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 調査区南西隅のCA〜CB・70〜71区を、 SD 8とほぼ併行して南南東〜北北西に走る溝であ る。検出レベルは海抜0.45〜0.6m、〈8>層上面に当たる。北北西端がSK 1に切られているこ とは確実であるが、SK 1一帯の滞水が著しく、この溝の北北西端部も泥淳状態となって損壊し たため、精確な切合ラインを押さえることはできなかった。南南東端は徐々に浅くなって消滅 し、調査区南壁セクションには断面が現れない。残存長約9.5m、幅110〜130cm、検出面からの 深さは最大で約30cmで、断面は偏平なカマボコ形である。溝底の海抜は南南東端で0.3m前後、

北北西端で0.15m前後と、北北西に向かってレベルを下げる。

 埋土は、暗灰色粘質土を基調とする上層(1〜3       0.5m

との区分が容易で、掘方ラインも明瞭であるが、下 層は〈8>層よりもやや汚れた感じを呈する程度 で、色調・土質ともにさほど大きな違いがなく、純 粋な埋土でない可能性も想定できる。そうであると すれぼ深さ約15cm、幅約70〜80cm程度の溝となる。

 遺物はほとんど出ていないが、鹿・古・1期の土 墳SK 1に切られているので、それ以前に遡ること は明らかである。なお、東側のSD 8とは、非常に近 接して併走するにもかかわらず切合がみられないこ

とから、同時に存在した可能性が考えられる。

 c.ピッ ト

SP 1(図19・20、写真7)

 調査区南東隅近くのCB67区にある。〈7>層上面、

海抜約1.1mのレベルで検出した。長径42cm、短径 29cmの卵形を呈し、検出面からの深さ約10cmを測

る。椀状の凹みともいうべき浅いピットである。埋

0      1rn   1.暗灰色粘質土(Fe)

  2.暗黄灰色粘質土(Fe)

  3.暗灰色粘質土   4.黄灰色粘質土(Fe過多)

  5.黄灰色粘質土(Fe多)

図18 SD9断面図(縮尺1/30)

  0       50cm

図19 SP1遺物出土状況(縮尺1/15)

写真7 SP1遺物出土状況(南から)

0

1

10cm

土は鉄分を含む灰黄色粘性砂質土で、周囲の〈7>層よ りもやや暗色を帯びる。

 ピットの中央部から、甕形土器1個体分の破片がまと まった状態で出土した。胴部の約半周分が内面を上に向 けピヅト底からわずかに浮いた状態で横たわった上に、

口縁部までを含む残余の破片が割れ重なって検出され た。何らかの意図をもって人為的に置かれた可能性が考 えられるが、それを決定づけるような他の遺物や痕跡は 認められなかった。

 この甕は、かなり摩滅して残りは悪いが、鹿・古・2 期に置かれるものであり、このピットの時期は古墳時代 前期初頭〜前半と考えられる。

法  量(cm)

番号 種類・器種

口径 底径 器高 形態・手法他

胎  土 色  調

1

土師器甕

12.8  −   一 全体摩滅、外面一部ハケ 細砂多 淡褐

図20 SP1出土遺物(縮尺1/4)

SP 2

 調査区南東隅近くのCC67区にある。南半部は調査区南辺の側溝にかかっていて、検出時には 残存していなかった。この付近は強度のグライ化によって土壌全面がオリーブ色に変色してお り、〈7>層上面での遺構検出が困難とみて漸次掘り下げと精査を繰り返していた。その途上、

後述の壼形土器が出土するに及び、初めて遺構の存在が予測されたものである。この土器が不 時に取り上げられてしまったために、精確な遺構の形状や出土状況、土層関係の検討・記録に 支障をきたしたが、かろうじて原状をとどめた部分の精査によって、径約30cm、深さ15cm以上 の円形のピットの中に、壼形土器がほぼ正立の状態で置かれていたことが判明した。ただし、

土器は下半部は完存するが胴中位以上が欠失しており、上層が形成された際にピット埋土上半 とともに削平された可能性が高い。ピットの埋土は、周囲の〈7>層に比べて暗色で密度の低 い暗緑灰色砂質土である。

 この土器は、上半部を欠くため明確ではないが、鹿・古・2期に比定される可能性が強いも ので、このピヅトの時期は古墳時代前期初頭〜前半と考えられる。

(3)遺構…の展開と性格

 以上をもとにこの段階の遺構の展開過程を整理してみると、まず弥生時代後期中葉に調査区 北辺近くにSD 1が掘られる。その後若干の空白期間の後、弥生時代末〜古墳時代初頭、ないし は古墳時代前期前半までの間に、高位部に当たる調査区南東コーナーおよび東辺から低位部の

北西コーナー付近に向けて、SD 2〜9の溝がほぼ間断なく掘られたようである。溝底のレベル はいずれも北西または西に向かうほど低くなっており、低位部へ向けての排水路として機能し た可能性が考えられよう。その一部を切って低位部に掘られた土墳SK 1は、低湿な立地を利用 した貯蔵または湛水の施設かと考えられる。

 さらに、これらの遺構のうち、溝SD 2・3、ピヅトSP 1・2など数ケ所から、それぞれ1個 体分またはそれに近いまとまりの土器片が、意図的に廃棄または配置されたかのような状況で 出土していることには注意すべきである。しかし、それらが具体的にどのような行為の痕跡で あるかは今のところ不明とするほかはなく、それ以外には生活の痕跡を直接示すような遺構・

遺物は認められない。

 以上のように、弥生時代後期〜古墳時代前期の本調査区は、地形的には微高地の末端から低 位部に推移する部分で、集落の中心からは外れた生活域の縁辺付近に当たっているとみるのが もっとも妥当であろう。なお、土器の出土箇所が調査区の東半部にほぼ限られ、とりわけ南東 コーナー付近に顕著である事実は、調査区内においては最高位部を占めるこの付近が、予想さ れる集落の中心域にもっとも近い場所に当たっている可能性を示すものであろう。ただし、こ の集落の中心域がすでに発見・調査されている北東200mの医学部附属病院外来診i療棟・管理 棟地点に当たるのか、あるいは本調査区の南東側に未知の集落域があるのかという問題につい ては、確固たる手がかりを得るに至らなかった。       (松木)

3.鎌倉時代の遺構と遺物

(1)概 要(図21)

 鎌i倉時代に属する遺構には、掘立柱建物6棟、柱穴列1条、井戸1基、土墳3基、溝10本、

ピヅト約700基がある。これらの多くは〈5>層上面で検出したものであるが、グライ化による 変色のために作業が難航した箇所については、漸次掘り下げと精査を繰り返し、一部は〈6>

層上面で検出する結果となった。ただし、セクションで検討できた箇所でみる限り、それらの 大多数は〈5>層から掘り込んでいると判断してよい。これらの遺構から相当量出土した土器 類の型式や組合せから、その実年代を12世紀後半から14世紀初頭に置くことができる。

 調査区内でもっとも目を引くのは、10本を数える大規模な溝群である。調査区東半部を東西 に横切る1本を除き、いずれも調査区西半部を南北方向に走る。12世紀末から14世紀初頭の約 100年の期間に漸次掘り替えられた結果である。

 掘立柱建物は、この溝群の東側に5棟、西側に1棟が検出された。建物として特定できな かった柱穴も含め、とくに北東部に集中する傾向がある。柱穴列は、調査区南西部で溝に沿う 形で1条が見い出された。

 井戸は13世紀末頃に廃棄されたもので、溝群の東側、やや南寄りで発見された。3基の土墳 はいずれも12世紀後葉〜13世紀前葉に遡るが、西半部の2基は溝に切られ、また東辺部の1基

SB6

71

1

SD14

70

i

SD13

69

1

68

1

SD15A

  SK3

SD15B o

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1 SD16

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67

1  −BW

一BX

一BY

SK2−BZ

一CA

一CB

一CC

1 10m 図21鎌i倉時代の遺構全体図(縮尺1/200)

も調査区端にかかっており、完全な形で検出できたものはない。

(2)遺構と出土遺物  a.掘立柱建物 SB 1(図22、写真8)

 調査区北東部、BW67区に位置する。〈5>層中、海抜1.05m前後のレベルで検出した。1間

×1間、柱間距離1.770m×1.590mの、やや東西に長い小規模な建物とみられる。南北の主軸

方向はN−14°−Eとなる。

 柱穴b・c・dはいずれも径35〜40cm、深さ25〜35cmで、褐色系砂質土の埋土中に黄灰色粘 性砂質土の柱穴痕が明瞭に認められ、しかも直角方向に並ぶことから検出開始当初より注意さ れたものであるが、柱穴aのみは径23cm、深さ10cmと小さく、埋土も淡黄灰色土と少し異なる 点にやや問題が残る。

 詳しい時期を判定する材料に欠けるが、鎌倉時代に属する建物であることは疑いない。

SB 2(図23、写真9・10)

 調査区北半部、東辺沿いのBW〜BY67区にある。検出面は〈5>層中、海抜1.1m前後のレベ ルである。南北5間、東西は2間以上の規模で、実長は南北が7.35m、東西が2.40m以上であ る。南北を桁行とすれぼ、主軸方向はN−11°−Eである。心々間で測った柱間の距離は、柱穴

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