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グローバル・イベントに対する NGO 運動(1)

ドキュメント内 NGO 運動における「正当化」の社会学的考察 (ページ 76-95)

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洞爺湖 G8 サミットをめぐる諸運動と共同行動における正当化

第1節 グローバルな社会運動の変遷とアドボカシー

――ポスト・ジェノバの時代と本論文の事例

反グローバリゼーション運動の発端として現れた「シアトル」から、ジェノバG8 サミ ットまでの間、「シアトル」はひとつの象徴であったが、しかしながら、それは、後述する ようにジェノバでの事件をめぐって、そして9.11以降も含めてひとつの転機を迎えること になる。イタリアの当時の首相は、「シアトル」以降の反グローバリゼーション運動とテロ を同一視する発言をしている55。このことは、ジェノバ G8 サミットでの運動以降に政治 と運動のそうした対立が生じたということを示しているのではなく、そもそも「グローバ ル市民社会プロジェクト」の頓挫を意味していたとも見ることができる(Aryes & Tarrow 2001:2)。だが、実際にはグローバルな社会運動の動向は、デモを起こし、反グローバリゼ ーションを掲げ、新しい世界への導きとなるようなパフォーマンスを行うだけではなく、

ほかの運動への影響や国内での新しい動向が生み出されるような側面も依然として持ち合 わせている(Aryes & Tarrow 2001:3)。タローが挙げているのは、京都議定書や米州自由 貿易地域協定(Free Trade Area of the Americans)、多国間投資協定(Multilateral Agreement on Investment)に対する抗議行動の例である(Aryes & Tarrow 2001:3)。

まず、「シアトル」についての先行研究を整理し、1)「シアトル」の運動が一様ではな く、多様であり、グローバルな側面に加えて、ローカルな側面も合わせ持っていること、

そして2)ジェノバ G8サミット以降もデモ・直接行動は起こっていることの2点を確認 する。そのことで、グローバルな社会運動において、そもそも国内での視点というものが 存在していたこと、そして、警備の強化が運動に対する阻害要因になっているものの、し かしながら運動もまた存在しつづけており、現在進行形であることを指摘する。

「シアトル」がグローバルな社会運動の「誕生」とされるのは、既に第4章で触れてい るが、次のような特徴が理由であった。成果としてWTOの進行を阻害し、「反グローバリ ゼーション」を掲げていたことであった。そして、こうした特徴は、まずナオミ・クライ ンのような実践的な著作に現れ(Klein 2000)、その後ドナテーラ・デラポルタによって、

エポックメイキングをつくりだした運動として定義されている(della Porta 2007, 2008, 2009)56。さらに、グローバルな社会運動をより広くとらえ、その変遷について、次のよ うに整理することができる(表6-157)。

55 Steven Erlanger 2001 ”Italy’s Premier Calls Western Civilization Superior to Islamic World,” The New York Times, 27 Septemberを参照。洞爺湖G8サミットにおいても反グローバリズムの動向はテロ リズムと同様に警戒された(200872日付け朝日新聞)。

56 デラポルタ(2007)は、「シアトル」に参加した人々が、その後のグローバル・ジャスティス・ムー ブメントをつくっていったかを検討している。さらに、そうした歴史のエポックとなった運動がいかにし て形成されるかについて検証している(della Porta 2008)。

57 この表は、ベネット(2005), スミス(2009)を参照し、適宜本論文に合わせて修正し作成した。

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ここで、区分されているのは、「シアトル」とそれ以前である。「シアトル」以降に、す なわちポスト・シアトル時代には、それまでとは、組織編成の異なるパターンが出現した というものである。その特徴は、多中的な組織構造と自律的な抗議内容、そして、恒久的 なキャンペーンである(Smith 2009:246)。そして、このような抗議形態の重点は、運動 体の一部の人々によるロビー活動から、より大衆的で、直接行動を伴う政治的行動へ移行 しているとされる(Smith 2009:246-247)。

デヴィッド・グレーバーは、こうした特徴について、次のように述べている。

それはまさに、それまであったらいいなと想像していた運動が、実際に目の前に現 れた、という具合でした。個人主義的でもセクト主義的でもなく、人びとが『共通の プロジェクト』に向けて協力し合えるようなアナーキズムが、現に存在しオルタナテ ィブな社会像に提出している。素晴らしい出会いでした(グレーバー 2009:17)。

この発言は、「シアトル」に参加したいくつかのグループのうち、特に、直接行動を主た るレパートリーとする「Direct Action Network」(以下、DANとする)に関わってのもの である。「シアトル」には、このほかにも、大きく分けて、アドボカシーを主たる活動とし

表 6-1 グローバル化にともなう社会運動の変遷

特徴的な

抗議形態 多元的活動 トランスナショナル・アド

ボカシー・ネットワーク 直接行動

時期 1980年代以前 1980年代後半-1990年代 国連会議時代

1990年代後半以降 ポストシアトル時代

組織構造

小さなネットワークで、個人 の役割が強く、トランスナ ショナルな組織中心である

NGO中心のイシューネット ワークで、トランスナショナル な組織中心であるが、多くは

国内のグループである

より情報依存的で、複層的 であり、マルチイシューで多 中心であり、トランスナショナ ルに加えて、より国内的であ り、サブナショナルである

行動形態

多くはグローバルフォーラム への参画であり、限られた

大衆動員を行う

多くは国連会議やサミットに 焦点を合わせている

国際的アジェンダから より自律的である

主たる戦術 ロビー活動 戦略的キャンペーン 恒久的キャンペーン

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ていた「アメリカ労働総同盟・産業別組合会議」も存在していた(Tarrow 2005a:171)58。 また、ジャッキー・スミスによれば、習慣的あるいは公式的にトランスナショナルな関 係を持っている団体と、非公式的に、あるいはゆるやかな(表中では、拡散的と表記され ている)トランスナショナルな関係を持っている団体では、運動で果たした役割に分担が あった(表6-2)(Smith 2005:228-232)。公式的にトランスナショナルな活動を行ってい ればいるほど、グローバルな活動調整を行い、非公式にトランスナショナルな活動を行っ ていればいるほど、ローカルな活動調整を行っているという分布が見られる。

ここで示されているのは、グローバルな社会運動が成立する際の垂直の関係である。す なわち、グローバルな社会運動が、グローバルな側面からもローカルな側面からも成り立 っているということである。たとえば、ピープルズ・グローバル・アクションがおこなっ た、シアトルでの会議の前にWTOについての研修会を地域で開催していたツアーでは、

地域のグループから、会議場の手配、参加の呼び掛け、宿泊所の準備について支援を得る ことができ、また途上国からの参加者の渡航費や「シアトル」におけるワークショップの 開催費のための資金調達は、国内のグループである、女性の環境と発展のための組織

(Women’s Environment and Development Organizations) が 担 っ て い た (Smith 2005:231)。

以上のような「シアトル」の抗議行動は、歴史的なエポックをつくりあげたというひと

58 レヴィとマーフィー(2006)は、労働関係の団体に絞ってその動向を分析している。

表 6-2 シアトルにおける動員構造と分業

トランスナショナルな

つながりの度合い グループ 主要な役割

なし

国内のみの活動をするグループ 隣人のコミュニティー

公正な経済のための連合

抗議への参加

グローバルフレームのローカルでの共有

拡散的(diffuse)

DAN

リクレイム・ザ・ストリート ラッカスソサイアティ

大学の組織化のための連合

抗議への参加

グローバルフレームのローカルでの共有 戦術の発明と拡散

習慣的(routine)

パブリックシティズン グローバルエクスチェンジ

レインフォレストアクションネットワーク スウェットショップに反対する学生連合 カナダ人会議

シエラクラブ

ローカルの動員 戦術の発明と拡散

グローバルな戦略フレームの明確化と普及 組織の資源の調査と広報

トランスナショナルな交流の促進 国際制度の監視

公式的(formal)

グリーンピース FoE

グローバリゼーションに関する国際 フォーラム

第三世界ネットワーク

ピープルズ・グローバル・アクション フィフティイヤーズイズイナフネットワーク 女性の環境と発展のための組織

グローバルな戦略フレームの明確化と普及 組織の資源の調査と広報

トランスナショナルな交流の促進 国際制度の監視

トランスナショナルな共同のコーディネート グローバルな支援者の開拓と維持 グローバルでシンボリックな行動

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つの象徴的な意味をもち(della Porta 2007,2008)、グローバルな社会運動の「誕生」とし て語られることになった。

しかしながら、この「誕生」は、負の側面も持ち合わせていた。「シアトル」の抗議行動 のうち、運動体にグローバリゼーションの象徴として判断されたマクドナルドやスターバ ックスが破壊されるという出来事が、大きくメディアにクローズアップされ、それらは、

「シアトル」のイメージとして一部で認識されることになった(北沢2001)。こうした認 識のひとつの頂点が、ジェノバG8 サミットでの事件であり、グローバルな社会運動全体 にもその影響は波及した。

ジェノバG8サミットでは、カルロ・ガリアーノという青年が警官に銃で撃たれて死亡 するという事件が起こった。この事件について、タローは、公的秩序を守る警察を逸脱し、

警察の暴動が起きたという見方をしている(Tarrow 2005a:198-199)。1960年代・70年 代の運動に対して、警察は少なくとも市民的であり、そうした抗議の警備について「公的 秩序管理システム(public order management system)」が十分に機能していた(Tarrow 2005a:198)。しかし、事件後、それは失墜し、警備が過剰化し「軍隊化」するという事態 が生じている(Tarrow 2005a:198)。

それにもかかわらず、次の表にあるように、ジェノバG8サミット以降のサミットにお いてもデモや直接行動は、引き続き行われている(表6-359)。

ただし、ジェノバ以降の表のデモや直接行動においては、警察とデモ隊関係者との交渉 が事前に行われるようになってきている(cf. 川西2008)。

こうしたデモや直接行動に対する国家のネガティブな対応がある一方で、ポジティブな 対応を引き出そうとする試みも生まれてきている。そうした動向が、第4章第2節でふれ た、グレンイーグルズG8 サミット型とも呼ばれる「交渉型」の運動である。これが本論 文で取り上げるG8サミットにおけるアドボカシー運動であるが、洞爺湖G8 サミットに おいてはどのような位置づけにあったかを次いで確認しておきたい。

59 トロント大学の調査プロジェクト(http://www.g8.utoronto.ca 2010.06.28)と川西(2008)を参照。

表 6-3 2003年以降のサミットにおけるデモ・直接行動の状況

サミット開催地 デモ・直接行動が起こった場所 主なデモ・直接行動 規模

2003年 フランス・エヴィアン スイスとの国境近く 統一デモの開催 10万人

2005年 イギリス・グレンイーグルズ エジンバラ 貧困を歴史に・完全な享受のためのカーニバル 20万人

2007年 ドイツ・ハイリゲンダム ロストック 国際デモンストレーションの日 8万人

2008年 日本・洞爺湖 札幌 ピースウォーク 3,000-5,000人

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