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〈NGO 運動における正当化〉の社会学的分析視点

ドキュメント内 NGO 運動における「正当化」の社会学的考察 (ページ 47-76)

――参加・パートナーシップと連帯の時代

第1節 参加・パートナーシップと政治的〈社会的合理性〉

――運動イシューの社会的構築性

グローバリゼーションによって可能になってきた運動。タローによって指摘されている ように、グローバリゼーションによる様々な変化が運動の展開を可能にしている側面が着 目されるべきである。グローバリゼーションを背景とした運動が担っていたとされるのが、

一国家では対応できない問題群である。国家から市民団体への権限の委譲とエンパワーメ ントがあり、それが運動を後押ししているという構図がある。NGO が獲得してきた成果 の反対側には国家の思惑も存在するであろう。国際機関・国際制度への参加の制限が事実 上存在し、それへの批判も語られているが、ここでは再度、NGO の自律性に関連させな がら、その役割について検討してみたい。公共圏の拡充とは、具体的には、「参加」や「パ ートナーシップ」という掛け声のもとに展開されてきた。市民団体との関係が重要である とみなした国連は、アナン事務総長によって 2003 年に「国連と市民団体の関係に関する 賢人パネル」が設置され、翌年に報告書が作成された38。この報告書では、多元主義モデ ルに基づく「マルチ・ステークホルーダー・パートナーシップ」が重要視された。報告書 で用いられる市民団体には、利益追求の団体と国家を除くとされたが、企業人のほかあら ゆる人々の参加が奨励されている。一見、NGOにとって歓迎すべき定義であるが、「なに ゆえ国連は、すでに強大な力をもち、人権侵害・環境破壊に最も直接的な責任をもつこと の多い企業に、さらなる正統性を与えなくてはならないのか」(藤岡 2006:151)という疑 問が運動側からは寄せられる。ここでの懸念は、多様なセクターの連携にNGO が参加し たとしても、「圧倒的な力をもつ政府、および企業とどうやって対等になれるというのか。

力の非対称が存在するときの『参加』は、結局『取り込まれて』終わる可能性が高い」(藤 岡 2006:152)というものである。ここで、NGOは、国家と新しい協働というパラダイム・

シフトを成し遂げたのか、あるいはNGOは取り込まれただけではないのか、という問い がNGOの実践的問いとして掲げられる。NGO運動の成功例とされる1997年に署名され た対人地雷禁止条約にも、カナダにおいて、「条約締結後、カナダ国防省を通じ、地雷除去 と被害者支援のための資金 1700 万ドルを、カナダの地雷除去技術開発とその売り込みの ために拠出すると発表した。すなわち、地雷の撤廃をめざす条約の成立は、より『害の少 ない』兵器の開発に道を開くことになった」(藤岡 2006:154)とまで批判される。

また、環境問題においても、日本国内でも地球温暖化対策についての議論は様々な形で されてきているが、NGOをはじめとする環境運動の活動に対して、「グローカリティの形 成」(寺田 2009:177)が問題視されている。寺田によれば、地域で活動するグループらは、

国家に頼まれたわけでもなく、例えば、バイオディーゼルなど新エネルギーの開発実験な どを行っている。しかしながら、バイオディーゼルを作るための菜の花の栽培には、財政 的援助が十分ではなく、軽油と混ぜると課税されるなど、地球温暖化対策だから政治的支

38 国連の非政府リエゾンサービスのHPhttp://www.un-ngls.org/orf/UNreform.htm, 2012.11.14)にあ る資料を参照した。

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援が得られるというわけではない(寺田 2009:178)。

こうした取り組みは、寺田の指摘にあるように、国家による支援が十分でないといった 理由もあり、将来への取り組みとして評価できる面があるにもかかわらず、本格的な実用 化にまでは至っていない。ローカルな活動の意義をどのように考えるかということは、気 候変動問題に関する個人・小集団レベルの取り組みをどのように活かしていくかという問 題でもある。

また、日本を含む先進諸国が温暖化対策の一翼を担う政策として原子力政策を掲げてい ることも問題として指摘される。特に日本の場合には、原子力利用を抑えないことに加え て、自然エネルギーの促進もアメリカやEU諸国に比べて、かなり遅れていることも特徴 である(長谷川 2009:180-183)。

このような政策と現実の齟齬に関連して、運動の位置づけについて整理しておきたい。

科学技術社会論の文脈で、科学と社会とをつなぎ合わせる概念のことを社会的合理性とよ び、科学的に正しいことがいかにして社会的に合理性を得ていくかということが議論され た(藤垣編 2003)。

これに倣えば、NGOは、現実の問題を解決するための政策の社会的合意を得るために、

国際機関・国際制度に働き掛け、それによって社会的合理性を築こうとしていると捉える ことができるだろう。しかしながら、その社会的合理性39は政治性を帯びており、いわば 政治的〈社会的合理性〉とでも呼ぶことができるものである。ここでは、国際機関・国際 制度での参加・パートナーシップの掛け声のもと、諸主体の協働が呼びかけられているが、

39 社会的合理性という概念は、科学的合理性の残余概念として構想されているため、実に多義的な内容 を含むあいまいな概念設定になっている。本論文では、議会制民主主義における議決や議論、手続き等を 指示しているが、他にも世論などが含意されると考えられる。本論文では限定された使用法であることを 明記しておきたい。

図 4-1 社会的合理性をめぐる政治とNGO運動 NGO運動の展開

国際機関・国際制度での

参加・パートナーシップの展開における

政治的〈社会的合理性〉の形成

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それらは、新たな市場づくりや政治的合意づくりの場とも化している可能性がある。

「参加」・「パートナーシップ」というスローガンによって、運動をめぐる状況が「主体 化」されていく一方で、NGO 運動の主体的営為は、政治的状況によって分断される危険 性にさらされている(図 4-1)。こうした状況に対して、NGOの主体性を復権するという いみでの、正統性と自律性の問題視においては、政府との関係性や距離が問題になってい る。NGO自らによる正統性や自律性の担保が課題とされている。「政府や企業とは異なる

『もう一つの』価値、理念、ビジョンに基づき、社会への提言を自ら創り出し、試し、実 践する。そして、そのための幅広い議論や(相互)批判を通じて、自らの問題点を改善し ていく。NGO はそうした自律性の獲得をめざすことではじめて社会のなかで重要な役割 を担うことができ、正統性を獲得することができる」(藤岡 2006:161)。

しかしながら、こうした主体性の獲得は、NGO 自身が自らの活動の意義や影響に対し て無自覚である側面を伴う(田中 2009、池田 2007、藤岡 2006)。例えば、政策提言の 結果、NGO の意見が取り入れられた成果が運用の段階になって別の問題を引き起こして しまうことや、グローバル・キャンペーンの展開においてキャンペーンにおける動員やキ ャンペーンの盛り上がりの影で現場が無視されてしまうといったことが指摘されている。

NGOは、この段階では、主体的に問題に貢献するだけではなく、「権力と主体」を構成 する社会構造へいかに働きかけることができ、問題の解決へ向けた連帯をいかに形成でき るかという問題と直面している。ムフの言葉を借りるならば、「社会がつねに権力諸関係の 特定の構造を通じてヘゲモニー的に構成されていることを認識しないなら、既存のヘゲモ ニーを容認し、そこでの諸勢力の配置に捕らわれたままになるということである」(Mouffe 2005=2008:95)。

以降で、分析枠組みを組み立ていくこととしたいが、その前に、NGO 運動自体の内的 な動機づけとしても連帯=つながることが存在していることについても確認しておきたい。

第2節 運動の求心力としての「連帯」――アドボカシー・環境運動の掛け金

本節では、近年の社会運動の特徴的事態を確認した後に、本論文で取り上げる事例と関 連のある動向について言及して、運動体同士がつながること、すなわち「連帯」が運動の 求心力だということについて確認していきたい。

反グローバリゼーションをイメージさせる運動として、大規模なデモンストレーション がある。その象徴的な運動が1999年WTOに対してシアトルで起きた抗議行動である。「シ アトル」がグローバルな社会運動の「誕生」とされるのは、次のような特徴が理由である。

1)成果としてWTOの進行を妨害し、2)かつ「反グローバリゼーション」を掲げてい た運動の連合体であったことである(Smith 2002, Levi & Murphy 2006, Tarrow 2005a, グレーバー 2009)。WTOの第3回閣僚会議は、1999年11月29日-12月3日にかけて 行われた。11月29日のジュビリー2000による「人間の鎖」とよばれるデモ行進にはじま り、抗議行動は活発化していった。会議初日の 30 日には、早朝から会議場が包囲され、

会議は中断を余儀なくされた。それ以降も、過激な行動も起こりながら、抗議行動は最終

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