• 検索結果がありません。

千点にもなりました。量だ けでなく、質も充実しました。なおかつ美術

ドキュメント内 …h…L…–…†…fi…g1 (ページ 53-59)

対 談

コレクションは 7 千点にもなりました。量だ けでなく、質も充実しました。なおかつ美術

館活動でも、研究から教育活動まで、いろん なものを積極的におこなってきたけれども、

それを今ひとつ外に発信しきれてない。それ は、愛知県美術館というのは複合体で芸術文 化センターでもあり、複合体のデメリットが 出て来ている。愛知県美術館の今持っている ものをいかに発信するかで、その手段として 例えば教育活動とか、いろんな部分をまさに 小池さんの言われたバランス良くやっていく のが一つの手法だと思っています。

神谷:県立というのは、白亜の殿堂にするか、

じゃないけどそうなるんですかね、さきほど

「親しむ博物館」の話が出ましたけれどもね、

博物館・美術館ていうのは、そう親しみすぎ てもらっても困る面もあると思うんです。や っぱり、ドキドキする非日常の世界だからね。

そこに時々行きたくなるような気にさせる事 が重要だと思うんです。

佐藤:そうですね、特にブームになってから、

「親しむ」というのには、美術館がすり寄って いくのか、どういう風に(美術館が)開いてい くのかというのがあると思いますね。

私の体験ですと、高校生の頃、友人が宮城県 美術館に、とにかくよく行ってたんですね、

たとえば、ビデオアートをやってみたいと。

と活字ですよね。研究紀要に何を書いている か。どういう展覧会をやってるのか。

木本:話の発端が30代の学芸員にということ だったけれど、やっぱり一番良い時間ですよ。

30代40代で良く動けたことが、50代になった ときに、寄贈したいとか、そういうのがいっ ぱいあるんですよ。

小池:館の紀要じゃなくても、雑誌でもいろ んなところに書くのが、良いですよ。良い展 覧会する人、良い研究論文書く人、良い作品 を購入した学芸員が評価されないと。収集に 対する業績の評価が一番弱いですね。

木本:全然評価されてないですよ。

小池:アメリカのように、凄いモノ買ったと いう人を評価するのが大事だよ。

(中略)

橋本:ちょっと話が戻るのですが、さきほど エデュケーションの話が出て、名古屋市美術 館が当初に始められた頃に 6 年生だった子は もう20才だと思うんですが、彼らは有料観覧 者としてバックしてきているんでしょうか?

小池:私の館でね、小学生の頃、受講者とし て来てた子が大学生になってボランティアの 教える方に来ていた例があるね。戻ってきま した。嬉しいね。

神谷:難しいね。具体的データは持ってはい ませんが。大学生が団体で来たときに美術館 に来たことがある人と聞くと、多少は手が上 がるからね、小学生のときに蒔いた種が、多 少はそのまま伸びているかなという気がしま す。

橋本:私の場合は、それを一つの目標という ことでやっているんですけど。この子たちが 大きくなった時にお金払って来る市民に育て ますというような。

木本:戻ってくるにはもう一つの要素がある よね、やっぱりモノの力がいるよね。

佐藤:それと人もですよね。

神谷:学芸員が前に出てくるのも大事だよ ね。今、「ワクワク、ドキドキ」をキーワード にしてるんだけど、この学芸員と会えるって 言うのも非常に大きなワクワク、ドキドキだ よ。

<インタビューを終えて>

長年に渡り愛知県を代表する美術館にて 活動してこられたお三方に「美術館・博物 館の今、そしてこれから」というテーマで、

いくつかのキーワードに沿ってお話を聞こ うと考えた。筆者の考えたキーワードは、

まず美術館の直面している問題として、運 営面で「エージェンシー化」「指定管理者制 度」、次に普及事業全般について取り上げ、

「親しむ博物館づくり事業」に代表される

「子どもを対象とした事業」、滋賀県の美術 館を支援する市民団体などの例を挙げて

「ボランティアからNPOへ?」「市民参加の これから」、そして、これからの美術館の ために「若手学芸員への助言」、そして最後 に、今後の愛知県内のネットワークを見据 えて「愛博協への期待・要望」などを準備し ておいた。やはり、まずはここ数年の出来 事・関心事を取り上げて、それを三人の先 輩方が、どう捉えているのか率直にお聞き したいと考えたからである。

しかし、それを具体的にお話しする前に、

先に木本さんから、今一番心配しているこ とについて、と口火を切られた。まず、市 町村合併の問題にはじまり、県立美術館の 4.愛博協の顕彰制度について

木本:愛博協として県下の美術館の仕事を見 て、20代30代の若い学芸員を評価していく必 要があると思いますね。奨励賞というか。

神谷:40代までだろうな。

小池:良い論文書いた、良い展覧会をやった、

良い作品を収集した人、良いエデュケーショ ンプログラムをやった人というのを表彰した いね。

神谷:「それは良い」の中には、「ユニーク」

が含まれてもいいしね。

小池:地道であってもいい。

木本:展覧会も大規模でなくていい。小規模 でも面白い視点を組んでやったとかね。

神谷:芸術新潮がやってたように、学芸員が 選んだ展覧会ベスト 5 みたいなね。それ、面 白いと思いますよ。

佐藤:大変いい結論になりました。愛博協で 是非検討したいと思います。

木本:本当だよ。是非やってほしいね。

佐藤・橋本:本日はありがとうございました。

普及活動、中でも子どもを対象にした事業 への考え、そして、美術館の根幹としての コレクションと学芸員について、と堰を切 ったようにそれぞれが熱く語られ、こちら が想定しなかった話題も含めて、話が続い ていった。

筆者も質問を挟むのも忘れて、ただ話に 聞き入り、時には、話に加わっていた。終 わって振り返れば、美術館の現場で長年第 一線を歩いてこられた方々ならではの、生 の声を聞かせていただけたと感じている。

もう一つ、お三方のお話しの中で感じた のは、自分の所属する館をどうするかとい う視点と同時に、県内外の他の博物館・美 術館についても、今後どうなっていくのか、

そこで自分たちは何をしなければならない のか、という強い自負と責任感とをそれぞ れの立場でお持ちであるということであ る。

インタビューさせていただいた筆者たち にとって、同じ問題意識を持ちながらも、

思い至らない深さと重みのある内容だっ た。同じ職場内では、逆にこれほどまでに ざっくばらんに話しをすることはなかった ように思う。他館の先輩方とこうした機会 を持てることが、愛知県博物館協会という 集まりの利点であると考える。

愛知県博物館協会には、課題もいただい た。若手学芸員のバックアップを視野にい れた顕彰制度の検討である。これは、単に 賞を受ける側だけにメリットがあるのでは ないと思う。実現すれば、推薦・審査する 方々は、各館園の展示や研究、普及活動に 目をくばり、そしてどんな人がいるのかと 出掛けていくだろう。それが世代や専門を 超えた新たな交流に繋がり、県内の美術 館・博物館ネットワークは、よりリアルな ものへと変わっていくのではないか、そん な展開を予感させられる、やりがいのある 課題である。選考方法のことなど、クリア しなければならない問題も多いが、大局的 な立場から、若手学芸員の育成から愛知県 博物館協会の活動の活性化までをも念頭に おかれての提言であると認識し、実行委員 会としても真剣に取り組まなければならな いと考えている。

実は、ここに掲載したのは、1時間40分 のインタビューの内容の半分ぐらいであ

る。現場のトップにいる方々ならではのご 紹介したいお話しがまだまだあるのだが、

紙面の都合で省略させていただいた部分 と、過激すぎて割愛させていただいた部分 もある。お話しもまだまだ尽きないところ での時間切れであった。またいつか、研修 会などの場で、御三方を囲んでこの続きを 聞かせていただきたいと思う。

(文責:佐藤一信)

が現場から立ち上げられたってことは大きい んじゃないかなって気がする。

Q:『DOME(ミュージアム・マガジン・ド ーム)』註2で山田さんは「美術を見る目 や時代・社会を理解する力を仕事を通じ て体得した」とおっしゃっていますが、

具体的にはどのようなやり方でしたか?

もちろん美術だけじゃなくて、哲学、歴史 学、社会科学、文学などの本を意識してたく さん読んだ。けれども人との出合いが一番。

うちの開館記念展は「20世紀絵画の展開」っ ていうんだけど、いろいろな美術館から作品 を借りて、展覧会を構成しようという発想で 準備をした。それはなぜかっていうと、展覧 会の準備をする中でいろいろな美術館に、名 古屋市美術館ができるってことをアピールで きるし、出品交渉する中でつながりもできて いく。そういう形で開館前からいろいろな美 術館の学芸員とのコンタクトを持てたってい うのは大きい。また幸運なことにバブルの絶 頂期だったからお金があったこと。展覧会の 規模も大きいものを考えられたし、展覧会準 備にもお金がかけられた。僕が企画した展覧 会だと、1990年に開催した「日本のシュール レアリスム1926−1945」展。調査とか研究の ために全国を飛び回って、たくさんの画家や 美術館学芸員と知り合った。ただ当時、僕は まだ美術館は展覧会をする場所だと思ってい たけれどね。

Q:当時と今との考えの違いは?

バブルの時代を体験したからこそ、考えが 変わったと思う。自転車操業のように開館か ら5年間くらい走り続けて、ほとんど展覧会 しかできない状況だったから、これでいいの かなっていう思いはあった。もう一方で、僕 は開館3年前に入って、展覧会をしない準備 室の時は、仕事のほとんどがコレクションだ った。入って2年目から収集の担当になって、

オープンしてからもしばらくは担当していた から、この美術館に入っている9割くらいの 作品には目を通している。早い段階から郷土 美術の調査もしていて、最初からコレクショ ンが大切だという思いは根底にはあった。準 備室の時にコレクションする面白さも知った し、それから意義もわかってきていて。

また「日本のシュールレアリスム」展をや Q:学芸員という仕事を選んだ理由は?

父親が趣味で、とはいってもかなり本格的 に絵を描いていて、絵を描く人間が近くにい たっていうのは大きいだろうね。もともと命 を考える仕事がしたくて、高校を卒業する頃 は哲学をやろうと思っていた。それが大学に 入って歴史学にも関心を持ち始めて、最終的 には「趣味と実益を兼ねて」ってことで美術 史を選んだ。実際は兼ねられないんだけどね。

大学3年の時から映画をたくさん観るように なって、一時は映画(ソ連の映画監督エイゼ ンシュテイン註1)で卒論を書こうと思って いたくらい。結局は自分の世界観の延長線上 にある時代と社会の美術を研究するのが一番 いいと思って、日本の近代美術を選んだ。卒 論は黒田清輝で、修論は岸田劉生を書いた。

その頃にはもう、大学の研究室に残る気は全 然なくて、最初から現場、美術館に行きたい と思っていた。それが1985年で、幸運なこと に名古屋市美術館の準備室の募集もあって、

なんとか学芸員になれた。

Q:ほぼ20年のキャリアの中で心に残るこ とは?

一番は、美術館の準備室に入ったことが大 きい。つまり、もう開館して路線もある程度 決まっている美術館に入ると、ある意味で自 分を美術館に合わせていかなくてはならな い。どこの美術館の学芸員もそうだけれど、

自分の研究分野をそのまま仕事に生かせるな んてなかなかない。けれど準備室にいると、

まだある程度自分たちの考えで方向性が決め られる。そういう部分があったからよかった と思っている。例えば名古屋市美術館のメキ シコ・ルネサンスのコレクションは、僕も含 めて当時現場にいた学芸員の方から提案した ものだった。専門家のいない分野だったので、

作品の収集には苦労したけれど、日本で唯一 のコレクションができたと自負している。そ ういう美術館の活動方針の根幹に関わる部分 に関係することができたのは、準備室にいた からだと思う。あと名古屋市美術館は、日本 の公立美術館の中で非常に稀な貸しギャラリ ーを持たない、純粋な美術館として建ったの は非常に幸運だった。そういう意味では、名 古屋市美術館は条件のいい形でスタートした と思う。建ち上がりの時点である程度の方針

註1

セ ル ゲイ・ミ ハ イ ロ ヴィ チ・エイゼンシュテイン:リ ガ(現ラトヴィア)生まれの映 画監督。映画の基本的手法

「モンタージュ」を理論化し、

実践した。代表作には、世界 映画史上最高傑作のひとつ とされる『戦艦ポチョムキン』

(1925年)、サイレントから トーキーへの過渡期におけ る視聴覚モンタージュの試 み と さ れ る『 ア レ ク サ ンド ル=ネフスキー』(1938年) 遺作『イワン雷帝』(1944年、

1946年)がある。

註2

「美術館・博物館はなぜ必 要 か ? − 総 合 討 議 」、

『DOME』、日本文教出版社、

2004年、第75号、pp.27-28。『DOME』は1992年に 創刊された美術館教育の雑 誌。2004年10月現在、隔 月刊行で第76号である。取 り 上 げ た 第 7 5 号 で は 、 2004年5月8日の美術史学 会、文化資源学会、兵庫県立 美術館の3館共催によるシン ポジウム「美術館・博物館は なぜ必要か?」が特集された。

山田諭氏は、その第2部「美術 館・博物館が必要なものとな るために」の報告者のひとり。

一般に向けた美術館、博物 館教育の雑誌は他に、『月刊 ミュゼ』(株式会社アム・プロ モーション発行。隔月・奇数 月の15日刊行され、2004 年現在で67号。)などがある。

ドキュメント内 …h…L…–…†…fi…g1 (ページ 53-59)