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    8

一一

3

9

      10

v\

1〜3 4

5

6

7

8 9

10 11

1次井戸21 1次井戸25 1次井戸28 5次溝38、39 6次溝れ 5次溝50 5次溝36 1次井戸30

2次溝8

図97 鹿田遺跡出土白磁(縮尺1/4)

 小片も含めて総数169点が出 土した。このうち分類可能なも のは105点で、器種としては 碗・皿・水注・壷がある。碗は H類・皿i類・IV類(図97−4)・

V類(5・6) ⇔VI類(7) ・

Il(i類(8) ・X[i類(1 ・2) カミ

ある。皿はn類(9)・皿類

(10) ・V類(11) ・珊li類・XI

類(3)が出土している。しか し復元可能な資料は極めて少な く大半が小破片である。

 1は口縁部を欠失しており、

碗)σ6類に類似するが確定は待 ちたい。2は碗)04類に分類さ れる。これも口縁から体部のほ とんどを欠いており、かろうじ て高台のやや上部の連弁文、高 台外部に面取りが行われている 点、内面に沈線が巡る点などが 看取される。碗W類は、後述す るように鹿田遺跡の陶磁器の中

で主体となる器種である。1次調査地点井戸25からは完形資料が出土している。4は口径15.5 cm、底径6.8cm、器高6.3cmである。碗IV l a類に比定されるもので、口縁は玉縁状、内面には 段・沈線とも施されず、高台は削り出しが浅く、内側は斜め、外側はまっすぐである。

 3は皿)03類に分類されるもので、数少ない全形がわかる資料である。口径12.8cm、底径 6.2cm、器高3.5cmである。直口縁で、7等分になると推定される輪花文が施され、内面に沈線 が巡っている。高台は低い輪状で、内側を斜めに削る。皿H類では5次調査地点溝36から全形 の復元可能な資料の出土がある。9は皿11a類に分類できるもので口径9.Ocm、底径6.1cm、器 高3.1cmである。口縁はやや外反気味に伸び、内面に段がある。高台は削り出しの程度が浅く、

厚めである。1次調査地点井戸30からは皿皿類が出土している。口径9.7cm、底径4.Ocm、器高 2.1cmである。口縁はやや外反し、見込みは環状に粕が掻き取られている。高台は削り出しが浅 いものの、前出の皿H類よりも外底を深めに削っている。白磁皿皿1類に分類される。

 このほかに2次調査地点溝8から水注皿i類の口縁部片、5次調査地点溝38・39と6次調査溝 13から四耳壷がそれぞれ出土している。

【青磁】

 大きく龍泉窯系と同安窯系とに分けられ、それぞれ碗・皿が出土している。しかしいずれも

龍 泉 窯 系 碗 龍泉窯系皿 同安窯系

溝 15

拶〃 『フ  , 1        工

 ノφ,,_一

T  %=づ4 12b

富ノ 5碗1

       3

P2       15b       I5b

溝 13

曝\

615b

工 7 碗1

溝 揖

諺/⑬▽  8  /9 12・3       12・3      14

禰づ 11皿12b

図98 6次調査地点出土青磁(縮尺1/4)

小片で全形を窺い知ることのできる資料はない。底部あるいは口縁の復元可能なものが7点、

その他小片が24点である。全出土量の14%を占めるにすぎない。

《龍泉窯系》碗11〜4・6、15、皿類、皿1類がある。6次調査地点のものが比較的残り の良い資料である(図98)。溝15からは碗15b類の高台〜体部にかけての破片が出土してい る。3は底径4.3cmで、やや小ぶりの小碗である。外器面に片切彫りで氣連弁文が施される。溝 13からも15b類の高台部片が出土している。6は底径5.3cmで外面に連弁文が施される。内面 には浅い沈線が見込み部分に巡らされる。

《同安窯系》碗1類・皿1類がある。6次調地点溝13出土の1点(7)は、碗の高台部のみの 破片で底径4.3cmである。高台内部の中央が隆起しており、見込みに沈線が巡らされる。

【青白磁】

 小片のみ3点の出土であるが、器種としては皿・合子が確認されている。

【その他】       表5 山本編年の時期区分  中国陶器四耳壷、緑粕・黒褐粕陶器などが確認

されている。

 山本編年においては、各地で広範囲に出土が認 められ、編年の基準となる遺物を、「標識磁器

群」、標識磁器群に準じる出土が見られるものを「準標識磁器群」と呼称し、A〜G期の7期に 区分する編年を組み立てている。このうち本稿に関連する磁器について表5にまとめた。鹿田 遺跡についてもこの基準をもとに分類し、編年を行った。主要な器種については図99に、また 時期毎の出土割合を表6と図100に示している。

標識磁器群 準標識磁器群 B 期

C 期 ③④

D 期 ⑧⑫ ①②④

E 期 ③⑤

F 期 ⑤⑩

(3)各時期の様相

【1−2期】

 現在の資料のうち、最古のものは1−2期の1次調査地点井戸21出土遺物である。ここから は白磁碗)σ類が3点出土している。今のところ岡山県下においても最古の資料である。これよ りやや新しい時期にあたる3次調査地点井戸1から白磁碗IV類1点の出土が見られる。つまり 少なくとも12世紀初頭にはC期磁器群が入っていることとなる。

【1−3期】

 白磁碗n・IV類、白磁皿V類、白磁水注皿類が見られる。すべてC期に区分される標識磁器

③④群である。その他の小片も白磁のみである。

【n期】

 前時期に加えて、白磁碗V類、白磁皿H類が新たに出現し、青白磁合子も認められる。また

白 磁 碗白 磁 碗青   磁

1[]v

V

V[ X

ヌ[   V  匝 V肛

龍泉窯系   同安窯系

その他

1−2

∀一 『フ

I13

一旦

)}

7白磁水注III

1

一∀

○○}青白磁合子 ○

VI

̲しゴ

}     ○

τ[《 迢刀@   W皿ー2

『\\」七/ ▽「フ ェ /㊥酉

正13

「フ ▽     ○ y

○ IX ○

図99 出土陶磁器分類・編年概略図(縮尺1/10)

○は小片のため掲載していないもの

小片のため詳細は不明であるが、

龍泉窯系と考えられる青磁片2点 が1次調査地点溝70より出土して おり、鹿田遺跡での青磁の出現は 現在のところこのH期と言える。

C期94%、D期5%という出土傾

・向であり、C期のものでも白磁碗 IV類が全体の37%を占めている。

【皿一1期】

       0  新たに出現する器種には白磁碗

      1−2期 W類、V4か珊類、白磁皿皿類、

表6 時期別出土点数

時期区分

B

③C④

D E F

その他 総数

1−2

3 i1 3 7

1−3

6i6 6 18

H  i

Ti13 1 14

33

田一1

 1 Pi24

@i

6 2

29 62 皿一2

i9 3 1 4 17

皿一3

8 2 10

34

w i7 3 2 1

38

51 100%

       総数

齢窯系碗15類、破蘇㌔1−3期巨誓誓i垂葦言≡≡三≡≡…ヨ12

加し・臓四聴の出土も見られIII−・期薩≡≡≡≡i≡三≡≡≡≡]羅璽謬]33

る。破片点数が最も多く、出土量 からみた第一のピークをこの時期 に認めることができる。磁器群別 の割合でみると、C期76%、 D期

      図100 時期別出土傾向(表6のその他を除く)

18%・E期6%である・E期磁器         ※c③はc期③群を示す 群(白磁碗V4か珊類・龍泉窯系碗15類を示す)がこの時期に出現する。

【皿一2期】

 新たに出現する器種はなく、標識磁器③群(白磁碗n類等)が消失する。6次調査地点溝13 から白磁壷・水注n類、陶器四耳壷V類の出土が認められる。磁器群別割合ではC期69%、D 期23%、E期8%となり、依然としてC期のものが主体を占める。

【皿一3期】

 前時期と大差ない。磁器群別割合はC期58%、D期33%、 E期8%である。

【w期】

 新たに白磁皿珊類、白磁碗K類、龍泉窯系青磁皿類が出現する。磁器群別割合では、新たに F期に区分されるものが8%を占め、C期54%、 D期23%、 E期15%である。 F期磁器群の出 現がこの鹿田IV期であること、またこの時期においてもまだC期の磁器群が全出土量の半数を 占めていることは注目すべきであろう。というのはC期群の主体である白磁碗IV類の生産は、

12世紀末にはすでに終了しているからである。

 さらに破片点数では皿一1期に比肩する量が出土しており、陶磁器からみた2つめのピーク をこの時期に認めることができる。

 以上のように各時期の出土傾向について述べて来た。特に磁器群の出現に注目すると、下記 のようにその特徴を挙げることができる。

 1−2期…B期群の存在。

 1−3期…C期群のみで構成。

 H期…青磁の出現、D期群の出現。 C期群主体。

 皿期…皿一1期にE期群の出現、以後皿期全般にわたってC期群が主体。

 IV期…F期群の出現

 また出土量の点からでは、皿一1期に第一のピー久IV期に第二のピークがあると言える。

(4)鹿田遺跡の特徴と周辺遺跡の様相

 以上の出土傾向を大宰府編年を基に、他遺跡と比較してまとめたものが、図101である。まず 大宰府と出土傾向を比較する。

 まず各磁器群の出現についてみてみると、B期磁器(白磁碗・皿)鉦類)群は鹿田遺跡におい ては11世紀後半に見られ、大宰府より出現は遅れる。白磁)σ類は、現在のところ限られた出土        くの状況を示しており、鴻櫨館跡や大宰府・平安京、言い換えれぼ大規模な都市遺跡で、10世紀       く  

末〜11世紀中頃の出土例が知られている。鹿田遺跡では、10世紀代の様相は不明で、11世紀中 頃(鹿田1−1期)に土墳1基、11世紀後半(1−2期)に井戸・土墳などと遺構は希薄であ る。一方9世紀代には建物群の検出や、墨書土器・転用硯・石帯などの遺物の出土が確認され

        く  

ている。「本朝世紀」など文献上に現れる藤源氏の殿下渡領「鹿田荘」との関係が指摘されて

 くア いる。今後の調査を待つ必要があるが、白磁)¢類の存在と獲得時期については、古代以来の鹿 田遺跡の勢力を反映していると理解できるかもしれない。

 C期群の存在は大宰府とほぼ同時期に認められ、B期群と同じ鹿田1−2期でも、やや遅れ る12世紀初頭とみなされる。大宰府と大きく違う点は出土量のピークの遅れである。大宰府に おいてはC期磁器群は12世紀の前半〜中頃にかけて最多となり、その後はD期磁器群が大勢と

く  

なる。しかし鹿田遺跡ではC期磁器群は12世紀前半(1−3期)に100%となり、その後少しず つその割合は減少するものの、14世紀前半(IV期)になっても50%強を占めている。

 D期群・E期群の出現は大宰府と同時期である。しかし前述したように大宰府では出土量の ピークがD・E期群に移っている12世紀後半から13世紀後半にかけても、鹿田遺跡では依然と してC期群が主流である。このことが鹿田遺跡の陶磁器出土傾向の一つの特徴である「白磁主 流、青磁僅少」という様相の主要因と言える。

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