第五章では,阿波人形浄瑠璃の社会教育としての価値と学校音楽教育における価値につ いて,吟味する。
第一節 阿波人形浄瑠璃の社会教育的な価値
, 2
徳島縣教育會 (以下 教育会と記す は 義太夫を社会教育の観点から吟味して 大正1) ) , , (
1913
)年に 『義太夫調査書』を発行している。この調査書には,約,100
年前の徳島の著 名な教育者の教育思想が盛られていることから当時の社会教育の思想を探ることが可能と なり,ここから現在の学校教育における阿波人形浄瑠璃の教材としての可能性を検討して いく上で有益な示唆を得ることができる。そこで,第一節では,この『義太夫調査書』に 焦点をあて,阿波人形浄瑠璃の社会教育としての価値について,吟味する 。2)第一項 『義太夫調査書』の歴史的背景
阿波は,先に述べたように,江戸時代から,藩主蜂須賀が人形芝居を保護する政策とっ たことに起因して浄瑠璃が非常に盛んな県であり,明治期にはだれでも一口浄瑠璃をかた れるほど,民衆の間に浸透していた。
しかし,明治
20 1887
( )年頃から次第に興行が減少していき,演じられている外題は優 れたものとそうでないものが混在していた。つまり,神河庚蔵が 「浄瑠璃本汗牛の多き, 至りたり玉石混淆読む者聞く者をして選択に苦しむ」と述べているように,当時は優れた 作品とつまらない作品が区別がつかないという有様であった 。3)また,教育会が義太夫に着目した頃は,明治
38 1905
( )年から明治40 1907
( )年にかけて 矯風事項並実施方法の調査をしており,学校と社会と家庭とが協力して社会および教育の 改善を図ることが要望されていた。この調査では,義太夫に関わるものとして「第六演劇 場寄席等に関すること」において「官庁は脚本の調査を厳にして淫靡不倫なるものを禁じ ること」という記載がある。さらに,明治41 1908
( )年に「戊申詔書」が渙発され,民風 の改良に努力することが特に為政者や教育者に要請されていた。そして,明治44 1911
( ) 年には,文部大臣のもとに「通俗教育調査委員会」が設置され,全国で通俗教育[社会教 育 に関する調査が行われていた このような社会状況の中で 教育会は 明治] 。 , ,43 1910
( ) 年11
月に社会教育調査委員会規則を制定し,当時の県師範学校や女子師範学校などの校 長,県事務次官,県視察官ら8
名を調査委員に任命し,通俗教育[社会教育]として義太2 1913 4 1 4
夫に関する調査に着手した。そして その調査結果を, ,大正 ( )年, 月 日,同年
月
30
日,同年7
月22
日に 『義太夫調査書』として発行した。つまり,教育会は,三ヶ, 月という短い間に三つの調査書を世に出したのである。この三つの調査書には,義太夫調 査書の趣旨や四つの種に分類された外題の一覧表掲載されており,社会教育の教材として 有益な義太夫によって青年子女や一般民衆を教化するという意図が共通的に盛られてい る。特に,大正 (2 1913
)年7
月22
日に発行された調査書は,増補訂正版として定価23
銭 で販売されており,この調査には広く教育会の理念や改良の方法を全国に発信しようとす る意図が認められる 。4)以上のように,教育会は 「戊申詔書」を背景としながら,矯風事項並実施方法の調査, や通俗教育の調査によって社会教育の見地から風紀の改善策を検討し この動向の中で 演, 「 劇場寄席等に関すること」の吟味を行うこととなり,これまで阿波の民衆が最も深く関わ っていた義太夫に着目し,その善悪に関する調査を行い,その調査結果を発表したのであ る。
第二項 『義太夫調査書』(1913.7.22版)の構成と内容
第二項では,教育会が大正 (
2 1913
)年7
月22
日に発行した『義太夫調査書』に注目し て,この書の構成と内容について述べる。なお,この調査書に注目したのは,附録の部分 には「義太夫調査ノ趣旨 」や「第一民風作興ト社会教育」などがあり,三つの調査書の 中で,阿波人形浄瑠璃の社会教育としての価値を吟味する上で最も適切であると判断され たことによる。この『義太夫調査書』の構成は,以下のようになっている 。5)
内表紙
p.1 p.6
義太夫調査の旨趣 ~
p.7 p.10
凡例[判断基準] ~
p.11 p.25
第一種から第四種に区分された作品目録 ~第一種の個々の作品の筋書きと所見
p.1
~p.68
[改頁]第二種の個々の作品の筋書きと所見
p.69
~p.133 p.134
[ は空白]p.135 p.146
第三種の個々の作品の所見 ~
p.147
第四種の総合的な所見附録
義太夫調査ノ趣旨
p.1
[改頁]p.1 p.4
第一民風作興ト社会教育 ~
p.4 p.7
第二社会教育ト娯楽 ~
p.7 p.8
第三義太夫ノ普遍的勢力 ~
p.8 p.10
第四義太夫ノ価値 ~
p.10 p.12
第五調査ノ内容 ~
p.12
第六旨趣ノ実行p.12
第七本會ノ所期奥付
この調査書は,大きく三つに分けられ,義太夫調査の旨趣と凡例と作品目録,作品の所 見,附録から構成されている。そして,最初の部分は
25
頁,真ん中の部分は147
頁,最 後の部分は12
頁あり,合計184
頁となっている。, , ,
義太夫調査の旨趣では 社会の要求に応じて 好ましくない娯楽を矯正して改良を図り できるだけ高尚純潔な娯楽を選んで民衆に与えることがさし迫って必要であるという教育 会の見解が示されている 6)。また,義太夫が民衆に与える影響は大きく,社会教育上有益 な場合と有害な場合とがあるという見解も表明されている 。7)
, 。 ,
凡例では 義太夫調査の経過と第一種から第四種の判断基準が示されている 第一種は
「社会教育の資料として裨益ありと認めたるもの」 ,第二種は 「社会教育の資料として8) , 第一種に亞ぎ何人をして聴かしむるも、多少の裨益こそあれ、殆ど弊害なかるべしと認め たるもの」 ,第三種は 「社会教育の資料としては多少の欠点を含み、裨益する所少しと9) , 雖も、思慮ある者をして聴かしめば敢えて弊害なかるべきも思慮なき者をして聞かしむれ ば有害の虞ありと認めたるもの」10)
,
第四種は 「社会教育の資料としては、卑猥残酷等の, 著しき欠点を有し、弊害少なからずと認めたるもの」 と示された。つまり,教育会が社11) 会教育上有益であるとみなしているものは第一種であり,第二種は第一種に準ずるもの,第三種は注意を要するもの,第四種は有害なものということになる。
第一種から第四種に区分された作品目録では,この四つの種に属する作品目録を示して おり,第一種として
50
種[作品 ,第二種として]48
種,第三種として39
種,第四種とし て35
種が列記されている 12)。そして,それぞれの種に属している外題,および,年代や 作者名が記述されている13)。第一種の作品には 《伽羅先代萩 〈竹の間の段 〈政岡忠義の段, めいぼくせんだいはぎ》 〉 〉,《菅 原 伝 授手 習 鑑》すがわらでんじゆてならいかがみ
〈松王屋敷の段 〈寺子屋の段〉 〉,《一 谷 嫩 軍 記 〈熊谷陣屋の段いちのたにふたばぐんき》 〉,《仮名手本忠臣蔵 〈判か な て ほ ん ち ゆ う し ん ぐ ら》 官切腹の段〉,《奥 州 安 達 原 〈宗任物語の段〉などがあげられているおうしゆうあだちがはら》 14)。特に,先に例示 した《伽羅先代萩 〈政岡忠義の段〉に関しては 「政岡の忠烈は云はずもがな、千松とめいぼくせんだいはぎ》 , 鶴喜代とが殊勝なる言々句々、皆これ武士道の発露たり」と記述されている 15)。《菅原伝 授手習鑑 〈松王屋敷の段〉では 「殊に小太郎が小児ながら喜んで身替わりとならんと》 ,
する衷情は忠孝一本てふ日本道徳の好範なり」と記述されている 。
第 二 種 の 作 品 に は 《 仮 名 手 本 忠 臣 蔵 〈 勘 平 切 腹 の 段 〈 桃 の 井 館 の 段 ,, 》 〉 〉
《恋女房染分手綱 〈重の井子別れの段こいにようぼうぞめわけたづな》 〉,《傾城阿波の鳴門 〈順礼歌の段》 〉,《卅三所壺 坂霊験記 〈壺阪寺の段》 〉,《絵本太功記 〈妙心寺の段〉などがあげられている》 17)。特に,
《仮名手本忠臣蔵 〈勘平切腹の段〉では 「勘平が死して忠義の鬼となり、極点仇討の》 , 御供をせんといふ誠忠」と記述されている18)。また 《傾城阿波の鳴門 〈順礼歌の段〉に, 》 関しては 「おつるが海を渡り、山を越えて父母を尋ぬる可憐の情と母お弓が子に対する, 慈愛の情」と記述されている19)。
第 三 種 の 作 品 に は 《 絵 本 太 功 記 〈 尼 ヶ 崎 の 段, 》 〉,《 艶 姿 女 舞 衣 〈 酒 屋 の 段 ,はですがたおんなまい》 〉
《碁太平記白石噺 〈新吉原揚屋の段ごたいへいき しらいしば なし》 〉,《摂洲合邦辻 〈合邦内の段》 〉,《生 写 朝 顔 話》しよううつしあさがおばなし
〈宿屋の段〉,《御所桜堀川夜討 〈弁慶上使の段〉などがあげられているご しよざ くら ほり かわよ うち》 20)。特に 《碁, 太平記白石噺 〈新吉原揚屋の段〉では 「揚屋の亭主宗六の義侠等採るべきものあれど》 , も(中略)前半に下流界の状態を写すことあまり露骨に過ぎて、青年を愆るものあらんを 懼る」と記述されている 21)。また 《生写朝顔話 〈宿屋の段〉では 「主人公美雪(朝顔), 》 , み ゆ き が淫奔の顛末を物語る所、軟弱にして子女を 愆 る 嫌 あり」と記述されているあやま きらひ 22)。
第四種の作品には 《本朝二十四考 〈十種香の段, マ マ 》 〉,《新版歌祭文 〈野崎村の段 ,しんぱんうたざいもん》 〉
《傾城恋飛脚 〈新口村の段けいせいこいびきやく》 〉,《生写朝顔話 〈摩耶ゲ嶽の段》 〉,《嫗 山 姥 〈廓物語〉なこもちやまんば》 どがあげられている23)。これらの作品は,一括して「教訓的意義を含まずして却て有害な る語句あるもの(中略)徒らに青年子女の劣情を挑発せしむる嫌あるもの(後略 」と記) 述されている24)。
附録には,大正 (
2 1913
)年4
月30
日における教育会総裁の演説の内容の要旨が掲載さ れており,七つの項目から構成されている25)。ここでは,社会教育と娯楽や義太夫の価値 という内容が示されている。したがって,項を改めて検討する。第三項 『義太夫調査書』の「附録」にみられる教育思想
大正 (
2 1913
)年7
月22
日に発行された 義太夫調査書 は 同年『 』 ,4
月に発行された 義『 太夫調査書』よりも明確に,教育会の見解が表明されたものとなっている。つまり,教育 会は, 月4 1
日と4
月30
日に発行した『義太夫調査書』を一部加筆修正し 「結論」と捉, えられる附録の部分を付け加えることによって,義太夫に関する自らの考えを一層明確に 表明した調査書を作成した26)。「 」 , ,
この附録の冒頭に示された 義太夫調査ノ趣旨 では 義太夫そのものの品格を高めて 義太夫を社会教育に有効に機能するものにするという教育会の意図が明らかにされている
27)。
「第一民風作興ト社会教育」では,国や地方を豊かにし,望ましい方向に発展させるに は,社会教育によって人心を整え,民衆に望ましい風習をふるいおこさせることが必要で あることが明らかにされている28)。
「第二社会教育ト娯楽」では,娯楽は社会教育との関わりが深いもので,社会教育上大 きな影響力を持っていることが明らかにされている29)。
「第三義太夫ノ普遍的勢力」では,長年全国各地において,特に,徳島において広く行 われ,民衆に親しまれている義太夫が国の風習に,特に,徳島の人々の心に非常に深い影 響を与える可能性があることが明らかにされている30)。
「第四義太夫ノ価値」では,当時,世間に広がっていた義太夫の中にはみだらなものが あり,このような望ましくない義太夫は青年子女の欲情をあおりたて,下品な行動を誘発 させ,人としての道をふみはずす危険性があることが明らかにされている31)。そして,教 育会によって,優れた義太夫とは,忠孝信義節操廉恥などの徳目が盛られているもので,
多くの人々に深い感動を与え,気力を充実させるものであるとされている32)。つまり,忠 孝信義節操廉恥などの徳目が盛られている義太夫が,社会教育上有益な教材となるという ことを意味している。
「第五調査ノ内容」では,義太夫を,先に述べたように,第一種から第四種に区別し,
第一種と第二種を推奨し,第三種と第四種を排斥するという教育会の見解が明らかにされ ている。そして,民衆の前で浄瑠璃を語るときには,作品中の忌まわしい詞文を削って改 め,教育的に望ましいものとするという教育会の見解が表明されている33)。このように,
義太夫の短所を除いて長所を残すことによって,高尚純潔な娯楽になるようにするという 教育会の意図が明らかにされている。
「第六旨趣ノ実行」では,このような教育会の考えに賛同する団体が各地に創設され,
義太夫が社会的な娯楽となっていくことによって教育会の目的が達成できることが主張さ れている34)。
「第七本會ノ所期」では,このような義太夫に関する教育会の理念や改良の方法を徳島 県だけに留めないで全国に広め,義太夫だけでなく他の娯楽や遊技と社会教育の関係につ いて世間の注意をよびおこし,当時の入り乱れていた娯楽や遊戯を改良していこうとする 教育会の願望が述べられている35)。
以上のように,義太夫そのものの品位を高め,義太夫を社会的な娯楽として存在しうる ようにするという教育会の理念や義太夫の改良の方法が明らかにされている。社会教育の 資料[教材]として優れた義太夫,すなわち,忠孝信義節操廉恥などの徳目が盛られている 義太夫によって,当時の民衆を教化しようとする教育会の考えが認められる。また,教育
, ,
会が民衆 特に徳島の民衆と関わりが深い義太夫の価値を吟味したという歴史的な事実は