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鴨方町 にお ける自然の改 変

ドキュメント内 教 〕歴史的町鴨方の変貌 (ページ 34-45)

∫ノ

2. 鴨方町 にお ける自然の改 変

(1) 鴨方町の 天井 川

(Jl)鴨方町 内の河川 と天井川 の分布

鴨方町 内に は, 主 (こ8本 の 2級河川が放れ てい る。 鴨方町内の河川 図 (図 1‑ 21 1)i:りわか るJ:うに,鴨 方町内の河川はすべ て鴨方町の はば中央 部 を恥旅 してい る里見川 に注 い でい るo これ らの河川の うら, 杉谷 川,鴨方川, 益坂JHは その始点 を鴨方町 内の北部 山地 に もってい る。堅 川 は その始点を南部 山地 に もってい る。里見川 は, 里庄町東 部に軒 を発 し, 鴨方PT, 金 光町 を横 切 り倉 敷 市に入 り, 玉La湾 に注 いでい る。指田川 は里 庄町 k発 し, 鴨方PT内 で里見 川 に合流す る。 鳩剛 Il

は, 鴨方町の南部山地 に軒 を発 し, 一時里EEPT を流れ,再 び町5万mTに入 って里見川 に合流 す る。

これ ら他方WTを流 れ る

2

鍛河 川について ま とめ

†こものが

衰 1‑21 1

であ るo

鴨方 町内 には天井川が存在 してい る。天井川 とは 「堤防 内に多生 の土砂が堆 8.1し河床面が平 野面 よ り

J

T訂くrLった河 川 ,河体面が高 くrLった ため艇 防 を高 くす る とさ らに唯横が進み 平野 と の比高 は大 とlJる (地学 辞興に よ る )」河 川で あ る。 天井 川 は, 洪水 を防 ぐ目的 で堤防 を重 き 河道 を隠定 した ために で きた とい う意 味 で人工

蓑 112‑1

鴨方町内 の

2

扱河川 河 川 名 全延長 (

m)

qI円延長

( m) 里

見 川

ll

.781.95 3,220̲00 鴨 方 川 3.980.65 3.980.65 括 印 川 4.800.00 3.300.00 益 坂 川 1,811.90 1.811.90 杉 谷 川 2.300.00 2.300̲00 壁 川 2.500.00 2,500.00

岡 川 3.270̲00 2.470.00 本 庄 川 1.360.00 1,360.00 的 lJ地形,,であ り, 人 r'F'Jの生活 と深 くかか わ って

い る。河川の上 流か ら下流のすべ てにわ た って天井 川化 してい るの ではな く, 河川の一部に出現 す る。 また, 天井川においては, しば しば改 捗= 番か行 われ るため, その実 1削 ま年 々変化 してい る。

2万 5千分の 1の地形凶で擬 防の記職 か あ るの は, 堅川 ・鴨方川 と益坂川 .指 田川 ・鳩岡川 ・里見 川の ご く一 部 であ るO この うら国土地理院発行 の土 地条件 図 に天井川 として記峨 され てい るのは, 堅川 ・鴨方川のみで あ るo そ こで本柿 では,堅川 と鴨方川の天井川 につい て述 べ るO

( ロ)

天井川 の変遷

① 墜 川

堅川は鴨方町南東 部の布 島PTとの町境 付近 の 山地 に発す る森迫川 ・巣 山戸 山IHに は じま り六 条 院 町出協 西条風 支店付近 で合流 して堅川 とfLり北流 して鴨方 町の中央 部 で里見川 に注いでいる河川であ る。上流地荷は花 勧告を母岩 とする砂質 輝土地籍 である. 北平地 区か ら里 見JH合流地点 までの確 川下 流部が天井川 とTLってい る。塾 川は抱 Fl:l朋 ・RI中蓑 雨期等 には急 激な水位 の

鼠 急速 な土 砂の流 入, 漏水等 の危険 な状態 を しば しば被 って きた。 この様子 は, た とえは砂防剛 Il洗路上施行 につい ての陳怯む (鴨方町町役場各 種殊帖 占嵐 昭和 49年 )等 に衣現 され てい る。 「この河 川 は鴫,6町

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の南東 部 山林地 帯 に発 し地底 の 中央 部 を軒 下. 二掛 剛 l卜壁 用 を経 て北流, 二綾 取日日里 見川へ合 旅 し てい る この地方 唯一 の 河川 であ りますD この地方 の土 田 は花 拙者 を母岩 とす る砂包 頗土地 相 で南部 山林地ま急 峻 で あ ります0年 阻降

鮎 は平均 1

. 200

ミリ掩度 で比収 的少 冊 であ りますが毎年 雨脚 こは掛 Ff東 和 に肝 々見舞 われ てお ります。 ため に二ヒ砂 の癖 矢 甚 ・fI'しく下流 の二枚 河川堅 川 の如 きは, 当初 両岸 のJBi糾 帯が阿 川 や闇 に許 が 出来 てい た状 態 であ った ものが現 在 では舶

描5m〜 6m

の天井 川 とな ってい る状況 で あ ります。今般 軌跡 = を要望 い た してお ります 地 政 は急竣 な山地 よ り 流 下, 挺勾配 とな ってい る地 相 で その周辺に

柑 正六条 尿 策里庄 線 及 び人家 が群 雄 し降雨 亀 に上 砂 旅に よ r)改 岸

O j

u蝕 .河 外のEtl没 と多大 の被

r E T T を

IJ=ノてい る ところで あ りますo よっ て流路 = の触 行 に よ り人心 の安定 と災害 の防 止を計 りfこくお願 い申 しあ げ る次 第 です. 何卒, 岱 愉 ご兜察 下 され 特 別の お取 り:‑;lL')い に よ りこれ が蒐 鮎 を C採 択 下 さい ます よと陳

いた します。」

述 の敵 情番 の串にみ られ る 「当初 両㍍一の段 別者か 而Hllを附 に語 か 出来 て い た状 態 で あ った・‑」

とい う記述 よ りか な り急 速

にF 軍

用 の天 井 川化がi珪威 した こ とが うかが え るO

川 の天井 川化 の時期 につ い ては, Ft

l

きITV.りに よる と大 正末 期か ら刑和 初 脱 にか け て天 井川 化が顕著 に進 展 した とい われ てい る。 それ以 前 (明治以 前 )よ i)六軒 川 であ っ た とい う.5‑もあ るか, それ につ い ては聞 き取 りを 泣付 け る文献 その他 の軽料 もな くよ くわか らFft、。たffラ浅 口郡蕊 の第三 ,水誌 の二 ,天 井 川 の部 分 (第一五 五

節)

,

「R)j治姓 新 ol)秒変

苦 りで林政 弛倍 し, 民心 また世 運 の変 化の著 るしきため に 再林 の将来 を席 み る もの な く, その混 伐各 所 に迫 りで.山林 米 韓 の軌 希土 暴 砧 して一雨短に土 砂 河鹿に雌Gj'し, 河床%̲超 して所 謂 天井川 とlLり (以 下省略 )」とい う記述 があ るO これ は明治緋新 を契機 とす る天井 川化 の進展 を述 べ てい るの で あ るが, この ま ま堅 川 につ い て もあ ては ま るか どう か わか らない。

聞 き取 りに よる と璽 川 は現在 まで に大 欠 壊 した こ とは ないが, たび たび水筆に見舞 わ れ(明

拾 26

11

月 にf3LLL戸 山Jll・堅

は7J(苛 に よ る裾fBを受けた ),その都 度 石垣 をつくるな ど徐 々に改修 工 事 が進 め られ て きたO 大 規模fJ改 倖工 市 と しては, 職和

12‑ 15

年 にかけ て轟迫 川 の砂 防= 事が 行 われ たO 森迫 川 を含 む上流地 相 は花 I.WB争尽 日 とす る砂

旗土 よ りな り, 棺 性 に乏 しい荒 れ たLLr 地 で降雨 の股に土砂 が流 出 し,

日 の天井 )冊 コを促 進 して きた と考 え られ る。 慨 き取 りに よ る と

の誇迫 川の土 砂 が堅 川 か ら里 見川 .玉 島帝 まで 旅 出 してい き, 玉 島 幣が埋 ま る とい う被等 さえ出 て い た とい うQ そ こで この荒 廃 した山

vI舵機 が tJされ, 砂 防 ダムが理殺 され たO この二 部 は旗 林省 の商標 = 中 として行 われ,RB和初 肋の不 況 に よ る按弊 農村 救 済 の役 割 も果 た してい た とい う。 その 後 もこの地kT=こは砂防 ダ ムが い くつ か つ く られ,河 味 も一 度 換 り下 げ られ土 砂 の流 出 とい う問題 は ほほ消 失 した。 この工 Tfiの記念 剛 ま六 条 院PT也 協 西 条原支 店付近 に現 在 も残 ってい る (写

喜 ‡1‑2

‑ 1

, 2 )0

昭和

51

年 の台 風

17

号 に よ る長雨 で は

川 の葱 岸 の一 部 が くず れ たO 北 平地 区 よ り上 流部 では 河床 を頼 りコンク リー トで庶 ぼ りを して河道 を鼠 定 させ河 川水 を早 く抜 くとい う底 ぼ り法 を用 い た

写真

1‑2‑1

森 迫川砂 防工事 の記 念碑(秦 ) 写真

1‑2‑2

森 迫 川砂 防工事の記 念碑(寡) 改 修= 啓が行 われ た この上流 部 は安 心 で きる状 態 とな ってい る。

一方北 平地 区 よ り泉見川 との合流 地点 までの 下旅 部 は依然 として危 険 な状 態 か続 い てい る。 そ

で鴨方mTは以 下の よ うな要望 宙 を県 に提出 してい る。 この う らの

「2

川 の改 修計TJl樹 立 と 早期実施 に つい て 」の項 目を抜粋 す るD 「この河川 は, 鴨 方町 の東 南 部寄島町 境 に発 し, 里 見川 に そ そ ぐ典型 的 な天井 川であ りますD 降雨 の都 度土 砂流 と堤槍 の漏水 に よ り災琴 の多発 してい る河

であ ります。 近年上 流部砂 防指定 区域 につ きま して は流蹄工 の= TJiか な され安 心 出宋 る状 態 とな っ てお ります。厚 く軌 礼申 しあ げ ます O しか しなが ら本 流 部 lこお きま して は, 旧憤 然 としてお ります ので出水 の 早 さ, 勾 配 の軽 に よる水位 の輔 苗等非常 に危険 な状 況 で あ ります の で, これが 漏水 防 止 を兼 ね た本格 的河川改 修 をお願 いい た した く要望 しますO (鴨 方PT役場 各 種臥情 ,G巌, 昭 和

53

7

11

日)」この よ うな要 望雷 は昭和

44

年 か ら

49

年 にか けて も毎年 挺 出 され てい るO 堅 川 下流 の河 床 は平常時 にほ とん ど滴 れ てい るが ,土 砂が か な り堆 和 してお り降 雨等 に よ る水位 の増 高 が予 想 され るO墜川 改修 田業計 画FTの堅 川縦 断 面 図お よび平面 図 よ り墜 Jllの堤 防 描 .河 床 訪 ・水 田商 を 抜 き出 して同化 した ものが図

1‑2‑2

,鴨方 町 役場 に よ る鴨 方町全図 を もとに作成 した河川縦 断 図が

図 1‑ 2‑ 3

であ る これ らの 岡 よ りわか る よ うに,叩]床 は両 岸 の水 田 よ り1.0

m〜 30m

拓 く,見窃 な天 井川 を な してい る。堤 防 は河床 よ りさ らに2

m

ほ ど高 いo まわ りの水 田か らみれ ば

.

. ‑

1 .

1‑2‑2

改鯵工事 による堅 川 の変化

下流部 〔改修工Igi継軌申 〕

1次計画

I C K ) 5

"{1

'

ETT‑Iil.こtt:̲: 笥 1.∝

氾m ‑ 3 1

‑ 「* 2 上

靴 部 1

〔改修工塀完了 〕

上図 卜 2‑2

で表 現 した部分1 里見川 との 合流地点

図1‑2‑3

河川縦断面 図 苗 5m も描 くな ってい る。 この 下 流 演目よ昭 和

6

0年 か ら絶 工 費

3

億 円 の予定 で 改 捗工 印 が 計 軌 され てい るo l次計画 として里見川 との含 洗地点か ら

1 . 005 m , 2

次計融 として同 じ く 合流地点か ら

1 , 600

桝の範囲が予定 され てい

る。=法 は上流部の庶 ぼ り法に対 して勾配 を軽 くす るだけでな く伏流 水 を確保 で き経済的 に も 安価 TL床止め (根 が ため )法 を用い てい る。 こ

の=事に よ り下流 部は

2 m

樫河床が下が り現 在 は ど天井川で な くな る予定であ る。

昭和

61

2

月現有, 下流 部分の=野 は継練

写真

1‑213

改 修の進 t:室川

(S61.2

月現在 )

写真

1‑2‑4

堅川の天井 川

(右手 に見 える白い建物 は川 鉄製鉄工業鴨方住宅 )

g t1‑2‑5

室 川の捷防 と水田

(白い車 が止 ま ってい る部 分 が堤防上 の県道 )

中 であ る(写

央 】‑2‑3‑5)

.

rTJf1 万 川

鴨方町北部 の逓照 山 ,竹林寺 山 よ り発す る本

E E

川 と曲田川は大尉付近 で合流 して鴨方川 とな り南 流 して里 見川に合流 す る。遺 恨 山の中央部は醗紋 肖地 敬 そ0)南側 o)斜面 は稚拙岩地輔 とTi‑ってい る。 また鴨方川 は川 ノ手付近 で も益坂

I

IIを合 せ てい る0

本庄 JII・鴨方川 は, 昭和

56

年 の柴 中京両 で欠壊 し, 堤防 ・桶 の破聴, 嫡朱等 の被苦 を受 けたo 鴨 方川 は それ まで何皮か災苗 を受 け, その都度

原 申復 旧の工・‑ElJか行 われ て きたが

,馳和 56

年 か ら

59

年 にかけ て災謬助成 額丑 として改俸工

・gJか行 われ たo鴨 方川は川幅 が広 い †こめコン ク リー トで同幅 を闇 め るのみ に し, 河床 は砂地 の まま鼓 し

体が高 くなる と土砂 を掛 るとい う形 で改修 きれ た。

僻和

61

2

月現 在, 鴨方 川の潜岸 は コンク リー トで薗 め られ てい る.同株には革 が生 見, 渇水期 だったので河川水 の締 れはあ ま りな く,

よ どんでい た (写

災 112‑6)

0

写真

1‑216

敏 捷工事の完 了した鴨方 川 く印方掘付近 )

(S61.2

月 ) (板野利絵 )

(2) 鴨方 町の溜池 (JfJ 浅 rj那 0

5

徹池

岡山県浅 口郡 は個 池の多い ことで知 られてい る。 い うまで もな く稲作 には榔概 が完 全であ るこ と が必死 であ る。 ところが, 当地方 は瀬戸 内沿岸 の寡両 地幣であ る うえ,触概 の利 のあ る河 川 は

打梁

川, 鴨 方 川, 大 良川 のみ で あ り, その他 多 くの 天井 川 は, 平 時 個 潟 し た状 膿 とな ってい る。 し たが って, 河 川 以 外 の もの か ら潜敢 FEl水 を補 う こ とが不可 欠 とTLる。 そ こで, その役 割 を果 た す もの と して, 戚 ん に 御地 が築 造 され たC その た め, 当地 方 は, 滑 油 の特 に多 い地 方 と して 世 に知 られ るほ どの潤 池 の 数 を有 す るに至 っ てい

る。

また, 郡 の 中 で も鴨 方 町 は, 年 間, 水 の豊 か な河 川 が な く, 冊 池 に よ る稚概 面街 の削合 の特 に宿 し、所 とな っ てい るO 古 い質料 で は あ るが, 浅 口郡 詑 (大 正末 頃 )に i る と, 池斬 田地総 段

別 616 . 4

町 の うら, 池沼 に よ る拙既 段 別 は

604 . 9

q

r

で, なん と

98

0/Oを占 め るO (ロ) 溜 池 の変 逝

溜 池 の状況 は, 苗 か らず っ と変 わ らず に現 在 に至 っ てい るわけ で はTiいO新 し く灸 造 され T:

り, 埋 め立 て られ た りしな が ら, その結 果 と し て現 在 の姿 が あ るわ け で あ る。 それ で は, どの よ うな変 遷 を た どって きたの で あ ろ うか。

蓑 112‑2

鴨 方 町 内の 溜 池 の数

< 文 献 ・聞 き取 りに よ る溜 池 の 数 >

大 正 末 溜池 の 数

378

浅 口郡 誌 昭和 ㌘ 年 頃

381

浅 口地 方 誌

㈲ 和

4 2

年 頃

245

役 場 での 聞 き取 り

<地形 図 か ら判 筑 で きる溜 池 の数>

明治 知 年 発 行

110

昭 和

2 5

年 〃

130

。r

131

昭 和43年 〃

123

昭 和5]年 //

120

()r

121

<

空中

ら判読 きる溜

数 >

50年

1‑4

地理

院裾彫

そ こで, まず 数 の うえか ら禰 池 をみ てい く。 わか り得 た聴 園 の もの を示 す と,

衰 1‑2‑2

の よ うにな る。

ます, 文献 や拙 き取 りか ら得 た数 僻 で あ るが. 明 拾 期 あ るい は それ 以 前 の もの に つい ては と らえ るこ とが で きな か った。 た だ, 本 県 の 滑 池 は, 明治

12

年 の岡 山県統 計安 に よれ ば, す で に この時 期 に現 在 の 数 とあ ま りか わ ら7,1・い ものが で きてい たO ま た, 井 軍地 方振 興 局管 内の 溜 池 築 造 数 (衷

1‑21 3

)は 明治 以 後 それ ほ ど多くない。 LT=が っ て, 鴨 方 町 に お い て も溜 池 の 数 に つ い て

, 臓

妻1‑2‑3 r

岡 山県 土 地 改 良 史 」に よ る築 造 年 次 別 溜 池 敷

江 戸 明 治 大 正 昭 和

振 興 局

1‑ 19 20

‑ 不 明 計

笠 岡

436 14 10 7 15 534 1 . 016

岡 山県 耕 地課 訊杢

S.58.10.14

ドキュメント内 教 〕歴史的町鴨方の変貌 (ページ 34-45)

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