神社の博物館 昔・今そして未来へ
館内には古今東西の貨幣資料およそ 1 万点 が展示され、 「お金の歴史」がわかりやすく、
3 年ほどの支店勤務を経て、前述した昭和 55年の貨幣資料館の移転に伴い、館の運営ス
タッフに配属され、現在に至る。私は、工藤 さんが「銀行員」と「学芸員」の 2 つの顔を 使い分ける.....
方と思い、興味をもってインタビ ューに臨んだ。しかし、大柄で常に背筋を伸 ばす工藤さんは「いや、僕はね、銀行員、ビ ジネスマンですから。」と語る。銀行がもつ 貨幣資料館をそこの銀行員が運営を命じら れ、銀行員が学芸員というスキルを身につけ て業務に携わる。工藤さんのこの姿勢は一 貫している。工藤さんは銀行員のスキル・
アップとして行政書士をはじめとして様々 な資格を取得されている。学芸員はそのス キルのひとつに過ぎない。「企業博物館の学 芸員は多かれ少なかれみなそうですよ。」と 工藤さんは笑う。
銀行本店の中にあった貨幣資料館が一般の 方々の眼に触れるようになり、貨幣資料館の
語 る 聞 く
註1
平成17年3月1日よりUFJ 銀行貨幣資料館館長
た。仏教大学の通信教育で資格が取得できる と教えてもらい、学芸員資格を取りました。
学芸員資格を取得したといっても、その片鱗 がわかったぐらいが実情です。でも他館の学 芸員さんの態度は変られましたよ。
自分は研究者になろうと思って勉強してき たわけではありません。学芸員資格を取って 勉強していかないと仕事になりませんから。
この点が自分と他の博物館の学芸員さんと違 う点です。学芸員になるための入り口と、な るための視点が異なります。特に公立博物館 と大きく違うのは、組織として教育施設が必 要だから博物館や美術館を設置しよう、学芸 員を採用しようという発想が私たちの民間企 業にはないことです。企業文化・社会貢献活 動の観点から施設運営の方針が決定される と、ここにコスト意識、費用対効果の発想が 限りなく求められてくるのです。あくまで本 業が収益を上げないと運営できないわけです から。
博物館を設立した組織の違いが視点とか発 想の違いにつながっていきます。愛知県博物 館協会で大変お世話になった故廣瀬鎮先生は 博物館学の講義で、博物館の運営組織の違い による各々のスタンスの違いを学生にお話を なさっていました。廣瀬先生はその組織を大 きく 5 つに分類し、(1)公立系、(2)宗教法人 系、(3)企業系、(4)財団法人系、(5)個人系 とされていました。企業系の博物館として、
よく貨幣資料館にお越しいただき、講義をさ れていました。私も学生さんを前によくお話 しました。後で先生に学生の反応をうかがう と、「諸施設の中で君の話が一番シビアだと 受け取られているよ。だから学生を連れて来 るんだけれどね。」とよく言われました。(笑)
次に工藤さんに学芸員としての思い出を語 っていただいた。
学芸員として一人前の仕事ができるように なるのは10年間かかると、愛知県博物館協会 で教わりました。この経験値が自分でも当て はまったことに気付かされたことです。
貨幣資料館の仕事も10年が立ち、東海銀行 創立50周年記念事業として『風景版画の巨匠
広重』の編集に携わり、平成 3 年(1991)に 刊行したことです。貨幣資料館が所蔵する浮
世絵コレクションを図録にまとめる仕事でし た。浮世絵研究の一流の先生方に総論や作品 解説をオリジナル原稿でお願いし、国内ばか りでなく海外にも配布することから英訳も併 載するものでした。ある先生から「君、これ は構想が大きすぎて無理だよ。」といわれま した。本のサイズにも気をつかいました。本 棚に飾ってもらえ、末永く利用していただけ るように配慮しました。銀行全体を背負った 仕事でしたから、さすがの私も胃潰瘍になり ました。50周年事業など 2 度と経験できない ことですからね。
この浮世絵コレクションは、平成 3 年の 6
〜 7 月にかけて名古屋市博物館と東海銀行貨 幣資料館が共催して特別展「広重―東海道 五十三次・名所江戸百景の世界―」で公開 されました。このときはおもしろかったです よ。会期中 1 日を残して図録は売り切れるし、
普段は見かけないビジネスマンの来館が多く て、名古屋市博物館が驚いたことです。「そ れはそうさ、東海銀行の名前を背負った仕事 だよ。」と思いました。ただし、名古屋市博 物館さんにはかなりご迷惑をかけたとは思い ますが。(笑)
展覧会としては、平成元年(1989)に「ル ネッサンスと桃山時代の貨幣展」、平成 9 年
(1997)には「近代紙幣の父 お雇外国人キョ ッソーネ没後100年展」を開催することがで きたことも意義あることといえるでしょう
高浜市やきものの里かわら美術館学芸員
天 野 卓 哉
(考古学・工芸史)
UFJ銀行貨幣資料館副館長
工 藤 洋 久
註1(貨幣)
違った発想が生まれてきます。貨幣資料館の 資料のレプリカ制作や写真撮影、借用などの 依頼はよくありますが、それにかかる費用で、
資料によっては良好なものが何点も買える場 合があります。実際は予算の運用上、費目的 に難しいところもあるでしょうが、何か違っ た方向性が見出せるのではないでしょうか。
狭い世界の中で物事を考えてはいけません よ、ということです。
工藤さんは「組織」という言葉を常に強調 される。どの博物館も、組織の中に位置付け られ、予算が与えられて運営されているから だ。その組織の一員としての自覚と知識を持 たなければ、博物館の総合的な運営はできな いし、何よりも日々の仕事が回っていかない、
と工藤さんは考える。工藤さんはこうも考え る。学芸員は「雑芸員」でなければ双方向的 な発想はできない、と。
今の博物館・美術館の今後について、工藤 さんはどう考えてみえるのだろうか。
まずは、博物館に関わる職員が、その母体 組織の一員であるという自覚をもっと持つべ きでしょう。館内の各セクションがお互いを 尊重しあった上でね。私は○○だけが専門で す、私の仕事は□□です、などといったセク ショナリズムがあると、全体のマネージメン トを行うことができませんし、質の高い仕事 にもなりません。
現在は不景気で、予算も人材も潤沢に確保 できるわけではありません。だからこそ、質 の向上が一層求められる時代になっていま す。そのためには社会の変化を学んでいく必 要があります。社会の変化と博物館にいる 我々の意識の変化、それぞれの速さはイコー ルではありません。むしろ博物館の我々が追 いついていけないのが現状ですね。「外」の 刺激、博物館を見に来ていただく方々の社会 感覚、施設を運営する上での社会感覚を学び 取らなくてはならないわけです。その感覚を 博物館からリサーチをかけていかなければ得 られません。そうでなければ質の向上は望め ません。
また、限られた予算と人員という制約があ る以上、特色を強化して弱点を補う発想が必 要です。そして、何から取り組むのかという か。このときは、愛知県博物館協会の加盟館
のみなさんには大変お世話になりました。こ こにこういう資料があるよ、写真原板はあそ こにあるよ、一言いってもらえれば連絡とり ますよ、などという多くの協力をいただくこ とができたことは非常にありがたく思いまし た。こうした経験が、平成 8 〜13年まで東京 の銀座支店の上で運営していた「銀座東海 ギャラリー アート広重」に大変役に立ちま したね。
続けて工藤さんは、学芸員として視点や発 想を切り替えることの必要性も説かれる。
学芸員は専門性が必要ですが、専門的であ るために思わぬ見落としがあるものです。と きには違うジャンルの方に相談してみると意 外な発見もあるものです。
例えば、コストについて考えてみるとまた
判断の問題になってきます。民間企業だった ら当たり前の行動ですよ。全体を見渡さなけ れば生み出せない考え方ですよね。だから私 は「ミュージアム・マネージメント」、「プレ イング・マネージャー」を心がけるわけです。
最後に愛知県博物館協会への思い、そして 期待を工藤さんにお聞きした。
愛知県博物館協会は、私と組織を鍛えてく れた、その思いは十分にあります。私がかつ て経験したように、他館との交流で刺激を受 ける場に今後一層なってもらいたいと思いま す。私たちの世代がまがりなりにもがんばっ てきた(?)ように、若い方々が一所懸命がん ばっていることを頼もしく思っています。若 い方々が悩んでいる姿を見ていると清々しさ を感じます。かつての自分を見ているなとい う意味でですよ。(笑)
ときにはユーモアたっぷり、ときには毒舌 を交えながらお話いただいた。インタビュー の途中、館内を案内していただいた折に私が
「ここで貨幣の図録を販売すれば売れます よ。」と何気にいうと、工藤さんは嬉しそう に「銀行法ではね、銀行はモノを売ってはい けないんだな。知らなかったでしょう?」と 教えていただいた。その笑顔は、かつてのい たずら小僧の博多っ子の笑顔そのままに違い ない。
お忙しい中、お話いただいたUFJ銀行貨 幣資料館副館長の工藤洋久さんにお礼申し 上げると共に、お話の内容が筆者の能力の 許容量を超えてしまい、十分にまとめあげ られなかったことをお詫び申し上げます。