第 9 章 観照と永遠
第 1 節 魂と時間性
これまでは、賢者が幸福であるのは、高度の徳を所有するからであり、高度の徳とは浄 化が完了しているという意味でのカタルシス、そして観照であり、観照とは知覚や思考を 可能にさせているもので、観照か実践かというような対立軸のもとに捉えられる時間的な ものではないということを見てきた。
では、観照する魂が時間的なものでないということは、魂と時間の関係において整合性 をもつのだろうか。というのも魂は本稿第2章第2節の「永遠と時間について」で見たよ うに、時間と密接不可分に結びついている。「時間は魂の、ある生から別の生へと変化する 動きのうちの生命」(Ⅲ7. 11. 43-45)であるとされていた。ここでは時間は、魂の「生命」
と言われているのである。したがって観照する魂が時間的なものではないということは、
この観点に立てば矛盾するようにも思われる2。ここでは「永遠と時間について」に加えて、
「魂の諸問題について第二編」(Ⅳ4[28])から、魂の永遠性と時間性について考察する。
1 本章は、第17回新プラトン主義協会大会(2010. 9. 26. 於 鹿児島純心女子短期大学)に おいて研究発表したものに加筆修正をしたものである。
2 Smith(1998)も、時間に関するプロティノスの魂の記述には、一貫しない困難な点、す
なわち推論的レベルで、より先より後や持続性を、魂に認めたり認めなかったりしてい るということを指摘する。彼は、Beierwaltes(1967)の魂を区別なく見る立場に対して、
Manchester(1978)の魂に時間の2つのレベルをみようとする立場に立つ。すなわち時
間には、この世界に「現れた時間」と万有の魂のレベルでの「真の時間(real time)」が あるのではないかと考える立場である。真の時間のレベルでは、推理考察も時間的なも のではない。Smithの指摘は、プロティノスの魂と時間の問題に一定の解決を与えるも のだが、「真の時間」という概念をプロティノスのうちに求めることには無理があるよう に思われる。もし「真の時間」があるならば、それは知性界あるいはイデア界にあるべ きであり、万有の魂に限定されるようなものではないだろう。
第9章 観照と永遠 151 1.魂は時間的なものか
プロティノスが、「永遠と時間について」で述べている時間の誕生に関する一節をここで 再び見てみよう。
以前には、つまり自分がより先のものを生み出したり、より後のものを必要としたり しなかったうちは、実在のうちに自らとともに、時間ではないものとして、かのもの のうちで静穏を保っていたのだ。しかし、せわしない()本性のものが、
自分を支配すること、自分であることを欲し、現にあるものよりも多くを求めること を選択したので、その本性が動きだすとともに、時間自身も動きだし、私たちは、常 にのちなるものへ、あとなるものへと、また同じものではなく次々に別のものへと動 いていき、ある程度の長さ進んでいくことで、永遠の似姿として時間を作り上げたの だ。(Ⅲ7. 11. 12-20)
魂と時間は密接不可分な関係にあり、この世界をいわば協同で制作しているように見え る。魂のある本性が動きだし、その動きとともに時間も動く。時間の誕生は魂に原因があ るとはいえ、まだ「時間ではないもの」も、ともに進み出て永遠の似姿としての時間を作 る。魂と時間における密接不可分性は、動きと時間の間にも言えて、魂、時間、動きの三 者は一体的に万有の生成にかかわっていると考えられる。
ここで述べられている魂は、万有の魂と考えられるので、「せわしない本性」や「自分を 支配する」といった擬人的表現も、個別の魂の意思といったものを表しているのではない。
ただし第 13 章に、「われわれの内の時間」についても言及されていて、魂は一つであって 時間も引きちぎられない、ということが述べられている3。プロティノスは、万有の魂も個 別の魂も区別をつけず、時間を魂全体にかかわるものとして説明している。
一方、「魂の諸問題について第二篇」(Ⅳ4[28])では、魂と時間について少し異なった主 張をわれわれは見ることができる。すなわち、万有の魂と個別の魂を、<時間のうちにあ るもの>と区別し、魂自体は時間のうちになく永遠的であるとする見方である。それは魂 の記憶に関する議論のなかで、以下のように述べられている。
では果たして、われわれの魂は他の変化と不足を受け入れるので、いわば時間のうち
3 Ⅲ7. 13. 66-69.
第9章 観照と永遠 152 にあるけれども、万有の魂は時間を生み出すので時間のうちにないとわれわれは言う ことになるのだろうか。ではそれは時間のうちにないとしよう。だが魂をして永遠で はなく、時間を生ましめるものは何なのか。万有の魂が生み出すものは、永遠的なも のではなく、時間に包まれているものを生み出すからなのだ。個別の魂さえも時間の うちにはなく、時間のうちにあるのは、個別の魂がもつなんらかの情念()で あり、制作されたもの()なのだ。なぜなら、個別の魂も永遠的であり、
時間は後のものであって、時間のうちにあるものは時間よりも劣るのだから。(Ⅳ15.
10-18)
ここでは、万有の魂は時間を生み出し、万有の魂が生み出すものは時間に包まれている という、生み出すものと生み出されるものとの関係が述べられている。そして個別の魂さ えも永遠的であって、時間は後のものであるとされる。「永遠と時間について」では、魂と 時間は密接不可分な関係にあって、魂が永遠的であるということは明らかではなかった。
永遠は「有るものをめぐる、有ることのうちにある生命」(Ⅲ7. 3. 36-37)、「有るものの 完全で全体的な実在」(Ⅲ7. 4. 37-38)、「自身にとどまり、かのものへ向かい、かのものの うちにある生命の現実活動」(Ⅲ7. 6. 9-11)と言った説明がなされていた。有るものは実在 であるから、これをめぐる生命と言われる永遠は、知性界の本性とみなされる。したがっ て知性の下位にある魂には適用できないのではないかとも考えられる。
では「永遠と時間について」では、魂は時間的なものとして語られているのに、「魂の諸 問題について第二篇」では、魂が永遠的だと言われるのはなぜだろうか。プロティノスに、
首尾一貫性がなかったということだろうか。いやおそらく、この両論文の不一致は、それ ぞれの論文がどこに主眼を置いているかということからきていると思われる。
すなわち「永遠と時間について」では、永遠と時間が、知性界と感覚界の対比のもとに 語られていて、魂の細かな区別は問題とされていない。とりわけ知性界にいるとされる魂 については、ほとんど考慮に入れられていない論じ方である。ここでは、永遠に対比され る時間の由来とその本質が焦点になっているということができるであろう。
一方「魂の諸問題について第二篇」では、知性界にいる魂は記憶をもつかという問題を はじめ、様々な魂に関する詳細な議論に焦点が当てられている。その中で、個別の魂と時 間との関係が考察されているのである4。したがってわれわれは、「魂の諸問題について第二
4 「魂の諸問題について第二篇」は、「魂の諸問題について第一篇」および「魂の諸問題に ついて第三篇」と一体となった論文であり、第二篇の内容は、第一篇で問題となってい た記憶の問題の続きである。
第9章 観照と永遠 153 編」から、個別の魂と時間とがどのようにかかわっているかをみていくことによって、賢 者の魂についてもより深い理解が得られるし、両論文の不一致の問題も解決できると考え られる。
2.魂の永遠性
ではまず個別の魂の考察に入る前に、知性界にいる魂についてどのように考えられてい るのか見てみよう。
知性界にいる魂はかしこのものたちを観照し、それらをめぐって現実活動し、まさに あるということのうちにいるのでなければならない。そうでなければ魂はかしこにあ るのではない。(Ⅳ4. 1. 3-4)
ここでは、魂の観照と現実活動は同列に扱われている。「かしこのものたちを観照し」と
「それらをめぐって現実活動し」ということは、ほとんど同一の事態を述べていると考え られる。さらに「かしこにあるものたちは時間の内にないのだから、すべて知性活動は無 時間的であり、永遠のうちにある」(Ⅳ4. 1. 12-13)という箇所から、観照あるいは現実活 動に従事する魂は時間のうちになく永遠のうちにあるということが導きだされるのである。
次に個別の魂について見てみると、「個別の魂さえも時間のうちにはなく、時間のうちに あるのは、個別の魂がもつなんらかの情念であり、制作されたものなのだ。なぜなら、個 別の魂も永遠的であり、時間は後のものであって、時間のうちにあるものは時間よりも劣 るのだから」(Ⅳ4. 15. 16-18)とあるように、プロティノスは、ここで個別の魂さえ永遠的 であり、時間のうちにないということを言明している。その理由として時間のうちにある ものは、魂のもつ情念や制作されたものだからだとされる。
情念は本稿第 7 章のカタルシスに関するところでみたように、表象にかかわり変化のう ちにあるものであった。ここでの制作されたものとは、身体のことを意味すると考えられ る。
しかし、個別の魂が時間のうちにないと言っても、われわれの心の動きは何か経過的な ものをもっているし、時間のうちにあるのではないだろうか。プロティノスも、個別の魂 が万有の魂のように時間のうちにないとは簡単に言えないのではないかと思案する。そこ で、彼は個別の魂には分担している能力が多くあって、それらが表象を多くもつほど、そ れぞれの諸能力が妨げ合って万有の魂のように時間から離れることができないのではない