第 4 章 プラトンにおける永遠と観照
第 1 節 『ティマイオス』の永遠
第4章 プラトンにおける永遠と観照 71 プラトンは『ティマイオス』で、永遠を時間の原型として位置づける時間論を西洋思想 史上初めて著した。経験的なレベルで考えるとき、時間と永遠をこのように結び付ける着 想は、思いもよらないものである。それまでの哲学的潮流においても、このような思想は 例がない。ここでは、時間の原型としての永遠がどのように語られているのかみていきた い。
1.生成変化する世界には原因がある
まずはじめに、プラトンは二つのものの間に区別を立てる。一つは「永遠にあるもの
()で生成しないもの」「常に同一を保ち、知性の働きによって言論とともに捉え られるもの」で、いま一つは「生成消滅し真にあることの決してないもの、思惑によって 感覚とともに言論なしで思いなされるもの」である。そして「生成するすべてのものは、
何らかの原因()によって生み出されるのが必然である」と語る(27d5-28a6)。 この一節で、われわれは前章でみたパルメニデスの真実の道と思惑の道の区別を思い起 こす。パルメニデスは「あるもの()」が不生不滅であると述べ、「あった()」や「あ ることになる()」といった過去や未来を排除して、ただ「今ある()」とい うあり方だけを「あるもの」に与えている(断片8. 1-6)。
これが、無時間的なあり方なのか、それとも単に今という時間が持続するようなあり方 なのかという点で解釈が分かれているということは前章ですでにみた2。
いずれにしろ、一般にも認められている通り、プラトンの思想のうちにはパルメニデス の影響が少なからずあるということは確かであろう。しかし、「生成するものすべてもの」
には原因があるという考えは、パルメニデスの断片を見る限り述べられていない。
パルメニデスは、思惑の道を「遠ざけ禁ずるようにせよ」(断片6. 3)と一旦否定しなが らも、「あるもの」について語り終えた後、「これからは思惑を学べ」(断片8. 51- 52)と言 って話題を転換させるのだが、思惑の原因や真実と思惑の間の関係についてはなにも触れ ていない。プラトンは、パルメニデスの一節を踏襲するように見えて、そこに新しい展開 を見せているようにみえる。
2 前章でとりあげた議論をまとめれば、Kirkら(1983, 250)は、パルメニデスのあるもの は、いかなる時間的な区別も条件としない、永遠的現在のうちの存在であると見ている し、Guthrie(1965, 29-30)は、パルメニデスとプラトンの「あった」と「あることにな る」について書かれた箇所を比較して、無時間的永遠の概念に達した最初の人物はパル メニデスではないかと見ている。一方Tarán(1965, 175-201)はパルメニデスに無時間 的概念を帰することは適当ではないと主張している。
第4章 プラトンにおける永遠と観照 72 経験的に考えれば、たとえば子供は親がいなければ生まれないように、なにかが生み出 されるためには、確かにその原因がなければならない。そのレベルでの原因の必然性は人々 にとっても十分了解可能であろう。しかし「生成するすべてのもの」には原因があるはず だということになるとどうだろうか。
ヘシオドスやホメロスの詩のうちにも、この世界の起源にまつわる神話が多く語られて いる。またいわゆる「自然哲学者」と言われる思想家たちも、世界の成り立ちを語ってい た。しかし事物の起源を語ることと、「生成するすべてのもの」には原因があると語ること の間には大きな飛躍があるのではないか。ここで言われる生成するものとは、「感覚によっ てとらえられ、思いなされるこの世界のすべて」を指しているだが。
というのも、単に事物の起源を語ることは、事物自体の実在性について問うことなしに、
その始まりを問うものだが、「生成するすべてのもの」には原因があるとプラトンが言うの は、はじめに知性の働きによって言論とともに捉えられるものと生成消滅し真にあること の決してないものとを措定したうえで、後者に対して言われているのであり、極めて哲学 的な主張なのである3。
プラトンはその原因として、最初に万有を作ったものがいるはずだと考える。作ったも のを彼は「制作者()」と呼んで、その本性と万有の誕生について語りだす。
2.制作者と万有の誕生
制作者は、文脈によって神とか父と言い替えられたりしているのだが、天体の神々もや がて登場し、話を混乱させてしまう恐れがあるので、ここでは制作者という表現で統一す ることにする。また万有()は、天()や宇宙()と言い換えられた りするが、プラトンはこれらをほぼ同じ意味で用いており、ここでは「万有」または「宇 宙」として述べていきたい。
制作者は、まず善的本性を持つものであることが言われる。すなわち制作者は制作する 際、常に同一を保つものをモデルとして制作したか、生成したものをモデルとして制作し たかどちらかである。もし万有が立派なもので、制作者が善きものならば、彼は永遠的な
もの()に注目するはずである。しかるに宇宙は生成したもののうちで最も立派
であり、制作者も原因のうちで最善のものである。したがって万有は、言論と知性によっ て()把握され、常に同一を保つものに倣って制作された。そして万有はなんらか のものの似姿()でなければならない(28c5-29ba1)。
3 プラトンの原因論については以下を参照。田中、1981、Ⅱ、270-558。
第4章 プラトンにおける永遠と観照 73 プラトンはここで、製作者の善なる本性が原因のうちで最も重要なものであるというこ とを示している。そして、先に提示された二つの区別のうちの一方すなわち「常に同一を 保つもの」を、他方の「生成するすべてのもの」のモデルとして位置づけをする。「生成す るすべてのもの」が万有を意味していることは、この一節から確認することができる。そ してプラトンは、万有が最も立派なものであるという前提をもっていることになる。制作 者は善きものであるから、永遠的なもののほうをモデルとして最も立派な万有を作ったの である。したがって「生成するすべてのもの」に対する原因としては、善なる本性をもつ 制作者に次いで、モデルも重要な役割を果たしているということになる4。
制作者は、万有をできるだけ秩序ある状態へ導くために、知性を魂に、魂を身体に結び 付け、魂と知性を備えた生きものを誕生させる(30a2-c1)。なぜ知性を直接身体に結びつ けず魂に結び付けたかというと、「知性は魂から離れてはなにものにも宿ることはできない から」(30b3)だとされる。魂は知性の受け手であり、知性によって身体を秩序づけるため に第一義的に要請されたものである。したがって魂は、「生成するすべてのもの」に対する、
制作者、モデルに次ぐ第三の原因者となるだろう。
万有はこうして、最初に魂と知性を備えた生きものとして誕生するのだが、プラトンは 次にモデルの本性について語り始める。モデルの本性については先に、「永遠にあるもので 生成しないもの」「常に同一を保ち、知性の働きによって言論とともに捉えられるもの」と 言われていたが、ここでは「知性の対象となるすべての生きものを自己自身のうちにもっ
ている」(30c7-8)とか、「完全無欠の生きもの」(31b1)と表現されている。
モデルも生きものとして表現されているが、魂を持っていると考えることは正しくない であろう。魂は「生成するすべてのもの」に対する原因であって、モデルの原因ではない。
むしろすべての生きものを包括する全く欠けることのないひとつのものであるから生きも のといわれているのであろう。プラトンは、モデルは単一であるから、この似姿としての 万有もひとつでなければならない(31a-b3)と語る。
制作者は次に万有の身体、つまり物質的世界を作る。万有は、火、空気、水、土という4 つの構成要素が比例関係を保っている一つの合成体とされ、その形は球形である。球形が 全ての形のうえでもっとも完結し、自己自身に似ているからだと言われる(31c4-33b7)。
そしてこの球体に回転運動を割り当て、中心に魂を据え、それを引き伸ばして全体を覆い、
4 『ティマイオス』39e1-3では、制作者は善きもので嫉妬心がないので、できるだけ万有 が自分に似たものになることを望んだと述べられているが、この一節からモデル自体も 制作者と同一ではないかと考えることができるようにも思われる。しかし制作者とモデ ルの同一性についてはその後明らかなことは述べられておらず、この点に関しては問題 も多く含むところなので立ち入ることはしないが、モデルが万有の原因の側にあるとい うことは確かであろう。