第Ⅲ部 貧困削減と人間の安全保障に関する論点整理 第10章 リスクに対する脆弱性と貧困:経済学のアプローチ
「貧困削減と人間の安全保障」調査研究報告書
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次に、厚生水準が変動することと貧困指標との関 係について考えてみたい。人々は常に消費の変動を 嫌い、誰もが所得に比べて消費をならして配分する ように行動している。例えば、途上国の農民は、収 穫した作物の売り上げをすぐに全額消費してしまわ ずに、一部を蓄え、また作物の一部も貯蔵すること で次の収穫までの時期を乗り切ろうとする。つまり、
ある程度の長い期間で見た場合、人々は所得のばら つきよりも消費のばらつきを減らすように行動す る、つまり消費の平準化(consumption smoothing)
を行っているのである。
このような消費平準化の動機は、消費のばらつき を避ける、つまりリスクを回避することにあると考 えられる。こうした行動動機を貧困指標にも反映さ せるには、消費水準が変動することで貧困の苦痛が 高まるような指標が求められることになる。そうし た指標とは、個人の貧困スコア関数が原点に対して 凸になるような指標である。その一例を表したのが、
図10−3である。ここで、2時点間で変動する貧困 者の消費水準を考える。第1期には +ε、第2期 には −εの消費が得られたとすると、この個人の 平均の貧困スコアは Total poverty の水準に決 まる。一方、2期とも平均 の消費が得られたとす る と 、 こ の 個 人 の 貧 困 ス コ ア は c h r o n i c component の水準になる。両者の差が transient component 、つまり消費が変動することによるコ ストと考えることができる。
1)2つの貧困概念
Banerjee(2000)は、貧困には一見すると相容れ ない2つの貧困概念があると述べている。その一つ は、貧困層は失うものがほとんどないので絶望的な のだという見方である。もう一つは、貧困層は失う ことがきわめて苦痛なので、それを恐れているのだ という見方である。彼は前者を「絶望としての貧困」、 後者を「脆弱性としての貧困」と区別し、前者の状 況を貧困者の厚生水準に現状より下がりようのない 下限があるためにモラル・ハザードが起こる状況と して検討し、両概念を結びつける試みをしている。
し か し 一 方 で 貧 困 層 を 「 慢 性 的 貧 困 ( c h r o n i c poverty)」と「一時的貧困(transient poverty)」
に分けて考える諸研究1に照らせば、前者は今以上 に失い得るもののない慢性的貧困、後者は貧困層の なかでも貧困ラインに近く位置する一時的貧困だと 理解することもできるだろう。
Mookherjee(2003)は同様な観点から、社会保 障政策と貧困削減政策を区別する必要性を強調して
0.2 0.2 0.4 0.6 0.8 1
0.4 0.6 0.8 1 1.2 1.4
FGT(3) FGT(2)
FGT(1)
図10−1 FGT measures
0.2 1 2 3 4 5
0.4 0.6 0.8 1 1.2 1.4
β=0
β=0.5
β=1
=FGT(1)
図10−2 Clark-Watt measures
Total poverty chronic component
Transient component P(x)
Z
ε ε
図10−3 貧困指標と変動のコスト
1 Ravallion(1988)
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いる2。社会保障政策は、一時的に生活状況が悪化 するショックを被っている人々に対し、そうしたシ ョックからの保護を提供することである。一方、貧 困とは重要な資産や潜在能力の剥奪状態を指してお り、その悪影響は一時的なものではあり得ない。こ の観点からすれば、貧困削減政策とは、そうした資 産を持たない人々に対し、そうした資産への長期的 投資を促す戦略であり、社会保障とは資産を持つ、
持たないに関係なく、一時的なショックを和らげる 政策となる。
ただし、付け加えて彼は、この2つの政策が相互 に関連していることも認めている。つまり保険がな い状況では、安全な機会と職業を選択するように貧 困層の人々は行動し、リスクを伴うが、貧困から抜 け出す可能性のある選択が妨げられるのである。し かし「一時的なショックのない世界では、保険の問 題は消え去るが、貧困問題は消えることがないので ある3。
(2)貧困指標の分解
本項では、先に述べたような相互関連をとりあえ ず無視し、貧困を消費水準の低さに起因する慢性的 貧困と消費水準の変動による一時的貧困とに分解す る手法を紹介し、実例を用いて検討したい4。まず、
ある個人の消費水準を確率変数 t(t= 1, 2, . . . , T)
で表す。(1)式で表した貧困指標はすべて とzに 関して0次同次であるため、個人の貧困スコアを p( )≡p(xt/z, 1)と表すことにする5。 の平均値を で表すと、毎年の値の平均値からの乖離 は ≡ − と 表 す こ と が で き る 。し た が っ て E [ ]=0となる。この定式化を用いれば、t期の 個人の貧困スコアはp( )=p(- + )と表すことが できる。この式を- の近傍で3次までのテーラー近 似をとると、次のように書き換えることができる。
当然、この近似は が小さい場合に当てはまるもの である。ここで扱う貧困指標の場合、 t*は tをzで
標準化してあるため、値は0と1の間に入ることに なり、平均値との誤差も0と1の間に収まることに なる。したがって近似の次数nが上がるほど nの値 は小さくなり、4次以上の項は無視できると考えら れる。そこで両辺の期待値をとれば、次のような式 が求められる。
この式は、T期間における個人の貧困スコアの平均 値が、慢性的貧困の部分と一時的貧困の部分に分解 できることを表している。ここで慢性的貧困とは、
T期間の平均の消費水準で測った場合の貧困である。
一方、一時的貧困とは消費水準の分散E [ 2]、つま り「ばらつき」の大きさや、その「ばらつき」の偏 り具合(歪度(skewness)E [ 3])によって被る厚 生水準の低下であると解釈することができる。
右辺の第2項は、分散に個人の貧困スコアp(.)
の2次微分をかけて一時的貧困を評価している。先 ほど見たように、消費水準が変動することで貧困の 苦痛が高まることを表すためには、個人の貧困スコ ア関数が原点に対して凸になっていることが望まし い。その必要十分条件は、貧困スコア関数の2次微 分が正の値をとることである。したがって2次微分 が正の値をとるような貧困スコア関数を用いた場 合、分散が大きければ大きいほど一時的貧困の値が 大きくなることを、この第2項は表している。
右辺の第3項では、個人の貧困スコアの3次微分 を歪度にかけて評価している。もしこの3次微分が 負であるならば、消費水準が下がるほど貧困スコア 関数の傾きの変化率が大きくなり、変動を避ける度 合いがより強くなることを表している6。ここで歪 度が重要になるのは、例えば、歪度が負の場合、
「ばらつき」が平均よりも小さい値に偏っているこ とを意味し、言い換えれば状況が悪化するリスク
(downside risk)が大きいことを意味しているから である。したがって状況が悪化するリスクが大きく
(歪度が負であり)、また消費水準が低いほど変動を 避ける度合いが強くなる(3次微分が負となる)場
2 Mookherjee(2003)p.4
3 Ibid. footnote 5.
4 Ravallion(1988)、Kurosaki(2003)
5 非貧困層の場合は t>zとなるため、個人の貧困指標p( *t)はすべて0となる。
6 Kurosaki(2003)
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合、一時的貧困がさらに大きくなるのである。以上 の条件を満たすような貧困指標は、FGT指標の場合 には ¿>2、Clark-Watt指標の場合にはβ<1を満 たす指標となる。そこで、以下の推計例では ¿=3 のFGT指標と、β=0となるWatt 指標を用いるこ とにする。
(3)ICRISATデータによる数値例
本項では開発途上国の貧困世帯の例として、イン ド に あ る 国 際 半 乾 燥 熱 帯 地 域 作 物 研 究 所
(International Crop Research Institute for the Semi-Arid Tropics)による、1975年から1984年に かけて3村の各40世帯を対象にしたパネル・データ を用いて貧困指標の分解例を示すことにする。ただ し調査期間の最後の数年間はデータの質に問題があ り、また多くのドロップ・アウトが見られるため7、 ここでは1981年度までの最初の7年間に限り、毎年 のデータが得られる106世帯のデータを扱うことに したい8。各家計の消費水準は各州別の農業労働者 消費者物価指数(CPIAL)を用いて実質化した。ま た1人当たり消費額(PCE)は、成人男性が1、成 人女性が0.9、子ども(15歳未満)が0.6のウェイト
をつけて成人換算をして求めた。貧困ラインとして は、Walker and Ryan(1990)、Ravallion(1988)
などで用いられているRs.540(at 1975−1976)を用 いることにする。
1975年時点で見ると平均の消費水準はRs.500.51で あり、半数以上が貧困層であることが分かる。消費 水準の最小値はRs.129.27、最大値はRs.1,497.18であ り、消費水準に大きな格差が見られる。平均消費水 準の変化をグラフにしたものが図10−4である。変 動が大きいものの、消費水準が増加傾向にあるのが 分かる。図10−5は1975、1978、1981年の3年間に ついて、各年の消費水準の分布を累積密度関数で表 したものである。貧困ライン以下の部分を見ると、
時間とともに累積密度関数が下に位置しており、貧 困層の割合が減少してきたことが確認できる。とり わけ1970年代後半の減少が大きい。表10−7はこの 3年間についてさまざまなパラメータのもとで貧困 指標を求めたものである。どの貧困指標を用いても、
貧困が減少してきたことが確認できる。つまり、社 会全体として見ると、貧困が減少してきたことが確 認できる。
では、世帯ごとに貧困状況を検証した場合、何が
Log per-capita consumption ICRISAT villages, India 6.6
6.5 6.4 6.3 6.2
74 76 78 80 82
year
lpce Fitted values
図10−4 ICRISAT農村の平均消費水準の変化
0 0.2 0.4 0.6 0.8 1
0 500 1000 1500 2000
cummem75 cummem78
cummem81
図10−5 消費分布の変化 表10−7 ICRISAT農村の貧困指標
1975 1978 1981
¿=0 0.688 0.430 0.421
¿=1 0.236 0.110 0.093
¿=2 0.105 0.038 0.029
¿=3 0.052 0.015 0.011
β=0 0.320 0.136 0.114
FGT指標 Watt指標
7 Morduch(forthcoming)
8 このデータは農家世帯と農業労働者世帯のみを対象にしたものであり、非農家家計は含まれていない。1975年時点で見 ると、24世帯が土地無しの農業労働者世帯であった。データの全体像は、Walker and Ryan(1990)を参照されたい。