親こそ最良の医師」を熟読してその理論に感動したり、. ③治療として徹底していること。. 東京の支部を訪問したりしながら、Y君にこの訓練を行なう決心をする。. ④基本的理論に変化はないが、具体的治療の方法は日進月歩していること。. 訓練を始めてから、最初にドーマン法を現実に信頼できると感じたのは、. (2)知的学習の重要性. まだ二ヵ月しかたっていないのにY君の足どりがしつかりしてきたことに気. ドーマン法の知的プログラムの1つにBOI(Bit of Information)、 PO. づいたことである。その次は、初め1秒間もぶら下がることができなかった. I(Program of Intelligence)や読みカードがあるが、これらがY君の知的. うんていが、三ヵ月ほどの訓練の結果、下り勾配のついたところを渡ること. 発達に及ぼした影響ははかり知れないものがあるというのが両親の実感であ. ができるまでになったことである。このことによって、不可能と思われるこ. る。. とでも可能になるということを、親子で身をもって知るわけである。両親に. これまでに、相撲、オリンピック、世界の山、鍋の種類、新聞のできるま. とっては、このことはドーマン法の訓練を続けて行く上での原点となるでき. で、道路標識、美術(ミレー、コロー、ピカソ、棟方志功、ゴッホ、アンリ. ごとであった。さらに、知性のプログラムをどんどん行なうことによって、. ・ルソー、モネ・・… )、世界の旗、自動車:の種類、日本の都道府県、. Y君の精神生活が目に見えて豊かになって行ったことで、ますますドーマン. 県庁所在地、タバコ、馬の種類など、いろんなカードを作ってY君に見せて. 法への信頼を深めていった。. きた。その総数は実に7000枚にのぼるという。このカードを見ることに. その他、Y君が小3の時、訓練の見学に連れられて来た障害児に腹ばいを. よって、Y君はそれを現実のものにあてはめていき、さまざまなものに興味. やってもらうと、ドーマンの理論の通りやはり全く形をなさないことを知っ. を示し、生活の世界を広げていったのである。. て、その理論に確信をもったこともある。また、ある時には、ドーマンが、. ところで、これは知識をつめこんで記憶させることに目的があるのではな. 「Aちゃんは○○のことができるようになった。 何故できるようになった. くて、開発されていない脳細胞を目覚めさせることが目的であり、それがう. か。それは、まず両親が、Aちゃんは○○がきっとできるようになると信じ. まくいくと知性面の成長だけでなく、日常生活の細かなところにもいい成果. たからだ。」と言ったことに賛同できた。さらに、訓練をするときには、常. をもたらすというのである。初めの頃、学校の先生に「そんなに沢山の情報. に精神的な満足を得ることができるようなご褒美を考えて与えなさいとの配. を送ったら、自発的に興味をもっことがなくなるのではないか」と言われた. 一15一. 一16一.
(11) り・知識偏重だと批判されたりしたが、Y君の現実の成長がその答えである. なわち、Y君の訓練をめぐって出会った、障害児はもう治る見込みはないと. と主張する。また、ある先生が善意で、「もっと身の回りことをやったらど. 諦めきっている親達に希望を与えてあげたいということや、Y君の回復を心. うか」と言ったことに対して、カードによって多くのことを知ることが、靴. から応援してくれている学校の先生をはじめ両親の親戚、知人、友人、近所. をはいたり、ボタンをはめたり、その他身の回りのことをうまくできるよう. の人達の善意に応えるためでもあった。. になることの基礎であることを理解してほしいと答えている。. (3)信頼と不安. (2)訓練と学校との両立 Y君をよくするためのことであればどんな苦労も厭わないという両親は、. 両親はドーマン法を100パーセント信頼する気持で訓練しているが、実際. 自らは状況判断できないY君に代って、学校に対してさまざまなことを要求. には・毎日のちょっとした子供の成長が、①自然の成長によるのか、②毎日. していく。訓練と学校での学習を両立させてやりたいがために、学校の行き. の繰り返しによる成長なのか、③学校生活のおかげなのか、④ドーマン法に. 帰りに自転車を使用することの許可を願い出たり、授業は午前中だけにした. よる治療の成果なのか、⑤それら全部によるのかと、自らに問うこともあっ. り、あるときは、親が学校に出向いて別室でY君の訓練をしたりする。しか. たようである。また、運動面でのすばらしい改善を見るにつけ、知的な面で. し、これらの行動に対してはさまざまな批判があったようである。その度に. もきっと普通の子と同じようになれるだろうと思いながらも、仮にそのよう. 両親は考えこみ、その人達の考えに反論を試みる。教師の中には、「どうせ. にうまくいかなくても、毎日頑張っているY君の気力は将来の彼を支えるに. 障害児を一度は担任しなければならないのなら、早いうちに」という人がい. 違いないと考えている。. るのが現実である。ところが、最終的に子供の責任を負い、極端な場合は一. ドーマン法による訓練を続けるには、体力、経済力、人手などいろいろな. 生を賭して子供の成長を願っているのは親だから、その親の意見を無視して. 条件が必要で、そのために訓練を始められない子供がたくさんいることが一. 障害児の問題を議論されては困る、というのが両親の基本的な考えである。. 番残念であるというのが両親の心境である。. 両親の本心は、とにかくY君をみんなに追いっかしてやることであって、も ろもろの議論はそのあとでゆっくりしたいということであった。. (3)母親の転職. 第3節 治療についての両親の決意. Y君が病気になってからは、問題行動のために語気荒くしかったりたたい たりすることが多かった父親も、訓練が軌道にのりY君にも落ち着きが見え. (1)絶対に諦めない. てくると、それまで苦痛であったY君の訓練が楽しいと思うこともできるよ. 両親は・ドーマン法を知ってからは、「親こそ最良の医師」を理論的な支. うになった。しかしY君の訓練のためには、子供が寝てからも毎日3時間ほ. えにして・絶対に諦める必要はない、あの元気でかしこい元のYがきっと帰. どかけてカードをつくらなければならないし、そのあと自分達の仕事もする. ってくるという確信を持つことができたという。そして、親戚の家に行くた. ので、睡眠時間が3∼4時間という日が何日も続いた。そのため、Y君が小. びに、Y君がいとこ達に無視されたり馬鹿にされたりしているのを見て、必. 4の時、一時父親が体調をこわしたことがあった。両親のどちらかが完全に. ず元通りによくしてやらねばと決意を新たにするのであった。また、厳しい. ダウンしてしまうとY君の訓練ができなくなるし、そんなことになると、ど. 訓練を続けるのは・ただ単にY君をよくするためだけではないのである。す. んなことがあってもY君を心身ともに健康な子にしてやりたいという願いが. 一17一. 一18一.
(12) かなえられなくなるので、そのことをきっかけにして、母親はもっと子供に. でいくことができた。その結果、例えば小2の時、学習発表会でのY君の演. かかわる時間のとれる職場に転職することを決心した。. 技を見ては、毎日まわりの子らから多くの刺激を受け、吸収しながら成長し. ていることを実感した。また小3の時、訓練を始めて間もなく足首を骨折し. (4)孤独なたたかい 訓練を始めてから4年半ほどたった、Y君が中1のある日、以下のような. たが、朝の行進の時びっこをひきながらでもみんなの後ろをついて歩いてい. 親の心境が記されている。「私たちのYとの“たたかい”は、ある意味では. る姿を見て、親は、クラスの一員としてのY君の連帯の気持を読み取るので. 非常に孤独なたたかいです。目標はあっても、それに到達するのに大変なエ. あった。学校が気に入っているからこそ、何かの事情で学校へ行けない日が. ネルギーが必要です。正直なところその目標に到達できるかどうか分かりま. 続くともう表情が乏しくなるのであった。そんな時には、親や大人はY君に. せん。エネルギーを費やしても、その目標に到達できるという保障はありま. 知識を与えられても、豊かな生活を与えたり、社会生活上のルールを身につ. せん。それでもひたすらその目標に向って、親と子で頑張るしかないわけで. けさせることができないことを肌で感じる。従って両親は、Y君がただ単に. す。他の誰もしないようなことを、親と子だけでやってゆくしかないわけで. 普通学校で学べて恵まれているというだけでなくて、複数担任制の下で日本. す。そのような意味で非常に孤独なたたかいだといえるわけです。そんな私. 一の教育を受けているのではないかと思うのである。だからその教育環境は. たちを支えてくれる一番のものは、何といっても子の成長です。つらい訓練. 守らなければならないし、それに批判的な人には説得しなければならないと. だと思いながらここまで続けて来られたのは、Yがたえず私たちに示してく. 決心するのである。. れた成長でした。やればこれだけのものができるのだということを見せてく. 学校生活のよさについてもう一つ見逃すことができないことは、腹ばい、. れたからこそ、これまで続いてきたのですが、次に私たちを支えてくれるの. 高ばい、ランニングなどの訓練をしていて、疲れてタイムが落ちたときにク. は、周囲の入々の理解です。周囲の人々が、私たちのやっていることの意味. ラスの子らがちょっと声援すると、そのタイムがグッと上がることである。. を分かってくれるということです。その理解という中には、何をやっている. このことから、Y君は同じ世代の子らと生活することによって訓練の活力を. かわかるということだけでなく、その結果を共に喜んでくれるということが. 得ていると両親は考えた。. 含まれています。つまり、訓練をやり、その結果Yがどのように変ってきた かを感じてくれるということです・… 以下、略」。. (2)脳障害の治療が第一 Y君が午前中だけで帰ってしまったり、行事に参加したりしなかったり、 親が学校へ出かけて教えたりすることに教師間に議論があることについて、 両親は以下のように答えている。『. 第4節 学校生活. Y君は脳障害の治療中である。これは、心臓が悪くて治療中の子供や、ネ フローゼで長期入院中の子供と基本的には同じである。それではなぜ学校へ. (1)学校生活のよさ. やるのかというと、どんな病気の子供でも医学的な治療だけでよくなるわけ. 小学校に入学し、普通学級で学ぶことになったY君であるが、入学当初は. ではなく、その子の病気を克服したいという気持や、みんなと一緒に勉強し. さまざまな問題行動を持っていた。しかし担任の先生の献身的とも言える努. たり遊びたいという気持が病気をよくする鍵となることがあるからである。. 力や両親の熱意によって、しだいに落ち着きを取り戻しクラスにもとけこん. Y君の治療の柱はIAHPからもらった訓練プログラムであるが、それを支. 一19一. 一20一.
(13) え、より効果的なものするために学校へ通っている。これは心臓病の子が1. もある。しかし、親にとって最も嬉しいことは、Y君がクラスの中でのけも. 日数時間だけ子供達に交じって勉強しているのと同じことである。将来なん. のにされるのではなく、何らかの意味で存在感があり、責任を持たされるこ. とか完全に学校へ行けるようにと、毎日朝から晩まで訓練に頑張っている。. とであった。それが実際に実現できたのは、小2の終りから、小3にかけて. そのために、今の時点で何が一番効果的であり、何を選択し、何を犠牲にし. であったという。その時のクラスでは、Y君が班長に立候補し、これを許容. なければならないかはいつも考えている。それを進学塾に通うために早退す. したり、またある時にはY君を班員として取り合いしたりする雰囲気があっ. る子と同じだというのはおかしいと思う。また、Y君の知的プログラムに対. た。両親はその時代のことを、「統合教育の偉大なる成果を示す例」だと評. する批判に対して、脳障害の子の治療と学校教育は根本的に違っていると考. 価して、学年が変るごとに、その時の実践を多くの人に知ってもらいたいと. えており、読みのカードや絵カードは教育的な見地からは疑問があるかもし. いう希望を記している。. れないが、脳障害のY君には効果があり、必要不可欠なものであるとしてい. (4)両親の願い. る。すなわち治療としてやっていることを、教育的観点から批判されても批. ①トラブルの増加. 判にならないと反論する。. 学年が上がるとともにクラスでのトラブルが多くなる。小学校の間は言葉. そして、「1人の子供が病気を完全に克服していく過程において、有益な. だけで馬鹿にされたり、からかわれるだけのことであったが、中学校になっ. ことは沢山あると思います。しかし、時間と体力に限りがある以上、最も優. てからは、プロレスと称して乱暴されたり、弁当にお茶をかけられたり、体. 先すべきことと、有益ではあるが、今優先的にやらなくてもよいものとを区. 操服や水筒を隠されたり、仲間はずれにされて誰一人声をかけてくれないな. 別せざるをえないと思います。そして、それが脳障害であるからといって、. どの被害を受けることが増えていくのであった。そして、そのようなことが. 他の病気とことさら区別する必要はないと思います。」と、述べている。. ある度にY君も授業中に騒ぎ、隣の子にちょっかいをかけ、時には女生徒に 乱暴をするのであった。このようなトラブルが起こるたびに親は悲しい気持. (3)統合教育の成果 両親にとっては、何よりもY君の成長を願って普通小学校に入学させたの. になった。Y君にとって何より大切なことは、立派な子として扱われること. であるが、それだけでは先生方やクラスの子供達に負担を与えるだけではな. であって、その反対にみんなに馬鹿にされた結果、自分が何もできない子だ. いかという心配があった。どんな形でもよいから、どんなささいなことでも. という気持を持ってしまうと、克服できる障害も克服できなくなるわけで㍉. よいからY君が役に立つことはないかと思っていた。そんな時、Y君が小3. 両親にとってはそのことが最も心配であった。. の時であるが、ある先生から、Y君と一緒の組になってから見違えるばかり. ②トラブルの原因. の成長をとげた子がいると聞いて、両親は願いがかなったと喜ぶのである。. そのようなトラブルがある度に、記録ノートに自分たちの願いを切々と記. また、同級生のある親が、自分の子とY君とのかかわりを「いい経験」にな. してきた。まず、クラスの中でY君に落ち着きがなくなるのは、家庭で厳し. り、「豊かな心」を育んでくれたと喜んでいる事実も知らされた。さらに、. い訓練をやっていて気持の安らぐ時がないということに加えて、授業中に自. 小4になると、ある親が、「うちの子はYちゃんの隣にお願いしてすわらせ. 分の参加できる場面がなかったり、友達から馬鹿にされた時であるとして、. てもらっている。子供のいとこにも障害児がいるが、Yちゃんとしばらく一. なんとか授業中に発表する場面を作ってほしいという願いを出した。また、. 緒に生活しただけで、いとこに対する態度が暖かくなった。」と言った事実. Y君を馬鹿にするような子は家庭や学校で何か満たされないものがあり、そ. 一21一. 一22一.
(14) れを自分より弱い子に対するいじめという形で現わしているのだろうから、. かは、すぐにY君への態度や、Y君自身の態度に影響するからである。実際. その子たちが存在感を持てるようなクラスにしてあげてほしいとの希望を述. に、学校生活を楽しいと思っていない子や、何か精神的に満たされていない. べてきた。. 子は、不思議なほどY君とはいい関係にはなっていないのであった。. ③対策. ⑤個人の尊重. またY君とのよい人間関係を持っている子は、Y君が毎日訓練でどれほど. そこで両親は、子供が家庭で個人として大事にされていなければ、自分よ. 頑張っていて、どのような成長をしているかをよく知っている子だとして、. り弱点のある人を大事にすることはできないし、また、自分自身の弱点に対. 先生や回りの子らに訓練をしているY君の姿をよく見て欲しいし、Y君の持. して他人からいたわりを受けたことのない生徒が、他人の弱点に対していた. っている能力をもう少し信じてもらいたいと訴えるのであった。障害児に対 する見方を変えるのは、障害者問題一般について教科書で勉強したり、その 子の問題行動をいつもクラスの議題にして話し合うことではなく、ハンディ はあるがものすごく頑張っている子だということを肌で感じることである、. というのが両親の持論である。いわば、障害児を頭だけでで考える対象にし てほしくないわけで、「理屈ではなくて感覚で、評価ではなくて生の事実で. Yと接してほしい」のである。. わりの心を持つことはできないと言う。結局、障害を持つ生徒がどれだけ大 切にされているかということは、障害を持たない子供がどれだけ大切にされ ているかということと同じだと主張する。だから、両親の友人の中には、Y 君のために何かできることはないかと申し出る人もいるのだが、両親は、そ んな気持ちがあるのなら、どうぞご自分の子供さんやその周囲の子供達が、. 愛情豊かでのびのびと育つように大事に育ててあげて下さいとお願いするの だという。. ④教育のあり方 両親は、Y君の通う学校の教育内容についてもきびしく批判することがあ った。例えば、小学校時代にある先生が児童を馬車馬のようにひっぱりまわ し、クラスの半分以上の子が500mも泳げるようになったと自慢したが、5◎O. 第5節 訓練に対する基本的な考え方. m泳げなかった子供達が半分近くもいるということに対する配慮がなかった ことがその1っである。水泳だけではなく、速く算数ができることや、沢山. このことに関する意見が述べられたのは、Y君が小3の時、梅谷明子さん. の漢字を覚えることなども、重点的に取り組まれているようであるが、そん. という障害児者に対する差別撤廃の運動をしている人の講演を聞いた直後で. なことは学校でなくてもできるし、むしろ、子供達はこれからかなり長い間. ある。両親の記録によれば、梅谷さんは、「障害児はそのまま社会が受け入. 否応なしに追い込まれていくわけで、そこが今の学校教育の大きな問題のは. れるべきであって、障害児だから受け入れられないとする社会は差別の社会. ずなのに、そのことに全く気づいていないというわけである。そのような教. であり、変るべきは障害児ではなく社会であり、社会が変れば障害児は障害. 育がなされるところでは、Y君のような子は、のけものにされるしかないわ. 児ではなくなる。」という趣旨の主張をした。. けである。また中学校に入ってからも、両親は体罰に頼ることの誤りや、生. (1)障害児はよくなるべきである. 徒の自主性や自立性を育てることの大切さについて意見を述べるが、それら. この意見に対する反論の第一は、障害児は少しでもよくなるべきだし、よ. は一般的に中学校がどうあるべきかを考えるためではなかった。生徒達がど. くなることがその子にとって幸せであるはずだということである。両親は、. のような学校生活を送っており、クラスやクラブでどのように生活している. 一23一. 障害児は不幸だと考えている。目が見えないホりは見えたほうがよいし、耳. 一24一.
(15) が聞こえないよりは聞こえたほうがいいし、字が読めないよりも読めた方が. 服することがどんなに大事かということを、別の面から考えてみよう。例え. いいわけで、親はそのためにはあらゆる努力を惜しまない。そして、一時的. ば、自力で動けない子は、社会が変っても自力で動けるわけではないから、. には、子供にとって過酷とも思える生活を強いることもある。目が見えない. やはり自力で動きたいと思い続けるはずであろう。そして、その展望が開け. 人はきっと目が見えたらよいと思っているであろうし、歩けない子も歩きた. なければ、子供を道連れに心中する親はなくならないだろう。反対に、社会. いという気持を持っているはずである。それが人間の自然な感情である。そ. が変らなくても、子供が自力で動けるようになる展望が開ければ、親は生き. のような向上心があるからこそ科学が進歩してきた、というわけである。. る希望をもつのである。. (2)学校だけがすべてではない. (4)能力は高いほどよい. 反論の第二は、梅谷さんの、誰もが普通学校へ行っているのだから、障害. 第四は、「能力は高いほどよい」ということである。この言葉はそれだけ. 児もその学校へ行くべきだし、それを許さないのは差別だという意見に対し. とりあげればよく誤解されるが、知的なものだけではなくて情的なものも含. てなされる。両親は、学校へ行くというのは現在の子供の普通の生活だとい. めて、少しでも能力が高いということはその子の人生を豊かにするというこ. うことは認めるし、過去の歴史の中で比べてもよいことだと考えられるが、. とである。もちろん世のなかには、有り余る能力を誤って使う人もいれば、. それがすべての子にとって当たり前だというのはおかしいという。登校拒否. 素晴らしい形で発揮する人もいるであろうが、仮に誤って使い、結果として. の子の治療に対する考え方の中に、学校だけが唯一絶対のものと考えずにて. その能力を持っていたことが不幸であったとしても、 「能力は低いほどよ. 学校に行きたくないのならその時間を自分の考える時間にしたり、いろいろ. い」とは言えないであろう、というわけである。. なものに使えばいいではないかという考え方があることがそのいい例である. (5)結論. という。また、Y君が完全な形ではないが学校に行っているのは、「成長」. 結論として、障害児はよくならなくてもよいという思想を支えにした運動. ということが原点にあるからであり、梅谷さんのように、ただ単にみんなが. は、「障害児がよくなることはない」という非科学的見地からくる運動であ. そうしているからというだけで行っているわけではない、と述べている。. るし、なによりも親や障害聖者の願いを無視した運動であると思えてならな. (3)社会の目を変える力. い、と述べている。. 反論の第三は、障害児自身の障害を克服しようとする努力なしに、社会の 目を変えることは無理だということである。障害児やその親だけが苦しむ社 会であってはならず、その人たちを社会がもっと受け入れるように変ってい かなければならないことは言うまでもないことであるが、問題は社会を変え る力はどこから生まれるかである。「社会よかわれ」ということだけで変る. のなら、とつくの昔に変っているはずである。実際、Y君のまわりの子供や 親の考えが変ったのは、Y君がつらい訓練を頑張り、また両親が頑張ってい るからである。ただ障害者と接し、障害者と触れ合うことだけで、障害者と 連帯の気持がおこるなどというのは甘い考えだというわけである。障害を克. 一25一. 一26一.
(16) 3.栄養のプログラム. 第3章訓練プログラムの内容と実施の過程. ①ビタミン剤の服用 ビタミンC、ビタミンBコンプレックス、ビタミンA(肝油). ②水分摂取の制限③砂糖の摂取を禁止④蛋白質を多くとること. 第1節第1回目プログラム 1979年/小学校3年生4月∼7月. 1.運動プログラム実施の経過 1.訓練プログラム ① 高ばい. 1.運動のプログラム. 4月18日 24日. ①パターニング 1日 6回 1回は5分間. わ れた. むり. .わ. な︶︶︶一一 きヌミノ. 行mmmmm mmmmm O で0000 0OOOOO 階00000 5000∩︶0 段60444。 .144922 2 たーー11 な 1 2 2⋮2. よ. ⋮行. な. .で m. う︵︵︵︵︵⋮れ 一. の m. 次 Om. 、 00.階回回回回回0. て回回回00. く ●●・●●●. じ8531 一8 段004330 応×××++ な32 4 う× にmmmm m××××十 状0000 “0 よmmmmmm の 500000 実0000 0 次6 20000 の2484. 達●●.●●. 旧. ⋮腹 ⋮④. 2.知性のプログラム. 成 11・ 、 1348. 目. ③高 ば い. ばい. 5月半3日. 1日65回. じE ABCDEF 標ABCD. ②マスク. ①毎日、新しい20の単語と、その単語を使った新しい10の文章を、いず. 13日 6月17日. 1000mできるようになった。. 1310m。 2000m。. 目標達成. ノンストップで1000m。. 〃 2400m。. 4月26日 150m(5m×30回)を達成。 5月21日 300m。 6月17日 400m。 7月13日 800m。 23日 800mをノンストップで。. 第2節第2回目プログラム 1979年/小学校3年生8月∼12月 1.訓練プログラム. ③単語も文章も絵本も、白い紙の上に赤い大きな文字で書くこと。. 1.運動のプログラム 一27一. 2時間ぐらいかかる。. 90分でする。. ② 腹ばい. れもカードにして与えること。. ②1週間に2冊の手作りの絵本を与えること。. 1週間後の成果. 一28一. 72分でする。 90分でやり遂げる。. 1時間24分。.
(17) 9月 1 @ 9. C.1200m走×2回 D.1600m走×2回 E.2000m走 + 1200m走 F.2000m走×2回 ②ランニング全力疾走. i③高ぽいマラソン. 2400m. ⑤腹ばいマラソン 800m. ④高ばい全力疾走. A.10m× 8回 B.10m×10回. 11月 3 @ 23 30日. 1600mを12’27” 3200mを24’43” @ 〃 24’36”. 〃 24’35” 〃 23’40” 〃 23’06” 〃 21’49” 〃 20’52” V 19’46” 〃 19’11”. V 18’26”. 一 〇7” 一 〇8”. 一1’03” 一1’37” 一2’54” 一3’51” 黷S’57” 一5’32”. 黷U’17. 4000mを24’53”. *. A.40m× 8回 B.40m×10回. 13 23 24 30 10月 7 21. 1200mを 9’42”. *. A. 200m走+100m歩+200m走 B. 400m走+100m歩+400m走. 19日 27日. *. ①ランニングマラソン 目標の達成の実状に応じて、次のような段階で行なわれた。. ②ランニング全力疾走. ⑥ Q8器寵㊧ん1隔…ことを目標. 月 日. 弓月3咀. 差. 距離とタイム. 40mを13”4 @〃 8” 一5”4. ⑧パターニング 1回5分を4回 ③高ばいマラソン. 2.知性のプログラム. ①書くこと 習字を1回10分以内で1日5回。手本を与え、手を添えずに書かせる。. 月 日. 距離 と タ イ ム. 8月 7 19. 2400mを1。05’12” @ 〃 59’ 55”. 9月 1 @ 8. 〃 58’ 24”. 13. ② 算数. 10月 7 21. ドッッを使って行なうこと。夏休み中は数だけで、数式は9月から行なう. 11月23. 〃 43’ 38”. 一 5’17” 一 6’48”. 黶@7’27” 一16’40” 黷P7’01” 一21’34”. 一 7’58”. ④高ばい全力疾走 月 日 §月塞 1310月21. 距離とタイム. 10mを10”. @ 〃 09” @ 〃 08” @ 〃 06”. E.運動プログラム実施の経過. ①ランニングマラソン. 差. 一〇1”. 黶Z2” 黶Z4”. 距離とタイム. 800mを 6’40”. 月 日. 差. §貝1娼. 差. ⑤腹ばいマラソン *. 8月 7日. 〃 57’ 14” 〃 48’ 32” V 47’ 11”. こと。. 月 日. V 57’45”. 差. 距離 と タ イ ム. 800mを1。08’22” @ 〃 1。 07’ 09”. 類に続く. 一29一. 一 1’13” 類に続く. 一30一.
(18) 21. 〃 1。 04’ 53”. 23. 〃 50’ 31”. 10月 7 15. 〃 49’ 18” 〃 49’ 12” 〃 45’ 33” 〃 43’ 20”. 31 11月 9 23. 〃 39’ 37”. ②ランニング全力疾走. 一 3’29”. 一17’51” 一19’04” 一19’10” 一22’49” 一25’02” 一28’45”. A.40m×20回 B.80m×10回. C.ランニングマラソン1600mの日は 40m×10回 80m×10回 110m× 4回 220m× 1回 440m× 1回. ⑥ 同 全力疾走 §月了 2911月23. 月 日. 距離とタイム. 10mを24”. @ 〃 19” @ 〃 18” @ 〃 16” @ 〃 13”. 差. 一〇5”. 黶Z6” 黶Z8” 黷P1”. ⑦うんてい 5秒ぶら下がる。. 8月 7日. 8秒 〃. 11月 9日 22日. i④高ばい全力疾走 20m×20回. ⑤腹言いマラソン. 800m. i⑥腹ばい全力疾走 10m×20回. ⑦うんてい. 往復4回. i⑧パターニング 1回5分を4回. 2.知性のプログラム. 7月30日 9月 2日. ③高ばいマラソン 1600m. 問題解決をする。これは、蓄えた情報をうまく使って、何か直面した問題を解 決するものである。最初は、与えたカードなどを使って正解をとらせる。. 10秒 〃 。1本前進した。. 24秒 〃. 1.運動プログラム実施の経過. 下りを1本ぬかしでスツスッと行けるようになった。. ※年末に訓練中、他の子とぶつかり左足首を骨折した。(2月15日完全治癒) ①ランニングマラソン 差. 第3節第3回目プログラム. 月 日. 3月16日. 明1謂. 1.訓練プログラム. 距離 と タ イ ム. 3200mを 23’16” 9600mを.1。09’00” @〃 1。 04’47”. *. 1980年/小学校3年生1月∼4年生7月. 一4’13”. ② 同 全力疾走. 1.運動のプログラム. 3月16日 31日. ①ランニングマラソン. A. 3200m B. 6400m C.週に1日は1600mで、全力疾走を多くする D.週に1日は9600m. 40mを 11” 80mを 22”. ③高ばいマラソン. む営甥讐乏Pmから始めた(2月6日)が・1週間後には600mすす. 類に続く. 一31一. 一32一.
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