2011年8月16日(火)7:00∼8:30頃 話題提供者:瀧川謙司氏
題名:「禅問答のお話し?、困りましたな」
内容:(以下、瀧川氏から頂いた文章をそのまま載せます。面白い話になりそうです。)
「禅問答」を辞書で引きますと次のように記されております。
広辞苑では「①禅僧の問答。②転じて、第三者にはわかりにくい問答。」。
日本国語大辞典では「禅の代表的な修行法の一つで、修行者が疑問を問い、師家がこれに答え るもの。また、わかったような、わからないようなやりとりや、かみあわない問答などにたとえ ていう。」。
goo辞書では「禅僧が悟りを開くために行う問答。修行者が疑問を発し、師がこれに答えるも の。転じて、真意がとらえにくい問答・会話」。
「禅」は、広辞苑で「①天子が位をゆずること。譲位。②〔仏〕(梵語dhyna禅那)心を静める ことによって得られる高次の宗教的内面的体験。③坐禅の略。④禅宗の略。」と述べられており ます。
「問答」は、広辞苑で「問うことと答えることと。」と記述されております。
以上から、辞書的には、禅問答は「禅の代表的な修行法の一つで、禅僧が悟りを開くために行 う問答」と纏めることが出来ます。ここで、「ああ、わかった」と仰って下されば、お話はこれで お終いとなり、大変嬉しく存じます。しかし、「どうもわからない」となると、「困りました な」となる次第でございます。禅は極めて奥深いもの、また、一言口に出したらもう禅ではない とされておりますので。
禅問答は、ディベイト ディスカッション、ダイアログ、議論と云った言葉のイメージとは掛け 離れております。「わかりにくい」お話になりそうだと危惧しながら、ご尊聴を汚すことをご容赦 お願い申し上げます。