対話のある博物館づくりを 目指して
それともう 1 つ大きいのは、 (博物館は) 学 校じゃない場になる、っていうこと。ここで
E- Mailという快適なツールがある現在でも、
そんなことができる人はまずいない。その無 数のハガキが、いかに多くの人を振り向かせ、
つなぎ止めたかが想像された。もちろんモン キーセンターに届く子どもからの手紙にも、
よく返事をかかれていたそうだ。
現在では、そのような手紙やハガキがモン キーセンターと利用者の間でやりとりされる ことはほとんどないそうだ。インターネット の利用とはやはり違うと、水野さんは言われ た。それを言い換えるように、「足でかせい で身につける経験が、大切だと思います。」
とつづけられた。廣瀬先生の手紙の話は、お 互いに顔の見える関係の存在を象徴している のだと思う。足でかせげ、という言葉は、そ のような人とのつながりを培うようにと、
私に向けられた言葉であったと受け止めて いる。
「廣瀬先生の立ち上げた会は数知れないね。」
「きっかけをつくるのが上手い方でした。」初 期の愛博協の活動、例えば最初は数人の集ま りであった研修会などの、活き活きと機能し ていた様子がうかがわれた。最初のころの研 修会では、キャプションの書き方などの極め て実践的な話題が中心だったそうだ。見習う べき隣の館も、パソコンもプリンターも、手
立松さん
のは、不変のものと感じられた。
立松さんも水野さんも、別々の会話のなか で同じ「要はヒトだと思う。」という言葉を 使われた。博物館を活かすも殺すも学芸員個 人の意識や能力次第であるということか、あ るいは学芸員間や学芸員と利用者の間の人の つながりが博物館の活動を支えるということ か。おそらくいろいろな思いが、「要はヒト」
という言葉に込められていたと思う。立松さ んは、社会教育課への異動によって、17年間 にわたる長期間、平洲記念館を離れておられ る。しかし、「博物館の基本」を私に語られ たときに、そのブランクは全く感じさせなか った。「実物を集め、調べて、展示普及する。
モノがあってそれをいかに目の前の来館者に 伝えるかというところが、原点です。」自 己紹介の次に私に言われたのは、このこと だった。
水野さんは、ビジターセンターをお一人で 預かっておられるという身動きの難しい条件 でお勤めだが、そんな中、のこす在職期間で 一番気になるのは「資料の整理」だと言われ た。サルに関する貴重な生物資料を案じてお られた。モノを預かるという学芸員の仕事は、
展示や普及とちがってアウトソーシングが不 可能な、最後まで博物館が守らねばならない 仕事ではないだろうか。
私は今回お話をうかがうのに先立って、廣 瀬鎮著「博物館は生きている」を手に取った。
私が生まれる以前の1972(S47)年に出版され た本だが、そこで語られている博物館像、博 物館への思いは、今、私が読んでもまったく 違和感を感じないものだ。
そこで働くプロという形で博物館と出会っ てしまった私たちは、先の長い、昔と同じ道 を、今も歩いているのだと思う。
と指摘されれば、たしかにその通りである。
一サラリーマンである公立館の学芸員は、無 自覚なまま、狭い視野から脱する機会がない ままでいるということかもしれない。そして もくもくと自分の勤め先でサラリーマンをし ていても、何も問題は起こらない。各自の専 門分野では、必要に応じて、学会・調査研究 あるいは展示企画を通した、他館とのやりと りもある。
しかし、同じ愛知県の博物館のあいだで情 報をやりとりする機会は、愛博協という組織 がなければ極端に減るのではないだろうか。
立松さんは、「こんなにたくさん人がいる
(130も加盟館がある)んだから、いろいろで きるんじゃないかと思う。」と言われた。具 体的には全体的な情報の交換−行事案内や実 務レベルの情報交換などの機能を挙げられ た。これからの博物館経営のためには、館の 専門分野を越えた協力の可能性や、新しいア イディアのやりとりは重要ではないだろう か。各館の予算や学芸員個人のゆとりがない 今こそ、愛博協という組織が情報交換の機能 を維持してくれることに意味があるのではな いだろうか。
昔と変わった点として、この「資金と学芸 員の時間に余裕がない」という話題からはの がれられない。
水野さんからは、「モンキー友の会」につ いて夢のような話をうかがった。「子どもの 頃常連だった人が、幹事になってくださっ た。」「観察会には、バスを連ねて出かけたも のだった。」…モンキーセンターの設立の翌 年1957(S32)年に発足した「モンキー友の会」
は、最盛期には1,000人をこえる会員を擁し た。「友の会の方から学んだことはほんとう に多い。」というお言葉は、会員の方との豊 かなつながりがあったことを思わせる。しか し、センターの人員減少の果てに、創刊以来 45年続いた友の会の雑誌「モンキー」は、
2002年の298号をもって休刊となっている。
後発だが同じ自然史系の館の学芸員として、
現実の困難さを改めて思い知った。
我々を取り巻く現状が変化している反面、
学芸員が心におくべきこととして語られたも
豊橋市自然史博物館学芸員
藤 原 直 子
(植物学)
東海市立平洲記念館館長
立 松 彰
(考古学)
日本モンキーセンター学芸員
水 野 礼 子
(動物園教育)
語 る 聞 く
水野さん
ずです。今は各種の研究業績がすべて 1 点で すが、内容に合わせて点数を変えていくのが 今後の課題です。学芸員も調査研究にも力を 注ぎ、知的蓄積をして欲しいと思います。
Q:こうした学芸員の日頃の資料の収集や研 究活動の成果が、様々な活動につながっ ていくのですね。活動の 1 つ、教育普及 活動について教えて下さい。
A:豊橋では市内の小学 4 年生を対象に「計 画学習」を行い、この他総合学習や遠足に合 わせて来館する学校もあるし、出前授業も実 施しています。「計画学習」は市教育委員会 として「わくわく科学教室の手引き」という 学習計画のフォーマットが出来ています。
「出前授業」は週5日制の対策として数年前か ら積極的に取り組むようになりました。各学 芸員が 2・3 のテーマを設けていますが、事 前に先生と打ち合わせをして、目的に合わせ て内容を調整しています。小学校と中学校で は学習内容が違うし、小学校だと低学年と高 学年でも違うので、対象に合わせた授業する 必要があります。それに 1 回の授業で子ども たちの心までは把握できません。子どもたち の反応に合わせて授業をするのは難しいです ね。でも続けることで学芸員も工夫を重ねて 成長するし、学校と博物館の関係も成長して くると思います。
Q:他に学校との連携を強めるための対策を とられていますか。
A:市内小中学校の理科と美術の先生による 研究委員会があり、年に 3 回、学校との連携 や博物館の展示について協議して頂いていま す。当初は館の提案に意見を頂く位でしたが、
数年前に活動内容について要綱を整理して、
学校との連携や利用者増を含めて協議して頂 くことを主な目的として、先生方にも任期の 2 年内に一定の成果をあげる認識をもって活 動をして頂いています。現在 2 件のワークシ ートと化石、植物、骨格の貸し出しセットが 完成し、学校の利用促進に繋がる方法を検討 中です。また館の情報は一方的に学校に情報 を流しただけでは、あまり反応がありません が、委員の先生からは直接館に問合せがあっ たり、委員の中に理科部会の担当者が入って 豊橋市自然史博物館は昭和63年に開館、平
成 4 年に全国でも珍しい自然史博物館、動物 園、植物園、遊園地の複合施設として新たに 整備された豊橋市動植物公園(のんほいパー ク)の中にある。館の開館時から今日に至る 17年間、館とともに歩んでこられた松岡敬二 学芸員にこれまでの活動の軌跡と今後の展望 について伺った。
Q:豊橋市自然史博物館では、展示以外にも 計画学習や学習教室、自然史講座(出前 授業)など多彩な活動をされていますが、
館の活動で心がけていることを教えて下 さい。
A:館の活動は、博物館法に基づく登録博物 館ですので、博物館の基本的活動である調査 研究、教育普及、資料の収集、調査が条例に もうたわれています。その中で、教育普及を 行なうとともに、調査研究の成果である研究 報告や資料集も出しています。当館は子ども 連れが多く、また市の施設である以上多くの 人に利用して頂く必要があるので、教育普及 のウエイトが大きくなっています。講座など の普及行事が多いため、博物館活動の中では 教育普及活動が目立っていますが、それを支 えるにはやはり資料収集や調査研究が必要で す。
Q:学芸員が研究 活動を行いやすい ように館として対 策をとっています か。
A:年の初めに年 間計画と今年度の テーマを各学芸員 に 提 出 し て も ら い、できるだけ研 究や学会発表に結 びつけるようにし ています。また市 の事務事業評価には調査研究事業も含まれて いて、研究論文、普及書、新聞記事などすべ て発表 1 回につき 1 点として、これを積み上 げてその点数を目標に設定しています。研究 活動が事務事業にリンクすれば励みになるは
ユニバーサルデザインを採用し、リニュー アルした古生代展示室。上段は学術的解 説のある大人向け展示、下段は触れる標 本などハンズオンの展示やイラストを用い た分かりやすい子供向け解説を採用、親 子で楽しめる展示を目指した。