種があげられていた42)。この
48
種にも 「忠」や「孝」という徳目が盛られている, 43)。た, 「 」 ,「 」「 」「 」「 」 。 とえば 二種における 忠 に関する徳目には 忠義 忠節 忠貞 忠勇 がある44)
「孝 に関する徳目には 孝心 がある」 「 」 45)。また,「節烈」「誠」「仁義」「義」「義貞」「愛」
「廉潔正義」などもある 46)。しかしながら,この第二種には 「軟弱 「猥褻 「花流に関, 」 」 する 「忌むべきものあり 「荒唐無稽 「卑劣の行為」という記述がある」 」 」 47)。たとえば,
《仮名手本忠臣蔵 〈桃の井館の段〉には 「軟弱の語句あり最上のもののはあらず」と》 , 記述されている48)。このように,第二種のものは,教育上好ましくないものが部分的に含 まれているが 「忠 「孝」に関する徳目が盛られていることから,教育会によって教育, 」 上多少役立つものと捉えられていたのである。
第三種では 《艶姿女舞衣 〈酒屋の段〉などの, はですがたおんなまい》
39
種があげられていた 49)。しかし,こ, 。 ,
こでは個々の作品の筋書きにはふれず 全体的な所見だけが述べられている50) 教育会は 第三種に属する作品を,あまり評価していないということである。
ここでは 「非理を教ふることになる 「軟弱卑猥 「残酷 「下流界の痴態を写すこと, 」 」 」 露骨に過ぐ などの記述が多くある」 51)。たとえば,《絵本太功記》〈尼ヶ崎の段 には〉 ,「こ の段亦軟弱に亘る語句あり」と記されている52)。《碁太平白石噺 〈新吉原揚屋の段〉には》
「下流界の状態を写すことあまりに露骨すぎて、青年を誤るものあらんを懼る」と記述さ れている 53)。《軍法冨士見西行 〈三の切〉にも 「段中軟弱卑猥に亘る語句あり」と記述ぐ ん ぽ う ふ じ み さ い ぎ よ う》 , されている 54) 。このように,第三種は,社会教育上好ましくないもので,特に,青年子 女にとって有害なものとして捉えられていた。つまり,判断能力を持っている人には害に ならないものであるが,そうでない人には有害なものとなると,教育会は捉えていたので
。 , 。
ある それゆえに 教育会は第三種を社会教育の教材として適さないものとして排斥した 第四種では 《傾城恋飛脚 〈新口村の段〉などの, けいせいこいびきやく》
35
種があげられていた 55)。そして,ここには 「全く教訓的意義を含まずして却て有害なる語句あるもの(中略)普く人口に膾, 炙され、聲曲上には惜しかるべきものあれど、風教上よりして之を観るときは、断然排除 すべきものなりと信ず と記述されていた」 56)。つまり,《傾城恋飛脚》〈新口村の段 や 新〉 《 版歌祭文 〈野崎村の段》 〉,《本朝二十四孝 〈十種香の段〉などは,広く世間の人々からマ マ 》 好まれ,音楽的にも価値がある作品ではあるが,青年子女の劣情を挑発するものであると いう理由によって,教育会は排斥したのである。このように,教育会は,卑猥な語句があ るものに異様にこだわっていたのである。
以上のように,教育会は 「忠」や「孝」という徳目が盛られている作品を社会教育上, 価値があるとし,たとえ音楽的に価値があっても,卑猥なものは善悪の判断力が身につい
, 。 ,
ていない青年子女には有害なものとして 排除したのである このような教育会の見解は 子どもの判断力の状況に即して義太夫の詞章を吟味する必要性が示唆されている。
第五項 『義太夫調査書』に対する反論と教育会の反批判
このような教育会の見解が盛られた『義太夫調査書』は,発行とともに,当時の社会に 大きな反響を呼んだ。特に,大正 (
2 1913
)年5
月3
日から同年5
月18
日の間に,徳島毎 日新聞紙上に13
回掲載された猿丸太夫の「天下の物笑ひ 愚挙の鑑」という教育会の義 太夫調査書に関する批判的な論文は,当時の人々の関心を集めた57)。これに対して,義太 夫調査委員の渡邉千次郎と色川生は 『臨時増刊徳島縣教育會雑誌社会教育号(一名義太, 夫号)』において反批判を展開した 58)。この猿丸太夫の批判文と教育会の反批判文は,義 太夫の教育的価値を吟味する上で有益な示唆を得ることができるものである59)。そこで,以下,猿丸太夫の批判的な論文と教育会の反批判に注目しながら,さらに教育会の見解を 探っていく。
猿丸太夫の批判的な論文では,次の四点が問題として 指摘されている
,
60)。第一に,教育会は社会教育を目的として義太夫調査を行っているにもかかわらず,芸術 である義太夫を非芸術として扱い,詞章の内容から道徳的判断をしている,ということで ある61)。
第二に,教育会が社会教育上有益なものとして捉えている「忠」や「孝」などの徳目は すべて古い時代の道徳観念であって,当時の時代思想に適さない,ということである62)。 第三に,教育会が社会教育上不適切とした第四種の中には心中物が含まれており,しか もこれを軟弱卑猥なものとしている,ということである63)。
第四に,教育会は社会教育に役立てるために義太夫を取りあげているが,義太夫は単な る娯楽であって,社会全体に及ぼすほどの効力はない,ということである64)。
このように,猿丸太夫によると,義太夫は,時代遅れのものであって,たとえ義太夫に 感化力があるとしても,社会や民衆の心を改良していくだけの効力はないと捉えられてい る。つまり,猿丸太夫は,愛好家のために義太夫を演じる芸術家の専門的な見地から教育 会の義太夫調査の中にみられる義太夫自体の芸術的,文化的価値に関する認識に対して批 判を行っている。要するに,一般民衆を意識した見解ではなく,義太夫を愛好する一部の
, , 「 」 。 ,
エリート層 たとえば 藍商人という だんなさん などを意識しているのである 一方 教育会は一般民衆を対象として,社会教育の視座から義太夫を吟味している。教育会と猿 丸太夫の見解の相違は,このような義太夫を鑑賞する聴衆の想定が異なっていることによ って生じている。
このような猿丸太夫の批判に対して,調査委員の渡邉千次郎と色川生は,次のような反 批判を明らかにしている65)。
第一に,義太夫を非芸術として扱っているということに対して,色川は「義太夫も一つ つまり,教育 の藝術たるに相違なく、又娯楽たるはいふまでもない」と述べている 66)。
会は,義太夫が芸術であることは自明のことであることを明らかにしている。さらに,
渡邉は,義太夫における芸術としての価値を問題にしているのではなく,社会教育とし ての価値を吟味するために義太夫調査を行ったことを明らかにしている67)。そして,一般 民衆を対象とした社会教育においては,義太夫の道徳的な影響について検討を加えるこ とは当然であることを明らかにしている68)。つまり,教育会は,智徳の判断力が未熟な人 を含む一般民衆を対象として,義太夫の社会教育的な価値を吟味しようとしていたので ある。
第二に,時代物で扱われている「忠」や「孝」などの徳目が当時の時代思想に適さな いという批判に対して,色川は,登場人物の行為の真似をするのではなく,登場人物の 心情に着目することに意義があることを明らかにしている 69)。さらに,渡邉は 「忠孝節, 義の形式方面は神代も、源平時代も、徳川時代も變わらぬけれども、その内容方面は時 代時代の變遷によりて異なる」と述べている 70)。つまり,忠孝節義の具体的,行動的な 規範は,時代によって変容するが,そこに通底する原理的,本質的な側面は普遍的なも
のであり,変化しないことを明らかにしている。そして,この側面に社会教育としての 価値を見出そうとしていることを明らかにしている。要するに 「忠」や「孝」の精神に, みられる原理的,本質的な側面は普遍的なものであるので現代社会においてもその精神 を受け入れるべきであり,具体的,行動的な規範は時代に伴って変えていかなければな らないことが明らかにされている。
第三に,芸術的に価値がある心中物を軟弱卑猥なものとして排斥しているという批判 に対して,色川は「第三、四種に貶したものは總て現代の青年子女が陥り易き弊を含ん で居る」という指摘だけで終えている 71)。また,渡邉は,猿丸太夫の心中物を排斥した ことに関する批判に関しては,反批判的な記述を全く明らかにしていない 72)。つまり,
「忠」や「孝」の精神に関しては,その普遍的な側面に着目していくべきことを主張し たが 「心中」に関しては,普遍的な側面よりも,具体的,行動的な側面に着目し,社会, 教育においては不適切な作品になることを明らかにしていることになる。おそらく,判 断力が未熟な青年子女のことを意識し,彼らが陥りやすい行動を配慮して,心中物を排 斥したと考えられる。
第四に,娯楽として親しまれている義太夫が社会に及ぼす効力が少ないという批判に 対して,色川は 「義太夫は我が県下に最も廣く流行している娯楽である」と反論してい, る 73)。そして,社会教育に影響を及ぼすものとして入念に吟味する必要があることを指 摘している74)。
以上のように,教育会は,一般民衆を対象とする社会教育という視座から,義太夫の 教育的価値を主張していた。特に,判断力が未熟な青年子女の存在を意識しながら義太 夫の影響を慎重に吟味していたのであった。つまり,教育会が対象としていたのは,青 年子女のように智徳の判断力が未熟な人を含む一般民衆であった。一方,猿丸太夫が対 象としていたのは,判断力を持っている智徳の高い義太夫の愛好者であった。それゆえ に,教育会と猿丸太夫の双方の論理には齟齬が生じていたのである。とはいえ,猿丸太 夫の批判によって,教育会は,社会教育の視座に立った自らの義太夫に関する見解を一 層明らかにすることになったのである。
第六項 『義太夫調査書』が示唆する阿波人形浄瑠璃の精神的価値
教育会の義太夫調査を通して,義太夫には社会教育的な価値があることが明らかにされ 忠孝節義の具体的,行動的な規範は,
ていた。つまり,渡邉によって,義太夫における
, , ,
時代によって変容するが そこに通底する原理的 本質的な側面は普遍的なものであり 変化しないことが明らかにされていた。