∫ノ
2. 鴨方町 にお ける自然の改 変
(1) 鴨方町の 天井 川
(Jl)鴨方町 内の河川 と天井川 の分布
鴨方町 内に は, 主 (こ8本 の 2級河川が放れ てい る。 鴨方町内の河川 図 (図 1‑ 21 1)i:りわか るJ:うに,鴨 方町内の河川はすべ て鴨方町の はば中央 部 を恥旅 してい る里見川 に注 い でい るo これ らの河川の うら, 杉谷 川,鴨方川, 益坂JHは その始点 を鴨方町 内の北部 山地 に もってい る。堅 川 は その始点を南部 山地 に もってい る。里見川 は, 里庄町東 部に軒 を発 し, 鴨方PT, 金 光町 を横 切 り倉 敷 市に入 り, 玉La湾 に注 いでい る。指田川 は里 庄町 k発 し, 鴨方PT内 で里見 川 に合流す る。 鳩剛 Il
は, 鴨方町の南部山地 に軒 を発 し, 一時里EEPT を流れ,再 び町5万mTに入 って里見川 に合流 す る。
これ ら他方WTを流 れ る
2
鍛河 川について ま とめ†こものが
衰 1‑21 1
であ るo鴨方 町内 には天井川が存在 してい る。天井川 とは 「堤防 内に多生 の土砂が堆 8.1し河床面が平 野面 よ り
J
T訂くrLった河 川 ,河体面が高 くrLった ため艇 防 を高 くす る とさ らに唯横が進み 平野 と の比高 は大 とlJる (地学 辞興に よ る )」河 川で あ る。 天井 川 は, 洪水 を防 ぐ目的 で堤防 を重 き 河道 を隠定 した ために で きた とい う意 味 で人工蓑 112‑1
鴨方町内 の2
扱河川 河 川 名 全延長 (m)
qI円延長( m) 里
見 川ll
.781.95 3,220̲00 鴨 方 川 3.980.65 3.980.65 括 印 川 4.800.00 3.300.00 益 坂 川 1,811.90 1.811.90 杉 谷 川 2.300.00 2.300̲00 壁 川 2.500.00 2,500.00鳩
岡 川 3.270̲00 2.470.00 本 庄 川 1.360.00 1,360.00 的 lJ地形,,であ り, 人 r'F'Jの生活 と深 くかか わ ってい る。河川の上 流か ら下流のすべ てにわ た って天井 川化 してい るの ではな く, 河川の一部に出現 す る。 また, 天井川においては, しば しば改 捗= 番か行 われ るため, その実 1削 ま年 々変化 してい る。
2万 5千分の 1の地形凶で擬 防の記職 か あ るの は, 堅川 ・鴨方川 と益坂川 .指 田川 ・鳩岡川 ・里見 川の ご く一 部 であ るO この うら国土地理院発行 の土 地条件 図 に天井川 として記峨 され てい るのは, 堅川 ・鴨方川のみで あ るo そ こで本柿 では,堅川 と鴨方川の天井川 につい て述 べ るO
( ロ)
天井川 の変遷① 墜 川
堅川は鴨方町南東 部の布 島PTとの町境 付近 の 山地 に発す る森迫川 ・巣 山戸 山IHに は じま り六 条 院 町出協 西条風 支店付近 で合流 して堅川 とfLり北流 して鴨方 町の中央 部 で里見川 に注いでいる河川であ る。上流地荷は花 勧告を母岩 とする砂質 輝土地籍 である. 北平地 区か ら里 見JH合流地点 までの確 川下 流部が天井川 とTLってい る。塾 川は抱 Fl:l朋 ・RI中蓑 雨期等 には急 激な水位 の
増
鼠 急速 な土 砂の流 入, 漏水等 の危険 な状態 を しば しば被 って きた。 この様子 は, た とえは砂防剛 Il洗路上施行 につい ての陳怯む (鴨方町町役場各 種殊帖 占嵐 昭和 49年 )等 に衣現 され てい る。 「この河 川 は鴫,6町ー.
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冊 ナ 堤 防
の南東 部 山林地 帯 に発 し地底 の 中央 部 を軒 下. 二掛 剛 l卜壁 用 を経 て北流, 二綾 取日日里 見川へ合 旅 し てい る この地方 唯一 の 河川 であ りますD この地方 の土 田 は花 拙者 を母岩 とす る砂包 頗土地 相 で南部 山林地軌ま急 峻 で あ ります0年 阻降
水
鮎 は平均 1. 200
ミリ掩度 で比収 的少 冊 であ りますが毎年抱 雨脚 こは掛 Ff東 和 に肝 々見舞 われ てお ります。 ため に二ヒ砂 の癖 矢 甚 ・fI'しく下流 の二枚 河川堅 川 の如 きは, 当初 両岸 のJBi糾 帯が阿 川 や闇 に許 が 出来 てい た状 態 であ った ものが現 在 では舶描5m〜 6m
の天井 川 とな ってい る状況 で あ ります。今般 軌跡 = を要望 い た してお ります 地 政 は急竣 な山地 よ り 流 下, 挺勾配 とな ってい る地 相 で その周辺に
は
柑 正六条 尿 策里庄 線 及 び人家 が群 雄 し降雨 亀 に上 砂 旅に よ r)改 岸O j
u蝕 .河 外のEtl没 と多大 の被r E T T を
IJ=ノてい る ところで あ りますo よっ て流路 = の触 行 に よ り人心 の安定 と災害 の防 止を計 りfこくお願 い申 しあ げ る次 第 です. 何卒, 岱 愉 ご兜察 下 され 特 別の お取 り:‑;lL')い に よ りこれ が蒐 鮎 を C採 択 下 さい ます よと陳情
いた します。」上
述 の敵 情番 の串にみ られ る 「当初 両㍍一の段 別者か 而Hllを附 に語 か 出来 て い た状 態 で あ った・‑」とい う記述 よ りか な り急 速
にF 軍
用 の天 井 川化がi珪威 した こ とが うかが え るO野
川 の天井 川化 の時期 につ い ては, Ftl
きITV.りに よる と大 正末 期か ら刑和 初 脱 にか け て天 井川 化が顕著 に進 展 した とい われ てい る。 それ以 前 (明治以 前 )よ i)六軒 川 であ っ た とい う.5‑もあ るか, それ につ い ては聞 き取 りを 泣付 け る文献 その他 の軽料 もな くよ くわか らFft、。たffラ浅 口郡蕊 の第三 ,水誌 の二 ,天 井 川 の部 分 (第一五 五節)
に,
「R)j治姓 新 ol)秒変に
苦 りで林政 弛倍 し, 民心 また世 運 の変 化の著 るしきため に 再林 の将来 を席 み る もの な く, その混 伐各 所 に迫 りで.山林 米 韓 の軌 希土 暴 砧 して一雨短に土 砂 河鹿に雌Gj'し, 河床%̲超 して所 謂 天井川 とlLり (以 下省略 )」とい う記述 があ るO これ は明治緋新 を契機 とす る天井 川化 の進展 を述 べ てい るの で あ るが, この ま ま堅 川 につ い て もあ ては ま るか どう か わか らない。聞 き取 りに よる と璽 川 は現在 まで に大 欠 壊 した こ とは ないが, たび たび水筆に見舞 わ れ(明
拾 26
年11
月 にf3LLL戸 山Jll・堅川
は7J(苛 に よ る裾fBを受けた ),その都 度 石垣 をつくるな ど徐 々に改修 工 事 が進 め られ て きたO 大 規模fJ改 倖工 市 と しては, 職和12‑ 15
年 にかけ て轟迫 川 の砂 防= 事が 行 われ たO 森迫 川 を含 む上流地 相 は花 I.WB争尽 日 とす る砂田
旗土 よ りな り, 棺 性 に乏 しい荒 れ たLLr 地 で降雨 の股に土砂 が流 出 し,墜
日 の天井 )冊 コを促 進 して きた と考 え られ る。 慨 き取 りに よ る とこの誇迫 川の土 砂 が堅 川 か ら里 見川 .玉 島帝 まで 旅 出 してい き, 玉 島 幣が埋 ま る とい う被等 さえ出 て い た とい うQ そ こで この荒 廃 した山
地
vI舵機 が tJされ, 砂 防 ダムが理殺 され たO この二 部 は旗 林省 の商標 = 中 として行 われ,RB和初 肋の不 況 に よ る按弊 農村 救 済 の役 割 も果 た してい た とい う。 その 後 もこの地kT=こは砂防 ダ ムが い くつ か つ く られ,河 味 も一 度 換 り下 げ られ土 砂 の流 出 とい う問題 は ほほ消 失 した。 この工 Tfiの記念 剛 ま六 条 院PT也 協 西 条原支 店付近 に現 在 も残 ってい る (写喜 ‡1‑2
‑ 1
, 2 )0昭和
51
年 の台 風17
号 に よ る長雨 で は堅
川 の葱 岸 の一 部 が くず れ たO 北 平地 区 よ り上 流部 では 河床 を頼 りコンク リー トで庶 ぼ りを して河道 を鼠 定 させ河 川水 を早 く抜 くとい う底 ぼ り法 を用 い た′
写真
1‑2‑1
森 迫川砂 防工事 の記 念碑(秦 ) 写真1‑2‑2
森 迫 川砂 防工事の記 念碑(寡) 改 修= 啓が行 われ た。 この上流 部 は安 心 で きる状 態 とな ってい る。一方北 平地 区 よ り泉見川 との合流 地点 までの 下旅 部 は依然 として危 険 な状 態 か続 い てい る。 そこ
で鴨方mTは以 下の よ うな要望 宙 を県 に提出 してい る。 この う らの
「2
級河
川堅
川 の改 修計TJl樹 立 と 早期実施 に つい て 」の項 目を抜粋 す るD 「この河川 は, 鴨 方町 の東 南 部寄島町 境 に発 し, 里 見川 に そ そ ぐ典型 的 な天井 川であ りますD 降雨 の都 度土 砂流 と堤槍 の漏水 に よ り災琴 の多発 してい る河川
であ ります。 近年上 流部砂 防指定 区域 につ きま して は流蹄工 の= TJiか な され安 心 出宋 る状 態 とな っ てお ります。厚 く軌 礼申 しあ げ ます O しか しなが ら本 流 部 lこお きま して は, 旧憤 然 としてお ります ので出水 の 早 さ, 勾 配 の軽 に よる水位 の輔 苗等非常 に危険 な状 況 で あ ります の で, これが 漏水 防 止 を兼 ね た本格 的河川改 修 をお願 いい た した く要望 しますO (鴨 方PT役場 各 種臥情 ,G巌, 昭 和53
年7
月11
日)」この よ うな要 望雷 は昭和44
年 か ら49
年 にか けて も毎年 挺 出 され てい るO 堅 川 下流 の河 床 は平常時 にほ とん ど滴 れ てい るが ,土 砂が か な り堆 和 してお り降 雨等 に よ る水位 の増 高 が予 想 され るO墜川 改修 田業計 画FTの堅 川縦 断 面 図お よび平面 図 よ り墜 Jllの堤 防 描 .河 床 訪 ・水 田商 を 抜 き出 して同化 した ものが図1‑2‑2
,鴨方 町 役場 に よ る鴨 方町全図 を もとに作成 した河川縦 断 図が図 1‑ 2‑ 3
であ る。 これ らの 岡 よ りわか る よ うに,叩]床 は両 岸 の水 田 よ り1.0m〜 30m
拓 く,見窃 な天 井川 を な してい る。堤 防 は河床 よ りさ らに2m
ほ ど高 いo まわ りの水 田か らみれ ば股
.
. ‑ ‑
1 .図
1‑2‑2
改鯵工事 による堅 川 の変化下流部 〔改修工Igi継軌申 〕
罫
1次計画I C K ) 5
"{1'
ETT‑Iil.こtt:̲: 笥 1.∝氾m ‑ 3 1
‑ 「* 2 上
靴 部 1〔改修工塀完了 〕
上図 卜 2‑2
で表 現 した部分1 里見川 との 合流地点図1‑2‑3
河川縦断面 図 苗 5m も描 くな ってい る。 この 下 流 演目よ昭 和6
0年 か ら絶 工 費3
億 円 の予定 で 改 捗工 印 が 計 軌 され てい るo l次計画 として里見川 との含 洗地点か ら1 . 005 m , 2
次計融 として同 じ く 合流地点か ら1 , 600
桝の範囲が予定 され ている。=法 は上流部の庶 ぼ り法に対 して勾配 を軽 くす るだけでな く伏流 水 を確保 で き経済的 に も 安価 TL床止め (根 が ため )法 を用い てい る。 こ
の=事に よ り下流 部は
2 m
樫河床が下が り現 在 は ど天井川で な くな る予定であ る。昭和
61
年2
月現有, 下流 部分の=野 は継練写真
1‑213
改 修の進 t:室川(S61.2
月現在 )写真
1‑2‑4
堅川の天井 川(右手 に見 える白い建物 は川 鉄製鉄工業鴨方住宅 )
写
g t1‑2‑5
室 川の捷防 と水田(白い車 が止 ま ってい る部 分 が堤防上 の県道 )
中 であ る(写
央 】‑2‑3‑5)
.②
rTJf1 万 川鴨方町北部 の逓照 山 ,竹林寺 山 よ り発す る本
E E
川 と曲田川は大尉付近 で合流 して鴨方川 とな り南 流 して里 見川に合流 す る。遺 恨 山の中央部は醗紋 肖地 敬 そ0)南側 o)斜面 は稚拙岩地輔 とTi‑ってい る。 また鴨方川 は川 ノ手付近 で も益坂I
IIを合 せ てい る0本庄 JII・鴨方川 は, 昭和
56
年 の柴 中京両 で欠壊 し, 堤防 ・桶 の破聴, 嫡朱等 の被苦 を受 けたo 鴨 方川 は それ まで何皮か災苗 を受 け, その都度原 申復 旧の工・‑ElJか行 われ て きたが
,馳和 56
年 か ら59
年 にかけ て災謬助成 額丑 として改俸工・gJか行 われ たo鴨 方川は川幅 が広 い †こめコン ク リー トで同幅 を闇 め るのみ に し, 河床 は砂地 の まま鼓 し
何
体が高 くなる と土砂 を掛 るとい う形 で改修 きれ た。僻和
61
年2
月現 在, 鴨方 川の潜岸 は コンク リー トで薗 め られ てい る.同株には革 が生 見, 渇水期 だったので河川水 の締 れはあ ま りな く,よ どんでい た (写
災 112‑6)
0写真
1‑216
敏 捷工事の完 了した鴨方 川 く印方掘付近 )(S61.2
月 ) (板野利絵 )(2) 鴨方 町の溜池 (JfJ 浅 rj那 0
5
徹池岡山県浅 口郡 は個 池の多い ことで知 られてい る。 い うまで もな く稲作 には榔概 が完 全であ るこ と が必死 であ る。 ところが, 当地方 は瀬戸 内沿岸 の寡両 地幣であ る うえ,触概 の利 のあ る河 川 は
打梁
川, 鴨 方 川, 大 良川 のみ で あ り, その他 多 くの 天井 川 は, 平 時 個 潟 し た状 膿 とな ってい る。 し たが って, 河 川 以 外 の もの か ら潜敢 FEl水 を補 う こ とが不可 欠 とTLる。 そ こで, その役 割 を果 た す もの と して, 戚 ん に 御地 が築 造 され たC その た め, 当地 方 は, 滑 油 の特 に多 い地 方 と して 世 に知 られ るほ どの潤 池 の 数 を有 す るに至 っ てい
る。
また, 郡 の 中 で も鴨 方 町 は, 年 間, 水 の豊 か な河 川 が な く, 冊 池 に よ る稚概 面街 の削合 の特 に宿 し、所 とな っ てい るO 古 い質料 で は あ るが, 浅 口郡 詑 (大 正末 頃 )に i る と, 池斬 田地総 段
別 616 . 4
町 の うら, 池沼 に よ る拙既 段 別 は604 . 9
qr
で, なん と98
0/Oを占 め るO (ロ) 溜 池 の変 逝溜 池 の状況 は, 苗 か らず っ と変 わ らず に現 在 に至 っ てい るわけ で はTiいO新 し く灸 造 され T:
り, 埋 め立 て られ た りしな が ら, その結 果 と し て現 在 の姿 が あ るわ け で あ る。 それ で は, どの よ うな変 遷 を た どって きたの で あ ろ うか。
蓑 112‑2
鴨 方 町 内の 溜 池 の数< 文 献 ・聞 き取 りに よ る溜 池 の 数 >
大 正 末 溜池 の 数
378
浅 口郡 誌 昭和 ㌘ 年 頃381
浅 口地 方 誌㈲ 和
4 2
年 頃245
役 場 での 聞 き取 り〟
<地形 図 か ら判 筑 で きる溜 池 の数>
明治 知 年 発 行
110
昭 和
2 5
年 〃130
。r131
昭 和43年 〃123
昭 和5]年 //
120
()r121
<
空中
写弟 か ら判読で きる溜池
の数 >昭
和50年
1‑4月国
土地理
院裾彫そ こで, まず 数 の うえか ら禰 池 をみ てい く。 わか り得 た聴 園 の もの を示 す と,
衰 1‑2‑2
の よ うにな る。ます, 文献 や拙 き取 りか ら得 た数 僻 で あ るが. 明 拾 期 あ るい は それ 以 前 の もの に つい ては と らえ るこ とが で きな か った。 た だ, 本 県 の 滑 池 は, 明治
12
年 の岡 山県統 計安 に よれ ば, す で に この時 期 に現 在 の 数 とあ ま りか わ ら7,1・い ものが で きてい たO ま た, 井 軍地 方振 興 局管 内の 溜 池 築 造 数 (衷1‑21 3
)は 明治 以 後 それ ほ ど多くない。 LT=が っ て, 鴨 方 町 に お い て も溜 池 の 数 に つ い て, 臓
妻1‑2‑3 r
岡 山県 土 地 改 良 史 」に よ る築 造 年 次 別 溜 池 敷江 戸 明 治 大 正 昭 和
振 興 局
1‑ 19 20
‑ 不 明 計笠 岡
436 14 10 7 15 534 1 . 016
岡 山県 耕 地課 訊杢