第1節 グローバリゼーションと批判――運動内部の矛盾
本論文が対象とするのは、大きくいえば、グローバリゼーションに関わる批判を行う運 動体である。グローバル化をどのように捉えるのかについては、いくつかの視点がありう るが32、世界に広がる新自由主義的経済の展開と運動の展開とは、密接な展開がある33。こ の流れのグローバル化をグローバリゼーションとするならば、運動が批判の対象としてき たのは、グローバリゼーションによって人々が貧困へと追いやられ、自然環境がますます 破壊と投資の対象になっている状況である。経済的交流が、欧米から東欧、オセアニア、
東アジア、東南アジア、中央アジアへと拡大するとすれば、資本主義的経済や自由主義的 経済といっても大差ないが、経済的自由の拡大によって態勢を維持しようとする新自由主 義的経済は、より多くの排除(失業率の増加、医療・福祉の恩恵に預かれない人々の発生 など)をもたらしてきている34。むろん、運動に関連のあるグローバリゼーションの動向 はこれだけではない。グローバリゼーションと運動の関わりについて、シドニー・タロー は次のように整理していく。まず、タローはグローバリゼーションという言葉の定義の狭 さを指摘する。「グローバリゼーション(特に新自由主義的な政策や経済)による格差の拡 大が抵抗の原因である」という図式をとる立場においては言葉の内容が狭くなってしまう。
この場合、グローバリゼーションは、インターネットの発達、海外旅行の増加、英語使用 の拡大、近代の広がりとして捉えられ、それらグローバリゼーションが、グローバルな社 会運動が出現する原因であるとされる(cf. Meyer, Boli and Thomas 1987)。そこで、グ ローバリゼーションの定義変更、すなわち「グローバリゼーションのより広い定義、それ は、資本、商品、情報、アイデア、強制力の厚みとスピードが増加することを意味し、そ れらは、諸国家の行為者を結びつけるのである」(Tarrow 2005a:5)とする。その上で、
グローバリゼーションの重要な変化として、次の4点を挙げている(Tarrow 2005a:6)。
1)経済的なネオリベラリズムの悪影響により、国際通貨基金(International Monetary Fund、以下IMFと略称表記。)、世界銀行、世界貿易機関(World Trade Organization、
以下WTOと略称表記。)が抵抗の標的となってきたこと
2)ピープルズ・グローバル・アクションやATTACなどのグローバルに行動するネッ トワーク型の運動組織が成長してきたこと
3)新しい電子技術とそれへのアクセスの増大が組織化を容易にしていること
32 例えば、西原は、新自由主義と親和的な肯定論、グローバル化はアメリカナイゼーションに過ぎない と否定する否定論、交通手段や通信手段の発展に寄る地球の距離的・時間的短縮化による交流の増大を強 調する中立論、時代的にいまがグローバル化しているわけではない懐疑論に分けている(西原 2010:8-10)。
33 例えば、次のようなホネット・フレイザーの認識は、反グローバリゼーションとしての運動の状況や 動機づけを象徴的に語っている。「9.11が痛々しくもはっきりさせているように、宗教、国民性、ジェン ダーをめぐる闘争は、いまや承認についての問いを無視することはできなくなっている仕方で、相互に絡 み合っている。……対照的に、経済的不平等はネオリベラルな力が企業によるグローバル化を促進し、以 前諸国家内で再配分を可能にしていた統治構造を弱めているように、増加している」(Fraser & Honneth 2003:8)。
34 新自由主義と排除については、例えば、社会学ではヤング(1999=2007)やバウマン(2004=2007) で論じられている。
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4)カウンターサミットと大企業へのボイコットがレパートリーに加わってきたこと
以上の4つの主要な変化は、グローバリゼーションといったひとつの現象に起因してい るというよりも、その現象の広がりも含めて、行為者とさまざまな要素が結びつき、運動 を形成しているということの現われであると、捉えられる。ここで指摘されるように、国 際機関や国際制度が抗議の対象となってきていることが特徴的である。また抗議の組織と してネットワーク型で、インターネットなど電子技術を活用していること、またサミット を独自で開催し、大企業への抗議行動もレパートリーに加わってきていることが指摘され る。
本論文が取り上げる事例においても国際機関や国際制度を抗議の対象とすることで、ほ ぼ同様の行動が見られる。ここで、こうした運動体の様相について、特に国際会議への抗 議行動という観点、及びNGO運動という観点からその活動の特徴について言及していき たい。日本で長年国際協力の分野で運動に関わってきた越田は、NGO 運動の特徴につい て、①南の国々の人々の声に耳を傾けたこと、②日本社会に国際社会における新しい実践 を紹介したこと(「持続可能な発展」、「環境を重視した発展」、「社会開発」、「公正な貿易」
「貧困根絶」、「エンパワーメント」、「循環経済」、「開発教育」、「ジェンダー平等」、「先住 民の権利」)に加えて、③国際政治において新しい主体として活動したことを挙げる(越田 2006:51-54)。
1990年代頃から、国際会議に対してNGOが参画を始めた。1992年の第1回国連環境 開発会議(通称地球サミット、リオデジャネイロ)、1993年の世界人権会議(ウィーン)、
1994年の世界人口会議(カイロ)、1995年の世界社会開発サミット(コペンハーゲン)、
1995年の世界女性会議(北京)、1996年の世界人間居住会議(イスタンブール)に併行し て、NGO独自の会議が開催され、NGOが数多く参画し、各国政府代表団の中にもNGO のメンバーが加わるようになり、国際会議での宣言に NGOの主張が盛り込まれるように なった。ここでのNGO の戦略は、準備会議の段階から本会議で採択される予定の宣言に ついて意見を出し、各国政府に対するロビー活動を行うこと、そしてそのことで、NGO 間の情報共有や連携が強まり「NGO コミュニティ」が形成されるにまでなったことであ る。NGOには条件付きであるが、国際会議での発言権も付与されるに至った35。これ以降 も現在まで様々な国際会議でNGOの活動を見ることができる。
こうしたNGO運動はそのプロセスで大きな成功を収めることもあったが、序章以降で 指摘しているように、必ずしも成功だけというわけではなかった。失敗の種類や原因につ いては実践の検証という形で、運動者を中心に指摘されているのだが、ここでは、本論文 の分析に関わる範囲で事例について言及し、特に運動のねじれについて検討していきたい。
遠藤は、NGO運動の評価・課題について論じていくなかで、「グローバル市民社会」の概 念と現実の齟齬について触れ、課題について次のように述べる。「西欧諸国に偏った代表の 不均衡が十分に克服されていない状況下においては、「グローバル市民社会」という領域が 西欧的価値観に支配され、多元的価値のあり方を許容しないために、むしろ社会的な不公
35 国連におけるNGOの地位はいくつかの段階に分かれており、参加にも制限がある(例えば、国連広 報センターのHP(http://unic.or.jp/japan_and_UN/japans_NGOs/, 2012.11.14)を参照)。
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正を固定化する装置として機能してしまう危険性をはらんでいる」(遠藤 2011:269)。NGO が自分たちは公共の利益を代表としているとした場合に、誰の利益を代表しているのかに ついて、慎重な判断が求められる(遠藤 2011:269)。こうしたことが起きてしまう原因と して、途上国の現場性を重視していた当初の目的が、いつの間にか、プロジェクトが中心 となり、「自分たちのプロジェクトに関わりのある人びとの暮らしを伝えること、あるいは 自分たちが支援するプロジェクトの成果を伝えることに変わっていった」(越田 2006:56)
という現場の意識の問題が挙げられる。こうした意識の変化の背景にあるのは、運動のあ り方を構造的に規定するモノがあるとも考えられるのではないだろうか。個別の検証が求 められるが、もうひとつの具体的な例を挙げて、次節に繋げていきたい。
遠藤は、ジュビリー2000の活動を取り上げ、運動体間においてフレームの齟齬があった ことについて触れている。ジュビリー2000は、最貧国の債務帳消しを求めることを目的と して、1996年、英国にキリスト教系援助諸団体と国際協力NGO Oxfamによってはじま り、1997年には全世界で1億2,400万人の労働者が加盟している国際自由労働連合総連盟 への参加を決定、1998年オランダ・ハーグで開かれた世界医師会の総会でも、ジュビリー 2000への支持決議が採択された。その後、G7サミットへの参画などを通じて、キャンペ ーンも展開された。組織内には、南の国々を代表するジュビリー・サウスが発足し、途上 国のグループも形成された。1998年には、北のグループと南のグループとの初の会合が行 われた。だがここで、アプローチの手法をめぐって対立が顕在化した。「北のグループは、
既存の制度枠組みを前提として北と南の間の関係を改革する姿勢(改革主義)を示した。
これに対して南のグループが、IMF、世界銀行の廃止を含むラディカルなビジョンを示し たため、両者の路線対立が鮮明化したのである」(遠藤 2011:271)。ここで問題となって いるのは、北のグループのフレームと南のグループのフレームの相違である。債務帳消し という大きな目標は共有されているものの、それらをどのように推進するかについて手段 選択に差があるということである。こうした運動内部における矛盾の存在は、運動を推進 するにあたっては当初は意識されない場合もある。こうした問題は大きな目標達成には支 障はないかもしれないが、より具体的に問題解決へ向けて進もうとした場合に根本的な問 題になってしまうこともあるであろう。こうしたフレームの相違という問題についての分 析的な視点について次節以降で検討していきたい。
第2節 社会問題とフレーム論――フレームの中心と周縁
アーヴィング・ゴフマンによって展開されたフレーム論(Goffman 1974)は、社会運動 論に応用され活用されている(Snow , Rochford, Worden & Benford 1986, Benford &
Snow 2000)だけでなく、科学と社会との関係にも応用されている。科学技術社会論の文 脈では、公共圏・フレーミング論に関連して、フレーミングの科学化の権力性について議 論がなされてきている。科学技術社会論においては、科学的知識と公共性との関連につい て検討がなされてきた(藤垣編 2003)。藤垣は、ハーバーマスの公共圏に関する議論を 応用したアーサー・エドワーズの定義に触れ、「専門家と政策立案者の間を積極的に調整 し、媒介する『構造』としての公共空間」(藤垣 2003:78)とか、「科学技術を社会のな かに埋め込んでいくための交渉の場としての公共空間」(藤垣 2003:78)と表現している