第 6 章 ストア派とプロティノスの賢者
第 2 節 上位の原理
1.万有のロゴスと人間のロゴス
これまで、ロゴス()という語を賢者の魂に関連して語ってきたが、周知のとおり、
この語はストア派にとってはむしろ、宇宙論的枠組みの中で第一に把握されるべき概念で ある。すなわち、われわれの自然本性()は、万有の自然本性の部分であり、人生の 目的は「自然と調和して生きること」と言われるが、これは自分自身の自然本性を万有の 自然本性に従わせることを意味し、そのときわれわれは万有に行き渡っている正しいロゴ ス()に従うことになる29。
万有の根源は、作用するものと作用されるものという2つのものからなり、作用される ものは素材、作用するものはロゴス、あるいは神と言われる30。いわばロゴスは宇宙形成の 能動的原理であり、「宇宙は生きものであり、ロゴスも魂ももっていて、知性的でもある」
28 「非物体的なものの非受動性について」(Ⅲ6[26])を参照。
29 SVFⅢ. 4-9.
30 SVFⅡ. 300.
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31と言われるが、このようなロゴスや魂を所有する宇宙という考え方は、プロティノスの「万 有の魂」との類似を思わせる。プロティノスもストア派のロゴス概念を受け入れ、自己の 体系の説明に活用している32。
神は「宇宙の生成に向かって筋道だてて進む技術的な火であって、それぞれのものがそ れに基づいて宿命的に生成するところの種子的ロゴスをすべて包含している」33と言われる が、このように、ロゴスのうちでも特に形成作用の側面から見られたロゴスは「種子的ロ ゴス()」と表現されることがある。
形成原理としてのロゴスは、あたかも種子のように素材に作用しながらあらゆるものに 行き渡り、定められた秩序のもとに永遠的に繰り返される生成と消滅(宇宙の大燃焼)へ 導く。一方、神とも言われる万有の根源的原理であるロゴスそれ自体は、自らのうちに宇 宙の生成の原因を内包しつつも、自らは永遠的に存在し続けるのである34。
しかし万有に行き渡っている形成原理としてのロゴスは、ロゴス的生きものと言われる 人間のロゴス、すなわち一般的に理性という言葉で置き換えられるようなロゴスと、その まま一致させることはできないだろう。というのも、万有に行き渡っているロゴスは、人 間でなくとも、あらゆるものが所有していて、それにもかかわらず人間だけがロゴス的生 きものと言われるのであれば、人間におけるロゴスは形成原理としてのロゴスとは異なる ものではないかと考えられるからである。
ストア派は、人間がこの世界で特別な存在であると考えていたようである。彼らは宇宙 を、神と人間たちからなる国家と言い、「神と人との間に共同体が成り立つのは、自然本来 的に法()であるロゴスに分け与っているからである。そして他のものはすべて彼ら のために生じた」35と考えていた。
このことから、ロゴス的生きものといわれる場合の人間のロゴスは、神と共有する法と してのロゴスの側面をもっていると考えられる。法としてのロゴスは、いわば統治者、あ るいは支配者としての側面を表していると解することができる。人間だけが、とりわけ賢 者こそが、完全なロゴスを所有するがゆえに、王者とも言われ神との共同体の一員になる ことができると彼らは考えていたのである。
人間を神に並ぶものと位置付ける点で、ストア派の賢者は、プラトン、アリストテレス、
プロティノスの思想のうちに流れる「神に似る」という理想像さえも凌ぐものとなってい
31 SVFⅡ. 633.
32 プロティノスによるストア派のロゴスの受容については以下を参照。山口、1998、64-87。 Meijer, 1988.
33 SVFⅡ. 1027.
34 SVFⅡ. 311, 528, 585, 590, 597, 599, 620.
35 SVFⅡ. 528.
第6章 ストア派とプロティノスの賢者 110 る。
ストア派の場合、個々の魂は不死ではなく、人間の魂は身体から離れてある期間だけ存 続し、賢者の魂は万物が解体して火になるまで存続すると言われる36。しかし断片のいくつ かは、賢者の魂が不死であるということも伝えている37。これに関しては十分な資料がない ため確証することができないが、賢者の魂のうちには神と共有する完全なロゴスがあり、
このロゴスが永遠的な存在であるとすれば、彼らのうちにも不死的で永遠的な本性がある と考えることはできるはずである。
そしてこのことは、次のように考えることによっても確かめられる。すなわち、ストア 派の宇宙の永遠性は、周期的な生成と燃焼の永遠的な繰り返しによって説明されるのだが、
その周期の仕方は「無限に同じものが回帰する」38という形で繰り返されるという。だとす れば、賢者の魂が一つの周期を生き延びるのならば、次の周期も再び同じ賢者が存在する のだから、結局賢者は永遠に存在し続けるということになるだろう。ストア派にとって、
一つの周期の間存続しているということは、永遠に生きているということを意味するので ある。それはあたかも、自らを火中に投じて再生するフェニックスの不死永生の伝説を思 い起させるものである。
以上のことから展望できることは、ストア派の魂は物体ではあるものの、賢者の魂の場 合には上位の原理と結び付けられる超越的側面をもっているということである。そして彼 らが、苦痛のうちにいて滅びる主体と区別された、幸福な主体としての賢者を主張するこ とができる拠りどころは、賢者の魂の上位の原理との一体化(神との共同体の一員となる こと)であり、これによって苦痛を受け入れないだけでなく、上位の原理の不死性や永遠 性を共有し、滅びるものを乗り越えているのである。プロティノスの場合は、プラトンの 考えを継承し魂を不死とみなしているが、魂と上位の知性とをどのように結び付けている のか次に概観してみよう。
2.プロティノスのロゴスと観照
プロティノスは、「自然、観照、一者について」(Ⅲ8[30])で、根源的原理である一者か ら生み出されるあらゆる存在、すなわち知性、魂、自然を、観照という上位へ向う働きと その結果生み出されるロゴスから成り立つ重層的で力動的な世界として描き出している。
36 SVFⅡ. 809.
37 SVFⅡ. 813, 817b.
38 SVFⅡ. 625.
第6章 ストア派とプロティノスの賢者 111 プロティノスはここで「自然は観照する」39「存在するものはすべて観照の副産物
()である」40といった議論を展開するが、このような観照は、従来の「観照」と いう概念の枠組を越える極めて独創的な主張と言えるであろう。
自然()は、魂のもとで万有を制作することに従事するものとして位置づけられて いる。したがってここで言われる自然は、われわれの日常用いる自然の概念とは異なり、
感覚世界に潜む自然本性()のようなものと考えればいいだろう。それは魂より下位 の一種の生命のように捉えられ、それゆえ「観照する」という言葉が与えられているので ある。観照はロゴスを受け取るための働きとみなすことができる。
彼はこの概念を用いることによって、なぜ万物にロゴスが行き渡っているとしても、そ れが上位の原理と結び付いて活動することが可能なのかを説明しようとしている。
すなわち、形成原理としてのロゴスが、個々のものに内在していても、上位の原理と結 びつく活動がなければ上位から下位への一方通行にしか過ぎず、ただロゴスを与えられる ばかりでそれ以上なにも生み出すことができない。そのような生み出すことのできないロ ゴスを、プロティノスは「末端の()」とか「屍()」と呼ぶ41。一方生命を もつロゴスは、観照することができるために自らも生み出すことができる。ただ自然の観 照とわれわれのそれとではそのあり方は異なっていて、自然は眠り込んでいる人のように、
静かに自分自身のうちにとどまって観照するとされる42。
たとえて言えば、植物は種子や果実を生み出すことができるからロゴスを持っているけ れども、そのロゴスは植物が生命体として観照していることによるのだといったことを考 えればいいのではないだろうか。ちょうど人間が眠っているけれど生命活動を維持してい るように、植物は観照しながらロゴスを万有の魂から受け取り、それによって種子を生み 出しているようなありかただと考えられる。
プロティノスは、賢者の観照の場合は人間が目覚めているかどうかということ以上のも のだと考えているようだ。というのも、彼は賢者の観照を次のように説明している。すな わち人間の場合も観照する力を十分に持っていないときには、考察()に基づい た観照を行おうとするのだが、賢者はすでにこのような推理思考をしてしまっており
()、自分自身に対しては視覚となっていると述べている43。ここで考察とか推理 思考と言われている働きは、ロゴスが時間のうちに展開するありかただが、賢者はあたか も視覚のように自分自身を直接的に観照する。自己の直接的把握は自己思惟に相当し、自
39 Ⅲ8. 1-4.
40 Ⅲ8. 8. 25-26.
41 Ⅲ8. 2. 31-32.
42 Ⅲ8. 4. 15-27.
43 Ⅲ8. 6. 30-38.