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41 の推進を促していると解釈できる。

ドキュメント内 韓国における財政分権改革の研究 (ページ 41-57)

1990 年代から 2000 年代半ばまで、韓国の中央財政と地方財政の規模は急速に伸長してき た。ただし、中央・地方間の財政比重は 1995 年の 72.7%:27.3%から 2003 年の 71.6%:

28.4%までほぼ変化なく、財政面での集権構造が固着していた。それに対する廬武鉉政権期 の財政分権を、自主財源の状況と変化を中心に考察する。

地方税の脆弱さは従来から指摘されていたが、廬武鉉政権になっても、表2.3でみたよ うに、地方歳入のうち地方税が占める比重は依然として 30%台にとどまり、地方税だけでは 人件費を支払いきれない団体が 141 団体(全地方自治団体数の 56%)ある。また、豊かな 首都圏と非首都圏地方との地方税増加率の差は著しく、これは、地方自治団体間の財政不 均衡が深刻な問題であることを示していた。そもそも韓国では財政規模と人口は高い相関 関係をもっているが、廬武鉉政権が成立した時期、首都圏に人口の 47.5%と地方財政支出 の 41.3%が集中していたことも、首都圏と非首都圏との格差拡大を促した。そのなかで、

地方財政の分権と地方自治が強調されたものの、地方財政の運営は補助金を中心とした国 主導の方式は根強かった。つまり、日本の特徴とされる「集権的分散システム」40が韓国に も長年続いていたのである。

発足直後の廬武鉉政権は、これらの問題を是正するために地方革新分権委員会を中心と する政府ネットワークを組織し、財政分権関連のロードマップと関連法案である地方分権 特別法を立案し、国会の立法過程を経て政権の期間内に推進していた。

以下は、廬武鉉政権の財政分権政策が推進されるまでの関連委員会と立法過程の成果と 課題を考察してみる。

廬武鉉政権が集権直後に地方分権に関する最初の法律として立法したのが 2003 年の 12 月 29 日制定された「地方分権特別法」である。この法律は、地方分権に関する機構である 政府革新地方分権委員会が制定した地方分権ロードマップを基礎として、国会で予野党の 合意を経て可決されたものであり、廬政権期の地方分権推進における法的な根拠として重 要な意味をもつ。

この法律は、地方分権に関するロードマップと関連する特別法であり、①政治行政組織 の地方移譲において、包括的な移譲方式を採択、②「消極的補充性の原則」を事務配分の 原則と規定し、従来は、特定な行政事務が地方事務であることを地方自治団体が立証しな ければならなかったのに対して、今後は特定な行政事務が国家事務であることを国が立証 するようにルールを変更したほか、③差等及び試験的分権を明示し、地方自治団体の自治

40 神野(1998)pp. 110-125、池上(2004)pp. 41-43を参照せよ。

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与件により分権の程度を差等的に実施することを試みた。これにより、済州道特別自治道 が後ほど誕生する。

図 2.2 地方分権推進ネットワーク

資 料 : 韓 国 政 府 革 新 地 方 分 権 委 員 会 『 参 与 政 府 の 地 方 分 権 』( 2007 年 a )、

p.55

。 http://innovation.pa.go.kr/intro/organization.htm (2014年

8

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日アクセス) 及 び政府革新地方分権委員会の組織構造図を参考に筆者作成。

地方分権改革を推進する推進機構を制度化したことが、地方分権特別法におけるもっと も重要な意義である。それは、地方 4 団体(全国市道知事協議会、全国市道議会議長協議 会、全国市長・郡首・区庁長協議会、全国市郡区議会議長協議会)が参加する地方分権推 進委員会であり、これは、地方自治団体が国政に参加できる最初の事例として大きく評価 される。また、地方分権特別法は与野党とも異議なく国会では圧倒的な賛成多数で可決さ れた41。また、地方分権の推進にあたっては、政府革新地方分権委員会を中心とした地方分 権関連機構が重要な役割を担当した。廬政権が発足した当時に活動していた地方分権に関 する機構は、地方移譲推進委員会(1999 年)、地方分権推進のための委員会(2003 年 4 月)、 政府革新地方分権委員会(2003 年 12 月)の 3 重構造であった。地方移譲推進委員会を除く 2つのうち、地方分権推進のための委員会は後ほど政府革新地方分権委員会に統合される

41

244

回第

4

次国会本会議会議録(2003年

12

29

日)。地方分権特別法案は在籍

193

人の うち、賛成

187

人、反対

2

人、棄権

4

人で可決。

政党・国会

大統領

政府革新地方分権委員会

政府部処(省)

234 個市郡区 研究機関 行政自治部

地方 4 団体 16 個広域市道

市民団体・言論

地方分権専門委員会・財政税制専門委員会の他5つの専門委員会

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ことになる。後者は大統領直属の諮問機関として機能しており、地方分権ロードマップや 地方分権特別法の制定過程において政府側の代表的な存在としてその役割を果たした。図 2.2で示しているように、大統領側に置かれた政府革新地方分権委員会は、地方分権のみな らず、諸行政関連の政策を審議、推進する機構として活動した。同委員会の傘下には行政 改革専門委員会、人事改革専門委員会、地方分権専門委員会、財政税制専門委員会、電子 政府特別委員会、記録管理専門委員会、革新分権評価専門委員会の7つの専門委員会組織 で構成されている。そのうち、地方財政政策業務の中心的な存在は、地方分権専門委員会、

財政税制専門委員会の2つである。

しかし、政府革新地方分権委員会は、発足当時から、その人員構成が地方分権への積極 性を保障するものだったとはいえない。政府革新地方分権委員会は、各政府部処(日本の 省に当てはまる)の長官 7 名 (財政経済部長官、行政自治部長官、情報通信部長官、企 画予算処長、国務調整室長、中央人事委員会長、大統領秘書室政策室長)、さきに挙げた地 方 4 団体から推薦された 4 名の 11 名で構成された42。この人員構造からみると、財政分権 を担当する部署としての専門性が不足している。実際の政策策定に関わる専門委員は概ね 大学教授で構成されたが、上級機関の政治的考慮による任用と中央政府部処の長の参加に より、分権への政策意思が不足する恐れがあったといえる。また、委員会内部には地域の 声を代表するものとして地方 4 団体以外に、民間企業などのメンバーが参加しなかったこ とも、最初から国主導で政策作りが行われる方向で動いていくことを意味する43

一方、日本の地方分権改革に関する委員会の構成の面でみると、廬武鉉政権期に先立つ 1994 年には地方分権推進委員会が、また、廬政権成立後の 2006 年には地方分権改革推進委 員会が設置された。これらの委員会の構成をみると、まず、政府任命の民間人たる非常勤 の委員長が委員会を代表していた。事務局には中央政府すなわち旧総務庁(総務省)、旧自 治省(総務省)、財務省から次長3名が参加し、霞が関職員と少数の地方自治体の職員、そ して民間企業からの派遣職員まで網羅する形をとっていた。特に、次長以下の職員は委員 会に属しながら同時に政府の立場で地方分権改革推進計画等を作成する内閣府の地方分権 改革推進室の職員も兼ねており、勧告を政策として具体化するために有機的なサポート体 制をとっているのが特徴である。委員会の構成自体をみると、韓国の例と比較してより分 権的なマインドをもつ民間から委員長および委員が参加している点、そして、地方分権推 進委員会の決定について内閣は尊重すべきという規定が含まれていた点は評価できる44

42 韓国地方自治法第

154

条の2。

43 キム・スンウン(2005)pp.39-40を参照せよ。

44 西尾(2007)pp.23-28、宮脇(2010)pp.91-92。

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ここで、廬武鉉政権の財政分権を検討する際に注目すべき点として、同政権が地方分権 政策と同時に国家均衡政策も並行して推進したことを指摘したい。大統領選挙のスローガ ンとして地方分権と国家均衡発展を同時に実行するマニフェストを掲げていた廬武鉉政権 は、政権が成立して以降、政府革新地方分権委員会の内に両方の政策を担当する委員会を それぞれ設置して2つをパッケージとして推進したのである。これは後ほど、財政分権ロ ードマップの選定過程、及び地方財政制度の改革が歳入の分権から歳出の分散に変質した 政策過程において重要な要素として作用する。まず、地方分権を重視する側は、行政自治 部と地方分権専門委員会である。それに対して、国家均衡政策をより重視する側は、財政 税制専門委員会と財政経済部、企画予算処である。前者の地方分権専門委員会の構成メン バーは行政学者が主流であるのに対して、後者の財政税制専門委員会は経済学者中心であ ることが決定的な差異である。自然に、地方財政制度改革の方針についても対立が多く発 生していた。

前者の地方分権重視側が重視するのは、地方分権特別法第 2 条に定義されている地方分 権の理念、つまり、「住民の自発的な参加を通じて地方自治団体がその地域に関わる政策を 自律的に決定し、自己責任の下で執行することを意味し、国と地方自治団体間、あるいは、

地方自治団体相互間の役割を合理的に分担することで、国政の統一性確保および地方の特 性と多様性が尊重される地方自治の実現」との基本理念である。これは、国の政治行政権 限を移譲する内容であり、財政面でみると、地方自治団体がイニシアティブをもつ課税権 の拡大、すなわち、税源移譲が代表的な改革となる。つまり、国から政府機能の地方移譲 に伴う財源の地方移譲になる財源の純増を主張し、「先財源移譲、後機能移譲」をスローガ ンに掲げたのである。

それに対して、後者の国家均衡重視側は、国家均衡発展特別法第 1 条に基づき、国家均 衡発展を「地域間不均衡を解消し、地域革新および特性にあう発展を通じて自律型地方化 を促進することで、全国が個性豊かで平等に反映できる社会」と定義し、それを基本理念 としている。

彼らは、実質的には財政税制ロードマップの中枢を担当する委員会でもあり、財政分権 政策として、国家財源が限られているなかで、機能移譲が前提されていない限り財源移譲 を含む地方財政の純増に反対し、むしろ、政府間財政移転制度の合理的な再調整を主張し た。そもそも国家均衡発展の理念は、基本的に国の立場を代弁する中央集権的方式である。

つまり、垂直的な財政移転制度である国庫補助金と地方交付税を中心に運営されていた地 方財政の形を全面的に改革するのではなく、むしろ、従来の形のまま拡張する方向で働い たのである。当時、地方分権の中軸として推進された行政首都建設推進は違憲判決で挫折

ドキュメント内 韓国における財政分権改革の研究 (ページ 41-57)